和ぐの軌跡、奇跡。そして未来へ(2009.10,4)

今年6月、「和ぐ」が8年ぶりにおかあさんコーラス東北大会に出場しました。

前身の「こーる・それいゆ」から数えれば、三度目の全国大会出場を果たして、「和ぐ」は息切れを起こしてしまいました。達成感が退団や休団者を産み、最悪の時期には一桁にまで団員数が激減し、燃え尽き症候群も極まったのでした。そんな状態から「和ぐ」は蘇りました。今では団員数は二十名を超えるまでになり、東北大会出場も果たしました。これは奇跡です。この成功を支えたのが「和ぐ」の団員一人一人の地道な努力にほかなりません。新しい団員との敷居を極力つくらずに、融和に努めてきました。身の丈に合った選曲と地域に根ざした活動も良かったはずです。

 今回のコンサートのために、仙台を中心にご活躍中の石川浩先生にアレンジをお願いしました。「和ぐ」のメンバーが選んだそれぞれの青春の歌を、見事なメドレーに仕上げてくださいました。本日、「和ぐメドレー2009」として、初演いたします。さらに、コンサートが終わると、楽団「トロイカ」と共演できるよう筆を進めていただきます。「和ぐ」から産まれ、「和ぐ」から発信する・・・・故本間雅夫先生の「終戦」を委嘱初演した「和ぐ」。委嘱作品第2弾は、本間先生の愛弟子の石川先生の作品です。心を込めて演奏し、育てていきます。

「合唱」とは、音楽のいろいろな要素を、練習を通して実現していきます。歌い込んで、歌い込んで確かな表現へと高めていくのです。そして、熟成させ、深い表現に高めます。そのときに、合唱団に参加する一人ひとりの、豊かな経験が生かされるのです。当然、マイナスの経験がこそが生かされなければならないのです。一人ひとりの想い、一人一人の経験、一人ひとりの歌が通い合い、「意味」・・・音の心を味わい、表現する。さらに、完全に手の内に入れて無我の境地で演奏する…そんなことができたらと願いつつ。♪稽古不足を 幕は待たない♪ それが、いつも現実。

でも、全力を尽くします。

良い合唱を創るために(2009.9.6)

今はこんなふうに考えています。ご意見ください。

で、最終的な実現したいのは、「魂の演奏」!!

   

↑友人に頼まれ書いたもの。現在「セレッソ大阪」の応援用として、大阪長居スタジアムに掲げられている。

合唱団パリンカ(2009.7.30)

合唱団パリンカは、1990年(平成2年)、「けやきの会」(音楽監督 田中信昭氏)で学んでいた仙台市の大学合唱団のメンバーやOBを中心に結成された男声合唱団です。今年20年目を迎えました。現代日本の優れた作曲家の作品を中心に、古典に立脚し、現代に生きる自分たちの歌を創り上げることをめざして、演奏会やコンクールを中心に約40名で活動しています。
 「パリンカ」とは、ハンガリーの地酒の名前ですが、実は結成した年の全日本合唱コンクールの課題曲のタイトルからつけただけで、当時は毎年課題曲によって団名を変えるという案もありましたが、そのまま現在に至っています。(カリンカ、パプリカなどではございません。) 
 当初は大学生とそのOBが中心の構成でしたが、現在は20代から70代まで幅広い年齢層の「男声合唱団」となっています。

パリンカには素晴らしい仲間がいます。東京から、福島から、山形から、わざわざしょっちゅう来てくれます。男も女も、あんまり声が出ない人も、めちゃくちゃうまい人も、プロの音楽家も、熱烈な合唱バカも、コンクールが嫌いな人も、コンクール大好き人間も、医者も、患者も、先生も、生徒も、練習にお菓子を持ってきてくれる人も、ポットを持ってくる人も、「めんつゆ」を持ってきてくれる人も、すぐに暗譜する人も、練習が嫌いな人も、年配の人も、タダタケ大好き人間も、パリンカが合唱初体験の人も・・・etcいろんな人が集まって、素敵な合唱人が集まって、みんなが生きている合唱体。それがパリンカ。

かの「なにわコラリアーズ」は、「男声合唱に音程を」モットーをスタートとして、実に音楽性豊かな、エンターテイメントとしての男声合唱を実現してきた。
 パリンカは「脱グリー」「超グリー」である。発想は「なにコラ」と似ている。
かつての関学や早稲グリを規範とした男声合唱団のあり方からの「脱」である。この二つを目指した「崇徳高校グリークラブ」は、アメリカ公演の折、「アーミー・クワイヤ!」と批判されたとか。中央集権的な合唱ではなく、自由で自在な男声合唱、一人ひとりが生きる合唱、一人ひとりが生きる合唱団を目指してパリンカは活動してきた。「自発性」を求めたパリンカ初年度。コンポジションと化した「王孫」に魂を吹き込んだ「すみだトリフォニー」の奇跡的な演奏。・・・・少しずつ 日々いっぱいいっぱいで、フツーの合唱団になって、一人ひとりが生きていない・・・。
 20年目を迎えた今年、初心を忘れずに日々新しい気持ちで合唱を創りたい、そう強く決意した夏。

たった二人の合唱部(2009.7.22)

昨年823日多賀城市文化センターで素晴らしい演奏に出会いました。NHK全国学校音楽コンクール宮城県大会中学校の部フリー参加に出場した八木山中学校合唱部。中学2年生、たった2人。一人一人が、のびのびと実に豊かに歌っていたのですたった二人だけの部活動・・・心が折れてしまいそうなときぶつかり合うとき、いろいろあったはず・・・・それを支えあい、 高めあいひたむきに練習してきたはず・・・途中からは会場から手拍子が入り、ホールは感動の空間となりました。その様子はNHK「続・拝啓十五の君へ」という番組で全国放送され、大きな反響を呼びました。そして、今年3月ポプラ社から「拝啓十五の君へ~アンジェラ・アキと中学生たち」というタイトルで出版されました。中学3年生になった2人です。

その2人がパリンカの定期演奏会に特別出演してくれました。そのことが、721日付の河北新報夕刊に4段抜きの大きな扱いで記事になった。二人を見つめる温かいまなざしが印象的な記事。彼女たちにもコンクールに向けて暑い夏がやってきた。健闘を心から祈っている。

お楽しみ会(2009.7.12)

先日、小学校の合唱団でベニーランドに行ってきました。
梅雨の晴れ間、32名の合唱団員と保護者会のお母さん方3名、私、そして次男の37名。
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年前に赴任したときは、こんなイベントをしないと子供たちのモチベーションがもたないのかと、否定的でした。今はちょっと変わってきました。
 
ベニーランドに行く前は友達関係で悩んでいた子が1日遊んでいるうちに、新しい友達を作ったり、わだかまりなく笑顔で語り合ったり。新入団員もすっかり溶け込んで、合唱団の人間関係がすごくしっとりしてくるのでした。合唱活動だけではなかなか育たないチームワークができて、3年生から6年生まで、異学年交流が実にうまくいくのです。本当は合宿をするともっといいのですが。大人の合唱団なら飲み会をするといいのと同じようなものですね。合唱団は合唱中心であるべきですが、こういうイベントは大事ですね。


合唱はメンタルハーモニーと言います。いっしょに歌っている人の名前も知らない、どんな人か知らないでは練習も演奏もいくはずもありません。演奏というものは、共感の練習の積み重ねによって成り立っているのです。嫌いな人とか信頼していない人から、どんなに素晴らしいことを言われたり、指示されたりしても、心からやろうとはしないものですし。楽器の場合だったら、自分と音楽の間には楽器が介在するために、音楽に客観性が生じますが、合唱は合唱というものは、楽器を介在していないぶん、感情がストレートに演奏に反映されます。人間関係とかチームワークが合唱の場合、すごく大切になってくる訳で、合唱団員相互のかかわり合いがうまくいってないといけないのです。小学校に合唱団がある教育的意義、中学校であれほどまでに「校内合唱コンクール」が盛んな意義というものは、ここら辺にもありそうですね。 

今 子供たちと(2009.7.10)

今から30年以上前には、地域の共同体の中で、子供たちはタテのつながりの濃厚な社会の中で、年上の子に叱られたり、指示されたりしながら、リーダーシップや従順さ、粘り強さを学び、同時にさまざまな体験を積んできました。力を合わせること、やり遂げることの素晴らしさを味わうことができた「熱い時代」でした。あのころの熱い青春ドラマや学園物はあの時代だったからこそ成立したのでしょう。あの熱さというのは、今はもう体験できないのでしょうか。そんなことはないはずです。それは人間が人間たるために絶対必要な体験なはずです。とくに、正に「現代っ子」「新人類」たちだらけの今の子供たち…だからこそ、スポーツ少年団やブラスバンド、そして合唱団だって、その存在意義が、教育的価値があるのだと思います。昨年3年生が「3031脚」に出場した意義もここら辺にあるような気がします。その過程では、仲間通しでぶつかったり、悩んだり、苦しむこともあるでしょう。いじわるだってあるかもしれません。それらを乗り越えたところに、大きな感動があるはずです。合唱というものには、音楽があり、詩があり、世界があり、歴史があり、肉体を通して、心を通しての深い感動があり、道徳があり、規律があり、団結があり、仲間があり、充実感があり、達成感があり・・・数えきれない素晴らしい世界があるのです。

先日、20年前にはじめた「合唱団パリンカ」の定期演奏会がありました。パリンカの仲間に、そして最終ステージ歌ってくれた80名の合唱人たちからも、それを教えてもらいました。私が指揮をしてコンクールに出始めて、この夏で20年目を迎えます。合唱の感動と素晴らしさを、誰よりも子供たちとともに味わいたいと強く願っています。


                     

母国語(2009.7.5)

三女OG合唱団とフィンランドのグレックス混声合唱団のジョイントコンサートを聴いた。

三女OGは相変わらずうまかった!「さくら」と「今日もひとつ」は絶品。ここ数年、桑折さんの演奏はいい。充実の極みである。かつての威圧感とか嫌らしさが消え、明快で自然で実に美しい。国際コンクールに出はじめて、垢抜けたというか、グローバルなコーラスになった。日本を代表するコーラスだ。

そのステージのあと、グレックス、あらら、なんと貧弱な声。来場したことを後悔した。仕事もたまっていたし。ところが次第にはまっていった。なんと美しい弱声!美しい不協和音。ピッチが抜群に良く、一人一人が巧い。どんどん虜になっていった、とその時、なんか聴いたことのある曲。そう、前半で三女OGが歌った曲!

 魂が揺さ振られた。涙が出てきた。母国語、正に魂の歌!どんなに日本人が巧く演奏してもかなわない。なにコラが如何に巧くてもやっぱり違和感があるのと同じように。

 今年のパリンカはオール洋モノでコンクールに挑戦する。きっと同じようになるだろう。しかしそれはいい。慣れない言語で発音や発声を磨き、音楽を情ではなく理で奏で、腕を磨き、合唱団としてスケールアップするためだから。

唐突な思いつき、三女OGと柴田南雄の追分節考が演奏できたら面白いな。


 

PÁLINKA 17(2009.6.21)


平成25人で産声をあげた合唱団
Pálinkaは、今年で20年目を迎えることができました

創団20年目を記念して、多くの男声合唱愛好家たちの力をお借りして、男声合唱の大曲「富士山」の演奏が実現できることになりました。また、「続・拝啓 十五の君へ」に登場した仙台市立八木山中学校合唱部のお二人も特別出演していただけることになりました。団と世代を超えた合唱による交流が実現いたしました。

 「地球上で最も優れた楽器は人間の声である」と語ったのは間宮芳生先生でしたが、言葉を有して、最も微細な表現力に富んでいるのが、人間の歌声であることは間違いありません。その人間の歌声が集まったら、もっと魅力的なものになるはず・・・・でも、なかなかならない! 難しい・・しかし、その中で、それぞれの人生が、想いが、心が、声が、歌が重なり合い、深まり合う。だからこそ、「合唱」はやめられないのです。

 さて、昨年の今日、悲しい知らせがもたらされました。東北の音楽界を牽引し続けてこられた故本間雅夫先生の訃報です。第16回定期演奏会を終えて弔問いたしました。私が依頼した作品の膨大なスケッチが部屋のあちこちに遺されていました。そのときまでは、私が「アマデウス」のサリエリになってしまったことを悔やんでいたのですが、死のときまで作曲家であろうと生き抜いた姿に接して、「本間雅夫」が私の心に突き刺さりました。そしてこの一年、ずっと刺さったまま考え続け来ました。一生をかけて考えていきます。「賛歌」「勿忘草」「くちなし」「ゴンドラの唄」「手紙」・・は本間作品ではありませんが、私は本間先生のことを想い、指揮をします。合唱団員は、きっと自分なりの想いで・・・歌い手の人数通りの想いで~どの曲も~歌うはずです。それらが重なり、交錯し、醸し出される演奏ができたら、聴衆のみなさまと音空間を共有できたらと思っています。

 本日の演奏を聴いていただいたお客さんたちが、合唱が好きになり、もっと合唱をしたくなるようなコンサートになれたらうれしいです。



60周年記念誌(2009.6.16)

昨年より宮城県合唱連盟60周年記念誌の編集委員を仰せつかっている。県連の事務局長を一期で退任し、ご迷惑をかけた罪滅ぼしに、一番しんどい、コンクール編を担当した。昨年末から2月にかけて、正直たいへんな作業だった。第41回から第60回まで、全参加団体名、賞、指揮者、伴奏者、金賞団体の自由曲名、東北大会や全国大会の成績まで、気の遠くなるような作業であった。

だが、私の大学四年から現在までの合唱史を振り返える作業でもあり、懐かしくもあり、有意義な仕事であった。

ここ21年間の宮城県合唱の発展は目を見張るばかりである。40年間で全国大会金賞は2団体のみだったのに対して、グリーンウッド、宮三女高、パリンカ、宮三女OG、長町中となんとも凄い。銀賞なら、仙台南高、五橋中、八軒中、奏愛会、東北電力!しかも宮三女とグリーンウッドに至っては日本一の栄冠にも輝いている。私の高校時代から考えると信じられない成績の数々である。私の高校3年のときは正にどん底であった。東北大会で銅賞が1団体だけ、我が古川高校に至っては県大会落ちであった。そこには、合唱馬鹿の切磋琢磨と臥薪嘗胆があったのである。その最たる存在が桑折金三さんであろう。

合唱団の栄枯盛衰を読み取れたことも収穫であった。グッと成績が上がる法則も見付かった。大きく選曲を変えた瞬間に成績を上げている。例外は奏愛会と宮三女OGと高校時代をベースにしている合唱団だけである。邦人から現代宗教曲に変えて成功したのが長町中、宮三女、広瀬中、エピス、邦人から外国作品に変えて成功したのが、仙台南高、混声から女声にして成功したのが長町中、女声から混声にして成功したのが八軒中。

いずれも、自分たちの行き詰まりを打開するために大きく路線変更をしたのだろう。

路線変更というのは、それまでの自分たちの経験とか技術が役に立たなくなることを意味する。だからこそ、それまでになく真剣に、しかも謙虚に合唱に向き合う。それなしには成功などあり得ない。

要するに、いかに新鮮な気持ちで、作品に謙虚で真摯な態度で演奏に取り組むかということなのだろう。慣れてはならないのだ、ということを肝に命じなければ!




仙台で開催された第45回全国大会のとき、私の作成したシンボルマークが入選し大会参加者約2万人が身に付けました。そのシンボルマークをちょっといじってつくった試作品です。いかがでしょうか。


天童での奇跡~「和ぐ」の軌跡(2009.6.15)

 和ぐが8年ぶりにおかあさんコーラス東北大会に出場した。



前身の「こーる・それいゆ」から数えれば、三度目の全国大会出場を果たして、「和ぐ」は息切れを起こした。達成感が退団や休団者を産み、最悪の時期には一桁にまで団員数が激減した。燃え尽き症候群も極まったのでした。
 そんな状態から「和ぐ」は蘇ったのです。今では団員数は二十名を超えるまでになり、大会出場も果たしました。これは奇跡であろう。お母さんコーラスで人数が一度減り出したら増えることはないのが常識になっている。高齢化と少人数化はお母さんコーラスの抱える大きな問題である。
 この成功を支えたのが「和ぐ」の団員一人一人の地道な努力である。お母さんコーラスは、一般的に、結成して少しした頃に一番人数が多くなる。そこからだんだん減り、ついには解散に至る。それは、結成当初の中核メンバーに有りがちな排他性と保守的になってしまうことが大きい。必ずと言っていいほど結成当初メンバーと後から入ったメンバーとの間に溝ができて、軋轢が生まれる。そして合唱団からエネルギーが失われ、幾多の軋轢により、団員が去っていく。
 「和ぐ」は、新しい団員との敷居を極力つくらずに、融和に努めてきた。全国大会出場至上主義を捨てて、身の丈に合った選曲と地域に根ざした活動も良かっただろう。
 10月には、五回目のコンサートを開催する。奇跡の復活を果たした「和ぐ」、これからが実に楽しみだ。

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