百物語第四夜其の弐
Troubador 肉化する聖像


 「閨房の吟遊詩人よ。
 選ばれし者どもの閨の物語を聞き語り継ぐために世界を彷徨している貴種なる君よ。
 私は君をよく知っている。その職務内容、そして君の矜持をよく知っている。
 其の上で願いたい。
 私の嗜好だけはけしてよそに明かさないでほしいのだが、約束してくれるだろうか? 」

 「…御意に」
 ストゥーラは従順に微笑み、信頼を印象付けた。王は満足し、ストゥーラをお定まりの地下室に招きいれた。それで一体どんな秘密を守りきるつもりなのか、王の秘密の楽しみのために作られた部屋は決まって長い地下道を抜けた先にある。そうしてそこは大抵絢爛か殺伐かどちらかに偏っていた。だが今日見せられた部屋は、ストゥーラの予想に反し、むしろ敬虔で荘厳で神々しかった。
 まるで教会のように。
 
 とりどりの色ガラスを幾何学的精妙をもって配した天窓からまっすぐに光が射し込んでいる。地盤を貫き明かり取りを掘ったのだろう。中央には臙脂色の細長い絨毯が敷かれ、その先には完璧な仕様の祭壇が設けられている。が、常の教会であれば中央通路の左右に置かれている礼拝用の長椅子がなく、かわりに白い壁から中途半端な長さの漆喰の壁が突き出していた。王に先導され絨毯の上を歩み進むと、壁で仕切られた空間一つ一つの中に有名な宗教画の情景が再現されているのが見て取れた。書割、家具だけでなく、小物もぴったり同じものが置いてある。ただ不自然なのはその前に必ず簡素だが寝心地のよさそうな寝台が置かれていること、そしてそれぞれの寝台の上には、ストゥーラが覚えている限り最も美しく描かれた聖人と全く同じ容おなじからだ同じ着装の、血肉通った人間が、座ったり腰掛けたりあるいは横になって休んだりしていることであった。
 (偶像偏愛? )
 名の通った何か…それは空想上の存在でも現実の存在でもなんでもいい…を偏愛する余り似た人間を捕まえてきて同じ服装をさせ典型的な背景に据え愛でるというのは珍しい趣向ではない。その対象が宗教に関わることも。だが何か奇妙だった。違和感があった。
 ストゥーラはしげしげと偶像たちを見た。そのまなざし、その呼吸、その肌、そのため息を見た。そしてこの違和感の層を一枚一枚丁寧に引き剥がし自分の前に並べてみた。
 そしてストゥーラは奇妙な結論に至った。
 (彼らは人から生まれてきたものではない)
 彼らは確かにそこにおり人と同じ骨格同じ臓物同じ神経系同じ皮膚同じまなざしを備えておりながらそのうちに持ち合わせているはずの闘争の歴史の裏づけが存在しなかった。はるか過去この大地に生命が生まれてからの闘争の歴史はどの生命の内にも意識されぬ記憶として納められており、それゆえに全ての生命は不可解にして圧倒的な存在感を持ち合わせている。が、このものたちにはそれがない。にも関わらず
 (彼らは偶像のもととなった個人そのもののように覚えられる)
 不可解なことに、彼らは十全に敬虔で思慮深く見え、それは全く宗教書に記述され人々に期待される通りだった。実に奇妙なことに、彼らは人から生まれたわけでなく、ただ何者かに拵えられた「生きた偶像」だったのである。
 (これは不心得なのか? 冒涜なのか? 深い悪意なのか? 汚さんとする意志なのか?
 違う。全て正解ではない。
 奇妙だが、この作り手に不敬という意識はない。
 ただ彼は肉化という可能な魔術で子どものように遊びつづけているのだ。
 王はそれを借り受けただけだ)
 自分なりに状況を見極め内心一息つくと、ストゥーラは王に囁き尋ねた。
 「これを作ったのはどなたですか? 」
 自分がしてきたことへの恐れと執着、救済者になるかも知れぬストゥーラへの崇敬と嫌忌、そのどれを自身の本意とすべきか狂おしく惑いそれゆえに浅い息になりながら王は応えた。
 「魔術師だ。
 彼は偶像を肉化することができた。
 彼は最初物語の中の人物を肉化する実験に腐心していた。
 面白いので私は彼を大いに支援した。
 物語の人物らをそのまま登場させ上演する劇は実際国民や諸侯近隣の国々のものどもにも大変な評判だった。
 彼らはわれわれの期待通りの見かけで期待通りの演技をし、平素は大人しく従順、働きかけられたときにのみ物語の彼らなりの行動発言をしてみせるからね。
 おまけに年をとらない。
 こんな至便な役者はなかった。
 そうしてわが国は演劇大国として名を馳せることになった。ことは単純だ。あの国に行けばほんものが見られる。
 そこには演技のぶれはない。役者の個性も解釈もない。なんていったってそれはほんものだからだ。
 勿論人間の役者による演劇もさかんだ。だが、わが国の特産として、「ほんもの」の演劇は存在するのだ。
 ところで…。」
 王は声を潜めた。
 「…それとは全く別件に、私は、極めて私的な悩み事を抱えていた。それは気晴らしにと「ほんもの」の演劇を見る度に強く大きく深くなった。私は葡萄酒の澱よりもなお手立てなく沈殿した。いよいよ施政にも差し支えるようになった。そしてある日私は尋ねたのだ。
 私には迷いがある。かといって、肉化した聖人に慰めてもらうことなどできはしまいね? 
 次の日魔術師はわれらが聖母を連れてきた。最前から私が周到に用意していた、地下の部屋に。
 そして私は。
 「恥じらい、拒み、清らかであり続けようとする聖母にすがり、幼子のように慈悲と許しとを乞うた。
 すると聖母は暫くの間迷っていたが…その御手で胸乳をはだけ、私を受け入れてくだすったのだ」
 それから王が自分のお好みの聖人たちを全て肉化し蒐集するまでに時間はかからなかった。男であれ女であれ老人であれ若人であれ王が深く信じ帰依する聖人はすべて肉化され王によって慈悲と許しとを乞われることになった。聖人たちはいつも最後には承諾した。
 「ストゥーラよ」
 焦燥と不安と畏怖とで青ざめ震えている王は、細い声で尋ねた。
 「これは涜神だろうか? 私は罰されるだろうか? 私は地獄に落ちるだろうか? 」
 幼子のように惑う王をストゥーラは静かに見つめた。
 「親愛なる王ダリヤよ。
 私はあなたがたの信じる神の代理人ではないから、それに正確な答えを返すことはできません。
 だがあなたがたの信じる神は、赦しを求めるものを許すのではありませんか?
 たとえいくたび罪を重ねようとも。
 それに…」
 「それに? 」
 ほんの少しばかり安心した顔になり、王は言葉の先を促した。
 「深い帰依ゆえの狂おしい情愛というのは珍しいものではありません。宗教者が深い帰依と共に神と一体感を覚えその際に悦楽を覚え忘我の極みにいたるという話を聞いたこともあります。それは極めて精神的な悦楽であると聞きました。
 あなたは聖人らを汚したいのですか? それとも許して欲しいのですか? それともひとつになりたいのですか? 」
 王は暫く考え、静かに呟いた。
 「…全てだろう。汚すことを許して欲しい。汚さねば一つになれない。崇めるものと一つになりたい。そして、汚したこと、自身の所為を深く許されたい。」
 罪のかけらを削ぎ落とすように言った後、急に調子を変えた。
 「お前にわかるだろうか? 聖人という存在の持つ果て無き慈しみが。そのからだに触れられることは、聖人にとってけして喜ばしいことではない。なぜなら彼らは清らかな存在だからだ。触れられることは汚されることだ。彼らは私を拒もうとする。だが彼らは私を拒めない。なぜなら彼らは聖人だからだ。彼らは慈悲と許しとを宿命付けられた存在だからだ。それゆえに私は心から哀願する。私をお許しください…あなたさまにこのようなことを仕掛けてしまう私をお許しください…どうか、慈悲を…聖人たちはこのような懇願を拒むことが出来ない。彼らはじき拒むのを止め少し悲しそうに微笑むと私の背に手を回す。そして…。
 誰もが崇め帰依する聖なる相手と一つになるそのとき、その営みの心地よさといったら!
 あれは人が味わうことを許された、最高の昂揚であり最深の赦しだ。
 ことが済むと、聖人は私を優しく抱いてくださるのだ。
 私の悔い改め、私の懺悔を慈しみながら」
 ほんとうの思いのたけを明かし終わって、王は和やかで朗らかで爽快な表情になった。ストゥーラは、自分の言葉に重みを持たせるために暫く間をおいた後、柔らかい笑みを浮かべ、告げた。
 「やはり王よ、あなたには全くもって罪はない。
 なぜなら王よ、あなたが戯れているあのものどもはただの粗悪な模倣品だからです。」
 王が目を見開いた。どこかで予測していながら回避していた真実の宣告。
 「あれは肉化した聖人ではありません、王よ。
 あの中に聖人の魂などありません。
 あれはただ宗教書から類推される聖人らの行動様式や発話様式に望まれる偏移を加えたただの人工品です。
 見目はなかなかよくできてはおりますが、なかがあまりにも粗悪です。
 最初は拒んでいたが受け入れ相手を赦し愛するようになる、なんて、最も陳腐な性愛物語の類型じゃあありませんか。」
 呆れたように言って
 「魔術師とやらももう少し真面目に中身も拵えるべきだ。それぞれの聖人の性格に応じた展開を複数備えてもいいんじゃあないか。いくらなんでもぞんざいに過ぎる」
 苦々しげに目を細め一人ごちた。
 王は黙って床に目を落としていた。うすうすわかっていた。だがそのかりそめの罪悪感といつわりの赦しとがあまりに心地よかったので認めまいとしていたのだ。王の落胆を切り払うように見下すと、ストゥーラはダメ押しで言い放った。
 「そんなわけで、あなたが彼らをいかに愛でようともあなたがほんとうの意味で罪を問われることはないでしょう。あなたがたの神はそんなことにまで頓着しませんよ。
 ただ、それを他所人が知ったとき、どう思われるかはまた別の話ですが」
 
 深く羞恥し落胆し自責した王のまなざしに彼らは酷く薄っぺらく見えた。自分が何故これらを聖人とみなし帰依しようなどと思っていたのだろう、そんなことを疑わずにおられないほどに。
 果てない霧のような王の失望を見下ろしながらストゥーラは尋ねた。
 「ところでこれを作った魔術師とやらにお会いしたいのですが、住処を教えていただけますか? 」
 「どうするつもりだ? 」
 王は尋ねた。
 「いえ、ただ。
 …閨房の吟遊詩人としての仕事を為したいばかりでございます」

 そこで王はストゥーラに魔術師の住処を教えた。意外なことにそれは街中に工房と称してあった。王は何故ストゥーラに魔術師の住処を教えたのだろうか。おそらくストゥーラがあまりに的を射ていたためだろう。あまりに自分の内心を言い当てていたためだろう。その単純にして簡素なものいいが、つくりものの聖人たちより更に深く以上に王にとっての「かくあれかし」を叶えていたためだろう。
 ストゥーラは扉を叩いた。中から総髪を束ね片目に眼帯をした頑健そうな男が出てきた。
 「いらっしゃい、ご注文で」
 「いかにも」
 そこで男はストゥーラを招きいれ席を勧め茶を出した。ストゥーラはあたりを見回した。そこにはあらゆる物語本があったが、人工生命を思わせるものはなかった。奥に作業場があるのだろう。
 (作業工程を是非見せてもらいたいものだ)
 魔術師はハノイと名乗った。
 「さて、どの物語のどの偶像をご注文で? お望みのままにお仕立て致しましょう。ご自身の妄想に基づくご注文でも承ります。
 何か具体的なお考えはありますか? 」
 慇懃に商売じみた挨拶に対し、ストゥーラは冷徹で厳密な表情で返した。
 「…わざとか? 」
 ハノイは眉間にしわを寄せ
 「は? 」
 と返した。そこでストゥーラは繰り返した。
 「わざとか? と聞いたんだ。お前の肉化する偶像の人物描写が陳腐で安易で平坦で俗物的なのはわざとか? と。
 わざと物語を読み込まなかったのか? わざと文脈に踏み込まず描かれた人物の内面への肉薄をも避けたのか? わざと人物の解釈を甘くしたのか?
 人間の役者なら、何度も物語を読み込み、文脈から導かれる人物の行動と台詞とを己のものとし、己自身の経験と統合しながら帰納的に人物に肉薄し、結果演技へと昇華するだろう。
 そのような尽力を廃したのはわざとか?
 類型的で葛藤のない紙人形のような人物を仕立て大衆に迎合するのがお前の本意なのか? 」
 暫くの間沈黙があった。耳障りでぶしつけなものいいだった。が、ハノイは商売人としての分別を忘れず、無表情になりながらも言葉を繋いだ。
 「…類型的で従順で操作しやすい性格がお好みでなければ、より人間らしい性格でお仕立てする用意もございます」
 また沈黙があった。
 「・・・そうだろうな。それはわかっている。
 だが私が訪ねたいのはそんなことじゃない。正直に言おう、私は客じゃないんだ。
 実は今しがた王の元を辞して来た。彼の秘蔵の肉人形について相談を受けてね。
 私は、閨房の吟遊詩人だ。
 君のような立場のものなら聞き及んだことぐらいあるだろう」
 ストゥーラの思った通り、ハノイはその肩書きを聞いたとたんさっと顔色を変えた。そうして厳密な、苦く灼かれるような顔になると、歯をむき出して言った。
 「だからなんだ。
 わかりやすいものを差し出して何が悪い。
 求めるものを差し出して何が悪い。
 私がどれほど腐心しようと、彼らにはわからない。
 彼らはらしさを求めているだけだ。
 通り一遍の、大多数の、最大公約数の、細部なぞまるで備えていない、まるで幼児が粘土で拵えたように酷く素朴な人物像!
 それに最初は穢れなく拒みじき受け入れ悦楽を覚えるという安易な粗筋をくっつけてやればそれで十分なんだ。
 人間のような精神と関係との成熟も必要ない。
 押し倒すたびに同じ典型を繰り返そうとも、彼らは気にしない。
 その方がよいとさえいわれたよ。
 あの教養と栄養と敬虔さとに恵まれていると思われた王でさえそうだった!
 彼も、彼ですら、型紙のような人物像に疑問を持たず、むしろ深く満足したのだ。
 …それで、お前は何を言いたいんだ。
 私が偶像とそれに纏わる物語とを冒涜しているとでもいいたいのか?
 汚したがっているのは彼らだ! 大衆であり、王自身だ!
 彼らにとって偶像は日々燃やす燃料より日々支払う通貨よりさらに消費すべき対象だ。
 彼らは解釈など求めない。新しい人物像など求めない。
 彼らが求めているのは象徴の寄せ集めと決まりきった粗筋だ。むしろそれから外れると苦情が来るほどだ。
 羊の皮と樫の杖がなければそれが聖プロクスとわからないのと同じことだ。
 そうであれば、私に出来ることは、最も人口に膾炙している最も単純な物語を把握し、その通りに肉化した人物を差し出してやること、それだけなんじゃあないのか? 」
 静かな怒りに満ちた其の言葉を聴いてストゥーラは微笑んだ。先の言葉とは打って変わって優しげな表情だったのでハノイは戸惑った。
 「やっぱり、わざとだ。
 わざと君は大衆にわかりやすい人物像を描いている。わざと君は自分の解釈を廃している。君は物語を読みそれを深く消化し新しい解釈の人物像を描くことが可能だ。だがそれをしない。
 全ての物語、全ての偶像は、紡がれ終わった瞬間に命を失う。次に命が宿るのは、誰かが読み、その世界を心のうちに再構築したときだ。そしてそのとき、その物語は既に語られたとおりの物語ではない。読んだものの内的な経験や知識という材料を用いて語りなおされる新しい物語になっている。
 そういう意味では、誰も「ほんもの」の物語を読むことはできない。なぜなら「ほんもの」の物語は、最初の語り手にしかないからだ。
 つまり、全ての再演、全ての語りなおしだけでなく、ただ読むというその営みそのものが、本歌取りに相当するんだ。
 君はそのことを知っている。十全にそのことを知っている。
 それなのに君は最も安易な道筋を選んでいる。
 だが、…なぁ。
 それは君の望んだことか? 
 それが君がこの魔術を編み出してやりたかったことか?
 確かにぼろもうけだがこんな安易な商売が、君のこのすばらしい魔術の目的か? 」
 ハノイは口をゆがめ泣き出しそうな顔になった。が、踏みとどまり、今度はストゥーラをにらみつけた。
 「…黙れ。
 貴様に何がわかる?
 王から王へと渡り歩き、何一つ苦労したことのないお前が」
 机を殴った。
 「…私は最初、世の全ての偶像に敬意を払い、手前で人工人間を拵え注文を募っていたのだ。
 が、誰も求めようとはしなかった。
 それで次に、お望みの人工人間を拵えましょう、との看板を掲げ、注文を募った。
 が、自身の嗜好があらわになるのを恐れてか、誰も求めては来なかった。
 それで私は物語の偶像を肉化することにしたのだ。
 途端この通り大盛況だ。
 王の覚えもめでたい。そんなことを、術を完成したばかりの私は想像もしなかった。
 …わかるだろう?
 人々が求めるのは、想定の範囲内の存在だ。
 知っている相手だ。
 類型的な人物像だ。
 いかに深い解釈に基づいたものであろうとも、自身の想定の外にある台詞も行動も、人々は受け入れないんだ。
 だから私はもっとも薄っぺらくて最も安易で最も陳腐な偶像を作り続けているんだ。
 …私自身が完成した術を無駄にしないためにも」
 ストゥーラはハノイの顔を見た。黙ったまま見つめた。しまいにはハノイが顔を背け頬を染めるほどに。
 「…言いたいことがあったらとっとと言え。うちは繁盛店なんだ。次の客が来ると説明にこまる」
 微笑むとストゥーラは言った。
 「じゃあいわせてもらおう。
 私が読みたいのはたった一つ。
 君自身の物語だ。
 誰かの借り物でない、君の物語だ。
 其の中に描かれた、君の人物像だ。
 それだけに興味がある」
 思わぬ言葉。まるで自身そのものに向けられた好意と勘違いするほどの。
 ハノイは真っ赤になり顔をゆがめた。ストゥーラは続けた。
 「王のところで偶像を見た其の瞬間から思っていた。君には今ある以上の物語を紡ぐ力がある。君には今いる以上の偶像を象る力がある。
 にも関わらず既存の偶像の肉化に没頭してるなんて。
 …私に言わせれば、もったいないんだ」
 ハノイは目を閉じ何がしかに耐えていた。が、とうとう耐え切れなくなると、ストゥーラの首根っこを掴み叫んだ。
 「そんなものに価値はない! 俺が考えた偶像なぞ、誰も見ない! 」
 誰が金を出そうと思うものか! 
 誰もが知っている偶像、誰かが広告した結果周知された偶像を種に商売するのが一番てっとりばやいんだ! 
 既に受け入れられているから失敗がない! 
 そして…」
 「売れないことで、君が傷つかない? 」
 ハノイの瞳孔が開き、収縮した。頬が紅潮し、瞳を涙が覆った。ストゥーラに身を預ける。
 「もう、いいから、黙れよ…」
 暫くの間、ハノイのしゃくりあげる声だけが部屋に響いた。
 納まっただろうところにストゥーラが囁いた。後頭部を撫でながら。
 「…陳腐と言ったが、君の偶像解釈の万遍なさ、期待の先読みは十分にすばらしい。
 確かに類型的で紙人形的ではあるが、あの偶像の振る舞い発話に対し違和感を覚えるものは誰もいないだろう。
 さらに私が感銘を受けたのはその過たない造形能力だ。
 すばらしく美しく、完璧で、それでいてその偶像に期待される特徴をあますところなく備えている。
 そんな仕事のできる芸術家が、自身の物語を紡げないわけはない」
 ハノイは息を呑んだ。
 (彼は私を芸術家と呼んだ! 魔術師でもなく商売人でもなく芸術家と呼んだ! )
 「…ほんとうにそうだろうか」
 ストゥーラは頷いた。
 「ああ。私が保証する」
 
 涙を拭って、俯いたままハノイはストゥーラに尋ねた。
 「…どうしてそんなに…私が聞きたかった言葉を言ってくれるんだ? どうして私にもう一度自分で創る道を示唆してくれるんだ? 」
 「わからないのか? 」
 ストゥーラは目を見開き尋ねた。
 「ああ」
 「わからないのか? ほんとうに? 」
 「…あ、ああ…」
 戸惑ったようにハノイは応えた。ストゥーラは口の端を持ち上げ笑うと、言った。
 「私は閨房の吟遊詩人だからだ。
 誰かの剽窃の物語には、用はない」
 



百物語第二夜其の七十 Troubador


天使素材はSTAR DUSTさまよりお借りしました。ありがとうございました。


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