
昔、昔のことです。
お日さまがぽかぽかと暖かく、気持ちのいい午後でした。ある池の飛び石の上で、カメが日向ぼっこをしながら昼寝をしていました。と、そこへたくさんのウサギたちがやってきます。二十羽もいるでしょうか。池のほとりにパラソルを立て、ラジカセを大音量でかき鳴らして乱痴気騒ぎをはじめました。その音で、カメはすっかり目を覚ましてしまいました。
「くそっ、あのチンピラウサギどもめ。今日という今日はとっちめてやる」
カメが毒づくのも無理からぬことでした。
というのも、暖かくなったからでしょうか、このところウサギたちは毎日まいにちこの池にやってきて、今のような馬鹿騒ぎをするのでした。そのうえゴミは散らかし放題。一度も片付けて帰ったことはありません。ウサギたちが帰ったあとには空き缶や食べ残しがそこらじゅうに散乱しているというありさまでした。
カメは昼寝を邪魔されたあげく、この掃除もしなければいけないので、慢性的な睡眠不足と過労に陥っていたのです。
そしてなによりも我慢ならないのはウサギたちが歌うあの歌でした。
――もしもしカメよ、カメさんよ。世界のうちでお前ほど、歩みののろいものはない。どうしてそんなにのろいのか。
このあと歌詞はウサギとカメの勝負となり、最後はカメが勝つのでしたが、ウサギたちは先を歌わずこのフレーズだけを繰り返します。明らかにカメにあてつけて馬鹿にしているのでした。
カメは飛び石から下りて、ウサギたちのほうへ泳いでいきました。
「おい、いいかげんにしてくれないか。うるさくってたまらない」
カメが池から頭を出すと、一羽のウサギが空き缶を投げつけてきました。カメは首を引っ込め、危ういところでそれを避けました。
ウサギたちはケラケラと笑いました。
「うるさいのはどっちだい。そんな小言をされちゃおれたちだってちっとも楽しめやしない」
なんと勝手な言い草でしょう。カメははらわたが煮えくり返る思いでした。しかし、そうはいっても多勢に無勢。かさにかかって調子づくウサギたちを前に、カメは諦めて帰ろうとしました。するとウサギたちが声を合わせて歌いはじめます。
――もしもしカメよ、カメさんよ。世界のうちでお前ほど、歩みののろいものはない。どうしてそんなにのろいのか。
どっという笑い声。
そしてカメの頭上にたくさんの空き缶やゴミが降りそそぎました。
カメの忍耐もこれが限界でした。変温動物ではありましたが、このときばかりは胃のあたりがカッと熱くなりました。
カメはぐるりと振り返り、怒鳴りました。
「ふざけるな! 人をコケにするのもたいがいにしろ! 誰がそんなにノロマだって! こうなったら勝負だ! 勝負して白黒はっきりつけようじゃないか!」
「勝負?」
再び、どっという笑い声。
最初に缶ビールを投げつけたウサギが言いました。
「カメさんカメさん、あんたみたいなウスノロがおれに勝てるわけがないじゃないか」
カメは憤然とこたえました。
「そんなことはやってみなければわからない」
「へえ、そこまでいうなら相手になってやる。どうせおれが勝つんだしな。ハンデだ。場所も時間もルールもぜんぶあんたが決めていいよ」
ウサギは内心で「うまくいったぞ」とほくそ笑みました。実はこのような展開になることを見越して挑発していたのです。このウサギの先祖は、例の有名な童謡のウサギでした。あの競争に負けて以来、彼の一族は折りに触れてみんなに馬鹿にされます。なんとか雪辱を果たしたかったのですが、しかし誰が見ても勝負はウサギに有利。ウサギから再戦を申し込めば、弱い者いじめだとまた馬鹿にされるかもしれません。だからカメのほうから勝負を申し出るよう策略を練ったのでした。
カメは怒りで頬を紅潮させながらも、目をじっとつむって何かしばらく考え込んでいました。それから口を開いて、
「ルールはぼくが決めていいんだな?」
「ああ、もちろんだ」
「じゃあバーリトゥードだ」
「バっ?!」
ウサギは思わず聞き返しました。バーリトゥードといえば格闘技の本場メキシコで盛んな試合形式です。ルールは簡単。すなわち、なんでもありのケンカスタイル。
「何か不満でも?」
「か、駆けっこじゃないのか?」
「そんなガキのお遊び」
カメは鼻で笑いました。
「男同士の勝負といえば、決闘しかないだろう。まさかウサギさん、怖気づいたんじゃないだろうね」
「まさか!」
ウサギは慌てて首を振りました。よくよく考えてみれば、勝負の形式がなんであろうが鈍重なカメに遅れを取るはずがありません。草食動物といってもウサギには武器がありました。ウサギの後ろ足によるキックは、ときに狩猟犬の首をへし折るほどの威力を秘めているのです。カメの甲羅などものともせずに蹴り割ってしまえるでしょう。
「上等じゃないか。受けて立つよ」
「決まりだな。ルールはバーリトゥード。約束のしるしに握手しよう。ここにいる他のみんなが証人だ」
「ああ」
ウサギは前足をちょんと出しました。カメはウサギのように前足を器用に使えないので、代わりに首を伸ばしました。
カメがウサギの前足をくわえていいました。
「ところでウサギさん」
「なんだい?」
「場所と時間もぼくが決めていいんだね」
「もちろん」
「じゃあ場所はここ。時間はたった今だ」
ウサギは前足に鋭い痛みを感じ、とっさに飛び退こうとしました。けれどもそれは果たせませんでした。カメが彼の前足をがっちりとくわえ込んでいたのです。しかも水辺のぬかるんだ土に足を取られて踏ん張りがききません。じりじりと引きずられ、やがてウサギはカメもろとも池の中に消えました。少しの間、ぱしゃぱしゃと水が跳ねていましたが、それもすぐに止み、静かになった池の表面に真っ赤な色が広がりました。
他のウサギたちは呆然とその光景を眺めていましたが、血に染まった池を見ると悲鳴を上げ、弾かれたように逃げていきました。
それからというもの、ウサギは水を怖がるようになり、カメのいるような池には決して近づかなくなったそうです。めでたし、めでたし。
(了)