はちがつ
2004

□日記に戻ります。




8月1日日曜日 パロ。

 空港の街パロに移動。パロの街は雨だった。


8月2日月曜日 帰国。

 私が赴任する一年前に赴任した先輩が帰国された。個人的に仲良しであったので、寂しい気分である。赴任して一年と言うもの、その先輩隊員に支えられやってこれた。今後は私も上級生隊員になる事であるし、いつまでも人に頼っているわけには行かないので、一人で頑張って行きたい。


8月3日火曜日 タクシー運転手。

 協力隊員は車を運転する事を許されていない。バイクはOKというところには安全面から疑問を感じずにはいられないが、兎に角車はNGである。そのため移動にはタクシーかバスを利用する事となる。バスでの移動も楽しいのだが、時間がやたらと掛かり、イライラしちゃう難しい年頃なので、私は良くタクシーを利用する。この国で唯一といって言いほどガメツイのがタクシー運転手だ。ブータンの一般商店などではボラれることはあまり無いが、タクシー運転手は別だ。直ぐ私を旅行者だと思い、割り増しの価格を吹っかけてくる。途上国を感じれる瞬間である。ちなみに私は途上国での値段交渉が好きだ。あれ程自分の我が儘を素直に出してよい場所は無い。あれ程ブチ切れて良い場所も無いのである。
 最近はタクシー運転手に顔を覚えられ、私がタクシー乗り場に行くと直ぐに私の行き先のタクシーが用意されてしまうので、なんだかつまらないが、ブータンに根付きつつある経済社会の末端を理解している彼らと話すのは楽しい。


8月4日水曜日 僕らは御魚になるんだ☆

 海の無いブータン。「それでも僕らは海を知っている!」と誰かが言った気がするので、川で泳ぐ計画が進行中である。めでたく日本人が泳ぐ川に選ばれたのは、我街に程近いバサチュである。しかし、ブータンは目下雨季。川の様子を確認せねば、事は始まるまい。ということで、私が先行隊隊長に命じられた。
 私は今までバサチュを見た事が無かった。バサチュは大河プナサンチュへ流れ込む支流であり、我家からプナサンチュを15km程下った場所にある。丁度近所に仕事の用事もあったので、少し足を伸ばす事にした。
バサチュについて驚いた。遥か山の山頂に巨大な滝があるではないか。
爆音がここまで聞こえる。
 写真では遠近法が狂ってるのではないかと思うほど巨大な滝である。しかも山の頂上に程近いところから流れている。山頂の滝の水量は多く、雨でも降れば更に増水するのではなかろうか。やや不安に思いつつも、しっかりしたキャンプサイト(平らな土地)があったので、キャンプ及び水泳にはGOサインを出す。
いやはや、楽しみだ。


8月5日木曜日 お肴。

 ブータンでの酒の肴はやはりトウガラシである。トウガラシを唐揚にした「ちりちょっぷ」は最高である。冷えていないブータンのビールには辛いチリチョップが良く会う。日本の焼酎のような感覚で飲めば、ぬるいビールも美味く感じる。 


8月6日金曜日 絶望。

 カウンターパート君ゼコが会社を去ることとなった。以前から、会社を辞めたいと言っていたのだが、ついに政府に転勤が認められてしまった。
 もう、何をやればよいのか、何が大切な事なのか分からない。残ったブータン人スタッフはレッキーと泉谷(ドライバー)だけだ。


8月7日土曜日 バサチュ。

 頭が空っぽになってしまったので、何も考えず遊ぶ事にした。今日は楽しみだったバサチュスイミング決行の日である。仲間諸君と街で腹ごしらえをし、いざバサチュへ。車2台、バイク2台という大所帯である。
 バサチュは相変わらず、激しい流れであり、キャンプサイトに生い茂る大麻はここがブータンである事を感じさせてくれた。

やたら手際がよい同士一同。頼もしい。

 大麻を刈り、スペースを作ってテントを立てる。同時に料理を開始。さすが協力隊員、この辺の手際は非常によく、私は早速遊ぶことに専念する。女性は2名参加していたが、もはや羞恥心のかけらも無いので、私自慢のジュニアを披露しつつ海パンに着替える。日本からわざわざ送ってもらった海パンも遂に日の目を見るときが来たのである。
 「水じゃー水じゃー。洗濯し放題じゃー。」とやや錯乱しつつ、川へ。日頃水に飢えている私には川は天国なのだ、何が悪い。
 じゃぼじゃぼと川中へ歩を進めて我に帰る。・・・・・冷たい。全身鳥肌。
「オラさっさと入らんかい。」という同士一同だが、誰一人として足が進まない。仕方が無いので、ここは恋人入水の方法を用いる事に決定。恋人入水とは、16世紀後半フランス人ジャボト・ハイルによって編み出され入す(以下略)。
「きゃははは!つめたーーい!」
「ヤッタナァ!こいつぅ!」
木魂する野太い声。全身の鳥肌は増す一方である。

飛び込む毛糸好き隊員。

 なんとか、川の水に慣れしこたま楽しむ。泳いだり、流されたり、溺れたり、流されたり。まあ、大半が流されているのである。それでも水泳は楽しく、時折体の近くを通る岩魚か鱒がまた、情緒を深めてくれた。
 疲れて陸に上がると、すっかり夕餉の準備も整い日本のカレーの良い香りが立ち込めている。カレーを喰らい、焼き魚を喰らい、酒を喰らい、突然振り出した雨にぬれながら、私達は楽しい一日を過ごした。


8月8日日曜日 バサチュ2。

 朝目覚めると良い天気であった。バサチュの朝は静かで鳥の声が響き、焚き火にくべられる大麻の臭いが鼻を刺激した。朝飯を喰らい、本日の目的であるバサチュ滝を目指す。バサチュの川の上流には巨大な滝が見える。なんとかそこまでたどり着きたいとの希望を叶えるべく、私達は出発した。
 農道をゆっくり登る。昨日と打って変って、太陽がじりじりと照りつける。農道は次第にその幅を狭め、ヘビは出るは、ヒルは出るは、農家の飼い犬に吠えられるはで大変な行程であった。滝は近づくにつれ、爆音を響かせ、そのシブキが時折風に運ばれ顔に当たる。山を上りきり小さな丘を越えると、目前に滝があった。

どどどどどどどどどどどどどどどどど。

雨のように降りかかる滝の水。目の前に出現して消えない虹。足に食いついて離さないヒル。その美しさに皆息を呑んだ。このような素晴らしい場所が誰が注目するでもなく自然の中に埋没している。それがブータンである。
 滝の素晴らしさに感動し、意気揚揚と山を下るとお昼御飯が用意してあった。なんと良く働く同士一同であろうか。私は遊んでばかりであるがそれが私の仕事と前向きに考え、午後も贅沢に川で泳ぐ。全身が日焼けでシクシク痛み出した頃、テントをたたみ帰宅する事とした。皆一様に良い笑顔を浮かべ、滝と川に別れを告げた。
 世話をしてくださった先輩方。特にキムさんとタエさん。ありがとうございました。


8月9日月曜日 バサチュ3

 バサチュから帰ってきて驚いた。痛いのだ。全身が痛いのだよ、おじさんは。筋肉痛と日焼けでまともに体が動かない。仕方が無いので、出社後、昼寝の必然性を徒然と語り、泉谷とオフィスの机に突っ伏して寝た。


8月10日火曜日 ゼコ。

 ゼコが私のところからいなくなる。彼は仕事の相棒であり、親友である。彼がここにいるから私は日本からやってきたのだ。日々、彼と別れる日までのカウントダウンが進む。
 ゼコの息子キンレイは私を「OKアンクル」と呼ぶかわいい奴だ。その子をなぜか会社に連れて来て私に子守を押し付けたゼコ。キンレイと遊ぶ私だが、素直に楽しめなかった。


8月11日水曜日 ゼコ2。

 むぅ。本日もキンレイのお守りである。ゼコは街へ行ったり、よそのオフィスへ挨拶に言ったりと忙しい。キンレイはバイクとタバコが大好きな不良3歳児であるので、私のバイクに乗せてあやす事にする。

ゼコとキンレイ。

 ヘルメットを被り、バイクにまたがるキンレイ。
「ぶるるるるるーーーっ。ぶるるるん。」とバイクを楽しんでいる、

「ぶるるるーー。」

もはや、何もコメントできない面白い体勢で楽しむキンレイ。上の写真の後、バイクからずり落ちしこたま頭をぶつけ号泣するのだが、それをあやしながらも笑いは止まらなかった。ごめんな。キンレイ。


8月12日木曜日 決意。

 決意と言うほどのものでもない。必然なのだろう。
私は昔から自分の進退は自分で決めたい人間である。進む場合は良いのだが、退く場合は特に自分で決めたい。それが男であり、責任だと思うからである。
 そんな格好の良いことを云っているだけでは何も始まらないので、本社に直談判に向かう。今後の会社の方針と私の処遇を尋ねるためである。
 もう、迷いたくないのだ。


8月13日金曜日 生まれ変わる日。

 社長に会社と私の今後について尋ねる。現実は現実であり、何事にも変えられない事を知り、私は新しい私の道を進む事にした。
 社長との面談の後、本社近くに勤めるシニアボランティアの方に会いに行く。彼は農業機械の専門家であり、その豊富な経験に縋りたかった。彼は私を家に招待してくださり、お手製のクサヤやぬかづけを御馳走してくれた。今日は私の隊員生活、人生にとって転機であるのかもしれない。後日そう思えれば良い。


8月14日土曜日 感謝祭。

 感謝祭と言うものを企画している。地方で暮らす隊員のその地方への感謝の気持ちを込めて祭りを開こうという企画である。私はここウォンディの祭りを企画する。こういった行事は船底に回る人間は大変である。今日はこの公示をシニアボランティアの方に対して行った。説明会への参加人数は少なく今後の前途が不安視される。一方、熱い気持ちを持ってくださる方も多く、我々実行委員会では搾り出せない多くの意見を頂戴した。何事も人と人で出来ているのである。


8月15日日曜日 バングラ。

 バングラデシュへの出国を予定している。バングラデシュにはココロの友ヤノッチがおり、彼の職場を見学するためである。・・・・・職場を見学した後、彼の職場にいる姉ちゃん達をしこたま飲むためである。そのために、首都でビザの取得を目論むも、パスポートが何某かの手続き中であり、失敗。バングラへの思いは募る・・・・。


8月16日月曜日 バングラ大使館。

 いよいよビザ取得のために大使館へ。生まれて初めて入る大使館である。治外法権などとよく聞くので、大使館員には片言のベンガル語で話すものの、あっさり無視され英語で会話が続き鬱になる。大使館従業員のブータン人とバングラデシュへの憧れを語り、洪水の犠牲になった人々に思いを馳せ、ビザを取得し帰宅した。


8月17日火曜日 仲間。

 ゼコが会社を辞め、レッキーが長期出張に出かけ、会社には技術スタッフが私しかいなくなり、ドライバーと人夫のみになった。本社からの業務指令も受け取れなく、会社は動かない。草抜きなどの基本的な業務をこなし、後は茶を飲み過ごした。

人夫。皆かっこいい。


8月18日水曜日 新しい仕事。

 ウォンディ県ガセロは、私の任地から車で40分の山の上にある小さな集落である。ガセロには同期の友人ダイ(髭)が教師をしており、その学校の視察に赴く。仕事は動かないと見つからない。髭が云うには、ネイチャークラブなるものが学校に存在し、花育てたり、バードウォッチングしたり、ごみ拾いしたりしていると言う。しかも担当教官が美人であると言う。
むぅ・・・・。い・か・ね・ば。
 担当教官は確かに美人であった。ただ、英語の先生であり、その喋りについていけない。失敗である。一方ネイチャークラブはまだあどけない生徒達が懸命に草花の世話をしており、ほほえましい活動をしていた。私自身、学校教育に関しては素人であるので、良いものをどんどん吸収し、一人前のキンパチ先生になりたいと強く思った。
 来週水曜日はいよいよ教壇に立つ。


8月19日木曜日 髭の友人。

 同期隊員であるところの友人ダイ(髭)の友人が日本からブータンを訪ねてきた。髭の大学の同期である女性とその妹である。折しも私は髭の勤める学校で新しい仕事をみつけたのでガセロへしばしば赴いていたことから、彼女達と話す機会に恵まれた。彼女達は若く、行動力があり元気に満ち溢れていた。髭も旧友との再会に興奮していたのか、「やっぱこういうのって楽しいッす。」と連呼していた。ブータン料理を辛い辛いと言いながら食し、景色に感動し新鮮な気持ちになった。彼女らが「ダイのスネゲ、薄くなったんじゃない?」と髭のスネゲについてコメントしていたのが印象的だった。


8月20日金曜日 水汲み。

 水の無い生活は1年と1ヶ月が経過した。もう水の無い事がライフサイクルであるし、何の不満も無い。会社の水道が使えるときは2リットルのペットボトル2本をポケットに入れ運ぶ。そうでない時は我慢する。これが私の水事情である。
 ところで、カウンターパート君であるところのゼコの家は我家から50m。この家の共同水場は常時利用可能のである。この水場には山頂付近の池から水道が引いてあり、なかなか綺麗な水が出る。ちなみに我家の水場は水田から水道が引いてあり、ミジンコさんが泳いでいる。
 「よし、俺が運んでやるからジャッキを4本持って来い。」と突然ゼコがのたまう。この男は突然何かを決断するので厄介である。ジャッキには30リットルほどの水が入り、とても重たい。私は50mも運ぶ事が出来ないので、丁重にお断りすると、「軟弱者が!」と罵詈雑言を浴びせてくる。失礼な奴である。
 仕方が無いので、空ジャッキ4本を運びゼコを呼び出す。「さあ、運ぶが良い。」とジャッキを渡すとそれに水をため差し出すゼコ。「のりも手伝え。」
えーーーーーーっ!頼んでないのに、手伝う事になってるーー!
合計60リットルのジャッキを両手の持ち、道幅30cmの通路(片側崖)を歩く私とゼコ。
「Fack!腕が痛い!」と愚痴を私に言うゼコ。理解不能である。
とりあえず運んだ120リットルでトイレを流し、ろ過タンクを満タンにし、観葉植物に水をやった。「よし、テレビを見せろ。」だの、「日本食食わせろ。」だの、我家に来たのを良いことに我が儘放題のゼコ。・・・・之が目的だったか。策士め。
 なんだか釈然としないので、その後ゼコ家に乗り込み、息子キンレイ(3歳)に電気アンマを食らわしたり、ゼコ用の晩飯を食い散らかしたり、奥さんの妹(14歳)を口説いたりして、満足し帰宅する。


8月21日土曜日 棚田。

 ブータンの主食は米である。山がちであるこの国では、日本と同様の棚田が美しい。これは日本よりも美しいと感じる。なぜか、と考えていたら、 農道が無い事に気付いた。トラクターはもちろん、人用の農道すら無い。人は狭い畦を歩くのだ。この季節、出始めた穂が黄緑色に輝き風に揺れる緑色の波は懐かしさすら与えてくれる。

美しい棚田。


8月22日日曜日 イカスゼOK。

 空港の街パロにてコンピューターをぽちぽちしているマッチョ隊員アキラリさんの友人シノさんがブータンにやって来た。それにしても、良く日本人がやって来る月である、と考えていたら、8月が夏休みであるという不滅の心理にたどり着いた。む。お盆もすでに終わっているではないか。私の御先祖様は無事に我家に帰ってきたのだろうか。
 シノさんは無類のブータン好きであり、ブータンを通じてアキラリさんと知り合いになったようだった。我ブータン隊員は現在男女比バランスが崩れており、つまり、男臭くてたまらないのだ。隊員の利用するドミトリーなぞはサラリーマンの臭いで満たされており、深呼吸は命取りである。そのため、シノさんと取り囲む吾等ブータン隊員はさながら野獣の様相であり、それはそれは楽しい時間を過ごさせていただいた。ありがとう、シノさん。これからもブータンの事を好きでいてください(ブータンの野獣どもの事は忘れてください。)


8月23日月曜日 オリンピック。

 我家のソニーベガ様のスイッチを入れるとオリンピックの中継が流れていた。インドの番組なのでインド選手中心の放送だが、中国やタイ、日本の選手も良く映る。さすが南アジアの雄、インド。アジア選手をカバーした放送を手がけるあたりなぞ、度量が大きい。
 実はアテネオリンピック、ブータンの選手も出場している。シドニーオリンピックの水泳エリック・ムサンバニ選手が記憶に新しい方も多いのではないだろうか。私も100mを必死に完泳した彼の姿には感動した。彼はワイルドカードと呼ばれる特別枠でオリンピックに出場した。これはIOCにより「世界へのスポーツの普及」のために設けられた特別枠である。ブータン選手も男女1名ずつがアーチェリーで参加しているのである。アーチェリーはブータンの国技である。1984年ロサンゼルスオリンピックで初めてブータンはオリンピックに参加した。もちろんアーチェリーである。この時のブータン選手の敗者の弁「的が近すぎたんだ・・・。」はあまりにも有名な話である。確かに!ブータン伝統のアーチェリーは的が霞んで見えないほど離れた距離で行われている。しかし、遂に今大会に於いてブータン選手が初勝利を納めたという。メダルには程遠いのであろうが、ブータンのスポーツも一歩一歩前へ進んでいるのであろう。
 しかし、こういっためでたい情報もブータンのマスメディアには取り扱われる事が少なく、否マスメディア自体が貧弱であり、私達の耳に入る事は少ない。国民総幸福量を謳うブータンの選手がオリンピックで活躍する日はやってくるのだろうか。
 私見だが、マラソンなぞブータン人はお得意なのではないだろうか。なにせ、生まれたときから高地トレーニングである。高橋尚子1500mの山中で高地トレーニング!なぞ、目ではない。1500mはいまや私にとっても低い。ブータン人の中には一生3000m以上の高地で暮らす人もいるのだ。彼らのヘモグロビンは私達のそれとは形すら違うような気がする。金メダルの暁には「空気が軽かった・・・」等と名言を残して欲しいものだ。


8月24日火曜日 お腹と背中がくっつくぞ♪

 以前の日記でも述べたが、私は今やガセロ中学校の農業クラブの先生である。明日は第一発目の授業が計画されており、明日の3時には皆教室で私の到着を待っておるのであろう。明日は、地図作りを教え、ガセロ中学校の畑の地図を作る予定なのだが、果たして受けるのであろうか。心配である。心配のあまり朝ごはんも昼ごはんも食べるのを忘れておった。ああ、腹減った(現在午後4時)。明日の授業案はもう作ったし、道具も準備したのだが、どうも腹が減っている。景気付けに、街一番のレストランに出向いて、ブータン料理を喰い散らかす事にする。では。


8月25日水曜日 教師聖職教壇イエッサー。

 いやあ!もう、ほんとにすっごいのよ!生徒かわいいしさ!「ハゴイガ?(分かった?)」って聞くと「はーごーいーらー♪(分かりましたー)」ってさ!他の先生も「のり、うまくやれたね。」って言ってくれたし、アドバイスもくれたし。なんていうか皆品が良いんだよね。その辺うちのゴロツキとは訳が違うよ。「Fuck!」なんて誰も言わないし。ブータンに来て「Please」って初めて聞いたよ。生徒の目もキラキラしてた!もう食べちゃいたい。うん。ちょっと「お前は風呂は入れよ」ってのもいたけど、そんな子も「のりサー。質問があります。」って。きゃーー。許す。臭くても許す。鼻水出てても許す!おじちゃん満足だよー。

かわいい生徒達。「はーごーいーらー♪」

 というわけで、興奮しておるのである。初めての授業は無事終了した。途中英語が浮かばない時も生徒に助けられた。授業の内容もブータン人教師のアイデアでより良い物となった。つたない授業で大変申し訳なかったが、アイデア自体には賛同してもらえたし、より良いアイデアも貰う事が出来た。私は過去教師を目指していた時もあり、隊員のうちに一度は教壇に立ってみたかったのだが、その希望が叶い幸せである。
 それにしても、教師というものは品が良い。否、我社のブータン人友人に品が悪すぎるのであろう。彼ら教師は本当にブータン人なのであろうか。彼らがエマダツィを素手で御飯につけて食べているところなぞ想像できない。彼らがアラを飲んだくってその辺の地面で寝ているところなぞ想像できない。日本人となんら変わらぬ。それに引き換えうちの奴らは・・・。オフィスでタバコすうわ酒飲むわ、机の上に足上げて昼寝するわ、無断欠勤、空出張は当たり前だし、あまつさえ話す話は愚痴か女の話、なにかあったら「FuckFuck!」。
・・・・・・・・ったく・・・・・・・。
・・・・・ん?
・・・・・・・あ。これ俺のやってる事だ。テヘ☆
みんなーーーー!ボクこっちのが良いや!酒飲みに行こ!


8月26日木曜日 余韻。

 昨日の授業の余韻に浸りつつ、一日を過ごす。よくよく考えてみたら、私は幸せすぎる。どこの馬の骨かもわからぬ私を信頼してくれ、授業を与えてくれた校長はじめ先生方には感謝の気持ちでいっぱいである。聞くところによるとガセロ中学校の校長は若いのに仕事が出来る男として名を馳せているのだそうだ。確かに。握手した時親指の付け根が痛んだ。なんかオーラを感じる握手であった、と薄笑いを浮かべオフィスで昼寝をしているとゼコにデコピンをされた。ゼコピンだ。こいつもある意味オーラが漂っておる。校長の後光のようなオーラに対し、ゼコのそれはぐるぐる渦巻く紫色のオーラだ。ああ・・・・、悪魔!きゃー。
でも、胸がどきどきしちゃうのはなぜ?


8月27日金曜日 シニアとの懇談会。

 感謝祭なるイベントを企画しておる。その旨をシニアボランティアの方々に説明するため、シニアが開くパーティーに乗り込んだ。シニアの方の言った「我々は感謝されるほうだろ?なんで感謝しなきゃいけないんだ?」という言葉がJOCVとシニアボランティアを大きく隔てている壁だろう、と感じた。でも、肉は美味かった。肉最高。


8月28日土曜日 ランクル。

 東へ赴任する隊員の乗るランドクルーザーに乗って、ウォンディまで移動することととなった。ランドクルーザーと言えば日本でも高級車。しかし、ブータンでは頻繁に目にする事が出来る。金持ちは、いるところにはいるのである。
 早速颯爽とランクルはスタートする。タクシーには無いクッション、エンジンを備えており、快適な旅のはずなのだが・・・・・・なぜか酔ってしまった。それもそのはずタクシーでは3時間架かる行程を、JICAのランクルは1時間30分で到達した。体に掛かっておる負担が桁違いなのである。ああ・・・・・気持ち悪い。軽く高山病なんじゃないか。うう・・・うえ・・・・。


8月29日日曜日 ソフトボール大会。

 ブータンはクリケット文化圏である。読者の皆様はクリケットを御存知であろうか。クリケットとは野球の基礎にもなった球技であり、オーストラリア、インド、イングランド、南アフリカなぞで盛んなスポーツである。クリケット文化圏であるブータンで野球をする。全く難儀な事である。
 しかしやってみるとできるものである。もともと野球に似ておるクリケット故、皆投球やバッティングはそこそこであり、逆に日本人に通じる作戦が通じず、日本人対ブータン人の野球対決は熾烈を極めた。実際はソフトボールルールで行ったのだが、時々上手から剛速球を投げてくる変則フォームのピッチャーや三振しても打席に立ち続ける根性の居座ったブータン人のプレイには驚かされた。ちなみに私は6打数6安打。ダテに野球馬鹿では無いのだよ。
その後、日本人ボランティア宅で御飯を御馳走になり、宴会が始まった。ここは首都ティンプーということもあり、先進的な考えを持つブータン人と会話をするにつけ、勉強になる事も多く有意義な時間であった。カルマ、また野球やろうな。