【学歴】学歴社会のしくみ・・・
 
 
 世間一般、特に「文部省自らが行う学歴社会批判」に向けて。


 学歴は現在の日本では就職のパスポートとして機能してることは事実です。


 少なくとも、就職してからは大学は関係ないって言えるかもしれないけど、就職するまでの段階では、学歴が一番参考にされてることは皆否定しないのではないでしょうか?。



 そこで、さらに問題ですが、就職の時点で、会社は何故学歴にこだわるのでしょうか?。これだけ、長く日本に根づいた習慣である以上は理由があるはずです。



(1)能率的な問題処理能力に優れた人間が統計的に多い


(2)嫌な仕事に耐える能力が高い人間が統計的に多い


(3)秩序をルールを好む人間が統計的に多い


とこのような理由を以前、聞いたことがあると同時に、なるほどと納得しました。




 就職と言うものが企業が欲しい人間であることを考えると、上記3つの理由には合理性があると思いますし、また、統計的にそういう人間が多いであろうことも僕には納得が出来ます(「統計的に」と言うのがあくまでもポイントです)。





 もちろん、(1)についてはペーパー試験に慣れすぎていて、創造性と言う意味で欠陥があると非難されてることはご存知の通りです。





 ですが、この点も、じゃあ、学歴が低いと創造力にあふれているのかと言うと、そんなことはなくって、学歴に関わらず、創造力に満ちた人の割合は統計的にはほぼ等しいでしょう。これは学歴と関係がない(今の教育では触れられていない)から等しいはずと言う意味です。




 とすれば、問題処理に優れた人間が多いと思われる集団から採用していくのが一番効率がイイってことです。




 (1)(2)(3)について、高学歴でも全くこの基準を満たさない人間もいるでしょうし、高学歴じゃなくても満たす人間はいるってことは当たり前です。しかも例外が結構多いってことも事実です(笑)。




 ただ、やはり統計上、高学歴ほど多数であると言う部分は否定できない気がします。




 とすると、企業としては採用に全エネルギーをかける余力はないことになりますから、結局、「当たりの確率が高い集団」から選んでいくってことになります。




 そして、企業が利益を追求するものであって、そのために必要な人材を探し続けるものである以上は、何かの採用効率を上げるための基準は絶対に必要になるのであって、今の日本の社会では学歴がその役割を果たしているってことです。





 とすれば、学歴が意味をなさない社会が仮にきたところで、何か別の基準が作り出されることは目にみえてます。




 そういう意味では、学歴と言う、割と客観的な基準が採用されている現状はまともな方なのではないでしょうか?。





 それと、最近は企業が学歴以外の基準も取り入れつつあり、多様化は進んでいる気がしますから社会のバランスもそれなりにとれてきてると思いませんか?。



 とすると、「学歴社会自体」に問題があるとの考えは理解しかねます。
 問題は学歴社会のありかたなのではないだろうか?>学歴社会自体を批判する皆さん






【学歴】教育界は開き直るべきだ




 ここでいくつかの結論を言っておく。



 日本の教育で間違ってるのは、社会は競争原理で成り立ってるってことを正面から教えないことだ。




 大学&大学受験の勉強は社会では役に立たない。そして、役に立たないんだってことを学校で、はっきり教えるべきだ。




 そしてそれにも関わらず、競争社会で生き抜くためにそれをやらなければいけないんだってことをも教えるべきだ。







☆ 最近の日本の教育の弊害

 既に述べた通り、就職の基準として学歴が役立っていて、学歴自体はそのために役立ってるに過ぎないと言う現状がある。「役立ってるに過ぎない」と言いつつもそれがかなり重要であることも事実である。




 それなのにそのことを教育界は正面から明言しない。




 そのせいで、子供達は「勉強自体が世間では役に立たない」「学歴があるってことよりも中身が大事」「学歴が高くても駄目なヤツは駄目」「勉強出来るからって偉いわけではない」とのセリフを短絡的に受け止めることになる。




 「勉強しなくてもいいんだ、学歴なんて無駄だ」と・・・。





 そして、

 自由な教育、ゆとりの教育なんてのも、今の社会についていけない子供を産み出すだけの屑政策としか思えない・・・。競争原理がなくなることはないのだ。だとしたら結局それを真に受けた子供は後で泣きをみることになるってことが何故わからないのだろうか?。




 学歴が社会で就職の基準として重要だって学校は教えるべきだ。



 そして、学歴があるからって別にちっとも偉いってわけじゃないってことも同時に学校が明言するべきだろう。



 それでも、そういうものが競争社会では必要なんだ、そのために訓練しなさいと学校が教えるべきだろう。



☆ 日本の大学の「入試重視システム」を改善すれば学歴社会はなくなるか?




 アメリカの社会と比べて、日本ではどこの大学に入ったか(つまり学歴)ばかりが重視されるが、アメリカでは大学で何をやったかが重要だみたいなことが言われる。




 日本の大学が入試ばかりキツくて卒業が楽だとか言われて、それがいけないと良く言われる。





 しかし、それはどうだろうか?。

 まず、大学に行く人間の率が全然違う。アメリカでは大学行くのは人口全体からすればほんの一握り(「ほんの」ってほどでもないが)であって、いわゆる、それだけで、会社・就職におけるエリートなのである。そういう意味では学歴はかなり重視されている。





 そして卒業が重視されるのは、単に卒業が厳しいからである。





 要するに企業は過酷な競争に勝てる人間が欲しいのである。




 そして、日本では入試が一番厳しいから、単にその一番厳しい試練を乗り越えられた人間を採るってだけなのである。アメリカでも同様、卒業が一番厳しいからそこで就職も審査するってことである。




 結局、卒業重視によっても学歴社会は特に改善されないだろう。




 それどころか、教授に媚びを売るとかいうかえって不公正な学歴システムに変貌する可能性の方が高いのではないだろうか。




(その意味で、高校入試の内申点偏重システムは不公正になりやすいシステムであろう。偏差値導入禁止はかえって危険だってことが自覚されるべきだが、今回はこのことはこの程度にしておく)



☆ 大学で学んだことこそ重視されるべきか? 勉強は役に立つのか




 結局、高校レベルでやる勉強なんて基本的には実社会では役に立たないことは事実だ。それでも、「入試と言う競争のためだけにそれをやれることを示さなければいけないんだよ」ってことを正面から言ってやればいいんだ。





 ましてや、大学で学んだことなんてやっぱり実社会では全然役に立たない(もちろん理系だと状況は違ってる気がするけど)。




 大体、営業職とかでも、学部とかではなくて(大体学部なら何学部が営業に一番直結するんだ?(^^;))、大学名で就職が決められていることが多いってことは、それこそ勉強なんて役に立たないことの証明だろう。





 ただ、社会で役に立たないと言うと、もう短絡的に「じゃあ、勉強はいらないんだ」とか言う高校生が現れるから困る。

 実際のところ、入試において勉強を学ぶと言う過程自体は脳の訓練としてやはり役立つものだし(これもやり方次第なのだが)、何度も言うように就職のことまで考えればやらなければいけないのだから。





 日本の教育がある意味で間違ってるのは、社会は競争原理で成り立ってるってことを正面から教えないことだ。




 勉強は役立たないが、競争のためにやれと何故明言してやらないのだろうか?





 (もちろん、教養とか人間の幅とか言う意味で勉強が大切だと言うこと自体は否定しない。でも、それは結局自力で本を読むとかでも出来ることだ。実際、僕は大学時代は学部とは関係ない本ばかり読んでいたし、そのことの方がよっぽど学部の勉強よりも自分の幅を広げるのに役立った。数学やなんかが論理的なものの考え方に役立つとか国語をしっかりやったから言葉をよく知ってるとか、そういうのもわかるが、やはり「社会で役立つ」とストレートに言えるものではないだろう。)





 「大学で何を学んだか」を重視するべきなんて考え方は学歴社会の弊害としか思えない。結局「学問が、勉強が出来るから偉い」って発想からぬけきれてないってことなんではないか?。




 企業の採用でも大学で学んだこと自体なんて全く興味はないらしいし。





 だから大学での勉強自体は僕は必要ないと思っている。4年間は自分のためのモラトリアムだと割り切って楽しむのが肝要ではないか?(学者にでもなりたい人は別だが)。






 もちろん、時間があると言う最大のメリットは生かすべきで、読書や資格試験の予備校とかで自分の幅のために勉強するのはいいことだと思う。それが出来るのが大学生という立場のよいところなのだから。サークルやなんかで人脈作ったり、実社会の予行演習をやってみるのもいいだろう。ただ、大学の勉強自体はやっぱり無用の長物のような気がする(^^;)。





 
☆ 大学入試の役立て方
 少し話題の方向性を変えてみる。



 大学入試の役立て方ってのはあると思う。


 大学入試の勉強の中身は確かに将来役立たないけれど、その過程での作業は役に立つ可能性はある。せっかくやらなければいけないなら役に立つ部分は自覚しておいた方が出来るだけ無駄が減るだろう。






事務処理能力の向上

問題処理能力の向上 

不得意なものの吸収の方法論の構築能力の向上

言語能力・論理能力の向上

プランを立てる能力およびその実行のために自律する能力の向上

自分の能力を自覚する





 これらが入試の勉強をすることで役に立つはずのものではないだろうか。だとしたらこの部分を意識して、受験生は勉強して欲しいものだ(そうすれば少しは「無意味な勉強だ」とか嘆かないで済むのでは?)し、こういうことをしっかり教師は教えてやればいいと思う。






☆ 就職の基準の多様性


 学歴社会自体はなくならないだろう。ただ、現状は弊害が多いことも事実。結局のところ、企業としても学歴ばかりではない何か別の基準も用意することで、もう少し教育においても多様性が重視されるのではないか?。





 実際、学歴だけを参考にしていたのでは、役に立たないヤツも大量に採用することになって企業としても効率が悪くなるはずなのだから・・・。





 まあ、この辺は企業が考えることですね、それこそ。




 長くなったのでこの辺で終わりにします(^^;)。  



 


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