鹿児島県・吾平町

 アヤシイぞぉ〜〜〜!!!
こんなにアヤシイとは思わなかった。吾平町&吾平山稜!!
でも、とってもいい場所でした。心が洗われる場所でした。
聖地と呼ぶにふさわしい、宮内庁、たまには良いことするなあ。
こんなに美しい場所をこんなに美しいまま残してくれてありがとう。

吾平町まで宮崎県田野町から車で2時間半から3時間。
鹿屋市まではスイスイだったが吾平町になかなか入れない。
迷いに迷って3時間半後、やっとの思いで到着した。
 

 

吾平山稜までは3つの橋と3つの川を渡っていく。
その一つひとつを渡るたびに、緑は濃く、空気は澄んでゆく。
張りつめたというのではなく、密度の濃い何かが充満する。

 

しばらく進むと杜は途切れ、
かつてこれほど美しい流れを見たこともないほど、
原初の姿を残すせせらぎ沿いに進む。
途中川に降りることの出来る石段がある。
禊ぎのために使用するのだろうか。
澄んだ川底の丸い石は
苔もなく角もなく、とても歩きやすそうだ。

 

木漏れ日が降りそそぐ中、不意に中国の
水墨画を思わせる絶壁が姿を現す。
そこが、御陵墓だ。
神武天皇の父君、ウガヤフキアエズの命が
眠ると伝えられる御陵墓参考地、
吾平山稜である。

 

今回とても驚いた。
吾平山稜が洞窟だったからだ。
聖地としての洞窟は
日向には少なくない。
ご近所の八坂神社・祇園の穴も
洞窟だった。
撮影禁止の天の岩戸神社も
大きな洞窟であるという。
そして、ウガヤフキアエズの命縁の
日南市・鵜戸神宮も巨大な洞窟だ。
しかし、ここは皇室縁の墓所であると
宮内庁が管理する場所である。
皇室関係の墓所が古墳ではなく、
洞窟であることに衝撃を覚えた。

 

洞窟を神聖視するのは隼人の風習であり、縄文からの習わしだ。
洞窟は遙か昔、住居であり、その住人が死した後は墓所として手厚く扱われた。
実際、隼人族の族長的シャーマン(多くの場合女性であるらしい)は
洞窟に葬られたかたちで出てくると言う。
ある意味「隼人的」な、目の前の禁足地をどう見るか。
入口にあった観光案内地図と道路マップで確認してみよう。

まず気になったのが吾平山稜より南に位置する
別名「吾平富士」と呼ばれる中岳だ。
きれいな二等辺三角形の稜線は
人工的にさえ見える。
まわりの山々より一段低いその大きさからも
ピラミッドと思わず呼びたくなるような
意図を感じる。
もしかするとこの山は、秋田のクロマンタのように
人の手が加わっているのかも知れない。
手前の集落は「神野」という。
文字通り、神が住まう野だ。

 

吾平富士を頂点にして吾平山稜と
鋭角な二等辺三角形を形作る位置にある
立神公園。とても迷った。
普通じゃ発見できないような所にあった。
周辺住民が公園として管理してると
案内板にあったので、広い場所をイメージした。
そして道の途中に案内板があると
勝手に思ったのが間違いだった。
散々迷ったあげく、道から2m程下がった
旧道沿いに小さな丸太の鳥居を発見。
直感的に「ここだ!」と感じて車をバックさせた。
最初私は中岳よりも先にこの地を目指した。
しかし見つからず、結果的に吾平山稜、
中岳、そして立神公園と時計回りに巡って
やっと到着できた。
そんなふうになっていたらしい。

 

細い旧道の脇の小川の中に
その石達は存在した。
苔むし、雑木の若木さえ芽吹いている。
この石達の歴史がうかがえる。
そしてこの大きさはどうだろう。
しかもこのように、細長い石柱が
どうやってこの地に生まれ、
川の中に立っているのか。
今は水量も少なく、のどかな小川の表情だが、
いったん大雨が降ればすさまじい濁流になるだろう。
なぜその流れに屈することなく
立ち続けていられるのか。

立神と呼ばれる石は1体だけではない。
おわかりになるだろうか。
杉の若木の奥に塗り壁のようにたたずむ闇。
これも巨石だった。
周辺の石達より一段背が低い。
折れたのだろうか。
繋がっていたはずの頭部の残骸が
辺りに転がっているようだ。

「親子石」と銘打たれていた。
注連縄をまわされたのが親で左手に寄り添う
小さな(といっても、これもでかい。)石柱が
子供だという。
背後に寄り添うのはさしずめ婆ちゃんだろうか。
ここの石柱は3本でセットになっているようだ。
真ん中のそれはどこぞの陽石に見えなくもない。
雑木の低木とはいえど、それらを
遙かに越した高さに注目していただきたい。

振動と旧道を分ける「小山」にも注連縄が。
よく見ると3つのパーツからなるこれも
巨石の石柱らしい。
その姿は雑草で覆われ、
頂上には雑木が立つ。
これらを全部取り払ったなら、
屏風岩のように見えるのではないだろうか。

まるで石柱郡の中心に立つように
1本だけ川の流れの中にたたずむ石柱。
まわりの木との比較から
高さ約10m、周囲約5mといったところだろうか。
天にそびえるその姿を見上げて、
しばらく絶句していた。
先日テレビで見たポナペ島の
ナンマドール遺跡近くの海中にある
不思議な19本の石柱郡を彷彿させる。

南方的な石の信仰の匂いがした。

南方的で土着的な印象を感じた吾平町。
ここが初代天皇のお父さんが眠る土地であるとするならば、
それを守っていたであろう大隅隼人との関係はどのような物だったのか。
国分の隼人塚に見られるような「朝廷の流儀」はここには見あたらない。
また、南方の海人の文化を感じるとはいうものの、
ここには海はない。海を意識した痕跡も感じられない。
しかし、中岳を頂点とした吾平山稜と立神公園の二等辺三角形が指し示す
南の果てには、絶海に突き出た佐多岬がある。
南と東に広がる海。西には開聞岳が見えることだろう。
ここにどういう伝説が残っていたのだろう。
残念ながら私はまだそれを見つけだせずにいる。
あまりにも悲劇的な隼人の結末。語ることさえおこがましい、皇室の祖先の眠る土地。

鹿児島には3つの御陵墓がある。ここ、吾平山稜と
溝辺の高屋山稜。川内の可愛山稜。
ここにこれだけの仕掛けがあったのだから、他の2カ所も非常にアヤシイ。
こういう土地を平気な顔して御陵墓と認定してしまう明治政府もまたアヤシイ。

よし!!他の2カ所の仕掛けも探してやる!!

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