10月27日(月) 1日目

我が家では、外出するときに家を出るのが遅いのが通例です。それは嫁さんに私からできた最大のプレゼントかもしれません。今回私が家を出たのも14時を回ってからでした。どの道を通ればいいのか、お金がないのですべて下道を通ります。家を出たところでカーナビに経路を聞いてみました。すると、私が持病でお世話になっている病院の前を通って行きなさいと教えてくれます。おまけに、その先にある1泊入院した病院の近くも通りなさいと。自宅からそこまでは4時間あまりでしょう。今日の行程の6割が慣れた道になりました。京都から伊勢の二見海岸までは工場や事務所、民家が続きます。途中の鈴鹿峠付近だけは民家が見当たりませんでしたが、すでに暗くなっていたので車のライトがあたる範囲しか見えていません。
伊勢の近くの二見海岸、そこが私の今回出発地点です。そこで朝を迎えてお伊勢さんにお参りして、今回のぶらり家出の一人旅がスタートします。
上の地図は今回の行程です。スケジュールを決めて家を出たのではありませんから、結果的に通った道というものです。出発の京都と、終着の大阪は私の自宅をぼやかすために記したもので、自宅にはそこから車で3時間ほどかかります。



朝の二見海岸
1:大きな写真はこちらです。


10月28日(火) 2日目

朝、二見海岸で日の出写真を取るつもりでしたがあいにくの曇り空でした。
写真撮影をする有名なポイントがこの近くにあるはずですが、この曇り空ではもうひとつでしょう。よってその場所は探さずにお伊勢さんに参拝することに決めました。

伊勢神宮境内の駐車場に車をとめた時、ほんの少し霧雨が宙をただよっている程度でした。平日の朝ですから人はほとんどいません。
静かです。
境内に入ると雨脚が強くなってきました。傘は車の中です。神事では、催しの前に雨が降り、本番前に雨があがって青空が広がるのがいいとされているようです。お清めの水、雨が不浄を洗い流してくれます。大きな木の下を歩きましたが、雨足が強くなるにつれて、その下まで木立に保たれていた雨つぶが落ちてくるようになりました。まだ風邪が少し尾を引いていますがしかたありません。森林浴を体一杯に浴びて、私と皆さんの持病も洗い流していただくように祈りながら。
今回でお伊勢さんは4度目になります。10年前に偶然に年に3回お参りをしたことがあります。伊勢志摩スペイン村まで行った家族旅行、勤務先で仕入先の懇親会、勤務先の社内旅行が同じ年に重なったのです。


一般の参拝者がいけるのはこの階段の上までです。
写真撮影が許されるのはこの階段の下までになっています。

2:大きな写真はこちらです。


朝もやに包まれた伊勢神宮の祈祷所です。
3:大きな写真はこちらです。



伊勢神宮の参拝を終えて今回の目的のひとつである紀伊半島東海岸沿いを走ります。紀伊半島の西海岸は20年近く前に家族旅行で走ったことがあります。紀伊半島の東海岸がテレビで放映されることはほとんどありません。私にとっても未知の世界です。伊勢から30分くらい走ってからでしょうか、ようやく道沿いの民家の並びが途切れてきました。曇り空、天気予報を確認してから家を出たのではありません。時間が取れたときに家を出ましたから、今回の旅行は、その最後まで雨の中になるかもしれません。
尾鷲では 南東の風 風力1 雨 1002mb。皆さんそれをご存知でしょうか、私は中学生の頃にラジオの気象通報を聞きながら図面にそれを書き込んで天気図を作ったことがあります。その時に紀伊半島東岸の尾鷲の気象観測所データも放送されていました。よって今もその地名を覚えています。小さな町ですが、海の他3方を深い山に囲まれていました。車が一般化されていない時代、この土地の人は人や物品について他の土地と行き来することなく、そのほとんどをこの地元でまかなっていたのでしょう。多くの人が移動距離を気にすることなく地元を離れて動き回れるようになったのは、自家用車が出回ってからだと思います。日本中で、文化や産業の標準化が進みました。



尾鷲を出た峠道から
4:大きな写真はこちらです。


雨が強まることはありませんでしたが曇り空が続きます。一路、本州最南端の潮の岬を目指しました。港町の見えるドライブインで昼食をとったあとは、ただ走るだけです。




本州最南端、潮の岬の展望台
5:大きな写真はこちらです。

夕闇が近づいてきた頃、ようやく潮の岬に入りました。上の写真がそこにある展望台です。
証拠写真です。
ここに足を踏み入れたときからの疑問は今もとけません。
私は、かってここに来た事がある。
この風景は見たことのあるものだ。
15年前の家族旅行は白浜までしか走らなかったと思う。それなら、ここに来たのは会社の社内旅行でしょうか、覚えがありません。でも、確かに、ここには来た事があると思う。それは勘違いなのでしょうか、
空には、雲の切れ間に青い空が見えるようになりました。明日は雨か晴れか、



10月29日(水) 3日目


橋杭岩の朝焼け
6:大きな写真はこちらです。

潮の岬を持つ町、串本の橋杭岩です。
ここも写真撮影の名所です。
この海岸に立つ岩を説明した案内板がありました。
引用します。
−−
−−吉野熊野国立公園 天然記念物
−−橋杭岩の伝説
−−その昔弘法大師が紀州行脚の際、この地に立ち寄り向かいの大島に渡るため天邪鬼に
−−手伝わせて橋をかけ始めたが、天邪鬼がくたびれて鶏の泣声をまねたので大師も夜が
−−明けたと思って中止し、その橋杭だけが残ったといわれている。
−−
この文中にある大島は潮の岬のすぐ南にある島で、今もそこには集落があります。トルコ軍艦の遭難事件に際し、島民みんなで救出活動をしたことでも知られています。その島につながる橋が3年前からできていますが、私もその橋を渡って、車の走れるところまで行ってみました。橋ができるまでは渡し船だったようです。
書かれている弘法大師の話しは、なんとも優雅な話しだとお思いになりませんか、
弘法大師がそんな鳥の鳴き声の声音にだまされるはずはないでしょう。でも、弘法大師がだまされることも認める。それが日本の文化、日本の民話の特徴なのかもしれません。


そして、日の出を狙って暗いうちに起きたのです。
上の写真を見てください。ようやく明るくなってきたのですが、水平線にもやがかかっているようで、すでに太陽は海の上に出ているようです。残念ですが日の出を皆さんにお伝えすることはできません。でも今日はいい天気になりそうで、青空の下で名所が撮影できるかもしれません。


しかし、実はその時には日の出はまだだったのです。
もうだめかと思ったのが間違いでした。
そのあと、無意味な時間を過ごしてしまいました。
少し場所を変えると、明るい太陽がすでに水平線上に浮いていました。
最初にいたところでは太陽は島影に隠れていたのか、本当に朝もやに隠れていたのか、どちらなのか定かではありませんが、水平線上に日の出が見えたはずなのです。そうしているうちにどんどん太陽は高くなっていきます。あわてて写真を撮ろうとしますが、このデジカメでは明るい太陽まるごとは撮れません。そこで太陽本体を岩陰に隠してごまかしたのが下の写真です。

よって、今回の旅の主要な目的であった、日本海側では見えない水平線に顔を出す日の出の撮影はできませんでした。「日の昇る国の王から」それは聖徳太子が中国の王に宛てた手紙の一文です。
もう1日、この近くにとどまって日の出を待つことも考えましたが、そこまで執着する気にはなりません。後ろ髪を引かれる思いであきらめました。
カメラチャンスは難しいものです。
まして、それを商売にされるプロカメラマンならなおさらです。
1。その日は晴れるか、
2。その場所は最良か、
上記2については実際にそのチャンスにならないと、その時が来ないとわかりません。
そこが最良だと確認できたときには、時間的にシャッターチャンスを逃している可能性もあります。
ただひとつの目的物を撮る為に、プロならそれに1週間かけることがあるかもしれません。

近くで早朝から開いていた喫茶店に入って次の情報を集めて車を進めました。
次は那智の滝、熊野那智大社に行きます。


橋杭岩の日の出
7:大きな写真はこちらです。



TOPページに 次のページに
2003年10月 南紀紀行(1)