しがつ

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4月1日木曜日 日本からの友人。

 日本から友人がブータンを訪れた。日頃会う日本人は全員ブータン在住であり、皆良い意味でブータンに毒されているため、日本からの友人は新鮮であった。最近ブータンの刺激的な生活にも慣れ、非日常が日常になりつつある。一つ一つの出会い、一日一日の行動を大切にして、残り一年と3ヶ月の任期を全うしたい。


4月3日土曜日 チェチュタイム。

 今週タロのチェチュ(祭り)へ行ってきたばかりだが、チェチュシーズンを堪能すべく、空港の町、ブータンの玄関パロのチェチュを見に行くことにする。パロへは首都ティンプーを経由して行く。首都ティンプーの隊員ドミトリーには、今帰国される先輩達が詰めており、帰国の時を待っている。今回のたびはチェチュと先輩達との最後の別れが目的である。
 そういえば、ここには書いてはいなかったが、隊員ドミトリーが移転したのだ。以前のドミトリーは古い建築であった。私は十分に満足していたのだが、他国の隊員ドミトリーに比べると貧相だったらしい。JICA事務所の拡充もあり移転したのである。新ドミトリーには行く機会に恵まれず、一週間ほど前に始めて利用した。スゲエ、新ドミ。まず玄関からすごい。二十扉である。しかもオートロック。入ってもすごい。床がすべるすべる。タイルが張ってある。風呂もすごい。黒い。くつろぐ部屋もすごい。じゅうたんが轢いてある。日本ではこんな家では生活できないであろう。加えて日頃水の無い生活をしている私が黒光りする風呂でお湯のシャワーを浴びれるのである。ここで感動しなくていつ感動するのであろうか。そりゃあ、トイレで「ああ播磨灘(28巻まで)」を読破してしまった事にも頷けるであろう。というわけで、今回はドミを満喫することも目的の一つだったのである。


4月4日日曜日 チェチュ前夜。


 チェチュの行われているパロに移動する。パロは首都ティンプーよりタクシーで一時間半。比較的近い。パロでは先輩隊員の家へ泊めて貰う。パロには現在2名の隊員が活動しており、彼らの家へ分譲し10人ほどが宿泊することとなった。それくらいパロのチェチュは人気者なのである。パロは都会であり先輩の家もきれいな家だった。しかも驚いたことに先輩はビデオデッキと日本から届いたビデオを持っていた。日頃「NHK WORLD」というバラエティ性の無い番組しか見ていないため喜び勇んでビデオを挿入する。みの○んたと美川○一が司会の「愛する二人別れる○人」という番組が写る。隊員一同感動の拍手。しかし、その後番組の内容に唖然。日本てこんな恐ろしい国だっけ・・・・?番組に登場する素人さんのキャラクターにも驚かされるが、なによりコメンテーター(D夫人とか)の言葉に驚いた。「あんた達はねえ!非常識なのよ!」と目をひん剥くD夫人。元大統領夫人が日本のバラエティ番組で叫び散らすことのほうが不倫してる女の子よりよっぽど非常識だと思うが・・・。ほかにも、レインボーアフロのおばあちゃんとかネクタイがぐるぐる巻きのおじいちゃんとかが登場し若者を恫喝。ああ・・・恐ろしい。あの番組は日本ではどういう扱いなのだろうか?アレを真面目に見て「この旦那はもっとこうするべきだ。」とか議論しちゃうんだろうか?いやーーー・・・・・。怖い。
 日本に帰るのが怖くなった一日であった。(まあ・・・・まだ一年と三ヶ月あるんだけど・・・・。)

4月5日月曜日 チェチュ。

 チェチュ最終日。私の一番お目当てだったのはチェチュの目玉であるトンドルを見ることであった。トンドルは最終日の早朝にお披露目され日の出と共に片付けられる。そのため、朝4時に出発。民族衣装を身に纏い気持ちよくまだ暗いパロゾンを歩く。薄暗い中目を凝らすと多くの白人がいる。さすがパロチェチュ。海外から旅行者の少ないブータンでもこの日ばかりは外国人が目に付く。日本人も同様に多い。人の流れに乗って歩くと遠くにトンドルが見えた。タロのものに比べ大きい。トンドルに触ろうと長い行列を作るブータン人。響く宗教楽器の重低音とお経。次々にやってくるブータンのお偉い様。白んでくる空。どこの国か分からない言葉で喋る白人。宗教儀式の中にもぐりこんで写真をとりつまみ出される白人。結構控えめな日本人。お偉い様と「おっす」と言ったノリで挨拶する協力隊員。とっても疲れる感じで祭りは進行した。私自身温暖な(っつーか砂漠)ウォンディからまだまだ薪ストーブを使っているパロへ移動したこともあり寒さに耐えられず、トンドル以外の祭りはどうでも良かったので、帰りたい一心だった。その後、たくさん出ている屋台の一軒に立ち寄り、モモ(水餃子みたいなもの)を食し、甘ったるいミルクティーで身体を温め、帰路に着いた。正直疲れた。
 感想としては、トンドルの大きさと白人の傍若無人っぷりと日本人の控え目っぷりが印象的であった。来年は・・・パロのチェチュはもうこないと思う・・・・。



4月7日水曜日 らららら〜♪

 バジョタンに帰ってきた。ココに吹く風は気持ちがいい。・・・・生暖かくて、砂埃まみれになるけれど、でもブータンでのホームタウンである。そういえば、パロで日本人観光客に「どこからですか?」と話しかけられ、「あ。ウォンディです。」と答えた時、「はぁ?」と言う顔をされ、それ以降会話が続かなかったのだが、あれは日本のどこの県から来たかを訊ねていたのだな、と今気付いた。
 バジョに帰ってきて、またもやガッカリな報告があった。上司にまた仕事を蹴られてしまった。もう、本当にガッカリ。現場の人間は皆納得しているのに何でだろう?なんとか、あの上司を左遷することが出来ないだろうか。協力隊員の立場を利用してなんとか・・・・・けっけっけ。などと、恐ろしいことをつい考えてしまう。やっぱり何らかの見返りがないと仕事なんてやってられないのである。それがボランティアってモノなんだろうな・・・と砂埃にまみれながら思ったすっかり夏な一日であった。


4月8日木曜日 レッキーのお話シリーズ第一話。

 レッキーは同僚の一人である。37歳のオジサンで4人の子供と二人の甥を抱え大家族で暮らしている。私の晩御飯はもっぱら彼の家で済ませている。昨日のエマダツィ(トウガラシチーズ煮)はレッキーですら残す程辛かった。私は根性で間食したが、予想通り今朝から肛門が痛い。あの辛すぎる食事に深い意味は無いことを切に祈る。彼とは良くお話をする。ほとんどの話が印象的で「ああ、ブータンに来て良かった。」と思うような内容である。彼の優しさを感じることが出来る。
 昨日聞いた話はこうだ。コレは彼のおじいさんが話していた話だそうだ。
 「中国人(モンゴル人含む)と日本人とアッサム人(北部インド、彼はBodoと言っていた)とブータン人は兄弟である。長男は中国、次男が日本、三男アッサム、末っ子はブータンだ。元々は同じ両親から生まれた4兄弟がそれぞれの国に渡って国を作った。だから顔が似ているし、文化も似ている。この4兄弟は喧嘩をしてはいけないのになぜか仲が悪い。もっと仲良くしたいなあ・・。」
 仲が悪いというのは、中国とブータンとアッサムのことである。中国とブータンはチベット問題で国境を閉ざしているし、ブータンとアッサムの戦争は記憶に新しい。この四兄弟が手を取り合い事が出来たら・・・・。なかなか魅力的な4兄弟である。


4月9日金曜日 ネパールからの来客。

 友人の友人であるところの、ネパールで学生をしている女性がブータンを訪れた。彼女は協力隊を終えた後、開発について学ぶためにネパールに渡ったと話していた。彼女の話で興味深かったのは、協力隊員の任地と職種の違いにおける生活の相違であった。彼女が赴任したタイでは、集会は世界的大都市バンコクで開き、国内旅行ではパタヤなどのリゾート地へ行く。一方ブータンでは「村」と呼ばれる首都ティンプー(今やティンプーですら、おろおろせずには歩けない)で集会を開き、国内旅行ではヒマラヤを眼前に望むトレッキングに出かける。研修所では机を並べ肩を組み将来の夢を語った仲間が、今や世界中の全く異なった国で働いていることを思い描き、懐かしいようなくすぐったい気持ちになった。職種に関しても大きな違いがあることに気付いた。大きな違いは正解の有無である。例えば日本語教師。日本語教師は絶対的に正解を持っている。日本語教師の教えることが100%正しい。例えば野菜隊員。農業は基本的にその国の文化に根付いており、農民が正解に程近い。隊員の教えることは半分正解半分不正解である。職種の違いはこういった理由から悩みの違いに繋がる。隊員同士なのにお互いの悩みが理解できないことは多い。そこが協力隊員としては、重要なところであり、滅多に会わない仲間なのに固い結束で結ばれている根拠かもしれない。
 ところで、最近雨が良く降る。今日もシトシト雨が降り続いている。今朝はいつものように愛人愛車鶴子にまたがり出社しようとしたところスコールのような豪雨に見舞われた。オフロードは泥の池となり、タイヤははまるし、はねっ返りの泥が顔に飛び散るし、すっころびそうになって足を突けば靴の中まで水が入るし、それ見た通学中学生にはオオウケだしで大変な出社となった。サボテンの茂みに突っ込みそうになった時には25年間の短い人生にグッバイするかと覚悟を決めた。今後雨の日の自転車出勤は控えたほうがよさそうである。
 私は雨の日は好きなので傘さしてゆっくり歩いて出勤するのもいいなあ・・・と雨に打たれるサボテンの黄色い花を見ながら思うのである。


4月10日土曜日 新隊員フタタビ。

 首都に上京。新隊員さん達がブータンに赴任し、その歓迎会に参加することと、体調の問題で帰国されることになった先輩隊員にお別れを言うことが目的であった。新隊員さん達は、なんていうか日本の香りぷんぷんの五名でキラキラしていた。恐らくブータンへ来て様々なオリエンテーションをこなしているので疲れていたのだろう、言葉少なであったが、何人かの新隊員の方とは話すことが出来た。一名・・・・・やや変わった方がおり、こちらが好意で開いている開いている歓迎会をブッチしてしまった方がいるが、まあ、その方には今後もその心算で付き合おうと言うのが、みんなの共通意見のようだった。日本人社会もなかなか大変である。まあ、私自身非常に不愉快であり、今後一切の係わりを経ちたいところである。
 帰国される先輩には、なんと言葉をかければ良いのか解らなかった。任期を残して帰国されることは大変無念であろう。また、ブータンに戻ってきて欲しいと思う。


4月11日月曜日 あわてんぼうだな♪

 日曜日首都から帰ってきて、先輩隊員の家に立ち寄り、家に帰宅して気付いた。
すべてを先輩隊員の家に忘れちゃったよ、オレ。

家に入る鍵もお金も何も無い。とりあえずもともと壊れかけていた家の鍵を壊すことにする。ところが石で叩こうが、ゼコ直伝のハイキックを見舞おうがびくともしない。意外としっかりしていた我家のセキュリティーに驚く。仕方が無いので窓からの侵入にチャレンジ。窓ガラスを割りたい衝動に駆られるも、そこはぐっと我慢。窓には鍵がついてないので開けて中の様子を伺えるものの、窓が小さくて頭しか入らない。しかも二階なので、足の踏ん張りが利かず、情けない格好でモガク羽目になり断念。そこで気付く。大家に頼めばいいじゃないか!大家の家に行くも、現地語しか喋らない大家しかいなくて、言葉が通じない。おとなしく出されたお茶を「美味しいですねえ。あはは」等と言いつつ三杯飲み帰宅。アハハじゃねえよ、オレ。
仕方が無いので、また片道10kmのオフロードを鶴子で走り、先輩宅へ。鍵を手に入れ、久方ぶりの我家を堪能した。水が無くても、ゴキブリいても、我家大好き!


4月12日火曜日 静かに降る春の冷たい雨は、笑う農家の娘に降り注いでいた。

 鶴の町ポプジカへ出張となる。ポプジカは標高2800m。バジョタンとは違いまだまだ春であった。ポプジカはジャガイモの生産で有名な町である。今回の出張では、ジャガイモの種芋の播種を見学することが目的だった。ポプジカに到着した時にはすでに冷たい雨が降っていた。その寒さを舐めていた私は、Tシャツに上着一枚(だってバジョは真夏なんだもの)。ぶるぶる震えながら15エーカー(6ヘクタール)の畑に出た。畑では50名のアルバイトさんが働いていた。彼らは臨時で雇われており、一日100Nu(約250円)で働く。皆さん農家であり、自分の畑仕事の手が空いたときにアルバイトをしている。中には10歳ほどの子供もいる。冷たい雨、過酷な作業の中ではあるが、外国人であるところの私の登場に沸きかえり、カメラを向けると逃げ回り、目が合うと恥ずかしそうに微笑む。これがブータン人のすばらしいところだと思う。山岳民族らしく謙虚、勤勉。
 ひとりのかわいらしい女の子がずっと私を見ていた。きっと外国人に興味があるだけであろうが、私は突っ立っているわけにはいかず、作業を手伝った。その女子はニコリと笑い、私に作業用の袋を手渡してくれた。こういう瞬間にブータン人と日本人の共通点、同じ人間であることを感じる。ブータン人と日本人は兄弟だ。
 雨の中の畑仕事に疲れ、震えながら入ったお店で冷たいビールを進められた時は、こいつらと共通点はないと思い直したが。殺す気か。おかげで、野原のトイレで苦しむ羽目になった。(お酒はやっぱり断れないのね・・・)
 そういえば、野原のトイレの後、熊を見た。泉谷が熊が去った後も、熊のいた茂みに全力で「フフフン!フフフン!」と奇声を上げながら石を投げつけていたことが印象的であった。悩み事でもあるのだろうか。



4月15日木曜日 諸刃のアイデアばかり。

 前支店長であり、現在タイで修士学生をしているビムラジさんがブータンのジャガイモ調査のために帰ってきた。彼は非常にエネルギッシュな男で、眉間にしわを寄せ、「あぁ!?」と相槌を打つので怖い。
ビムラジ「のりは、ブータンへ来て何をやったんだ?」
 私   「えー・・と、堆肥をつくって、畑作って、農家廻って・・・・」
ビムラジ「あぁ!?」
 私   「え・・・・いや・・・・その・・・・。」
ビムラジ「あぁ!?」
もう・・・本当に怖い。なんでいきなり切れてるんだろうか。日本の切れやすい若者もビックリである。でもいい人なのである。彼の調査シート製作を手伝いながら思った。業務には関係ないが、こういう調査をアンケートでやったら農家さんとも仲良くなれるかもしれない。あー・・・・でも・・・。

@農家さんは基本的に現地語しか話せない。

A会社の上司に怒られるかも知れない。

B農家さんの村までの移動手段がない。

C農家さんに気に入られて、家に一泊することになり、ノミやダニにやられた挙句、半熟の卵(精力がつくと信じられている。精力の前に虫がつく。)や生水(現地人は平気)を飲まされ、下痢で苦しむものの、トイレには紙がなく、手で拭いた後、手づかみで食事をすることを強要(一般家庭にスプーンやフォークはない)され、寒空の下、ぬるいビール(冷蔵庫は当然ない)とローカルワイン(雑穀から作られたどぶろく、アルコール度20%予測)を飲まされる。

D夜這いの風習から、村の娘に襲われ結婚。たくさんの子供に囲まれ、幸せにブータンで80年の生涯を閉じる。

無理無理無理無理無理むりむりむり。(特にD)
リスキーすぎるこのアンケートを私は遂行するべきか否か。ブータン人女性とたくさんの子供達に囲まれた自分を想像し(悪夢)、夜も眠れない。


4月17日土曜日 勘弁してください。

 社長が来店。この社長が曲者なのである。兎に角ワンマン。他人を信用しない。自分の意見以外は間違っている。部下であろうが外国人であろうがすべてが敵。そんな人なのだ。今日も庭に植わっている花を指差し「見苦しいから抜け」。どこが見苦しいのか全く理解出来ない。しかし、それに口答えが出来ないのがブータン社会。権力者は絶対なのである。彼はJOCVでも平気で首にするだろう。心から勘弁してください・・・である。


4月18日日曜日 助言。

 お世話になっている農業専門家様に仕事の上での相談。やはり専門家はオーラが違う。知識とか行動力とかではなく、人として大きい。具体的なアドバイスは頂けなかったが、それが答えなのかもしれない。自分で出来ることをやる。足元を見ながら少しずつ。いつか、ワンマン社長を静かにさせるような仕事がしたい。


4月20日火曜日 灼熱。

 はーん。暑い。今日はホウレンソウの種取。トゲトゲの付いた種がちくちく刺さる。地面に落とした針が尻に刺さる。スタッフ一同疲れ果て、お茶を入れたものの、お茶の中にホウレンソウの種がプカプカ。「Fuck!!」と熱いお茶を地面にぶちまけるカウンターパート。そのシブキを食らって、「おふ!!」と奇声を発する泉谷。こっちはあまりの暑さに突っ込む気力も無い・・・。
ああ・・・そっか。日陰でやりゃいいんだよ、こういう仕事は。
ったく、誰も気付きゃしねえ・・・・。


4月21日水曜日 Druk Seed公社パソコン事情。

 我が支店には一台のコンピューターがある。どう見ても組み立てパソコン。どう見ても扱いに非常に注意が必要な類のパソコンである。このパソコン、何に使われているかと言うと、主にゲームとエロVCD専用である。時々業務にも用いられるが、使うのはワープロ機能だけ。そんなパソコンだが、ついに・・というか、当然と言うか、壊れてしまった。原因は考えられることが多すぎて思いつかない。ブータン人はHPを見るとき、広告のすべてを開こうとするし、ウィルスメールの疑いのあるメールも平気で開く。ウィルス感染したら、パソコンのせい。一番の問題点は自分達がパソコンに詳しいと思い込んでいる点である。パソコンに通じている人は、コンセントを抜いて強制終了はしないし、海外のエロサイトから動画や画像をダウンロードしたりしない。
 「アドミニストレーターにパスワードかけたんだけど、忘れちゃった。」とゼコが言う。もうアフォかと。なんでそんなものにパスかけて忘れるのかと。問い詰めたい。小一時間ほど問い詰めたい(多用)。
 そこで、OSを再インストールすることに。中のデータはどうでもいいらしい。再インストールのCDは?と訊ねると、「知らん。」の一言。じゃあ無理だろうと伝えると、「分解してもう一度組み立てれば、自動的に再インストールするんだ。」とわけの分からない理論を展開する。私はコンピューターに詳しいわけではないのだが、そんな話聞いたことが無い。デスクトップのカバーをはずし、分解を始めるゼコ。二度と元に戻らないだろう・・・と合唱する私。南無南無。案の定戻らなくなり、「Fuck!!これだからインド製はだめだ!!」とデスクトップに手刀を落とす。あー・・やっぱり。
 そんなこんなで、我社のパソコンは輪廻転生への道を歩むことになった。もう知らん。


4月22日木曜日 任国外旅行四方山話、其の壱。

 読者の皆様は青年会海外協力隊に任国外旅行制度と言うものがあるのを御存知だろうか。以前は研修の名の下に海外へ息抜きをする制度だったが、吾等が15年1次隊よりアヤフヤな点を改善し、息抜きを目的に行く旅行に変更された。研修の場合は別の形で日本国民の血税を使って行くが、この息抜き任国外旅行はすべて自費である。とは言うものの、日頃任国から出国することを許されていない隊員にとっては、自腹を切っても利用したい嬉しい制度だ。
 現在私はインドのある島への旅行を企てている。これは駒ヶ根研修所時代に大変お世話になった親友との旅行であり、彼はバングラデシュに赴任しているので、バングラデシュと連絡を取らなければならない。簡単に聞こえるが、私は連絡が取り合えることに非常に感動したのである。ブータンで電話も無い、水も無い生活をしている私と、バングラデシュで洪水に見舞われつつある隊員とかインターネットのメールで、しかも日本語で連絡を取り合うことが出来るのである。私の家のすぐ脇を流れるPuna thang chuを数百キロ下ったところに住む隊員と、である。世界は小さくなっている、と強く感じた雨の午後であった。


4月23日金曜日 ヒロシマ狂の詩。

 私が以前このページで広島東洋カープについて熱い主張を繰り広げたことを覚えている読者の方は、よっぽどのブータンマニアであろう。否、熱烈な私のファンであろうか。ふふ。火傷するぜ。
 そこで私はこのような内容を述べた。

オープン戦第一戦先発は若干20歳大竹だ。がんばれ北別府二世。うなれ魔球スライダー。そして恐らく中軸を打つであろう嶋外野手。今年彼には本当に期待している。レフトスタンドへぶち込め、カープのゴジラ(←もう何がなんだか)!(2月の日記より抜粋)」

 大竹と嶋!!!さあ!野球のことなぞ興味の無い人もカープ大好きな人も中国新聞カープ情報で彼らの今期の成績をチェックするが良い!ほらほら、するが良い!
 無心で一生懸命投げる若干20歳大竹!一昨日の試合では、強力ヤクルト打線を相手に1安打完投勝利。笑顔が素敵!かわいい!食べちゃいたい!
 そして、いまや日本で大旋風を起こしているであろう「赤いゴジラ」嶋!!赤いゴジラの命名者は新聞社の記者らしいが、そんなことは無い。俺だ。(←もう興奮して何がなんだか)
 私がカープファンになったのは中学一年生の時。前年にカープは優勝し、広島県はカープに湧いた。それからはや13年・・・。一度も優勝していないのである。思えば、第一次山本政権の最下位転落による見事な崩壊。一番野村三番前田四番江藤五番金本六番緒方の最強打線で望んだ三村カープの優勝争い。長嶋茂雄のメイクミラクルの名言を作った超開幕ダッシュ。大野豊引退試合。大野をリリーフした小林幹英は今や二軍である。金本ラストイヤーは優勝を狙えるラストイヤーでもあった。故障者続出はこの年に始まったことではないが、それでも故障者が痛かった。そして近年の低迷・・・・。
しかし!!しかしだ!!
今年は何かが違う!決して優勝なぞできないだろう。しかし・・・!!
今年は以前の面白いカープの試合が続いている。カープの見所は若手の台頭である。貧困球団であるところのカープはドラフトで目玉の大学生など取れない。そこで、高校生で将来性のある若者をとり育成し、成長したら大リーグやら巨人やらに売り渡して生計を立てている(誇張)。ファンは若手の成長を見守り、楽しんでいるのである。今年の嶋なぞ、カープ以外では出てくるはずの無い選手だ。10年間ほとんど活躍することも無く、故障を繰り返しながらも自らを鍛えてきた。そして溜め込んだ力を爆発させた。ああ・・・・嶋最高。
河内、大竹、嶋、栗原、林、天野・・・。カープの野球はこうでなければいけない。今年ブレークした若手には是非活躍して欲しい。彼らは手を抜くことを知らないので、きっと故障するだろう。それで良い。そして出来たチャンスでまた若手が這い上がってくるのだ。
 もう一つ、予言めいたことをしたい。今年、先発での活躍が予定されていた長谷川、ブロックが故障しリタイヤしている。また、先発の柱だった佐々岡は中継ぎに転向した。つまり3人が抜けているのである。そのチャンスを付き、河内と大竹が這い上がってきた。もう一人・・・・・。「玉山健太」が其の候補だ。背番号52。野手コンバート予定でとった球団の要請を断り、投手でプロに挑戦する男。彼が死に物狂いで投げる姿を見たい。市民球場で「たまちゃーーーん」って叫びたい。玉山から玉木へのたまたまリレーが見たい。
 今年の広島は何かが違う。
 まあ、ブータンとは何の関係も無いのだが。


4月25日日曜日 執筆。

 私は文章を書くのが好きだ。幼少の頃は漫画家になりたいと思っていたし、こう・・空想をするのが大好きだ。たまに夢遊病のように空想の世界に落ち込んだりして、「話し聞いてる?」なんていわれることもしばしばだが、そういった創造(想像)は楽しいではないか。(開き直り)。
 ブータンでの隊員活動の一つに、隊員総会というものがある。隊員は、各配属先にばらばらに所属しているとはいえ、同じ協力隊。しかもコミュニティーとして隊員ドミトリーを共同で使っている。そこで、各隊員で役割を分担し自分達のブータン生活をよりよいものにするために、総会を開き、話し合いをする。前回の総会で私は「Druk編集委員」なるものに命名された。Drukとは隊員機関紙と呼ばれる雑誌で、定期的に隊員によって執筆され発刊されている。
 今回私は「ブータン隊員食事情」と「隊員ドミトリー図書館」「ブータンの生き物」について執筆する。ああでもない、こうでもない・・・・と執筆原案を考えているところである。
 折りしも、本格的雨季がやってきたブータン。任地ウォンディは、昼を過ぎる頃になると、灼熱の太陽が照りつけ地獄のようだ。とても畑仕事なんて出来ない。そこで、昼御飯が終わった後、一時から三時まではお勉強の時間と名付け、スタッフ一同お勉強をしている。カウンターパートは日本語を。レッキーは睡眠学習を。私は原稿の執筆だ。アー・・楽しい。
 最近の一日はそんな感じで過ごしている。


4月26日月曜日 任国外旅行四方山話 其の弐。

 いよいよ任国外旅行への手続きが始まった。私の「ウキウキ!矢野ッチと行くアンダマン諸島10日間の旅」は、5月29日から十日間の予定で計画がたった。ここでいう矢野ッチとは、バングラデッシュに赴任した心の友である。見た目もバングラデッシュ人、任地もバングラデッシュ人、兎に角回転の速い頭を持つお兄さんである。駒ヶ根研修所ではふたりで悪いことを一杯やった。
 早速チケットを予約する。パロからインドのカルカッタまでの飛行機は、ブータン唯一の航空会社Druk Airを利用する。ブータンにも現地旅行会社があり、JOCVのお得意先となっている旅行会社まである。そこへ問い合わせる。なんとJOCV割引なるものの存在が発覚。半額近い値段で飛行機の利用が可能らしい。日本人社会万歳。しかし、JOCV割引を利用するには、JICA事務所からのレターが必要らしい。JICA事務所に問い合わせる。JICA事務所によると、レターを発行するには、私の職場からのレターが必要らしい。んー・・・・なんだかドラゴンクエストでもプレイしているような気分になってきた。・・・あ?チョット待て?職場からのレターってことは・・・・ワガママ社長からのレターってことだよね・・・?
ああああ!!無理無理無理無理!!絶対書いてくれない!!
だって、レッキーが自分の家を建てるために取ろうとした休みでさえ拒否してたもの!!
だって、ゼコが尿道結石で病院に行きたいっていう希望すら拒否してたもの!!

「あのー・・・インドに遊びに行きたいんで10日間休みください。」

絶対無理!!!!!
どうしよう・・・・・。任国外旅行にすら行けないんだろうか・・・・?
とりあえず、社長にメールは書いたが・・・・・。返事が来るだろうか?
このメールに激怒して今度こそ首になったらどうしよう・・・・。

・・・・・いや、マジで笑えないよ。


4月27日火曜日 レッキー受難の時。

 実は先週くらいから(よくわからん)レッキーは、吾等がバジョ支店の支店長になったのである。カウンターパートのゼコは格下げされたのである。ゼコは頭も切れるし、よく喋るので支店長の仕事をしっかりこなしていた。一方レッキーは、農民ど真ん中な男であるので、何一つ上手くこなせない。電話がなったら驚き、「のり、電話に出てくれ・・・」と頼んでくる。外国人に電話の取次ぎを頼むとは何事だ。一応、「ラァ?ガセモラァ?(もしもし誰ですか)」と出るものの、その後の会話を聞き取れるわけ無く、すぐに「あー・・・ソーリー」と受話器をレッキーに渡すのである。関係ないが、「ラァ?ガセモラァ?」はオカマっぽく艶やかな発声をするのがポイントだ。
 今日も、仕事上のレターにサインを頼みにレッキーのところへ行くと、目をつぶって瞑想をしてらっしゃる。「サインしてくれ。」と頼んでも、一向に目を開かない。「ちょっとレッキーおじさん!」と呼ぶとカッと目を見開き、がしがしっとサインをする。彼にとってはサイン一つも瞑想無しでは出来ないほどの大仕事なのである。サインの後はハンコである。これも気合一杯に押す。逆向きに。
 
レッキーは、明らかに支店長向きではない。


4月28日水曜日 任国外旅行四方山話 其の参。

 任国外旅行が急展開を見せることになった今日吉日、貴方はいかが過ごされたでしょうか?ただいまブータン時間4時55分。後五分で業務も終了でございます。
あーーーーーーーーーっ気分が良い!
 今朝、カウンターパートであるところのゼコ君が私に言ってきた。
ゼコ「のりは旅行に行きたいんだろ?」
のり「あたりまえじゃん。」
ゼコ「俺がレター書いてやるよ。それでいけるんだろ?」
のり「わあああい!!ゼコちゃんダイスキーーー!!」
というわけだ。

 話はとんとん拍子に進む。JICAからのレター取得の知らせが昼前に、チケット予約完了の知らせが昼過ぎに入る。お金はなんと旅行代理店の方が立て替えてくださるとの事。私、こんな人の優しさに触れたのはいつ以来でしょうか?こんなに景気のいい話があるでしょうか?涙でパソコンの画面が見えません・・・・・うう・・・・。
 後はインド国内線を発券して貰い、JICAに詳細な旅行計画を提出するだけである。
さあさあ、今日はビールでも飲むかい?ゼコくんヨォ!?あー!!おごっちゃるおごっちゃる!なに?今から買い物に行く?おいおい!景気悪い顔してんじゃネエヨ!?
レッキーはどうした?あ?子供が病気?ふざけんなよ!病院に突っ込んどけ!
おい!ガンガラン(門番)!酒だ!酒!あ?プジャ(祭り)の準備で忙しい?おいおい!其の祭り今日にしようぜ!?あ?だめ?仕方ねえなあ・・・・・。
んじゃあ!帰るよ!帰ればいいんだろ?ったくよぉ!皆つれねえの!
 あー・・・俺が調子いいときって、すごくやなヤツだって今気付いた。さあ。おとなしく帰ろっと。


4月29日木曜日 日本のお米。


 本社から米の育苗をしろとの命令が下る。砂と風の町バジョタンで育苗?しかも、壊れたポンプの修理を拒否したくせに、ポンプなしでどうやって苗を作れというのだ!?
 愚痴をひとしきりこぼし、皆で楽しくなってきたところで、作業開始。撒くお米は日本の米だとレッキーが言う。聞けば「No11」という名の米らしい。恐らく農林11号であろう。農林11号は北海道で作られていた米で今は日本で作っている農家は一つも無い・・・・と記憶している(が定かではない)

 「HAHAHA!(アメリカ人風)レッキーさんよぉ!これはもう時代遅れだぜ!」と、明らかに馬鹿にした嫌な言い方でレッキーに迫ったところ、「これはシップに良いんだよ。シップって知ってるか?米をつぶした保存食だ。」と勝ち誇った顔で上からおっしゃる。
 むう。してやられた。そんなローカルな理由があるとは。日本の、今は忘れ去られた米がブータンで活躍の場を見出し、現在も作られ続けているとは、いやはや、感動した。



4月30日金曜日 お祭り。

 今日4月30日は、Zhabdrung Kuchoe(シャブドゥン・クッチェ)という祭日である。シャブドゥンとは、チベットの偉大な僧侶である。彼はランジュン(自ら生まれるの意)カサパニ(「サンスクリット語だから意味は知らん」byゼコ)と呼ばれるなんだかすごく重要なもの(高僧の意思がつまっている物、米粒大)をチベットからブータンに持ち込んだ。チベットの寺院は其の行為に怒り、盗みだ裏切りだとシャブドゥンを非難した。この事件がきっかけでブータンとチベットは戦争を始める。戦争を嘆いたシャブドゥンは、ランジュンカサパニをプナカの河に投げ捨てる。実際は投げ捨てておらず、未だにランジュンカサパニはプナカゾンに安置してあるそうである。以前松村に似た高僧ジェ・ケンポがプナカの大きな祭りでみかんを河に投げ込んでいたが、それはシャブドゥンの行為を再現していたのであって、ジェ・ケンポ御乱心ではなかったので安心した。長くなったが、今日はそのシャブドゥンを祝う日なのである。
 その日に我社では「World peace party」なるものを開いた。なぜ、シャブドゥンの日に世界平和なのかというと、上記の理由からである。この日記を書きながら納得。
 Partyではいつものようにプジャ(宗教的な祭り)が行われた。我社の門番ガンガラン一家が祭りの主役である。いつもスタッフにこき使われているガンガランが輝く一日である。
 
 祭りの会場は、何教の祭りなのか分からない雰囲気であった。ブータン国王の写真やジェ(松村)ケンポの写真、インドの神々の写真、なんか落書きなどがテント一面に飾られ、一番上座はブータン風のバターランプで飾られ、入り口付近はネパール風のにぎやかな飾り付けであった。世界平和を祈る祭りであるので、まさに世界民族合体と言った様相で感心した。ガンガラン達の読み上げるお経とその辺のおじさんが演奏する民族楽器、おばちゃんたちの手拍子、踊りだす若者、鼻水をたらす子供などが入り乱れ、祭りは賑やかだった。
 私も会場に付くなり、席に案内され、カレーとロティ(パン)を振舞われ、楽しいときを過ごした。

 世界に民族紛争をしている国は多くある。ブータンはどうか。他国との戦争すらほとんど経験したことが無く、国内では多くの民族が仲良く暮らしている。そればかりか、民族が融和し、世界平和なぞを祈っているのである。
 どの国でも、「World peace party」が楽しめるようになれば・・・・・。燃え盛る祭りの火を見ながら思った。