〜忍性菩薩とは〜

良観房忍性(りょうかんぼうにんしょう 1217-1303)
 良観房忍性上人は鎌倉時代に活躍した律僧で、健保5年(1217)7月16日に父・伴貞行、母・橘氏女の子として、大和国城下郡屏風里(磯城郡三宅町)の地に誕生した。母の影響で幼少より文殊信仰と行基崇敬に親しみ、貞永元年(1232)母の逝去を機に16歳で額安寺に入って剃髪、延応元年(1239)以降は西大寺中興開山の叡尊上人に師事して、西大寺に常施院を建立して病者を収容し、師とともに額安寺西辺や奈良坂・般若寺近郊の北山宿などで文殊供養と非人施行を実施し、寛元元年(1243)には丈六文殊像を造立したという。また宝治2年(1248)には同法定舜が宋から将来した仏教戒律の根本教典である律三大部を鎮西から求めて西大寺に納置するなど、叡尊とともに文殊信仰の昂揚と戒律復興に尽力した。建長4年(1252)東国布教のために関東に下向し。常陸三村寺ついで鎌倉極楽寺を拠点として真言律の教線を拡めた。とりわけ衆生利益・民衆救済の活動に一生涯を捧げ、貧窮民への施物や病者を収容する療病所・浴室の開設などの福祉事業を推進したり、架橋・造路・掘井などの土木事業を主権するなど、慈善救済事業の面で多大な業績を残した。その活発な民衆救済活動は、師の叡尊をして「良観は慈悲が過ぎた」と評価せしめるほど徹底したものであった。その一方、蒙古襲来の際には北条時宗の命に応じて祈祷に大成あり、またたびたびの請雨祈願に効験あり、朝幕の篤い帰依を得て、摂津多田院別当、奈良東大寺大勧進職、大阪四天王寺別当などの重職も歴任した。嘉元元年(1303)7月12日に世寿87才で極楽寺で入滅。御遺骨は極楽寺のほか出家の地である大和額安寺、行基廟所である生駒竹林寺の3ヶ寺に分葬された。すべて中世の石製墓塔(五輪塔)の貴重事例であり、特に昭和61年の竹林寺墓塔の発掘調査により行基埋葬に倣った形式であることが確認された。嘉歴3年(1328)に生前の功績をたたえ後醍醐天皇より菩薩号を諡られた。【西大寺「祖師のおすがた」】
生涯に草創した伽藍の数83ヶ所、供養した御堂154ヶ所、結界した寺院79ヶ所、建立した塔婆20基、供養した塔婆25基、書写させた一切経14蔵、描いた仏の図像1355図、病人・貧者に与えた衣服33000着、寄進した水田180町、修築した道71ヶ所 、架けた橋数189ヶ所、掘った井戸33ヶ所、建造した浴室、病院、施設 5ヶ所
 【性公大徳譜より】


 

忍性菩薩御生誕800年記念法要

場所:北山十八間戸・般若寺

2017年7月16日(日
《報告》

7月16日に奈良北山十八間戸に於いて忍性菩薩御生誕800年記念法要を厳修致しました。
その際に福祉施設と北山十八間戸維持協力費の寄付金を勧進浄財致しました。その集計が出ましたので公表致します。
まず、福祉施設寄付金の集計が、お供え+記念グッズ売上金+勧進箱が合わせて153,020円でした。こちらの寄付金は東大寺福祉事業団様と宝山寺福祉事業団愛染寮様へ二分割して76,510円ずつ寄付させて頂きます。
そして、同じく北山十八間戸維持協力金の勧進箱も設置させて頂きました。こちらの集計は34,981円でした。こちらの浄財は管理をして下さっている方へ、北山十八間戸の今後の維持協力費として全額寄付させて頂きます。
今法要で集まった浄財は、皆様の御心の込もった大事なものです。忍性菩薩の御遺徳を偲び、皆様を代表して福祉施設、北山十八間戸管理者の方へ寄付させて頂きます。
ご協力ありがとうございました。
忍性菩薩顕彰会事務局

【常陽リビング】

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茨城県つくば市を中心に配布されている常陽リビング。三村山極楽寺跡公園に忍性菩薩のお像制作が進んでいて、一面記事になっております。
画像をクリックしてPDFをダウンロードしてお読みください。

【すずむし8号】

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真言律宗 総本山 西大寺が発行している新聞「すずむし」の第8号で、忍性菩薩御生誕800年の記念に際して小特集が組まれました。

画像をクリックしてPDFをダウンロードしてお読みください。


 
忍性ゆかりの古刹・名刹


 


 
現在製作中の忍性菩薩御尊像。仏像彫刻家の吉水快聞さんにインタビューしました。

 


 
講話のご案内


 


 
映画「忍性」監督 秋原北胤
キャスト和泉元彌・小林恵美・松田洋治・綾田俊樹 他  

 


 
東京日本橋まほろば館で忍性展が行われます。日時:平成28年6月9日(木)~6月21日(火)

 


 
忍性菩薩ゆかりの地を巡るツアー


 


 
忍性菩薩に関する書籍の紹介です。