しちがつ

◆日記に戻るんか?戻るんか?

7月1日木曜日 またもや緊急上京。

 我社の車は唐突にやってくるのだ。待っていた車がいきなり来たので、私も突然上京することになった。銀行やら郵便やら航空やらのサービスは首都で無いと利用できないものが多い。今回の上京中、車が脱輪した。タイヤの下が100m程の崖だったことは、、まあ悪い夢だと思って忘れることにする。


7月2日金曜日 バイク様御来場。


 いよいよ私のバイク様が首都から下野なさった。どうだ、この黒光りするボディ。挑戦的なお目目。触ったら火傷しそうなシート(クソ熱い)。
 早速、近隣農民に見せびらかし出発。皆一様に感嘆の声を上げ、「俺にくれ。」と主張する。お前らはそれしか言えんのか。クレイジー農民め。でも、今日の私は機嫌が良いのだ。
「ふざけるな。指一本でも触れてみろ。訴えてやる。」とやんわり断った。
 そして、このバイクにまたがり街へ。用件は電話回線の申し込みのためである。ついにここウォンディフォダン県バジョタンにも電話回線がやってきたのだ。我街バジョタンもどんどん町になることよ。時の移り行きとは因果なものかな。
 私も電話とバイクを利用できる身分になるとは、偉くなったものだ。後は、みz・・・
・・・・・・・・・・・・・いや、何も望むまい。


7月3日土曜日 電話様御来場。

 朝一でバイクを飛ばし、電話局へ。「そりゃ!契約は済んだんじゃい!はよ電話線引かんかい!?」と深く頭を下げ、電話局スタッフを派遣してもらう。家で待つこと一時間。スタッフがやって来る。早速、作業に取り掛かるスタッフ達。強面のリーダー各の男が、「しばし待て。100m先から線を引っ張ってくる。」と言い残し、100m先の電柱によじ登る。

電話線を引くスタッフ。

・・・・・・・・・ん?

サンダルだーーーー。

サンダル履きにも関わらず、作業は着々と進む。

電柱の変わりに我家の前の木を利用。

もう・・・直ぐそこまで電話線が・・・!

電話との接続・・・!!

「もしもし。あ。ワイフ?」

 ってお前誰だ?
なぜか突然、作業に参加し、最初の電話を堂々と掛けるブータン人。
「OKだ。俺の家に電話したらワイフがでたよ。ふふ。」
いや、ワイフなんてどうでもいいから。ワイフ、俺知らないし。関係ないから。

 こうして、我家にも電話様がやって来たのである。深夜どうしても日本語が話したくなった時、病気になった時、イタ電したくなった時(犯罪)、いつでも電話が出来るのだ。
早速、電話を誰かに掛けようと思ったのだが、電話帳も何も持ってないことに気付き、電話番号が分からなく、「電話番号が無ければ電話にはだれもでんわ」と宇宙の真理を悟ったため、職場に戻り一心不乱に草を毟った。


7月4日日曜日 カエルさま御来場。

 オフィスに入ると不穏な物体が蠢いておるではないか。3メートル先から私を見据えておる。
 ゲロゲロ。

なにこいつ。でかい。不必要にでかい。私に睨みを利かすとは何様か。
ぺったんぺったん飛び廻り、私の部屋に入ってこようとするので困っていると、
「Fuck!!」と叫びつつゼコがゼコが走ってきた。

 「ゲロ!!蹴らないで!!(カエル談)」

ごすっっと鈍い音を立て、彼は、2秒間宙に舞った。

合掌。


7月5日月曜日 炭酸飲料くらいある。

 ブータンにも炭酸飲料はある。
セブンアップ。

あれ?

セブンアップ(蓋有)。

ええーーーーーっ!?量が違う!?
丁度一口分!?誰が飲んだの?蒸発?ええーーーっ!?

一頻り騒ぎ、もちろん、おいしく頂いた。
炭酸飲料が美味しくいただけるだけでも、贅沢である。
<ブータン豆知識>
我街バジョタンでは、炭酸飲料としてコカコーラ、ペプシ、ファンタ、ミリンダが利用可能である。ミリンダは、なんというか、ファンタに似ているというか、ファンタそのものある。ブータンのファンタは飲むと舌がオレンジ色に変色する。


7月6日火曜日 雨。

 雨季を迎えているブータンであるが、その降り方は、深夜から明方にのみシトシト降るようである。ところが、今日は一日中シトシト。お陰で、灼熱の太陽が顔を見せず、とても涼しい。「なんて良い天気だ。」と泉谷が言っていたが、それは、彼にお迎えが来たわけではない事を私は証明できるものである。


7月7日水曜日 雨雨。

 まったく。降り続く雨は止まない。明方、少し雨が上がったように見えたので、バイクで出勤。甘かった。我家周辺にアスファルトは存在しない。降り続く雨で道路は泥沼化。おまけに起伏に富んだ地形であるので、後輪が空転して進まない。地元住民は慣れているので難なく通過していくが、私は進めない。
 「おら。そこの学生。手伝ってもいいよ?このバイク後ろから押してもいいよ?」と頼み込み、なんとかオフィスへ到着。雨降っているから作業も出来ないし(人夫さんはやってる)、オフィスで泉谷と茶を飲んで過ごした。


7月8日木曜日 ムシ。

 日本男児ならば幼い頃誰しもがカブトムシを飼っていたのではないだろうか。私も例外に漏れず、カブトムシを、クワガタムシを、その他ムシを飼っていた。
 そんな日本男児には、実はブータンは魅惑の国なのである。
 ブータンには、世界のマニアが注目する珍しいクワガタムシが多数存在する。ブータンの特殊性も手伝ってのことであろうが、少し前のブーム時では一匹壱千萬円の値が付いたと言う。
 宝の島ブータン在住の昆虫マニアとしては、これを見逃す手は無いのである。私は来る日も来る日も道端木の上に着目し生きている次第である。
 本日もキョロキョロしながら畑で生きていると、ゼコがニヤニヤしながら近づいてくる。
「のり。お前クワガタ好きだろ。これ見つけたからやるよ。」


「キィキィ・・・」


ええーーーーーーーー!?
クワガタじゃないし。そもそもクワガタはキィキィ鳴かないし。

「これはクワガタじゃないよ。これは・・・・えと・・えと・・KAMIKIRIMUSIだよ。」
と、日本語名をゼコに伝えると、
「Come Kill?おいおい、デンジャラスだな。」
と、訳の分からないことを言うので、この「Come Kill虫」を犬カリーに与え、また畑仕事を続けることにした。


7月9日金曜日 バス。

 首都上京のためにバスを利用した。なんと早い車だと2時間の行程に5時間を要した。私が乗るバスはなぜ毎回毎回パンクするのであろうか?なぜ、バス運転手は途中で自分の畑により、野菜を収穫するのだろうか?なぜ、乗客は店がある度にバスを止め、飯を食うのだろうか?やや、イライラしながら、それでも自分も楽しみながらバスの5時間の旅は無事終わった。


7月10日土曜日 送別会。

 仲の良かった先輩方がまた帰国された。悲しい。首都の夜は寒かった。


7月11日日曜日 バーベQ。

 隊員ドミトリーでバーベQ。庭の桃の木には、七夕の短冊が飾ってあり、日本風情たっぷりであった。早速、鳥丸ごとを買ってきて解体する私達。たくましくなったものよ。豚の足なぞもその辺に転がっていた。誰が食したのであろうか。豚の脂身の魅力に取り付かれている私は、豚の脂身と皮をバーベQに追加するものの、その想像を絶する不味さにビールが喉を通らない。つまり、豚の脂身はブータン風にトウガラシと塩で調理してこそ美味い物なのだと心理に気付きつつ、2日連続の二日酔いに悩みながら寝る。


7月12日月曜日 向日葵。

 私は、花に興味があるゼコのために花を栽培している。

向日葵。

 ブータンでは向日葵のことをNym gang sha methoと言う。これは「太陽に向かう花」という意味だそうだ。日本語とよく似ている。
 「のり。Nym gang sha methoの様な女に気をつけろ。誰にでも尻尾を振る女の事だ。」と最近第一子が生まれたソナムくんが教えてくれた。面白い。


7月13日火曜日 犬カリー受難の日。

 我社には門番のガンガランが飼っている犬がいる。真っ黒犬カリーである。カリーは人懐っこい犬と言うか・・・まあ、喰う以外は寝ているので、私にも良く懐いている。
 犬カリーが寝ているところへは、猫シャムがよってくる。猫シャムとは私の名付けた猫なのであるが、同じ顔の猫が数匹我社に生息しているのでどれが本物の猫シャムなのか見分ける事ができない。

犬カリーと猫シャム。にゃー。

 犬カリーと猫シャムに囲まれ幸せな午後のひと時を過ごしているところにゼコがやって来た。
 「のり。猫と犬ってどっちが強いか知ってるか?」と私に尋ねてくる。「知らん。」と答えると、おもむろに猫シャムを持ち上げるゼコ。「貴様・・・何をするのだ。まさか・・・。」
 私が止める隙も無く、猫シャムを犬カリー向かって投げつけるゼコ。響く犬カリーと猫シャムの悲鳴。ぎゃん。にゃう。
 「・・・・・・見たか?・・・・一番強いのは・・・俺だ!」とかっこよく言い残し、その場を去るゼコ。
 えーーーーーーーーっ!?かっこ良くないし。微妙すぎるし。
救いようのない馬鹿はほっといて、犬カリーを慰めつつ、猫シャムの蚤を取るのであった。


7月14日水曜日 一年おめでとう、私。

 なんと今日で一年なのである。何が一年か。ブータンへ来て一年なのである。丁度一年前のこの日、私は車にドナドナされて首都ティンプーへ到着したのである。「一年おめでとう、俺ーっ!」と一人で拍手していたら、レッキーが苦笑いしていた。なんだかウキウキした気分になってきたので、皆で昼飯を食いに街へ without 財布。ああ。一年前はこんな日が来るとは思っていなかったが、早いものである。こんな良い仲間に囲まれて。

「Fuck!飯が遅い!」ゼコ、レッキー、ソナム。

・・・・・・えーーーっ・・・・・。
唯のヤンキー集団にしか見えないのは、降り続く雨のせいである。まあ、もうすっかり私もこのヤンキー集団の一味であり、メガネに茶髪で、お行儀の悪い言葉(しか知らない)を使うようになってしまった。
 とはいうものの、何も出来ない、バックパッカー気取りの私を1年間も見捨てないでくれたブータン人友人に感謝の気持ちで一杯である。できれば、もう一年、見捨てないで頂きたいものである。一年後もこの行儀の悪い仲間達の一員でいれたら・・・・。きっと日本には適応できないに違いない。(ある意味ブータン上級社会にも適応できていない。)


7月15日木曜日 ゼコ(尿道結石兼骨折)。

 ソナム(人妻キラー・妻子持ち)がカラ出張して来てからというもの、昼御飯を誰かのおごりで食べるのが日課になっておる。昨日はレッキーが払った。その前は私が払ったので今日はソナムの番である。いつもの店に到着し、モモ(蒸餃子もどき)を注文。

「モモが遅い・・・!」ゼコ。

ん?なにかおかしい。

・・・・えーーーーーーーっ!?

ギブス?それギブス?
ゼコ(尿道結石)がギブスをつけているではないか。どうしたと言うのだ。思い返すと3日前、バレーボールをした後、小指が痛いと言っていた。「どうしたのか?」と聞くと、
「ふん。あまりに痛いので病院に行ったら折れていたのだ。こんなうっとうしいもの着けやがって。Fuck医者!」
などと言う。えーーーっ!?3日間も骨折したまま我慢してたというのか。ならば昨日の時点で折れてたと言うのか(昨日日記参照)。我慢強い男である。
「しかし!これで俺はパワーアップしたのだ。」と言うゼコ。嫌な予感を抱きつつ静観していると、案の定近くに生えているバナナをなぎ倒し出す。
「・・・・・な?」
な?じゃない。と思いつつ、そのギブスで頭をかち割られそうなので、沈黙を保つ事にした。


7月16日金曜日 ゼコ(尿道結石兼骨折)続報。

 ゼコのギブス姿を見るのが楽しみでウキウキしながら出社。さぞかしむずがっている事であろう。カユイカユイとのた打ち回る御姿を是非拝見したいものである。
「おはよう、ゼコ。」

「Fuck!誰も出やしねえ!」ゼコ電話中。

ん?不可解な。



えーーーーーーーーっ!!
ギブスもう外してる!!
ギブス外してなんかオリジナルの固定具つけてる!我慢できなかったの!?
聞くと昨晩あまりの鬱陶しさに我慢できず叩き割ったらしい。ありえない。病院でギブスしてもらって一日で叩き割る馬鹿がどこにいるだろうか。いやいない(反語)。全くもって、理解できないこの男の我儘っぷりに驚愕しつつ、ちょっと惚れ直してしまう難しい年頃の私であった。


7月17日土曜日 モー乳。

 モー乳と書くと、どこぞのアイドルグループのようで虫唾が走るが、牛の乳の事である。あいつらいったい何人いるのだ。どこから湧いて出るのだ。少し目を離すと増殖しているので困る。が、かわいいから許す。
 む。話がそれた。ブータン人は日常肉を多く摂取しない代わりに、動物性タンパク質としてチーズやバターを摂取している。おそらく数年前までは、各戸で作っていたのだろうが、貨幣経済が浸透した今では、市場に手作りのチーズやバターが並ぶ。我社の前には牛舎がある。最近そこの親父とオカンと仲良くなったので、バターとチーズ作りを見学させてもらう運びとなった。
 乳製品作りはまず搾乳から始まる。

「搾ってぇ〜」

 この作業は早朝らしく、私が駆けつけた時はもう終わっていた。搾乳後、ホムと呼ばれる容器に入れ、よく撹拌しつつ一昼夜寝かす。

ホム。すでにヨーグルトのにおいが・・・。

明朝、このホムを空けるとすでにバターは分離しており、そこにダウが残る。ダウとはヨーグルトの様な風味の液体である。ダウそのものも販売されており、1リットルで10Nu(25円)とお得な飲み物である。

ダウの中からバターを取り出す。

バターを取り出したダウから作るのがチーズである。ダウに沸騰したお湯をゆっくりと注ぎ、かき混ぜると白かったダウが透明な黄色に変色し、沈殿が生じる。

チーズが沈殿する。

このチーズをおにぎりの要領で適当な大きさに固め、店頭にて販売する。ちなみにこれも一つ10Nuであり、一つあれば一家族分の一品料理は十分に出来る。

かわいいチーズ玉。

チーズを取った後のダウも飲用や料理に使い、無駄は出さない。私の住んでいる地域は水が出ないのだが、水が出なくとも効率的に仕事をする事によってチーズとバターを作って行くオカンの仕事ッぷりに感動した。出来立てのダウやチーズは格別の味であり、「何も足さない何も引かない」美味さを堪能した。オカンは仕事をしながら、バターを少しだけ壁に擦った。理由を尋ねたら、「Nebaraja ghobe(ただ、何となくね)」と答えた。それは神に捧げた物に違いないのだが、その奥ゆかしい性格と無駄の無い仕事にうれしくなりつつ、ダウとチーズを食べ過ぎて気持ちが悪いので、トイレに今しばらく篭り寝る事とする。あー・・・口の中が脂っこい。


7月18日日曜日 新隊員フタタビ。

 新隊員の方々がブータンに赴任され歓迎会が開かれた。私は15年度1次隊なのだが、この度来られた方々は16年度1次隊である。丁度一年後輩に当たる。一年前の事を思い出し、焦りと満足を感じながら、それでも足元を見て生きて行こうと感じた。
 新隊員歓迎会の後は、帰国される先輩隊員と朝まで飲んだ。私もブータン経験は長い方の隊員となったので、それなりの自覚を持ち、生活しなければいけないと感じた。


7月19日月曜日 二日酔い。

 動けません。動けません。でも、日本人がたくさんいて楽しいので、キャッチボールをしました。ボールじゃなくて脳みそ投げてるような感覚に陥りました。

7月20日火曜日 パロへ。

 本社出張。本社はヤハリ緊張する。


7月21日水曜日 祭ると云ふ事。

 ブータンの玄関パロへ出張する。この日はブータンの聖なる日であり、全国各地でプジャと呼ばれる祭りが行われた。プジャは祈祷とも訳される。
 私は、本社のプジャに参加し、僧侶の読教に耳を傾け、振舞われる聖水や米粒に口をつけた。

響くお経。「オンマニペニフム・・・」。

その後、後片付けを済ませ、疲れたからだを引きずりつつ、パロで働くマッチョ隊員アキラさんの家へ。今日はアキラさん宅でもプジャが開かれており、夜はそちらに参加させていただく事になっていた。アキラさん宅の玄関に近づくとどこからとも無く奇声が聞こえる。
「きえーーーーー!」
いきなり飛び掛ってくるブータン人女性。もみくちゃにされる私。
気付くと頭が真っ白。着ていた民族衣装も真っ白。小麦粉マミーレ。

えーーーーーーっ!!

 木魂する笑い声。家の奥からアキラさんが出てきたが、彼も同様に真っ白だった。
 私とアキラさんを粉マミーレにしたのはアキラさん宅の大家さん家族である。彼らはとても陽気で気さくな人々だった。よそ者の私のも親切にしてくれ、なぜか私を「おい!ノルブ!!」とブータン人の名前で呼んでくれた。ノルブって・・・。
 夕食を振舞われ、宴会。宴会ではアラ(ブータンの穀物の酒)をたらふく呷り、歌を歌った。

僧侶も一緒に歌う。

私もギターを片手に歌った。アキラさんは三味線を片手に歌った。ブータン人は手拍子で調子に乗ってくれた。宴会は深夜遅くまで続き。皆でそこここに雑魚寝をした。家族のものが、家族以外のものも含めて、酒と歌と踊りを楽しみ、疲れて寝る。それが祭りと言うものなのだろう。平和や幸せの祈りは、祭りを行う事ですでに成就してしまうのである。


7月22日木曜日 続・祭ると云ふ事。

 祭りを楽しんだ私達は新しい家族のようだった。任地へ帰る事になっても別れが惜しい。「ノルブノルブ。」と私を呼ぶ声がずっと頭の中に響いていた。「サヨナラサヨナラ。」と言う日本語も響いていた。何もかもが響いて聞こえた。
 二日酔いだった。


7月23日金曜日 買物。

 職場のためにホワイトボードやペンを購入。なんで自腹を切ってんだろうか。でも自腹を切ってでも皆を喜ばせたいと思う。


7月24日土曜日 ハ(Haa)へ。

 ハ(Haa)という場所がある。ブータンの西端部、標高2600mに位置し、夏涼しく冬は厳しい、稲作の無い地域である。私は週末にこのハからパロへ抜けるトレッキングに参加する予定であり、ハで活動している同期隊員を訪ねるためにハへ向かった。
 ハはとても涼しく、今の季節は天国のようだった。友人も元気に暮らしておりハを満喫しているようであった。
 ハの街を散策していると、公民館のようなところに一頭の馬が繋がれていた。馬は放し飼いなのに珍しいな・・。と思って眺めていると、なにやらおかしい。顔は馬よりも短く、身体も幾分丸い。尾も短い。・・・・鹿?
 えーーーーーっ!2mの鹿ーーーっ!
写真が無いのが残念であるが、巨大な鹿が座っているではないか。名前はツェリンというらしい。以前山から迷ってきた子の鹿を公民館で飼育しているのだそうだ。しかし、でかい。奈良の鹿なぞの比ではない。馬サイズ。正に馬並み。
 ああ!興奮してきた!明日からのトレッキングに於いてはツェリンの群れツェリンズを見つけ、戦いを挑む所存でございます!打ち勝った暁には、ツェリンにヤックルと名付け、弓片手に悪鬼悪霊どもと戦うため、サンと呼ばれる少女を探しにタタラの谷まで・・・・・(錯乱)。


7月25日日曜日 ハ〜パロトレッキング。

 ハからパロに抜けるトレッキングの魅力は何か。距離が比較的に短くが、標高4000m越までの景色を堪能出来、しかも夏季シーズンに於いては、様々な高山植物を愛でる事が可能な点である。我々ツェリン探索隊パーティーは高山植物と美しい稜線を目指し、早朝6時に出発した。

いってきます。

しかし、時期は雨季。路悪の中、吾等の脚は鈍る。昨晩も雨が降り続いていた。このトレッキングコースは決してメジャーなコースではないため、進行路選択の不安も付きまとう。

地図確認する髭隊員。

道中、案の定道を失い、獣道を進み、獣道すら失い、自ら路を開拓したりしつつ、我々は頂上を目指した。
頂上が近づくにつれ、美しい花が出迎えてくれる。

  

左から、エーデルワイス、ブルーポピー(国花)、ケシの一種。
私は、ツェリン(大鹿)に夢中なので、ツェリンツェリン叫びながら登山していたのだが、ツェリンは結局現れなかった。
昼近く我々は頂上に到着した。頂上は言葉では言い表せない美しさであった。低く響く風が高山植物を揺らし、遊牧民の牛が草を食む。時同じくして顔を出した太陽が露にぬれた花々を照らす。森林限界に近い事を感じさせる低木林。

到着。標高4000m。ちなみに私は作業着だった。

頂上にて持参した御握りやら日本の佃煮やらを食す。美味也。
下りには時間が掛かってしまい、結局パロの街に到着したのは日が落ちた7時であった。皆脚が棒になっていたが、一杯の美味いビールを呷り、喉の奥から「美味い!」と叫んだ。


7月26日月曜日 ハ〜パロトレッキング2。

 パロ到着後、ホテルに宿泊したので目覚めはホテルのベッドだった。体が心地良い気だるさで重く、朝御飯も美味しく食べる事が出来た。パロから首都へ戻り、身体を休めるためサウナへ。驚く無かれブータンにもサウナがあるのだ。Druk Hotelという超高級ホテルにあり、東部ブータン産のレモングラスオイルのスチームサウナと日本のようなサウナが楽しめる。シャワーやトイレも綺麗で、疲れを取るのはもってこいである。髭隊員であるところのフセさんと一緒に堪能する。ホカホカの身体で食事を取り、後はぐっすり眠った。


7月27日火曜日 ただいまウォンディ。

 一週間ぶりに任地へ帰ってきた。こんなに任地を空けたのは、戦争首都退避以来である。近所の仲間が心配して我家を訪ねてきてくれた。やはりこの谷の風は心地よい。協力隊員のお仕事は様々であるが、私の一番の仕事はこの谷の人々を楽しませる事なのだろうと思う。その上で会社に貢献できたら・・・。きっと私自身がもっと楽しめるのだろう。
とりあえず、ただいまウォンディよ。明日からはまたいつもの調子でやっていこう。

7月29日木曜日 トカゲ。

 私は生物ならば何でも好きだ。当然爬虫類も好きだ。日本ではカナヘビという小型のトカゲ(本来はヘビの仲間)を飼育しており、その愛らしさに時を忘れ眺めていた事が懐かしい。これまでブータンに於いてもコブラや大型カエルなど一般人にウケの良くない生物に遭遇したが、私の生物愛は益々深まる一方である。
 実は、以前から存在を確認しつつ捕獲に踏み切れない生物がいる。

 顔だけ赤い・・・・。

トカゲである。「猛毒を持っている」とか「食べたら美味い」とか「2mになる」とか「Fuck!」とか、このトカゲに関する情報は混乱しており、正体が掴めない。何とか彼の正体を明かしたいものである。

7月30日金曜日 ゾンダ。

 ゾンダとは県知事のことである。今日はブータンの全県知事20名との夕食会に参加した。日本で考えると恐ろしい食事会である。日頃偉い人とは全く会わない環境で生活しているので私は一人恐れおののいていたが、ブータンの霞ヶ関で働いている多くの隊員たちは実に堂々としており、「むう、ブータンに来ても田舎者か・・。」と卑屈になりつつもパーティーを楽しんだ。突然ハとタシヤンツェのゾンダ(日本で言うと・・・青森(ハにはインド軍基地がある)と岩手(タシヤンツェは美しい事が自慢の田舎)?)が話しているのが聞こえた。彼らはゾンカで話していたのだが、「美人」と「抱きたい」との言葉は聞き取れた。むむ。之は飲み会での必須アイテム「シモネタ」ではないか。シモネタならば私の出番である。「どの娘だ?どの娘がかわいい?」と切り出すと、勢いよく喋りだすゾンダたち。「あの娘はどこで働いている?」「あの娘はスタイルが良いが、名前はなんと言う?」「お前、あの娘は友達か?」「お前、あの娘とはやったのか?」by県知事。
 県知事にシモの心配までしてもらって私は幸せ者である。 

7月31日土曜日 感謝祭。

 ブータン協力隊は、毎年日本祭と称して、ブータン人との交流の場を持って来た。私は伝統はぶち壊すためにあると思っている愚かな若者であるので、例外に漏れず、形を変えて交流の場とすることにした。今年は地方でこの「日本祭」を行ってはどうか。日本の文化を紹介するのではなく、ブータン人との交流を目的にしてはどうか。等々の意見をぶち上げ、先輩隊員と共に計画を立ち上げた。JOCV感謝祭。JOCVフェス。中々良い響きではないか。




一年と一ヶ月が過ぎた。
私は生まれ変わらないといけない。