| 2004年9月19日 「与板十五夜まつり」 新潟県三島郡 |
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「上り屋台」は、9月の「敬老の日」の直前の土・日、二日間行われます。 午後7時過ぎ、「都野神社」から一番遠い「北新町」から「社壇」(しゃだん)が出発します。「南新町」の屋台がそれに続きます。 以前は「上町」(かんまち)「中町」「南新町」の神社に近い町内順で神社に上ったのですが、今年(2004)からは、その逆の「南新町」「中町」「上町」になった為、屋台が与板市街の商店街を進行する時に、手前の町内の屋台を追い越して行く形となりました。 先頭の「社壇」が商店街を進む時に踊る「獅子舞」が祭りのムードを盛り上げます。 提灯を上下に振りながら太鼓の音と共に進む屋台は、穏やかにボンボリと提灯で飾られた与板の商店街を進みます。 屋台の大きさは、町内により微妙に違っていて、一番長い距離を進む「南新町」がやや小さめで、神社に近い「上町」の屋台が一番大きいのだそうです。 その屋台は、後方が二階建てになっていて、屋台最前列には提灯を持った若者が並び、それから後方に年齢が若くなる順に並びます。そして、屋台の最後列を見ると小さな子供の姿があります。 最盛期にはこの屋台に100人近くの人間が乗ったそうですが、最近では少子化のせいもあり乗車するのは70人程となっています。 「中町」「上町」を追い越した「南新町」の屋台は、「社壇」に続き上町の交差点を右に曲がり、緩やかな坂を「都野神社」へと向かいます。暫らくすると、「中町」の屋台、そして「上町」の屋台が現れ、それに続き上町の交差点を右に曲がり、神社へと向かいます。 午後8時20分を過ぎた頃、3台の屋台が「都野神社」の前に勢揃いしました。これから一台ずつ神社へと登る坂へと挑戦します。重量のある屋台にはブレーキもハンドルも付いていません、そのため坂を登るためには多くの若い衆が綱を引っ張らなくてはなりません。それには100人程の若い衆が必要なのですが、夫々一つの町内だけでは賄い切れないので、他の町内の若い衆も手伝う事となります。屋台の無い町内の若い衆も、ここでは屋台を引くことが出来るのです。坂を登り始めた屋台の引き綱は、さまざまな町内の色とりどりのハッピにより賑やかに彩られます。 この坂は途中で少し曲がり狭くなっています、そこがこの坂の難所です。以前はもっと狭く、しかもデコボコ道だったそうで、屋台が壁にぶつかり立ち往生する時もあったそうです。 太鼓とお囃子の音に合わせて気勢を上げた若い衆が、拍子木の合図で力強く綱を引きます。しかし、屋台はほんの少し進むだけ。屋台が坂から落ちないように、左右の車輪に二人ずつ、それぞれを受け持つブレーキ係が車輪に丸太で車止めをします。その頃、坂の上方では、左右2本の綱を持った引き手の若い衆たちが、歓声を上げながら綱を巻き取るような形で団子になりながら飛び跳ねて屋台の元まで下って来ます。屋台の元で気勢を上げた後は、再び坂の上に進み綱を張ります。冬でも無いのに、若い衆の列からは汗が白い湯気となって立ち昇るのが見えます。汗でハッピの色が変わってしまっている若い衆もいます。 屋台の前では勢い良く気勢を上げていますが、屋台の後ろでは係りの人たちが冷静に屋台を操作しています。坂の上は賑やかなのに、坂の下は祭りの外みたいな妙な静けさがあります、この対象的な珍しい様子はここでしか見れないものでしょう。 屋台は頭を左右に振りながら、坂を数十センチ進んでは、こんなことを繰り返すので、数十メートルの坂を登るのに30分もの時間を要します 昔は、屋台が坂を登る時間に制限は無かったそうです。また、屋台が全部上がった後には、その3台の屋台と共に歌舞伎を上演したそうで、奉納演芸が終わる頃には日付が変わっていた事も珍しくなかったそうです。しかし、現在では、屋台が坂を登る時間は30分に制限され、また、奉納演芸も歌舞伎は無くなり、神社の舞台で有志の演芸が奉納されるだけとなっています。 与板十五夜まつり「登り屋台」2004 |