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 32. 勧誘・意志 

     32.1 V−ましょう   32.2 V−ましょうか   32.3 V−ませんか   32.4 V−(よ)う  32.5 V−(よ)うか   32.6 V−(よ)うと思う 32.7 V−つもりだ  32.8 V−(よ)うとする 32.9 V−ことにする 32.10 V−まい 32.11 する・しない 32.1 V−マショウ [勧誘][和らげた指示][申し出][承諾][意志] 32.2 V−マショウカ 32.3 V−ナイ/マセン(カ) 32.4 V-(ヨ)ウ 32.4.1 意志形の作り方 32.4.2 意味・用法 [意志][承諾][申し出][勧誘] 32.5 V-(ヨ)ウカ [V-(よ)うじゃないか] 32.6 V-(ヨ)ウト思ウ [V-(よ)うとは思わなかった] 32.7 V−ツモリダ 32.8 V−(ヨ)ウトスル 32.9 V−コトニスル/ナル 32.10 V−マイ 32.11 スル・シナイ       勧誘表現と意志表現について考えます。どちらも「V-(よ)う/-ましょう」 がもっとも代表的な文型です。人を誘うことと、自分の意志を表わすことでは 正反対のことのような気もしますが、実は密接なつながりがあるのです。動詞 は、人間の意志的動作を表す動詞に限ります。  意志形「V-(よ)う」(行こう・食べよう、など)と「V−ましょう」(行き ましょう・食べましょう、など)は、勧誘に関しては同じ意味を表わし、丁寧 さが違うもの(普通体と丁寧体)と考えればいいでしょう。  日本語教科書によく出てくる勧誘表現としては、「V−ましょう(か)」のほ かに「V−ませんか」があります。どちらも形の作り方がかんたん(「−ます」 を変化させるだけ)なので、初級の早くから出されることが多いようです。   それぞれの普通体の形は「V-(よ)う(か)」「V−ないか」になります。こち らは活用形の形作りの難しさがありますから、初級の後ろの方になります。      明日(いっしょに)映画を見に行きましょう。(見に行こう)      さて、そろそろ始めましょう。(始めよう) では、こうしましょう。(こうしよう)      いっしょに歌いませんか。(歌わないか)      私のうちへ来ませんか。(来ないか)      これにしませんか。(しないか)  話し手の意志を表わす表現には、「V−(よ)う/−ましょう」のほかに「V −(よ)う(と思う)」「V−(る)つもりだ」などがあります。また、意志動詞の 現在形自体も意志を表わします。      そろそろ始めようと思います。      来年行くつもりです。      私は行きます(行きません)。  また、「V−ましょう」が「V−(よ)う」と違う点として、話し手の自発的 な意志を表せないということがあります。      よし、もうやめよう。(自分に対するかけ声として)     ×もうやめましょう。 (    〃       ) 「ましょう」にすると、どうしても聞き手に対することばになってしまいます。  勧誘・意志の表現は文末のイントネーションによって意味が微妙に変ります。 また、文脈と、主体が誰であるかによって「申し出」や「遠回しな命令」とい った意味にもなります。これらの点で、学習者にとって非常に難しいものです。  では、それぞれの形の意味・用法を少しくわく見ていきましょう。  まず、丁寧体の表現から。

32.1 V−ましょう

                        国文法では、「ましょう」は「ます」の「未然形」に「う」がついた形、と いうことになりますが、ここでは「ます」の「意志形」にあたるものと考えま す。「行こう」が「行く」の意志形であるように、「行きましょう」は「行き ます」の意志形にあたります。(「推量」の例は「38.9 V−(よ)う/ましょ う」を見てください)  まず、もっとも一般的な「勧誘」を表わす場合からみていきます。文脈と主 体の違いによって「勧誘」以外の意味にもなります。

 隆誘]

 「勧誘」とは「勧める」ことと「誘う」ことですが、もう少し広く「提案」 という場合も含みます。      明日(いっしょに)映画を見に行きましょう。      では、そろそろ委員会を始めましょう。  「映画」のほうはたしかに「誘って」いますが、「委員会を始める」ように 「誘う」というのは少し変です。      やっぱりこれにしましょう。 というのも、「勧誘」という語感から少しずれています。が、これらを含めて 「勧誘」と呼んでおくことにします。  この表現は「勧誘」とは言うものの、自分の提案を主張するだけで、相手の 考えを考慮していません。場合によっては、一方的な言い方だ、ということに もなりかねません。そこが、後でとりあげる「V−ませんか」との違いです。      では、始めましょう。  授業を始める時に先生がこう言ったとすると、かなり一方的な宣言で、「始 めます」と言っても同じです。「−ましょう」の形にして調子を和らげている だけです。  これはイントネーションも関係します。強くうながす言い方では、      始めましょう。↓ と、短めに、早く下がります。これを長く伸ばして、      始めましょ−う。→ とすると、たくさんの人に呼び掛けている感じになります。また、      始めましょ(う)?↑ と語尾を上げると、女性同士の会話によくあるような、相手の気持ちに寄り添 うような感じになります。       動作の具体的な内容としては、例1のように将来のことでも、例2のような これからすぐのこと(今現在の行動の勧め)でも表わせます。後の場合、この 言葉自体が行動開始を意味するわけです。 また、上の例は新たな動作をいっしょに始めることの誘いですが、話し手が すでにしていることに誘い入れる場合も使えます。      さあ、こっちに来て、一緒に歌いましょう。  勧誘の場合は、終助詞の「ね・よ」をつけることができます。      明日、必ずやりましょうね。↑/↓(上昇・下降両方あり)       これにしましょうよ。↓    「ね」「よ」を付けると、多少女性的な感じがしますが、どうでしょうか。      まあ、そう言わないで。もう少しやりましょうよ。 とすると、そうでもありませんが。「ね」の場合は、上昇調のほうが女性的に 感じます。「確認」の意味あいが強く出ることと関係があるのでしょうか。 また、新しく思いついた提案には「ね」を付けられないようです。「ね」は すでに話題に出たことの確認に使われます。      そうだ、来週の月曜にしましょう。     ?そうだ、来週の月曜にしましょうね。 相手の誘いに乗る場合も「V−ましょう」が使えます。      「一緒にやりませんか」「ええ、やりましょう」

◆力造蕕欧浸惻─

 勧誘のように「V−ましょう」と言いながら、実際に動作をするのは聞き手 だけで、話し手は一緒にやりません。遠回しな命令、と言ってもいいかもしれ ません。先生がよく使います。終助詞の「ね」をつけると、小さな子どもに言 っているようです。      次に、この漢字を練習しましょう。↓      ごはんの前には手を洗いましょうね。↑(子どもに対して)  日本語の教室でもよく使われる言い方です。「ね」はつけませんが。

[申し出]

 「V−ましょう」が勧誘になるのは、動作主体が「私たち(私とあなた)」の 場合で、もし動作主体が「あなた」を含まない「私(たち)」だけだと「申し出」 の意味になります。「−ます」でも言えますが、「−ましょう」のほうが柔ら かくなります。イントネーションは下降調です。      (やる人がいないのなら)私がその仕事をやりましょう。↓      私たちが運びましょう。(あなたは休んでいて下さい)      cf. 私がその仕事をやります。         私たちが運びます。  「−ましょう」のほうが、一つの提案として申し出ている感じです。「−ます」 は「反対されても・・・」と断言する強さがあります。「よ」をつけたほうがかえ って柔らかく感じます。      私がやりますよ。  どちらも、主体を示す助詞が「が」であることに注意して下さい。「私は」 とすると意味合いが変わってしまいます。      私はその仕事をやりましょう。(あなたはあちらをやって下さい) 「勧誘」の場合は、特に理由がなければ「私たち」を言わない方が普通です。      じゃ、行きましょう。(一緒に)      じゃ、私たちも行きましょう。(あの人たちが行くから・・・) 「申し出」の場合ははっきり「私」を言わないと誤解が起こります。      その仕事をやりましょう。(誰が?一緒に?)  動作の中に「聞き手に対して」という意味が含まれていれば、「私が」を言 わなくても誤解は起こりません。特に「あげる」「V−てあげる」や聞き手に 対する敬語表現を使うと、「私が」が省略されやすくなります。       うちまで送ってあげましょう。      (あなたに)これを差し上げましょう。      面白いものをお見せしましょう(ね)。  上の例にあるように、「申し出」には「ね」をつけることができます。ただ し、相手に対して何かをしてあげるような場合に限られるようです。「ね」が つくと、イントネーションは上昇調になります。「よ」はつけられません。     ×私がその仕事をやりましょうね/よ。

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 次の例は、「申し出」に近いのですが、依頼を引き受けているので、「申し 出」とはいえません。もちろん、相手から頼まれたことですから、「私」を言 わなくてもかまいません。      「この仕事をあなたにやっていただきたいんですが・・・」      「わかりました。やりましょう↓」          話し手の意志を表しているとも言えますが、相手の依頼のことばを受けてい るので、「承諾」としておきます。「ね・よ」はつけられません。単に「やり ます」と言うのとの違いは、相手への配慮があるということでしょう。  文末が上昇調になる場合があります。     「まあ、偉そうなこと言っても、これは無理でしょうね」     「そうまで言われちゃ仕方がない。わかりました。やりましょう↑」  これも、話し手一人(あるいは、聞き手を含まない「私たち」)でやります。 単なる「承諾」ではなく、「受けて立つ」といった感じです。やりにくいこと、 大変なことを「やってみせてやろう」という気持ちです。

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 「〜ましょう」が話し手の意志を表わすことは少ないようです。さきほどの 「申し出」や「承諾」を一種の意志表明と考えれば、かなりあることになりま すが。      はっきり言いましょう。この仕事は、あなたには無理です。 「私の家へ寄りませんか」「いやあ、今日はやめておきましょう」 聞き手に対して、対立するようなことを言う時、表現を和らげるために「ま す」でなく「ましょう」を使うのでしょう。  以上の使い方を同じ例文で考えてみます。      はい、では、次は量りに重りをのせてみましょう。  この例は教室での実験の場面です。先生だけがやって見せているなら「申し 出」または「意志」になり、先生・生徒が同じ実験をやっていれば「勧誘」、 生徒だけにやらせていれば、この「和らげた指示」になります。また、生徒に 「先生、もう一度やってください」と言われて先生が「じゃ、もう一度やりま しょう」と言えば、「承諾」になります。  この例でもわかるように、これらの意味合いは非常に関連の強いものです。 だからこそ一つの同じ形が使われているのです。

32.2 V−ましょうか  

   次は、「V−ましょう」に疑問の「か」のついた形について考えましょう。 「か」のついた「V−ましょうか」は、自分の提出した「V−ましょう」とい う考えに対しての聞き手の意向を聞く、という意味になります。つまり、主体 が「私たち」の時は「勧誘」に対する相手の意見を聞く、主体が「私」の時は 「私の申し出」について相手の考えを聞く、といった意味になります。相手の 答えを期待し、相手の気持ちに配慮している点で、「V−ましょう」よりも 「丁寧な」あるいは「柔らかい」言い方だと言えます。まず、疑問語のない疑 問文から考えます。      明日(いっしょに)映画を見に行きましょうか。      次はこのゲームをやりましょうか。      では、そろそろ始めましょうか。      私がその仕事をやりましょうか。(申し出)  「V−ましょう」では特に聞き手の答えを期待していませんが、「か」が付 くと相手の答えを求めていることになります。これに対する答え方は、「勧誘」 なら「ええ、〜ましょう」になりますし、「申し出」なら、たとえば「ええ、 お願いします」といった形になります。 「これを見ましょうか」「ええ、そうしましょう」(勧誘)      「私が持ちましょうか」「ええ、お願いします」(申し出)  「V−ましょう」では、話し手がすでにしていることに聞き手を誘い入れる 場合にも使えましたが、「V−ましょうか」では不自然になります。     ?あなたもこっちへきて、いっしょに歌いましょうか。  イントネーションは上昇と下降の両方があります。一般に「〜か」の形は、 上昇のイントネーションでは相手の考えを聞いている、いわゆる質問文である のに対して、下降にすると「確認」「念押し」などの意味合いになるといわれ ています。(→「42. 疑問文」)  「V−ましょうか」の場合は下降調の方がむしろふつうで、上昇調にするの は相手のことを気にしている場合に限られます。その意味で、「勧誘」よりは 「申し出」の場合に多く上昇調になるようです。上の例の中で「私が〜」の例 がそうです。相手の気持ちを推し測って自分が何かをしようというのですから。  上の例文と次の例文を、それぞれ適当なイントネーションをつけて読んでみ てください。      (一緒にあの人の)お手伝いしましょうか。  (勧誘)      (あなたの)お手伝いしましょうか。     (申し出)      暑いですね。窓を全部開けましょうか。    (勧誘)      暑そうですね。窓を開けましょうか。     (申し出)      (彼の御見舞いに)一緒に病院に行きましょうか。(勧誘)      私も一緒に病院に行きましょうか。   (付き添いの申し出)  それぞれ、文脈とイントネーションによって微妙に意味が変わるようです。  もちろん、相手の言葉を受けるような場合には、上昇調にはなりません。      「そろそろ始めましょうよ」      「そうですね。じゃ、始めましょうか↓」  軽く「ね」をつけることがあります。これは、一般の疑問文に「ね」をつけ るのと同じです。ある程度の年令を感じさせ、また、そんなに丁寧な言い方で はありません。      「じゃ、そろそろ始めましょうかね」  次に、疑問語のある疑問文の場合を考えます。「か」がなくても疑問文とし て成り立ちます。      だれに頼みましょう(か)。↓      いつ行きましょう(か)。↓      どうしましょう(か)。↓  イントネーションは必ず下降調になります。聞き手に答えを求める質問であ る場合と、単に話し手の迷いを示す場合があります。動作の主体が「私」が 「私たち」かという違いがもちろん関係します。      一緒に行きましょう。いつ行きましょうか。(勧誘)      私が行こうと思いますが、いつ行きましょうか。(申し出)  勧誘の場合は、「いつ行きますか」といってもあまり違いはありません。共 同でとる行動について「柔らかく」言っているだけです。「いつ」かを聞く場 合は「行く」こと自体は前提となっているので、「誘う」、つまり「行く」こ とをうながすための「−ましょう」ではないからです。  申し出の場合は、「いつ行ったらいいでしょうか」に近く、自分の行動につ いて相手の意見を聞いています。「いつ行きますか」とは言えません。自分の ことですから。  話し手の迷いを示すというのは、      「先生、卒論が書けないんです」「ふーん、弱ったなあ。どうしま      しょうか」 のように独り言風に言う場合です。特に聞き手の答えを求めているわけではあ りません。      

32.3 V−ないか/ませんか

        この形は、本来「否定疑問文」の形です。それが、意志動詞を使って聞き手 のこれからの行動を問うと、「勧誘」「勧め」の意味を帯びます。イントネー ションは必ず上昇調になります。(下降調の疑問文の問題については「42. 疑 問文」を見てください)  動作の主体が話し手自身を含む場合は、「V−ましょう(か)」の勧誘と同 じ意味になります。この形は、相手の答えを求めているという点で「V−まし ょう」とは違い、「V−ましょうか」と近いものです。          (いっしょに)行きませんか。↑       ちょっとそこでコーヒーでも飲んでいきません?↑  「か」がなくても、上昇調で言えば、勧めになります。  答えは、「V−ましょう」になります。      「そろそろ始めませんか」「ええ、始めましょう」  「V−ましょう」でみた、「誘い入れ」でも言える点は、「V−ましょうか」 とは違います。むしろ、「V−ましょう」よりも自然です。      あなたも歌いませんか。     ×あなたも歌いましょうか。      あなたも歌いましょう(よ)。   動作の主体が聞き手だけの場合は、「勧め」になります。      私のうちへ来ませんか。      「これを召し上がりませんか」「はい、いただきます」      「うちの会社で働かないか」「ありがとう。そうしよう」      「うちに遊びに来ない?」「ええ、行くわ」   答えは、「−ます」または「V−ましょう/V-(よ)う」で言えますが、丁寧 に言う場合は、勧めを受ける表現として、      そうさせていただきます。 が使える場面です。(→「25.7.3 させてあげる」)  意志動詞で未来のことでも、文脈によっては、単なる否定疑問文の意味にな ります。      (一人だけ出かける準備をしないのを見て) A:「あれ、Bさんはいっしょに行きませんか?」(行かないんで        すか)      B:「ええ、ちょっと疲れているので。(行きません)」

32.4 V−(よ)う

  

32.4.1 意志形の作り方

 この形は動詞の「意志形」です。作り方は、    五段動詞  基本形の−uを−ooに変える。      書く→ 書こう   泳ぐ→ 泳ごう   会う→ 会おう      話す→ 話そう   打つ→ 打とう   遊ぶ→ 遊ぼう      読む→ 読もう   取る→ 取ろう   死ぬ→ 死のう    一段動詞  語幹に−yooを付ける。      見る→ 見よう    寝る→ 寝よう    不規則動詞                     来る→ こよう    する→ しよう  この形には否定も過去もありません。否定に当たるのは「V−まい」です。

32.4.2 意味・用法

 「V−(よ)う」は話し手のその時、その場面での意志を表わします。「V− (よ)う」は丁寧体の「V−ましょう」に対応する文型ですが、「丁寧」という 要素の有無のために、意味の違いが少しあります。  「V−ましょう」は基本的に聞き手に対する働きかけのある文型です。主体 が「私」であっても、相手の意向を気にした表現になります。  それに対して「V−よう」は基本的に話し手の意志(将来の自分の行動に関 する考え)を表すものです。将来と言っても、今すぐのことも含みます。発話 時そのものは含まないということです。(「推量」の用法は→「38.9」)

[意志]

 話し手が、発話時に、自分の将来の行動についてはっきりした考えを持った ことを表します。      明日は絶対6時に起きよう。      そうだ、彼に聞いてみよう。      よし、やろう。      主体が話し手だけの場合、それは基本的に直接聞き手に対して告げられたも のではありません。自分で自分に対して言う独白でしょう。  この場合、「ね」も「よ」もつきません。聞き手に対することばではありま せんから。ただ、「か」はつけられますが、それはまた後でとりあげます。 聞き手がいて、それに向けて言う場合。 「ご注文は?」「うーんと。これにしよう」      「僕は帰るよ」「そう。それなら、僕も帰ろう」 相手のことばを受けて、自分の意志を表明する場合が多いようです。  それとなく聞き手に自分の意図を告げようというような場合、あるいは、 「聞こえよがしに」言う場合などもあります。      さあて、先に帰ろ(っと)。      こんな馬鹿馬鹿しい仕事はやぁめよ(っ)。  また、前から考えていたことをことばにする場合は、「V−つもりだ」など を使います。「V−よう」の形は、今、ここで、思ったことを表します。

[承諾]

 頼まれたこと、提案されたことを承諾します。上の「意志」と、次の「申し 出」との中間的な表現です。      「ぜひやってください」「わかった。やってみよう」      「これにしませんか」「うん。君の言うとおりにしよう」

[申し出]

 主体が話し手だけで、進んでそうすることを宣言します。聞き手のためにす ることもよくあります。      今度は僕が持とう。      おまえじゃ無理だ。俺がやろう。      これをお前にやろう。                来週は動物園へつれて行ってあげようね。  「勧誘」と混同しないために「私が」が必要であることと、やりもらい動詞 などによって主体がはっきりすれば「私が」を省略できることは「−ましょう」 の場合と同じです。

[勧誘]       

 動作主体が聞き手も含めた「私たち」になると、「私たちの将来の行動に関 する考え」を述べるわけですから、つまり「勧誘」の表現になります。けれど も、聞き手の考えはあまり考慮されていません。勧誘と言うよりはむしろ、一 方的な宣言です。聞き手は話し手と同等、または目下の場合に限られます。      じゃ、始めよう。                         さあ、やろう。(一緒に)      またいつか、きっと会おう。それまで、生きていよう。  最後の例は「勧誘」という言葉の意味を越えています。話し手の決意の表明 であり、聞き手への決意のうながしです。  イントネーションを上昇調で言うと、相手の気持に配慮している感じです。      そういわないで、ねえ、いっしょにやろう? ↑  終助詞の「ね」「よ」「ぜ」をつけることができます。      もう一度やろうね。      もう一度やろうよ。      もう一度やろうぜ。(男) それぞれ「確認」「説得」「押しつけ」という意味合いで次第に強くなります。  「V−ましょう」の「和らげた指示」に対応する用法もあります。      問題用紙を受け取ったら、すぐ名前を書こう。(受験参考書の指示)  次のは「提案」に近いものです。      トイレはきれいに使おう。(トイレの張り紙)  以上、「V−ましょう」の時とは反対に、1人称の意志を表す用法から始め て、2人称を含んだ勧誘の用法まで説明してきました。「V−(よ)う」と「V −ましょう」との違いは、普通体と丁寧体で対応した形、と言ってしまうこと もできますが、一応違いがあると考えて、説明の方向を変えてみました。

32.5 V-(よ)うか

この形も、自分に問いかける用法があることを除けば、「V−ましょうか」 と対応します。勧誘や申し出に対する聞き手の考えを聞きます。      「映画でも見に行こうか↓」「うん、そうしよう」      「やっぱりやめようか↓」「ああ、やめよう」      「あたしが書こうか↓/↑」「じゃ、たのむよ」(申し出)  イントネーションが上昇と下降の二通りあり、微妙に意味が違う点も、「V −ましょうか」と同じです。ふつうは下降調で、「申し出」の時は上昇調でも 言えます。そのほうが、相手の答えをはっきり求めています。  「勧誘」の時に上昇調で言うと、例えば、      「いっしょに映画でも見に行こうか↑」 とすると、相手が元気がないのを見て、「連れて行ってやろうか」というよう な心遣いを感じます。  相手の勧誘を受ける場合も、下降調です。      「これにしようよ」「うん、そうしようか↓」 この場合は、相手の考えをたずねていません。  「承諾」の場合も、上昇調にはなりません。      「何とかやってくれよ」「わかった。やってみようか」  疑問語のある疑問文の場合。必ず下降調です。       何時に始めようか。       誰にあげようか。       どうしようか。 質問というより、相談といった感じになります。  「V−ましょうか」と大きく違う点は、自分に問いかける用法があることで す。自分に対して「V-(よ)うか」と言う場合は、自分に言い聞かせるような場 合、迷っている場合などで、イントネーションは下降調です。        さて、そろそろ帰ろうか。↓(一人で、自分自身に)      ラーメンにしようかなあ。それとも定食かなあ。      分かれ道か。どっちに行こうかなあ。

[V−(よ)うじゃないか]

 ちょっと特別な形ですが、「−じゃない(か)」をつけて、勧誘の働きかけを 強めたり、意志を強く出したりします。(→ 40.5)      あきらめないで、もう少しがんばろうじゃないか。 もう一度、考え直してみようじゃありませんか。      「どうだ、かかってこい!」「よーし。やってやろうじゃないか」      「こっちから行くぞお」「ああいいよ、やってもらおうじゃない」       (→ 25.7.2)

32.6 V-(よ)う+と思う

         よし、私は中国へ行こう。      私は中国へ行こうと思います。  「行こう」が現在の意志の直接的な表明であるのに対し、「行こうと思う」 は、自分がそのような意志を持っている、ということを比較的客観的に表現し ようとしたものです。   この形には否定も過去もあります。また、「と」の後に「も・さえ」などが 入れられます。      私は見ようと(は)思いません。      私は入って見ようと思いました。 私はその時、死のう(か)とさえ思いました。 過去は、そういう意志を持った、という自分自身の心理の描写として、かなり 客観的になります。「意志」のムードの表現と言えるのは現在形だけで、過去 は事実の描写の表現でしょう。「V-(か)と思う」は「V-(よ)うか」の「自分 自身への問いかけ」の形で、気持ちの迷い・未定を聞き手に対して表していま す。  「V-(よ)と思う」は、基本的に話し手の意志を表します。学習者がよくする 間違いは、     ?私は来年留学すると思います。     のように、動詞の基本形を使ってしまうことです。 私は来年留学します。  「〜する」の形で意志を表せるので、それをそのまま「〜と思う」の前に置 けばいいと考えてしまうのですが、それでは意志を表すことになりません。自 分の意志とは別に、そのことが起こる可能性が大であると私は考えている、と いうことを言うだけです。      彼女は来年留学すると思う。 と同じ文型になります。  自分の意志を表すなら、意志形を使わなければなりません。      私は来年留学しようと思います。  「−ている」の形をとると、前から継続してそうであること、言い換えれば その瞬間の意志ではないということになります。      私は大学院に進もうと思っています。      小さいころ、私は医者になろうと思っていました。      cf. 私はその時、医者になろうと思いました。   また、この「−ている」の形は、後に「〜らしい」などをつけて他人の意 志を描写することもできます。      彼女も試験を受けようと思っているらしい/ようだ。     ×彼女も試験を受けようと思うらしい。     疑問文にして相手の意志を聞く場合も、「−ている」の形がよく使われます。      また来年も来ようと思いますか。            どの大学を受けようと思っていますか。      大学卒業後は、国へ帰ろうと思っていますか。     ?大学卒業後は、国へ帰ろうと思いますか。 今現在考えたこと、というより、ふだんから考えていることを聞く、というこ との方が自然だからでしょう。その場合、すぐ後でとりあげる「V−つもりだ」 の形もよく使われます。      大学卒業後は、国へ帰るつもりですか。  「V-(よ)うと思う」は「V-(よ)う」と違って、文末以外の所にも使えます。 大学院に進もうと思って、頑張って勉強しています。      そうしようと思ったけれども、うまく行きませんでした。

[V−(よ)うとは思わなかった]

 意志のムードではありませんが、形が似ている表現に触れておきます。      こんなことになろうとは思いませんでした。(なるとは)      まさか彼女が生きていようとは思わなかった。(生きているとは)      彼が先頭で帰ってこようとは予想もしなかった。(帰ってくるとは)  そんなことは予想・想像できなかった、という意外な気持ちを表します。こ の「V−(よ)う」は意志ではなく、推量です。基本形「スル」を使っても意味 は変わりません。「思わない」と現在形で言うことはできません。(→ 38.9)     ×まさか彼女が生きていようとは思わない。

32.7 V−つもりだ

                       意志動詞の基本形に接続します。ある意志を持っていることを、やや客観的 に表します。つまり、「しようと思っている」に近い意味を表します。      明日行くつもりです。      卒業後、どうするつもりですか。  その時考えた結果ではなく、前からそう考えている、という意味合いです。      「田中さんは行くのをやめるそうですが、あなたはどうしますか」     ?「そうですか。どうしましょうか。やっぱり私は行くつもりです」       cf. やっぱり私は行こうと思います。  ちょっと考え直した後では、「しようと思う」のほうが自然です。 この点をもっとはっきりさせると、「だ」のテイルの形「デイル」になります。      大学院へ進むつもりでいます。  「だ」を過去の形にすると、過去の時点での意志を表せます。この場合、実 際にはそれが実現しなかったという含みを持つことが多くなります。      明日行くつもりだったが、止めた。      その時は行くつもりだったので、切符を予約した。(だが、結局行      かなかった)      前から行くつもりだったので、喜んでついて行った。(実現した例)  上の例のように、従属節など文末以外の位置にも使うことができます。これ も「しよう」と違い、「しようと思っている」に近い点です。  否定の形は二つあります。「V−ないつもりだ/V−つもりはない」です。      あなたは試験を受けないつもりですか。      タバコは二度と吸わないつもりです。      お金をもらうつもりはありません。      行くつもりはありませんでした。      行かないつもりでした。 「つもりはない」のほうが強い意志が感じられます。「ないつもりだ」のほう は、一応そう考えているが、何か状況が変わればそれほどこだわらない、とい った感じです。過去の「ないつもりだった」は、やはり「結局行った」ことを 暗示します。  「V−つもりではない」という否定の形はふつうありませんが、過去の気持 ちを現在から振り返って客観的に描写する場合は使われます。     ×行くつもりではありません。      その時は、行くつもりではありませんでした。  自分の意志だけでなく、他人の考えも表せます。疑問文で相手の意志を聞く ことができます。      彼も参加するつもりだよ。(〜つもりらしいよ)      あなたもこの店で車を買うつもりですか。  相手の考えを厳しく問いただし、非難する場合に使われることがあります。      このまま引き下がるつもりですか?      あなた、やめるつもりなの?    いったい、どうするつもり?  同じ内容を繰り返すときは、「そのつもり」「そうするつもり」という形が 使えます。      「一人で行くんですか」「ええ、その/そうする つもりです」  末尾の「−だ」は名詞述語の「−だ」と同様に、文型に応じて「で」「な」 「に」「の」になったり、「である」の系列の変化形にもなります。「V−つ もりで/つもりなので/つもりになる/つもりのN/つもりである」      ここの本を全部読むつもりで、毎日読んでいます。      朝早く出るつもりなので、今日は早く寝ます。      なまけ者の彼も、やっと働くつもりになったらしい。      試験を受けるつもりの人は、後で事務室へ来て下さい。      乗るつもりの電車が、弁当を買っている間に出てしまった。      その時は参加するつもりであったが、結局やめてしまった。  「つもりだ」がタ形を受ける場合、また無意志の状態述語を受ける場合は、 別の意味になります。(→「40.その他のムード」)      上手に書いたつもりだ。(そう、自分では思っている)      彼は自分では歌が上手なつもりらしい。( 〃 ) 

32.8 V−(よ)うとする

 主体がある意志を持って行動に移ることを表しますが、多くの場合それが実 際には行われないのがこの文型の特徴です。      中に入ろうとしたが、ドアが閉まっていた。      何度もタバコをやめようとしたが、ついにやめられなかった。      家を出ようとしたとき、ちょうど雨が降ってきた。      先生に答案用紙を渡そうとしたとき、鐘が鳴った。  最後の例では、そのまま行動が継続したのでしょうが、他の例では行動が途 中でさえぎられています。また、      中に入ろうとして、ドアを開けた。 と言うと、聞き手(読み手)は何か次に特別なことが起こるのではないかと期待 させられます。そうでなく、ただその時の意志を表すのならば、      中に入ろうと思って、ドアを開けた。 のほうが適当でしょう。  意志を表すのですから、主体は人間である場合が多いのですが、他のものが 主体となって、その動きやそのものの性質を表すような場合もあります。意志 的動作でない場合は、かなり硬い書きことばになります。 時代は変わろうとしている。      大地はまさによみがえろうとしていた。      流砂はアリ地獄のごとく、人を葬ろうとして、静かに待っている。  この文型をアスペクトの観点から見ると、何かが起こる直前を表す表現、と いうことになります。(→ 24.13)  否定は、「V−(よ)うとしない」となります。「とはしない」のように副助 詞の「は」や「も」が入ることがあります。「直前」というアスペクト的な意 味合いはなくなります。      昼近くなっても、起きようとしなかった。      何度失敗しても、あきらめようとしなかった。      言われたらやるが、自分からやろうとはしない。      この村は、よそ者を受け入れようとしないのだ。      

32.9 V−ことにする/なる

          決意・決定を表します。「〜ことにします」と言うと、その時の決意を表し ます。      明日からこの作業を始めることにします。  「〜しました」と過去の形で言うと、そう決意したこと、つまりそれが決定 したことを表します。      たばこを止めることにしました。      結局、私たちは参加しないことにしました。  否定は「こと」の前に来て、「V−しないことにする」となります。「V− することにはしない(しなかった)」という形は使いません。     ?参加することにしませんでした。  自分の決定ではなく、そういう状況になったことは「V−ことになる」で表 します。      私が行くことになりました。      私たち、結婚することになりました。  二番目の例は、自分たちで決めたことを、さも自分たちの意思決定によるも のではないように言う言い方です。自分の意思を表に出さない、柔らかい表現 になります。「する・なる」の他の文型は「28.機能動詞」でとりあげました。

32.10 V−まい 

      「V−まい」は意志形の否定に当たります。少し古い言い方で、現在ではか なり硬い書き言葉です。普通体だけで、これ自体の丁寧体はありません。丁寧 な言い方にするには動詞を丁寧形にしますが、あまり使われません。      このことは誰にも言いますまい。  ふつうは文章の中で、      もうタバコは吸うまい、と心に誓った。 のように、心の中のことばとして使われます。  また、意志形が以前は持っていた推量の意味の否定になります。現在では、 「しよう」は推量を表さず、「しないだろう」にとって代わられているわけで すが、「するまい」は「しないだろう」と共に使われています。ただし、文体 的にかなり硬い書きことばです。      もう戦争は起こるまい。    そんなことはあるまい。(ないだろう)      そんなことはありますまい。(ないでしょう)  意志の意味になるのは主体が一人称の場合だけで、三人称の場合は推量にな ります。主体が一人称でも、非意志的なら推量になります。      彼は二度とここへは来るまい。(来ないだろう) そうなっても、たぶん私は気がつくまい。(気がつかないだろう) 「意志」の用法では当然ながら動詞だけに接続します。形容詞・名詞述語に接 続する場合は「推量」になります。(→「38.推量」)  五段動詞では基本形、一段動詞では中立形に接続します。不規則動詞では人 によって動詞の形が揺れます。      行くまい(五段)       見まい(一段)      するまい・すまい・しまい   来るまい・きまい・こまい 一段動詞でも「見るまい」と言う人もいます。  「V−まいと思う」という言い方もできます。      その時は、もう二度とやるまいと思った。      言うまいと思えど今日の寒さかな    

32.11 する・しない

    ずっと前に、動きの動詞の現在形は「将来・習慣・意志」を表すということ を述べました。意志を表すのは意志動詞に限ります。「意志動詞」というのは、 意志形があり、意志を表しうるもの、ということで、定義が堂々巡りするおそ れがありますが、その問題には深入りしません。      私は(絶対に)行きます/行きません。(意志) 「意志」以外の現在形の用法は、ムードとしてみれば「断定」に入ります。 (→「38.断定」)「将来」や「習慣」はテンス・アスペクトに関する用法の 分類です。      私は(必ず)毎日7時に目が覚めます。(断定:習慣)      彼は(必ず)明日私のうちへ来ます。(断定:将来)        前の節までにさまざまな意志表現を見てきましたが、では、それらの意志表 現と、いちばん基本的な形である動詞の基本形が意志を表す場合と、どう違う のかということをあらためて考えてみなければなりません。  まず一つ言えることは、「する・しない」は意志表現のための専属的な形で はなく、基本的には、「断定」を表す形だ、ということです。「断定」は「推 量」と対立するムードです。  基本形が意志を表すとされるのは、話し手が意志的にその実現を左右できる 行動について断定的に言うことが、つまり話し手の意志を表すことになるから です。    a 私はあの大学を必ず受けます。 (意志)    b 私はあの大学に必ず受かります。(断定)    c 私はあの大学を必ず受けよう。 (意志)  bでは「受かる」かどうかは話し手の意志では決まらないことなので、話し 手の「断定」でしかありません。それに対してaでは「受ける」かどうか、そ れが実現するかどうかは話し手の意志にかかっています。ですから、それを断 定的に言うことは、話し手の意志の表明、つまりムードとしての「意志」にな るわけです。  もっとはっきりした意志の形、cの「受けよう」になると、「受ける」こと が実現するかどうかは、かえってはっきりしなくなります。現在の時点での話 し手の意志を言うだけで、将来の実現性については何も言っていないのです。 「受けます」のほうは、将来の自分の行動について断定的に、それが実現する ものとして言い切っています。 「V−つもりだ」や「V−(よ)うと思う」なども、実現性については、かえ って弱くなります。    a 私は絶対やるつもりだが、どうなるかはわからない。    b 私は絶対やろうと思っているが、どうなるかはわからない。    c 私は絶対やるが、どうなるかはわからない。 cで「わからない」のは、「やった後で」その結果がどうなるかわからない ということでしょう。それに対してaとbでは、「やる」ことそのものが実現 するかどうかわからないということです。  最後に、「意志」動詞/動作について一言。ある動作が意志動作であること と、文のムードが「意志」であることは別のことです。例えば、      私は試験を受けた。 で、「私」が意志的に「受ける」という行為をした、つまり「意志動作」であ ることは間違いありませんが、この文のムードは「断定」(→「39.断定・確 信」です。過去の事実について断定的に述べています。決して「意志」ではあ りません。      私は試験を受けようと思った。 も、ムードとしては「意志」ではありません。そういう意志を持ったことの描 写・報告です。ムードとしては「断定」です。 参考文献 益岡隆志・田窪行則1992『基礎日本語文法 改訂版』くろしお出版  森山卓郎・安達隆一19 『セルフマスターシリーズ6 文の述べ方』くろしお出版 益岡隆志1991『モダリティの文法』くろしお出版 仁田義雄1991『日本語のモダリティと人称』ひつじ書房 仁田義雄・益岡隆志編 1989『日本語のモダリティ』くろしお出版 ニョー・ゲイ・フン1997「「つもりだ」について−「〜しようと思う」と「は ずだ」との違いに関する一考察−」『日本研究教育年報』1997東京外国語大学 安達太郎1995「シナイカとシヨウとシヨウカ」宮島他編『類義上』くろしお出版 樋口文彦1992「勧誘文−しよう、しましょう」『ことばの科学5』むぎ書房 姫野伴子1998「勧誘表現の位置−「しよう」「しようか」「しないか」−」 『日本語教育』96