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49. 条 件

        49.1 概観                 49.2 〜たら               49.3 〜ば              49.4 〜と               49.5 〜なら              49.6 〜ても/たって          49.7 〜ては/のでは           49.8 〜とすると/すれば           49.9 その他          49.10 まとめと補足         [補説§49] 49.1 概観  [述語との接続] [用法の概観] 49.2 〜たら [「仮定」でない用法] [反事実] [〜のだったら] 49.3 〜ば  [名詞/ナ形容詞+なら] [主題とナラとの関係] [〜であれば]     [〜ば〜ほど] [Aも〜ば、Bも〜] 49.4 〜と  [ムードの制限] [「仮定」でない用法]  49.5 〜なら [〜たなら] [〜のなら・のだったら] [反事実] [「〜のなら」が     言えない用法] [〜ものなら] [V-(よ)うものなら] 49.6 〜ても/たって [いくら・どんなに] [たとえ] [〜たって]     [V-(よ)うと/が] 49.9 その他          49.9.1 V−タトコロデ 49.9.2 〜カギリ(ハ) 49.9.3 〜バアイ(ニ) 49.10 まとめ         49.10.1 「〜ト」と「〜テ」  49.10.2 〜トキ         49.10.3 ハとガ [補説§49]   §49.1 「セルフマスターシリーズ7 条件表現」から   §49.2 「タナラ」 「日本語文型辞典」から   §49.3 「タナラ」 「セルフマスターシリーズ7 条件表現」から   §49.4 「バ」と望ましい結果     §49.5 奥田靖雄他「するなら」 論文の抜粋

49.1 概観

 
 条件を表す表現について考えます。日本語の条件表現は非常に難しいものの 一つとされています。これまでに多くの研究がなされていますが、まだまだわ からないことの多い文型です。  ここで「条件」とは、ある事柄Bが起こるかどうかが、別の事柄Aが起こる かどうかによる、そういう関係をいいます。例えば、      春になると、花が咲く。      コップを倒せば、水がこぼれる。      田中さんに会ったら、このことを話す。 のような関係です。  上の例が典型的な「条件表現」ですが、もっと広く「条件」の範囲を考える こともあります。例えば、      コップを倒したので、水がこぼれた。 という「理由」の表現も、「事柄AとBの関係」という点では、上で述べたこ とが成り立ちます。事柄A「コップを倒した」は、事柄B「水がこぼれた」を 「条件づけて」いると言えます。  しかし、この本では「条件」を狭く考えて、「理由」の表現は「条件表現」 とは分けて扱うことにします。  さて、「条件」が難しいと言われる理由は、条件を表す表現がいくつもあり、 それぞれが微妙な使い分けを持っているということによりますが、困るのは、 そのそれぞれが日常よく使われ、日本語教育の初級段階で出さないわけに行か ないことです。  代表的なものは、「と、ば、たら、なら」とよくまとめて言われる4つの形 式です。それ以外にも、「ては」や「場合」など、また逆接の「ても」なども 使用頻度の高いものですが、いちばん問題になるのは初めの4つです。それぞ れの例を挙げておきましょう。      春になると花が咲く。    右に曲がると銀行がある。      勉強すれば上手になる。   質問があればしてください。      晴れたらテニスをしよう。  彼が来たらこれを渡してください。      彼が来るなら私は帰ります。 1時に出たのならもうすぐ着くよ。  以上の例を比べてみて、それぞれの違いがあるのは確かですが、それを正確 に指摘することはなかなか難しいことです。まず、それぞれの基本的用法をお さえること、そして、それらが重なる部分での使い分けを考えることが必要です。  また、「条件」とされる以外の文型との関係も考えるべき問題です。  まず、条件表現と「〜時」とは非常に近い関係にあります。  そのほか、条件表現の形式が継起の「〜て、〜」の用法と重なる用法に使わ れる場合があります。  主題化の「は」は「〜なら」と関係がありますし、そもそも副助詞の「Nな ら」と条件の「〜なら」とのつながりも考えてみなければなりません。  もっと基本的な論理の問題として、条件と理由・目的などの表現の関わりと いうこともあります。  条件表現は、複文を考える際の要にあるといってもいいでしょう。  では、まず述語との接続の形をそれぞれ見てみましょう。

[述語との接続]

 [〜たら] すべてタラ形         会ったら 会わなかったら  高かったら 高くなかったら        暇/彼 だったら  暇/彼 ではなかったら  [〜ば]  すべてバ形(動詞の形の作り方は「33.4 V−ばいい」参照)        会えば 会わなければ    高ければ 高くなければ        暇/彼 なら(ば)     暇/彼 でなければ  [〜と]  基本形/ナイ形−         会うと 会わないと  高いと 高くないと        暇/彼 だと  暇/彼 でないと  [〜なら] 普通形−          会う/会わない/会った/会わなかった なら        高い/高くない/高かった/高くなかった なら        暇/彼 なら        暇/彼 でない/だった/ではなかった なら    「〜なら」の接続は「〜でしょう」などと同じということになります。これ だけが現在と過去の対立をもち、接続する形が多いわけです。   「〜ば」が「〜だ」を受ける場合、「暇ならば」は書きことばで、話しこと ばでは「暇なら」となります。すると、「〜なら」の形と同じになります。  つまり、「〜ば」と「〜なら」が融合していることになります。

[用法の概観]

 この4つの形式が表し得る意味の範囲を考えてみましょう。これらの用法の 全部が「条件」であるわけではありませんが、この4つの形式が他の用法も持 っているということが「条件」の用法にも影響していると思うので、まず全部 の用法を一とおり見てみます。  基本は、「ある事柄Aの成立を「条件」として、別の事柄Bが成立する」と 考えることです。  ここで「条件」とは、Aが成立した状態でBが成立する、逆に言えば、Aが 成立しない状態ではBが成立しないということです。  Aは、Bが起こるために必要なことであり、「引き金」あるいは「きっかけ」と なるような事柄です。 これは、時間的前後関係と似ていますが、その関係が時間的なものでなく、 内的なものと見なされると条件表現が使われます。 大学へ行って、勉強する。      大学へ行ってから、勉強する。 のではなく、      大学へ行ったら、勉強する。 のです。「行く」ことが「勉強する」ことの実現のために、論理的に不可欠の ことになっています。それを次のように表すことにします。      A → B  一般的には、Aが成立しない場合には、Bも起こらないと考えるのがふつう でしょう。  論理学ではこの辺の考え方が違いますが、それは論理学者にまかせましょう。  では、基本的な用法を中心に、さまざまな用法を見てみます。  まず、一般的に成り立つことを表します。(以下の例で、いくつかの言い方 を並記しますが、それ以外はダメだということではありません)      2と3をたせば/たすと/たしたら、5になる。 春になると/なれば/なったら、暖かくなります。      日本の子どもは、6歳になると/なったら、小学校に入ります。      外国語を勉強すれば/すると/したら、世界が広くなります。      月が地球の影に入ると、月食になる。      犬が西向きゃ(向けば)、尾は東。  個人的なことですが、一般的・習慣的なことを表す場合。      風邪をひいたら、学校を休みます。      毎朝、雨が降らなければ/降らなかったら、散歩します。  次に、個別的な、一回のことの場合。  まず、将来のこと。「A」はそうなるかどうかわからないことで、その成立 を仮定する場合。日常、よく使われる言い方です。      明日、天気がよかったら海に行きましょう。 彼女に会ったら、よろしくお伝え下さい。      駅に9時までにつかないと、特急に乗れません。      このまま二酸化炭素が増えていけば、地球は暖かくなっていく。  現在、どちらであるか確かめうることで、まだ明らかでないこと。      この窓を開ければ、港が見えるはずです。  それから、事柄Aが将来確実に起こることでも(つまり「仮定」の話ではな くとも)これらの形式が使えます。      目が覚めたらすぐこれを飲んで下さい。(「目が覚めない」ことは      考慮の外)      時がたてば、彼も元気になりますよ。(「時がたつ」のは当然)  現在、すでに起こったこと、確定したことを「条件」の形でいうこともあり ます。      ここまで来れば、もう大丈夫だ。      君がいてくれるなら、安心だ。(「僕は残る」と聞いた後で)  過去のことについても、「仮定」による条件表現があります。過去の事柄の 場合の「仮定」は、   a それが起こったかどうかわからない場合に、起こったと仮定する場合   b 事柄Aが起こったことを知っているが、起こらなかったと仮定して、     事柄Bについて述べる場合 の二つ(bの「起こった」と「起こらなかった」を入れ換えた場合も含む)が あります。bは「反事実の仮定」とか「反実仮想」などと言います。      飛行機が定刻に向こうを出たなら、そろそろ着くころだ。      (定刻に出たかどうか知らない)      この単位さえ落とさなければ、卒業できたのに。      (事実は:その単位を落とした→卒業できなかった)  「〜ば」と「〜と」は、過去の習慣的な事柄も表します。これは「条件」の 表現と言えます。      あのころは暇があると/あれば 映画を見に行った。 秋になれば/なると、まわりの山が真っ赤に紅葉しました。  それから、「〜たら」と「〜と」は、単なる過去の一回の事実も表せます。 「条件」という意味合いはありません。もちろん、ある種の含みがあるわけで すが。      きのう図書館へ行ったら、田中さんに会いました。      田中さんは、私の顔を見ると、にっこりしました。      家に帰ると、彼から手紙が来ていました。  主節が疑問文になるのは当然のことですが、条件節の中に疑問語が入ること があります。      このスイッチを押すとどうなりますか。      こうすれば、本当にうまく行くんですか。      どれに乗ったらいちばん早く着きますか。      あなたは、いったい何をどうすれば満足してくれるんですか。      何を入れるとそんないい味になるんですか。  以上の例の中に、「〜なら」の例はあまり多くありませんでした。それだけ 独特の意味を表すわけです。      飲んだら乗るな、乗るなら飲むな。 夢を見ているのなら、早くさめてくれ!      君がそう言うのなら、こっちも手加減しないよ。  なお、「〜と/ば/たら」が「いい」などと組合わさった形、      〜すると/すれば/したら いい      どう すれば/したら いい      〜したら どう(です)(か) などは「33.勧め・忠告」でとりあげました。  では、それぞれの形式の様々な用法を見ていくことにしましょう。

49.2 〜たら

                                いちばん使い方が広いものです。ただし、話しことばに多く、書きことば ではあまり使われません。これがまず特徴の第一です。  後で見るように、「〜ば」と「〜と」は繰り返し起こることによく使います が、「〜たら」は一回のこと、個別的なことによく使います。ですから、日常 的なことの中で、使う回数は多いのです。  まず、将来のこと、そして現在のことから。    a (もし)あした雨が降ったら、どうしますか。    b (彼は午後来る予定)彼が来たら、これを渡してください。    c 夏が来たら海へ行こう、と思った。    d いくらですか。高かったら、買いませんよ。   「AたらB」のAは、将来の、どうなるか分からないこと(a)も、そうなる 予定のこと(b)も、必ず起こること(c)も、現在すでに決まっていることだけ れども、まだ知らないこと(d)も、みんな「〜たら」で言えます。  それがいつにせよ、「AたらB」のAが成立した場合(dでは話し手または聞 き手がその事柄を知ったとき)を想定して、その次のことを述べています。  A・Bが動きの動詞の時は、その二つのことが起こる順序は必ず、「A→B」 です。 「高かったら」のような状態の述語の場合は、順序はありませんが、やはりA の事態は「成立」していて、その上でBのことが起こります。  次の例もそうです。      お金があったら、少し入れて下さい。なかったら、いいです。      会場に彼女がいたら、少し待たせておいて下さい。      暇だったら、遊びにおいでよ。      入場料が二千円以上だったら、見るのはやめよう。  もう一つ注意すべきことは、主節のムードが自由なことです。上の例でも、 「渡してください」や「行こう」のようなムードの複合述語が出ていました。  これは、「〜ば」や「〜と」と違う点です。      お金を拾ったら、交番に届けましょう。      持って行きたかったら、持っていけ。      殴られたくなかったら、二度と来るな。  最後はちょっとこわい例文ですが、こういう時も「たら」が使えます。  もちろん、人間の意志的行動だけでなく、自然現象についても言えます。      雨が降ったら、少し涼しくなるだろう。      木の葉が落ちたら、もっと見通しがよくなるよ。  「〜ば」や「〜と」を使う方がいい時、つまり繰り返し起こること、必ず起 こることに「〜たら」を使っても、間違いとは言えません。      重いものを水に入れれば(入れると)、沈みます。      重いものを水に入れたら、沈みます。  「〜たら」の方が話しことばで、「軽い」感じがします。「〜ば」や「〜と」 では「真理」を述べているという感じですが、「〜たら」にすると、そういう 真理があるから、「今入れたら」沈みますよ、と聞き手に告げているような印 象です。  初めにも述べたように、「〜たら」は個別的な事柄によく使われます。  

[「仮定」でない用法]

 以上の例は、「もし」という、ある条件を仮定してその帰結を述べる「仮定 条件」が基本でしたが、現に事実であることを「条件」として述べる場合があ ります。  発話時に成立している(話し手と聞き手が知っている)事態を「〜たら」で 表すこともあります。現場指示の指示語で具体的な量・程度などを示しながら 使われるようです。      これだけやったら大丈夫だろう。      あんなに強く押しつけたら、壊れちゃうよ。 「強く押しつける」のは現に行っていることです。「〜たら」は仮定のことば かりではありません。あることを「した」、その論理的な帰結はどうか、という ことで、未定のことでも、既定のことでも使えるわけです。      あんなに美人だったら、男たちが放っておかないだろうね。 男だったら、泣いたりせずに、父さん母さん大事にしてね。  後の例で、聞き手は「男(弟)」ですから、「男だったら」というのは仮定で はありません。  過去の事実に関しても使えます。あることが成立したあとに、あまり予期し ていなかったことが続いて起こったことを表します。  これは「条件」とは少し違う用法です。「継起」の一種ですが、主体や述語 の意味に制限があります。      ドアを開けたら、冷たい風が入ってきました。 雪がやんだら、青い空が広がりました。      実際に日本に来てみたら、日本に対する見方が変わりました。  これは、「〜と」でも言えます。「〜たら」のほうが話しことば的です。  「〜たら」の主節の述語に話し手の意志的な動作が来ることはできません。 この文型は、基本的に「あることが起こった、その後どんなことが起こったか」、 を述べる文です。話し手自身の意志的な行動は言えないのです。     ×私は、立ち上がったら、皆に話しかけた。(○立ち上がって)     ×彼が帰ってきたら、私はそのことを教えた。   従属節だけなら話し手の動作でもかまいません。           私が立ち上がったら、皆黙り込んでしまった。  条件表現なら、このような制限はありません。意志をはっきり言えます。      あいつが来たら、僕は絶対帰るよ。  次の文は、すぐ後でとりあげる「反事実」の例です。      あいつが来たら、僕は絶対帰ったよ。(実際は来ず、帰らなかった)  主題が共通の場合は、「〜て」で言えることがあります。      (私は)実際に日本に来てみて、日本に対する見方が変わりました。      雨に当たったら、色があせてしまった。      雨に当たって、色があせてしまった。 「〜たら」のほうが、「その結果、どうなったか」という問いに対する答え、 という面を持っています。       また、あることを「発見」するような場合にも使えます。条件節は主体の動 作で、主節は物事の状態です。これも「〜と」で言えます。 外に出たら、いい月夜だった。      箱を開けたら、小判が入っていた。 うちに帰ったら、手紙が来ていた。 この場合は、Aの成立以前からBの状態が存在していたわけですが、Bのこ とを話し手が知るのは、Aが成立した時点です。  逆に、Aが状態でBが動きの場合もあります。      部屋でテレビを見ていたら、呼び出しの電話がかかってきた。

[反事実]

 現在の事実ではないこと、過去の事実と反対のことも言えます。      わたしが金持ちだったら、授業料がただの学校を造ります。      この学校へ来るまえに、もっと日本語を勉強していたら、楽だった      んでしょうね。  本当は「勉強しなかった」だから「楽ではなかった」のです。 過去のことを言う場合は、違った解釈ができる場合があります。      ヒントを見たらわかった。 は、実際に「見て、わかった」場合と、「もし見たら、わかった(のに)」とい う場合にも使える文です。  次の文も同じです。      もう一度やり直したら、もっとうまくできたよ。  その違いは、文脈から判断します。

[〜のだったら]

 述語を「〜のだ」で受けた形が条件節となると、また特別の注意が必要です。      彼も来るんですか?いやだなあ。彼が来たら、私は帰ります。 彼も来るんですか?彼が来るのだったら、私は帰ります。  「来たら」は、「彼が来た」あとで「帰ります」、つまり、主節の内容の実 現が、条件節の内容を条件として成立することを述べていますが、「来るのだ ったら」は、「来る」という判断の成立が、「帰る」という意志を持つための 条件になる、という意味です。「帰る」のがいつかは特に述べていません。  発話のすぐ後か、「彼が来る」前か、あるいは特別な文脈があれば、その後 でもかまいません。      彼が来るのだったら、彼に仕事の引継をしてから帰ります。 次の例では、「彼」はもう来ています。 何だ、彼も来ているじゃありませんか。彼が来ているのだったら、      私は帰りますよ。 このような「V−ている」や状態動詞、形容詞では、もともとAとBの前後 関係ということはありません。問題になるのは、Aの成立がBにとって必要だ ということでした。  「〜たら」と「〜のだったら」ではその「Aの成立」のしかたに違いがあります。    a 来週の会、都合が悪かったら欠席してもいいですよ。    b 来週の会、都合が悪いんだったら欠席してもいいですよ。  bでは、「都合が悪い」ことは発話の時点でわかっています。「都合が悪い」 という自体が実際に成立するのは「来週」ですが、そうなることは今からわか っているのです。  aでは、今わかっているかもしれないし、その時にならなければわからない かもしれません。後者の意味では「(その時)都合が悪くなったら〜」のように 動詞「なる」を使って言うこともできます。  Aの内容が成立することを話し手が判断するとき、その場の状況や相手の態 度・言葉などがその材料になります。上の例でもそうでした。      ケーキ、食べないの?食べないんだったら、私がもらお。 あいつ、暇なんだったら手伝いに来てくれてもいいのになあ。 「食べなかったら・暇だったら」とすると、本当にそうかどうかはわかりません。 「〜のだったら」と言えるのは、話し手が何らかの根拠によってそう判断して いるからです。  Bの述語は、意志を表明したり、何かを勧めたり、何らかのムードを表す表 現が来ます。  「〜のだ」の前には過去形も使えるので、次の形もあります。      彼が来たのだったら、私は帰ります。 この場合の事柄の順序は、当然A→Bとなります。  以上の「〜のだったら」の用法は、あとでとりあげる「来る(の)なら」つま り「〜なら」と同じです。これらの使い方はまた「〜なら」のところでくわし く扱う予定です。  また、「〜ば」のところでは「〜のであれば」という形があり、同じような 用法になります。  「〜たら」で注意しなければならないことは、「〜ば」や「〜と」との違い ももちろんですが、後で出てくる「なら」との使い分けが大切です。  条件を表す「動きの動詞+たら」では、その「後で」主節の事柄が起こるこ とに注意しておいて下さい。

49.3 〜ば

 
 これも比較的広く使える形です。基本的には、当然そうなること、一般的な ことに多く使います。「〜たら」と比べると少し書きことばですが、話しこと ばでも広く使われます。      春が来れば、花が咲きます。                       たくさん食べれば、太ります。                      日曜日は、天気が良ければ、散歩にでかけます。         この例はことわざに多く見られます。      楽あれば苦あり      犬も歩けば棒に当たる      住めば都  一回だけのことにも、使えます。(=たら)               あなたが参加すれば、彼もきっと来ます。            明日、雨が降れば、運動会は中止にします。          今日の6時にここに来れば、田中さんに会えますよ。  「〜ば」の場合も、「〜たら」と同じように、Aが成立した状況で、Bのこ とが起こります。  「〜ば」の制限としてよく言われるのは、主節の述語に制限があることです。 命令や強い意志などを表わす文はだめです。     ×間違いを見付ければ、すぐ直しなさい。(→たら)            ×ご飯を食べれば、散歩に行きましょう。(→たら)      ?雨が降れば、中止にしよう。   しかし、Aの述語が非意志的な状態の時は、使えます。      次の文に間違いがあれば直しなさい。      何か不満があれば、どうぞ言って下さい。      食べ物が足りなければ、買いに行きましょう。      帰りたければ、帰りなさい。   (「希望」は意志ではない) 安ければ、たくさん買おう。     ×風邪をひけば、すぐ薬を飲みなさい。(○ひいたら) ×彼がいれば、連れてきて下さい。  (○いたら)  名詞述語とナ形容詞、つまり「〜だ」の形の述語の場合は、バ形が特別なの で後でとりあげます。  状態でない例でも、相手の行動に指示を出し、それに対する話し手の行為を 聞き手に教える場合は、なぜか言えます。あとで見る「〜と」の「警告」の場 合に似ています。      試験で合格点に達しなかった人も、以下の指示に従ってまじめなレ      ポートを提出すれば、単位を認めます。 降伏すれば、命だけは助けてやろう。      身代金さえ払えば、子どもは必ず返す。  もう一つ、「〜ば」の特徴としてよく言われるのは、「AすればB」は「A しなければBではない」を含みとして持つことが多い、ということです。      たくさん食べれば、太ります。 ということはつまり、      たくさん食べなければ、太りません。 ということです。      天気がよければ、散歩に行きます。 は、「よくなければ、散歩に行きません。」を意味します。これは論理学で習 うこととは違いますが、我々のふつうの考え方です。そして「〜ば」は「〜た ら」や「〜と」よりも強くそれを暗示します。  「仮定条件」でない場合にも使えることは「〜たら」と同じです。      これだけあれば、十分です。(きっとうまくいきます)      ここまでやれば、あとはかんたんです。  過去のことになると、習慣的なことでなければなりません。個別的な、一回 起こったことには使えません。      高校生の時、暇さえあればテレビばかり見ていました。      改札口を出れば、そこには必ず彼が待っていました。(彼=ハチ公)     ×トイレのドアを開ければ、父がいました。(いつも父がいた??)      (○開けたら:ある一回限りのこと)   事実に反することには、過去の個別的なことでも使えます。      もっと足が速ければ、試合に出られるんですが。      彼女が来ていれば、僕の潔白を証明してくれるんだけどなあ。      あなたがいれば、もっと楽しかったのですが。(=いたら)      (実際は、いなかった)      あのまま広島に住んでいれば、原爆で死んでいただろう。  文末が「〜が/けど/のに」「〜だろう」などになります。

[名詞/ナ形容詞+なら]

 「49.1 概観」で見たように、名詞述語・ナ形容詞の「バ形」は「〜なら」 と考えます。ここが「〜たら」や「〜と」と違う点で、後でとりあげる「〜なら」 とも関係します。「〜ならば」が元の形ですが、かなり硬い、古い表現で、 めったに使われません。  「〜だったら」とほとんど同じで、状態ですから文末のムードの制限もあり ません。 明日、雨なら試合は中止にしよう。      3割引なら、絶対買いなさい。 次の日曜、暇ならうちに来ないか。 子供が男なら野球をさせる。女ならゴルフをさせる。夢はプロだ。      それが事実ならば、首相が辞任せねばなるまい。      今日がだめならあしたがあるさ。あしたがだめならあさってがある      さ。あさってがだめならしあさってがあるさ。どこまで行ってもあ      すがある。(ドン・ガバチョの歌)  事実に反する仮定の例。AもBも事実ではありません。? これが千円なら買うんだけど。      もし私が男なら、女を差別したりしない。      これが夢なら、早くさめてほしい。   

[主題のナラとの関係]

 「9.6 主題を示す助詞」で「Nなら」という助詞をとりあげました。      「加藤さんは?」「加藤さんなら電算室にいるよ。」      「コーヒーはある?」「ないんだ。紅茶ならあるけど」  この「Nなら」と名詞述語の条件表現との区別は微妙です。      学生なら学生らしくしろ。      「私のケーキ、どこ?」「え?昨日のケーキなら、食べちゃったよ」 これらは「(お前が)学生なら」「(話題になっているのが)昨日のケーキなら」 のように考えて、名詞述語の条件表現と見なします。

[〜であれば]

 「〜だ」には「〜である」という形があり、そのバ形は「〜であれば」になります。 多少硬い言い方ですが、よく使われます。       価格が3万円以下であれば、ヒット間違いなしだ。      会場が近くであれば、多くの人が参加してくれるだろう。 容器が透明であれば、残量が一目でわかる。      弁護士を頼んでくれ。弁護士であれば誰でもいい。   [〜のであれば]  イ形容詞や動詞が「〜のだ」を受ける場合、その「だ」が「であれば」にな るので、「〜のであれば」という形になります。  これは「〜のだったら」「〜(の)なら」と同じ用法になります。      資金がないのであれば、どんな計画も絵に描いた餅だ。      彼がそういうのであれば、きっと間違いないだろう。      彼女が了解しているのであれば、私には何も言うことはない。      

[〜ば〜ほど]

 「〜ば」はいくつかの慣用的な文型があります。まず、「〜ば」と基本形が 組み合わされた文型です。      小さければ小さいほどいい。      奥へ進めば進むほど、暖かくなってきた。      考えれば考えるほど、分からなくなる。  述語の示す程度がより大きくなると、それに応じて主節の述語の程度も増す ことを表します。主節が過去でも「×したほど」にはなりません。  最後の例の「考えれば」というのは程度の表現ではありませんが、「より深 く」という程度を意味として含んでいます。  逆に言えば、この「〜ば〜ほど」という文型が程度を表す文型なので、「考 えれば」が程度を表していると解釈できるのです。

[Aも〜ば、Bも〜]

列挙の表現です。「〜し、〜」と近い表現です。      金もなければ、暇もない。(金もないし、暇もない)      嵐も吹けば、風も吹く。  この「も」は複合述語の間に割り込むこともあります。      会いたくもなければ、話したくもない。          (会いたくもないし、話したくもない)

49.4 〜と

                             これも一般的なこと、習慣的なこと、「いつも」そうであることによく使い ます。「V−と」の場合は、時間的に「すぐ続いて起こることを示す」という 意味もあります。そのため、「継起」の表現とも言われます。      朝起きると、歯を磨きます。                    春になると、花が咲きます。                 1に1を足すと、2になる。                    あの角を右に曲がると、郵便局があります。             先生は学生が間違えると、(すぐ)直します。           私はコーヒーを飲まないと、夜眠れません。      仕事が忙しいと、なかなか釣りに行けない。      信号が赤だと渡れない。  「〜ば」とだいたい同じですが、「〜ば」の方が、「条件」という意味が強 くて、「そうでない場合」と比較する気持があります。      春になれば、花が咲きます。(その前には、まだ咲きません)    ですから、「朝起きると」の例を「〜ば」にすると、少し変です。     ?朝起きれば、歯を磨きます。(起きなければ?)     cf. 朝早く起きれば、歯を磨きます。(遅い時は、磨かずにすぐ学        校へ行く)  「〜と」のほうは、「あることAが起きる」→「自然にあることBが起きる」 というような意味合いです。それ以外の場合のことは特に考えず、二つの事柄 の自然な結びつきを言うことに重点があります。そこで、「もし」という仮定 の意味を強めることばは使いにくくなります。      もし、停電になったら、非常に困ります。      停電になると、非常に困ります。(当然の成り行きとして)   仮定の話ではあるのですが、何となく一般的な問題にすり替えられているよ うです。   個別的なことも言えます。      明日、雨が降ると、遠足は延期になって、授業があるんです。 今、あなたが辞めてしまうと、私達は大変困ります。 この辺では、「たら」との違いはほとんどありません。

[ムードの制限]

 「〜と」で大切なことは、主節が意志、命令、その他の強いムードを表わす 文には使えないことです。(いつも、のことですから。)  学習者はよくここを間違えるので、しつこく注意することが必要です。     ×店ヘ行くと、わたしにも果物を買ってきてください。(→たら)      ×授業が終わると、買い物に行きたいです。  (→たら)     ×明日、天気がいいと、サッカーをしましょう。(→たら・ば)     ×暇があると、勉強しなさい。        (→たら・ば)  ただし、次のような例もあります。警告・注意などの場合は例外になるようです。      動くと撃つぞ。      そんなこと言うと怒るよ!      こら、早く起きなさい!起きないと、くすぐっちゃうぞお!  「動いたら撃つぞ」では何だか迫力がありません。「動く→撃つ」が「すぐ、 自然なつながりとして起こる」というところが重要なのでしょうか。この例の 場合、「ぞ」は「撃つぞ」というかかり方ではなくて、      [動くと撃つ]ぞ であると考えられます。つまり、主節にかかるのではなくて「動くと撃つ」と いう一般的に認められる(?)ことが(「私」の判断の余地なく)ここでも成り 立つぞ、と言って警告しているのでしょう。

[「仮定」でない用法]

現在のこと。      こうやってじっとしていると、外の様々な物音が聞こえてきます。      みんなで食べるとおいしいね。(現に食べているときに) 一般的に言えることが、現在まさに成り立っているということでしょう。  過去のことにも使えます。習慣も、一回のことも。      昔は、大雨が降ると、必ず洪水になった。      子供のころは、朝起きると必ず体操をしました。      電車が止まると、すぐドアが開きました。      雨が上がると、涼しい風が吹いてきました。      僕が一口食べると、彼女が「どう?」と聞いた。  過去の事実を客観的に叙述するこの用法は、「〜と」の基本的な用法の一つ です。小説などで事態の描写に多く使われます。「〜たら」でも言えますが、 話しことば的です。  この用法で、「〜たら」は否定の述語を受けられますが、「〜と」はできな いようです。      落とし物を届けたら、警官に名前を聞かれた。      落とし物を届けると、警官に名前を聞かれた。      宿題を出さなかったら、あとで怒られた。 ?宿題を出さないと、あとで怒られた。 その夜、鍵を掛けなかったら、泥棒に入られた。     ?その夜、鍵を掛けないと、泥棒に入られた。  「〜と」にすると、何度も繰り返されたことのようです。      宿題を出さないと、あとでひどく怒られたものだ。  「〜と」は、同一主体の連続的な動作を描写することができますが、これは 「〜たら」にはない用法です。      船は、汽笛を鳴らすと、静かに岸壁を離れていった。(?たら)      彼女は、顔を上げると、きっぱりとこう言った。  これは、「〜て」を使って言うことができます。      船は、汽笛を鳴らして、静かに岸壁を離れていった。      彼女は、顔を上げて、きっぱりとこう言った。  話し手自身の意志的な行動が主節に来にくいことは「〜たら」と同じですが、 書き手が自分の行動を客観的に描写しようとする場合は可能になります。      私はベッドから飛び起きると、ドアを開けた。(×たら)      私はベッドから飛び起きて、ドアを開けた(んです)。 この「〜と」と「〜て」の比較は「49.10 まとめ」のところでします。  ある状態を「発見」する場合にも使えます。ある動作の結果、ある状態の存 在に気づきます。「〜たら」にもあった用法です。「〜と」のほうが少し書き ことば的です。 家に帰ると、田舎の母が来ていました。      窓を開けると、気球が浮かんでいました。 逆に、条件節が状態の場合もあります。      座ってしばらく待っていると、ノックの音がして、ドアが開いた。      彼が不思議に思っていると、友だちがわけを話してくれた。  以上のように、過去のことに関する使い方は「〜たら」と似ていますが、過 去の事実に反することは言えません。  一部の状態性の述語では可能なようですが、その制限はよくわかりません。 現在の事実に反することでも同様です。     ×あの時君と結婚すると、幸せになれただろう。(○したら/すれば) あの時、君がそばにいてくれると、とても助かったんだがなあ。 ×私があなたの立場だと、やめておきますね。(○だったら/なら) これで、子どもでもいると、にぎやかになるんでしょうがねえ。 「〜とよかったんだが/いいんだが」とすればよくなりますが、それは「〜 といい」という一つの文型と考えられます。

49.5 〜なら

                               この形は、「〜だ」のバ形と同じです。そして、これが名詞・ナ形容詞だけ でなく、動詞・イ形容詞を受け、「〜たら・ば・と」とは違う用法を持つこと が条件表現の難しさの大きな原因になっています。  これは他の三つとは使い方が大きく違います。他の三つは、条件節のことと 同時か、その後で、主節のことが起こりますが、「〜なら」はその制限があり ません。  また、「〜と」や「〜ば」とは反対に、文の終わりは命令、依頼、忠告などの ムードになることが多いのです。  また「概観」でも見たように、「するなら/したなら」の対立があるという点 でも他の三つの形式と違います。  「〜なら」の用法は、前に「〜のだったら」で述べたことがあてはまります。      彼が来るなら、私は帰ります。  「来る(の)なら」は、「来る」という判断の成立が、「帰る」という意志を 持つための条件になる、という意味です。「帰る」のがいつかは特に述べてい ません。発話のすぐ後か、「彼が来る」前か、あるいは特別な文脈があれば、 その後でもかまいません。      彼が来るのなら、彼に仕事の引継をしてから帰ります。  「〜なら」のもう一つの特徴は、最後に取りあげる用法を除いて、多くの場 合、「〜のなら」の形にしても意味はほとんど変わらないことです。「〜のな ら」に換えられない場合は、「するなら/したなら」どちらでも使え、意味が 変わらないという点で、他の用法と違います。これは最後にとりあげます。   ではまず、「と/ば/たら」との比較のために、三つの形の復習をしてみま しょう。AとBの順序に注目して下さい。        雨が降ったら、行きません。       (降る→行かない)      田中さんが来たら、これを渡してください。(来る→渡す)      春になると、花が咲きます。       (春になる→咲く)      右に曲がると、ポストがあります。    (曲がる→ある)       薬を飲めば、治ります。         (飲む→治る)        質問があれば、いつでもしてください。  (ある→する)  どれも皆、Aが成立した状況で、Bのことが実現します。    「なら」はその制限がありません。まず、順序が逆の例。「その前に」しま す。      日本へ行くなら、日本語を勉強しなさい。(勉強する→行く)      歌を歌うなら、向こうで歌ってください。(向こうに行く→歌う)      台風が来るなら、屋根を直しておかないと。(直す→台風が来る)  「今、Aの事柄が予定・意思として存在する」ことを前提として、Bのこと を言います。実際に事柄が起こる順序はB→Aになります。      飲んだら乗るな。乗るなら飲むな。  「〜たら」との対照のいい例です。「酒を飲んだあとでは車を運転するな」 という意味が「〜たら」で示されます。「車を運転する予定がある人は、その 前に酒を飲むな」ということは「〜なら」で表せます。  「A→B」の順になる場合もあります。それは、事柄の内容によって決まり ます。      日本へ行くなら、ことばだけでなく文化も勉強してきなさい。      旅行に行くなら、おみやげを忘れないでね。  前後関係のない例。 屋根を直すなら、壁も塗り替えたほうがいい。      あなたが会社を辞めるなら、私も辞めます。      家を造るなら、草の匂いのするカーペットを敷きたいと思うのであ      ります。  AもBも一緒にするわけです。実際には、多少時間があとになるかもしれま せんが、その差は問題にしていません。  次のような「勧め」には、動作の前後ということは関係ありません。      日本料理を食べるなら、やっぱりにぎり寿司だね。      冬に旅行に行くなら、北海道がいちばんいい。 あの大学に入る(の)なら、加藤先生の授業を受けなくちゃ損だ。  次は、Aが心理を表す述語の場合。前後ということはありません。 そうしたいなら、そうしてもいいよ。      あなたが望むなら わたし何をされてもいいわ  次の例は「なら」の前のことばが状態を表していて、その成立を想定してい ます。つまり、「〜たら」や「〜ば」で言うことができます。      暑いなら、上着を脱いでもいいですよ。(=たら/ば)      そんなに暇なら、ちょっと手伝ってくれませんか。(=だったら)      こんなに安いなら、たくさん買えるね。(=たら)       あなたが言わないなら、わたしも言いません。(=ば)   「こんなに安いなら」の例では、現に「安い」という事実が成り立っていて、 そこで話し手の判断が行われています。  以上の例をみて分かるように、「〜なら」の節のもう一つの特徴は、「あな たが言ったこと・すること」や、「今目の前にある事実」が多いということで す。そのことについて、話し手の判断や、意見を言うときに「〜なら」を使う のです。       かわいい妹さんがいるなら、紹介してください。      (「妹がいる」と聞いて)      かわいい妹さんがいたら、紹介してください。      (いるかどうか知らない)

[〜たなら]

 「〜なら」は、述語の過去の形も受けるので、「するなら/したなら」の形 の対立があります。 彼がやるなら、彼に任せよう。      彼がやった(の)なら、彼に責任がある。      三上研究会に出ているなら、山口さんを知っているでしょう。      三上研究会に出ていたなら、山口さんを知っているでしょう。 元気なら、会いたいですね。      元気だったなら、どうしてクラス会に来なかったんでしょうね。  「〜と/ば/たら」は、過去の事実に反する仮定はできますが、過去の事柄 を条件節として何かを言うことはできません。これも「〜なら」に固有の用法 です。      彼がやったら、彼に責任がある。 では、将来のこと、あるいは一般的な判断です。      3時に向こうを出た(の)なら、そろそろ着くころだね。 「3時に出た」というのは、話し手が確実に知っていることではありません。 もし知っていたら、      3時に向こうを出たから、そろそろ着くころだね。 となります。      3時に向こうを出たら、そろそろ着くころだね。 という文はどうでしょうか。私は、少し安定しない感じがしますが。  「〜た」が現在の状況を表す場合。      道に迷った(の)なら、あそこの交番で聞くといいですよ。  これを「〜たら」にすると、「今」のことではなくて、一般的な場合の想定 になります。        道に迷ったら、交番で道を聞くといいです。

[〜のなら・〜のだったら]

 初めに述べたように、一部の用法を除いて、「〜なら」は「〜のなら」にし ても同じです。例によっては多少の違いを感じますが、それが、用法としての 違いなのか、単なる語呂の良さのようなものなのかはっきりしません。今はと りあえず同じものとしておきます。  そして、前に「〜たら」のところで触れたように、「〜のだ」を受けた「〜 たら」つまり「〜のだったら」は、「〜(の)なら」とほとんど同じです。  これまでの「〜なら」の例はみな「〜のだったら」で言うことができます。      パソコンを買うなら、この店がいいですよ。 パソコンを買うのだったら、この店がいいですよ。 それでいいのなら、そうしましょう。      それでいいんだったら、そうしましょう。      私がやるんだったら、もう少し時間をもらわないと。      別れるんだったら早く別れなさいよ。      おいしくないんだったら食べなくていいよ。  この「〜んだったら」の形は話しことばで非常によく使われます。

[反事実]

 「〜なら」は、事実に反することを言う場合にも、「〜と/ば/たら」とは 違った特徴があります。  まず、「〜ば/たら」の反事実の言い方を復習しましょう。      電話してくれたら/くれれば 迎えに行ったのに。   実際は「電話」も「迎えに行く」こともなかった、つまり条件節も主節も 事実と違うのが、「〜ば/たら」の「反事実」の用法です。事実と違うことを した場合を想定して、もっと違う結果であるはずだった、というのです。  では、「〜なら」の場合。 こんなに荷物があったのなら、駅まで迎えに行ったのに。 「荷物があった」のは事実です。「迎えに行った」というのは事実に反します。  「〜なら」の「反事実」の用法は、事実を条件節で述べて、そのような前提 からは次のような内容が出てくるべきだ、ということで事実と違う主節を述べ ます。これは他の形式では言えない内容なので、「〜なら」の重要な用法です。 (上の電話の例で「電話してくれたなら」とも言えますが、これは「×電話し てくれたのなら」と言えません。次のページを見て下さい)  自分の行動についての後悔や、相手の行動に対する(軽い)非難などを表すた めによく使われます。 家を建てるのなら、いい大工さんを紹介してあげたのに。 こんな安くなるのなら、株なんか買うんじゃなかった。  上の例の「建てる」は「建てた」とは言えません。「建てるつもりだった時 に相談してくれれば」という気持ちです。事実としては、今、すでに建ってい るか、建築途中です。  「〜なら」は「するなら/したなら」の対立があるので、どちらの形にするか 注意して選ばなければなりません。  主節全体が「反事実」なのではありませんが、「V−てほしかった」のよう な、事実と違う行動を相手に期待していたという意味を表す形が主節に来る場 合が多くあります。      おいしくなかったのなら、そう言ってよ。知らないから、あたしも      買っちゃったわ。       困っちゃうなあ。来るなら先に電話しておいてよ。      見たのなら、そう証言してくれればよかったのに。      どうせあたしをだますなら 死ぬまでだましてほしかった  なお、「〜のだったら」の形は「〜なら」と同じになります。   来るのだったら、駅まで迎えに行ったのに。      彼が好きだったんなら、はっきりそう言えばよかったじゃない。黙      っているから、あんな女にとられちゃったのよ。 彼が好きなんだったら、はっきりそう言えばよかったじゃない。 「だったのなら」「なのだったら」という形の違いに注意して下さい。

[「〜のなら」が言えない用法]

 「〜なら」はほとんどの場合「〜のなら」とも言えます(多少の自然さの違い はあります)が、次の用法は特別です。「〜のなら」では不自然です。      この実験に失敗したなら、二度とチャンスは来ないぞ。        彼女と結婚できたなら、きっと幸せな家庭を築くだろう。(将来)   このまま強い雨が続いたなら、洪水の恐れが大きくなる。      ジョニーが来たなら伝えてよ 二時間待ってたと    これらの例はみな「A→B」の順序になっていて、「〜ば/たら」で言い換 えることができるもので、そのほうが自然な話しことばになります。また、例 は「〜たなら」にしましたが、「〜るなら」でも言えます。      このまま強い雨が続くなら、洪水の恐れが大きくなる。  上の「彼女と結婚できたなら〜」の例は、将来の事柄です。過去のこと、つ まり、結婚しそうだったがその後どうなったか知らない、というような文脈な ら、すでにとりあげた「〜たなら」と同じ用法で、「〜たのなら」にできます。      彼女と結婚できたのなら、きっと幸せな家庭を築いただろう。  主節のムードが意志や命令・勧めなどに限らない点も、すでに述べた用法と は違います。  事実に反する仮想の場合。ちょっと大げさな感じがします。 あの時、あなたに会わなかったなら、今の幸せはつかめなかったで      しょう。(=会わなければ/会わなかったら)      もしも私が家を建てたなら、小さな家を建てたでしょう。 実際は「会った」し、「幸せをつかんだ」わけで、条件節も主節も事実に反 します。「〜ば/たら」の用法と同じです。  次の例は二つの意味になります。      これが好きなら、もっとあげたのに。  実際に好きだったけれども、そう言わなかったのでもうなくなってしまった 場合と、実際には好きでなかったのであげられなかったという場合です。食事 のあとで親が小さな子どもに言っている場面を想像して下さい。「〜なら」の 二つの用法の違いによります。

[ものなら]

 形式名詞の「もの」を付けた形は、多く可能表現を受けて、そうなる可能性 の少ない事柄の実現を条件とすることを表します。      生きられるものなら、100まで生きてみたい。 あいつを助けてやれるものなら、何でもするんだが。      あんたにできるものならやってごらん。      がんばって何とかなるものなら、ぜひやってみるべきだ。      忘れられるものならば もう旅になど出ない  「〜なら」でも言えますが、気持ちのこもり方が違います。      あんたにできるならやってごらん。  「〜ものなら」のほうは、「どうせできないだろうけど」という反語の気持 ちが感じられます。

[V−(よ)うものなら]

Aはやはり起こりそうもないことで、Bは何か大変なことが起こることを表 します。少し大げさな表現です。      ちょっとでも口答えなんかしようものなら、うちから追い出されて      しまうよ。      そんなことを言おうものなら、社長の雷が落ちるよ。 この時期に雪でも降ろうものなら、農作物が大被害を受けるだろう。  この文型で注意すべきことは、「〜たら」で言えることです。逆に「〜なら」 では言えません。事柄の起こる順序は「A→B」です。      以上の4つの形「と/ば/たら/なら」が、条件表現の中でいつも問題にな るものですが、ほかにもいくつか条件を表す形があります。それを見てみまし ょう。まず、基本的な「逆接」の条件を表す「〜ても」から。

49.6 〜ても

 
   逆接の条件表現です。形は「テ形+も」で、「〜てもいいです」の「〜ても」 の部分と、「〜なくてもいい」の「〜なくても」の部分と同じです。      書いても 書かなくても   高くても 高くなくても      暇/雨 でも   暇/雨 でなくても  「〜ても」の用法を、「〜て」と結びつけて考えてみます。「〜ても」はあ る事態を想定して、その状況でどうなるかを述べる表現ですが、他の事態が前 提としてあって、それと同じようなことになることを述べます。    a 明日の集会は、口うるさいMさんが来て、大変な会になるだろう。 b ひねくれ屋のUさんが来ても、また大変だ。 aの「Mさんが来る→大変だ」に付け加えて、「Uさんが来る→それも大変 だ」という気持ちで、「来て」に「も」が付いて「来ても」となっています。 名詞の場合の「AもBも」のように、いくつかの事態を並列することができま す。      少し高くても、多少大きくても、問題はありません。  否定と並べることもできます。      数学ができても、できなくても、大したことではない。  「〜たら/ば/と」の反対の条件を受けることもできます。      安かったら、買います。      私は、高くても、買います。  このような例が教科書でいちばんよく使われる例ですが、意味は、「〜たら」 の裏側と考えると、わかります。      高かったら、買いません。/高くても、買います。      暇だったら、行きます。/暇でも、行きません。      見たら、わかります。/見ても、わかりません。      見なかったら、わかりません。/見なくても、わかります。  常識的な考え方に従えば、      高い → 買わない    暇だ → 行く         見る → わかる     見ない → わからない になるのですが、そこで、あえて逆の考え方をするのが「〜ても」です。      高い →(けれども)買う  暇だ →(けれども)行かない      見る →(けれども)わからない      見ない →(けれども)わかる  これはちょうど「〜ので」に対する「〜のに」の関係に似ています。      お金持ちになったので、うれしい。      お金持ちになったのに、うれしくない。  しかし、この「〜のに」や上のかっこの中の「けれども」と違うところは、 上の例の「〜ても」は「仮定」の事柄についても言える点です。「高い」かど うかはわからないし、まだ「見て」いないのです。そこが、「仮定条件の逆接」 であるゆえんです。  本当に「高かった」り、「見た」後では、      高くても、買った。      見ても、わからなかった。 などとなります。過去に使える点でも「〜たら」に対応します。      高い → 買わない    見る → わかる ということを予想して、例えば「見たらわかるだろう」という考えを持ってい たのですが、実際は、      見た →(けれども)わからなかった という、予想と違う事実になって、それを表現したものです。これも、次の 「〜たら」と対応する表現です。      見たら、(やっぱり)わかった。 というより、むしろ次の表現に近いと言った方がいいでしょうか。      見たけれども、わからなかった。 この「けれども」との違いは、先ほどの「見る→わかる」という論理がよりは っきりと前提になっていた、あるいは仮定されていた、という違いでしょう。  「〜ても」が過去の事実について使われる場合で、「高くても」のような状 態性の述語の場合は、「〜たら」では言えません。「〜たら」で言える過去の 事がらは、動作動詞で表される事がらです。「高かった」のような形容詞では だめです。また、主節は話し手の意志動作ではありません。     ×高かったら、買いませんでした。 cf. 値上げしたら、誰も買いませんでした。(過去の事実)  これが、事実でなくて、「反事実」なら言えます。本当はそうでなかったの だけれども、そうだったと仮定して、という場合です。      そうですねえ。高かったら買いませんでしたねえ。(実際は買った)  「〜ても」も「反事実」に使えます。      高くても買ったでしょう。  事実は、「高くなかった。買った」です。これは、「〜たら」と対応してい ます。      説明を聞いても、わからなかったでしょう。      説明を聞いたら、わかったでしょう。(本当は聞かなかった。だか      ら、わからなかった。)  形容詞の場合。      暇でも、行かなかっただろう。(事実は、忙しく、行かなかった)      暇だったら、行っただろう。(事実は、忙しく、行かなかった)  この場合は、「〜たら」でも言えます。先ほどの「高かったら」の例と同じ です。  次の例はちょっと特殊です。      そんなことを今更言われても困りますねえ。  「言われても困る」と言うより、「言われたら困る」、あるいは、次にとり あげる「〜ては」を使って、「言われては困る」としたほうが論理的に合うよ うな気がしますが、ともかくこういう言い方があります。  後を省略して、      そんなこと言われてもねえ。 だけでもよく使われます。

[いくら・どんなに]

 「どんなに」「いくら」などを使って、程度を強調する表現があります。      どんなに苦しくても、最後まで走ります。      いくらよく見ても、わからなかった。 「何」「誰」などの疑問語を使うと、不定語の「何でも」「誰でも」に近い 意味になります。「どの場合でも」つまり「すべての場合に」です。      何が起こっても、責任は私がとります。 誰が来ても、中には入れません。      どの方法でやっても、うまくできませんでした。  これは「〜けれども/のに」では言えません。  ×いくらよく見たけれども、わからなかった。(×見たのに)  完全に、徹底的に見たけれども、わからなかった。

[たとえ]

 「〜たら」には「もし」という仮定を表す副詞が使えますが、「〜ても」に は「たとえ」という副詞があります。 たとえ雪が降っても、試合は行います。  「たとえ」は仮定の場合ですから、「〜のに」「〜けれども」とは使えませ ん。「たとえ」は過去の事実には使えません。   たとえ死んでも、お前を離しはしない。      たとえ殺されても、秘密を話さない。(殺されたら話す?) これはもちろん「たとえ=比喩」です。 

[〜たって]

 「〜ても」のくだけた話しことばの形です。形の作り方は、テ形のテのとこ ろに「たって」を入れます。イ形容詞の形に注意して下さい。      話す → 話したって   死ぬ → 死んだって      見る → 見たって    寝る → 寝たって      する → したって    来る → 来たって      長い → 長くたって   いい → よくたって      暇だ → 暇だって    雨だ → 雨だって  タ形に「って」をつければよさそうなものですが、イ形容詞が違うのでそう は言えません。「長かったって」という形も聞くかもしれませんが、一般的と は言えません。否定を受ける形は「〜なくたって」です。 (「長かったって言ってた」の「って」は、引用の「〜と」の口語形で、ここ の「〜って」とはまったく別の形式です。)  意味用法は「〜ても」とほとんど変わりません。      死んだって、話さない。      君はよくたって、僕には困るんだ。      いくら元気だって、老人にそんなことをさせちゃ危ないよ。      子どもだってわかります。  接続詞の「でも」に対して「だって」があるところまで同じですが、その意 味・用法は少し違ってきます。(→「 」) だって、そうじゃありませんか。

[V−(よ)うと/が]

 動詞の意志形に「と」または「が」が続く形が「〜ても」と同じような意味 を表します。硬い言いかたです。 右へ行こうと、左へ行こうと、それは君の勝手だ。      授業中にマンガを読もうが、寝ていようが、先生は注意をしない。      何を言おうと自由ですが、自分のことばに責任を持って下さい。      あいつがどこで何をしようが、俺には関係ないことだ。      どんなにがんばろうと、彼女を超えることはできない。 

[V−(よ)うとV−まいと/V−(よ)うがV−まいが]

 「しようとしまいと/しようがしまいが」という形で、「してもしなくても」 の意味を表します。  ホームに駅員がいようといまいと、事故が起きるときは起きるさ。 生徒が寝ていようが、マンガを読んでいようが、あの先生はぜんぜ      ん気にしないでしゃべっている。 金があろうとあるまいと、借りたものは返してもらおうか。 (あろうとなかろうと)  最後の例は、「ない」の推量形を使った形もかっこに示しておきました。

[〜にしろ/せよ]

上の文型に似て、「V−にしても」の意味を表しますが、こちらは命令形を 使います。      どちらを選ぶにしろ、それぞれの特徴をつかんでおくことだ。      どんな男と結婚するにせよ、自分の夢を捨てないことだ。      やるにせよ、やらないにせよ、前もって連絡してほしい。

49.7 〜ては/のでは

 並列の「〜て」に「は」がついた形が「〜ては」で、それが「〜の」による 名詞節を受けて「〜では」になった形が「〜のでは」だと言えますが、意味は また別に考えねばなりません。

49.7.1 〜ては

 「〜たら」に近い表現ですが、後に否定的な内容が来ます。「AてはB」の Bが好ましくないことなので、それを引き起こすAを避けるべきだという意味 合いにもなります。  事実の説明なので、主節には意志・命令などのムードは来ません。話しこと ばでは「〜ちゃ/じゃ」になります。      ここにいては危険だ。(ここにいたら危険だ)      お金がなくては何も買えない。      そんなことを言っては罰が当たるよ。      腹が減ってはいくさができない。      無理をしちゃ体に毒だ。早く帰って休みなさい。 (しては)      こんなことで死んじゃ笑いものだよ。 (死んでは)      君にまで辞められては、チームはがたがたになっちゃうよ。      早く出発しなくては間に合わない。      こんなに高くては、とても手が出ません。      こう暑くちゃ、何も考えられないね。 (暑くては)      毎日こんなに暇じゃ申し訳ないね。 (暇では) まだ三年目では、この仕事は任せられない。      子どもじゃ役に立たない。 (子どもでは)  「〜たら」に近いということは、「〜ても」と裏側の関係にあるわけですが、      雨が降ったら行かない。      雨が降っても行く。 に対して、      雨が降っては行けない。 というような場合に使われる点が違います。(「降ったら行けない」も可)   意志の入った判断ではなく、否定的な状況にならざるをえない、ということ を主節が表します。  なお、繰り返しを表す「V−ては」は別の表現です。      原稿用紙に数行書いては、破って捨てるということを繰り返していた。      宝くじを買っては、当選したときのことを夢見ていた。      たまに来て、さんざんグチを言っては帰っていく。 寄せては返す波の音

49.7.2 〜のでは

 「〜ては」にかなり近い表現ですが、微妙に制限が違います。形の上では、 述語を「の」で名詞化し、「〜ては」がついた形となります。(名詞文の「だ」 ですから「では」になります)      そんなことを言っていたのでは間に合わない。(言っていては/いたら)      君にまで辞められたのでは、まったく困ってしまう。(ては/たら)      このままここにいたのでは危険だ。      こんな所に隠してあったのでは、気づかなかったはずだ。      子どもがみな遠くにいるのでは、さぞかし寂しいだろう。 彼女までがそう言うのでは、もう我々の負けだ。(言ったのでは)      そんな基本的なことも知らないのでは、話にならない。      いくら欲しくても、こんなに高いのではとても手が出ません。      本人がいやなのでは、いくら親が気に入ってもまとまらないよ。      病気なのでは仕方がない。 ×そんなことを言ったのでは、罰が当たるよ。(○言っては)     ×無理をしたのでは体に毒だ。(○しては) 「私も行っていいですか」「あなたがいらっしゃるのでは、ちゃん      と準備しないといけませんね」(?いらっしゃっては)  「〜ては」と互いに言い換えられる例が多いのですが、いくつかは言い換え られません。その制限はよくわかりません。      

49.8 〜とすると/すれば/したら/しても

 「〜と/ば/たら/ても」が「〜とする」を受けた形です。「〜とする」は ムードの一種として前にとりあげました。(→「40.その他のムード」)ある 事柄を条件として設定して、その状況で次の事柄がどうなるかを考えます。  話し手が、その場で、仮定の条件を設定する、という場合に使われます。    1 妖精が三つの願いをかなえてくれるとします。あなたなら、何をお      願いしますか。(現在の状況)    2 来年、大学に入れたとします。あなたは、夏休みに国へ帰りますか。      (未来の状況:その後ですること)   3 来年、大学に進学するとします。この夏休み、あなたはどんな勉強      をしますか。(未来の状況:その前にすること)    4 去年、日本へ留学しなかったとします。あなたは、国で就職したで      しょうか、進学したでしょうか。(過去の状況:その時のこと)   5 去年、日本へ留学しなかったとします。あなたは、いま何をしてい      るでしょうか。(過去の状況:現在のこと)  「A→B」の起こる順序が「Aが成立した後でB」では必ずしもない点で、 「〜なら」に似たところがあります。  ただし、Bの文末は命令や依頼などにはなりませんが。「する(か)」という 現在形の意志表現は使えます。過去の場合は「事実に反する仮定」ができます。  上の例文を他の条件表現で言い換えるとすると、 1’妖精が願いをかなえてくれるなら、〜    2’来年、大学に入れたら、〜    3’来年、大学に進学するなら、〜    4’去年、日本へ留学しなかった(な)ら、〜 5’去年、日本へ留学しなかった(な)ら、〜 という形で一つの文にまとめられます。  「〜とする」をさらに「〜ば」などの条件表現で受けると、「「現在、ある 条件を設定する」という条件の下で」ということになり、発話時の判断という 点で、「〜なら」と近くなります。   

49.8.1 〜とすると/すれば

ある事柄、状況をかりに設定して、そのうえで判断・疑問などを述べます。 主節の内容が、現在の判断なので、「A→B」の前後関係のある単純な「〜と /ば」とは少し意味合いが違ってきます。       もし、二人の間に違いがあるとすれば、それはちょっとした感覚の      差です。(×あれば)       cf. もし、二人の間に違いがあれば、私はすぐ気づいたはずです。       (違いがある→気づく) 「違いがあるとする」と「それは感覚の差だ」とは、時間的にも論理的にも前 後関係はありません。「違いがあれば」のほうは、それを前提として「気づく」 ということが実現するのです。 大地震が起こるとすれば、いつ頃でしょうか。(×起これば) これができる人がいるとすれば、彼女をおいて他にはいない。 (×いれば)  確定した事柄を「条件」として設定することもあります。      (金庫を開け、それがないことを確認してから)ここにないとする      と、いったいどこに隠してあるのだろう。(×ここにないと)  過去のことを仮定する「〜たとする」の形もあります。      彼女がやったとすれば、つじつまが合う。      その時間に沖縄にいたとすれば、犯行時刻に間に合ったはずがない。 「〜とする」のない形でも言えることも多いです。意味がほとんど変わらな い場合と、微妙に違ってくる場合があります。      客が百人来ると、いすが足りないなあ。      客が百人来るとすると、いすが足りないなあ。 計画がうまく行けば、相当なもうけになるはずだ。      計画がうまく行くとすれば、相当なもうけになるはずだ。  これらはほとんど同じでしょう。「A→B」で、Aの結果としてBの事態が 引き起こされるという関係にあるからです。しいて言えば、「〜とする」のほ うが、条件の実現性を多少本気で考えている、と言えるでしょうか。  次の例と比べてみて下さい。    a 飛行機が欠航になれば、列車で行かなければならない。    b 飛行機が欠航になるとすれば、今すぐ列車で行かないといけない。 c 飛行機が欠航になったとすれば、今すぐ列車に乗っても間に合わな      い。  aは将来の仮定で、「欠航」が確定した時点で、列車に乗ることを決断する、 という感じです。つまり、他の方法を考えているだけです。  bは、「欠航」かどうかはまだわからないのですが、その可能性が高く、そ れなら急いで行かないと、という気持ちです。  cは、未確認情報として「欠航」ということが言われていて、それならもう 遅い、というところです。  b、cは「〜なるのなら」「〜なったのなら」と「〜なら」で言いかえるこ とができます。  主節に意志のムードなどは使えません。ここが「〜なら」との違いです。     ×彼がやらないとすると/すれば、私がやります/君がやれ。 彼がやらないのなら/だったら、私がやります/君がやれ。  cf. 彼がやらないとすれば、私がやることになります。 彼がやらなければ、私がやります/君がやれ。  「〜のだったら」は「〜なら」と同じです。Aが否定、つまり状態述語なの で「〜ば」でも言えます。

49.8.2 〜としたら

 「〜とすると/すれば」と違うのは、主節のムードが少し自由なことです。 宝くじで1億円当たったとしたら、どうしますか。     ?宝くじで1億円当たったとすれば/すると、どうしますか。 もし、どちらか選べるとしたら、女の子のほうがいい。      (?とすれば/×とすると)  ただし、意志や命令は少し無理のようです。 ?宝くじで1億円当たったとしたら、一戸建ての家を買おう。  (○当たったら)      1億円当たったとしたら、一戸建ての家を買おうと思います。 「〜と思います」をつけると、いくらか安定します。次は命令の例。 ?代表に選ばれたとしたら、しっかりやりなさい。(○選ばれたら)  以下の例では、「〜とすれば」とほとんど同じです。多少話しことば的です。 この家を建て直すとしたら、いくらぐらいかかるでしょうか。 我々が優勝するとしたら、それは応援して下さったファンのおかげ      です。 え?国松がけがをしたって?敵のエースが投げられないとしたら、      もう勝ったも同然だな。      機械に詳しいあなたが使えないとしたら、使える人はいませんよ。      そんな話を信ずるとしたら、馬鹿ですね。 彼が無実だとしたら、いったい犯人は誰だ?  条件節が仮定の話もあり、かなり確定したものもあります。

49.8.3 〜と/に しても

 次は「〜とする」+「〜ても」ですが、この形の大きな特徴は、「〜にして も」という「に」を使った形でも言えることです。      今日来ると/に しても、夜になりますね。(×来ても)      この部屋の中にあると/にしても、どうやって見つけたらいいのか。      (×あっても)    君の話は信じると/にしても、証言との食い違いをどう考えるかだ。      成績上昇は無理だったと/にしても、現状維持は何とかできた。      この実験を続けると/にしても、やめると/にしても、それなりの      理由づけが必要ですね。(×続けても、やめても)  「〜ても」では言えないものと、言いかえられるものがあります。「〜たら」 などと同じように、「A→B」のAの成立を前提にしているかどうかが関係す るようです。  「〜ても」と同じように、「いくら・どう・どんなに」などが共に使われ、 Aの内容の程度を表すこともよくあります。 いくら時間がかかると/にしても、もう着いていいころですね。      どんなにがんばったとしても、8位がやっとだろう。  事実に反する仮定ができます。 あの時引き返したとしても、遭難は避けられなかったでしょう。      彼女と結婚できたとしても、結局平凡な夫婦になっただろう。      仮に彼女が男だったとしても、採用しないことに変わりはない。   この「〜にしても」は、「〜にせよ/しろ」という形でもほぼ同じ意味にな ります。書きことば的になりますが。      来るにせよ/しろ、来ないにせよ/しろ、電話をかけてほしい。      いつ始めるにせよ/しろ、このことを忘れてはいけない。      どんなに寒かったにせよ/しろ、持ち場を離れてはいけなかった。

49.8.4 〜となると/なれば/なったら

 「〜とする」は仮定の意味がありましたが、「〜となる」にはそういう意味 はありません。たんに、ある状況が生まれることを表すだけです。その状況を 条件として、その状況に対する評価や、必要なことなどを述べます。  「〜となると/なれば/なったら」の違いは特にないようです。主節の述語 には意志や命令は使えません。AとBの順序によって、単純な「〜と/ば/た らでは言えない場合があります。それらは「〜なら」で言いかえられる場合が 多いです。 一人で全部やるとなると、ちょっと大変だ。 家を建て直すとなったら、その間住むところを探さないと。      一人の社会人として生きていくとなれば、そうそう楽しいことばか      りあるわけではない。 有名人を呼ぶとなると、かなり前に頼まなければなりません。 人間、やるしかないとなれば、だいたいのことはできるものだ。 この部品でちょうどいいとなれば、安くあがるぞ。 慣用的な言いかたで「いざとなると/なれば/なったら」があります。

49.9 その他

   条件を表す表現はまだほかにもあります。いくつかをかんたんに見ておきま す。   

49.9.1 V−たところで     

 仮定的な意味合いで、逆接条件の「〜ても」に近くなります。そのことの実 現を仮定して、それでもダメだ、という否定的な意味合いです。「どうせ/結 局」などの副詞がよく使われます。  過去のことについて言う場合も、事実とは違うことを仮定しても、結局同じ 否定的な結果になっただろう、という結論になります。      やってみたところでどうせむだだ。      お金がいくらあったところで、何の足しにもならない。      彼が助けに来たところで、結局助けられなかったさ。 君が行ったところで、どうせだめだったんだから、気にするなよ。

49.9.2 〜かぎり(は)

「同じ状態が続いている」という条件の下で、主節の事柄が起こるというこ とを表します。状態性の述語、および否定の「V−ない」に接続します。  否定の場合は、「そのことが起こらない」という状態を示します。  「〜うちは/あいだは」に言い換えられますが、「A→B」という条件の意 味合いが強く感じられるので、条件表現に入れておきます。 人は、生きている限り、夢を見るものだ。      仕事がある限り、働き続けるつもりだ。      国家が存在する限り、個人は自由になれない。      力の続く限り、がんばります。      あいつが辞めない限り、俺も辞めない。      日本は、法律が変わらない限り、外国人には住みにくい国だ。      彼が自分の罪を認めない限り、情状酌量はないだろう。  次の例は少し違います。「続けているうちは」「建てられない」のです。      反対運動を続けない限り、焼却場を建てられてしまうよ。  また、次の例は「言わない」が状態ではなく、ある一回の動作です。「無理 でないことを言う」のです。「限り」の本来の意味の「限度」に近い用法です。      よほど無理を言わない限り、引き受けてくれるだろう。

49.9.3 〜ばあい(に) 

 何か物事が起こるには時と場所が必要ですが、それ以外にも、その場の状況 というものがあります。それが「場合」です。「時と場合によって」などと、 「とき」と対になった表現もよく使われます。もっと抽象的な状況をさすこと もあります。  例えば、今の「・・・状況をさすことも・・・」の「こと」は「場合」で言い換え られます。      もっと抽象的な状況をさす場合もあります。  この「場合」は何でしょうか。「ある一つの具体的な使われ方」ぐらいでし ょうか。何とも説明のしにくいことばです。  「ばあい」は形式名詞で、「Nの」を受けますが、[ひと]名詞や[もの] 名詞を受ける場合と、[こと]名詞を受ける場合では少し意味合いが違ってき ます。    a 彼の場合  核家族の場合  再生紙の場合    b 故障の場合  再試合の場合  病気の場合  雨の場合 aでは、その名詞に関して何かを問題にするという状況を表します。      核家族の場合は、地域社会とのつながりが弱くなりがちです。  bのほうは、その名詞そのものが何らかの状況を表しています。「ばあい」 が条件表現に近い意味を表します。      再試合の場合は、先攻・後攻を逆にすることになっている。 再試合になったら、〜  もちろん、[もの]名詞でも、次の例のように「Nが」があれば文相当で、 「NがNである」状況を表しています。      材料が木の場合、肌触りはいいが、強度に問題がある。      材料が木だったら、〜      責任者が彼女の場合    出発が夜の場合  「場合」が動詞を受けて一つの事態を表し、主節がそれを前提として成り立 つという関係にあるとき、この「〜場合」は「〜たら」に近くなります。文末 に命令や依頼、意志のムードなどを使うことができます。      雨が降った場合、試合は中止になります。      病気で休んだ場合、試験はどうなるの?        彼がいた場合は、彼に電話させて下さい。彼がいない場合は、あな      たが電話して下さい。      彼女が来なかった場合は、彼に頼もう。      部品が足りない場合は、この番号に電話してください。      君が断った場合、誰が引き受けると思う?  ある特別な「場合」を想定していうことや、いくつかの違った状況を想定し て言うことがよくあります。特別な場合ということで、何かが「うまくいかな かった」ことを想定することが多いです。上の例でも「休む・来ない・足りな い・断る」などになっています。  また、違った状況(「休まない・来る」など)との対比的な意味が強いとい う点は、「〜ば」に似ています。  「は」は対比の意味を加えます。「に」が付くときは「〜には」になること が多いようです。      うまく行かなかった場合には、君に責任をとってもらうよ。  確実に起こることには使えません。     ×春になった場合、花が咲く。     ?右に曲がった場合、駅があります。      僕が死んだ場合は、妻に連絡して下さい。  最後の例で、「僕」は必ずいつかは死ぬのですが、文脈の中で限定されたあ る時間内に死んだ場合、ということです。 「ばあい」は名詞なので、「の」を付けて名詞に続けたり、「を」を付けて 動詞の対象にしたりすることができます。この使い方では、「連体節」の「外 の連体」と考えられます。(→「56.連体節」) うまくいった場合の報酬を楽しみにしている。      彼女が来ない場合のことは考えていません。       計画が失敗した場合を/も 考えて、その用意をしておこう。

49.10 まとめ

 以上、条件を表す形式の用法を見てきました。まだわからないことが多く、 日本語話者はこれらをなんなく使い分けているのかと思うと、人間の言語能力 のすばらしさと、文法研究の不足を痛感します。  それはともかく、これらの形式の使い分けをかんたんにまとめてみます。  まず、話しことばで、「A→B」の順で成り立つことは「〜たら」を使って おけば安全です。「〜ば」や「〜と」は文末のムードに制限があるからです。 もちろん、決まった言い方、例えばことわざの「〜ば」、道順説明での「〜と」 などは別ですが。  「A→B」の順でない場合は、「〜たら」は使えませんから、「〜なら」が 可能かどうか考えます。もちろん、そういう場合にいつも「〜なら」が使える わけではありませんが。「〜とき」や「〜て」など、他の表現との使い分けも 考えなければなりません。      食べるとき、手を洗う。      食べたとき、歯を磨く。      食べるなら、手を洗いなさい。      食べたら、歯を磨きなさい。      食べたら、手を洗いなさい。(意味が違う)      食べたなら、歯を磨きなさい。(「たら」に近い)  「食べるなら」とすると、「食べるつもりなら」という意味合いを感じます。 そして、文末にはある種のムードが来ます。「食べたら」は「食べ終わった」 ことを想定していますが、食べ始める前に言うこともできます。  「食べたなら」は現に食べ終わっているか、その判断が付きかねるときに使 われるでしょう。  過去の事柄の場合。      留学するとき、せんべつをもらった。     ×留学するなら、せんべつをもらった。     ×留学すると、せんべつをもらった。      それを見たとき、びっくりした。      それを見て、びっくりした。      それを見ると、びっくりした。      それを見たら、びっくりした。  「なら」は過去の単なる事実には使えません。「反実仮想」はまた別ですが。 「反実仮想」になると、かなり複雑になることはすでに見ました。  ここで条件表現とそれ以外の表現とを比べてみましょう。「〜と」と「〜て」 の違いは難しいものです。

49.10.1 「〜と」と「〜て」

 過去の「と」は、「〜て、〜」との違いが問題になります。学習者の間違い やすいところです。少し考えてみましょう。       朝起きると、顔を洗った。      朝起きて、顔を洗った。      電車が止まると、ドアが開いた。      電車が止まって、ドアが開いた。 電車が止まり、ドアが開いた。  主節と従属節の主体が同じ場合は、「AてB」のA、Bは一続き・ひとまと まりの動きになります。「何をしたか」−「起きて、顔を洗った」という対応 になります。  それに対して、「AとB」のほうは、一続きの動きですが、ひとまとまりの 動きではありません。「と」で分けられています。「〜と」のあと、どういう ことが起こったかを表しています。「朝起きると、何をしたか」−「顔を洗っ た」という対応です。  「電車が止まる」と「ドアが開く」も、「と」で結ばれると、一応べつべつ の事柄です。ですから、「と」はかなり別の動きをつなぐことができます。      電車が止まると、乗客が乗り込んだ。      電車が止まると、盛大な拍手がわき起こった。 電車が止まると、猿が木から屋根に飛び移った。 電車が止まると、突然非常ベルが鳴り響いた。 「て」の場合は、ひとつづき・ひとまとまりの動きですから、以上の例文の いくつかは、「〜て」にすると不自然になります。 動作が3つの場合を考えてみましょう。      朝起きて、顔を洗って、歯を磨いた。 ×朝起きると、顔を洗うと、歯を磨いた。      朝起きると、顔を洗って歯を磨いた。  「〜と」を一つの文で2回使うことはできません。「〜と」は一つの文を二 つに分けて、前の動作のあと、どうしたか・どうなったかを述べる文です。  「〜て」のように、次々と起こることを述べていく形式ではありません。    「〜と」と「〜て」がよく一緒に使われるのが、道案内の表現です。   この道をまっすぐ行って、右に曲がると、駅があります。  道案内ですから、あとには目標物の存在が来ます。「動作」、その結果とし てのものの発見、と言えば「〜と」のお得意の領域です。その前の、いくつか の動作の連続は「〜て」で表されます。この交替がうまく行かない例が、初級 の学習者にはよく見られます。     ×この道をまっすぐ行って、右に曲がって、駅があります。     ×駅の前の道をまっすぐ行くと、三つ目の角で曲がります。  これは、文の連続の場合の「すると」と「そして」の使い分けにもつながり ます。(→「64.文の接続」) 

49.10.2 〜とき

「〜とき」は「48.時」の中で見ましたが、条件表現と非常に近い使い方が あります。時間を示すというより、ある状況を示します。      私が時間までに戻らなかった時には、先に行ってください。 私が時間までに戻らなかったら、先に行ってください。  将来、従属節のことが成り立った状態を仮定して、主節のことが述べられて います。この「とき」は「ばあい」で置き換えられ、「戻らなかったら」でも ほとんど同じです。「もし、〜時には、〜」という言い方すら可能でしょう。 (「あれはいつ返してくれるんですか?」)      明日、式が終わった時に、すぐお返しします。 明日、式が終わったら、すぐお返しします。  この「〜たら」は、ほとんど確実に起こるはずのことを述べています。この 例では「〜たら」のほうが自然です。  過去の場合。個別的なことと、習慣的なこと。      彼女は、ガス漏れに気付いた時、すぐに窓を開けた。      彼女は、ガス漏れに気付くと、すぐに窓を開けた。 彼は、めんどうなことになった時は、いつも私のところに来た。      彼は、めんどうなことになると、いつも私のところに来た。  この違いはどう考えたらいいでしょうか。上の例を否定にしてみます。      彼女は、ガス漏れに気づいた時、すぐには窓を開けなかった。     ?彼女は、ガス漏れに気づくと、すぐには窓を開けなかった。 継起的な動作は、否定にすると不自然です。「とき」は、やはり単に時を示 すだけ、であるようです。習慣的なことのほうは、違いがよくわかりません。

49.10.3 「は」と「が」

 条件節には「は」は入りません。主体が違う場合は、「が−が」「が−は」 になります。      秋が来れば、葉が落ちる。      私が専門バカなら、君たちはただのバカだ。  主体が同じ場合は、主節は「Nは」になることが多いのですが、条件節に 「Nが」が必要な場合は、そのままそれが全体の主体を表すことがあります。      私が男だったら、もっと女の能力を引き出すようにするんだけど。  同じ「Nが」がまた主節に使われることもあります。      彼が委員会に入っているのなら、結局彼が全部やらされるだろう。

[条件と時・理由・目的との関係]

   条件表現を成り立たせているAとBの関係は、この後で見ていく「理由」や 「目的」の表現にも密接な関係があります。それを見てみましょう。  まず分かりやすい例から、      がけ崩れで列車が止まった。 「がけ崩れ」は原因を示す補語です。      がけ崩れが列車を止めた。 とすると、「止めた」主体を表しますが、翻訳調です。  形式名詞を使って、      がけ崩れのために/のせいで 列車が止まった。 とすることもできます。  以上の例では、「がけ崩れ」を名詞で表しているので、言い換えれば、一つ の事柄に名前をつけて、その事がらを表すのにその名前を使っているので、文 の形としては単文になっています。  同じ事柄を、「がけが崩れた」と文の形で表すこともできます。一つの事柄 全体に名前をつけて呼ぶのではなく、その事柄を補語(主体)と述語に分けて、 動きのある現象として表現するのです。  そうすると、上の文は、      がけが崩れ、列車が止まった。      がけが崩れて、列車が止まった。 のようになります。「崩れた」ことと、「止まった」ことをそのままつなぐ形 式としては、上の「並列」の表現が最も基本的でしょう。  事柄Aがあり、そして事柄Bがある(時間的には前後か同時かはわかりませ んが、論理的には一応前後の関係があります。)  こうすると、上の単文の「がけ崩れで」のようなはっきりとした「原因」の 意味合いは薄れてしまいますが。  それをはっきり言うには、      がけが崩れたので、列車が止まった。      がけが崩れたから、列車が止まった。 などの形があります。これらは「崩れた」ことと「止まった」ことを原因−結 果の関係として話し手がとらえたことを表しています。  「ので」や「から」の表現は、「電車が止まった」という事柄の原因を問う 「なぜ」に対する答えであるとも言えます。  さて、ここで「なぜ」ではなく、「いつ」という問いを出すこともできます。 「いつ列車が止まったか」という問いに対しては、      がけが崩れた時に、電車が止まった。 という形で答えることができます。これは「原因」の表現から離れて、「時」 の表現です。これもまた、「がけが崩れた」と「電車が止まった」という二つ の事柄を関係づけた文だと言えます。                    上の「時」の文は、ある一回の事柄の表現ですが、同じことが何度か繰り返 され、      (この前)がけが崩れた時に、電車が止まった。      (今回)がけが崩れた時にも、電車が止まった。     (将来)がけが崩れた時にも、電車が止まるだろう。 となると、この関係を一般化することができます。すなわち、      がけが崩れると(崩れれば)、電車が止まる。  「時」の表現から「条件」の表現になりました。「崩れる」ことと「止まる」 ことを「条件−帰結」の関係としてとらえています。  個別の事柄から、一般化されて条件が取り出されています。そしてそれはま た個別の事柄にも逆に使われます。      今度がけが崩れたら、また電車が止まるだろう。  初めの「原因」の文も、      がけが崩れたので、電車が止まった。 上の「条件−帰結」の関係を認めることによって成り立つ表現です。      薬を飲んだから、風邪が治った。 という文は、      薬を飲む → 風邪が治る     (薬を飲めば、風邪が治る) という関係があることを認めている話し手によってのみ、使うことができるのです。  そのことは、      神様にお祈りしたから、風邪が治った。 のような文を考えれば、もっとはっきりするでしょう。その「神様」を信じていない 医者に言わせれば、      冗談じゃない。私があげた薬を飲んだから、風邪が治ったんだ。 となるし、医者を信じない皮肉屋なら、      何を言う。かかって一週間たったから、自然に治ったんだ。風邪な      んてものは薬を飲まなくても、一週間たてば自然に治るんだ。 と言うかもしれません。     「原因−結果」の文は、「条件−帰結」の関係が底にあるのだということを 述べてきましたが、これは「目的」の表現にも言えることです。      薬を飲んだために、風邪が治った。      風邪を治すために、薬を飲んだ。 はちょうど裏表の関係です。「薬をのむ」のは、      薬をのむ → 風邪が治る (飲めば、治る) という関係があることを信じていればこそです。      大学に入るために、一生懸命勉強した。      大学に入るために、教授に金を渡した。  さて、「原因・理由」、「目的」の表現は、その底に「条件」の表現がある と考えられることを見てきました。そして、「条件」は「時」の個別的な表現 の一般化であるとも考えました。  「時」の表現は、いちおう事実関係を表しているといえますが、条件、そし てそれに基づく目的や原因の表現は、二つの事柄の間にある関係を、話し手が 想定することにより成り立ちます。      Aさんが話し始めた時、Bさんがいやな顔をした。 「いやな顔をした」のは、急におなかが痛くなったからかもしれませんが、何 にせよ、ちょうど「話し始めた時」であったということは(話し手の観察が正 しければ)間違いではありません。それに対して、      Aさんが話し始めると、Bさんは(いつも)いやな顔をする。 と話し手が長年の観察に基づいて思っていれば、      Aさんが話し始めたので、Bさんがいやな顔をした。 と言うことができます。  以上、時の表現と条件の関係、そして理由や目的表現は、その底に条件表現 によって表される論理関係があり、それを認める社会・人によってのみ意味を 持つことを見てきました。 [参考文献] グループ・ジャマシイ編著1998『日本語文型辞典』くろしお出版   寺村秀夫1981『日本語の文法(下)』国立国語研究所        仁田義雄編1995『複文の研究(上)』『複文の研究(下)』くろしお出版 益岡隆志1997『複文』くろしお出版  森田良行・松木正恵1989『日本語表現文型』アルク出版      有田節子1996「ハのdomain設定機能とテハ構文の二つの解釈」小泉古稀記念『言語探求の領域』 有田節子1999「プロトタイプから見た日本語の条件文」『言語研究』11 有田節子1999「テハ構文の二つの解釈について」『国語学』199集 今泉喜一1986「「と、ば、たら、なら」を体系的にとらえる試み」MBK発表資料 奥田靖雄1986「条件付けを表現するつきそい・あわせ文−その体系性をめぐって−」『教育国語』87むぎ書房 小野純一1998「仮定条件を表す「−トキハ」の成立条件について−「−タラ」「−ト」との比較を通して−」『ことばの科学』11名古屋大学言語文化部言語文化研究会 言語学研究会・構文論グループ1985「条件付けを表現するつきそい・あわせ文(二)」『教育国語』82むぎ書房 言語学研究会・構文論グループ1985「条件付けを表現するつきそい・あわせ文(三)」『教育国語』83むぎ書房 小泉保1987「譲歩文について」『言語研究』91 江田すみれ1991「複合辞による条件の表現機屬箸覆襪函廚琉嫐と機能」『日本語教育』75 江田すみれ1991「複合辞による条件の表現機屬箸覆襪函廚琉嫐と機能」4『日本語教育』75 江田すみれ1992「複合辞による条件の表現供檗屬函廖屬垢襪函廖屬箸覆襪函廚琉嫐と機能について−」『日本語教育』78 江田すみれ1994「複合辞による条件の表現−「は」「とすれば」−」『日本語教育』83 江田すみれ1998「条件を表す複合辞「とすると」「とすれば」「としたら」の共通性と相違点について」『日本語教育』99 小矢野哲夫1997「うらめ条件−接続のモダリティ副詞−「たとえ」の使用条件」『日本語文法 体系と方法』 ひつじ書房 周馥卿「日本語の条件表現」筑波? 鈴木義和「接続助詞「と」の用法と意味」 田中寛1985「条件表現における提題化機能」『日本語教育』57 田中寛「ナラ節条件文における発話意図−前提情報と事態認識−」『語学教育研究論叢』18大東文化大学 田中寛「条件表現と発話機能−慣用的側面をめぐって−」大東文化? 田仁淑1989「条件節をともなう複文」『日本語学科年報』11東京外国語大学 戸村佳代1988「日本語における二つのタイプの譲歩文−「ノニ」と「テモ」−」『文藝言語研究言語篇』15筑波大学 豊田豊子1985「「と、ば、たら、なら」の用法の調査とその結果」『日本語教育』56 豊田豊子1987「条件」『NAFL Institute 日本語教師養成通信講座 B-3 日本語の文法(3)』 中島信夫1989「日本語の条件文「・・・ナラ・・・」について」『甲南大学紀要文学編』73 長野ゆり1998「仮定を表す「〜てみろ」の用法について」『日本語教育』96 仁田義雄1987「条件づけとその周辺」『日本語学』9月号明治書院 蓮沼昭子1985「「ナラ」と「トスレバ」」『日本語教育』56 蓮沼昭子1987「条件文における日常的推論−「テハ」と「バ」の選択要因をめぐって−」『国語学』150 濱田留美 「接続の「と」と「て」の間」 前田直子1991「条件文分類の一考察」『日本語学科年報』13東京外国語大学 前田直子1990「「論理文」の体系性−条件文・理由文・逆条件文をめぐって−」『日本学報』9大阪大学 前田直子1995「ト、バ、タラ、ナラ」宮島他編『類義下』くろしお出版 前田直子1998「非仮定的な事態を接続するト・タラ文の意味・用法」東京大学留学生センター紀要第8号』 渡邉文生1991「「〜した場合」構文の意味特徴」『計量国語学』第十八巻第一号 Noriko Akatsuka「Conditionals and the Epistemic Scale」Language? 丹羽哲也「仮定条件と主題、対比」 網浜信乃1990「条件節と理由節−ナラとカラの対比を中心に−」『待兼論叢 日本学篇』24大阪大学文学部 田中寛1989?「逆接の条件文<ても>をめぐって」『日本語教育』67 加藤理恵1998「「時」を表す「たら」と「と」について」『日本語教育』97 長野ゆり1993「仮定を表す「〜てみろ」の用法について」『現代日本語研究』3大阪大学 長野ゆり1994「「〜てみる」の用法の一側面」『現代日本語研究』1大阪大学 蓮沼昭子1993「「たら」と「と」の事実的用法をめぐって」益岡隆志編『日本語の条件表現』くろしお出版 蓮沼昭子1987「条件文における日常的推論−「テハ」と「バ」の選択要因をめぐって」国語学150集