皇帝になってみる





サンフランシスコ郊外に、ジョシュア・ノートンという人がいた。
以前にしていた事業が失敗し、今では一文なし。

失意のうちにフラフラと街をさまよい、ある事に気付いた。
ここはアメリカ。皇帝がいない。

皇帝がいないのなら、皇帝になればいい。


ノートンはそう思うと、新聞社に乗り込んでこう言い放った。

「わたしはアメリカ合衆国皇帝であるぞ!!」

編集者達はノートンの堂々とした態度に感服し、次の日の
新聞にこう記した。


『ジョシュア・ノートン 皇帝に即位する』


これを見たサンフランシスコ市民は快くノートンを歓迎し、
晴れてノートンは皇帝に即位する事が出来た。


さっそくノートンは皇帝の住む家、宮殿を造ろうと、ワンルームのアパートを借りた。
古びたレンガで、ベッドを一つ置けば一杯になってしまうような狭い下宿宿の一室、
これがノートン皇帝の宮殿だった。

2匹の犬を飼い、これを家臣とした。皇帝は、犬の散歩と
市民の視察を日課とし、たびたび新聞社に現れては

「勅令を出すから新聞に載せてくれ」

と言い、勅令を出した。


「街路には街灯をつけるべし」

「クリスマスには街路樹を飾り付けるべし」

「サンフランシスコを「フリスコ」と短縮化して呼ぶ事を認めない」

「この街の発展のために吊り橋を作り、ゴート・アイランドとオークランドを結ぶべし」



サンフランシスコ市民はこれを喜んで受け入れ、市議会も積極的に
協力し、全部実現させた。


ノートンはとにかく市民から人気があった。


ノートンが最上級レストランで食事をした時も、

店員「お会計ですか。ありがとうございます・・・」

ノートン「すまんが、お金がないのだ」

店員「それでしたら、「合衆国皇帝ノートン1世陛下御用達」と
刻んだブロンズのプレートをレストランの玄関に飾ってもよろしいですか?」

ノートン「あぁ、好きにしろ」

店員「ありがとうございます。またのお越しを」


ノートンが電車に乗った時も

ノートン「すまんが、運賃が払えないのだ」

駅長「これはこれは、皇帝陛下。運賃なんぞいりませんぞ」


ノートンが劇場に行った時も

取り締まり役「これはこれは皇帝陛下。今すぐ特別席を手配させます」

ノートン「うむ、よろしく」

お客「おぉぉ!!皇帝陛下だ!!」

「道を開けろ!!皇帝陛下が通るぞ!!」

「皇帝陛下万歳!!」

「ファンファーレを鳴らせ!!」


特別楽団がやってきて、皇帝のためにファンファーレを鳴らす。

ノートン「うむうむ」


そんなノートン皇帝も一度だけ逮捕された事がある。

生真面目な警官が無礼にも皇帝を浮浪罪で逮捕してしまったのだ。

警官「みすぼらしい格好をしてそこら辺を歩いていたので、浮浪罪で逮捕します」

これを知ったサンフランシンコ市民は激怒した。
これをうけて、警察は驚き、早急にノートンに謝罪し、釈放した。


警官アーマンド・バービアによる大逆罪

バービア「ノートンという男は、精神障害を持っているのではないか?」

若い警官バービアは、彼の意に反して精神病の治療を受けさせようとした時、
騒動が持ち上がった。この逮捕はサンフランシスコの市民と
新聞による強い抗議を引き起こしたのである。

市民「ふざけるな!!ノートン皇帝を放せ!!」

次の日の紙面には
皇帝、罪なき罪で捕らえられる!!警察の不手際がまたも!!」

警察署長はこの反応に驚きすぐに対応し、ノートンを釈放して警察として公式に謝罪した。
ノートンは寛大にもこの若い警官バービアによる大逆罪に特赦を下した。この騒動以降、
警官たちは通りで皇帝に会った時は敬礼するようになった。


ノートンの人気は凄まじい。

ある時、セントラルパシフィック鉄道は食堂車での無料の飲食を供するのを断ったため、
市民から怒りを買いノートン皇帝から営業停止を宣告される事件があった。


ノートン1世の地位には実際に公式な承認の細かい記録がある。
1870年の国勢調査はその統計表において彼を、
「ジョシュア・ノートン、住所;コマーシャル・ストリート624番地、職業:皇帝」と記している。


彼はある時考えた。

私にはお金がない。常に無一文だ。よし、国民から税金をとらねば。

ノートンはそう思い立ち、自らの帝国の国債を発行した。この国債を買ってもらって、
お金を得ようとするのである。

しかし、国債を印刷するお金もない。ノートンは印刷会社にお願いし、
印刷会社は喜んで無料で国債を発行した。

以後、サンフランシスコ市民はこの国債を喜んで払う事になる。


サン・フランシスコ市はその「権力者」に名誉を与え敬意を表した。
また、皇帝の礼服が古びて色あせた時 皇帝は声明を発する、




「私の着ている軍服が汚くなってきた、新しいのが欲しい」
と。
すると翌日、なんと市議会はノートン皇帝の新たな礼服の予算を計上した。
その見返りに皇帝は感状を送り、終身貴族特許状を発行した。

それから、必需品は親切な人から提供され
衣服は市議会で予算が計上される事になった。


1861年、南北戦争が勃発する。


ノートン皇帝は仲介の労をとるべく、エイブラハム・リンカーン と
ジェファーソン・デーヴィス に召還令を出す。 …が無礼にも両者は姿を見せなかった。



こうしてノートンは20年の間、アメリカ合衆国史上最初の
(そして最後の)皇帝として帝位にあった。
市民に愛された彼が1880年1月8日に逝去したとき、葬儀には3万人が列席し、
参列者の列は3キロも続き、 2日間に渡って最後の別れを告げにきた。


ニューヨーク・タイムズはノートンの死を悼み、こう締めくくった。

「ノートン皇帝は誰も殺さず、誰からも奪わず、誰も追及しなかった。
彼と同じ称号を持つ人物で、この点において彼の右に出る者は 1人もいなかった」



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