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■2月10日、全国ネット番組の『情熱大陸』でアレックスが主役として取り上げられました■
■それを記念して、【三保半島】が育てたアイドルにスポットを当て番組を再現してみました■


MIHO-JAPAN
        




2002年を世界で一番幸せに迎えたクラブ《清水エスパルス》
2年連続の決勝進出、3度目の挑戦でやっと手にした天皇杯。国立競技場は大いに沸いた
そのエスパルスにとってブラジル生まれのアレックスはもう無くてはならない存在だ





マイケルジャクソンではない
3才の頃のアレックス
性格的には物静かな子供だったが
走るのは大好き
いつもケガが絶えなかった
このケガのせいでレフティに?
    
    プロサッカー選手の父親が
    獲得したトロフィーと一緒に
    誇らしげなアレックス
    「おきくなったらえしゅぱるしゅに
    はいるんだい!」とこの時決意か 




ーアレックスの母マリアー
『あの子が子供の頃は、アウタミーロおじいちゃんとルルデスおばあちゃんの家に行って
必ずボールで遊んでいたわね。家の壁はいつもボールの斑点でいっぱいだったのよ。
小さい頃は無口な性格だったけど、走り出したら止まらなかったわ。ボールなしでは“エンジェル”だったけど
いったんボールを足にすると“鬼”。サッカーの話になると全く別人みたいになっちゃうんだから。』





父ウィルソンの試合会場でのアレックス
このころからボールを追いかけ回して
遊んでいた
グランドが日本平でない事はいうまでもない
      
      父ウィルソンと
      彼も元プロサッカー選手
      ポジションはセンターバック
      アレックスもすでに目はゴールハンター
      ポーズはドリブラーだ




ーアレックスの母マリアー
『あの子が3つか4つの時、いっしょに主人の試合を見に行ったのよ。主人がスタジアムで練習していたとき
私はアレックスを連れて近くの市場へ買い物に行ったのよ。そうしたらね突然一緒にいるはずのアレックスの姿が
見えなくなったの。いつもおとなしいアレックスだから絶対近くにいると信じて探し回ったんだけどみつからなくって
誘拐でもされたのではと涙が止まらなかった。その時主人が汗でびしょぬれになったユニフォームのままその腕に
アレックスを抱かえて現れたの。あの子ったら何事もなかったかのような顔でニッコリ笑ってたの。
どうやってあんな小さな子がスタジアムへ戻れたのか不思議だったわ。あの子はスタジアムの柵を乗り越え主人いる
グラウンドまで入り込んだらしいわ。自分もボールを蹴りたくてしょうがなかったんでしょうね。』





1982年のブラジル代表GK
ヴァルジール・ペレスと
よく見ればやっぱり
目もポーズも
普通のチビッコだ
        
        1978年のブラジル代表右サイド
        ネリーニョと一緒のアレックス




ーアレックスの母マリアー
『アレックスには、ずいぶん親孝行してもらってるわ。なによりも一番大きなプレゼントといえば99年にJリーグから
最優秀選手賞を頂いたこと。いまでもそれを心から誇りに思っています。日本のファンのみなさんがアレックスにすごく
優しくて、大事にしてくれていて本当にうれしかった。美しい日本のイメージがずっとずっと心に焼き付いて離れないの』





1982年ブラジル代表の
センターフォワード
セルジーニョと一緒のアレックス
    
    グレミオ・マリンガの
    少年サッカーチーム時代の
    アレックスとチームメイト
    前列左から2番目がアレックス




ー『運命』と二つの『幸運』ー
アレックスが10才の頃元プロ選手の父は試合を見に行くのが習慣だった。その日も彼はアレックスを連れて
ブラジル銀行従業員の少年チーム対グレミオマリンガ少年チームの試合を見に出かけた。ちょうど選手を一人
欠いていたマリンガは父の許可を得てアレックスを臨時にチームに加えた。試合は4−0で勝利、そのうちの
3点はアレックスの挙げたゴールだった。そのプレーに呆然とした監督がその場でアレックスをチームに誘ったという
アレックスのサッカー選手としての経歴がスタートした。マリンガでプレーを続けるアレックスは16才になり『その日』
が訪れた。この始まりも『偶然』だった。才能ある若者を求めて日本の明徳義塾高スタッフが試合を観戦に来たのだ
元々は他の2選手をチェックに来たのだが、スタッフの視線はアレックスに釘付けになってしまった。
「あの親善試合は完璧だった」と当時インサイドレフトだったアレックス本人も振り返る





最愛の両親と
父ウィルソン・ドス・サントス
母マリア・ダス・グラッサス
    
    現在閉店してしまった市内の
    ブラジリアンPUB
    ヴェルジアマレロで
    kotarou9、Greggyさんらと
    お気に入りの一枚です
    98年か99年?
    とにかくファビがいた頃




ーアレックスの母マリアー
『アレックス本人から帰化のことを聞かされたときは本当に悩みました。私たちは平凡な小さな家族、
ずっとこのままでいたい。でもあのときチャンスがあったのに・・と後悔することを恐れるようになったの
あの子はずっと行きたいと言い続けた、その意志の強さに敬意を払ったわ。そして胸を刺される気持ちで
私たちは許可を出す決心をしたのです。』





Greggyさんの伴奏で歌う
仲良しコンビ
アレックス[は]うまいです
ファビーニョ・・・(ノーコメント)




ーアレックスー
『W杯で相手を選んでいてはいけない。もし僕が出場できればみんなうち破るつもりで臨む。
たとえブラジルとの対戦だってちっとも心は揺れない。ブラジルのゴールキーパーが目の前にいても、
シュートをぶち込むことになんのためらいもないさ。』




8年前に温かい家族の元を離れ日本に行く決心を固めたアレックス。
ずっと何かに挑戦し続けようと決めた16才の時のアレックス
今も彼の胸の中には大好きな言葉が響いている
Vencer、Vencer e Vencer.
(勝利、勝利、そして勝利)




2002.feb

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