しがつ

 ◆日記に戻るモジャー



4月1日金曜日 エイプリルフール。

 エイプリルフールに、「今日はエイプリルフールではない」と嘘をついた場合、何が真実となるのかについて小一時間考えるも、本当の真実は来週日本人調査団が来ブすると言うことだけであるので、私は仕事をこなすだけである。明日は、車の予約、ホテルの予約、移動許可証の取得して、んで、チケット確認、農業省で話し合い・・・・。ふんがー。ああ、すべてが嘘なら良いのに。


4月2日土曜日 準備。

 駆け足で調査の準備をしてきたが、本日でほとんどが終わった。ホテルもばっちり、車も2台手配できた。調査の許可ももらったし、各地方では、ブータン人研究者とともに改良普及員も調査に加わる手はずだ。我ながら完璧、後はブータンに入国してもらうだけである。あっはっは、あっはっは・・・・・って入国?
 もひーーーー!!!ビザが出てねえ!!


4月3日日曜日 霹靂。

 ビザが間に合わないかもしれないことなど、もう忘れた。日曜日は神が人間に与えてくださった休息日。遊ぼうではないか。
 まずは釣りに出かける。むむ、釣れないではないか。同行したヌマさん(建築さん)にはあたりがあるものの私は魚に嫌われているようである。
 ならばバスケットでもやるか。隊員仲間と体育館へ。む。体育館が満員でプレイできないではないか。
 仕方が無い、サウナで汗を流そう。む。隊員仲間カツキさんが脱水でダウンしているではないか。帰って来い!カツキィ!
 こうなっては、酒だ酒!酒飲んで呑まれて呑んで!やがて男は静かに眠るのだよ。わははー。
 こうして、現実逃避の一日は過ぎていったのだった。


4月4日月曜日 うぉぉぉお!ビザできたあ!

 農業省ビザ担当官カルマさんよりビザが無事発給されたとの連絡が入る。泣きながら(嬉し泣き)農業省へ受け取りに行く。発給手続きは当に終わっていたのだが、書類作成に時間がかかっていたとの事。間に合ってよかった。ちなみに日本人研究者は明日朝日本を出国することとなっておる。本当にギリギリである。うれしくて農業省内をスキップで歩いておったら、ブータン人に驚かれた。ギリギリセーフ・・・というか、私の精神状態はアウトである。


4月5日火曜日 さらに!パーミットもでたあ!

 ブータンは移動に許可の必要な国であるので、許可証を取る必要がある。明日には日本人研究者が到着するのだが、本日やっと移動の許可証が出た。うむ。もはや、私よくやったというよりは、私ラッキーといっても過言ではない。私の段取り能力には我ながら天晴れである。「駄目なときは何やっても駄目なんだよ・・・・」とブータン人よろしく悟った私は、日本社会に適応すべく、日本人研究者と濃い日々をすごす所存であります!先生!


4月6日水曜日 日本人研究者来ブータン。

 ついにこの日がやってきた。6人の日本人研究者来ブ。2人の研究者はともに私が日本でお世話になった先生方(Carlosの食いしごき委員会のCarlosさんら)。残りの4人は学生さんである。ブータン国際空港パロにて先方の到着を待っていると華麗に着地するDrukAir。緊張と期待で胸は高まった。パロ空港は小さな空港であり、飛行機からチェックインカウンターまでは自分の足で歩く。きっと彼らも初めて足元に広がるブータンを楽しんでいることだろう、なかなか出てこない。やや痺れを切らしながら待っていると出てくる日本人の団体。
「クズザンポーラ!」
飛び切りの笑顔で挨拶をする私。これをするために日ごろ着ない民族衣装のゴををしっかり着込んできたのだ。ああ、腰紐がキツイ。若い学生さんなどは相当に面食らったようで、私の目論見は大成功。「どうだ!かっこいいだろう、君たちの先輩は?んんん?」などと、女学生に詰め寄ったところ、「セクハラで訴えますよ?」と虫けらを見るような目で見つめられる罠。ああ、日本とは恐ろしい大国よ。


4月7日木曜日 Moutain Greenってどうよ?

 今回の研究調査の対象には「山菜」が含まれておる。山菜を英語の辞書で引いたところ、うまい訳が見つからない。そこで私の英語センスを結集させ、新しい単語を作り出した。どうであろうか、Moutain Green。「まんまじゃん」って言ったオマエ、山行ってワラビとゼンマイのあく抜きやっとけ。
 昨日と本日は、研究調査団の旅疲れを考慮し、関係省庁の訪問やブータンの首都ティンプーの見学など緩やかな日程。だが、日本人調査団のリクエストでブータン料理を中心に食事を取ることに。ブータン料理は唐辛子を中心としたから物が多く、疲れた体には堪えるのでは、と心配したが、さすが農業研究者。皆只者ではない。私もブータン青年海外協力隊員の中では辛いものに強い方だと思うのだが、私のお手上げのエマダツィ(唐辛子のチーズ煮込み)の「あまり辛くないよね?」などと息巻く22歳(学生)。悔しくなった私は明日首都ティンプー1辛いと言われているローカルレストランに彼らを連れて行く予定である。ふふん、ホエズラかくなよ!


4月8日金曜日 サブジマーケットにて。

 サブジとはネパール語で野菜という意味である。本日は首都ティンプーのサブジマーケットにて扱われている作物種の調査を行った。

サブジで野菜を売るおばあさん。いい顔。

 我々一行に若き研究者ラクシュミちゃんが加わり、調査団を2手に分けて市場に皆散った。先生のひとりは昔ネパールに長期滞在した経験を持ち、ネパール語がぺらぺら。ブータンでは英語とネパール語が大きな武器となるので彼の情報収集力はさすがであった。御見それしましたN先生。学生さんたちも写真を撮ったり、慣れない英語で果敢にインタビューしたりと活躍してくれた。毎月、一人で調査を行っていたが、やはり農学の知識を持った人と一緒に回るのは楽しい。生き返った心地がした。
 夜は我が任地ウォンディ県に移動し、我が家に学生を招き酒を飲んだ。 


4月9日土曜日 古都プナカ。

 調査団一行は、車で3時間移動しプナカ県へ。プナカは標高1400m西部ブータンでは比較的低標高地にある大きな都市である。早朝サブジマーケットを調査し、午後は農村部へ。農村部では、地元の普及員の案内で山に入り生えている山菜類を目にした。案内してくれるおばあさんの足にヒルが吸い付いているのを見つけたときは私の足がすくんだが、「こわいねー」などと比較的余裕の学生諸君。おお、頼もしい。
 夕刻より南部チラン県に移動。雷鳴とどろく中チラン県に着いたときには、周りはすっかり宵のがかりが落ちていた。


4月10日日曜日 南部チラン県。

 チランはウォンディから南に100kmほど。すっかり熱帯の雰囲気のある谷底から山を登ったところにある町である。早朝からサブジマーケットを調査し、午後は農村部へ。農村部ではジャングルのような畑を案内してもらい、貴重な情報も多く得た。

チラン県ダンフの夜明け。きれい。

 それにしてもチランはよい町である。山の上の盆地に位置し、帰国穏やかで人々も優しい。それに私の元カウンターパート、ゼコがここに住んでいのである。彼の家に行ってみたが、あいにく留守だった。しかし、見慣れたカーテンや庭の植物が彼の存在を確かなものにし、うれしくて涙が出そうだった。なんでだろうな、私、恋してるのかな?てへっ。


4月11日月曜日 南部チランから首都ティンプーへ。

 幸運なことにチランは今年に一度の祭り(チェチュ)シーズン。一行はチェチュを見に出かけた。私には変わらない見栄えの祭りではあったが、日本人研究者ご一行には新鮮なようであり、皆興味深げに祭りに見入っておった。熱い視線がブータン人の目に留まったのか、途中から壇上のかぶりつき席に案内される日本人一行。道化師にからまれる一幕もあり、満足してもらえたのではないだろうか。

道化師は男性器型お守りを振りかざす。

 午後は首都に戻り、明日からの調査に備えた。


4月12日火曜日 西部極寒の地ハにて。

 首都からハ県に移動。ハは標高2800m。高標高地で今までとは違う調査がができた。

ハでの調査。薪が寒さを物語る。

 調査をしていた感じるのだが、女性のほうがよく物を知っている。日本においてもそうなのかもしれないが、やはり家を守っているのは女性なのであろう。「我々男性は女性に敬意を払わねばならないのだなあ・・」と、女学生を見つめているとと「セクハラですよ」と罵られる。むう、日本が私を拒むのか、それとも私の目付きがセクハラなのか。否、日本が悪い日本が。


4月13日水曜日 首都にて遺伝子銀行視察。

 ブータンでも遺伝資源を守ろうとする動きは始まっておる。私の専門はそういった遺伝子に関することなので、興味深くブータンの遺伝資源銀行ジーンバンクを視察する。驚いたことに規模こそ小さいものの、日本のそれと比べても遜色が無いような立派な施設。ああ、ここで働きたい・・・・。現地スタッフとの関係つくりに励んだので、今後また遊びに来たい。
 そして本日は日本人研究者と過ごす最後の夜。なんとさみしいものであろうか。農業について語れることがこんなにもすばらしいとは思わなかった。日々忘れていた感覚を取り戻し、研究者ナカシマが私の脳の中に帰ってきたような気がする。有意義な1週間であった。ありがとう、ブータンへ来てくださった皆様。


4月14日木曜日 日本人研究者帰国。

 涙で霞んで見えないよ・・・・。
そんな別れを期待しておったのだが、見送りの空港に着いた時、私はそれどころではなかった。財布が無いのである。そんなこと帰国間際の日本人研究者に告げるわけにも行かず、一人そわそわする私。「みんなありがとう。また日本でねー!」などと口走りながら、頭の中は「財布財布財布財布・・・夫妻・・・。」
 みんなが空港に消えた後、昨日宿泊したホテルへと向かう。無い。昨日食事したレストランへ向かう。と、主人がいなく鍵が閉まっている。きー!口惜しい!くちおしい!
 仕方が無いので、「主人はどこジャー!開けろー!」と暴れてみる。すると見るに見かねたブータン人が主人を呼びに行ってくれて、鍵が開いた。見ると昨晩食事したテーブルに見慣れた財布が!良かったー!「ありがとう主人!あんた恩人だよ!」と興奮するも、眠気眼の主人には迷惑なだけであった。
 本日の教訓。「困ったら暴れろ。唐辛子はハバネロ。」


4月15日金曜日 ウォンディへ。

 一仕事を終えた後、男の顔には充実感とともに大量の吹き出物が現れていた・・・。
いやあ、疲れていたのであろう。ニキビと呼びたいところだが、なんだこれ、痛い。
吹き出物を気にしつつ、ウォンディへ帰る。道中、山道にコブシの白い花が咲き誇っていた。去年も見たコブシの群生。群生の中には樹齢が高そうな大木も混じっており、神聖な雰囲気すら漂う。吹き出物を触りながら感動した。ここを通りかかる人々の目を楽しませ続けることであろう。


4月16日土曜日 次はガサ!

 ブータンへ来る観光客の憧れの地であり、中々足を運ぶのは難しい場所・・・。それがガサ県である。ここには温泉があり、徒歩にて8時間の行程を要する。私は赴任して間もない平成15年9月にここを訪れた。あれから色々なことがあった。そして私の周りの状況も変わった。
 当時、何の目的もなしに観光に行ったガサであるが、今回は調査を行うために向かう。同行する体育隊員も現地小中学校での体育授業が目的である。
 ヒルに食われながら、悲鳴を上げつつ歩いたガサまでの道。今回はどのように感じるのであろうか。


4月17日日曜日 ターキンと蛇と親父。

 ガサへ向け出発。以前ガサへ行ったときには車道から8時間歩いたのだが、聞けば車道が延びており、5時間の徒歩にて到着するという。ああ、時の流れは川のように。
 タクシーで車道の終点まで向かう。この時期はターキンというブータンの国獣が見れるかもしれないという情報をキャッチした私は、ターキン発見に息巻いていた。ターキンというのは、牛のような、シカのような、馬のような・・・・いや、羊?ヤギ?・・・まあ、変な動物なのである。あと臭い。
 息巻く私を尻目に、今回同行する体育隊員の一人ワカナ嬢が、「あ。ターキンだぁ」などと口走る。「ふふん、お嬢。ターキンってのはなあ、そんな簡単に我々の前に姿なぞ現さないのだよ。そもそも20世紀後h・・・・」と薀蓄をたれようとするも実際に目の前にはターキン。「たーあきんじゃあああ!」と誰よりも興奮する私。

野生のターキン。貴重です。

 おまけに今年産まれたと見える子供の姿も見える。子ターキンである。親ターキンの後をたどたどしい足取りでついてゆく子ターキン。ここで子ターキンが大蛇にでも襲われて親ターキンの必死の抵抗激戦の末身代わりになる親ターキン亡骸にすがりつく子ターキンそしてまた一歩子ターキンは自然の厳しさを知り大人になってゆくのであ・・・などと妄想が膨らみ、ほくそえんでいると置いて行かれそうになる罠。んもぅ、いけずぅ。
 ターキンに出会えた興奮もそのままに私たちはトレッキングコースを進んでゆく。道中、唯一のお店に立ち寄り休憩。店の親父に即席めんを作ってもらう。
 くたくたに疲れたころようやく最後の上りに差し掛かる。最後の上りに差し掛かり皆気合を入れたそのとき、またワカナ嬢がつぶやく。「あ。蛇。」

蛇デターーーーーっ!!

 赤い。そして長い。「こいつには毒があるから気をつけな。」と振り返れば、ブータン人若人が立ち私たちにアドバイスをくれる。「気をつけなと言われましても・・・。」と立ち往生していると、持っていた傘の柄で蛇と格闘を始めるブータン人若人。最後に傘の柄に引っ掛けて放り投げられる赤い蛇。さようならー。
 そんなこんなで生き物にばかり目を取られたガサへの道であった。


4月18日月曜日 山と調査と日本賞。

 朝、起き抜けに空を見上げるとそこは絶景、ガサの町。昨夜遅くに町に到着した私たちは、何より先に宿泊先であるガサ小中学校校長宅へ。ぐっすり寝ておきたらこの絶景である。

 ヒマラヤ。神々が住む山。

 朝の日向ぼっこを済ませ、私は調査へ。まずは県庁を表敬訪問し、農業省の役人と計画を立て、出発。ガサの集落はガサの町からガサ温泉の間に分布しているため、山を登ったり下ったりし、疲れる。この日私は民族衣装のゴを来ていたため、余計に疲れた。

 疲れたー。

 しかし、頑張った甲斐有り、多くの情報を得た。私御満悦。農家の家でのインタビューでは、その家に伝わる古い布や祭具等を見せてもらい、ブータンの奥深い文化の一端に触れることができた。また、昼御飯を3度ご馳走になり、ビールを計ビン4本空けた・・・って殺す気か!ブータン人。いや・・・御飯美味しかったです。残してすいませんでした。
 夜は、また、ガサ小中学校の先生と豪華な食事を取り満足。ゲストとして、先日NHKの日本賞を受賞したドキュメンタリー番組に出演したナワン先生が来て下さり、このナワン先生、ブータン在留邦人のなかでは超有名人で私はなぜか緊張してしまった。ナワン先生ありがとう。


4月19日火曜日 温泉とたけし城。

 めざせ温泉。ガサでの仕事を終えた私たちは息抜きにガサ温泉へ。ガサの町から温泉へはゆっくり歩いても一時間。私はサンダルで出発した。道中、ブータン人農民が近道を教えてくれるという。訝しげに思いつつ、そちらの道を選択。案の定迷う。
 「って、なんだよ、農民!道ねーじゃんかー!」と叫ぶも後の祭り。アフターわっしょい。
道なき道を進む我々をヒルが襲う。泣きそうになっているワカナ嬢とユウコ嬢。なんだかいつもより元気に見える野生児布施大(髭)。
 小川を越えたり、がけを滑り降りたりするうち、倒木の橋に出くわす。慎重に渡る私であったが、途中で落下。「たけし城でこんなアトラクションあったナァ。ああそうそう、ジブラルタル海峡ってやつだ、アハ。」と、想いは走馬灯のように駆け巡り、気づけば足で橋にぶら下がる私。ビバ運動神経。
 困難を乗り越え、入った温泉は最高であった。

 混浴。ぬほっ。

 温泉は最高なのだが、昼から夜遅く12時近くまで入っておった。いやあ・・最高・・って入りすぎである。


4月20日水曜日 ガサさよなら。

 ガサから帰宅する。帰宅といっても再びトレッキングである。疲れた体(主に湯あたり)を引きずる様に私たちはガサを後にした。2年前のガサ旅行とは違った深い充実感があり、私は気分が良かった。


4月21日木曜日 首都にて仕事と休養。

 ガサから首都に移動。しばらく我が家に帰っていないチティラおじさんと書類を作る仕事をこなし、あとは隊員ドミトリーにてゆっくり。隊員ドミトリーは、首都にあり、隊員が自由に使える施設である。部屋は男子部屋と女性部屋に別れており、私が納得いかないのは、男子風呂と女子風呂の差別化である。男子風呂はシャワーのみであるのに対して女性風呂は湯船つきなのだ。疲れている体を癒すためには致し方ないのであると自己防衛し、私は堂々と女子風呂を使ったのだ。
 なんていうか・・・・いいニオイがして少し凹んだ。


4月22日金曜日 フィッシングライセンス取得。

 首都での事務仕事についでに釣りの許可証をとる。ブータンは敬虔な仏教国であるので、殺生を行う釣りは許可証無しではできない。私は無類の魚好きであるので、ブータンでも魚と戯れたいと願い許可証を取るにいたった。
 許可証の取得には、パスポート写真2枚と国民章かパスポートのコピーが必要である。抜かりなく持参。その後許可証代3000Nuを支払う・・・って高けえよ!
 3000Nuと言えば我が社の人夫さんの月給に等しい。高いのである。ブータンでは、釣りは、金持ちだけが楽しむ娯楽のようである。仕方なく3000Nuを支払い半年間の釣り許可証を得た。さあ!釣り上げるぞさかなちゃん!

 
ライセンス(写真付)。釣りのできる日等、取り決めは細かい。


4月23日土曜日 ガセロスポーツデー。

 ガセロ小中学校にて運動会が催される。今年は私もすっかりガセロティーチャーズの一員であるので、もれなく招待される。

 競技中の私。棒で鐘をたたいたらゴール。

 ブータンの運動会は、記録会も兼ねており白熱した競技が繰り広げられていた。私もスーツ姿で1500m走やリレーに出場・・って殺す気か!ブータン人!スーツで1.5kmも走ったら死ぬわ!死ぬ気で走ったわ!ゴールの瞬間視界ゼロだったわ!でも、3位で銅メダル取得でうれしかったわ・・・・私。
 運動会の閉会式では、各選手の表彰が行われた。表彰の最後になぜか呼び出される私と布施大(髭)。「ガセロのために頑張ってくれている大(髭)とのりに大会から金メダルを贈ります。」とのアナウンス。正直、涙出るかと思った。私は幸せ者である。貰った金メダルは、安物で陳腐だが私にとっては一生の宝物になる。


4月24日日曜日 ヤキトリ。

 再び首都でお仕事。夕食は最近オープンしたという日本食を食わせると噂のレストランへ。明らかに怪しい内装にびびりながら奥へ進むと、そこには大きなビリアード台。
 だまされたーーーーーーっ!
 メニューに申し訳程度に書いてある日本料理を注文すると出てきたのはこれ。

 ヤキトリデース。

 もう、全力で焼き鳥じゃない。焼き鳥って言うか炭。もう料理ですらない。
しかし、値段は張るのでヤキトリ(炭)をビールで流し込み食事を終える。付け合せのトマトとキュウリは美味かった。ブータンに本格日本食レストランがオープンするのはいつのことなのだろうか。


4月25日月曜日 魚魚魚〜。

 午前中の事務仕事を終えると暇になる首都の午後。本日はkinokoさんと一緒に釣りに出かけた。ふふん。まあ、何も言わずこの写真を見なさいって。

 にじますちゃ〜ん。

 もうね。天才というしかない。魚の気持ちのわかる男っていうの?さかなちゃんも喜んで釣られちゃう。もう、モテモテ。
 この後、この三匹の虹鱒はカレー味唐揚げになり、私たちの舌を楽しませた。さかな最高。


4月26日火曜日 僕はきっと鯉してる。

 いや、釣れたのは鱒なのだが。釣りの楽しさを思い出してしまった私を誰が止められようか、いや止められない(反語)。仕事をしていてもウズウズしてしまういけない年頃である。
 私は幼少のころより魚に囲まれて育った。父親に連れられよく海に釣りに出かけたし、中高生時代には、ゲームフィッシングにも嵌った。めだかやグッピーの交配は、日常であったし、新しい熱帯魚を熱帯魚屋で見かけるとその場を動けなくなる子供であった。河で捕獲した魚を飼育するのも好きであり、図鑑に載っていて自分の目で見たことが無い魚が存在することが許せなかった。
 ・・・そんな26歳って嫌ですか?そうですよね?
少なくとも、私は嫌です。


4月27日水曜日 ウォンディへ。

 任地ウォンディへ帰る。ウォンディへの山を越えると最初に見えてくるのはプナサンチュウと呼ばれる大河である。
 首都ティンプーの河も良いが我が任地ウォンディの河はもっと良い。まさに大河。圧倒的な水量。広い川幅。温暖な気候。この河にはどんな好敵手(らいばる)が潜んでいるのか!?
 ・・・どうも、まだ精神的に安定して無い様だな、私。ああん、さかなちゃあん。


4月28日木曜日 ガセロベイビーパーティー。

 ガセロで世話になる先生の子供を披露するパーティーが開かれるというのでガセロへ向かう。各地方や家庭によって形は違うにしろ、ブータンでは一般的なパーティーである。以前人夫さんの子供お披露目パーティーに出席したが、そのときは子供の断髪式を行っていた。
 今回の子供はウゲン夫妻の1歳に満たない赤ちゃん。かわいい。子供を見舞う客に振舞うために作った酒、シンチャンが振舞われる。このシンチャン、卵が混ぜてあり絶品。私の舌もすっかりブータンに適応した。皆酒を飲み、踊り、楽しんだ。

 楽しい仲間たち。


4月29日金曜日 ガセロ→ウォンディ→ティンプー。

〜今日は小説風にお届けします〜
 酔い空けのけだるい朝でも太陽はさんさんと顔を照らす。ガセロで目覚めた私は、出社するためバイクをすかす。静かなガセロの村に響くエンジンの音。
 オフィスに到着すると礼儀正しく挨拶する人夫。勤勉な彼らに私は支えられている。
 午前中の業務が終わり、タクシーパーキングへ。明日からハ県にて開かれるイベントに参加するためだ。乗り合いタクシーに乗り込み、乗客がそろうのを待つ。太陽は相変わらず、アスファルトを焦がしている。
 15分ほど待っただろうか。私の隣に30代らしい良く日焼けした御婦人が腰掛けた。話し好きが顔に表れたような口元のしわが愛くるしい。
 「あなたは日本人?」突然の質問に狼狽しながら答えた。
 「はい。ここで働いています。」
 「あら、そう、かわいいわね。」
 どういう意味であろうか。理解に苦しんでいると婦人が続ける。
 「私日本人の彼氏がほしいの。遊びに行かない?」
 見た目と会話の内容の大きなギャップに惑い、私は言葉を失った。
首都への移送の道中、私の肩を枕代わりに寝る婦人。払いのけることもできず私は耐えていた。すると婦人の手が私の手の甲をさする。私の頭はフル回転で働き、この場に似合った言葉を捜すが、どこにも見つからない。なぜこのようなことになっているのだろう。自問だけが答えを見つけられないままに、浮かんでは脳内にしこりを作る。
 「アイラブユー。」私は耳を疑ったが、確かに婦人はそういった。アイラブユー。
もはや、私は私にあらず、初めてのアイラブユーがタクシー内、見知らぬ御婦人からだとは、誰が想像できたであろうか。
 タクシーは、3時間後に首都ティンプーに到着したが、私の中のなにか清く輝いている宝石のようなものは、ヒマラヤの山中で迷子になっているようであった・・・・。
(つづく・・・いやいや!続かない!)


4月30日土曜日 カツォ小中学校タイヤ遊具設置イベント〜さかなちゃん編。

 ハ県カツォ小中学校では、同期ワカナ嬢が体育の先生として働いており、今回タイヤ遊具を設置するイベントを開催した。ハ県は鱒釣りでも有名な場所であり、周囲が引いてしまうほどの魚好きである私は、釣り竿片手にハに向かった。
 パーミットを受け取り、釣りに出かけてびっくり。釣れる。雨降りでも釣れる。同じ場所で何匹も釣れる。魚が私だけを見てる。あ。彼氏、ひょっとしてあなたの事好きなんじゃない?えーうそー!ほんとー?でもね。ちょっと気づいてたんだ。私たち両想いかもって。てへっ。・・・並に釣れる。
 私は経つ時間も忘れ釣りに没頭した。否、もはや釣りではなく、私と魚との愛の確認作業であったと言っても過言ではない。それほど愛してる。狂おしい程愛してる。
 では釣果をごらんあれ。

 どうよ?

 12匹の魚と愛し合った私はもはや釣りキチ三平を襲名しても良いのではないでしょうか。最大のものは、30cmを超えており、私は幸せである。
 塩焼きにして、食す。

→→→

  むひょ。美味なり〜。

 カツォ小中学校タイヤイベントを取り仕切り、お忙しいワカナ嬢を尻目におもいっくそ楽しんだ一日であった。