物価高!カザフスタンで野宿を決行する!


市内を走るトラム
市場の肉屋で働く娘たち

【国際バスでカザフスタンへ!】

カザフスタンへ向かう場合、ウルムチから国際列車または国際バスを利用する方法がよく知られているが、私はイリという町まで行き、そこからカザフスタンへ向かう国際バスに乗車することにした。

理由は国際列車のチケットが取り難かったこと(列車の出発日に合わせてチケットが発売されるうえ、窓口は駅ではなく、湘友酒店というホテルの1階にあるオフィス。営業時間は10:00〜13:00、15:30〜18:00、しかも水・木曜日が休業でチケットの購入にはパスポートが必要。料金は491元だが、手数料50元を徴収される。毎週土・月曜日に出発するのだが、2006年2月には「土曜日の列車は無い」と断られたケースもある)、イリ河に掛かる石橋を見たかったこと(←メモリーカードの読み取りに失敗してデータが消失したが、橋自体には魅力が無かったような気がした)、なるべく中国に留まっていたかったこと(中華料理が名残惜しい)などが挙げられる。

2007年4月19日のイリの気温は暑く、半袖、サンダルという格好だった。ウルムチから到着したバスターミナルから国際バスが発車すると思い、近くにある招待所にチェックイン。ここならチケットもすぐに買えるし、早起きしなくてもバスに間に合う。そう考えたのだが、甘かった。聞くとアルマティー行き国際バスはここからかなり離れた場所にある(日中はバスを乗り換えて向かった)桃園大酒店の敷地内から出ているそうだ。チケットはそのホテルのロビーで屯しているカザフ人のおばちゃんから買うことになる。120元というチケットは値切ることが出来なかった。

翌朝、市バスの運行時間まで待てないのでタクシーで桃園大酒店へ向かう。タクシーの右上には小型の液晶テレビが付いており、中国タクシーのレベルの高さを感じるが、朝から大音量で中国語を流されると耳障りで堪らない。ホテルへ到着すると、中国人の20人ほどの団体と出稼ぎに行くおばちゃんたち数人がバスを待っており、一時間遅れでようやく出発。

そして5時間後、バスはまだイリにいた。走っているのではなく止まっている。どういうことかと言うと、故障である。一時間遅れて出発したバスは修理工場へ直行、エンジン部分の部品交換に手間取っている。そういう大事な部分は前日までに点検して完璧な状態にしておくべきなんじゃないか?という日本的な常識はここでは通用しない。

修理工場で4時間も足止めを喰らった挙句、コルガス国境の昼休みに引っ掛かって無駄な時間を過す。そして中国人と外国人とでは出国ゲートが異なり、別々に手続きを済ませるとさっきまで一緒にいた中国人たちの姿を見失い、更には国際バスの姿すら見失うとう失態を犯してカザフスタン側の入国ゲートでパニックに陥る。

「ちょっと中国側までバスを探しに行っていいですか?」とカザフスタン職員に訊ねると「ビザはシングルだから失効するわよ」と言われる。「バスを探しに行くだけなんですよ、パスポートに押されたスタンプはそのままでもいいんじゃないでしょうか?」と妥協点を探っても、「中国側へ戻るのだったら失効スタンプを押します」の一点張りで融通が効かない。

入口からしてこんなバカな国は訪れる価値もないと判断して中国へ戻っても良かったのだが、カザフスタンの態度だけでこの先に繋がるキルギス、ウズベキスタン訪問まで犠牲にしてしまうのは惜しいので我慢してバスが現れるのを凝っと待つ。おそらく向こうも私の姿が見つからず出発しようか、しまいか迷っているのではないだろうか。申し訳ない気持ちで一杯になりかけた頃、一台のバスがカザフスタン側イミグレーションに到着した。

カザフスタン職員に呼ばれて付いて行くと見覚えのあるグレイのバスが!午後3時30分に中国を通過してから実に3時間が経過していた。それにしてもよく邂逅出来たものである。バスに乗っていたカザフ族のおばちゃんや小姐は「わあ!ここにいたんだあ!」みたいな感じの笑みを浮かべてくれた。

カザフスタン側ではバスの荷物を全部降ろしてチェックを受けるため、時間が掛かり、イミグレーションを通過したのは西日が傾く頃だった。そしてカザフスタンの荒野の一本道をひた走ること10時間。目的地であるアルマティーに到着したのは午前4時だった。

床一杯まで荷物が詰まれた国際バス車内。
手前にあるのは私のバックパック

コルガス国境、中国のボーダーは辺境でも
立派で威圧感がある

カザフスタン側でチェックを受ける国際バ
ス。写真撮影禁止だと注意を受ける

【白タク・物価高に閉口する】


結局、イリからアルマティーまで20時間もかかった。終点はバスターミナルではなく、市内の路上である。地図で現在地を探すが、どこなのかサッパリわからない。乗客の中国人たちは三々五々に散って行く。隣に座っていたカザフ族の親切なおばちゃん(茹で玉子などを分けてくれた)も知り合いに電話を掛けている。

私はと言うと、まあ、あと2時間もすれば明るくなるだろうから、どこかその辺で時間を潰そうと考えていたが、中国とカザフスタンの間には2時間の時差があることに気付く。カザフスタンは午前2時か・・・。大人しく宿を探すことにする。

バスで一緒だったカザフスタン人の男性がタクシーを拾ってくれるという。こんな時間にも関わらず、大通りを走っている車の数は多い。しかし、タクシーらしき姿は見当たらない。どうするのか?と見ていると彼が片手を道路に挙げて合図した。その瞬間、通り掛かった3台の車が一斉に停車した。白タクか・・・そんな国なのか?これがカザフスタンの第一印象だった。

夜中なので300テンゲ(300円)払う。しかし到着したホテルは満室だった。一番安い1400テンゲ(1400円)のシングルは全部埋まっていると言う。ロシア語が出来ないため、交渉の仕様がなく、ガイドブックを見ても市内にある他の安宿は1500テンゲ(1500円)という安宿にあるまじき値段であるため、宿探しはやめることにする。

そして私が出した結論は野宿。

カザフスタンは資源に恵まれており、最近ではインフレ国家として知られるようになった。私が訪れた前後には日本と資源提供を結び、ますます物価が高騰した。

大体、1テンゲ=1円という水準自体、無理がある。こんなバカインフレ国家は潰れてしまえばいいなどと思いながら、その夜の寝床となったのは団地の建物(アパート)の一階にある狭いスペースである。

日本ならば差し詰め古紙回収置き場か、ゴミ捨て場になっているスペースである。そんな場所に身を隠すようにして夜明けを待つ。当然、寒い。

通算35ヶ国目にして何をやっているのだろうか?という疑念はこの際、差し挟まないことにする。

ホテル・サウレットの場所を教え
てくれたお姉さん

野宿は孤独で寒かったが、季節
は春だった

誰が活けたのか、ビールの空缶
にチューリップが一輪

陳列してある全部の商品に手書
きで値段が書いてある。面倒くさそー!

かわいらしいポスター

■公園にあった人物モニュメント。
ロシアっぽいが、誰かは知らん

ブランケットを引っ張り出して床に敷いて横になったが、腰が冷えるので座って夜明けを待つ。ほんの少しだけまどろんだ程度だったが、緊張しているためそれほど疲労は感じない。夜明けが待ち遠しくて、じっとしていられない。パソコンに取り込んだ次の目的地であるキルギスの南旅館の場所を確認してから行動開始!

静かな朝だった。街全体が濃い緑地に囲まれていて、公園の中にいるみたいだった。売店もまだ閉まっている中、犬を連れて散歩している人と擦違う程度で中央バザールの方向へ進む。途中からトラム(路面電車)の軌跡とぶつかり、自分の位置をしっかり確認することが出来た。そして、中央バザールの手前にある広い公園内にある「28人のパンフィロフ親衛部隊記念碑」というものを見学する。

ガイドブックによると、「親衛部隊とは第二次世界大戦中にソ連軍の中で特に功績のあった人物に贈られた称号。アルマティ出身のパンフィロフ以下、28人の志願兵からなる部隊はドイツ軍の戦車50台のうち18台を破壊するなど、自軍より遥かに規模の大きな相手軍を撃退したことにより、その称号を与えられた」のだそうだ。そして、こうした大祖国戦争(第二次大戦)関係のモニュメントは「旧ソ連圏の津々浦々に見られる」そうだが、初めてこの地方に足を踏み入れる私としては、そういうものが何よりも見てみたいし、興味があった。

公園の中を迷わずに探し当てたモニュメントは間近で見ると想像通り立派だった。その辺にあるような薄っぺらい平面的なものではなく、非常に立体的で飛び出すような躍動感があって、思わず唸ってしまう。マニアックな物の見方をする私は、カザフスタンにおける最大かつ唯一無二の見所がこの記念碑だったため、すっかり満足した私はすぐ隣にある中央バザールでキムチを食べることにした。

カザフスタンでキムチ?と不思議に思う人がいるかも知れないが、この地方にはスターリンによる民族強制移住政策によってドイツ人、タタール人などと共に、朝鮮人も多く移住させられたため、今日でもその子孫によってキムチが伝えられているという話である。

【大祖国戦争モニュメント&念願のキムチ!】


1911年の大地震でも倒れな
かった木造建築として有名らしい

公園内にはゼンコフの聖堂と
呼ばれる教会が建つ

■これが噂の28人のパンフィロフ
親衛部隊記念碑だ

早朝7時30分、中央バザールに足を踏み入れると、準備の真っ最中といった感じで、忙しそうに働いている人々の姿があった。小学校の社会科見学に訪れたような感覚でバザールを見て歩くと、今までに見てきたアジアの市場とは雰囲気が違っていておもしろい。特にアジアでは気にもしなかったが、ロシア人のお姉ちゃんが鉈のような包丁を自在に操って巨大な肉塊を捌いている光景は衝撃的だった。

躊躇いながら、それでも好奇心を抑えきれずに「写真を撮ってもいいですか?」と聞くと、気さくに応じてくれたばかりか、ポーズまで取ってくれた。単純な私はこんな些細なことでカザフスタンのことが好きになりかけたが、次に発見した海苔巻きの値段を聞いて我に返った。1本280テンゲもするのか!?日本円にして280円、物価水準も日本並みじゃねえか!

シイタケの和え物やキュウリの漬物など、他にも喉から手が出るほど食べたい料理が沢山並んでいたが、ここで財布の紐を緩められるほど懐は温かくないので、どうしても欲しかった白菜のキムチだけを買って朝食にする。そして、その後、もう少し市内の見所を回ろうかなー?などと考えていた気持ちはすっかり消えうせ、キルギス共和国へ向かうミニバンが発着するバスターミナルを目指してトラムに飛び乗った。

巨大な秤が目立つ

■肉屋の美人お姉さん。軽々と左
手で肉塊を持つ姿が印象的です

肉塊を持ってポーズ。ありがとう、最高です!

市内の西にあるサイラン・バスターミナルへ行くため、トラムに乗車する。40分ほど走った左手にバスターミナルはあるということだが、どこで降りれば良いのかいまいちハッキリしない。そこで乗客のおじさんにキルギスへ行きたい旨を伝えると、このトラムで間違いないと教えてくれた。そして私が手に持っていたガイドブックの余白にビシュケク(キルギスの首都)まで、乗合いワゴンで700〜800テンゲ、タクシーだと1500テンゲという趣旨をイラストで教えてくれた。

これまで言葉の全く通じない相手に私が絵や図を描いて意思の疎通を図ったことは何度かあったが、こうして現地の人にイラストで説明されたのは後にも先にもこれが最初で最後だった。非常に分かりやすく、心から感謝すると、おじさんは連れの奥さんを指差し、「ゲイシャ(芸者)」と冗談を飛ばしたかと思うと、「高田、ブシドー(武士道)」と自分の知っている日本語を伝えてくれた。

口元にうっすらと白髭を蓄えたおじさんと奥さんの年齢は、私の両親とほぼ同じくらいかも知れない。そんな人たちが私のような若い旅行者に対して物怖じせずに語り掛け、コミュニケーションを図ることが出来るというスマートな対応に感心もしたし、驚きもした。これは明らかに日本には無い文化である。島国とカザフスタンでは、これだけ違うのだということを痛感した。

バスターミナルでは客引きをしているワゴン車がすぐに見つかった。乗客はカザフ人とキルギス人が混ざっており、お金の支払いもカザフ・テンゲあり、キルギス・ソムありでまちまちだ。
ワゴンは満員になるとすぐに出発したが、後部座席に押し込められたので2時間ほどの移動もしんどかった。

途中、草原にある駐車場でトイレ休憩があり、国境では私の両側に座っていた乗客が一緒に列に並んでくれたり、親切だった。仮設テントのようなキルギス側のイミグレで入国スタンプを押してもらった後は、ものの20分足らずでビシュケクに到着した。

物価高に苦しんだカザフスタンの滞在はわずか10時間ほどだった。

【滞在10時間でキルギスへ逃げる】

太巻きは値段が高かった・・・

■韓国惣菜が充実していた

白菜キムチだけでも十分、満足

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