日大闘争年表 (増補完全版)   「新版・叛逆のバリケード」(三一書房2008/9/30刊)より  作成者・大場久昭
 
1968/1〜4 1968/5〜6.10 1968/6.11〜9.3 1968/9.3〜11.21 1968/11.22〜12.31
 
1969/1〜3 1969/4〜9 1969/9〜12 1970/1〜6 1970/7〜12

1968/1
〜4

 

1/26

理工学部・小野竹之助教授(本部教務部長)5000万円脱税が発覚。国税庁による税務調査の端緒となる。
理工学部自治会(岸田邦雄委員長)が声明を発表。小野教授の裏口入学に絡む脱税を追究。

2/8

東京国税局、学校法人日本大学への一斉監査に着手。本部、商学部、芸術学部、医学部、歯学部の各学部と付属高校(日大高校、豊山高校)で監査開始。

3/22

国税局の監査が法学部、経済学部、文理学部、理工学部、生産工学部、工学部、農獣医学部に波及。415日までに全十一学部とふたつの付属高校において監査が実施された。国税局の監査は四ヶ月間、のべ4500名の係官を動員する調査だった。

4/5

経済学部会計課長・富沢広が325日に突然失踪し、同日、経済学部の銀行口座から700万円が引き出されていることが発覚。失踪から一年七ヶ月後の69917日、警視庁は全国指名手配中の富沢を都内の潜伏先で逮捕。

4/15

東京国税局、「使途不明金20億円」を公表。以後、新聞、テレビ、週刊誌で大学当局の杜撰な運営実態や理事会での派閥の暗闘、土地取得に絡む金銭スキャンダルなどが報じられた。これら報道機関の取材で、使途不明金の累計は34億円と伝えられる。

4/16

理工学部会計課徴収主任・渡辺はる子が遺書「わたしは潔白です」を遺し328日に自殺していたことが発覚。大学当局は「事故死」と発表。

4/17

日本大学学生会連合会(住田望委員長)、学連委員長会議を開き、国税局問題調査特別委員会を設置。

4/18

日本大学教職員組合(桧山和彦委員長)、古田重二良会頭以下全理事16人の辞職を勧告。

4/20

経済学部・短期大学部学生会(秋田明大委員長)の「経済学部新入生・移行生歓迎集会」が学部当局に拒否され、日高六郎・東大教授の講演会が禁止される。

4/22

農獣医学部、大森智堪学部長が「学生諸君に訴える」を配布。

4/23

文理学部学生会(久米奎八郎委員長)、大学当局に公開質問状を提示。
理事と学部長の合同会議で小野教授と呉文炳総裁が辞任。総裁・副会頭・常務理事制を廃止。

4/24

歯学部で学生会と教授会の協議会が開催。席上、学部当局は使途不明金を否定。
教職員組合、再度、全理事の退陣を要求。

4/25

津田沼の生産工学部教授団、声明文を発表。

4月末

連休の期間、各学部学生会および諸団体、サークルなどの合宿や研修会で使途不明金問題が討議される。

1968/5
〜6.10
 



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5月上旬

秋田明大、田村正敏、矢崎薫らが市谷で会談。危惧する社研OBらの反対を押し切って、ひそかに「日本大学全学共闘会議」結成にむけた動きがはじまる。
まず、文理学部の社研を中心とする20名が市谷で会議。闘争への意思統一と結束がはかられ、さらに三田魚籃坂の寺院で経済学部、法学部、文理学部の学友らが出席して決起への準備会合を開き、三学部の連携を確認。

5/16

文理学部学術文化団体連合会(中山正宏委員長)第三部室の第一回合同討論会。

5/18

経短学生会、使途不明金糾弾の学生委員会開催を経済学部当局に申請。

5/20

学文連に特別委員会が発足。使途不明金糾弾の緊急アピールを文理学部で配布。
経短学生会の学生委員会開催申請に対して学部当局は、事実上の拒否回答。

5/21

経済学部当局、使途不明金に関し「大学当局を信頼する」との声明を発表。
経短学生会、地下ホールで学部当局への抗議と討論集会をわずか20名ではじめる。体育会系学生50名が集会を妨害。殴る蹴るの暴力行為にも関らず、集会には学友300名が結集し「無届」集会の実行と継続を確認。

5/22

経短学生会、経済学部地下ホールで450名が抗議集会。法学部、文理学部など他学部からも30名が参加。学生指導委員長室前で代表団100名が抗議の座込み。ついで抗議文を掲示。
その後、学外の喫茶店「白十字」などで各学年クラス委員らをふくめた討論会を行う。
文理学部教授会、声明書を出す。

5/23

経済学部当局、他学部からの集会参加を阻止するため、急遽、学生証検査を強行。
経短学生会の地下ホール集会に法学部、文理学部の学友ら70名をふくむ200名が参加。集会阻止のため動員された体育会系学生40名の妨害にも関わらず、集会は800名に膨れあがった。集会後、経短学生会は、他学部から駆けつけた学友を、無事、学外に送り出すため検問を突破。学外に待機していた学友らと合流。1200名が隊列を組み、校歌を歌いながら、白山通りではじめての街頭デモ。これがいわゆる「200mデモ」である。
この日、経済学部では「日大全学共闘会議」名のビラが配布され、新宿の喫茶店「らんぶる」で行われた極秘会合で日大全共闘執行部の人選を協議。
文理学部では特別行動委員会が結成され、各学科・クラスに行動委員会の結成を呼びかける。

5/24

経短学生会の抗議集会とデモはたちまち全学部に知れわたる。
この日、法学部、文理学部、商学部、芸術学部、理工学部、生産工学部では、経短学生会を支持する学文連特別委員会などの「無届」ビラが配布された。
経済学部ではこの日も学生証検査を行うが、集会には800名が参加。待機していた体育会系学生70名が「無届け集会はやめろ!」「解散!」と叫びながら集会に乱入。殴る蹴るの暴行が加えられたため、学外に移動。一号館前の路上で再び抗議集会を開き、法学部から500名、文理学部の30名も参加し1000名が結集。錦華公園までデモ。公園でも抗議集会を開く。
法学部自治会学生委員総会。なんら抗議活動をしない執行部に批判が続出。わずか十五分で流会。執行部批判派200名は、ただちに抗議集会に変更。経短学生会の抗議行動に呼応することを確認。

5/25

経済学部当局、秋田明大以下15(経短学生会執行部12名と学友3)を謹慎処分。
法学部では、3号館前で800
名の抗議集会。集会の最中、二階のベランダや四階の窓からバケツ二杯分の汚物を撒き散らす妨害行動に遭遇。
文理学部では大講堂前に特別行動委員会が立看を出し、集会を準備。学生課職員が立看を破壊。井出洽学生課長も駆けつけハンドマイクのコードを引きちぎる。集会に参加した500名は、学部当局の「解散通告」を無視して、集会を続行。体育会系学生50名が露骨な妨害行動に奔るが、大講堂前は2000名の学友で埋めつくされた。
この日、経済学部一号館前での抗議集会には商学部からも50名が加わり、経済学部、法学部、文理学部を入れると3000名が結集。
本部前での全学集会で「日本大学全学共闘会議」の結成が提起される。
神田警察署は警察官を出動させ、三崎町周辺に60名を待機させる。警察官の出動は、これがはじめて。
この日までに民主青年同盟(民青)の主導で民青系と中間派が「六学部自治会共闘」(法学部U部、経商短U部、農獣医学部、文理学部、医学部、理工学部習志野)を結成。

5/26

大学当局、本部に学部長を集めて緊急学部長会議を開き、対応策を取りまとめる。

5/27

文理学部では3000名が結集して大講堂前で集会。大学および学部当局を弾劾し、文理学部闘争委員会(田村正敏委員長)の結成を宣言。
法学部では三号館前で1500名の集会。法学部闘争委員会(酒井杏郎委員長)を結成。
経済学部前で、経済学部をはじめ、法学部、文理学部、商学部、芸術学部、理工学部、農獣医学部、歯学部などから5000名の学友が結集、はじめて全学総決起集会を開催。
「日本大学全学共闘会議」の結成を承認。議長に秋田明大(経短学生会委員長)を選出する。
この時点での全共闘執行部はつぎの6名。
議長・秋田明大(経済四年) 副議長・矢崎薫(法四年) 書記長・田村正敏(文理四年) 組織部長・今章(法三年) 情宣部長・戸部源房(経済四年) 会計部長・中山正宏(文理四年)

5/28

経済学部をはじめ各学部で闘争委員会が結成される。
大学当局、鈴木勝学生局担当理事を本部長に臨時綜合(総合)対策本部を設置。
農獣医学部学生会総務委員会が経短学生会に連帯の決議。
全学総決起集会に経闘委、法闘委、文闘委、商学部、理工学部から6000名結集。全共闘は、531日、文理学部での大衆団交の開催を要求。全共闘の団交要求は、これがはじめて。
この日までに「日本大学学生支援全学部OB会議」などOB三団体が組織される。

5/29

経闘委の学部集会に1000名結集。錦華公園までデモ。
文闘委は、新宿駅西口ではじめての街頭カンパ。
商学部では、学生集会が1000名の結集で開かれ、学生会執行部(池田淳八委員長)との対立のなか、法闘委から150名が駆けつけ、商学部闘争委員会(兼近秀典委員長)を結成。
農獣医学部学生会総会は、経済学部学友15名の処分撤回と経闘委の支援を決議。さらに経済学部長宛ての抗議文を送付。

5/30

文闘委、大講堂前で集会。農獣医学部へ連帯のデモ。
農獣医学部では、学部当局と体育会系学生が正門を閉ざしピケットを張る。文闘委の300名は、正門前で集会を開き、農獣医学部の学友に連帯の挨拶と団交参加を呼びかける。
学連、大学当局に要求事項提示。これに対して大学当局は緊急理事会を開催。

5/31

大学当局は「全共闘は学則上、非合法団体である」として団交要求を拒否。
この日、団交会場となった文理学部では、学部当局が全面休講を通告。ロックアウト状態となる。文闘委は大講堂前で決起集会。学生会の久米委員長は「全共闘の行動は学園破壊」と非難するも、学生会常任委員会議長団は「3000名の抗議の声を無視できない」と声明。学内右翼学生集団「日本大学学生会議」(寺田相生委員長)は体育会系学生80名を集めて気勢をあげ、文闘委の集会に殴り込む。再三の暴力行為で、負傷者30名。うち4名が内臓損傷、腎臓出血などで救急搬送された。
「全共闘」の旗を先頭に経闘委、法闘委、理工学部、芸術学部、農獣医学部の学友が到着し、集会はたちまち8000名に膨れあがる。全共闘は「大衆団交は学内で実施する」との方針を掲げ、64日、本部前での団交要求を確認。

6/1

田賀秀一、三上宏明ら弁護士6名が「日大闘争支援弁護団」を結成。
芸術学部正門の路上で法闘委の学友が体育会系学生に木刀で殴られ負傷。

6/2

東京国税局、34億円の使途不明金を大学当局の不正な経理操作による脱税と断定。記者会見で「史上最大の脱税事件」と公表。これまで「通常の税務調査」とか「税務処理上の見解の相違」としてきた大学当局の主張が全面的に崩れる。

6/3

全共闘、はじめてタイプ印刷のビラ発行。64日大衆団交への結集を呼びかける。
学連、大学当局と会談し、当局の見解を聴取。

6/4

各学部で決起集会。法闘委は法三号館前、経闘委は経一号館前、文闘委は大講堂前で集会。文闘委と商闘委の学友、理工学部の学友に連帯を呼びかける。
礫川公園での「六学部自治会共闘」の集会に参加していた農獣医学部の学友600名が経済学部に到着。この日の決起集会は、遠く文理学部三島校舎や郡山の工学部からも学友が参加し、10000名と最大規模の集会となった。
本部正面に経闘委、商闘委、理工、法一号館前に法闘委、文闘委、芸闘委、農獣医の学友が座込む。
全共闘代表団14名、本部の細谷英夫学生部長と会見。611日の団交要求を通告。
法学部の一部学友が「全共闘は生ぬるい」として本部に突入。二階の学生部長室前で抗議集会を開く。この本部突入事件は、全共闘にとって想定外だったが、学生大衆の怒りは全共闘に戦術転換を迫り、ストライキ突入を視野に入れた闘争方針が策定される。
この日、大学当局は靖国神社に体育会系学生1000名を集めたが、組織的妨害を断念。

6/5

医学部学生委員会、全共闘を承認。
日本大学体育会および日本大学体育連合会、全共闘を非難する抗議声明。

6/6

全共闘は活動者会議を開き、ストライキ戦術による長期闘争の方針を確認。スト突入にむけて、全学的な討論集会を提起。
農獣医学部で抗議集会。
学連は、住田委員長を中心とする全共闘容認派と法学部、商学部、文理学部を中心とする全共闘否認派が対立。組織決定が出来ない状態に。
古田会頭、理事会を開き、611日の団交を拒否。あらためて「全共闘との会談は一切せず」と言明。
経済学部当局、秋田議長ら学友15名の謹慎処分を解除。

6/7

農獣医学部学生会(山口栄委員長)の要請を受け、大森学部長らが出席し公開説明会。学部長は「使途不明金は目下調査中」と発言。
芸術学部でも自治会中央事務局主催の公開説明会を開催。芸術学部闘争委員会(真武善行委員長)は「闘う討論会にせよ」と学友に呼びかける。
法学部U部学生会、抗議集会。
学連、緊急委員長会議を開くも統一見解を出せず、事実上、分裂。

6/8

全共闘と各学部闘争委員会、活動者会議を開き戦術を検討(69日まで)

6/10

文闘委、611にむけて行動隊を編成。経済、法学部で同時にスト突入する方針を確認。
大学当局の総合対策委員会(本部長は鈴木勝理事)が、各学部長と学生指導委員長宛に「警官導入による排除も考慮せよ」と指示。

1968/6.11
〜9.3 



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6/11

日本大学学生会議、全共闘を「実力で粉砕する」と声明。
経闘委、法闘委、文闘委、商闘委、芸闘委など各学部で決起集会を開く。
経済学部では、ヘルメットを被った吉田寛学部長が、地下ホールに体育会系学生250名を集めて「不逞の輩から経済学部を守れ」と訓示。
守衛が経済学部一号館正面玄関のシャッターを突然閉めはじめる。学友20名がシャッターに取りつき素手と旗竿で阻止。その時、学内に立て籠もった体育会系学生を発見、学友150名が学内になだれこむ。これを見た職員は体育会系学生を指揮して、木刀を振りかざし、無防備の学友に殴る蹴るの暴行を加えた。
さらに一号館の上階から、体育会系学生はもちろん守衛までが、集会に参加し座込んだ学友をねらって、石やコーラビンなどをつぎつぎに投げ込む。一瞬、5000名は総立ちとなったが、そこにも机、椅子、鉄製の灰皿などが見境もなく投げ落とされ、地獄絵さながらの惨状。頭蓋骨や肩甲骨を損傷した負傷者が続出する。
「やめろ!人殺し!」の怒号が乱れ飛ぶが、二階のバルコニーでは、体育会系学生がこれ見よがしに日本刀(白鞘)を振りまわし威嚇。この間も放水や消火器、催涙ガス液を浴びせ、重さ10kg、幅60cmのスチール製ごみ箱やロッカー、果ては砲丸の鉄球までもがデモ隊にむかって投げ落とされた(砲丸の鉄球は証拠品として弁護団が押収)
全共闘は態勢を立直すため、一旦、本部へ抗議のデモ。ここで秋田議長はスト突入を宣言。この時、白山通りから経済学部二号館前の路上に赤白モヒカンのヘルメットが投出される。周辺の学友が急いで装着、50名の行動隊が編成され、つぎつぎと正面玄関から学内に突入。缶ビールが投げつけられるなか、体育会系学生の築いた手前のバリケードを突破。奥側のバリケードに取りつくが、日本刀や木刀、ゴルフクラブやチェーンなどの凶器を振りかざし、消火器を吹きつける職員と体育会系学生に阻止され、正面玄関や守衛室付近まで押しもどされる。
この間、100名ほどの学友が白山通りの窓からも一号館に突入。しかし、立て籠もった体育会系学生の暴力に抗し得ず、顔面を血だらけにした学友や殴打され気絶した学友を搬送するため、撤退。
大学当局は機動隊800名の出動を要請。学友らは機動隊が加害者の体育会系学生を排除してくれるものと誤認、拍手と歓声で迎えたが、機動隊は体育会系学生の暴力行為を制止するどころか、被害者の学友たちを規制する暴挙にでる。怒りの抗議をする学友らが排除され、規制に抵抗する学友6名が検挙された。
法闘委は、法学部三号館前でスト権を確立。三号館を占拠し、バリケードを構築。
経済学部前で機動隊に規制され、分断された学友らは本部前で抗議のデモを展開。その後、法学部三号館に結集し、200名が泊まり込み態勢を取る。
この日、負傷した学友は入院40名、全治二週間の重傷者60名をふくめ200名にのぼる。
この事態を鈴木勝学生局担当理事は、記者会見で「体育会の気持ちは本学の精神である」と得意気に語り、居合わせた記者団の顰蹙をかった。
この「暴言」を憂慮した下稲葉耕吉警視庁警備部長は「体育会を紛争解決の手段にせず、大学当局は学生と話合い、円満に解決してほしい」ときわめて異例の談話を発表した。

6/12

全共闘は経済学部を奪還。経済学部闘争委員会(鳥越敏朗委員長)、スト突入を宣言。
文理学部学生会総会で授業ボイコットを決議。さらに常任委員会決議(「無届け集会禁止」)を廃案に。

6/13

学連の住田委員長、日本大学学生会連合会と学連中央委員会の解散を宣言。
理工学部自治会がリコール。執行部全役員の再選挙を決議。

6/14

文理学部学生会総会でスト権確立。しかし、ストの形態をめぐり文闘委と学生会執行部が対立、結論は翌日の延長総会に持ち越す。
文理学部教授会、理事会に事態収拾の勧告書を提出。
経済学部のバリケードを黒ヘルメット集団が襲撃。経闘委行動隊の学友1名負傷。
経闘委、バリケードのなかで、はじめての自主講座(三上治講師「大学の自治と学生の役割」)を開催。

6/15

文理学部学生会総会、無期限スト突入を決議。文闘委は文理学部一号館、二号館を占拠し、バリケードを構築。300名が籠城態勢に入る。
芸術学部教授会、要望書を提出。「事態の解決は話合いで」を強調。

6/16

経済学部のバリケードに入り込み、「朝日ジャーナル」記者を装ってスパイ行為をしていた付属鶴が丘高校の保田昌平教諭を経闘委が摘発。
経闘委の学友2名に体育会系学生4名が棍棒で襲いかかり1名が重傷。病院に収容された。この間、三崎町界隈でのテロ行為が頻発。
商学部臨時学生委員大会、ストをめぐって学生会執行部と商闘委が対立。

6/17

法闘委、学生大会を開催、法学部自治会をリコール。
法学部教授会、理事会と全共闘の会談(予備折衝)を斡旋。
「六学部自治会共闘」が礫川公園で全学集会を開く。全共闘は「分裂策動阻止」を訴えて介入。

6/18

商闘委の抗議集会と学生会執行部の学生委員会が同時開催。秋田議長が出席した商闘委の抗議集会はストを決議、商学部がスト突入。
理事会、法学部教授会の斡旋を受諾し、鈴木勝理事が全共闘に619日の大衆団交予備折衝を申入れる。
法学部当局、「法学部速報」のビラで「占拠した校舎から疫病発生」の虚報を流す。
芸術学部で金丸重嶺理事が公開討論会(1000)に臨む(司会は芸闘委)
農獣医学部では、東季彦理事と大森智堪学部長が出席して公開討論会(1500)
日大学生会議、文闘委襲撃のため動員をかける。世田谷の松原公園に75名が集結。釘のついた4mの角材、日本刀(白鞘)、手斧、バット、火炎ビンなどで武装。

6/19

黒ヘルメットの学生会議75名が文理学部五号館裏から侵入。文闘委行動隊100名が迎撃。二号館裏で追いつめ、1(法学部二年生)を捕虜にする。弁護団の助言で捕虜の身柄は成城警察署に引き渡す。
文闘委と文理学部学監・土屋忠雄教授ら教授会との討論会(2000)
芸術学部では学部当局の説明会が開催されていたが、芸闘委は説明会を中断し、スト突入を宣言。ただちに芸術学部本館を占拠しバリケードを構築。無期限ストに突入。
経闘委と法闘委の学友2000名、本部包囲デモ。全共闘の予備折衝代表団17名が本部会議室に出席。しかし、公文書で約束した古田会頭以下理事は誰も出席せず。全共闘は、625日法学部大講堂での団交を要求。本部封鎖を望む学友の声に応えて全共闘は本部を封鎖しバリケードを構築。
農獣医学部学生会、臨時学生総会を2000名で開催。スト権を確立。
医学部教授会が本部機構の簡素化を要求。
歯学部当局、独自の届出制を提示。

6/20

全共闘は五項目からなる闘争スローガンを採沢。
@全理事総退陣 A経理の全面公開 B不当処分白紙撤回 C集会の自由を認めよ
D検閲制度撤廃。
「六学部自治会共闘」から農獣医学部学生会が離脱。民青系が主導する「六学部自治会共闘」の破綻が明らかとなる。
新宿駅西口で街頭カンパ中の文闘委2名が右翼系学生に暴行され、棍棒で殴られた学友が入院。

6/21

文理学部三島学生会の学友1500名、三島市内ではじめての街頭デモ。
理工学部習志野学生会(近藤隆治委員長)、学生総会で「許可制度撤廃」を決議。

6/22

農獣医学部は、再度、学生総会を開き、スト突入を決議。農獣医学部学生会中央闘争委員会(農中闘)を結成。ただちに本館を占拠、正門などにバリケードを構築する。
文理学部三島学生会(小早川隆義委員長)、学生委員会を開催、スト権を確立。
理工学部習志野学生会、理事の退陣など三項目の要求を決議。

6/24

古田会頭、新東京ホテルで記者会見。「十九項目改善案」を発表。
文理学部三島校舎、スト突入。バリケードを構築し、三島闘争委員会の100名が籠城。

6/25

全共闘は法学部一号館で団交を拒否する大学当局への全学抗議集会を開き、秋田議長は、自ら「十九項目改善案」を破り捨て、強い抗議の意思を表明。「夏休み策動粉砕」を掲げスト態勢を維持する方針が提起される。法闘委から法学部一号館の封鎖が提案され、バリケードを構築。
生産工学部闘争委員会(近藤敏男委員長)結成、はじめて全共闘の集会に参加する。
この日、「五学部自治会共闘」(六学部だったが、農獣医学部は離脱)は、全共闘とは別に全学総決起集会と称する集会を開き、集会後、国会や文部省に請願デモ。

6/26

全十一学部の闘争委員会が結集。全共闘のもとで闘うことを確認。「日本大学全学共闘会議」が名実ともに確立。
法学部三号館のバリケードを警戒中の法闘委の学友が右翼暴力学生に殴打される。

6/29

日本大学教職員組合がはじめて決起集会とデモを行う。錦華公園に700名参加。全理事の退陣と経理の全面公開を要求。文闘委は文闘委中央委員会の名で連帯支援声明を出す。
理工学部自治会、再選挙で選任された執行部(佐久間順三委員長)を承認。スト権動議を提起。

7/1

理工学部習志野での「理工系三学部四自治会総決起集会」に3000名結集。全共闘から秋田議長ら代表団10名が出席。
医学部学生委員会、パンフレット「学園民主化の為に」を発行。

7/4

全共闘、「夏休み策動粉砕全学総決起集会」(経済学部一号館)。全十一学部から15000名結集。
文闘委主催の学生大会に2000名結集。「久米執行部弾劾決議」を採択。大会後、鈴木知太郎学部長以下、全教員出席のもとで学部団交を開催。
文理学部教授会、「全理事の即時退陣」を決議。

7/5

農中闘の学友3名が近所のガソリン・スタンド泥棒を捕縛。世田谷警察署は3名に「警視総監賞」を申請。
理工学部習志野学生会、全学スト権投票の後、710日までの時限スト突入。
理工学部自治会、学生大会でスト権確立。

7/6

芸術学部に機動隊現れる。芸闘委の活動者会議で長時間の「投石」論争。

7/7

文闘委、「七夕総決起集会」(500)を開催。ファイアー・ストームを囲んで、古田重二良の人形に火を放つ。
古田会頭が永田菊四郎総長、鈴木勝理事らと理工学部五号館に現れたところを、全共闘が捕捉。直談判の結果、大衆団交の予備折衝を認めさせる。

7/8

理工学部自治会、教授会との公開討論会の後、ストに突入。理工学部U部、生産工学部も同時にスト突入。

7/9

農獣医学部、学生総会で農中闘を農獣医学部闘争委員会(農闘委)に組織再編。
東京国税局は、使途不明金に関し、所得税84000万円の脱税があったとして、この日までに大学当局から重加算税と延滞税11億円を徴収したと発表。

7/10

教職員組合は特別調査委員会の調査結果を公表。

7/17

工学部の助教授(女性)が全国紙に「なぜ講義やクラス討論を盗聴するのか。学生の掲示や立看板を、かたっぱしから焼却するのか。夏期休暇なのに、なぜ体育会系の学生に、毎日すごませておくのか。姿勢を正して、民主化の理念をもっていただきたい」と投稿。大学の現状をきびしく批判した。

7/18

第一回大衆団交予備折衝。大学当局の出席者が少なく、流会。再度、720日に古田会頭以下全理事出席の予備折衝を開くことを確約。

7/20

法学部一号館で全学集会開かれる。古田会頭以下全理事が出席して全共闘と大衆団交予備折衝。84日に法学部大講堂で大衆団交を行なうことを誓約書で確認。
全学集会後のデモで機動隊と衝突。経闘委や芸闘委の学友28名が不当逮捕される。

7/21

神田警察署へ法闘委、経闘委、農闘委、習闘委が抗議デモ、機動隊が学友67名を逮捕。
文闘委情宣部、機関紙「変革のパトス」創刊。

7/24

古田会頭、全共闘に大衆団交の無期延期を通告。

7/27

全学部OB会議、全共闘支援の集会とデモを行なう。

8/2

各学部で総決起集会の後、三崎町で全学総決起集会。大学当局の団交拒否に抗議し神田界隈でデモ。機動隊の規制で8名検挙される。

8/7

文理学部学生会・久米委員長が自己批判。学生自治活動の全権を文闘委に委譲。

8/4

法学部一号館で大衆団交拒否に対する抗議集会2000名結集。

8/6

全共闘、825日の大衆団交を大学当局に文書で要求。

8/12

文闘委、文理学部教授会と十三時間にわたる学部団交。学生指導委員長・森脇一夫教授が辞任を確約。要求を全面的に勝ち取る。

8/17

理工学部闘争委員会(佐久間順三委員長)、理工学部教授会と学部団交。
文理学部正門で、文闘委の学友が、近づいてきた四人組の右翼暴力学生に棍棒やビール瓶で殴られ、頭部に重傷。

8/22

大学当局、理工学部教授会との団交を否定。理闘委、理工学部五号館、六号館を自主管理。

8/23

各学部で総決起集会。

8/24

法学部教授会は全共闘に占拠解除を要求。「応じなければ法的手段に訴える」と文書で通知。古田会頭は全共闘に対し「全学生の正式代表と認めず、今後、紛争解決のための相手とせず」と通告。

8/25

法学部一号館で団交拒否に抗議する全学総決起集会。中間試験ボイコットを決議。集会後のデモで機動隊と衝突、学友8名が不当逮捕。商闘委がこの集会に出かけた間隙をぬって、商学部バリケードにスト破りの学生30名が来襲。本館、一号館などのバリケードが破壊され、室内が荒らされた。

8/26

理工学部自治会・岸田前委員長が大学当局や学生会議との親密な関係を追究され自己批判。

8/31

大学当局、法学部と経済学部の占拠排除・立入禁止の仮処分を東京地裁に申請。

9/1

習志野闘争委員会が理工学部習志野校舎五号館を占拠。無期限ストに突入(習志野学生会と訣別した習志野連絡会議が8月に習志野闘争委員会を結成)

9/2

大学当局、二十項目の改善案を発表。

法学部に「学園正常化委員会」と称する学生集団が現れ「授業再開」のビラを配布。

9/3

大学当局、911日からの授業開始を新聞各紙に告知。
全共闘、日大駿河台病院に現れた古田会頭を駐車場で発見。団交拒否に抗議し謝罪を要求。機動隊200名が出動、全共闘の座り込みを排除し学友3名が逮捕される。
豊島公会堂で授業再開策動に奔走する「全学再建協議会」(池田淳八議長)が八学部の右翼系学生や体育会系学生を集め「授業再開総決起集会」(3000)を開催。
東京地裁、理事会が申請した仮処分強制代執行を決定。

1968/9.4
〜11.21 


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9/4

東京地裁の仮処分決定にもとづき日大本部、法学部、経済学部が強制代執行。バリケードが800名の機動隊によって破壊される。法闘委と経闘委の学友132名逮捕。
全共闘は理工学部九号館建設予定地で2000名の全学抗議集会。集会後、法学部、経済学部を再占拠。バリケードを構築する。
郡山の工学部闘争委員会(大塚規雄委員長)、無期限スト突入。

9/5

法学部、経済学部に、再度、機動隊が導入。バリケードが破壊される。
5000名の全学抗議集会。白山通りで10000名がデモと抗議集会。三度、法学部、経済学部を占拠。津田沼の生産工学部、校舎を占拠し、スト突入。
日本大学文化団体連合会(山本高志委員長)、機動隊導入に抗議し、全理事の退陣を要求。
警視庁、第五機動隊の西条秀雄巡査部長の重体を発表。

9/6

経済学部前で全学抗議集会。法学部、経済学部を四度目の占拠。バリケード構築。白山通りで学友5000名がフランス・デモ。機動隊と激突、機動隊は催涙弾、ガス銃を使用して弾圧。重傷者多数。学園闘争ではじめて催涙ガス弾が使用される。35名検挙。
大学当局、緊急理事会を開き、理事会、教職員、学生による「三者協議会」を早急に設置する方針を決める。

9/7

理工学部九号館建設予定地で全学総決起集会とデモ。神田地区で機動隊と激突。学友129名が検挙される。全共闘は「912日に法学部と経済学部を完全に奪還。バリケードを構築し、もし機動隊が導入されたら、再度、徹底抗戦で闘う」との方針を決定。

9/8

工闘委、工学部本館につづき図書館を封鎖。

9/9

理事と学部長の合同会議開催。法学部教授会は高梨公之学部長以下6名の教授辞任と理事総退陣を決議。

9/10

文理学部で教授、助教授、講師の合同会議開かれる。159名の署名で声明書を理事会へ提出。
法学部長以下5名辞任。商学部当局も理事退陣を要求するが、理事会は理事の退陣を除く四項目の譲歩案を提示するのみ。
商学部のバリケードを鉄棒で武装した右翼暴力学生が襲撃。

9/12

全学総決起集会に7000名が結集。集会後、白山通りのデモで機動隊と衝突。学友2名負傷。機動隊の弾圧で逮捕者は154名。全共闘は法学部、経済学部を奪還。バリケードを再構築し、再度、長期スト態勢を確立。
全共闘書記局、機関紙「反逆」創刊。文闘委、機関紙「文理戦線」創刊。

9/14

九学部の助教授、講師、助手による「教員連絡協議会」が発足。教員800名が理事総辞職をもとめて声明を発表。
医学部学生会、スト権確立。
商闘委へ鉄棒で武装した右翼暴力学生が殴り込み。

9/16

「文団連の集い」で永田総長が辞意を表明。

9/19

「法・経スト100日突破記念全学総決起集会」(法学部一号館)924日の大衆団交など十二項目を21日までの回答期限つきで大学当局に要求。
医学部闘争委員会、スト突入。

9/20

歯学部闘争委員会、スト突入。全十一学部がスト態勢に入る。

9/21

古田会頭、全共闘に「回答書」を提示、学生自治活動、学生指導機関の改革などに関し大幅譲歩、定款改正後の全理事退陣の意向を表明。これに対し全共闘は「文書での回答は信用できない」として924日の大衆団交をあらためて要求。
日本大学学生会義、西神田公園に70名の学生を集め、全共闘を非難。集会後、三崎町界隈でシュプレヒコールを叫び、校歌を歌ってデモ行進。

9/24

「大衆団交勝利全学総決起集会」で、再び本部封鎖と9.30日の大衆団交要求が決議される。
工学部で教職員が封鎖解除の実力行使。授業再開を強行。

9/27

工闘委、駆けつけた全共闘行動隊とともに、工学部を再封鎖。授業再開を阻止する。

9/29

神田の新東京ホテルで開かれた理事会は、全共闘の要求する大衆団交には応じないが、事態収拾のため、930日に大学主催の「全学集会」を両国の日大講堂で開くと通告。
仮処分強制執行のさい重傷を負った西条巡査部長が死亡。警視庁は殉職あつかいとし二階級特進。神田警察署に特別捜査本部を設け、捜査を開始。

9/30

全共闘は経済学部前で10000名の全学総決起集会。両国の日大講堂では農獣医学部を中心とする学内右翼学生集団「日新会」など800名が集会を開き、大学当局の意にそった「全学集会」を画策するが、全共闘行動隊300名は「日新会」の学生200名を両国講堂から排除。学友25000(最大で35000名とも)が結集し、十二時間にわたる大衆団交が開催される。
全共闘は冒頭で「なによりも悲しむべきことに、ひとりの人間が死んだ。それなのに、なぜ理事会は仮処分を撤回して、自らの犯罪性について自己批判しないのか」と大学当局を批難するとともに、西条巡査部長への弔意をささげる。
古田会頭をはじめ出席した理事や学部長らは九項目の要求を全面的に認め、誓約書につぎつぎと署名。そのたびに歓声と紙吹雪が舞った。
この間、生産工学部のバリケードが「学園浄化促進委員会」と称する学生集団に撤去されたが、津田沼闘委は教職員のピケットを破り、構内から「浄化委員会」の学生集団を排除。本館を再び占拠した。
芸術学部も武装した右翼暴力学生50名に襲撃され、逃げ遅れた芸闘委の女子学生2名が針金で縛りあげられ、寝具などが焼かれた。さらに、柔道部の学生らとの衝突で芸闘委の学友2名が柔道部合宿所に拉致された。芸闘委・真武委員長が柔道部主将と会談した結果、2名は合宿所から解放された。

10/1

佐藤栄作首相、閣議で大衆団交を重視し「政治問題として取り上げるべきだ」と異例の発言。官邸内に大学問題閣僚懇談会を設置。中曽根康弘運輸相はじめ7人の閣僚と秦野章警視総監による第一回の会合を開く。
佐藤首相は、それまで記者団に大学問題を問われても「まだ社会問題や政治問題とは思わない」と発言していたが、それが一転したのは、当時、全国の五十を越える大学で学園闘争が頻発しており、この大衆団交方式が全国の学園に波及することを恐れたためと考えられる。と同時に、古田会頭は、首相が関係している「日本会」の有力会員で、首相とも緊密な親交があり、そのことが首相をよけい奮起させたとの観測もながれた。

10/2

古田会頭は緊急理事会を開き、930日の大衆団交は強要されたものだとして、103日の大衆団交を拒否。
商学部で商闘委とスト破りの右翼暴力学生が衝突。
灘尾弘吉文部相も出席して大学問題閣僚懇談会第二回会合。「大衆団交のような秩序無視は許さない」との強硬意見で一致。自由民主党も党本部で臨時役員会を開き、政府の方針と同調する姿勢を示す。

10/3

「闘う文団連討論集会」(法学部211講堂)
両国講堂で大衆団交の確約事項破棄と佐藤政権の介入を糾弾する全学総決起集会。10000名が参加。
教員協が「政府の介入は、大学の自治を崩壊させる」と、佐藤首相に抗議。

10/4

秋田議長以下8名に公安条例違反、公務執行妨害の容疑で、警視庁が逮捕状を請求。

10/5

緊急理事・学部長会議。法、経済、理工の各学部長それぞれ教授会に辞意を表明。運営権をめぐって結論出ず、107日の評議員会にもちこす。

10/6

全共闘は今後の方針を発表。@930の大衆団交は有効。大学当局は約束を完全に実行せよ。A全学大衆団交要求する。B学部別団交を要求。C全共闘執行部は逮捕されても闘い抜く、などを声明。

10/7

評議員会では、理事総退陣と今後の問題で結論が出ず、全理事一致を原則として理事会に議事を差し戻す。
教職員組合が東京地検に「理事や幹部に背任横領の疑いがある」と上申書を提出。

10/8

生産工学部で、津田沼共闘委員会の学友50名と右翼学生15名が衝突。千葉県警機動隊と習志野警察署員ら120名が出動。
日本大学後援会(大石節会長)が授業再開の要望書を提出。

10/9

理事会は「総退陣すべきである」と決議するも、時期、方法などは曖昧。記者会見に古田会頭は欠席。かわって決議を読みあげた広報担当の東季彦理事は、かねてから理事総辞職反対論の急先鋒で知られ、耳が遠いふりを装って、巧みに記者団の質問をはぐらかすなど、要領を得ない説明に終始する。
全共闘は、経済学部一号館前で全理事の即時退陣を要求する「全学総決起集会」を開き、白山通りを3000名の武装デモで制圧。「神田解放区」を創り出す。

10/11

学部長会議で理事総退陣を要請。
文団連闘争委員会、文団連民主化推進委員会(芳賀一太委員長)を解散させ、文団連執行部の山本委員長を不信任。文団連は、事実上、解体。

10/13

芸闘委、「芸術学部スト貫徹120日集会」を開催。

10/14

広川友雄工学部長らに使嗾された右翼暴力学生集団200名が武装して、郡山の工学部に殴りこみ。構内の電源を断ち、工闘委60名が籠城するバリケードに火炎ビンを投げつけ放火。さらに空気銃を撃ち込むという凶行におよぶ。工闘委の学友に負傷者が続出。工闘委は消火器や消火栓で延焼を防ぐが完全には鎮火せず、消防車三十台が駆けつけ、消火作業に協力。三十五分後、ようやく鎮火した。

10/15

理闘委、「理工学部スト貫徹100日集会」を開催。
工闘委、再度、工学部本館を占拠しバリケードを構築。

10/16

工学部火炎ビン放火事件で、工学部長、学監、学生指導委員長ら教授4名が引責辞任。

10/17

理工学部全サークル合同会議。

10/21

「関東軍」(日大、拓大、国士舘、東海大、専修大などの応援団や体育会の学生のほか、右翼団体「皇道会」とやくざで構成された暴力組織)が結成される。「関東軍」を組織した飯島勇、恩慈宗武らは、118芸術学部襲撃事件の主謀者として警視庁に逮捕されたが、のちにスト破り専門の警備会社を立上げ、大学当局と契約を結び体育会系学生を「警備員」として雇用。これらの「警備員」は、ロックアウトが常態となった期間、ほぼ全学部に常駐配備された。

10/25

歯学部闘争委員会、千代田公会堂で学部団交。歯闘委独自の方針(バリケード解除)に全共闘が介入。策謀をめぐらす体育会系学生と衝突するなか流会となる。

10/28

七学部の教授会が「日本大学教授連合」を結成。理事の総退陣などを決議。

10/31

法闘委、「法学部サークル総決起集会」(法学部一号館)を開催。
古田会頭、930日の確約事項を破棄。「寄付行為が改正されてないので退陣しない」と、居直りを公言。

11/2

教員協、教職員組合、大学院連絡協議会の三者連合で「日本大学全学協議会」を結成。

11/4

農獣医学部で農闘委200名と授業再開策動に奔走する右翼学生200名が衝突。

11/5

商学部のサークル部室として使用されているプレハブ二階建て校舎で火災発生。出火場所は商闘委が占拠中の本館から離れていたが、成城消防署の消火活動のため、商闘委は正門バリケードを、一時、撤去する。翌日、成城警察署の現場検証でも構内立入を了承。

11/ 8

芸術学部をパイプ、角材、スチール製のタテなどで完全武装した「関東軍」400名が襲撃。芸闘委50名は四階まで追い詰められながらもバリケードを死守。法闘委、経闘委、文闘委、農闘委、理闘委などから400名の救援部隊が駆けつけると、形勢は逆転、「関東軍」の暴力学生100名ほどが捕虜となる。六時間の攻防戦で、芸闘委の学友4名が重傷を負い入院。
体育会の学生で「関東軍」襲撃事件に関与したのは、田中元和(空手部主将)、平野諦寛、古賀隆助(柔道部主将)、元吉松博(テニス部)である。
全共闘は、ただちに「全学抗議集会」(法学部一号館)を開き、白山通りを武装デモで制圧。この隊列のなかに大日本愛国党の街頭宣伝カーが突入、デモ参加の学友が数名負傷。さらに愛国党員が手斧をふりまわして暴れたため、経闘委の学友が取り押さえた。
習闘委、理工学部一号館で「習志野総決起集会」を開催。

11/09

教員協、大学当局に抗議して本部前で四十八時間のハンスト。
経済学部での「三崎祭」(前夜祭は118)をはじめ、各学部闘争委員会がバリケードのなかで学園祭(通称・バリ祭)を実施。
商学部学生会、スト態勢の是非を問う全学投票を実施するが、有効投票に届かず不成立。

11/10

日大後援会が両国講堂で「全国父兄大会」を開催。7000名の父兄が出席。大会にまぎれこんでいた後援会、校友会の反動分子らの策動を粉砕。当初の目論見とは異なり、大学当局の弾劾集会となる。授業再開決議を否決。理事の退陣や告訴などを決定。

11/11

前日の大会決議を実行する「全国父兄会実行委員会」を各学部から選出。

11/12

11 8日の関東軍事件の現場検証を口実に、芸術学部へ機動隊2000名が導入。芸闘委46名は三時間の徹底抗戦の末、全員逮捕。この弾圧は新型P型催涙ガス弾1000発を連射するという過酷なものだった。
これに対し全共闘は、医学部構内で抗議集会を開いた後、1000名の隊列を組み、再度、江古田の芸術学部を奪還、バリケードを再構築した。

11/13

右翼暴力団と国家権力の攻撃に対する抗議集会。2000名が結集し、神田地区と江古田地区を「日大解放区」とする。

11/14

大学当局の手先となって授業再開を画策する法学部弁論部(上石泰史委員長)を中心とした300名が学生集会を両国講堂で開催。それを阻止しようとした学友10名が逮捕される。

11/15

全共闘、全学四年生連絡協議会(館野利治議長)を結成。卒業延期・大量留年闘争を開始。
全国父兄会実行委員会(馬見塚宣男委員長)の代表ら古田会頭と会談。全理事の退陣など四項目を申し入れ。会談後、古田会頭の回答に不満をもらし、背任、横領の告発を進め、会頭らの辞任を迫ると発言。

11/17

秋田議長と東大全共闘山本義隆代表が記者会見し、1122日に「日大・東大闘争勝利全国学生総決起大会」の開催を発表。

11/18

経済学部、YMCAなど都内三カ所に臨時教室を設けて、学外での集中抗議による授業再開を計画するが。講堂の貸し出しを断られ、延期。

11/19

全学総決起集会で「1122日大・東大闘争勝利全国学生総決起大会」への結集を提起。

1968/11.22
〜12.31 



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11/22

東大安田講堂前にて「日大・東大闘争勝利全国学生総決起大会」開催。全国から15000名が結集。日大全共闘は3000名の隊列で三崎町から本郷にむかう。全共闘旗を翻しながら、夕暮れの銀杏並木を隊列が進んでいくと、安田講堂前の広場にどよめきと歓声が湧きおこった。東大全共闘の学友のなかには、この光景を泣きながら見つめている者がいたという。

11/24

経済学部が四年生と短大二年生を対象に、栃木県塩原や千葉県九十九里などでの疎開授業を開始。六週間分を六時間で消化する集中講義のため、受講した学生のなかからボイコットする者も現れた。各学部の疎開授業は、全共闘の疎開授業阻止闘争の影響で、日を追うごとに劣悪化し、教員ひとりに200名もの学生が押しつけられ、二泊三日の集中講義だけで半年分の単位が与えられるほどだった。
法学部三号館バリケードの西脇にあるサークル合同部室(プレハブ二階建て)で火災発生。

11/25

警視庁、94日の経済学部仮処分執行に関して、殺人と傷害の容疑で学友5名を逮捕。
商学部学生会、学生大会(1000)を開催「早期授業再開」を決議。商闘委200名は商学部構内で授業再開阻止闘争を展開。

11/27

教職員組合、山梨県での土地取得に関して古田会頭を背任容疑で告発。12月3日、警視庁はこの告発を受理。捜査を開始する。

11/30

全共闘の要求する大衆団交に理事は出席せず、急遽、抗議集会に変更。古田会頭の退陣だけではバリケードを解除しない。古田体制を完膚なきまで破壊することを宣言。

12/3

永田総長が全学部に「1216日までに授業再開せよ」と通達。各学部教授会はそろって反撥し、学生との会話を通じて解決するとの立場を堅持。

12/4

経済学部が疎開授業を長野県軽井沢で再開するが、受講生から不満が続出。とうとう授業ボイコットが決議され中止になる。

12/6

評議員会が開かれ、51名出席中、反対3名で寄付行為改正案を可決。全共闘との確約事項は完全に無視された。
教職員組合、寄付行為改正案に抗議。

12/7

右翼暴力学生と官憲が工学部のバリケード破壊。工闘委はこれを粉砕。
文理学部と理工学部の教授会は、1216日の授業再開の強行に反対の声明を発表。文理学部教授会は「便宜的な手段での疎開授業は好ましくない」と経済学部の疎開授業を批判しながら、教授会から文闘委に学部団交を申し入れると語り、理工学部も木村秀政学部長代行が「バリケード内での授業再開など、すでに非公式な打診を続けている」と、それぞれ学部当局の自主解決を強調。
法学部一号館で教員連絡協議会、教職員組合、院生らが「総決起集会」(1500)を開き、寄付行為改正案を弾劾。理事、監事、評議員の即時総退陣を決議。

12/8

全共闘の「寄付行為改正案粉砕全学総決起集会」に3000名結集。大学当局を弾劾。法闘委から1215日に安田講堂で「日大闘争報告集会」の開催が提起される。さらに生協設立統一会議の発足を宣言。
全学協議会がデモ。理事会に団交を要求。
農獣医学部で紛争解決の執行機関として学部当局が「農獣医学部再建委員会」を設置。

12/10

古田会頭、寄付行為改正案で記者会見。全理事は12月6日付で辞任するが「新理事が選出されるまで職務は遂行する」と延命をはかる。
法学部教授会、栃木県と群馬県などの系列高校で疎開授業を再開すると発表。受講生の交通費は「全額、大学が負担する」と強調。

12/11

農闘委、学部再建委員会と第一回の協議。授業再開や機動隊の導入はしない。十日以内に再度協議することを確約させる。
右翼学生130名、清水谷公園にて全共闘を誹謗する集会。日比谷までデモ行進。

12/12

歯闘委、歯学部当局と学部団交の予備折衝。

12/15

全共闘、東大安田講堂で「日大闘争報告集会」を開催。4000名結集。

12/14

東京地方労働委員会、大学当局に教職員組合に対する妨害行為の中止を勧告。
医闘委の学友5名が、医学部本館前で「スト解除阻止」を訴え百時間ハンスト。

12/16

文理学部と理工学部をのぞく各学部で疎開授業開始。
文闘委、大講堂で「教授会刷新委員会」(委員長・金子義夫教授)と団交(3000)。授業再開をめぐり応酬がつづくが、団交は決裂。刷新委員会の教授は委員を辞任。あらたな刷新委員会(委員長・鎌田重雄教授)が発足。

12/18

千葉県館山での芸術学部の疎開授業を芸闘委が阻止。討論会が開かれ、三日目で中止。

12/21

歯学部で学部団交。学部当局、これまでの学生自治弾圧を自己批判する。
生産工学部で学部団交。全共闘は、団交が成功しても、バリケードは解除しないと宣言。

12/23

「日大・中央大統一総決起集会」。2000名結集。中央大学全学中央闘争委員会(全中闘)とはじめての合同集会。法学部U部、経済学部U部、理工学部U部が授業再開阻止を目的とした「三学部連絡会議」結成を報告。全共闘は越年態勢の強化を提起。
集会中、右翼集団200名が工闘委を襲撃との情報が伝えられ、行動隊100名が出発。

12/24

各学部で「メリー・バリケード」と称するクリスマス・パーティ。
農闘委、学部再建委員会と第二回の協議。1222日の教職員合同会同で学部長代行が四年生の授業再開を通告した件を追及。農闘委は静岡県須崎や福島県矢吹に行動隊を派遣し、疎開授業阻止闘争を展開(115日まで)

12/30

各学部で越年闘争を記念する「餅つき大会」。

12/31

農獣医父兄会から農闘委へ差し入れ。
文闘委、田村書記長の発案でNHK紅白歌合戦に「赤組勝利」の激励電報を打つ。




1969/1
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 1/8

文理学部、千葉県成東で四年生に対する疎開授業を開始。文闘委行動隊は、連日、成東まで遠征し疎開授業粉砕闘争を展開。

1/9

「日大闘争・東大闘争勝利全都学生総決起集会」。全共闘、東大経済学部封鎖闘争を支援。
理工学部教授会、事態打開のため、教授12名からなる「教授会行動隊」を編成。

1/11

経済学部教授会、入試実行委員会を開き、全国分散入試を決定。

1/13

医学部で、教職員、父兄、右翼学生によるスト破壊。学生委員会は策動によるスト解除を決議。スト続行を基本方針とする学生会(岡進委員長)は執行部の解散を宣言。

1/15

東大安田講堂前で、「東大闘争勝利・全国労学共闘総決起集会」。5000名結集。

1/16

両国講堂で体育会系学生を動員した生産工学部学生集会。スト解除と授業再開を決議。

1/18

各学部集会後、理工学部前に集結し東大安田講堂闘争支援集会を開く。明大、中大などの学友とともに神田・御茶の水カルチェラタン解放区闘争を闘い、順天堂病院から東大構内への進攻をはかる。
全共闘情報班が警察無線を傍受。安田講堂を攻撃する機動隊が催涙弾を使い果たし、練馬の陸上自衛隊に催涙弾の供与を要請する緊急電を解読したが、なぜか全共闘行動隊への伝達と東大構内への突入を阻止される。

1/19

全共闘が全国の自治会や闘争委員会宛に打電した「上京要請」の電報を握りしめ、夜行列車を乗り継いできた地方の学友らも、続々と理工学部一号館に到着。前日に引き続き、東大闘争支援で神田・お茶の水周辺を占拠、街頭バリケードを構築し、カルチェラタン解放区闘争を展開。1759分、機動隊員が安田講堂屋上の赤旗を取り外す。安田講堂、陥落。

1/20

理闘委の行動隊員が安田講堂の屋上に駆けあがり「日大全共闘」の黒旗を掲げ、三十五時間の攻防戦を戦い抜いた敢闘精神を讃える。

1/25

歯学部学生大会でスト解除決議。

1/26

警視庁、神田解放区闘争の捜査を名目に理工学部一号館、明大、中大の学館を強制捜査。

1/27

生産工学部で全学科集会。機動隊500名が導入され、バリケード解除。

1/29

生産工学部の授業再開阻止闘争。再封鎖をめぐって右翼暴力学生集団と衝突。機動隊が導入され学友39名逮捕。
農闘委、再建委員会と学部団交。

1/30

商学部集会が世田谷体育館で開かれ、学部当局が一方的に「バリケード撤去・授業再開」を宣言し、閉会となる。
農獣医学部再建委員会、「学部提案」の起草委員を選出。

2/1

農獣医学部学生統一代表団が結成。農闘委の学友が10学科中9学科で選出される。
大学当局、教職員組合の桧山委員長ら三幹部を解雇。

2/2

法学部、経済学部に機動隊導入。バリケードが撤去され、大学当局、校舎をロックアウト。
工学部では、自らヘルメットを被った野引勇学部長が陣頭指揮のもと、500名の職員や体育系学生のほか、職業右翼、暴力団までを動員してバリケードを撤去。これに徹底抗戦した工闘委の学友12名はリンチされ。全員が重傷を負った。
農獣医学部再建委員会、無条件スト解除派「学科連合」の学生と会談。

2/3

前日に続き神田・お茶の水で法・経奪還闘争(25日まで)
歯学部、スト解除を決議。

2/6

文理学部集会(3000)で教授会が授業再開を強行採決。これに抗議して学友2000名がデモ。文闘委は大講堂で教授会弾劾集会を開催。
商学部、再度の学部集会でストの解除と授業再開を決議。機動隊300名に守られながら、教職員、体育会系学生らがバリケードを撤去。

2/7

歯学部のバリケード破壊を実力行使した右翼集団150名と全共闘行動隊50名が衝突。官憲の弾圧で行動隊が排除される。
目黒福祉センターで農獣医学部が公開予備折衝。農闘委は学生集会に切り替え、圧倒的多数でスト続行を決議。

2/8

全学総決起集会が中大構内で開かれ、理工学部九号館までデモ。
農獣医学部と付属鶴が丘高校の教職員がバリケードを破壊。農闘委は抗議集会の後、ただちにバリケードを修復し補強する。
大学当局は、これまで商学部、医学部、工学部、生産工学部において右翼系学生を動員して「学部集会」なるもの開催。手に負えなくなると官憲を導入しては教職員を守らせ、あたかも「自主的なスト解除」であるかのように振舞ってきたが、この日になって「これ以上、バリケードの自主解除は不可能」と判断。警視庁に機動隊の出動を要請。事態の収拾を全面的に委ねた。

2/9

理工学部、芸術学部に機動隊導入。バリケード撤去。
農闘委にバリケードからの「退去命令」が勧告。

2/10

農獣医学部に機動隊導入。バリケード撤去。農闘委は学外に撤退。

2/11

全共闘、中大中庭で「日大闘争勝利労学市民五万人集会」を開く。20000名結集。
両国講堂において農獣医学部入学試験が機動隊の厳戒態勢のなか実施。

2/12

商学部、授業再開を強行。

2/16

芸闘委、芸術学部奪還闘争。武蔵大学構内で決起集会の後、芸術学部へデモ。さらに江古田近辺で街頭バリケードを構築。

2/17

大学当局、日大本部の封鎖を実力行使で解除。

2/18

文理学部に機動隊導入。文闘委の学友らを構内から排除。全学バリケード・スト連続253日間の記録に、一旦、終止符が打たれる。
全学生・全学教授会との総団交が拒否され、学友は「日大闘争勝利報告集会」に結集。
千代田公会堂で「日大闘争救援会」が発足。

2/19

文闘委、文理学部奪還闘争。明大和泉校舎から700名が出撃。文理学部構内でデモと集会。

2/20

理工学部習志野、バリケード撤去。

2/22

理工系三学部四闘争委員会、「理工系総決起集会」を開く。

2/24

文闘委、文理学部奪還闘争。

2/25

理工系三学部四闘争委員会、「理工学部教授会団交勝利集会」開催。

2/26

法闘委、芸闘委、活動者会議や学科集会を招集。

2/27

経闘委、討論集会の後、経済学部二号館前で全体集会。

3/1

全共闘行動隊250名が上洛。京大時計台前の「31京大入試粉砕全国労学総決起集会」に駆けつける。集会後、東一条から百万遍にかけて展開された解放区闘争を闘う(京大入試阻止闘争の支援は33日まで)
芸闘委、全体集会。
理工学部習志野で、学部当局、授業再開のガイダンスを実施。

3/2

千葉県教育会館で全共闘主催の「日大闘争勝利・千葉県報告集会」。1000名参加。

3/3

文闘委、授業再開に関し文理学部教授会と団交。
法闘委と経闘委、法・経奪還闘争。

3/4

ホテル・オークラで開催予定の「古田重二良を励ます会」(主催は日本会)が中止。
全共闘と日大闘争救援会は「日大闘争勝利労学総決起集会」(清水谷公園)を開き、「励ます会」をきびしく糾弾。
生産工学部統計学科が廃止される。

3/5

文闘委、文理学部団交。学友2000名が文理学部構内でデモ。

3/6

両国講堂で経済学部提案集会。右翼暴力学生200名が経闘委の学友に椅子を投げつけ暴行。流会となる。その後、抗議集会と経済学部奪還闘争を展開。

3/7

文闘委、文理学部四研究室を封鎖。
三島闘争委員会、三島公会堂で「日大闘争報告集会」。1500名参加。

3/8


文闘委、3000名を結集して文理学部団交。文理学部一号館を再封鎖。
芸闘委、立教大学で「日大闘争勝利芸術学部報告大集会」。500名結集。
工闘委、郡山で「東北日大闘争報告集会」。

3/10

文闘委、3000名を結集し文理学部を奪還。本館を封鎖し、バリケードを再構築。43日まで二十五日間にわたって占拠・籠城態勢を維持。
理闘委も3000名で理工学部一号館を再封鎖。

3/11

法学部提案集会。

3/12

秋田議長、春雪の朝、潜伏中の渋谷区内で逮捕。

3/13

大学当局、古田会頭を批判してきた生産工学部統計学科教官7名に辞職勧告。

3/14

全共闘、理工学部一号館前に3000名を結集し法・経奪還闘争を展開。

3/18

理闘委、理工学部団交。
「日本大学教員共闘委員会」(教員共闘)が発足。両国公会堂で「教学弾圧抗議集会」を開催。

3/19

大学当局、全学入学式を中止。学部別に行なうと決定。
農獣医学部の教職員合同会議で磯辺学部長代行、再建委員会と学生代表団が主張する話合い解決策をとる意思がないと言明。
教員共闘、機関紙「戦砦」を創刊。

3/23

法・経奪還全学総決起集会。1000名結集。理工学部を再度バリケード封鎖。

3/25

秋田議長、獄中から「日大全共闘は不滅である」とアピール。
全共闘主催の「闘争勝利新入生歓迎集会」(法政大学511講堂)5000名結集。法学部、経済学部への武装デモで46名逮捕。
小林忠太郎講師ら教官4名が編纂した「事実と考察」を農闘委が構内で配布。

3/26

経闘委、授業ボイコット闘争。学内討論会を開く(27日も続行)

3/27

芸術学部の体育会系学生、右翼学生らが「民主化推進委員会」と称し学部当局と結託して映画学科学生集会(100)を開催。芸闘委30名で介入、策動を阻止。

1969/4
〜9 



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4/2

文理学部教授会は大衆団交には応じないと表明。封鎖解除など強硬な弾圧策に転換。

4/3

文理学部に機動隊が再導入。学部当局、構内をロックアウト。

4/5

理闘委、理工学部教授会と団交。

4/7

全共闘と文闘委が明大和泉校舎で全学総決起集会。1500名結集。「全学再バリ封鎖・文理学部機動隊導入抗議」を宣言した後、甲州街道をデモ行進。文理学部正門で抗議集会を開く。
習闘委、理工学部習志野校舎で「新入生交歓会」。

4/12

全共闘、法・経奪還闘争。明大学館前にて2000名結集。お茶の水周辺を解放区に。機動隊が明大学館に乱入し、128名を無差別逮捕。うち日大の学友は93名。この弾圧がきっかけとなって明治大学全学共闘会議の69/72明大闘争がはじまる。

4/13

教員協が「全学シンポジウム」を開催。教員共闘は教員協の欺瞞的な活動を糾弾。

4/14

津田沼闘委と習闘委500名が生産工学部で「進級試験粉砕闘争」。生産工学部の助手に指揮された体育会系学生が暴力行為におよぶと、1000名に膨れあがった学友らが構内に突入。学内での抗議行動を展開。
明大学館で「安保・沖縄大討論会」を法闘委、経闘委、理闘委、商闘委が合同開催。

4/15

理工学部習志野校舎で学部当局が学内立入禁止者の氏名を公表。

4/21

理工学部習志野校舎で授業再開。

4/22

東京地裁で法闘委、芸闘委、農闘委の学友らによる法廷闘争が開始。513日まで断続的に展開。

4/23

全共闘編集局、機関紙「闘う全共闘」創刊。

4/29

郡山の工学部で入学式。

5/6

理工学部で授業再開。

5/7

法学部大宮校舎で入学式。

5/13

文理学部、「にわとり小屋」と悪評されたプレハブ建ての府中校舎で入学式。

5/16

医学連・青医連全国統一行動に医闘委が参加。主催団体から医闘委へ12000円のカンパ。

5/17

教員共闘、「労学連帯集会」を開催。

5/21

明大記念館の「日大闘争一周年全学総決起集会」に2000名結集。理工学部一号館を封鎖。

5/23

「大学治安立法粉砕・日大闘争一周年全都学生総決起集会」に3000名結集。

5/29

文京公会堂で教員共闘が東大全学助手共闘会議と「大学を告発する報告討論集会」を共同開催。全国五十の大学から「造反教師」と呼ばれる教員200名が出席。

6/2

文理学部授業粉砕・学園奪還闘争。文理学部で受講していた学友らが教員に質問したところ、いきなり警備員に殴打され、学友5名が負傷。

6/4

文理学部府中校舎のなかで討論会を開こうとした新入生に体育会系学生が暴行。この事件で、翌日、抗議集会が開かれたが、警備員が駆けつけ暴力をふるって集会を破壊。617日にも、警備員が新入生を暴行するなど、学内での弾圧は異常なほど強化されていった。

6/11

「日大闘争バリスト一周年記念総決起集会」に2000名結集。46名逮捕される。

6/23

農闘委の「農獣医学部バリスト一周年記念集会」に対し、学部当局、ロックアウトで対抗。72日まで全面授業停止。

6/26

全電通会館の「大学立法粉砕全都理工総決起集会」に理工系闘争委員会の学友600名が結集。
芸闘委、芸術学部の中庭で集会(100)

7/2

農闘委の「団交拒否抗議集会」に2000名結集。農獣医学部本館を封鎖。芸闘委行動隊も駆けつけ、バリケードを再構築。
理闘委、「新入生・移行生歓迎集会」を開催。

7/3

農獣医学部の右翼暴力学生ら火炎ビンでバリケードを襲撃。機動隊導入で封鎖解除。

7/8

理闘委、理工学部七号館ロビーで「理工学部大学立法粉砕総決起集会」を開く。

7/9

千葉地裁で、「129授業再開阻止・津田沼奪還闘争」の際、建造物不法侵入と暴力行為で起訴された学友10名の公判が開始される。

7/21

農獣医学部、構内の周囲を鉄板で覆い有刺鉄線を張りめぐらしたうえ、きびしい検問態勢を敷き、授業再開を強行。構内では学部当局に雇われた警備員や体育会系学生、応援団が学生の動向を監視。各学部でも同様の措置がとられ、その実態がナチスの強制収容所に似通っていることから「アウシュビッツ体制」と呼ばれた。

8/13

日大闘争救援会、文理学部包囲デモ。構内での座り込み集会を決行。

8/28

古田会頭、不起訴と決定。

8/29

医闘委、総長選の会場に乱入。実力粉砕闘争でスト続行を訴える。

8/30

永田総長の死去にともない、鈴木勝歯学部長が総長に就任。

9/3

医学部学生大会で無期限スト宣言。

9/4

「法・経仮処分一周年弾劾集会」に2000名結集。9月再封鎖闘争にむけ意思一致。

9/5

日比谷野外音楽堂で「全国全共闘連合結成大会」。全国四十六大学から10550名が結集。全国全共闘議長に東大全共闘の山本義隆代表、副議長に拘留中の秋田明大議長が選出される。大会後、警視庁は山本議長を逮捕。

9/8

医学部学生大会で無期限スト決議。医闘委400名で、学部当局のロックアウトを粉砕。

9/11

全共闘、法学部の封鎖と経済学部長室を占拠。

9/10

理事会、古田重二郎を日本大学会長に選出。古田の居直り支配体制確立。

9/12

全共闘、「古田新支配体制打倒全学総決起集会」(明大記念館)を開催。

9/13

全共闘と文闘委、「日大文理学部アウシュビッツ体制粉砕」の抗議デモ。
医学部学生会、医学連第十六回定期大会へ正式参加。

9/18

医闘委、教養部校舎を占拠。

9/20

理工学部建築学科闘争委員会、理工学部自治会室奪還の決起集会。
医闘委、医学部教授会に乱入。学部当局と団交。本館二階をバリケード封鎖。

9/22

「古田新体制打倒全学総決起集会」に2000名結集。

9/25

法学部三号館前で集会。法学部一号館を一時封鎖。

9/26

理闘委、「ロックアウト粉砕理工総決起集会」(理工学部七号館)

9/27

理闘委、理工学部一号館で「理工学部総決起集会」を開く。


9/30

「全都全共闘・日大奪還闘争」。医闘委も「五人組」編成で参加。お茶の水周辺で解放区闘争を展開。全共闘は田村正敏書記長をふくめ学友355名が逮捕される。

1969/10
〜12 



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10/1

医学部で第一回団交予備折衝。

10/18

官憲による医学部包囲。

10/19

医学部当局、官憲を導入してロックアウト。

10/22

工学部当局、加藤教授を懲戒免職処分。この間、大学当局は、現状に批判的な言動の教員(教授・助教授・講師・助手・副手)らをつぎつぎと処分。それぞれに解雇、減俸、期末手当の減額、強制配置転換などの措置をとった。教員共闘は、710日現在、全学で27名が不当に処分されていると主張。

10/23

医闘委のヘルメット部隊80名が医学部奪還闘争。ガードマン・右翼・官憲を粉砕。

10/30

理工学部U部クラス連合、「学園民主化討論集会」(理工学部145講堂)

11/2

医闘委、学部当局主催の医学部集会(両国講堂)を完全粉砕。

11/4

医学部学生委員会350名で授業再開に抗議。

11/5

医学部で8名逮捕。1023日の奪還闘争に関った医闘委18名に逮捕状。

11/7

医学部で授業再開を強行。連日、右翼とのゲバルト闘争(1111日まで)

11/13

医学部精神科医局、スト権確立。

11/14

理事会、大学当局に批判的だとして「日本大学新聞」の休刊を決定。

11/15

日大闘争救援会が「日大新支配体制弾劾市民集会」(礫川公園)を開催。2000名結集。

11/17

医闘委の学友18名が逮捕。

11/19

全共闘、「日大神田地区討論集会」(全電通会館)を開催。

12/1

警視庁捜査二課、経済学部・富沢会計課長の横領が27000万円と発表。その大半は24名の大学関係者や友人に流れていた。

12/2

医学部、
27名の学友を処分。

12/3

医学部本館前で処分撤回の抗議集会。100名結集。

12/5

日大闘争救援会、「反戦と反権力の国家と映画の集い」(全電通会館)を開く。

12/8

1115不当弾圧抗議集会」。

12/10

古田会長を告発した教職員9名にボーナスが支給されず、東京法務局に人権擁護の訴え。

12/11

農獣医学部教授会、小林講師に「退職勧告」。拒否すれば「懲戒免職」と脅す。

12/16

理事会、小林講師の「懲戒免職」を決定。

12/19

理闘委、理工学部七号館で「理工学部総決起集会」。

12/26

全共闘と弁護団、秋田明大議長の保釈を勝ちとる。


1970/1
〜6



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1/13

法闘委、経闘委、理闘委が「日大神田地区大政治集会」(全電通会館)を合同開催。

1/17

理闘委が理工学部七号館で「理工学部総決起集会」。
全共闘、「日大全学総決起集会」(法政大)

1/29

全共闘、「日大全学活動者討論集会」(法政大)

2/12

日大闘争救援会が「反戦と反権力の為の状況報告と映画集会」(四谷公会堂)

2/15

大学当局、「日大新聞・廃刊号」(20000)を没収、焼却処分。この措置に抗議して日本大学新聞社の学生社員は全員退社し「日本大学新聞会」を結成。615日、「日本大学学生新聞」を発行。

2/21

全共闘、東大本郷構内で「日大全共闘拡大討論集会」。

2/25

武蔵野台駅付近で文闘委を中心とした全共闘行動隊30名がビラ配布の情宣活動中、右翼暴力学生集団に襲撃され、商闘委の学友・中村克己が重傷を負う。奥島病院で緊急手術。右翼に襲われた学友30名が府中警察署に逮捕される。

3/2

入院加療中の中村克己が永眠。
全共闘は、ただちに「中村君虐殺抗議集会」(錦華公園)を開催。

3/3

全共闘、「中村君虐殺行為弾劾文理学部包囲デモ」の抗議行動を展開。

3/4

全共闘、礫川公園で「中村同志虐殺抗議労学市民集会」を開催。
全共闘と農闘委、四谷公会堂で「小林講師処分撤回総決起集会」を開く。

3/7

全電通会館で「70年度新入生・卒業生討論集会」。

3/11

日比谷公会堂で「中村君虐殺弾劾・日大全共闘葬」が営まれる。

3/14

府中駅前で「中村君虐殺・日大全共闘献花行進」。

3/15

全共闘、武蔵野台駅で「中村君虐殺抗議労働者市民学生献花行進」。

3/25

文闘委、「虐殺・処分・ロックアウト粉砕」の文理学部包囲デモ。

3/27

東京地裁で小林講師の不当解雇処分撤回の公判が開始。

3/28

農闘委、討論集会と農獣医学部包囲デモ。

4/13

全共闘、礫川公園で「中村君虐殺抗議・日大アウシュビッツ体制粉砕労働者・学生・市民統一行動」の集会を開催。

4/26

理闘委、文京区民センターで「新入生・移行生歓迎討論集会」を開催。

5/14

理工学部一号館・七号館前で理闘委がデモ。

5/20

理工U部闘争委員会が「理工学部U部学内討論集会」を開催。

5/22

理闘委、法政大六角校舎で活動者会議。

5/23

理闘委行動隊、理工学部六号館前に結集し、一号館内で「理工学部総決起集会」を開く。
全共闘、商学部構内で「新入生・移行生歓迎集会」を開催。

6/10

理闘委と理工U部闘委が「理工学部総決起集会」と「学内総決起集会」を時間差で開催(619日も同様の集会を敢行)

6/11

全共闘、礫川公園で「日大闘争勝利・六月決戦勝利総決起集会」を開催。
安保廃棄全日大623実行委員会が日比谷野音で「全日大総決起集会」を開く。

6/13

全共闘とベトナムに平和を市民連合(ベ平連)が礫川公園で「六月安保闘争勝利・全国アウシュビッツ粉砕集会」を共同開催。

6/23

医学部から40名、看護学院から30名が結集。医療研、文研による活動者の再結集が進む。医学部では、12月に処分された学友27名が全員復学し、医学部活動者会議が再建され、5月には一闘委・三闘委がクラス委員選挙で勝利。医闘委の再組織化がはかられていた。
全都看学共闘が単独で集会を開催。この集会に日大からも看学39名がはじめて参加。看学共闘200名とともに明治公園から日比谷公園までデモ。後日、看学当局は39名の父兄を呼び出し「事情聴取」。呼び出しに応じなければ「処分する」と威圧した。

6/16

全共闘経済一年生藤沢活動者会議が藤沢市民会館で「藤沢地区映画・討論集会」開催。

6/29

理工学部、木村秀政学部長代行との理工学部大衆団交。

1970/7
〜12 



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7/8

全共闘、法政大学講堂で「日大全共闘討論集会」を開催。

9/2

看学卒業論文ボイコット闘争。

9/26

看学自治会主催の高橋晄正東大講師の講演会に30名の医局員、講師、警備員がピケットで阻止行動。

10/6

看学当局、看学の学友7名を停学処分。

10/26

古田重二良、日大駿河台病院にて死去。大学当局は「古田会長の社会的評価には、いまだ歪められた面が残っているのは残念だが、今後の歴史のなかで古田会長の業績と隠された人間性は、時とともに再評価されることを確信する」との談話を発表。

10/30

歯学部当局、「桜歯祭」の期間中(31日から113日まで)、ロックアウトを告示。

11/7

医学連第十七回定期大会に医学部学生会が代議員参加。

11/5

文理学部フラクション(100)、下高井戸でビラ配布。

11/12

学園協議会と理想的大学像建設委員会、後楽園ホテルで講演会を開催。
農獣医学部当局、「三茶祭」の中止を通告。

11/24

経済学部U部自治会設立準備委員会、学部当局に五項目の要求書を提示。

12/1

経済学部で再び検問を開始。この時期、検問態勢を強行しているのは経済学部のほか、法学部、芸術学部、文理学部、農獣医学部。

12/2

経済学部、「三崎祭」実行委員会に対し、学部当局、開催費用の不払いを通達。

12/4

法学部、「部室・部費獲得闘争」で学内集会を開き、400名結集。

12/7

農獣医で「日新会」の学生によるテロ行為。

12/10

習闘委、理工学部習志野で学内集会(50)。駅までデモ行進中、鉄パイプで武装した右翼暴力集団30名に襲撃され、学友1名が拉致。全身打撲の重傷。

12/12

理工学部習志野で「1212弾圧粉砕集会」開催。理工系闘委の学友ら100名結集。

12/23

看学当局、京浜安保共闘系学友に退学処分。
日大闘争支援弁護団と日大闘争救援会の調査による犠牲者は、逮捕者1608名、勾留595名、起訴132名、死亡者1名、負傷者7500名である。

(文中敬称略)