李載先

?〜1881(高宗18)。宗室。本貫は全州。興宣大院君の庶長子で高宗の異腹兄である。


閔氏戚族政権の開化政策推進に対し反発した儒林たちは、高宗18年(1881)に黄遵憲が《朝鮮策略》を国内にもたらしたのを契機に、衛正斥邪の上疏文を呈する運動を始めることで閔氏戚族政権は苦境に立っていた。この機に乗じて承旨安驥泳は林鼎鎬と共に李載先を王に推戴しようと謀議した。彼らは興宣大院君の名で衛正斥邪を煽動し群衆を集めたあとで宮殿を襲撃したあと国王に擁立させようと推し進めたが、募兵と軍器の入手が思い通りにならず挙事を延期した。 しかしこの年の9月20日、陰謀に参画した広州山城将校李豊來が捕盗庁に密告することで、一党30人余りが逮捕され首謀者は処刑されたが、李載先は極刑を免じて済州島に流配されたのち死を賜わった。