百物語第三夜其の一
貧乳なら乳首に
絆創膏でも貼っておけばいいじゃないという
風説に対する一つの短編


 夏休み前のだれた教室。
 浅野は、斜め前の水野の背中を目を細め見つめていた。変哲のない白のワイシャツは同じだが、水野の背中には他の女子と違っている部分があった。
 (ブラの紐が透けてない。紐っぽい凹凸も、ない。)
 水野は通年グレイか水色か白の無地タンクトップを下着にしていた。とはいえ夏場、一枚でも着る枚数を減らしたい季節にまでタンクトップを着ているのは不自然だ。加えて水野はかなりの貧乳、さらに決定的なことに
 (水野は僕女だ)
 綺麗な顔立ちをしているのに自分がオンナノコであることが恥ずかしいのか髪をショートにして僕、僕と言っている。相手が男子女子関わらずそんな感じで、さっぱりした気性もあって、水野はわりと誰にでも受けがよかったのだけれど、それが浅野には不満だった。小学校の頃、水野はどこに出しても恥ずかしくない美少女だったからだ。親の趣味で清楚なワンピースばかり着せられていた水野は、長い髪をリボンで束ねて、その色の白さと相まって公立には相応しくないほどだった。それが小学校四年生のあたりから親のお仕着せに従っていた自分が急に恥ずかしくなったのか、髪を切り、キャップを被り、ジーパンTシャツスニーカー、学年でも一番女の子っぽかった水野が学年で一番男の子っぽくなってゆくその様を浅野は目撃したんである。
 (どっちの水野もいいけどさ)
 浅野は思った。
 (周りの奴はみんな水野のことを最初っから男っぽい僕女だと思ってるんだろうな。でも俺は知ってる。水野がちゃんと、いや、かわいくしたらものすごく、女の子だっていうことを)

 「何考え込んでんだよ浅野! 」
 ばん、と背中を叩かれた。振り向くと、当の水野がいる。
 (うわ)
 吃驚して変な形になった浅野にあきれたような笑顔で
 「どうしたの? もう少しで夏休みだよ? 夏の予定とかある? せっかく苦労してそれなりんとこ入ったんだから、一年目くらい遊ぼうよ。」
 「んー、親がさ、ここで遊んだ奴が落ちこぼれるんだ、っつって、もう予備校に申し込みしたらしいわ」
 悪ぃ、と手で謝る。
 「なんだつまんないなぁ。ちょっとぐらい一緒に遊べるかと思ってたのに。
 ま、しょーがんないか。
 …それよりさ、実はちょっと相談に乗って欲しいことがあるんだけど。」
 真顔になる。その深刻そうな様子に、浅野もつい真顔になった。
 
 「告白されたんだ。」
 「…うん。」
 「よかったじゃん」
 「…ダメだよ…」
 「嫌いなの? 」
 いや、そういうんじゃなくて…水野は口ごもった。なんか、ほら、全然そういうの意識してなかった相手だからさ。どうしていいかわかんなくて。
 それになんかいまさらオンナノコすんのも照れくさいしさ。
 だって、あんなに僕僕してて、男も女もないみたいな関係だと思って気楽に付き合ってたのに、そういうこといわれると、今までもそういう目で見られてたのかなぁ、って思っちゃって、ちょっと怖いよ…。
 沈んだ表情を夏の夕暮れが照らす。その横顔を見て、ああ、あの頃の水野と全然変わってないや、と浅野は思った。綺麗なシルエット。
 「中学高校から知り合った相手ってさ、男の子っぽい自分のことしか知らないわけじゃん。だからすごい油断してた。まさか好きっていわれたり、オンナノコとして見られてることがあるなんて、思ったことなかった…。」
 それは…浅野は苦笑いして言った。無理だろう。だって水野はいくら僕僕言ってたって女の子だもん。細くてプロポーションいいし、顔だって綺麗だし、言葉遣いだって乱暴にしようとしてるんだろうけどさ、他の女子とかの方がよっぽどとりかえしつかないことになってるって。
 「え、あ、うわ、や、やめろよそういうの」
 照れたときに見せる過度に男っぽさを装った口調。真っ赤になってあわあわと手を振っている。正直、
 (かわいい)
 と思った。
 「そういえばさ、今まで聞く機会なかったんだけど、なんで急に男の子っぽくなったの? 小学校四年のとき。あんときすごい吃驚したんだよ。二日ぐらい休んだんだっけ。それで出てきたらあれだったでしょ。なんで? 」
 振るだけ振ったが返事がない。ふと見ると、酷く辛そうな顔でうつむいている。
 「…ごめん、答えたくなかったら答えなくていいから」
 慌てて言いかけたのだが
 「ううん…いいよ。…聞いてくれる?
 多分僕、浅野に一番聞いてもらいたかったんだと思う」

 五・六年の女子に脅されたのだという。
 かわいいと思って調子のってんじゃねーよ、と。
 屋上に出る昇降口に連れ出されて。
 水野は上級生の男子に人気があり、非公式の人気投票で五六年を差し置いて一位になってしまった。
 その人気をやっかまれたのだ。
 暴力こそ振るわれなかったけれども、逃げ場なく囲まれて、ほんとうに酷いことを言われたのだという。
 「そのことは母さんにも結局いえなくて…母さんは、僕が帰って新しく男の子っぽい服を買ってっていったときものすごく吃驚してたけど、でも最後には諦めて買ってくれた。
 それから、ずっと、オンナノコするのが怖くなったんだ。」
 擬態、という言葉が頭に浮かんだ。水野は擬態してたのか。女子に敵意をもたれないために。女子に対して自分が男の子であるかのように振舞うのは、君たちと同じ側には立たないよ、自分は男子が好きじゃないよ、どっちかっていうと女子が好きだよ、だから敵視しないで、ということだったのか。
 (水野って、すげぇかわいそうだったんだ)
 「…ごめん、こんな話して…」
 「ううん、言ってくれてよかったよ。俺、全然気づかなかったから、水野のそういうの。だったら確かに自分をオンナノコと見られると吃驚するのわかるし、下手に付き合ったりすると女子に「あいつは僕女のフリして男狙ってたんだ」とか言われかねないし、相手の男が好きとかきらいとかじゃなくて、迷うのよくわかるよ」
 水野の顔が、ぱぁっと明るくなった。
 「そうなんだよ浅野! それがまさに僕が心配してたことなんだ! 
 よかった、僕、浅野が居て。
 浅野に聞いてもらえて。」
 
 心底嬉しそうな笑顔。まぶしいほどに。
 (そのとき僕が誘ってしまったのは、そのとき多分生まれていただろう彼女の心の隙をつこうとしてだっただろうか。
 それとも、ただ、ずっと、彼女のことが好きだったからだろうか。
 後者だと思いたい)

 「なぁ水野。」
 浅野は出来るだけ下心のなさそうな顔で、空を見上げながら言った。
 「喰いタン好きだったよな」
 「うん。なんで? 」
 「今俺んちには全巻揃ってる」
 悪魔の笑みで答える。
 「うそー! なんでー! ずるいー! 」
 きゃんきゃん言い募る。いい感じだ、浅野は思った。
 「いや、こないだ従兄弟の兄ちゃんがさ、なんか飽きたつって置いてったんだよ。よかったら気晴らしに読みにくる? 」
 「うん! いいの? 今からでも? 」
 「…うん、今から。」
 
 「おじゃましまーす」
 「ただいまー」
 あれ? 母さんいないじゃん。台所を改める。買い物らしい。
 「ま、いっか。麦茶持ってくからさ、適当にあがっといて。喰いタン読んでていいよ」
 「あれある? 浅野ママのタッパームース」
 「あるよ。今週はクランベリーだったかな」
 「そしたらそれも頂戴」
 「いいよ」
 階段をあがっていく紺のハイソックス。浅野と水野とは水野が僕女になったおかげで小中高と途切れずに付き合いが続いていた稀有な例である。
 (こればっかはその五六年の女子に感謝しないとな)
 自分のあざとさに負い目を覚えながら、こっそりと手を合わせた。

 水野はベッドに座ってマンガを読んでいた。布団をとった一人用のコタツの上に麦茶のコップとムースとを載せる。
 「この秘書の人さー」
 「ああ、京子さん? 」
 「うん。連載最初とさ、それ以降とでさ、全ッ然顔違うよねー」
 「うん、書きなれたって感じだよね」
 浅野は部屋着と空の弁当箱を持って一階に行き、それぞれ始末すると部屋に戻った。
 「あ、着替えたんだー」
 うん。言いながらコタツに向かう。
 「食べないの? 」
 「食べるけどちょっとこの話読み終わってからー」
 「わかった」
 壁にもたれながら麦茶のコップを取る。垂れ落ちる雫を指に覚えながら、何をどのタイミングで始めればいいのか、きっかけに迷っていた。
 「終わったー! 」
 言うなり水野がベッドから降りて前に座ってきた。
 「わーい、浅野ママのタッパームース、いっただっきまーす! 」
 ぱく、と食べる。
 「おいしいー! 喰いタンも真っ青ー! 」
 「おいおい、喰いタンは料理人じゃないだろ」
 「でもなんか腕よさそうじゃん。おいしいものが好きで頭いい人は料理も上手だと思うよ」
 「そうかもな」
 全部食べて麦茶を飲みながら、ふと水野が真顔になる。
 「…実はね、僕、もう一個男の子と付き合うのやな理由があるんだ」
 「…何よ? 」
 「…バカにしない? 」
 「別に。言ってみろよ」
 浅野は幼馴染だからいうんだけど…僕、すっごい胸がないんだ。普通のブラジャーだと浮いちゃうくらい。だから、例えば男の子と付き合ったとしても、きっとその相手、なんかこう、胸見たとたんにハァーっとかため息つくんじゃないかとか思って…。
 (いや! 貧乳全然オッケーです! むしろ俺的にはブスの巨乳より全然イけてます! )
 内心でガッツポーズをとる。が、表面は平静を装ったまま
 「そ、そうなんだ…でもさ、世の中には一杯貧乳好きの人もいるしさ、そんなみんながみんな巨乳好きじゃないからさ、大丈夫だよ、気にしなくても、全然」
 「嘘だッッッ! 」
 うぉっとぉ、浅野は驚いてちょっと引いた。
 「だったらなんでグラビアの女の子巨乳ばっかりなんだよ! 貧乳なんて一人もいないじゃん! 」
 「いやそれはほら、やっぱグラビアとかだったら見た目とかが重要だし」
 「ほらやっぱり貧乳なんて価値ないんじゃん! 」
 「そんなことないってば」
 「いいよ、どうせ世間の貧乳好きとか言ったって基準がBカップとかなんだよ? AとかAAとかAAAとかは想定の範囲外なんだよ? ほんとのつるぺたは貧乳にすら数えいれられないんだよ? もういいんだ、どうせ貧乳なんて合うブラジャーはないし水着だってないし巨乳からは高みから見た発言ばっかりされるしダメダメなんだー! 」
 うわぁぁん、と駄々っ子パンチされる。なんでこんなことになってるのかわからない。わからないけど。
 痛いのでとりあえず両手首を掴んで止めた。ぶーたれた顔と目が合う。ここだ! ここがチャンスだ! 言うんだ! 浅野は決意し、口を開いた。が。
 「…水野。
 貧乳好きはBからなんかじゃない。
 ちゃんと、Aでも、AAでも、AAAでも、むしろホンキのつるぺたでも好きな貧乳好きはちゃんと居る。」
 ちょっと待て俺! なんでここで貧乳論をぶち上げてるんだァァァ! と浅野は思わず自分に突っ込んだ。が、止まらない。
 「…だからといってそれはロリではない。ロリは犯罪だ。ちゃんとした女子高生とかで貧乳ってのがいいんだ。
 なんでかっていうと、巨乳は態度がでかい。なんかえらそうだ。「あたしを見なさいよ! 」って感じで圧力かけてくる。それがヤダ。すげぇヤダ。
 でも貧乳は違う。奥ゆかしい。例えるならびんちょうタンだ。けなげで、かわいそうで、守ってあげたくなるんだ。そんなにコンプレックス感じることないのになんでそんなにこそこそ引っ込み思案で卑屈になってるのか、すごくかわいいのに、って言ってあげたくなるんだ。
 …そういうもんなんだ、貧乳好きっていうのは。」
 よくわからないうちに断定してしまった。もうなんか色々引っ込みがつかない。この後何をどうすれば場の収まりがつくのかも見当がつかない。浅野は多方面で途方に暮れていた。と、水野が口を開いた。
 「…浅野も、貧乳好きなの? 」
 現在の体勢、話の流れ、それらがあいまったせいで水野は真っ赤になっている。それでもかろうじて尋ねて来る。途切れ途切れに、囁くように。
 (ここで決めなきゃオトコじゃない。なんつーか、既にぐだぐだになってるけど)
 ごくり、と唾液を飲み込む。
 「俺は、俺はまぁ割と貧乳も好きだけど、でも、貧乳だけが好きなんじゃない。
 俺は、水野が好きなんだ」
 いいかげんに貧乳から離れろ! そう念じながら浅野は水野を見つめた。拒否られるか。それでもいいや。いや、ほんとはよくないけど、仕方ない。
 
 暫くの間、沈黙。

 「…ほんと? 」
 上目で聞いてくる。
 「うん。…だめかな? 」
 「…だって、僕、こんな僕女だし、胸ないし、ちっとも女の子っぽくないし…いいの? 」
 いや、水野こそ…突然こんな展開になって、いやじゃない?
 水野は真っ赤な顔のまま首を振った。
 中学高校から知り合った男子って、なんか、僕のこと何にも知らないのにそういうこと言ってくるのが気持ち悪いって思ってた。ほんとの僕のこと、なんにも知らないのに、って。
 浅野は、小学校から一緒で、色々知ってると思うから…。
 その上で好きって言ってもらえるの、正直、すごい嬉しい…。
 「そか、…よかった」
 見つめあって。
 …そのままキスをした。

 まだ手首は掴んだままだった。
 唇を離した後水野が
 「あの、手、離して…痛い」
 というのに
 「ごめん、ヤダ」
 「…なんで? 」
 覗きこむようにして浅野は言った。
 「ほんとにそんな貧乳なのか、確かめる」
 少し引きかけていた顔の赤みがまた戻る。まっかっかだ。
 「や! ちょっと! 何いってんの! 」
 振りほどこうとするのを軽々と差し上げ、両手首を右手で掴みなおす。
 「大丈夫、ちょっと見るだけ」
 囁く。水野は、暫くの間、うー、と恥ずかしそうに唸っていたが、諦めたように
 「…絶対笑わないでね」
 と小さな声で答えた。
 「笑わないって、…貧乳好きだっていってんじゃん」
 言いながら胸のボタンをはずしてゆく。はだけたシャツの間からタンクトップに手を差し入れようとしたとき
 「あ! やっぱ今日だめ! ちょっとまって! 」
 と騒ぎ出した。
 「さっきいいっていってたじゃん」
 「だめなの! 今日はダメ! やだ! 勘弁して! お願い! 明日とかだったらいいから! ほんとにダメ! 」
 「もう引っ込みつかないってば! 」
 少し強い調子で言って、でもあくまでも優しくタンクトップをめくり上げた。
 と。
 そこには、絆創膏が。

 さすがに想定外の事態に目を丸くする浅野。泣き出しそうな顔になる水野。
 「だから今日はダメっていったのに…。」
 消えそうな声で言う。その様子があんまり可愛くて浅野は噴出した。
 「あ、笑った! ひどい! やだ浅野! 離してよ! キライ! 大キライ! 」
 「違うってば! 今笑ったのは胸がどうのとかいうんじゃなくて…あんまり水野がかわいかったから…。」
 不満そうに口を尖らせようやく黙った。
 「…友達がね、やっぱ目立つっていうの。タンクトップ着てても。でもブラジャーとか恥ずかしいし、色々考えてこれにしたんだ…」
 「いいじゃん、…なんかすげーエッチな感じがする」
 両手を挙げさせたまま唇を寄せ、絆創膏のはじっこを齧りつまむ。そのままゆっくりとはがしてゆく。
 「…痛い? 」
 ふるふる、と首を振り
 「なんか…すごいエッチ…」
 はぁっ、と息をつく。
 「乳首、たってるよ…」
 やだ、と返すけれども、先ほどよりよほど力なく、従順で。
 「ほかの事しないから…。
 …なめていい? 」
 やだったら言って、囁きながら唇に含む。水を舐め取るような音が部屋に響く。いやともよいともいえないまま、水野はひたすら浅野の与えてくる感覚を追い続けていた。

 帰り道、水野を送りながら。
 浅野には、つい先ほどのことが夢のように思われた。あれはほんとうだったんだろうか…どうもふわふわして定まらない。それでも、部屋を出る前に新しい絆創膏を差し出して「バカ! 」とひっぱたかれたこと、玄関を出るときに、
 「…ほんとに他のことしないの…? 」
 とキスをねだられたことを思い出し、確実に縮まっただろう距離を思いついだらしない笑顔になる。
 「あの、…ありがとう」
 水野が言う。
 「今日、最後までしないでくれて…されてもきっと拒否しなかったと思うけど、なんかちょっとがっかりしたかも知れない」
 そんなの…。照れくさそうに返した。やっぱあんまがっついてるとみっともないしさ、俺、水野のこと大事にしたかったから…。
 「うん。」
 見上げる。
 「僕、浅野が好きで、よかった! 」

 その晩。
 湯船につかりながら、浅野は己のコカンを遠目に見やっていた。
 「あー、早くなんとかしねーとなー、コレ。」
 呟く。
 「朝起きたらズル剥けとかになってねーかなー。いやなんての、ズル剥けじゃなくてもいいんだけどさ、なんかこう、もちょっとなんとかなってねーかなー。」
 頭を抱える。
 「アレだよな、水野が貧乳って告白したんだし、いや、俺も実は仮性でさー、とか明るくいうのはどうだ? なんかこうさくっと。
 いや、さくっといったって全然ダメって感じがする。
 なんか大体女の子の貧乳は属性としてアリだけど、仮性なんてなー。どうしよっかなー。
 セックスなんて恥ずかしくてできねーよー! ウワァァァァン! 
 仮性はあんま気にしなくていいっつーけどなー…。
 やっぱなんかそういう場面がリアルに身近になると、うん、気になるよなー」
 ぶつぶつ言いながら出る。子どもの頃はちんちんなんて勝手に剥けるもんだと思ってたのになー。なぁお前もしっかりしろよ、自力で剥けてみろよ、と話しかける。
 (ま、いいや。明日のことは明日のこと。とりあえず今日の水野で抜くとするか)
 ティッシュを用意し、床に入った。
 





 

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