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2009年8月8日改訂
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根津神社の楼門のスケッチです。
刑部義雄です。 逆子で難産だったせいで、根津というか東大病院で産まれました。
根津は、関東大震災でも太平洋戦争でも大きな火災に遭わずに、東京でも珍しく古い町並みを残していました。 横浜に移っても、
この街に惹かれる所が沢山ありました。 そんな街並みもすっかりマンションに建て変わって、たまに遊びに行くたびにその変わりように
驚いています。 根津神社もつつじ祭りで有名になりました。
亡父の刑部正太郎は、神田の生まれです。 家が没落し、長男でもあり、勉学の志しを諦めて「和可奈寿司」本店で修行をしました。
戦前に、暖簾分けをしてもらい根津の不忍通り沿いに「和可奈寿司」を開店し、戦後は言問い通り沿いで、
東大の坂下に店を移しました。 私もそこで育ちました。 今は2階で、甥の佐々木靖郎君が
佐々木司法書士事務所を開いております。
「和可奈寿司」の古くからのお客さんの中には、弥生町に住んでいたサトウハチローさんなどもおります。 私も、ハチローさんの
お宅に出前したり、亡くなったご子息のゴローさんにお宅で遊んでもらったことがあります。
私は、1949年(昭和24年)に根津小学校に入学しました。 寅さんシリーズでお馴染みの秋野太作
こと津坂匡章君は、クラスは違いましたが根津小学校、文京6中で同じ年度でした。 文京6中といえば、民主党の小沢一郎が3年
の時に岩手から転入して来て、同じ学年、同じ卒業年次であることを知ったのはつい最近のことです。
何時から「谷根千」なんていう呼び方がされるようになったのでしょうか。 お寺の多い谷中の人に言わせれば根津と一緒にされたくないというでしょうし、千駄木にしたって「なんで根津なんかとまざんなけりゃいけねーんだ」
と思っているに違いがありません。 根津の人間も抹香臭い谷中と一緒くたにされてはたまりません。 近いからって違う文化の町を簡単にまとめてしまうのも考えものです。
「ねづー」と「づ」の方にアクセントを置く言い方をよく耳にしますが、すごく気になります。 「ねづじんじゃ」のように
「ねづ」が先にくる場合は、「づ」を強く発音しますが、単独に「ねづ」と言う時は、「ね」の方を強く発音してもらいたいものです。
子供のころは、根津という考えも希薄でした。 根津と大雑把にくくられるのもあまりうれしいものではありません。 もっと小さい範囲で八重垣町の子供とか、宮永町の野郎とか言っていたものです。 根津には、その他に藍染町、宮本町とか良い名前がいっぱいありました。 町名が消えたのは大変残念なことです。 千駄木や谷中はその先にある別世界でした。
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