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<民宿『とらぶる☆メ〜カ〜』> 偽旅団シナリオ 『遠き日の誓い』中編(2)



「幻霧の巫女姫も動き出したか…」
老師が呟く。
これでやっと本来の試練に為り得た。が。
『このまま順当に事が進んだとしても…皆の生存は危うい、かのぅ』
第二の結界内にすら敵が現れた。皆の過去が異例過ぎる事も理由の一つではあるが、前回の試練より時間が経ち過ぎている事もある。
そして何より巫女姫の付き添いがどれ程の腕前かは知らないが、それでも彼等の元へと辿り着くのには時間がかかる。
唯一救いがあるとすれば―
「―…愚問じゃな」
この試練に救いなど元より存在しない。
それを知っているはずの己の甘い戯言に老師が自嘲気味に笑う。
そう。皆はまだ知らない。この断罪の森の試練。その残酷さを――。

■『知望幻想』
武装遊牧民族的国家…リザードマンの王国は一般にそう呼ばれている。その枠に漏れない強力な武装遊牧民族の集落に、彼女は生まれる。
両親は共に平凡な狂戦士であり、同時に非凡なラヴラヴバカップルでもあった。
難産と言う訳ではないが、母親の急く気持ち故かやや早産だった。
生まれて間もなく、父ラバンが3日3晩寝ずに考えた名前、リシュア(賢き者)の名前を授かる。
溢れんばかり…否、溢れまくって洪水を起しそうな愛と共に彼女は育つ事となる。
集落の仲間達は、『この両親のテンションで、本当に生きていけるのだろうか…?』と、必要以上に乳を飲まされた挙句咽苦しんでいるリシュアを見て、そう思ったと言う。
両親が他界。
理由は2人ともモンスターに混乱させられ、殺しあった挙句に刺し違えたからだと聞かされる。
リシュアは必死でその事実を否定した。
アレだけ仲が良かった2人が殺しあう筈なんてない!…と。
彼女が図書施設に篭り、1人でモンスターの特性について病的に調べ始めたのはこの時である。
だが―
『事実は事実』
知る事が出来たのは、この答えだった。
「たんけんごっこぉしよぅ?」
と、いつも友達の輪の中心に立って元気に遊んでいるリシュアの姿は。いつの間にか見られなくなっていた。
大人にも、無理をして覚えた敬語で冷たく対応するようになっていた。
何もする事が出来ずに、ただ本を読む事に没頭した。ただ、両親に教わった戦闘術の腕を磨く事に没頭した。ただ、学ぶ事に没頭した。
いつか…凄い人になって、絶対にモンスターなんかには、負けない!
…と。
いつしか家まで呼びに来る友達は来なくなり、ただでさえデスクワークを苦手とするリザードマン領にあり人気の無い図書施設では孤立し、…リシュアは場違いなほどの知識を得た。
しかし
“それが何になるのだろうか?
そんな事をしても、両親は帰ってこない”
その真実は、常に彼女の頭に付いては離れなかった。
彼女は、子供っぽい意地でその真実を否定し続けた。


「何を…言うんだ?リシュア…?」
涙を拭い、力強い眼差しで呟かれた突然の愛娘の言葉に呆然と立ち尽くす両親に、少女が再び口を開く。
「…“リシュア”ではありましぇん。私の名前は“ニックス”でしゅ」
言い放つ。
この2人が自分の知っている両親だという事は感じていた。だからこその拒絶だった。たとえ目の前で微笑んだ2人が本物だとしても。死んでしまった二人はすでにこの世に存在しない幻なのだから。
感情が二人が本物である事実を認め。知識がその存在を否定した。
知識が2人の死を肯定して。感情がその事実を否定した、あの日とはまったく逆の理由。だからこそ己の弱さを呪った。2人を己の敵として存在させてしまった事が堪らなく悔しかったから。
―大好きだった。
抱きしめられた痛みも。2人の笑顔も。心地よい居場所も。
だからそれを映し出して己を欺く事だけは許せなかった。知識の果てに夢見た想いは幻だと気づいた。それは確かに己の思い描いた希望とは程遠いモノ。
でも。
「リシュア…」
「………リシュちゃん」
2人も娘の強がりを理解していた。生前の記憶があるのだ。ならば、自分達がどうやって死に、その後、愛娘になにがあったのかは…安易に想像できる。
己達を“幻”だと言い切る娘は。必死にそう口にする事で、自分自身に負けないようにしているのだ。
「襲い掛かってくるつもりなら…容赦はしましぇん」
背を向けて。呟く。
これ以上はきっと。負けてしまう。己にとって戦闘で終わればどれ程楽だっただろうか?
優し過ぎる二人の姿は。ニックスにとって何よりも辛かった。
たぶん…この試練が終われば両親と出会う事などできはしないだろう。それはたとえ再びこの森へと足を踏み入れたとしても。そんな気がする。
だから。最後に。一度だけ。弱さをここに、残しておこう。

―…惜しみなく2人が注いでくれた愛情は…偽りだとは思ってましぇんから…

―リシュアは…お父さんとお母さんの子で幸せ者でしゅ…

振り返る。気丈に振舞う少女が流した一滴の涙。
苦悩の末、辿り着いた希望の果てにあった確かな答えがそこにはあった。
知識が否定する想いも。想いが否定する事実も。たぶん自分の中では一生どちらかを選択する事はないだろう。意地…なのだ。だが、膨大な知識の中、一番忘れるべきではない、最高の知識―愛情を教えてくれたかけがえの無い二人なのだから。せめて、この言葉だけでも。伝えたかった。残したかった。この人達が私に残してくれたたくさんのものの代わりに。
「―…そうか」
父―ラバンがその娘の頭を優しく撫で。
「強く…なったわね」
母―カージュが優しい笑みを浮かべる。
たぶん2人の枷を外す術は、ニックスが一番理解している。
己の弱さゆえに呼び起こしてしまった人達を殺める―それが試練なのだろう。
だが―。
「私達の後始末に思い悩む事は無い」
「貴女はその知識で皆を助けてあげなさい」
その両親の言葉にニックスは少なからず驚きを隠せなかった。強制的な戦闘になると思っていた。それが、“後始末に思う悩む必要は無い”?どういう事だろうか?
「混乱状態で死んだ事がこんな所で役に立つとは…皮肉なものだな」
複雑な表情で呟く父。
「混乱状態で死んだ事が…この状態を引き起こした…?」
その父の言葉に暫し黙考するニックス。
そんな娘の肩をポンと叩き。
「……リシュア…貴女がその知識でみんなを助けるのよ…?」
強制的に押し出される背中。それはたぶんこの幸福の時が残り少ない事を無言で伝えていた。
その場からゆっくりと立ち去る。
振り返ると笑顔で手を振る両親。少々泣き過ぎなのは、愛嬌というところだろうか。
バレないようにもう一度振り返ってみると、ラバンがカージュに縄に縛られハリセンでツッコミを入れられていた。たぶん…いや…あの人の事だ、私に抱きつこうとして母に止められたのだろう。そんな2人を苦笑しながら。
―あぁ…私が夢見た想いの果てにある景色は…きっと
ふと。そんな考えが脳裏を霞め、ニックスは笑った。
これは叶わぬ夢だ。だが、夢の延長だと思えば許せそうだと。そんな甘い考えを抱いた自分に。
だが少女は気づいていなかった。あれ程否定して望んでいたモノを、夢の延長だと思った自分自身が抱いた強さ。
それは甘さではなく。
悲しく認めたくない過去があった。だがそれを知識として認め、感情として認めた者が最後に夢見た奇跡を口にする言葉だという事を。
頭を振り。雑念を振り払う。

―…さぁ行こう。あの両親を誇りに。皆の元へ…。

「………ふむ」
老師が安堵の溜め息を吐く。
ニックスという少女には悪いが、これで微かな希望が見えてきた。
戦闘が行われずに、無傷に試練を突破する者など皆無に等しい。が、ニックスの過去が異質過ぎたため、さすがの森も対処出来なかったのだろう。
本来森は、生前の記憶を引継いだ魂を呼び、対象を攻撃させるための強制力を持っている。
すかしそれが元より異常をきたした状態―つまりは混乱している状態での魂ならば話は別だ。
無論、始めから対象者へ敵意を持った者であるならば、森はそのままの魂を呼び寄せる。
だが、根源たる魂が陽であるがゆえに、混乱によって陰の状態で呼び寄せられた魂は、根源を以って攻撃する方法を判断する森は、その魂を陽に変換するのだ。
言ってしまえば、試練の誤作動だろう。
「だが…これだけでは…森の試練は越えられぬ。トウカ…どうするつもりじゃ?」
背後の佇むトウカに振り返る事無く、老師が問う。
「―……」
映し出された仲間の姿を見つめ。トウカはその問いに答える事無く、拳を強く握り締めた…。

■『願い果て無く―心静かに』
父親が落石からカナを庇い他界。
それが初めてカナの世界が暗転した瞬間だった。
愛する夫を失った彼女が、いつも口にしていた言葉がある。

「あんたなんか居なければよかったのに」
「あんたが変わりに居なくなればよかったのに」
「あんたのせいであの人は居なくなってしまった」
「私の前から消えて」

それでもカナは―私は、生きたかった。
この場所にいたかった。
お父さんとの…そして私を生んだあの人が、まだ私に優しかったあの頃の思い出が…。
ここには、そして私の中にはあったから。
今のあの人は私に消えることを望んでいても、いつか…あの頃のように、抱きしめてくれる…。
そう信じていた。
偽りのない、幸福な日々があったのは事実なのだから。それがほんの少し歯車がずれてしまっただけだと。
だけど溜まらず口にした拒絶の言葉。
「いや」
その一言がそんな儚い世界すら暗転させた。

「自分で消えられないなら、私が消してあげる」

そう言って、あの人は…刃物を持ち出した。
「あんたさえ居なければ」
聞き慣れた言葉と共に振り下ろされる刃。
「『お母さん』やめて…!」
その言葉も届かなくて…。
ただ、恐くて、悲しくて…。
「死にたくない」「生きたい」「消えたくない」それだけが、頭の中を回っていた。
壁際にまで、追い詰められて…。
逃げ場が無くなった。
頭が真っ白になって…次に見たら…あの人は、倒れてて…。
いつの間にか手にした杖と、私は、血に…ぬれていた。
恐かった…あの人を殺してしまったかもしれなかった事より…。
またあの人が起き上がるのが…恐かった…。
「恐い」「生きたい」
その気持ちでいっぱいで。
「オキナイデ」「コナイデ」
そんな考えで頭が支配されて。
身体は、何かに操られるように、自然と、確実に…。
「ここにいたい」
そう思っていたはずの家に、火を放って…逃げ出していた…。

「―…大切な人…?」
カナの言葉に呆気に取られたように、立ち尽くすあの人。
「…………」
カナはそんな彼女を見つめ、ただ押し黙っていた。
愛する人が…何より傍にいたいと思う人がいる今。理不尽な死という結末で、それを失ってしまったこの人の悲しみが解る気がするから。
だからこそ―赦して欲しかった。
誰でもなく。大切な人を奪ってしまったこの人に。
そして―“お母さん”に。
「…………は」
沈黙を破る優しい微笑み。そして。
「はははははははははははははは」
壊れてしまった歯車の軋みが笑い声となって響き渡る。
「―…そう」
笑うのを止め、氷のような冷たい笑みを再び浮かべ。

―だったら尚更ここで死になさい。その人が貴女のせいで不幸になる前に

ズキリと。その言葉にカナの胸は痛んだ。
誰よりも私の存在によって不幸になってしまった人の言葉だから。その人が望むすべてを叶えてあげたいけれど。それが私の死である以上叶えられない。だからそんな私の願いはきっと。いつでも届かない途方の無い願い。
「…観念した?それともまだ足掻くの?まぁどちらでも構わないわ…」
『やっと貴女を殺す事が出来るのだもの』慈愛に満ちた笑みを溢し。あの人が近づいてくる。
だけど―
「…死ねない、よ…」
呟く言葉。それはこの人に伝えるべき思いだから。
「…私は、死ねない…。今の父上…母上は…望んでくれてるから…」
血に汚れた姿の私を。自分を要らない存在だという私を。必要としてくれた人がいるから。
「出会った…皆も…私の、存在を…受け入れて、くれる…から…」
何気ない会話に幸せを感じて。共に同じ時を過ごしてくれる仲間がいるから。
「一緒に…いたい、そう、思える…人が、私…にも、出来たから」
特別な感情を抱いた。私の手を握り締めて微笑んでくれる大切な人がいるから。

―だから…

自分の体に刺さる鋭い刃。致命傷は寸前で避けているとはいえ、重傷である事には変わりはない。だが、これは受けるべき刃。受け止めるべき、この人の悲しみ。

―さよなら…“お母さん”

カナが深々と刺さる刃を気にも留めず、母を強く、そして優しく抱きしめる。
あの時どうしてこう出来なかったのだろうか?そうすれば―…この人は救われたのだろうか?一瞬そんな事が脳裏によぎった。
微笑む。精一杯の感謝の想いを込めて。“お母さん”に。

―…大好き…だった…よ…

そして…ゆっくりと紋章を描く。
頭上には悲しみが始まったあの日を連想させる炎が集結してゆく。でも…これはきっと。
この悲しみを終わらせるための優しき炎。
先程の傷によってカナの意識は朦朧としていた。このままでは自分も炎に巻き込まれてしまうだろう。
だが―失われてゆく意識の中。
いつものように私を払い除けたあの人の手と。僅かに動いた口元。

―貴女はいらないわ

その言葉を口にしたあの人は。バツの悪そうな笑みを浮かべ微笑む―いつか見た優しい“母”だった…。


「………カナ姉様も試練を終えたようです」
閉じていた瞳を開け、ティナが言葉を発す。
「そう。じゃあここの敵も後少しね」
その言葉にセフィーナが振り返らず答える。
「―……」
そんな二人の会話を横で聞きながら。普段では考えられないようなティナのその口調に前線に立つティムは違和感を感じていた。
彼等の行く手を阻んだのは、やはりアンデッドだった。だが、さほど強くはなく、ティムならば容易く。セフィーナですら、突破できる程だった。
『ティナちゃんに敵を触れさせないで』セフィーナがティムに唯一の指示。
そう。それこそがティムが抱いたこの違和感の正体だった。
不可解なのだ。敵は、薙ぎ払う己とセフィーナをまるで意に介さぬかのように、ティナだけを目指して突き進んでくる。
そして何より。先ほどからこのような場面を何度も体験してきたが、その度に、ティナが誰かの試練が終えたと告げた後。決まって敵は、それまでの執拗な攻撃を止め、去っていったのだ。
追おうと駆けたりもしたが、ことごとくセフィーナの制止にあった。
「・・・くそっ!!」
残った敵を薙ぎ払い。ティムは苛立ちを露わにする。
それは二人から何も告げられない事では無く。仲間がいるはずであるこの森の奥に進めば進むほど、冒険者としての直感が強く告げるのだ。

―危険だと

■『ぱすてる』
それはギンボシが16歳だった時のこと。
街中を歩いていた彼女は妙な違和感を覚え足を止めた。わずか数メートル先、彼女に向き合い、同じように立ち止まっている女性がいる。
初めて見る人であるはずなのに、とてもそうは思えない。
理由は分からなかった。
ただ、違和感だけがギンボシの体を包む。
ふと女性が声を発した。
「貴女、ギンボシでしょう?」
声を聞いた瞬間、ギンボシの体は硬直した。触れてはいけないものだ、と本能が叫ぶ。逃げたしてしまいたいのに体は動かない。そして自分を縛り付けている違和感が絶対的な恐怖であることを理解する。
「間違うはずないわ。私が生んだ子だもの。大きくなったのね」
女性が言葉を継ぐ。そしてギンボシに一歩近づいた。ひどく優しい声。この声は…ギンボシにとって嫌だと感じるものだった。
「ねぇギンボシ、長い時間が経ったわ」
また一歩。
「貴女なんでいるの?どうして生きてるの?」
一歩、一歩と近づいて来る度、女性の声から優しさが失せる。
ギンボシにはただ見つめることしかできない。
「また私から奪うの?誰が貴女を必要とするの?何処へ行ったって貴女を必要とするモノなんてないわ。そうでしょう?ギンボシ・ナナイロ」 女性の手がギンボシの肩を掴む。
「いらない!必要ない!貴女なんてなんの価値もない!」
動けないのは本能的な恐怖からか。
己の存在を完膚なきまでに否定された悲しみからか。
眼前には担架で運ばれてゆく女性。それをどこか遠くに見つめながら。
「いらない…必要ない…なん…で…生きてる…の?」
ギンボシは壊れた機械のように、無機質な声で何度もその言葉を繰り返し呟いていた。
耐え切れなくなった涙が、一粒流れた。

少女の微笑みに、ギンボシは恐怖した。
そもそも何故自分はこの過去をこんなに恐れているのか。
存在を否定されたから?いや違う。出会った瞬間もう恐れていた。自分が深層で恐れているものを覆い隠そうと必死にもがいているだけの事。
「こない…で」
搾り出すような言葉。ギンボシは過去を恐れている訳ではないのかも知れない。
今なら分かる気がする。私は得体の知れない拒絶が恐いんじゃない。それに伴う記憶が。そしてその記憶が呼び起こす事によって引き起こされる自分自身への拒絶が恐いんだ。
「恐い…」
その呟きに顔を上げると、うずくまっている少女がもう一人。
直感でこれも自分自身だと分かる。これはきっと16才のボク。己を守ることに必死で。周りが見えていなかったボク。
でも。今それぞれ戦っている皆がいるように。この時のボクにも、ちゃんと見てくれてた人がいた。
「―…師匠」
その名を呼ぶ。
『世界を見せてやろうか?』
そう言って微笑んだ彼が。差し伸べた手を迷わず握り返した。
少なからず彼にとってボクは決して要らない存在ではなかったと。必要な存在とまでは言わない。ただ―傍に居てもいい存在だったと。そう…信じたい。
ボクが望んだ強さ。それは傷を傷として、弱さを弱さとして認められる力。
震える指先。でも―迷わない。本当の敵は傷を隠そうとする己の弱さだと思うから。緑が浸透したあの日。日差しすら差さなかった心が、鮮明に色づいてゆくのを感じた。
だけど。それが恐かったのも事実。自分の手にした色はきっと黒しかなくて。描かれてゆく綺麗な色彩に、自分の色が不必要だと感じたゆえの恐怖。その弱さを認めることさえ恐れた。でも。

―お帰りなさい

そう言って。16才の自分を優しく抱きしめる。
腕の中で泣きじゃくるボクの頭を。優しく子供をあやすように撫でる。ゆっくりと、ゆっくりと。
震える指先で開いた扉の向こう。笑顔があった。心地よい…居場所があった。

―ただいま

泣き笑う16才のボク。持っていた黒が、鮮やかな心の色彩の中描かれてゆく。
がむしゃらに塗りつぶすわけでは無く。存在を引き立てるための影として。
そうだ。黒だって無駄じゃないんだ。色づいた心にも、過去という黒は必要で。それは今を彩るための綺麗な―色彩のひとつ。
遠くでその情景を見つめている5才の自分を見る。
今はまだ。彼女まで色は届かない。なんて弱い自分。だけど。いつか、きっと。

―君を見つけにいくよ。

微笑む。たぶんそれは今の自分に出来る最高の笑顔。
そんなボクを見て。5才のボクは、一瞬呆然としながらも、ぎこちない笑顔で手を振ってくれた…。

そして再び閉ざされた扉。でも、その扉の鍵が。この握られた手の中にあるのはボクだけの秘密。
いつの間にか森の中にいる自分。仰向けになっていた自分の手の中。繋がれたカナの手。
そしてその先にあるカナの姿が。仲間の姿が。鍵だなんて。

―それが素敵だと思える自分がそこにいたのが無性に嬉しかった。

■『旋律の果てに』
〜6年前〜
静寂に包まれた中。イルゼイは道場で初老の男と対峙していた。
その手にあるのは…黒き殺戮者。我が魂を解放させし物。運命の角笛が鳴るその時まで眠り続ける宵闇の刃。
男の手にある物は紅き反逆者。角笛の鳴るその時まで主に従う悪魔の鍛えし諸刃の刃。
己の息は既に荒く、初老の男は息一つ乱していない。
腕の差は歴然としていた。
男は己より遥に腕が立つ人物…何と言っても、私の師…父なのだ。
しかし…私は今父を乗り越えなければならなかった。
父の姿は何処までも凛々しく。自分の死期を受け入れた者にのみ持つことの出来る穏やかさがあった。
―刹那。黒き剣が煌き、紅き刃は唸りを上げる。
黒き剣に不釣合いな鮮明な赤が交わる。
「それで…いいんだ……俺の死に…涙を流すな…前を向いて…生き…ろ…」
穏やかに微笑む父に。イルゼイは言葉を発する事も出来なかった。この役目を与えた父をただ恨みたかった。
そして鳴り響く角笛の旋律。悲しみの旋律。
〜5年前〜
イルゼイは涙を流し、吼えていた。
夜空に響くその声は、剣の唸りと共に妖しく森に木霊し、悲しみを増幅させる。
目の前に転がっている骸…それは未だに暖かさを持っていた…
身体を真っ二つに裂かれ、絶命している友の亡骸…それに心が慟哭している。
あまりにも深き後悔で心を裂かれそうになっている。

数時間前…イルゼイと“彼”は森の中の獣道を歩いていた。私は、“彼”の前方を歩いていた…だから、気付けなかった。
―“彼”が手に剣を持ったのを。
幸か不幸か背後から殺気を感じ、真横に跳んだ。さっきまでいた場所を剣が通り過ぎていく。剣には見覚えがあった…“彼”の剣だ。
怒りに我を忘れて振るった凶刃によって、友は物言わぬ骸となって横たわっていた。
あの瞬間。
避けられるはずの刃をあえて受けた友の瞳は。いつか見た父の瞳と何処か似ていた…。
そして鳴り響く角笛の旋律。
受け入れるべき運命という名の。残酷なまでに美しく、狂おしい程の音色…。

…ガキン!!
響き渡る剣戟。
イルゼイを切り伏せるはずのその二つの刃は。イルゼイの意志とは反して抜刀された黒き殺戮者という名の剣によって寸前で止まっていた。
「―……抜いたな」
その瞬間を待っていたかのように口を吊り上げる2人。
そして響き渡る角笛の旋律。

―コロセ

沈黙していた黒き殺戮者が刀身を露わにし、イルゼイに語りかける。感情が沸き立つ。殺意にも似た敵意が芽生え始めるのを感じた。
眼前には、そのイルゼイの気配を察した2人が、寸分の隙も無く剣を構えている。
だが。
「―…黙りなさい」
イルゼイは静かにそう答え、抜き身となった黒き殺戮者を再び鞘に収めた。
己の激情に流された結果―父と友の死。それにどのような理由があろうとも。どのような思いがあろうとも。それは、間違えなく私自身の弱さが巻き起こした最悪の結果。
「私達を前にして剣を収めるなど…死ぬ気か…?」
父が構えを解かぬまま、イルゼイに問いかける。
「―…もう…終わった事だよ、親父、オレアノ…」
その言葉を口にしたイルゼイの瞳は、悲しみと申し訳なさが同居したような―そんな色に染まっていた。
自分の過ちを過去のものとするつもりはない。
『大切な者をその手で殺めた』
良き感情ですら多くを失うのだ。それが、悪しき感情ならば…想像もつかない。
だから感情を制御するために己の中には、誓いのみがあった。生きる事・まだ見ぬ主を護る事・誓いを守る事。
それ以上を望めば、失う対象が増える事で、また激情に流されてしまうのを恐れた。
そして気がつけば。歩んでいたはずの道は途絶え。戻る道すら見失っていた。
「終わるはずなどない」
そう。それは終わる事などない消失。
だが、遠い昔。
『前を向い生きろ』
そういって、己の糧となった者がいる。死を賭して、己の進むべき道を照らしてくれた者がいる。
そして知った。忘れてしまった優しさは包容力を。弱さはそれゆえの向上心がある事に。
全てを包み込む心は強さの証であり。
己の弱きを知る事こそがさらなる高みを求められる。
「まだまだ未熟者ですが…どうか見守って下さい」
イルゼイには珍しい苦笑いを浮かべ、2人を見た。
「―……ふ」
2人はそんなイルゼイを見て、一瞬顔を合わせ、
「まだまだ安心して眠れそうにないな」
苦笑したのだった…。

―角笛は鳴り響く。ただ静かに。心に宿りし心を称え。

「――なに?」
森を駆けている最中。セフィーナの突拍子の無い問いかけの意味が理解できず、ティムは首を傾げる。
「だから、ね。初めて会う人の善悪を試すもっとも最良な方法って何だと思う?」
不安を拭いきれず、この状況への説明をセフィーナに求めたにも関わらず返ってきた質問にティムは困惑した。
「どういうことだ?」
「―その人の過去の過ちを嘘偽り無く知る事」
前を行く、ティナが高揚の無い声で、答える。
「なるほど。過去はその人の人格そのものだからな。確かにそれなら性根の善悪も判断できるな」
ティムが納得と言わんばかりに頷く。
「それが…私やトウカが過ごした里が、少なからず平和だった理由よ」
そんなティムにセフィーナが言葉を返す。
「…死を賭して、過去の一番辛い過ちに直面した時にこそ、その人の善悪が判断出来る。そして、それを判断するために、最良の試練。それが―」
セフィーナの言わんとする事が理解したティムがその名を口にする。
「―この森。“断罪の森”ってわけか…」
ティムの言葉に、セフィーナは無言で頷く。
「…森じゃない」
ティナがティムの言葉に釘を刺すように呟く。
「森じゃないって…どういう事だ?」
「いいですか?よく考えてみてください。ただの森に爺様達が何重もの結界を要する理由を。そしてその森がアンデッドを使役してまで、侵入者に攻撃を行う理由を。何より―」

―結界があるからこそ、試練として機能しているという事に気がついていますか?

そのティナの言葉に。ティムは戦慄を覚えた。
「…おい。まさか―」

―ええ。ここは“森”では無く。モンスターの胃袋の中です。

幻霧の巫女姫は。そうはっきりとティムに告げた。

■『大切なモノ』
三年前。
当時の家である教会に帰ってきたリオが見たものは、ボロボロになった礼拝堂と三人の男達。
大柄で筋骨隆々の狂戦士。細身の翔剣士。そして張り付いたような笑みを浮かべる邪竜導師。
そして血塗れになって倒れている父と。倒れそうになりながらも三人を睨みつけている母だった。
咄嗟に子心に母を守ろうと相手に殴りかかったのが、いけなかったのか。
その行動の結果は。リオを庇いながらも最後に笑みを浮かべながらも死に絶えた母と。腹を抉られ。母の亡骸の下、独り無力に苛まれただけだった。

「―よう…望み通り殺してやったぜ?」
眼前には、先程まで己を追い込んでいた三人の男達が、その男の手によって絶命していた。両親がその男達に殺された頃だろうか?その人格が生まれてしまったのは。リオは何も考えずに、倉庫に閉まってあった巨大剣を手にして荒野へ向かった。
そこではただ生ある者の生を奪い尽くすためだけに剣を振るった。まるで、救えなかった命を。他の命で奪い返すためのように。ただひたすらに。
「ぼそっと突っ立っていていいのか?」
男の言葉に、リオは倒れた男達から視線を外し、顔を上げる。
そんなリオの姿に、男は満足そうに口の端を吊り上げると―
「―死ぬぞ?」
言うが早く。リオの首を切り落とさんとする斬戟が目の前に迫っていた。
「―…くっ!!」
咄嗟にその凶刃を回避しようとリオが体を捻った刹那。
「いいのか?」
男はそんな馬鹿な質問をした。
「前線で突っ立っているお前が、攻撃を避けるという事は。後の2人を見殺しにするということだぞ?」
「――……っ!!」
心底愉快そうに。男が笑う。その言葉に反応が遅れたリオに容赦ない刃が迫る。
ザシュ…!!
何かが。切り裂かれた。いつかのように。その人の暖かな胸に抱かれながら。腹に走る鈍い痛みも。そして。再び失われてしまった命に。リオは呆然となる。
「リオ!!リア!!」
己と母の名を呼ぶ父に。あいつが嬉しそうに刃を突き立てる姿をその目に焼き付けた。
「―…す」
呟く。母の亡骸をそっと横へ移動させ、立ち上がりながら、リオは呟いた。
「―…殺す」
はっきりと。目の前の敵を見据えて。そう断言して駆けた。
だが。
「……遅い」
腕の差は歴然。容赦なく床に叩きつけられたリオはなす術なく地に平伏す。
「ふん。いいか?これが貴様の現実だ。お前がオレを使い、生を奪ったように、お前の大切なモノだって平等にオレの手によって奪われる。それを否定するだけのお前と。現実の世界で、生と死が隣で微笑む中過ごしたオレ。奪う者としての差だ」
―違う
男の言葉を心で否定した。
「違わない。何も、な。だからお前は今こうして無様にも地に平伏し。オレはそんなお前を見下ろしている」
―違う
その言葉だけ繰り返す。
「何が違うんだ?違わないから、お前は―」
「―違う!!」
その言葉と共に立ち上がり。リオは男に斬戟を加える。存分に油断していたせいか。男は何とか避けたものの、頬から血が滴り落ちる。
「―…やろう」
それを拭い。悪鬼の如く視線で、リオを、獲物を見定める。
「…違う」
そんな敵を前に。リオはその言葉を再び繰り返した。
そう。違う。男が言ったすべては。間違いではないのだから。それを否定している自分自身にリオは言い聞かせた。
“あれは僕じゃない。僕は違う”
そういって逃げてきた。そしていつしかもう一人の自分を消し去る事が、過去に立ち向かう事だと、勝手にその考えを正当化しようとしていた。それこそが過去から逃げているという事に気がつかないまま。
違うのはそんな自分自身の考え。
あれは他でもなく自分なのだと。自覚する事が、本当の過去との対峙の第一歩なのだと気がついた。
そして。気がつかせたくれた大切な人のために。絶対ここで負けるわけにはいかない―!!
「ふん。違わないさ。お前はここで死に。ティナとかいう女もここで死ぬ―」
そんなリオの心情を知らぬかのように、敵は可笑しな台詞をはいた。その言葉にリオの心がざわついた。
ティナが?ここで?死ぬ?どうして―?
その言葉の意味が理解できないでいる敵は。
「あぁ…。お前は知らないのか?ティナが、この森での人身御供になった事を」
哀れんだ瞳を覗かせ。リオの疑問に答えた。
「――な」
その返答にリオの頭は真っ白になる。様々な疑問が巡る。
「―…っ!!」
リオは慌てて身を翻した。だが―。
「―そう易々と行かせると思ってるのか?」
男はあざ笑うかのように、リオの行く手を阻んだ。
「どけっ!!」
リオが吠える。手にした巨大剣を、力の限り眼前の敵に叩きつける。
「ぐっ!?」
その一撃の重さに、思わず男は後ずさる。そして、その隙をリオが見逃すはずも無く。
「…ふっ!!」
その脇に、足を捻じ込んだ。
男は数メートル弾かれ、膝をつく。
その先にはすでにリオの姿はなく、景色もいつの間にか、霧の深い森へと変わっていた。
「―さて」
まるでダメージなど無いその体を起こし、男は振り返る事無く言った。
「これで満足か?」
それは誰に向けられた言葉なのだろうか。
だが、一陣の風が吹き、草木が不気味に揺らいだ。
―笑ったのだろうか
「餌は与えたんだ。後は好きにするがいいさ」
男達と、リオの両親の亡骸を指差し。男は、深い霧の中去っていった…。

「……おかしい」
その光景を見ていた老師は狼狽を露わにした。
「結界内では、呼び出された魂は皆、一定の記憶が残る程度までに抑えたはずじゃ…」
最初は滞りなく進んでいたはずだった。だが、最初の試練から時間が経てば経つほど、妙な意識が混じり込んでいる。
これは―。
「長きに渡り、試練と称した討伐が行われていないため、結界が主によって破られつつある、ということでしょうね」
涼しげな表情で、老師の疑問にトウカが答える。
「―…貴様」
トウカの胸倉を掴み、壁へと叩きつける。
「…仲間を殺す気か?いや、万が一無事に試練を終えたとしても、主に大切な者達の魂を喰わせる事になるのだぞ?」
「―…そう、なるでしょうね」
まるで氷のように冷たい表情を浮かべ、トウカは変わらず答えた。

―もちろん。空腹である主がそう易々と皆を逃がすとは思いませんが。

■『二者択一』
8歳の時。姉が兵士として連れて行かれそうになっているのを見て、俺が行くと叫んだ。もちろん兵士達は笑ったが、勝負を申し込み…見事叩き伏せた。
幼少の頃から剣を学んでいたので、その後の戦場でも生き抜く事は容易かった。
人を斬る事さえも、姉のためとしか考えていなかった為か、いつの間にか罪悪感は薄れていたのかも知れない。
そうして兵士としての月日が流れる内に、一つの戦が起こる。
兵士である俺自身も当然戦場へと駆り出されたが…戦況は明らかな負け戦だった。
指揮系統は崩れ、繰り返される略奪。
急いで、自分の家へと向かった俺が見たものは―。
返り血さえも美しい化粧へと変え、凛然と佇む姉の姿。その美しい姿に目を奪われながらも、無事を安堵し姉の下へと走った。
それが愚かだったのか、否か。
駆け寄るこちらの姿に気づき、姉が注意を放した刹那―1本の流れ矢が刺さったのだ。
まるで嘘のように、ゆっくりと流れる時間。そしてその場に崩れ落ちる姉。
抱き寄せた姉はとても華奢で。
泣きたくなるほど…儚い存在だった。
「生きなさい……」
「守る誓いを果せなかった……」
「大丈夫、何時も護られていた、それに私は果せなかったもの」
「……何を?」
「……生きる事…よ」
「……」
「だから、私の分も生きて…ね?誓いが二つになるけれど…―なら大丈夫よね」
「……ああ」
「……ふふ…良かった…………――怖いよ…まだ逝きたくないよ…―…」
抱きしめ―――を交わす。
「……ふふ、嬉しいな…――も好きでいてくれたん…だ」
姉は微笑み、静かに息を引き取った。
誓いを違えたあの日。人の殺すという意味を知った―忘れるべきではない誓いを心に刻みつけた日。

「―…ぐっ!!」
咄嗟に後方に跳び、なんとか致命傷は避けたものの、イズミが受けた傷は決して浅くはなかった。失われてゆく血が多いのか、視界が揺らぐ。追撃の数手を防いだだけで体を支配するこの倦怠感。
―拙い
切れかける意識を繋ぎとめるかのように、イズミは必死に言い聞かせる。
だが、意識を保ったところで、姉相手に刃を向ける事など、イズミにはできはしない。出来る事があるとすれば、姉の気が済むまで刃を交わす事ぐらいだ。
だが、力尽きて倒れた後、待っているのは確実な“死”であろう。だが、それも赦されない。目の前の姉に託された誓いを守れなくなってしまう。
―参った
イズミが自嘲気味に口を吊り上げる。だが答えは簡単。どちらかの誓いを破れば、この戦いの幕は引かれるだろう。姉を倒せば、他者を護るという誓いが破られ。姉に倒されれば、生きるという誓いを破る事になる。
二者択一。それが、この森が己に問う試練なのかも知れない。
だが―。
「……残念だがどちらも御免被る。嫌なんで、な」
それはイズミにとっては、珍しい言葉だった。冷静に戦況を把握し、己の最善の一手を選び出す。それがイズミの戦闘スタイル。だがイズミの口から出た言葉は、ただの否定のみを主張した、感情論。嫌だから。どちらも選ばない。
そんな言葉、自分には一生縁が無いと思っていた。だが実際はどうだ。自分でも驚く程容易く口にした。
「そう。じゃあ死になさい―!!」
その言葉に、少し寂しげな表情を見せた後、姉はその手にした槍を突き出す。
イズミも迎撃のために構えるが、視線が定まらない状態ではその槍を補足する事は困難だった。
「まだまだ…なんだなイズミ姉さん」
斬りつけられ、倒れ伏したイズミが自棄気味に呟いた。
「…シコウ」
懐かしい名で呼ばれた姉が弟の名を呼ぶ。イズミの過去の名―シコウ。すでにその名を知る者はいないだろう。なぜならそれは姉―イズミの命と共に消えたモノ。
「貴方はいつもそうね…。他人のためには刃を振るうというのに、己のためには振るわない」悲しげに。だが、慈愛に満ちた声色、表情で姉は倒れた弟に語りかける。
「だったら―」
その狂気を孕んだ姉の言葉に戦慄を覚えたその瞬間――
「――…イズミ兄?」
その声にイズミは慌てて失い始めた意識を繋ぎとめる。顔を上げ、見つめた先には、
「イ、オ…?」
イズミの義妹であるイオが困惑気味の表情を浮かべ、こちらを見ていた。
「邪魔ね…」
その言葉と共に視界に姉の後ろ姿が写る。
その言葉の意味を理解したイズミは、声の限り叫ぶ。
「イオ!!逃げろ!!」
いくらイオが冒険者だといえ、己ですら勝てるかどうか解らぬ敵に狙われて、無事で済むはずがない。
だが、イオは一向に逃げようとはしない。それどころか、自分に近づく姉の姿すら見えていないようにも見える。
「―…くっ!!」
傷つき動かなかった体。だがそんな理性の上に成り立っている安全装置など除外してイズミは立ち上がる。
そして一言。
「―…止まれ。止まらなければ…斬る」
厳かに。だが確かにその禁句を口にした。
「―……!!」
その言葉に歩みを止め、その覚悟に姉は息を呑む。だが振り返り、弟の姿を見て静かに微笑むと。
「止めてみなさい」
その言葉を残して、駆けた。
「―…ふっ!!」
一足の元、姉の背後まで間合いを詰めたイズミは、迷うことなく鞘に収めた刀を一瞬にて解き放ち、その速度を持って相手を切り伏せる。
―居合い斬り。鞘を収めた状態での初撃ならば、最速を誇る抜刀術。
「甘いっ!!」
初めて見るであろうその技ですら、姉はいとも容易く上空へと身を翻し避ける。不用意に間合いを詰めた事をあざ笑うかのように、イズミの肩に斬撃を加えて。
だが、そんな事はイズミも承知の上。初撃はイオを巻き込まぬように距離をとるためのもの。狙いは上空へと身を翻したために回避不能になったであろう広範囲への攻撃―!!
すかさず姉のいる上空に向けて刀を翻すと、流水激奥義を放つ。
だが―。
「……疾っ!!」
姉の持つ槍が美しく閃き、一筋の光の線を描く。イズミの放った横凪ぎの斬撃。それを同等もしくはそれ以上の斬撃を持ってそれを突破する―!!
初めて見るはずの冒険者としての力―アビリティ。それすら凌駕する姉の技量。イズミ自身それは理解していたつもりだったが、それでもやはり驚嘆に値する強さ。
「………」
姉の追撃を避けるため、イズミはその場から飛び退き、元いた場所で再び刀を構える。そしてふと。笑みがこぼれた。
姉はやはり自分の目標であって、憧れであったのは間違えでは無かった。そして己は姉の名を誇れる者で在り続けようと。再認識出来たのだから。
眼前には美しく戦場を駆けたあの日のままの姉の姿。
唯一心残りがあるとすれば…あの優しかった姉が、イオに刃を向けようとした事。だが、それは今の姉にとっては、イズミに己を敵として認識させるための手段だったのかも知れない、とイズミは今更ながら考えた。
だが、今となってはその意味はないと姉も感じているのだろう。己の背後にいるであろうイオには見向きもせず、ただ黙って槍を構えている。
イズミは刀を鞘に再び納め。駆けた。
二つの影が交差する瞬間。抜刀の際に、力を込めたイズミの肩に激痛が走る。先ほどの斬撃による傷だ。
「……ちぃ!!」
構わず、イズミは抜刀を試みる。数秒の遅れ。だが、それは互いが熟練者同士ならば致命的な遅れになる―!!
しかし。
「―殺させないわ」
そんな不可解な言葉を呟き、姉の動作が僅かに鈍る。
その刹那。
渾身の力を込めて抜刀されたイズミの刀の矛先が輝かしく雷光を発しながら閃いた。
秘剣―電刃居合い斬り
卓越した武人のみが扱える、最上級ゆえにたった一度しか行えない上級アビリティ。
「……強く…なったのね」
微笑み。力無く倒れそうになった己を抱きとめたイズミの頭を撫でる。
イズミは目を瞑り、そんな姉の温かな掌を受け入れる。
「……今はここまで力をつけたんだ…誓いは守っているよ…姉さん」
声を押し殺したようなか細いイズミの呟き。
「―…そうね」
彼女は弟の強がりに微笑ましく感じていた。いつの間にか感情を表に出さなくなっていく弟を見守る事しか出来なかった。
だけど…今なら伝えられる言葉があるだろうから。

―シコウは…過去の“イズミ”として生きるんじゃなくて…“イズミ”としての人生を生きてね

これが姉としての言葉。
不器用な弟への。そして最愛の人へ送る、言葉だった。
彼ならば私の果たせなかった誓いを破る事無く、もっと多くの人々を救える事が出来るだろう。だから―彼をここで死なせる訳にはいかない。
「―“燐界せし幻影よ。泡沫の夢より醒めて現を謳え”」
その瞬間。あれほど抱きしめていた姉の体から離れて、イズミの体は闇に落ちてゆく。
『この感覚は―!!』
そう。イズミには覚えがあった。確かこれは…シズクが唱えた解呪に似ている。
「姉さんっ!?」
それこそ意味が解らない。いったい姉は犠牲になって何から己を護ろうとしているのか。そう―この解呪はあのシズクと同等の意味を持つモノだと感じたのだ。それに逃げるのならば、あの場にいたイオも危険だ。
必死にイズミは抗うが、どんどんと引き離されてゆく。
そして。
視界が闇に飲まれる瞬間。イズミが見たものは。
背を向けた姉の背中に見慣れぬ矢が刺さっていて。その姉が、装飾品が一切無い綺麗な腕を組みながら微笑むイオに刃を向ける姿だった…。

■『静寂の森』
「…………」
「…………」
最終結界での試練を見終えて。老師は静かに目を伏せた。
「………やはり」
老師が渋面で呟く。だが、これはあえて皆には伏せていた部分。だがそれこそが『断罪の森』その正体なのだ。
アンデッドがなぜこんなにも大量に存在するのか?
なぜそのアンデッドを媒介とし、死に絶えたはずの魂を呼び寄せるのか?
その答えは――。
「…“魂喰らい”」
そう。この森に存在するアンデッドは、過去老師達が結界を張るまでの間に、この森に迷い込み、魂を喰われてしまった者達の末路。
そしてこの森はそれだけでは飽き足らず、より多くの魂を捕食するため、迷い込んだ者達の想いを利用してその親しき魂を呼び寄せ、その魂をも喰らう。
老師達が作り出したもの―それは結界によって試練に為り得ただけの事。
そしてそれは生贄によって定期的にこの森の主を呼び寄せ、退治する慣わしがあったというだけなのだ。定期的に行う事で、主が空腹のあまり暴走する事を抑えると共に、力は蓄える事を避けていた。
そしてそのために必要な生贄という存在。
それが――幻霧の巫女姫なのだ。
巫女が囮になり、屈指の戦士で形成した討伐部隊にて主を眠りにつかせる。いわば、試練に向かった者達は、重要な先陣部隊。主以外の者を排除及び足止めするための部隊。
今回はその囮である存在がこの場に存在しない。それが意味する事。
それは空腹の主が魂を求めて、足を踏み入れた者へ牙を剥くという事だ。
「………トウカ…この責…取る気はあるのじゃろうな?」
老師が語気を荒げてトウカを見据える。
老師は所詮泡沫の幻の存在。皆がこの森の存在を知り、入る事を望めば、拒めないのだ。
それはトウカが一番理解していた事。なのに、強制的に試練を実行したのだ。たぶん。いや、確実にこうなる事を予想した上で。
「―…この身尽きるまで」
だがトウカは老師の問いに涼しげに答え、頭を下げる。怨まれる事など恐れていない。大切な事はそんなモノではないのだから。己にとって大事なモノは―。
「…よかろう」
トウカの考えは一向に読めない。だが“責をとる”という意味すら理解出来ていない道化だとは思わない。
「―…ゆくぞ。せめて皆の魂を喰わせるわけにはいかん」
その言葉にトウカは静かに頭を上げる。そして身を翻し。老師と共にその場を後にしたのだった…。