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第87回選手権 春の甲子園名勝負 センバツ選考事例 三重の高校野球
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消えた強豪校 ジ・オリオン高校
 過去の三重大会の記録を見てみると昭和38年から44年の間にジ・オリオン高校という珍しい名前の学校が目につく。1年目こそ0−14という大敗を喫しているが、創部4年目の41年には春の県大会で準優勝し中部大会出場、夏はベスト4進出、さらにその2年後には猛打で勝ち進み、決勝では翌年のセンバツで優勝した三重を相手に1−7と完敗したものの見事に準優勝を果たしている。この年のチームは、大会通算チーム打率.354の強力打線に加えて、捕手・薮内や中山、三輪の二遊間コンビに左翼・池田、中堅・山口らの守備陣が鉄壁でなかなかの好チームであった。このまま一気に強豪校の仲間入りかと思われたが、翌年の不戦負の記録を最後にその名前がプッツリと途絶えてしまった。

 一体何故、甲子園を狙えるような強豪校が突然姿を消してしまったのか。詳しく調べてみると、ジ・オリオン高校は戦後のベビーブームによる高校生の急増に合わせて昭和38年4月、現在の久居市戸木町に開校。しかし、当初の校舎建設資金1億5千万円を見込みながら、実際には必要経費はほぼ2倍の3億円だったために開校当初から苦しい経営状態であった。さらに生徒数増加のピークが過ぎたことにより経営はより悪化。なんとか手形融資で切り抜けていたものの、負債は増え続け月6分以上の高利の融資を受けるなどずさんな資金繰りも目についた。このような状況下で当時の名古まさ理事長は価値のない学校債権を乱発、架空の山林担保で愛知県の男性から200万円の小切手をだまし取ったのをはじめ40数人から総額3億円にのぼる詐欺を働き、昭和44年4月26日に詐欺の疑いで逮捕された。

 そして同年7月17日に津地裁は学校法人ジ・オリオン学園に対し破産宣告。これにより同校は廃校。すでに野球部も夏の県大会の初戦で松坂商との対戦が決まっていたが出場を辞退。県大会が始まる2日前の出来事であった。

 なお、当時108人いた在校生は県内の私立校を中心に全員が無事に転校出来たという。

 ちなみに同時期には城南高校という学校も存在しており、ジ・オリオン高校と同じく高校生の急増に合わせて昭和38年に亀山市に開校。しかし生徒数の減少に伴い経営が悪化。そして昭和45年に廃校となった。こちらは昭和41年から44年までの4年間県大会に参加したが、1勝もすることができず姿を消した。


旧ジ・オリオン高校の校舎
廃校の後、三重交通のガイド教習所や、企業の研修所などをへて現在もその姿を残している。

旧城南高校の校舎
昭和57年に徳風学園が校地と施設を買収し、現在に至っている。


●ジ・オリオン高 夏の三重大会の成績
昭和38年 2回戦
ジ・オリオン 0−14 海星
昭和39年 2回戦
ジ・オリオン 2−4 四日市南
昭和40年 2回戦
ジ・オリオン 7−10 員弁
昭和41年
2回戦
3回戦
準々決勝
準決勝
ジ・オリオン 6-1 上野
ジ・オリオン 2-0 鈴鹿
ジ・オリオン 4-2 鳥羽
ジ・オリオン 1-14 四日市
昭和42年
1回戦
2回戦
3回戦
ジ・オリオン 6-1 名張
ジ・オリオン 9-1 桑名
ジ・オリオン 11-14 飯南
昭和43年
2回戦
3回戦
準々決勝
準決勝
ジ・オリオン 16-2 伊勢工
ジ・オリオン 11-0 日生学園
ジ・オリオン 10-0 宇治山田商
ジ・オリオン 7-4 海星
  決勝
三重 0 0 0 2 0 1 0 3 1 7
ジ・オリオン 0 0 0 0 1 0 0 0 0 1
(三)上西−中田 (ジ)山口、小田−薮内
昭和44年 1回戦
ジ・オリオン (不戦勝) 松阪商

●昭和41年春季三重大会・中部大会の成績
<三重大会>
準々決勝
準決勝
ジ・オリオン 6-4 鳥羽(延長10回)
ジ・オリオン 3-0 木本
決勝
ジ・オリオン 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1
三重 1 3 0 4 0 0 0 0 × 8
(ジ)平野、浦中−小林、藪内 (三)榎本、水谷孝−菊田、田中
<中部大会>
一回戦
国府(愛知) 1 0 0 0 4 5 0 - - 10
ジ・オリオン 0 1 0 0 0 1 0 - - 2
7回コールド
(国)上林、鳥山−阿山 (ジ)西村、浦中、西村−小林

●城南高校 夏の三重大会の成績
昭和41年 1回戦
城南 0−8 明野
昭和42年 1回戦
城南 1−21 松阪
昭和43年 1回戦
城南 0−10 尾鷲
昭和44年 1回戦
城南 0−8 久居農林
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