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21人の発言
このページは、「全国革新懇」発行の「全国革新懇ニュース」および同会発行の「憲法と平和と私 21人の発言」から出典させていただきました。

21人の発言

Index(50音順) 愛川 欽也(俳優) 赤川 次郎(作家) 上原 公子(国立市長)
(記事は最新順に掲載) 内橋 克人(評論家) 海老名 香葉子(エッセイスト) 大路 恵美(女優)
加藤 剛(俳優) 加藤 周一(評論家) 君島 東彦(立命館大学教授)
猿谷 要(東京女子大学名誉教授) 品川 正治(経済同友会終身幹事) 滝田 栄(俳優)
辻井 喬(詩人・作家) 鶴見 俊輔(哲学者・評論家) 樋口 陽一(憲法学者)
不破 哲三(日本共産党議長) 星野 知子(女優) 森 達也(映画監督)
湯川 れい子(音楽評論家) ラモス ルイ(サッカー元日本代表) 渡辺 えり子(女優)
こちらからも選べます→

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このページは、「全国革新懇」発行の「全国革新懇ニュース」および同会発行の「憲法と平和と私 21人の発言」から出典させていただきました。

戦争はなくなる。
だから私はあきらめない
渡辺 えり子(劇作家・演出家・女優)
平和教育を受けて 
 私は「平和」を当たり前だと思っていました。
 昭和三十年(一九五五年) 生まれの私は憲法九条のもとで、「日本という国は戦争を放棄します」 「武力によって人を殺したり、殺されたりすることを否定します」という平和教育を受けてきました。
 だからもう戦争はなくなり、みんなが平和になって国同士を自由に行き来し、宗教や肌の色の違いなどその個性を認め合い、「地球は一つ」 になるのだと思って育ってきました。
 ところが、ベトナム戦争が起こり、湾岸戦争もありました。
 湾岸戦争のとき、私はもう眠れなくなってしまいました。
 アラブの人たちのちぎれた手足や亡くなった子どもたちの姿を想像してしまうわけです。
 イラク戦争が始まるときは「こんどはなんとかできないか」と首相官邸へ行ったり、ブッシュ米大統領にファックスを送ったり、一人でもできることをどんどん始めました。
 「非戦を選ぶ演劇人の会」では台本をつくって演出をするなど、露出度を増やしてたくさんの人に関心を持ってもらいたいと思いました。
強気をくじき、弱きをたすける
 戦争が良くないのは当たり前です。
 戦争は相手が子どもだろうが、大人だろうが、老人だろうが、貧しい人だろうが、足の悪い人だろうが、耳の聞こえない人だろうが、「だれでも殺していいですよ」と国が認めてしまうものです。
 毎日何万人、何十万人が犠牲になって、殺した人が勲章をもらえちゃう。
 日本もいま私たちの税金で自衛隊は中東沖でアメリカ軍に重油を供給しているわけですから、戦争に加担している。
 つまり私たちは戦争をしているんです。
 国連憲章を読むと、「紛争を起こしてはいけない」「相手国を侵略してはいけない」ときちんと書いてあります。
 イラク戦争は国連の法律に違反して始めたことなのに、なぜ日本はそれに加担するのでしょうか。
 小泉首相は「国際頁献だから」と言ってイラクに自衛隊を派遣していますが、弱い者をいじめることが「国際貢献」でしょうか。
 私たち大人は子どもを育てる義務があります。
 子どもたちに「強きをくじき、弱きを助ける」ことを教えなければならない。
 それが正義であり教育なのに、大人が逆をしているのです。
 戦争をしながら、命の大切さを子どもに教えることはできないと思います。
みんなを笑顔にしたくて演劇を
 戦争について「必要悪」とか「なくならない」と言う人がいますが、私はそうは思いません。
 なぜなら日本では少し前の明治維新の時代、隣りの県同士で殺し合いをしていましたが、いまはしません。
 利益のためといって山形県と東京都の人が殺し合ったりはしません。
 人の往来が増え、友だちや家族になるなど親しくなったからです。
 他の国ともこのように交流ができて親しくなれば、殺し合わなくなり、戦争はなくなると思います。
 だから私はあきらめたくないんです。
 私は反戦活動家ではありません。
 「とにかく戦争をなくしたい。人殺しをなくしたい」と考えて行動しているのです。
 憲法九条の不戦の誓いは私たちの先達たちのものすごい犠牲のもとに手に入れたのだと思います。
 私たちも平和だから演劇ができます。
 人を笑わせるのが大好きでみんなを笑顔にしたくて演劇をやっています。
 だから日本を再び戦争のできる国にしないために、憲法九条は絶村に守らなくてはいけません。
             (全国革新懇ニュース04年11月号)
わたなべ えりこ     山形県生まれ。劇作家、舞台演出、女優、エッセイ執筆など多彩に活躍。舞台「花粉の夜に眠る戀(こい)」「風回廊」などを作・演出し、出演も。

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このページは、「全国革新懇」発行の「全国革新懇ニュース」および同会発行の「憲法と平和と私 21人の発言」から出典させていただきました。

平和が一番です
ラモス瑠偉(るい) (サッカー元日本代表
 日本サッカー界の大御所的存在です。
日本のワールドカップ(W杯)初出場の夢を絶った「ドーハの悲劇」(一九九三年)の対戦相手・イラク選手を日本に招き、同じ日本代表メンバーとのチャリティー試合も計画しました。
 忙しいスケジュールを縫っての取材でしたが、約束の時間が過ぎても「あと五分でも大丈夫ですよ」と気遣い、太陽のような笑顔で平和への強い思いを語ってくれました。
彼らの笑顔がもう一度見たい
− イラクのサッカー選手との対戦計画にはどのような思いがあるのですか。
 あのイラクとの試合(一九九三年)は一生忘れられません。
 彼らはフェアにたたかい、日本のチームを応援してくれていました。
 みんなに会いたいという気持ちが強いですね。
 こんどのイラク戦争ではなんにも関係のない子どもたちやお年寄り、民間の人が犠牲になった。
 ああいう痛みは一生死ぬまで消えないんですよね。
 その痛みや傷がちょっとだけでも小さくなるようにと思うんです。
 お金じゃなく気持ちでなんとかしたい、ボランティアでもやりたいと思っています。
 日本には熱い気持ちの人がたくさんいるし、日本の選手は声をかければみんな集まっちゃう。
 イラクの選手が生きてるのか生きていないのか‥。
 ぼくはボール一個あれば、子どもたちを楽しませる自信はあるけれど、その瞬間だけではなくて、なにかも残していかないとだめですよね。
 イラクとの試合による収益金でイラクにサッカー学校や普通の学校、グラウンドを作ってもいい。
 なんとか彼らの笑額がもう一度見たいし、とくに子どもたちの笑顔が見られたらいいなと思います。
多くの子どもたちが犠牲に
−イラク戦争についてはどうお考えでしたか。
 正直な話、なんでこの戦争がおこなわれたのか、原因もきっかけもわからないです。
 湾岸戦争のときも思いましたが、二〇〇三年になぜ戦争をやらなきゃいけないのか、不思議でたまらない。
 ぼくは昔からフセインのやり方は好きじゃなかったけれど、アメリカは一方的に攻撃した。
 戦争をやってフセインを追い出すのはいいのか悪いのか、この手しかなかったのかどうかわからないけれど、多くの子どもたちが犠牲になりました。
 −平和への思いについて聞かせてください。
 なにより平和が大事です。
 平和なときはみんな笑ったり、人の心配をする余裕があります。
 困っていたらなんとかしてあげようという気持ちが出てくるじゃないですか。
 平和でないときは余裕がないから、自分だけよければ、あとはどうでもいいとなってしまう。
 ぼくは人の笑顔が好きだから、困っている顔、泣いている顔はあまり好きじゃない。
 お金はなくてもいい、平和が一番です。
 現役時代は「司令塔」として深い洞察力をも ってチーム全体をリ−ド。とくに試合の流れを一変させるアイデアあふれるスルーパス(相手 側の意表をつくパス)では多くのファンを魅了しました。
サッカーは人生そのもの
 −ラモスさんの人生にとってサッカーとは?
 十八歳のとき初めてプロになったけど、サッカーは人生そのものです。
 一つのボールだけで何百万人を喜ばせるサッカーってすごいもんだって思います。
 人の心を動かしているという、一人のスポーツ選手としてのプライドもあります。
 それと、ここまで一人でこれたわけじゃない。
 家族や友人、自分をずっと見守ってくれているたくさんの人たちを大切にしています。
 −各地でサッカー教室を開き、子どもたちに教えていますね。
 子どもが大好きです。
 彼らの目を見ているだけで自分もエネルギーをもらっています。
 サッカーの楽しさだけじゃなくて、友だちを大切にすることや親孝行などについても、サッカーを通じてアドバイスできたらいいなと思っています。
 そのためにもいろんなところに行ってサッカースクールをやりたいですね。
            (全国革新懇ニュース03年5月号)
  らもす るい   1957年ブラジル生まれ。国籍日本。
 Jリーグ・川崎ヴェルディ、京都パープルサンガなどに所属。
一九九四年W杯予選日本代表。〇五年第一回ビーチサッカーW杯・日本代表チーム監督。柏レイソルのコーチ。

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このページは、「全国革新懇」発行の「全国革新懇ニュース」および同会発行の「憲法と平和と私 21人の発言」から出典させていただきました。

26歳で戦死した
兄の分も生きている私。
憲法を守りたい。
湯川れい子(音楽評論家)
言葉超えて連帯できる音楽
−「音楽で平和な世界を守る義務が私にはある」と言われていますね。
 音楽自体が平和そのものかというと、けっしてそんなことはないと思います。
 ナチス・ヒトラーの演説の前でもワグナーの曲が流されたように、音楽を戦闘に使うことはあるし、それは攻撃的な音やメッセージ性も持っている。
 でも音楽は言葉を超えて連帯できるものであり、共感を共有できるものです。
 人間が生きていることの証である心臓の鼓動に働きかけて、あらゆる人が一緒になれる、喜びを共有できるのが音楽のリズムです。
 もちろん平和というのは努力しなければつくれないものだと思います。
先制攻撃招く「力の対決」
−昨年の全国革新懇総会に「憲法を守りましよう。人類のために、地球の未来のために」とのメッセージをいただきました。
 いま、戦争放棄や戦力不保持をうたう憲法九条を守ることがますます重要になっています。
 「力と力の対決」では、アメリカとテロとの問題でもわかるように、いかにどちらが先制攻撃をし、どちらが強力な武器を使うかに行き着いてしまいます。
 しかも人類を何十回も殺しても余るほどの核兵器まで蓄えている。
 人類は武器を使う可能性のある方向には一歩も進む余地はありません。
 国際協力のもと、知恵と力を出し合って核兵器をなくす方向に向かわなければならない。
 そのとき、どうしても必要なのは憲法が示す不戦の誓いです。
「悔しい思い」と語った母
−平和を大切にし、憲法九条を守る湯川さんの考えのおおもとには?
 やはり私の十八歳上の戦死した兄の存在だと思います。
 兄は一九四五年、フィリピンのルソン島で「村の死守」を言い渡されて戦死しました。ニ十六歳でした。
 戦地に行く前の三日間、目黒の自宅で母と私のために防空壕を掘りながら、口笛を吹いていました。
 戦後、その曲がラジオから流れてきて、調べると、アメリカのハリー・ジェームズ楽団の「スリーピー・ラグーン」(「午後の入り江」)という曲だとわかりました。
 戦争の最中、一九四二年にアメリカで大ヒットしているんです。
 兄は鉱石ラジオか何かで聴いていたんでしょうね。
 兄は二十歳とか二十一歳の頃、レコードのジャケットをデザインしていました。
 アメリカの水兵さんが踊っている絵などが兄の部屋からたくさん出てきました。
 戦死しなければ、おそらくイラストレーターやグラフィックデザイナーの仕事をしたであろうなと思います。
−将来ある若い人たちが大勢あの戦争で犠牲になりました。
 アメリカの側だってそうですよ。
 いかに愚かなこと、いかに無駄なことをしたのかと思います。
 −そういう犠牲になった人たちへの思いも土台に、いまの憲法ができたと思います。
 そうです。憲法二十四条(両性の平等・配偶者の選択、財産権など個人の尊厳)を変える動きもありますが、これの一体どこがいけないのか。
 国が戦争を選択したことで、大事な夫との思い出の指輪から何から全部国に供出し、そして夫が戦病死し、息子も戦死した母が「本当に悔しい思いをした」と語る言葉を私はよく聞いていました。
 私はいつも兄の分も生きている、兄の分も生かしてもらっていると思います。
        (全国革新懇ニュース05年5月号)
  ゆかわ れいこ    1939年東京生まれ。
 ラジオのDJ、ポップスの評論を手がけるほか、作詞家としても活躍。
 ヒット作品に「恋におちて」「ランナウェイ」「六本木心中」など。
 日本作詞家協会副会長。
 著書に『幸福へのパラダイム』『音楽力』など。

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「戦争で人を殺したくない、
殺されたくない」の情感が
一番大事
森 達也(映画監督・ドキュメンタリー作家)
  取材後、若い人へのメッセージを尋ねました。
「いまの世相に、これは変だなと思ったら、普通に声をあげてほしい。うれしいとか、悲しいとか、悔しいとか。みんなが本来持っているはずの普通の部分をなくさないほうがいいよ」。
憲法問題への考えにも、そのことが貫かれていました。
カナリア諸島で見た九条
 −カナリア諸島(アフリカ西方)で日本国憲法九条の碑を見たそうですね。
 〇五年三月末、仕事でカナリア諸島(スペイン領)のグランカナリアという島に行ったさい、小さな公園に石碑があり、九条が刻まれていました。
 おばちゃんが寄ってきて、「これはすばらしいんだよ」と、一生懸命ぼくに話しかけてきました。
 スペインがNATO(北大西洋条約機構)に加盟するとき、カナリア諸島は軍事化されたくないと、日本の九条をシンボルにすることを全島」一致で採択し、モニュメントをつくったと、あとで聞きました。
 以前、ぼくの作品の上映で中東に行ったときも九条は知られていました。日本の話になると、「平和憲法というすばらしいものをもっている」と。
 九条の価値はそういうところに行ったほうが、より実感できるかもしれませんね。
戦争につながる九条改変
-「自分はガチガチの護憲論者ではないけれど、九条は変えてほしくない」と言われていますね。
 ことし(〇五年)正月、週刊誌で石原慎太郎東京都知事が、いまの日本人は緊張感がない、その理由はこの六十年間戦争をしていないからだという趣旨で発言していました。
 「やはり戦争は必要だ」みたいな文章を読んでびっくりしました。
 石原都知事については最初からこの程度とわかっているけれど、こんな発言が問題にならない今の世相に危機感を覚えます。
 こうした状況で九条がなくなったら、どうなるのか。
 アメリカなどが海外に行ったとき、日本は引きずりこまれますよね。
 いますぐ日本が軍事国家になるとは思わないけれど、そのステップは登りつつあるという気がします。
 この世相では絶村九条だけはいじってほしくないと思います。
人の命を守ってこそ国益
−「日本が戦争状態になるのも日本が他の国で戦争をするのもいや」とも言われていますね。
 メディアなどでは情感でものを言ってはいけないという雰囲気があるけれど、戦争はいやだ、人は殺したくない、殺されたくもないという情感がぼくは一番大事だと思う。
 シンプルに言って、ぼく自身まだやりたいことがいっぱいあるから殺されたくないし、ぼくの子どもも殺してほしくない。
 中曽根康弘元首相がアメリカのイラク戦争に反対する人たちを情感的過ぎる、もっと国益を考えよと言ったことがありますが、ぼくは人の命を犠牲にした国益なんて、なんの意味があるのだろう
と思います。
 イラクに行ったフリージャーナリストやカメラマン、ボランティアの人たちのなかに知り合いは多いけれど、ほぼ一人残らず、自衛隊はイラクから撤退すべきだ、アメリカもすぐ撤収すべきだとの意見を持っています。
 現地に行って戦争の血生臭さを見て、知ったからです。
 目の前で子供がつぶされ、内臓が飛び出している。
 それを見たあとは、「交渉ごとをこうしてとか国益がどうとか、そんなのどうでもいい。まず戦争をやめろ」と、多分だれもが思いますよ。
ぼくは人が好き
−平和や憲法を大事にしたい考えのおおもとには。
 ぼくは人が好きです。
ドキュメンタリーを撮る仕事は被写体を見つめる作業ですから、感情移入するし、よほどでないかぎり人を好きになります。
 だいたい人って、人を深く知れば好きになります。
 憎みあったり嫌ったりするのは、お互い本質がわかっていない場合が多い。
 「人っていいな」という体験や思いはぼくの大きな財産かもしれないですね。
       (全国革新懇ニュース05年6月号)
   もり たつや   1956年生まれ。ドキュメンタリー作品、映画を多く制作。
著書に『ベトナムから来たもう一人のラストエンペラー』(角川書店)、『ドキュメンタリーは嘘をつく』(草思社)など。

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世界に向かって
発言しやすいのは
日本みたいな国
星野 知子(女優・エッセイスト)
 訪れた国は四十数カ国にのぼるといいます。
 戦後六十年の世界や日本のあり方について、その視点は人間的で温か。
 同時に、豊富な体験を生かした「提言」も新鮮で印象的でした。
違う価値観を押しつけても
 私は二十年前位から仕事などでいろいろな国に行くようになりました。
 世界にはさまざまな人たちがいて、さまざまな暮らしがあります。
 たとえば、とても狭い世界のなかで暮らしていても成り立っている社会がある。
 アマゾンの村では独自の掟(おきて)のもと、二百人が村のなかだけで一生過ごし、幸せもあるという生き方をしている。
 中東でも広大な砂漠を車で走っていると、テントを張って家族単位で暮らしている人たちがいる。
 「まちは汚いので住みたくない」と言う。
 確かに人間がたくさんいてゴミが出て、空気が汚れるところよりも、砂漠のなかにポツンといるほうが清潔なんですね。
 そういうところに違う国の価値観を押しつけたり、大きな戦力を持ち込んでも、土台無理があるわけです。
 アメリカはそれを理解できていないと思いますね。
過去の戦争の整理を
 フランスで、大学を卒業した二十三、四歳の女性から「日本は学校の歴史の時間でまちがったことを教えているのか」と言われ、ドキッとしたことがあります。
 日本が過去の戦争のさい、アジアでなにをしたかが教科書に書かれていないことなどを指しているんですね。
 確かに私などは学校で教わらなかったことがたくさんあって、大人になってからいろんなことを知りました。
 ヨーロッパでは学校で徹底的に敢えているそう です。
 ドイツでは「戦争でなにをしたか」ときちんと教え、それについては責任をとらなければという気持ちを育んでいるわけです。
 日本は戦後六十年たっても過去の戦争を振り返り、きちんと整理することをあいまいにしている。
 このことから、「また戦争に向かっていくのでは」と警戒される面もある。
 外国に行くと痛感させられることです。
あなたたちと仲良くしたい
 いま世界に向かって一番発言しやすいのは日本みたいな国かなという気がします。
 宗教的には「何教」というような特定の宗教で国が動いていない。
 アメリカはブッシュ氏が大統領になってから宗教色がものすごく強くなりました。
 文化的にも日本は独自の文化を持ちながらも、異なった文化を受け入れてきた。
 「これが正しい」「自分たちはこれを信じる」と言って衝突する国があるなかで、日本は「そうじゃない国もあるんだよ」と、もっとアピールすればいいと思います。
 私自身はいろんな国に行くと、「日本人を初めて見た」という人に結構出会います。
 それだけでも意義があると思っています。
 三、四年前、シリアで五十人から百人位が住み、長(おさ)が取り仕切る村を訪れました。
 そういう村の人たちが日本人を初めて見て日本という国を知り、自分たちと全然顔も言葉も違うが、自分たちと同じものを食べてくれたと喜ぶ。
 私も言いました。「日本という国は電器製品だけでなく、生身の人間がちゃんと生きていて、あなたたちと仲良くしたい人たちがいるんですよ。
あなたたちの生活を見たいし、いっしょに笑い合いたい」。
 こんな小さいことをこれからも続けていきたいと思いますね。
       (全国革新懇ニュース05年3月号) 
 ほしの ともこ     1957年新潟・長岡市生まれ。
八〇年にNHKテレビ小説「なっちゃんの写真館」で主演デビュー。
映画、テレビドラマ、ドキュメント番組に数多く出演。
主な著書『食へるが勝ち!』『パリと七つの美術舘』など。

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このページは、「全国革新懇」発行の「全国革新懇ニュース」および同会発行の「憲法と平和と私 21人の発言」から出典させていただきました。

海外派兵と憲法改定
不破 哲三(日本共産党議長・全国革新懇代表世話人)
 ソ連の崩壊が世界の情勢を大きく変え、アメリカの軍事戦略にも大転換が起こつたことは、前に話しましたが、この二重の変化は、日本の「防衛」問題や憲法問題にも、影響を強くおよぼしてきています。
 しかし、変化の中身を十分に見定めないまま、日本の政治がこれに従来型の考え方で村応しようとしているところから、思わぬ危険や矛盾が生まれています。
 二一世紀を迎えて、にわかにあわただしくなった海外派兵と憲法改定の動きには、そういう背景があり、その点をよく見ることが大事だと思います。
「時代遅れ」になった日本の自衛隊
 まず、ソ連の崩壊で、歴代の政府がアメリカのシナリオにそって力を入れてきた自衛隊の軍備が、ほとんど無用の存在になってきました。
これまでの軍備とその配置は、米ソ戦が日本に波及するというシナリオにもとづいていましたからね。
 たとえば、陸上自衛隊は、北海道に五〇トン戦車を三〇〇両近く配置しています。
 これは、ソ連軍が北海道に攻め込んできたとき、そこで迎え撃
つための配置なんです。
 いまでは、北海道での戦車戦といったそんなシナリオは、防衛庁だって無用のものと考えているでしょうが、さあ、それなら、この戦車部隊を日本のどこか別の地方に移せるかというと、それが不可能だというのです。
 この五〇トン戦車は、特別にそのためにつくつた道路や橋しか通れない、そうでないところを通ったら、道路も橋も壊してしまうという代物です。
 個々の部分に分解して輸送し、目的地で組み立て直す以外に、移動の方法がない。
 ところが、これは、私たちの党の志位和夫議員が、九五年一月、村山内閣のときに追及した問題でしたが、ソ連崩壊の四年後の予算で、防衛庁は、この戦車をさらに二〇両も買い足す計画をたてたのです。
 まわりの情勢がどう変化しても、いったん立てた軍拡計画はそのまま実行、という姿勢でした。
 防衛庁長官は、なんのための増強かという質問にたいして、米ソ対決はなくなっても「地域的な紛争はある」からとか、「第三次世界大戦になったら北海道でも」とか、意味不明の答弁に終始しました。
 空や海の方面でも同じですよ。
 日本は、P3Cという対潜哨戒機を一〇一機も買い込んで、アメリカにつぐ世界第二の対潜大国になりました。
 西太平洋での配備数でいえば、米軍の何倍にものぼる大量配備でした。
 八四年、中曽根内閣のときに、国会で私がとりあげたんですが、中曽根さんがP3Cの活躍の場として挙げた″三海峡封鎖作戦″とか”シーレーン防衛作戦”とかは、全部、ソ連の原潜にたいするアメリカの戦略を補完するものでした。
これも、ソ連が崩壊したら、シナリオそのものが消えてしまったものです。
 軍艦では、一二〇〇億円以上もする最新鋭のイージス艦を四隻も買い込んだでしょう。
これは、八〇年代に″シーレーン防衛″″洋上防空″が開始されたときに、米側が空中警戒管制機(AWACS)とともに、日本に導入するよう要求したものでした。
 政府は、これに対応する計画を、一九八五年に閣議決定した「中期防衛力整備計画」にもりこみ、一九九九年までに、空中警戒管制機四機とイージス艦四隻の導入を完了しました。
イージス艦はさらに大型のものを、二隻建造中です。
 イージス艦というのは、本来の任務は空母を中心とした機動部隊の護衛役なんですね。
 機動部隊を攻撃してくる多数の相手に同時に対応できるというのがなによりの特徴で、同時に二〇〇以上の目標を追跡でき、二〇の目標を攻撃できるとされました。
 リムパックというハワイ周辺の海上演習では、日本の護衛艦群も、イージス艦をふくめ、アメリカの軍艦といっしょの輪型陣を組んで、空母護衛の訓練をずいぶんやってきたものですよ。
 しかし、いまでは、アメリカの機動部隊が日本の周辺で活動し、その防衛にあたるといった状況は想定されませんから、これも、その高度な機能と高い価格に見合った用途を見つけるのは、なかなか困難でしょう。
 いまは、このイージス艦を交替制で常時インド洋に配置して、アメリカの軍艦に給油する補給艦の護衛にあたらせているのです。
 空母でなく補給艦を守るというのですから、″役不足″もいいところです。
「艦が大型で居住性がよいため」にイージス艦を出すことにした、という笑い話のような政府答弁書があります。
 今回、防衛庁に問い合わせて調べて見ましたら、イージス艦が、二〇〇〇年度〜〇四年度の五年間に、任務として出動した総日数は、四隻あわせて八八二日、その九七%、八五八日がインド洋での補給艦の護衛活動で、あとの二四日は、基地公開などの広報活動だとのことです。
 建造費だけでも合計約五〇〇〇億円にものぼる巨大な費用を投じたイージス艦が、この活動状況だということは、さきほどの北海道の重戦車部隊の話とあわせて、日本の自衛隊の高価な装備が、いかに現実の情勢にあわないものであったかを示す、なによりの事例だと言えるでしょう。
 個々の兵器がどんなに最新鋭のものであっても、情勢の大変動が起これば、それに対応できない「時代おくれ」の軍備、「時代おくれ」の配備になることは、ありうるのです。
 本来なら、ソ連崩壊というのは、軍事情勢にそういう大変動が起こったことで、日本が軍縮に踏み切る絶好のチャンスでした。
 しかし、日本の政治をになっている勢力には、軍備計画を抜本的に見直して、不要になった部分は切り捨てる、こういう発想がまったくなかったのですね。
「日米共同作戦」の性格が根本から変わった
 軍事問題では、もっと大きな、日本の運命にもっと深刻な影響をおよぼした変化がありました。
 それは、アメリカの軍事戦略が、ならず者国家に矛先を向けた「先制攻撃戦略」に変わってきたことです。
 これが、日本の海外派兵と日米共同作戦の問題、さらには憲法改定問題に、直接かつたいへん重大な形でひびいてきたのです。
 第三章の日米安保条約のところで、あらましを述べたように、日米共同作戦というのは、一九六〇年の安保改定で、条約に組み込まれた問題でした。
 条約では、共同作戦は、日本国の領域か、そこにいる米軍が攻撃された場合に限られていますが(日本有事)、同時に、条約は、在日米軍が、極東の平和と安全の維持のための軍事行動に参加することを認めています。
 この「極東有事」の場合、日本がその基地だということから、戦争が日本に波及することも想定されるわけで、そうなれば、「日米共同作戦」が発動されることになる。
 このように、安保条約の取決めから、「日本有事」と「極東有事」が、「日米共同作戦」が問題になる二つのケースとして想定されるのですが、どんな相手でも、いきなり日本に攻め込んでくるということは考えにくいわけですから、米軍も自衛隊も、だいたい、極東で米軍がくわわる戦争状態が起き、それが日本に波及して、日本とその周辺で「日米共同作戦」が展開される、という筋書きを、もっとも主要なものとして想定していました。
 新安保条約ができて間もない時期の一九六三年に自衛隊首脳部が秘密に作成した図上研究「三矢作戦」が、一九六五年に発覚して政治的な大問題となりましたが、この作戦も、「極東有事」の日本への波及という筋書きでつくられていました。
 ですから、ソ連の崩壊以前の時期には、日米共同作戦についての政府の答弁は、なかなか慎重でした。
 共同作戦の発動にいたる過程の問題で、野党に攻め込まれる法的な穴があかないように、かなり苦労して、有事のシナリオづくりにしても、可能な軍事行動の範囲の見定めにしても、既成事実を積み重ねては、一歩一歩、前進する、ということをくわだててきたものでした。
 この時代には、国会論戦の経過について、政府側や国会事務局が、『安保問題答弁集』といった項目的な資料集をよくつくつて、政府の側では、新しい答弁がこれまでの答弁とくいちがわないように、もっとはっきり言えば、矛盾しない範囲内で一歩前進がはかれるように、また野党の側では、その答弁のなかに矛盾を見つけて、そこに切り込んでゆけるように、論戦に知恵をつくしあったものです。
 また、政府は、アメリカとのあいだで、一九七八年以来、「日本有事」と「極東有事」のガイドラインづくりの作業を開始していました。
 ところが、ソ連の崩壊で、アメリカの軍事戦略が、ならず者国家への先制攻撃戦略に切り替わると、その状況ががらりと変わってきました。
 ″米ソ対決”を想定した「日米共同作戦」は、相手のソ連とともに消滅しました。
 今後「共同作戦」が問題になるとしたら、その戦争とは、アメリカが攻撃対象として選んだならず者国家にたいする先制攻撃戦争であり、自衛隊がその先制攻撃戦争に参加すること以外には、「日米共同作戦」はありえないことになります。
 こうして、問題は、すでに日米安保条約の枠組みの外に出てしまったのです。
 アメリカが開始する戦争が、どの地域かにもよりますが、「極東」でその戦争がおこなわれる可能性はかなり低くなりました。
「極東」の外で戦争がおこなわれるならば、それは、日本には、条約上の協力義務がまつたくない戦争です。
 このとき、日本の政府に、平和の意志と自主独立の精神が少しでもあったならば、条約上の義務のない戦争には参加しない、という立場を明確にして、新しい平和・自主の外交に踏み切る好機が生まれたのでした。
 それは、日米安保条約を廃棄しないでも、可能なことでした。
 ちょうど、イラク戦争のとき、フランスやドイツが、アメリカと結んでいる北大西洋条約にもとづく軍事同盟に参加したままで、イラク戦争反対の態度をとったのと同じことが、日本にできたはずでした。
 ところが、日本の政府は、まったく反対の道−−日米安保条約に規定されていない戦争であっても、アメリカが起こす戦争にたいしては参加・協力のできる新しい法体系を準備する、という道を選んだのです。
次々と海外派兵の特別立法が
 (一)「周辺事態法」。
 先制攻撃戦争への参加・協力体制づくりの法体系づくりは、九七年九月、アメリカとのあいだで、安保条約にもとづくこれまでのガイドラインづくりとは別個の線の、″新ガイドライン″が確認されたことから始まりました。橋本内閣のときでした。
 「日本周辺地域」という新しい概念をもちこんで、これが「日米防衛協力」の対象地域だとしたのです。
 「日本周辺地域」とは、ちょっと得体の知れない概念で、国会で政府をいくら追及してもわかりません。
 代表的な政府答弁として、″新ガイドライン″作成中の九七年六月、参議院外務委員会での池田行彦外相の答弁をあげてみましょう。
@まず「安保条約の『極東』を用いる事は適当でないので、文言を見直した」とのことです。
 つまり、もう「極東」という狭い概念には縛られないよ、との宣言だということが分かります。
 次に、A「場所をあらかじめ特定できない」との答弁がありました。
 では、地球上どこでもいいのか、どこでも「日本周辺」になるのか、たとえばインド洋や中東は入るのか、と聞くと、
 B「中東やインド洋は今は想定していない」と、「今は」という条件つきの回答、しかも「何らかの対応が必要であることは十分考えられる」と、状況いかんではそこまで拡大する可能性もにおわせます。
 結局、「日本周辺地域」という新概念を持ち込むことによって、安保条約に規定された「極東」という枠を取り払い、日米の軍事協力を、伸縮自在、どこででもおこなえるようにすることが、″新ガイドライン″の狙いでした。
 翌九八年三月、この考え方を法律化した「周辺事態法」案が国会に提出されました。
 七月に内閣の交替があり、小渕内閣のもとで、九九年五月、「周辺事態法」が成立にいたります。
 この法律の名前ともなった「周辺事態」とは、さきの「日本周辺地域」よりも得体の知れなさをさらに深くしたもので、そのことを示す小渕首相の″名″答弁が残っています。
 「その(「周辺事態」の)生起する地域を地理的に特定し、あるいは一概に確定することはできない」(九九年一月) ここには「周辺」に絶対含まれないと政府が断言したのは、「地球の裏側」だけでした(高村正彦外相)。
(二)「テロ対策特別措置法」。
 しかし、いざ先制攻撃戦争が起きてみると、「周辺事態法」だけでアメリカの戦争への協力・参加を根拠、づけることは、難しいことが分かってきます。
 二〇〇一年四月、小泉内閣が成立しました。
 六月にアメリカに飛んで、ブッシュ大統領と首脳会談をおこなった小泉純一郎首相は、「日米同盟が引き続きアジア太平洋地域の平和と安定の礎」だとする「共同声明」を発表しました。
 これを、ただの言葉の綾として読んだら、事態を見誤ります。
 軍事同盟というものは、どんな同盟でも、条約上の権利・義務で組み立てられているものです。
 「同盟」相手がやる戦争なら、どんなものでも協力・参戦するのが「同盟」だというような、無条件服従の軍事同盟とは、まったく異常な話です。
 日米軍事同盟も、日米安保条約によってその権利・義務が決まっています。
 ところが、小泉・ブッシュ両首脳の最初の「共同声明」は、日米軍事同盟を、無条件的な、運命共同体的な「同盟」として解釈することを、強くにおわせたものでした。
 そして、同年九月一一日、ニューヨークを同時多発テロが襲い、アメリカがその報復として、アフガニスタンヘの戦争を開始しました。
 小泉内閣は、この戦争に協力するために、「テロ対策特別措置法」を一〇月に国会で緊急に強行的に成立させました。
 一一月には、海上自衛隊が出動、一二月の初めから、インド洋でアメリカの艦船にたいする給油活動を開始、さらに翌年一二月には、虎の子のイージス艦「きりしま」をインド洋に派遣して、給油活動の護衛に当たらせることになったのです。
 それまで、国連の平和維持活動への協力ということで、自衛隊が海外に出たことはありましたが、米軍の戦争に協力するための海外出動は、歴史上、最初のことでした。
(三)「イラク特別措置法」。
 二〇〇三年三月には、アメリカの対イラク戦争が始まります。
 小泉首相は、即日、このイラク戦争支持の態度を表明しましたが、そのさい、最大の根拠としてあげたのは、日本がアメリカの「同盟」国だということでした。
 小泉首相の頭のなかには、日米安保条約の条文にある権利・義務の関係からは遠く離れ、「同盟」の相手国の戦争ならなんでも支持して無条件追従するという「運命共同体」的な日米同盟の枠組みが、すでに牢固として根をおろしていたのです。
 この戦争に協力するには、テロ対策特別措置法では間に合いません。
 小泉内閣は、「イラク特別措置法」を七月に強行成立させ、一二月から、今度は陸上自衛隊と航空自衛隊のイラク派遣の準備に入りました。
 まさに、アメリカが先制攻撃戦争をおこす度に、新しい特別立法で、戦争への参加・協力の道を開く−いわば一戦争一立法が、小泉内閣が実行してきた「海外派兵」の特徴です。
 この最大の論拠は、アメリカとの「同盟」をなによりも優先させる、運命共同体的「同盟」論ですが、この議論が怖いのは、「同盟国」アメリカの戦争に、国際社会のルールにかなった大義があるかどうかの真剣な吟味が、まったく欠けていることです。
 おそらく、世界の主要国のなかで、戦争の大義の問題について、これだけ投げやりの態度ですませてきた政府は、日本の小泉内閣のほかには、ないのではないでしょうか。
 最初は、ブッシュ大統領がとなえた「大量破壊兵器は確実にある」という″論拠″をくりかえし、それがくつがえつても、自分の以前の主張に何の責任もとろうとしません。
 自民党政治の体質は、四〇年前、アメリカがベトナム侵略戦争をおこした時、アメリカの戦争だからということで、戦争をめぐる諸事情の自主的な吟味なしに、無批判・無条件に支持してきた時代と、なんら変わっていなかったのです。
 日本に越えさせたい一線はここにある
 しかし、いくら小泉首相が、日米「運命共同体」論を説き、次から次へと特別法をつくつて、海上自衛隊をインド洋に、陸上自衛隊と航空自衛隊をイラクに派遣しても、現在の憲法のもとでは、どうしても越えられない一線があります。
 その一線とは、海外に派兵した自衛隊に、戦争をやらせるということで、この一線だけは、いくら憲法の条項にごまかしの「自民党的」解釈をほどこしてみても、越えることができないのです。
 これを突破して、自衛隊を、海外で米軍といっしょに戦争のできる軍隊にすること、ここに、アメリカと日本の戦争派が求めている憲法改定の中心問題があります。
 憲法改定への動きは、これまでにも政界に根深くありましたが、二〇〇三年の総選挙で、財界が総出で「二大政党づくり」のキャンペーンを演出したとき、「二大政党」役を割りふられた自民党と民主党が、″自分こそが憲法改定の先駆けだ”と言わんばかりに、憲法改定の旗を競争でふりあいました。
 この背景には、日本の財界・大企業筋の思惑とともに、いやそれ以上に、日本にこの一線を越えさせたいとあせるアメリカ首脳部の要請が強く働いていたことは、間違いないと思います。
 「解釈改憲」という言葉があるように、自民党政治は、「戦争放棄」と「戦力不保持」を規定した憲法第九条を、みるも無残なまでに、「解釈」の変更という看板でふみにじってきました。
 ″「軍隊」と呼ばなければいいだろう″という解釈で、自衛隊をつくり、これをあらゆる最新鋭兵器で武装させ、軍事費も世界で有数のところにまで膨張させてきました。
 ″「戦争行為」さえしなければいいだろう”という解釈で、インド洋やイラクの戦場に、自衛隊の陸・海・空の部隊を送りこんできました。
 しかし、「解釈改憲」の方法でつくつた軍事組織・自衛隊を、「解釈改憲」の方法で海外に送り出すところまでは来たが、海外に出動した自衛隊に、戦争をやらせることは、いまの憲法のもとではできない−これまで長いあいだの、一九五〇年の警察予備隊の創設から数えれば五五年がかりの「解釈改憲」の策動は、ついに、ここで大きな壁にぶつかってしまったのです。
 私たちは、第二章で、アメリカが一九四九年に決定した″日本の憲法改定と再軍備″についてのシナリオを見てきました。
 日本の政治は、おおよそは、このシナリオに沿って進んできましたが、「解釈改憲」で海外派兵まで来れるとは、もともとのシナリオでは予想されなかったことだった、と思います。
 ですから、いま進んでいる憲法改定の焦点としてどこに最大の問題があるかは、この経過のなかに、鮮明に浮かび上がってきています。
 浮かび上がっているその焦点とは、 −自衛隊を、海外で、米軍といっしょに戦争のできる軍隊に変えること、 −そして日本が、そういう戦争能力を持った同盟国として、アメリカの戦争に参戦できる国になること、まさに、この点にあります。
憲法論議ではこの中心点を見失わないことが大事
 いまの憲法を変えた方がよいか、変えない方がよいか、ということを、一般的に問題にしたら、国民のみなさんのあいだでも、それこそ議論百出、さまざまな意見が出てくるでしょう。
 憲法改定の是非をめぐるマスコミの報道を見ても、たくさんの論点があると言われます。
 問題の憲法第九条についても、いろいろな角度からの議論や問題点が出ていて、よほど予備知識がないと、分りにくい点がたくさん出てくるでしょう。
 私がいまいった、″自衛隊を戦争のできる軍隊に変える”といった生の表現は、どの党の憲法改定案にも出てきません。
 しかし、表現は違っても、この問題に憲法九条改定論の焦点があることは、改定意見の中身を、ちょっと深く考えると、すぐ分ってきます。
 この二〇〇五年四月に、国会の憲法調査会での議論の内容をまとめた「最終報告」が、衆院と参院でそれぞれ発表されました。
 参院の「最終報告」の方が、意見の分かれた点を、割合要領よくまとめてあるので、ここでの検討の材料として使わせてもらいます。
 この「最終報告」が「意見が分かれた主要なもの」として書き出しているのは、「自民、民主、公明の三党の間においても意見が一致しなかったもの」だとのことで、ずいぶん不公平なまとめ方だと思いますが、その点はわきにおいて、意見の不一致とされた二〇項目のうち、憲法第九条に関する項目を取り出してみると、次の四点です。
(3)第九条第二項の改正の要否。
(4)集団的自衛権を認めることの是非。
(5)自衛隊の憲法上の明記。
(6)国際貢献の憲法上の明記。
 これだけ見ると、″自衛隊を戦争のできる軍隊にする”などは、どの党の主張にもないのでは、と思われるかもしれません。
 そうではないのです。
 その問題は、四点のすべてに含まれています。
 まず、「(3)第九条第二項の改正の要否」から見てみましょう。
 二項とは、日本が戦力をもち、交戦権をもつことを否定した条項です。
 これを変えるということは、日本が「戦力」をもち「交戦権」をもつ国になるように、憲法を改定しようということ。
 焦点をなす問題が、そのものずばりでここに入っています。
 つぎに、「(4)集団的自衛権を認めることの是非」の項です。
 「集団的自衛権」というと、「自衛」という言葉に引かれて、日本がどこか外国から侵略されたときに、同盟国の援助も受けて、集団で自衛にあたることだと考える方が、かなり多いと聞きました。
 もちろん、この言葉の定義には、そういう場合も、概念としては入りますが、いま憲法改定をめぐる現実の政治のなかで問題になっているのは、そうではなく、アメリカの戦争に、日本が「同盟国」として参戦することの是非なのです。
 これに「是」、つまり、結構と答えれば、その答えは、イラク戦争の場合で言えば、自衛隊が、給水や輸送の活動だけではなく、アメリカと一緒に戦争をやってもいいですよ、という答えになります。
 これも、まさに私があげた焦点を正面からついた問題です。
 では、「(5)自衛隊の憲法上の明記」はどうでしょうか。
 世論調査では、どうせ現にあるのだから、自衛隊の名前を憲法に書き込むぐらいなら、いいのでは、という意見もかなりあります。
 でも、そこでもう一つ考えてみてください。現にあるものの名前を書き込むだけだったら、憲法改定だ、憲法改定だといって、こんなに大騒ぎするでしょうか。
書き込むときには、ただ名前をあげるだけということは、絶対にありえません。
 たとえば、自衛隊は「自衛権を行使する」と書くとしましょうか。
 自衛権には、普通、集団的自衛権も含まれますから、それだけで、前の項でみた、アメリカの戦争への参加の問題がすべりこんでくるのです。
 もともと、この一線を越えさせようというのが、アメリカと日本の戦争派、憲法改定派のいちばんのねらいなのですから、自衛隊の「明記」とともに、自衛隊の事実上の戦力化や、「自衛」の名による事実上の交戦権などが入り込んでくることは、疑いないでしょう。
 最後は、「(6)国際貢献の憲法上の明記」でした。
 私たちも、日本が国際頁献でできるだけの役割をはたすことには、大賛成です。
 しかし、国際貢献にも、軍事的なものと、非軍事的なものとがあります。
 そして軍事的貢献まで憲法での規定に含まれるとすると、そこからまた、アメリカの戦争への参加がすべりこんできます。
 アメリカは、現在のイラクにたいする先制攻撃戦争でさえ、国連決議を実行するための、国際貢献の戦争だと言い張り、小泉首相も同じことを、主張しているのですから。
 いま、参院の「最終報告」にあった四つの論点を例に引いて、私のいう焦点がどこにどのように出ているかを解説しました。
 これから、いろいろな党、いろいろな勢力が、憲法改定案を出してくると思いますが、戦争派がいま、どの一線を越えようとしているか、この視点からあれこれの案の中身を考えること、ここに非常に大切な点があることを強調しておきたい、と思います。
アメリカの先制攻撃戦略には未来はない
 これまで戦後史を見てきたこととの関連で、もう一つ述べておきたいのは、第九条を中心にした憲法改定論は、アメリカの先制攻撃戦略にいかに協力するかという流れのなかで、日本の憲法を考えている、という点です。
 しかし、21世紀の世界は、アメリカがどんなに「唯一の超大国」ぶりを誇っても、アメリカの横暴の前に国際社会の全体が頭を下げるようなことには絶村にならない世界です。
 少数の大国が、世界政治を牛耳っていた時代は、もう終わっています。
 第二次世界大戦が終わったとき、世界には、この大戦の教訓から、あのような侵略戦争を二度と起こさない、戦争のない世界をつくろうという声が、広くみなぎつていました。
 国連憲章が、戦後世界の平和のルール、平和秩序の設計図をしめした背景には、この世界的な世論の後押しがありました。
 日本の憲法第九条が、世界から歓迎され、日本の国民多数の支持を広く受けたのも、それがこの世界的な流れと合致し、その流れの先頭に立つものだったからです。
 この状況は、米ソ対決で破れました。
 しかし、いま、二一世紀を迎えて、私たちは、平和な世界秩序を求める大きな波が、世界中に広がっていることを、実感しています。
 現にイラク戦争が迫ったとき、国連の安保理事会では、戦争の是非をめぐつて、世界秩序とこの戦争の関係をめぐつて、白熱の討論がぎりぎりまで続けられました。
 戦争の前夜に、こういう議論が安保理でおこなわれたことは、国連の歴史にかつてないことでした。
 さらに、世界の諸国民のあいだでも、数十万、一〇〇万、さらにはそれを超える大規模なデモや集会が多くの都市で開かれ、「イラク戦争反対」とともに「国連憲章をまもれ」の声がとどろきました。
 戦争が始まる前に、これだけの運動が広がり、そこで平和の世界秩序が大問題になったということも、戦争と平和をめぐる世界の歴史にかつてなかったことでした。
 この根底には、どんな超大国も、世界の政治を一国では動かせなくなったという世界の構造の根本的な変化があります。
 そして、この世界的な流れのなかでみるとき、日本の憲法は、「時代おくれ」でも「旧式」でもなく、この流れの未来と結びついた、きわめて強烈な新鮮さと新時代的な性格をもっているのではないでしょうか。
 いまの政府の代表でも、国際的な舞台で、日本の平和の意思を強調したいときには、″戦後、平和国家として生きてきた日本″という言葉をよく口にします。
 しかし、その「平和国家」という言葉から、平和の憲法を抜いてしまったら、いったい何が残るでしょうか。
 日本が、憲法第九条をもっているからこそ、世界の多くの国民が日本に共感や信頼をよせてくれたのです。
 この道をすすんでこそ、日本の誇りある未来が開ける−−これは、私の確信です。
(著書『私の戦後六○年日本共産党議長の証言』《新潮社》より)
ふわ てつぞう    1930年東京・中野生まれ。
 53年、東京大学理学部物理学科卒業後、鉄鋼労連書記局勤務を経て、64年より日本共産党中央委員会勤務。2000年、議長に就任。
その間、69年から03年まで34年間、衆議院議員をつとめ(十一回連続当選)、対面した総理は佐藤栄作氏以来十八人にのぼる。
趣味は土人形収集、登山。著書百三十冊以上。

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このページは、「全国革新懇」発行の「全国革新懇ニュース」および同会発行の「憲法と平和と私 21人の発言」から出典させていただきました。

いまの改憲に、私は
「任せられない」の立場です
樋口 陽一(憲法学者)
--いまの改憲の動きについて、どのようにご覧になっていますか。
 真面目にものを考える人たちのなかにも「議論するのはいいじゃないか」、さらには改憲構想を出して環境権や男女平等も徹底させる、人によっては天皇制をやめるという議論があります。
 私はそれがいまの憲法問題ではない、平和なサロンで理想のアイデアを出し合う、そういう話ではないと思います。
 どういう人たちが何をしたくて、何を提出しているのか、それに対して賛成か反対か、そういう話です。
 私はいまの改憲の動きに、「あなたたちには任せられない」という立場です。
 この前、あれだけの戦争をやっておきながら、「落とし前」をつけないで、「軍隊を持ちたい」など、言い出せるはずのないことを言い出している。
歴史を見ようとしない、あるいはねじ曲げた歴史を教科書で将来の市民、子どもたちに押しっけようとしている。
−その「軍隊保持」の改憲案のなかに、「戦争放棄の九条第1項は残す」という議論があります。
 「戦争はしてはいけない」というだけだと、戦前の不戦条約でも決めていました。
 同条約は大日本帝国も批准し、それ以外の列強も皆、条約に入っていた。
 それだけではいけない、戦争をする手段そのものをなくそうということで、戦力不保持の九条第2項ができた。
そこに意味があり、戦後日本の平和主義になっています。
 規範力をもつ九条
−−「自衛隊が存在しているように、現実への九条の規範力は失われている」との議論もありますが。
 法律家から言えば、まったく理屈に合わない議論です。
「現実に腐敗汚職があるじゃないか。だからその罪を刑法から削ろう」とか、「現実に殺人があるじゃないか。だから殺人の罪を削ろう」という議論と同じだからです。
 禁止規定に反することが横行しているから禁止規定をやめろという議論は普通、刑法でも民法でもしない。
 なぜ憲法にだけそういう議論があるのか。政治的な意味があるからです。
 いまイラクで陸上自衛隊は宿営地に引きこもって浄水活動などをやっている。
 こういうシンボリックな形を小泉首相が世論に示さざるをえないのは、やはり九条があるからです。
 規範力を依然持つているから、自衛隊を送っても「戦争をしに行くんじゃない」と、妙な理屈を示さざるを得なかつた。
日常生活にも抑圧が
−−憲法に「自衛軍の保持」などが定められると、どのようなことに。
 こんどは「戦争をしに行くんだ」と言って、歓呼の声に送られて自衛隊を出すことができる状態になるということです。
 また、軍隊を公然と持つと、憲法の条文に表現の自由や批判の自由が書いてあっても、いまの「日の丸・君が代」の強制のように、私たちの日常生活に非常に抑圧的な事態が広がることが心配されます。
 軍事というのは批判を許さないことによって成立している。
 アメリカでもベトナム戦争が始まると、あのリベラルと言われるニューヨーク・タイムズ紙などもいったんは沈黙したといいます。
 --自民党の改憲案は子どもの養育や夫婦のあり方などにも及んでいます。
 憲法とは権力をもっている人たちに悪いことをさせないためのもの、というのが近代憲法が大前提にしてきた立憲主義です。
 その枠組みのなかで国民は一人ひとり、自分の良いと思うことを追求し、良いと思う政治を投票やデモ行進などを通してつくっていく。
 だから憲法で国民に道徳を説くというのは近代憲法の約束事に反しています。
「副小隊長を命ず」
−−憲法への考え、思いの原点はどこにありますか。
 あの戦争中、私は仙台の市内にいて、多くの人が着の身着のままで無差別爆撃の焼夷弾から逃げまどいました。
 それは非戦闘員を系統的に無差別に殺すわけですから本来、国際法違反です。
 また国民学校の日常はミニ兵営化し、私も五年生のとき、級長の替わりに副小隊長を命ずという辞令をもらいました。
 肥やし汲みとか、固い校庭を耕して何もできるはずがないのに種をまいたりしました。
--いま、憲法を守ろうと、国民の運動が盛りあがってきています。
 そこが頼りですね。
     (全国革新懇ニュース05年7月・8月号)
 ひぐち よういち    1934年生まれ。東京大学名誉教授。
日本学士院会員。主著に「近代」立憲主義と現代国家」「国法学」など。

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「戦争万歳」を過半数にさせない
鶴見 俊輔(哲学者・評論家)
 04年6月に発足した憲法「九条の会」の一員です。
 保守の国会議員で戦争に賛成した父親の姿をみて、「こんなに頭のいい人がどうして戦争の旗を振るのか」を生涯のテーマにしてきたという氏。
京都の自宅を訪ねると、憲法や生き方で気骨あふれる話が続きました。
「戦争をしない」を国際政治の基本に
 いまの戦争は、第二次世界大戦中の原爆やじゅうたん爆撃でも示されているように、「当事者」ではない人間にたいして壊滅的打撃を与えます。
総力戦の時代がそこまできている。
 だから「戦争をしない」という立場を国際政治の基本にしなければならない。
 その先駆けの立場が日本の憲法にあるわけで、それはぜひ守るべきものです。
ゆっくり考えると、たたかい方はある
 ベトナム戦争のとき、私はアメリカの脱走兵を援助する活動をおこなっていました。
 ある米兵を京都の自宅に泊めたとき、アメリカ大使館は「脱走兵が出た。自分たちは追及する」との広報を何度も出した。
 私は「いっペん対決する、いい機会だ」と思いました。
 アメリカ政府の代表が私の家に踏み込んで脱走兵を捕まえて基地に連れていったら、私はそれを新聞や雑誌にきちんと出してもらう。
 その結果は、「私に有利。アメリカに不利」。
 つまりアメリカ合衆国がいかに大きな軍事力を持っているとしても、私個人の方が日本の世論のなかで有利だと思った。
 ベトナム戦争を支持する人は六%位まで下がっていたからです。
 もし踏み込んできたとしてもアメリカのプレス(広報)は私を「共産党員」と描けない。
 私の親父は元自民党系で大臣をやった人物。
 私自身、アメリカの大学を出たプラグマティズム(実用主義)をテーマとするアメリカ哲学の研究者。
 プレスにとっては不利な材料がそろっていました。
 結局、アメリカ大使館は脱走兵がどこにいるかを知っていたと思うけれど、踏み込んでこなかった。
 ゆっくり考えると、たたかい方はある。
 常にでかいものが勝つということはない。
 ある一つの状況を選べば弱いものが勝つときがあるということです。
自分をろうそくにして歩む
 「九条の会」の運動でも、アメリカは不利な状況が続くと思います。
 イラクの抵抗勢力は運動をあきらめないだろうし、アメリカ国内でも反戦運動が起こる。
 日本国内でも国会が憲法の改定を発議するには三分の二の賛成というハードルがある。
 さらに国民投票にかけたときは 「過半数の賛成」というハードルがある。
 改定の文言は飾ったり、だましたりすると思うけれど、とにかく「戦争万歳」が国民過半数にならなければ九条をつぶせないわけだから、これに向かって準備すればいいのです。
 ゴーダマ・ブッダは 「自分白身が自分のろうそくになるように歩いていけ」と言っています。
 日本国民全部が「戦争万歳」「ブッシュが偉い」と言っても私はかまわない。
 自分は自分をろうそくにして歩むべきと思うからです。
 「九条の会」に入った動機もそこにあります。
      (全国革新懇ニュース04年7月・8月号)
 つるみ しゅんすけ    1922年東京都生まれ。
 米ハーバード大卒。京大、東京工大、同志社大などに勤める。
 主な著書に「限界芸術論」「戦時期日本の精神史」(大佛次郎賞)、「鶴見俊輔著作集」十二巻など。

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主権者が主権者らしく判断し、
発言できる社会を
辻井 喬(詩人・作家)
 母校である私立小学校で二十年、理事長を勤めています。教育、憲法問題に加えて、宮本百合子(作家)の思い出も聞きました。
教育基本法改悪に反対
 − 教育基本法の改悪に反対されていますね。
 いま現場の先生方はとても苦労しています。報告書ばかり書かせられて、子どもたちと接触する時間や社会的生活が奪われている。
それを何とか改善しようとすると、教育委員会に提訴される。
そうした制度上の欠陥を放置しておいて、「教師が悪い」「教育基本法を変えろ」というのは本末転倒です。
 「古い教育」 に戻そうとする動きもあり、東京・町田市のように君が代を歌う声量まで調べられる。
児童の自由意思を無視する統制社会そのものです。
 母校の理事長を引き受けたとき、進学校になっていました。
卒業生がどうなっているか、いくつかの中学校にたずねると、「最初は成績がいいがだんだん落ちてくる。覇気がない」と言われました。
体育、図画工作、音楽の時間を増やし、全人教育をめざすカリキュラムに変えました。
 子どもたちに自主的に判断する能力をだんだんとつけてもらう、これが教育です。
侵略戦争は歴史的事実
--侵略戦争美化の歴史教科書を押し付ける動きもあります。
 まだタイムカプセルに入っている人が大まちがいを言っている場合がある。
子どもには事実を教えるべきです。
戦前は一流の国は植民地を持つものと考えられており、政府の機構に拓務省つまり植民地経営省が実在しました。
教科書では客観的な事実として、あの戦争が侵略であったことを教えるべきです。
--望ましい社会像については。
 いま「教育崩壊」と言われますが、企業にとってはもっけの幸いの社会です。
フリーターを安く使えるとか、教育されないまま企業に入ってくるので企業の鋳型にはめやすいとか。
 しかし、社員が自由にものが言え、企業批判もできて、それが有効に生かされれば、企業にとってもプラスです。それを抑圧していると、日本は国際競争にも負けていきます。
 主権者が主権者らしく判断し発言できる社会、その結果として調和が生まれるのが一番いい社会です。
 米国に言われる改憲
− 憲法「九条の会」に賛同し、「いまこそ九条があることの意義が大きくなってきた」とのメッセージも寄せられていますね。
 「憲法はお仕着せだから変えろ」という議論がありますが、その議論こそお仕着せです。
アメリカに「改憲を」と言われているからです。
日本の対アジアとの貿易は大きくなり、中国貿易は膨らむ一方です。
それを改憲で関係をまずくして日本にどこにプラスがありますか。 改憲をいう人のコモンセンス (常識)を疑います。
 --教育基本法や憲法の改悪を阻止する展望は。
 あると思います。
自民党などのなかにも「それは良くない」という声がでています。
希望は捨てていません。
 宮本百合子の思い出
--東大在学中に宮本百合子さんの東大での講演を計画、準備されたそうですね。
宮本百合子さんが亡くなる前の年(1950年)の十二月八日です。
おそらく宮本百合子さんの最後の講演会でしょう。
ぼくは宮本邸までお願いにいきました。
「十二月八日に反戦集会をやります。希望者が多いのでぜひお願いします」と。
「風邪をひいて調子が悪いんだけど、学生さんがやるんだったら行かなきゃならないわね」と言って、来てくださった。
 講演メモは八百屋さんがダイコンなどを包んだ紙に、座談会で獅子文六氏(作家)が「反戦運動など噴飯物だ」と言ったのに対し、「どこが噴飯だ。はっきりさせろ」と言ったことなどが書いてありました。
 宮本百合子さんの病気は、あの講演会が引き金になったのではと思うと、ほんとうに辛いですね。
        (全国革新懇ニュース05年4月号)
 つじい たかし(本名・堤清二)1927年東京生まれ。
日本ペンクラフ理事。日本文藝家協会常務理事。
主な作品に『異邦人』、『虹の岬』、『風の生涯』など。04年、『父の肖像』
で第五十七回野間文芸賞受賞。

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爆弾の下には町があって、
生活があって、
愛し合う人たちもいる---
滝田 栄(俳優)
 取材終了時、お礼をのべると、「こちらこそ、こういう機会をいただき、ありがとうございました」と言われました。平和への熱い思いは、その誠実な生き方や父親の戦地での苦しい体験談などに裏付けられた説得力あるものでした。
広島で被爆した父
 私の父はあの戦争中、広島の軍隊にいて被爆しました。
兵舎は将棋倒しになり、町も消えた。
ぼう然としていたら、街の方から全身にガラスが刺さった人や皮膚がぼろ切れのようにぶら下がった人たちがぞろぞろやってきたそうです。
 負傷した人たちをなんとか助けなければと、原爆のあとの黒い雨を浴びながら街中を走り回って、できることをし続けたといいます。
父は後遺症が心配されましたが幸運というか、なんともありませんでした。
 父はその惨状をきちっとぼくに話してくれました。
 同時に原爆二世の子どもたちに、白血病が出るかもしれないという話を開かされて、怖かったですね。
ショックを受けた戦場の情景
 子どもの頃、家の倉庫で遊んでいると、父が兵隊で行った中国から持ち帰った鞄がありました。
 それをこじ開けると、写真が出てきて、柿の木のような木の枝に人の首がぼんぼりのようについていました。
 その前で日本の兵上が刀を杖のようについて得意満面な顔で写っていた。
「えっ、なにこれ」と、すごく気持ちの悪い写真でした。
 ある日、父に、「どういう写真なの?」と聞くと、当時の日本軍は中国人を「あいつはスパイだ」「試し斬りだ」と言っては斬ったといいます。
 穴を掘らせ、その前に正座をさせ、後ろから首を斬った。
 父は「私は斬らなかったが、現場に何度も立ちあわされた」と話してくれました。
 それから、ある日、ぼくが風呂に入って最後に手ぬぐいを絞ってパッとはたくと、父は「首を斬ったときと同じ音がする」と言ったことがあります。
 殺戮の情景を長く記憶する父の姿にふれ、ぼく自身も残虐な戦場にいたくらいのショックを受けました。
戦争の危険のなかで
 なぜいま、戦争、戦争って進んでいくのか、と思います。
 ベトナム戦争が終わった頃、サイゴンからハノイまで旅をしました。
 戦争を記録する記念館に行くと、アメリカ軍が使った拷問の道具が陳列されていました。
 ここまで人間がやるのかというような、言葉では言えない残虐な記録が残っていた。
 拷問の道具の数々の上には枯れ葉剤の奇形児たちがホルマリン漬けになって並んでいました。
 湾岸戦争のときも、花火みたいに爆弾が落とされました。
 あの下には町があって、人がいて、生活がある。
 愛し合っている人たちもたくさんいる。
 そういう人たちが一瞬にして手が取れて足が取れて、頭も吹き飛んでしまう。
 アメリカはいま自分たちがしてきた、こうした戦争の実態を知っているのでしょうか。
 想像力が欠如しているのではないか。
 テーブルの上でテレビゲームを見ているような感覚で、戦争を決定し、遂行しているような感じがします。
 アメリカなど戦争をする人たちにはベトナム戦争の結果や広島・長崎の平和資料館などをちゃんと見てもらいたい。
 イラクのフセインにもテロのビンラディンなどにも言いたいことです。
 アメリカの兵器を作る会社とその会社に投資した人たちもその現状を見る責任がある。
 みんな戦争は残虐という実感がなくなっているのではと思います。
憲法の理想を掲げて
 最近、憲法を変えようという動きがあります。
 実はぼくは二十年位前、レコード会社に依頼されて憲法を朗読したことがあります。
 それまでは憲法をよく知らなかったのですけれど、「世の中にこんなにユートピアのような理想社会があるのだろうか」と感動しました。
 戦争を放棄する、紛争の解決にも武力を使わない、人間の尊厳を一番大事にすると、すばらしいことが書かれている。
 そのカセットテープは結構売れました。
 ですから最近の憲法「改正」の動きについてぼくは「どういうつもりなのかな」「あれを超える理想はないのに」と思います。
 現在の憲法は第一次大戦や第二次大戦などで人類史上最悪の悲劇を経験し、それらを深く反省したところで一行一行構築し、完成されたものです。
ほんとうの理想を掲げて、それに向かつてみんなで努力しましょうという文章です。
 それをやめようというのは 「理想を捨てよう。逆戻りしよう」ということです。
 自分の父親世代が経験した悲劇のうえに立って、ものを言ってほしいと思います。
「人間ってすてきだな」
 ぼくはどうせ生きるならば、どこかでいい仕事をしたいと思います。
 ウケねらいのためならば、なんでもやってしまう仕事ではなくて、「人間って、すてきだな」と少しでも言える仕事をと、ずっと願っています。
 政治的な行動や関わりを持たないぼくですけれど、父親の苦しんだ経験などを聞いているうちに、そういうことが育ってきて、少しでも表現できたらいいなと思います。
      (全国革新懇ニュース02年12月・03年1月号)
 たきた さかえ 1950年千葉県生まれ。中央大学中退。
NHKテレビ「徳川家康」、「なっちゃんの写真館などに出演。
舞台「レ・ミゼラブル」に十六年間、テレビ「料理バンザイ」に二十年間出演。
著書に『滝田栄の手料理まるごと』。

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このページは、「全国革新懇」発行の「全国革新懇ニュース」および同会発行の「憲法と平和と私 21人の発言」から出典させていただきました。

「憲法を守るべき」と考える
財界人は多数
品川 正治 (経済同友会・終身幹事)
宝物のような憲法九条
 二十一世紀に世界が一番追求しなければならないことは 「平和」です。
大国でそこに一番近いのが憲法九条を持つ日本です。
宝物のようなこの憲法九条をなぜ、いまの時代に捨てようとするのか、まったく理解できません。
 経済三団体がそれぞれ改憲案を提案したことで、経済界はまとまって改憲へ踏み出したとみる意見がありますが、私はそうは思いません。
公然と発言はできないが、憲法九条を守るべきと考える人びとは経済界にも多数います。
現代の戦争とは
 私は大学在学中に召集を受け、一兵卒として中国の前線に送られ負傷しました。
いまでも足には銃弾が入っています。
 私が憲法九条を変えることに反対するのは、戦争で負傷したからだけではありません。
 敵を殺す、自分の仲間が戦死をする、戦場にいかなくても家を焼かれ身内や友を失う、これが現代の戦争です。
 また、いったん「戦争」や「軍」という言葉が人びとの心をとらえるようになると、「人権」 や「自由」など人間らしい生活を営むための普遍的な価値・原理が後景に押しやられ、「勝つ」という価値・原理が前面に出てくる。
「そのためなら何をしてもいい」という深刻な価値の転換が起こるからです。いまのアメリカがまさにそうです。
世界に例のない経済モデル
 戦後日本は六十年近く、平和を国是として国家主権の名の下に一人の外国人も殺していません。誇るべきことです。
 そして、アメリカやロシアのように軍と産業が癒着した「軍産複合体」をつくることもなく、経済大国をつくりあげました。
これも世界に前例のない経済モデルなのです。
        (全国革新懇ニュース05年3月号)
 しながわ まさじ 1924年神戸生まれ。財団法人国際開発センター会長。日本火災海上社長・会長、経済同友会専務理事などを歴任。

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好きだったアメリカの再生を
猿谷 要(東京女子大学名誉教授・米国史)
 米国史研究が半世紀を超えました。その深い分析を通じて、いまアメリカヘの気持ちは複雑なものがあるといいます。それは戦争体験や憲法に真摯に向き合う姿勢からも生まれています。
衰退するアメリカ
 アメリカという国が長い歴史の段階で徐々に衰えていく、そのきっかけを作ったのがこんどのイラク戦争ではないかという気がします。
 イラクは世界文明の発祥地みたいなところです。そういう世界で一番古い文化のある国へ、世界の一番新しい文明の国が入っていって破壊した。これはみんなから愛されるはずがない。
 あの戦争に踏み切ったとき、アメリカの兵隊は「勝てばいいんだ」「勝てばそれで終わり」ということだけで行ったと思います。
そのため、たとえば歴史的に貴重なものが保存されている美術館や博物館も略奪された。
イラクでは部族の対立が激しいということも知らなかった。
一方、アメリカ国内をみると非常に貧しい人たちがいまでも住んでいます。
アフリカ系やスペイン語系の人たちの貧しさと超一流の金持ちとの間には信じられないほどの差があります。
それでもブッシュ大統領はものすごい額の国防費をもっと増やそうとしている。
 こういう国が世界中から愛されて続くということはありえないと思います。
アメリカを恐れる国はあるかもしれないけれども、アメリカが好きで愛しているという人はとても減ってきた。
ぼく自身がそうです。昔はアメリカが好きでアメリカを愛していました。ところがいまはアメリカ人は好きですけど、アメリカという国家は好きでなくなりましたね。
ブッシュ政権は一期で終わらせたい
 いまイラクには大量破壊兵器が存在しなかったことがはっきりしてきました。
 またイラクではいまだにテロが毎日のように大規模に続いている。このことはテロというより、イラクの民衆の支持を得たレジスタンスではないか、そう考えた方がいいような気がします。
 イラク戦争に大義名分がなくなり、民衆のレジスタンスが続いていることを供せ考えると、アメリカがイラクから手を引くことは難しくなってきたと思います。
どういう形で手を引けるか。ベトナム戦争みたいに何年も戦争が続くということになると、アメリカのなかにも反戦運動が起こつてきます。
日本政府は憲法第九条を世界に発信すべき
 ぼくはブッシュの父親が大統領選に勝ったとき、すぐ新聞に「ブッシュは一期四年で終わる」という文を書き、その通りになりました。
こんども一期四年で終わるというのではなくて、一期四年で終わらせたいという感じです。
 こんどイラクに日本が自衛隊を派遣したことについて、「湾岸戦争のときに莫大なお金を出しても、貢献したと世界から思われなかったので」という議論がありますが、これは論理的に正せば外務省に責任があったと思います。
 日本には憲法第九条があり、それは戦争を放棄しているということを、いろいろな機会、国際会議などの場で言わなければいけなかった。
しかしそれを言っていない。だから世界の国はそれを知らない。知らないから「日本はお金だけで解決しようとした」ということになるわけです。
 日本は戦後何十年もアメリカの傘のなかに入ってアメリカの言う通りになってきました。
だから日本が国連の安全保障理事国に入ることにも、「日本が入ると、アメリカの票が二倍になるだけだ」と言って反対する国があるわけです。
 小泉首相は「改革」を叫びだしたとき、もう少しハト派寄りかなと思いましたが、靖国神社参拝の問題でもそうですけれど、タカ派でしたね。
「赤とんぼ」の教官に
 ぼくはあの戦争中、陸軍のパイロットでした。
 基本操縦学校を出るとき、教官要員に選ばれ、「赤とんぼ」という練習横に乗っていました。
飛行機を輸送中、アメリカのグラマンに遭遇したこともあります。
 基本操縦学校を卒業したとき、大部分の同級生が戦地に行き、台湾やフィリピンで相当戦死しました。
 パイロットでありながら生き延びたぼくは、ものも言わないで死んだ同じ年配の人たちの代わりに、「なにか言わなればならない」という気持ちがどこかに絶えずあります。
 いまぼくは八十歳になりましたから、「言うなら、いまじゃなきやだめだ」という気持ちも強いですね。
         (全国革新懇ニュース04年2月号)
 さるや かなめ 1923年東京都生まれ。東京大学大学院
修士課程修了。七一年より東京女子大学教授。ハーバード大、ハワイ大、コロンビア大などの客員研究員も勤める。
著書に『歴史物語アフリカ系アメリカ人』 『物語アメリカの歴史』 『ハワイ王朝最後の女王』等多数。

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憲法と同じ精神で
平和をつくろうとする人は
世界にたくさんいます
君島 東彦 (立命館大学教授・憲法学)
 国際NGO (非政府組織) の役員として、世界の平和構築に東奔西走。
本稿も海外の出張先に送稿してみていただきました。
 肌で感じること
−  「いま世界には日本国憲法と思想・方法を同じくする一大潮流がある」と指摘されていますね。
 私は九〇年代の初めからNGO活動に関わり、世界の平和運
動に参加してきました。
 日本国憲法は前文、九条の戦争放棄や戦力不保持に示されるように、非暴力平和主義です。
 世界のNGOの会議に出席すると、この非暴力主義と同じように、あくまでも武力行使によらない手段で、非暴力的に平和を追求すべきと主張する人たちに、そこかしこで出会います。
 この立場にたつ非暴力平和隊というNGOも二〇〇二年、インドに四十七カ国から約百三十人が集まって設立されました。
 武力行使を認める国連憲章第七章についても「克服すべき」「第七章ではない国連を盛り立てていくべきだ」と、自分たちの経験や運動から主張するNGOがいます。同七章を克服すると、結局それは国連憲章が日本国憲法に近づくことを意味します。
 日本国憲法と同じ精神で平和をつくろうとする人たちは世界にたくさんいる、一つの潮流として間違いなくあると、肌で感じています。
人類史的な挑戦
−  「非暴力は理想」という議論もありますが。
 歴史をみても、武力が持続的な平和をもたらした例はたぶんないと思います。
 たとえばコソボの民族問題がNATO(北大西洋条約機構)の空爆によって解決したと見る人はどこにもいません。
 ドイツはその失敗を痛感するからこそ、イラクに派兵していません。
 武力を使うやり方に慣れてきた人間はつい武力を行使しますが、それが根本的な解決に至っていない。
 日本国憲法の方向で平和をつくる試みは武力行使の経験よりも浅く、険しい道ですが、長い目で見れば人類はこの方向以外にありません。
 人類史的な挑戦だし、挑戦すべきだと思います。
東アジア全体の枠組みを
− 「日本の安全はどう保障されるのか。その制度は」との問いについては?
 東アジアの全国家をメンバーにするような普遍的、包括的な安全保障の枠組みをつくり、そのなかで互いの安全を保障する、そのために努力すべきです。
 それが憲法の前文「日本国民は、‥・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」の趣旨だと思います。
 その枠組みのなかで日本の安全は保持されるだろうし、中国が怖いとか北朝鮮が怖いとかいう問題も東アジア地域の問題として考えられるべきです。
 そういう意味で北朝鮮の核問題などを討議する六カ国協議はまだ未知数なところがありますが、一歩前進だし、政府間交渉だけではなく、市民社会、NGOもかかわることが大事だと思います。
信念を実践したい
−NGOでの実践など、行動のおおもとにはなにが?
 憲法の人権、民主主義、平和主義は一国の問題ではなく、地球社会の問題です。
 いかに日本の国会、永田町をコントロールするかの課題と同時に、国連や世界銀行などをどうコントロールするかの課題があります。
 NGO活動は憲法を実現するのです。
 教壇からものを言うことに加えて、自分の信念を実践したいですね。
       (全国革新懇ニュース05年2月号)
 きみじま あきひこ 一九五八年栃木県生まれ。早稲田大学卒。
国際NGO「非暴力平和隊」理事。共著に『平和・人権・NGO』(新評論)、『有事法制を検証する』(法律文化社)など。


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自衛でも国連委託の
戦争でもない
不法なイラク戦争
加藤 周一 (評論家)
 アメリカのイラク戦争はその帰すうがどうなったとしても、その不法性、非人道性はきびしく批判されなければなりません。
 加藤周一さんは日本だけでなく世界的に認められた知識人です。
 世界を揺るがすイラク戦争問題で発言をお願いしました。
 米国の政治・倫理責任は重大
 いま超大国アメリカは圧倒的な軍事力をもっています。国際的な懲罰を科すことは事実上不可能です。
 このためアメリカの政治的、倫理的責任はメキシコやカナダなどの 「普通の国」より非常に大きい。
 それをアメリカは本来自覚し、もっとも慎重に行動しなければ、世界は困るわけです。
 ところがアメリカはイラクで戦争を起こした。この戦争はイラクの軍隊がカリフォルニアに弾を撃ち込んで始まった戦争ではなく、国連憲章が認める自衛戦争には明らかに入りません。
 また、国連が米国に委託した戦争でもない。
 国連憲章はこの二つ以外のすべての戦争を非合法としています。
 国連憲章以外に総合的な国際法体系はありません。したがっていまの戦争は、国連憲章=国際法に従えば不法であり、不法な戦争は一種の犯罪です。
 人類は第一次大戦、第二次大戦の二つの戦争を経過して、また二十世紀の長い間努力して、「強い者勝ち」というジャングルの論理から脱却し、国連憲章に到達しました。
 アメリカのこんどの戦争はそれを破壊することになります。
独立国の尊厳の喪失
 日本政府はアメリカのイラクヘの戦争を支持しました。
 アメリカに言われれば、ただもうみんな賛成だと言う。
 しかしこんどの戦争は世界中の人が反対する、非合法の戦争です。それを支持するというのでは独立国としての尊厳が失われていると思います。
 福沢諭吉は「学問のすすめ」 で「一身独立して一国独立」と言いました。
 一国独立しないと一身独立もしないわけで、今回の日本政府の態度はじつに人間的に情けない。
 「倫理教育」とか 「愛国心が必要だ」とか言っても、何を血迷ってそう言っているのかということになります。
 倫理は人間としての誇りがあるところで始まるものです。
 戦後最大の反戦運動はベトナム反戦とこんどの戦争反村運動です。
 ベトナム反戦は戦争末期に起こりましたが、今回の反戦は戦争が始まる前から起こつた。歴史上、画期的なことです。
 それとこんどの運動のほうが世界に広がっている。
米国の批判者を力づける日本の運動
 加えて「英国型」 のように、政府の行動様式と圧倒的な大衆の意見が食い違っていることも特徴です。
 このまま戦争が長引けば、ブレア英首相どころかブッシュ米大統領自体が危なくなるかもしれない。
 ベトナム戦争反対の大衆運動に追い落とされたアメリカのジョンソン大統領のような例が起こるかもしれません。
 この点で日本でも国民が戦争反対の明確な意思表示をすることが大事です。
 アメリカのなかの批判者を、「日本人も反対しているじゃないか。英国人も反対しているじゃないか。スペイン人も圧倒的多数が反対しているじゃないか。それぞれの政府は戦争を支持したけれども、国民の大多数の反対は否定できない」と力づけるであろう効果は大いにありうると思います。

        (全国革新懇ニュース03年4月号)
かとう しゆういち 1919年東京生まれ。
 カナダ、ドイツ、アメリカ、日本なとの大学で教鞭をとる。
 文芸評論、芸術論、政治論と活動は多彩。
 主著に『日本文学史序説』『羊の歌』『加藤周一著作集』など。


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憲法九条は人類の英知
戦争がどういうものか
知らせていきたい
加藤 剛 (俳優)
同じ思いの人たちとともに
− 全国革新懇総会(05年6月11日) にメッセージを送つていただき、ありがとうございます。
 みなさんががんばってくださつているから、私も微力ながら自分の気持ちを伝えたいという思いです。
− 連帯の言葉に励まされています。
 みんなが平和を享受するためには同じ思いを持っている人たちといっしょにいま、なにかをするのが基本だと思っています。
ここで負けてはいけない
−メッセージに日本国憲法を「人類史が到達した最高の英知」と表現されていましたね。
 ちょうビ15年前、日本国憲法を全文、朗読したカセットテープを世に出したんです。
 練習のために何回も何回も音読するうち、日本国憲法は人類の到達した最高の英知だと思いました。
 とくに第九条二項の戦力不保持は戦争をする道具をすべて放棄するという内容です。すばらしいと思います。
 日本が世界に誇るべきものだし、地球の永遠の平和への指針になるものではないでしょうか。
 きょう着ている憲法九条のTシャツは背中に九条の全文が書かれています。これを着ていれば一人でも意思表示ができるし、着ていると道で出会った人に「九条ってなんですか」と聞かれるなど、関心を持ってもらえるんですよ。
−自民党が改憲案を出し、自衛軍の保持を書き込みました。
 (自衛隊をイラクなどに) 海外派兵していますが、武器を持って行っても使えないということが憲法九条の具体的な抑制効果になっています。
 それを堂々と (自衛軍を) 「保有する」と憲法に書き込んだらとんでもないことになる。ここで負けちゃいけません、絶対に。
 日本がじわじわと地滑りをしていると感じます。
 日常では隠れているけれども、気がついたときに大きな穴があって、いままでの平和な生活が舞台装置のようにすっぼりとなくなってしまうという事態を恐れます。
戦争を直接知る世代として
 -憲法を大切にしたいという気持ちの大もとに太平洋戦争の記憶があると言われていますが。
 終戦のとき国民学校一年生で、戦争を目の当たりにしました。 機銃掃射されて逃げ惑う人、飛行機が火の玉になって空から落ちたり、爆音を轟かせて侵空するB29も見ました。
 私の姉の夫は (マリアナ諸島の) テニアン島で玉砕しました。 戦争は人間を狂気にさせます。戦場でなくても自分より力のないもの、弱いものをいじめ、差別するなど人間を歪めてしまいます。
 だから戦争放棄のこの憲法は絶対に曲げてはいけない。
 六〇年安保の頃、私は学生でした。いつも、あのとき安保改定を防げなかったかという気持ちがあります。
 いま戦争する国になっていくことを防げなかったら、いま以上に後悔すると思います。
 戦争を直接知る最後の世代の私たちが意思表示しないといけない。
 戦争とはどういうものか、事あるごとにみんなに知らせていきたいと思っています。
--戦争体験と平和を願う思いを、下の世代、若い世代にも伝えたいということですね。
 そういうふうにしたいですね。そうでないと戦争で青春を失い、亡くなった人たちが浮かばれませんよね。
 忘れるということは、戦争で死んでいつた人たちへのたいへん冷酷な仕打ちだと思います。
 みんながテレビや映画、演劇、文芸などを通して追体験をして戦争の愚かさを知り、絶対にしちゃいけないと、とくに若い人に知ってもらいたいですね。
 私たちにはそういう作品をつくり、知らせていく義務があると思っています。
平和を基本に
--俳優の仕事でうれしいと思う瞬間は。
 みんなの生活が平和を基本とするものにならなきゃいけないといつも考え、芝居や映画などに出演するときもそれが根底にあります。
 どんな作品でも人間の幸福に役立つものでなきゃいけないと。
 だから自分の思いを込めて出演した作品を観た人が、「感動しました」「明日も元気で生きていこうと思いました」と言ってくださったときが一番うれしいですね。
             (全国革新懇ニュース05年9月号)
 かとう ごう 1938年静岡県生まれ。代表作は「人間の条件」「大岡越前」「砂の器」「伊能忠敬−子午線の夢」など多数。
 05年夏の作品「同窓会」(出演は他に愛川欽也、池内淳子、川原亜矢子など)では戦争で青春を奪われ、戦禍に命をおとした親友たちへの「罪悪感」を抱えて生きる主人公の元高校球児を熱演。


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人間のやさしい感情を奪う戦争
大路 恵美 (女優)
おおじ めぐみ
 舞台「スリー・テナーズ」で、一風変わったお嬢様役に挑戦しました。
 「悪意がない素直な女性なのでかわいらしく演じられればいいと思いました」。
 同劇は純真無垢な中年の兄弟と指名手配中の男女が織りなすコメディー。
 「プラスのパワーがあふれている舞台です。観る人も笑うことで幸せな気持ちになると思います」
 全国革新懇のイラク派兵反対・著名人アピールに賛同を寄せました。
 「日本が兵器を持っていくと、そこでたたかうことになるかもしれない。
 戦争は人間のなかの優しい感情を奪ってしまう。それがすごくつらいです。
 日本は持つている技術で復興の手助けをしてあげればいいと思います」
 95年に、悲惨な沖縄戦を描いた映画「ひめゆりの搭」に出演。
 またあのような作品に出てほしいと話をすると、「機会があったら出たいです」とのべつつ、「防空頭巾とモンベは似合うんです」。
 茶目つ気たっぶりでした。
          (全国革新懇ニュース03年10月号)

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ebina

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平和の尊さを何よりも訴えたい
東京大空襲慰霊碑・像への思い
海老名香葉子(エッセイスト)
 東京・上野に05年3月、東京大空襲の慰霊碑と母子像を建立。除幕式では「これも亡くなった人びとの力だと思います」と挨拶した。
 60年前、東京では米軍の無差別爆撃で十万人を超える人びとが犠牲になった。
 海老名さんも両親を含む家族六人を一度に亡くして戦災孤児に。親戚や知人の家を転々としつつ、生き抜いてきた。
 いま東京大空襲犠牲者を悼む碑や像を、なぜ私財まで投じて、人びとが集う場に建立したのか。
 国や都が建立しなかったことはもとより、その思いについて「無念の死を遂げた人たちへの冥福はみんなが平和で幸せになること」「戦争の無惨さを体の続く限り伝えなくてはならない」と語る。  平和の尊さをなによりも訴えたいという強い気持ち、理不尽きわまりないあの戦争への不同意や怒りが込められている。
 平和を切望する姿勢はいまの政治にも貫かれている。日本が米軍の戦争に協力するガイドライン法や有事法制、イラク派兵、それらに反対する全国革新懇のアピールに次々賛同。
 憲法九条についても「守り通さねばならない」と決意は固い。
 知性と勇気が示されている。 
 今回、車京大空襲のメモリアルソング「蓮花(れんか)」の作詞も手がけ、除幕式で紹介された。
 次女の泰葉(やすは)さんは「母は沖縄戦の歌『さとうきび畑』が大好きです。『東京大空襲の歌もできないかしら』と口にしていたので、母の夢がかないました」と語り、涙を流した。
 「少しでも世間様のお役に立ちたい」。他を思いやる気持ちは親から深い愛情を受けて育ったことと結びつく。
 そのエッセイには母親と、菖蒲湯やゆず湯につかる場面の思い出などが多くしたためられている。
 母親は最後の手紙に愛情を込めて「かよ子は明るく元気で強く生きて下さい」と記した。
 今回の建立は戦後六十年、親の期待を背に、前を向いてひたむきに歩んできた人生の結晶でもある。
       (全国革新懇ニュース05年4月号)
  えびな かよこ 1933年東京・墨田区本所生まれ。
 名竿師といわれた「竿忠」の一人娘として育つ。
 52年に落語家の林家三平と結婚。80年、三平師匠死去後、おかみさんとして一門を支える。
 長男は九代目林家正蔵、次男は林家いっ平。
 著書に『ことしの牡丹はよい牡丹』『うしろの正面だあれ』『半分のさつまいも』(05年8月、アニメ映画として公開)。

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utihasi

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人間こそ主人公---
「もうひとつの日本」は可能です
内橋 克人(評論家)
 著書 『もうひとつの日本は可能だ』 (光文社) はアメリカの対イラク戦争の意図を鋭い視点で解明。あわせて異常な対米追随を続ける日本政治から、新しい日本への転換が可能であることを示しています。
イラク攻撃---
「世界市場化」への組み込み狙う
 アメリカによる対イラク攻撃は当初、「大量破壊兵器の隠匿、その脅威を取り除く」 というのが、掲げられた大義でした。
 これに私たちの国の政府は積極的支持を表明しました。
 しかし、いまだ大量破壊兵器の存在証明につながる証拠は一片だに発見されていない。
 国連の決議もなく、イラク攻撃にアメリカを駆り立てた真の動機はどこにあったのでしょうか。
 私がこの著作のなかでえぐり出したのは、次の事実です。
 アメリカはこの地球上に存在するものすべてを利潤追求の対象とする 「世界市場化」 (グローバライゼーション) にイラクを組み込み、それを突破口に中東=イスラムの世界全体を資本主義市場経済に染め上げる、それがイラク攻撃の真の狙いであった、ということです。
 たとえばイラクのバクダッドに侵攻した米軍がまっ先におこなったことは、タンク車をもっている地元住民を探し出し、軍用の水を無償で与え、その水に値段をつけて一般の市民に販売させる、というものでした。「水」という公共財を売買の対象にさせる、そのことで、イスラムの世界に市場経済の仕組みを植え込むというものでした。
 よく知られているように、イスラムでは人もカネも神が与えたものとする強い信仰があり、労働の対価以外の報酬は受け取ってはならないことになっています。
 「マネー資本主義」 の原理を押し立て、世界市場化を押し進めようとするアメリカにとって、イスラムは最大の脅威と映っていることでしょう。
小泉「構造改革」に異議を
 アメリカをしてイラク攻撃に向かわせたこの論理を日本は対岸の火災視することはできません。
 アメリカ発の「世界市場化」に全面追随する日本政治、すなわち小泉内閣の 「構造改革」路線こそはその集約です。これによって相次ぐ企業倒産、容赦ないリストラ、絶えることのない過労自殺、格差拡大、国民負担の膨脹が続いているわけです。
 こうした進み方に私たちはいまはっきりと異議を呈し、どの国の国民であれ、人間をこそ主人公とする世界に生きる権利がある、いま、まさにそのような世界、日本を築きあげることは可能だ、と叫ぶときがきたのではないでしょうか。
  「もうひとつの日本」は可能です。生きる・働く・暮らす場で、それが頭をもたげはじめているからです。
 たとえば地域社会が日々吐き出す生ゴミを集めて、それを原料に無公害ガソリンを生み出す、そのような「生きつづける町」を可能にするためにこそ企業は存在しているのだ、と、声を上げる企業人が多く立ちあがってきました。
 農山村でも主婦たちが大地に根ざした農業を再興し、それを都市の人びとに直接、手渡す産直の店が賑わっています
 多くの主婦が、現代日本の、どこがまちがっているのか、そして自分たちは何をなすべきか、深く洞察する力をもち始めた。
 こういう人たちの地道な活動のなかにも「もうひとつの日本」 への力強い芽が立ち上がってきている、と思います。
戦争とは---
火の魂が降ってくること
 人間中心の経済・社会を訴えるその背景には悲痛な戦争体験があります。
 私の体験した一九四五年三月十七日、六月五日、二度にわたる神戸大空襲はすごかった。中学校のグラウンドは、じゅうたん爆撃で、ほとんどスキ間もなく斜めに突き刺さった焼夷弾の林になっており、水の流れる川には死体が折り重なって倒れていました。
 戸板で担がれ運ばれる負傷者は腹わたが飛び出し、その上にかぶせられた新聞紙が私の目の前で風に吹き飛ばされる。
 戦争とは何か。私にとっての戦争とは常に頭の上から火の魂が降ってくるということです。
 いま、生きているすべての日本人は、誰ひとり例外なく、誰かの身代わり、誰かの生命と引き換えに今日があるのです。
 私たちの戦争体験を、歴史のなかに封じ込めてしまってはならない、という私の意思は決して崩れることはないでしょう。
       (全国革新懇ニュース03年9月号)
うちはし かつと 1932年兵庫・神戸市生まれ。新聞記者を経て著述活動に。主著に『匠の時代』(全12巻)『共生の大地』『破綻か再生か』『内橋克人 同時代への発言』(全8巻)など多数。

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uehara-hiroko

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イラク派兵---
「日米同盟」は戦争への道
上原公子(東京・国立市長)
 全国革新懇ニュース03年6月号で有事法制について「市民の安全、自治を守りたい」とのべて反対を表明。読者から「市民はなんと幸せでしょう」との共感の声が相次いで寄せられました。市長も出先で「読みましたよ」と激励されたといいます。イラク派兵問題で首相に「違憲」との意見書を提出した、その勇気ある思いを聞きたく国立市長室を訪ねました。
米国と同じレベルに
 イラクのフセイン元大統領が拘束されましたが、同国では対アメリカということで相当批判があり、抵抗しているのはフセインの残党だけとは限りません。
 そこにアメリカの同盟国、日本から武器を持った自衛隊が送られると、イラク国民にすれば、アメリカと同じレベル、敵みたいに見えてしまう。
 しかも小泉首相は自衛隊を軍隊と位置づけたうえに、海外に派兵する。二重に違憲行為です。
 自衛隊が日米同盟のために海外に行くという大義ができると、日本はアメリカの戦争に限りなく巻き込まれていきます。許されないですね。
平和的支援を
 アメリカの「9・11」テロの遺族の一人と会ったとき、「自分たちを弔い合戦の盾にしてほしくない。フセインにしてもアルカイダにしてもブッシュにしても、戦争や武力を信仰している。自分たちは悲しみを乗りこえて、武力でものごとは解決しないという側にきちんと立ちたい」と言われました。いままさにそういうときだと思います。
 憲法も「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないように」(前文)するため、国民主権にしたとあります。
 日本はこれまで中東で武器を持たず、平和を愛する国民として信頼を築きあげてきました。
 いまこそ平和的支援を果たすことで、平和国家としての日本の真価を発揮すべきです。
憲法と若者
 いままで「憲法九条を守ろう」と言うと「古くさい」とか言われてきました。
 しかし政府が軍事力を持つことに力を得て、イラク派兵をきっかけにもっと踏み込もうとしているいまほど、それを「改正」することの意味が見えるときはないと思います。
 私は、おそらくこのままいけば徴兵制度につながるだろうと思います。
 若い人には「あなた自身にかかわる問題。あなたが決心しなければ」と、もっと見えやすく、わかりやすく訴えたい。
 改憲が公然と言われるようになったいま、いずれ国民投票をおこなうことになる。
 これまでは一部の者が戦争を決めました。しかし戦争をする国にするのかは、国民投票という形で国民一人ひとりの手にゆだねられます。
いくつもの出会い
 私には「戦争が何をもたらすかを問い続けよう」という思いがあります。その思いはいくつもの出会いが少しずつ蓄積されてできたと思います。
 高校生のとき、まだ本土復帰していない沖縄から″本土留学″してきたクラスメートが弁論大会で、泣きながら「いまだに私たちは米軍占領下にある」と訴え、衝撃を受けました。
 子どもを育てているときは、アウシュビッツ収容所から護送中に逃げ出して命が助かったという人を招き、「過去を伏せてはいけない。歴史はきちんと学ばなければいけない。自分は生き証人として、ドイツがどんなことをやったかをきちんと言いたい」という話を開きました。
 「次の語り部」として私のやるべきことはあるだろうと思いました。
 そして私は、いざ日本が戦争に突入するような時代になったとき、毅然と「いけない」と言えるだろうかと問うてきました。
 そういう事態になると、やはり「捕まるのではないか」とこわい。けれど、その問いをいつもしておこうと思ってきました。
 イラク派兵は多くの文化人、学者、政治家、宗教家が、また財界の人も憂えています。
 みんなで手をつなぐ工夫をして、とにかく声を出したい。黙っていてはだめですね。
       (全国革新懇ニュース03年12月・04年1月号)
うえはら ひろこ 1949年宮崎市生まれ。法政大学大学院修士課程中退。99年国立市長。03年再選。共著に『地球を救う133の方法』(家の光協会)など。

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 このページは、「全国革新懇」発行の「全国革新懇ニュース」および同会発行の「憲法と平和と私 21人の発言」から出典させていただきました。

憲法を守る人は
絶対にあきらめないこと
赤川 次郎 (作家)
 著書は小学校の図書室にも並ぶという幅広い影響力をもつ方です。
全国革新懇の「イラク派兵No。憲法が輝く日本を」ポスターの作製にも賛同。
日本と世界の現状、行方をとらえる視点は「歴史の流れ」に裏づけられています。
イラク派兵を憂う
− イラクヘの自衛隊派兵は憲法が禁じる武力行使につながりかねない大変な問題です。
 ともかく憲法があるのに、「いまは特別な事態だから」などと言ってそれを破っていたのでは、もう憲法の意味がなくなります。自衛隊派遣をどうこう言う前に憲法がなぜあるかを考えないといけない。
 ぼくが見るところ、今回(ニ〇〇四年)の自衛隊派遣はイラクでなくても良かった。出すほうにしてみれば、ともかく自衛隊を海外に出す実績をつくりたかったというのが本音だろうと思います。
実際、現地で自衛隊は土地の貸借の交渉も終わらないうちに宿営地の建設を始めた。いかに急いでいたかということです。
 なにも自衛隊がイラクに行く必要は全然ありません。「危険だから」といっても、武器を持っているからもっと危険だということもあります。武器を持っていると、撃ち返して関係のない人を撃ってしまうこともある。それは明らかに交戦であり、憲法で禁じていることです。しかも実戦の経験がまったくない人たちが行っているわけですから、鉄砲の弾が自分たちに向かって飛んできたらパニック状態になるだろうと思います。どんなことが起こるかわからない。
 そうした危険を承知で出しているのは、一度出してしまえばあとは簡単だという思惑が必ずあるはずです。
− イラクでは日本の非政府組織(NGO)が支援活動を行ない、現地の人びとに喜ばれています。
 自衛隊は橋をつくつたり、井戸を掘るのかもしれないけれど、それならばそうした専門家を出したほうがよほど能率がいいと思います。しかも現地では自衛隊のために整った娯楽施設までつくるという。借地料で他の国の何百倍ものお金をふっかけられたうえ、払ったら払ったで他の部族から文句を言われるだろうとも言われている。現地の事情がよくわからないまま派遣を決めてしまったという感じがします。
憲法に反した法律づくり
−イラクヘの自衛隊派兵と結んで憲法九条を変えようという議論がいまかつてなく盛んです。
 憲法を変えたいという人たちは憲法を変えるのは結構めんどうなことなので、「君が代・日の丸」法、盗聴法、ガイドライン(日米防衛協力の指針)法などを定めた小渕政権あたりから、明らかに憲法違反の法律をどんどんつくり、「憲法は事実上意味がない。どうせ変わっているのなら、いまさら改憲に反対しても仕方がない」という空気をつくる方向に変わっていった気がします。
 それをマスコミやジャーナリズムは止められなかった。そうした戦術の転換が向こうにしてみれば、うまくいったのだろうと思います。
−国民の多くは日本が「戦争をする国」につきすすむ道をけっして望んでいないと思います。
 そう思いますが、不思議なことに今回の自衛隊派遣でも支持する人はアンケートをとると結構増えている。けれどそれは支持というより、「無事に何もなくてすめばいいな」というような気持ちだろうと思います。
 「反対してもむなしい」という無力感みたいなものを持つことが一番こわい。それこそが憲法を変えたい人たちのねらいだからです。
 逆に憲法を守りたい人は絶対にあきらめないことです。いくら改憲の既成事実ができてもあきらめない。そういう法律ができても、「またその法律を変えるような法律をつくればいい」というくらいの、ある意味での楽観主義のようなものを持っていたいですね。
− 世界では「国際紛争の平和的な解決」という日本国憲法九条の示す方向が大きな流れになりつつあります。
 日本はアメリカに、それもブッシュ大統領だけに従っていて大丈夫なのかと思います。
 将来、アメリカの歴史のなかでいまがどう評価されるかというと、きっと「あのころのアメリカはひどかったね」と言われることになると思います。そのときに日本だけがアメリカの言うことを開いて同じことをやっていたというのは本当に恥ずかしい、日本人として情けないことです。
アメリカの不幸
--アメリカの歴史に許しい学者の方も「かつてはアメリカが好きだったが、いまは好きになれない」と言っていました。
 あまりに身勝手というか、そういうイメージがアメリカにできてしまうと、それはとっても不幸だと思います。
 ぼくの愛読者の女性が国連の職員になり、カンボジアに研修に行ってみると、地雷がいまだに沢山残っているというのです。一番多いのはアメリカがまいた地雷です。ベトナム戦争のときにベトナム兵がカンボジア領内に逃げ込むのを防ぐといって、カンボジア領内に地雷をばらまいた。しかしその地雷除去にアメリカが出動しないというのです。
 どこでも、地雷が一個でもあるということがわかると、その周囲何エーカーという土地では作物も何も作れない。除去するまでは危なくて何もできないわけです。地雷を子どもが踏んで足をなくしたり死んだりということも年中起きている。そんな状況にしておいてアメリカが始末にも来ないのはひどい、腹が立つと言っていました。
 こういうことでアメリカはどれだけ民衆の反感をかっているか分っていないのでは。
 赤川氏は二〇〇四年、国際的な人権団体アムネスティヘの賛同をこめて『七つの危険な真実』と還する文庫本(新潮社・五百円)を阿刀田高、宮部みゆきの各氏らと刊行しました。
 アムネスティも会員が不景気で減っているというので、自分の本業で協力できればと思いました。ぼくは言いだしっペなので一本新しいものを書いて百%、他の方は既刊の小説を収録して五〇%の印税をアムネスティに寄付するというものです。
歴史の流れを学びたい
−平和や人権に関心を持つようになったきっかけやそのおおもとにあるものはどのようなことですか。
 人間としての想像力だと思います。「自分がその立場になったら」と考えられるかどうか。
 自分は関係ないからと言ってしまったら、ぼくなどは身近に外国人の知り合いがいるわけでもないし、難民になったこともない。しかし、まったく理由なく子どもが殺されるとか、飢餓で死んでいくことなどは人間としてあってはいけないことです。
 これらは一人ひとりの想像力の問題であり、歴史を学んだりすればだんだんそういう気持ちにならざるを得ないような気がします。
 とくに歴史の流れをつかむこと、歴史を知っていることはとても大切なことです。たとえばテロリストと言っても歴史のなかで独裁者に反抗するような人間はみんなテロリストと呼ばれてきた。レジスタンスだって敵からはテロリストと呼ばれていたでしょうし。
 そういう点でぼくは中学、高校時代に非常に優秀な歴史の先生に教わったことが大きかったと思います。その若い先生は、まだそのころは中国などにはめったに行けないような時代でしたが、中国まで旅してきたり、年代をただ暗記させるような教育ではなくて歴史の流れをつかんで欲しいという先生でした。とても感謝しています。
     (全国革新懇ニュース04年3月、5月号)
あかがわ じろう 一九四八年福岡県生まれ。「三毛猫シリーズ」「天使と悪魔シリーズ」「花嫁シリーズ」などベストセラーを刊行。作品(『セーラー服と機関銃』など) の映画化も。

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このページは、「全国革新懇」発行の「全国革新懇ニュース」および同会発行の「憲法と平和と私 21人の発言」から出典させていただきました。

戦争放棄を堂々とうたう憲法
なくしたい核兵器
愛川 欽也 (俳優)
テレビ、舞台、映画にと多彩な活躍をしつつ、小説も出版。戦中、戦後、各地を転々としながら懸命に生きる母と少年の姿、日本国憲法のもとでの民主主義のいぶきが描かれています。お会いすると、知的でとても温かい方でした。
恩師から教わった
人間としての温かさ
− 愛川さんが書かれた 『泳ぎたくない川』(文藝春秋)は自伝的青春小説ですね。
 日本が太平洋戦争を始めたとき、ぼくは小学校一年生でした。それから四年間の戦争が続きました。四年生のときアメリカ空軍の爆撃でぼくは信州へ学童疎開をさせられました。
 ぼくは東京・巣鴨の生まれです。ぼくの家は貧しかったので借家でした。戦争が終っても故郷の東京へ帰れずに遠縁を頼って茨城、秋田、埼玉と転々と疎開生活をしていました。貧しい者と弱い者が一番最初に戦争の犠牲になるものだと思いました。
 戦後、中学の二年生のときですが、大宮で恩師岡田隆吉先生に出会いました。先生は兵隊では一番下級の二等兵で、運良く生きて、毛布一枚と乾パン何袋かもらって復員してこられたのでした。
 岡田先生は一生懸命になって民主主義をご自身も勉強しながら、ぼくらに教えてくれました。民主主義が人間にとって非常に大切であること、そういう社会や世界が望ましく、すばらしいことだと身にんみて分かりました。
 いまでも先生が接してくれた温かさみたいなものが、人間として一番大切なものだと思います。
 これはぼくだけじゃありません。いまでもときどき、そのクラスの同窓会がありますが、いまではみんな孫のいる世代なんだけど、このクラスは中学二年生のときの岡田先生の教えてくださった民主主義の座標が変わらないんです。
 岡田先生は数年前に亡くなられました。
 ぼくはその後、芝居の世界に入り、挫折は山ほどありますが、人間として生きていくために大切にしなければいけない座標は変わらないですね。
世界でも素晴らしい憲法
−小説のなかで、劇団の入試で出た「日本で一番大切な法律はなんだと思いますか」との質問に、主人公は「憲法」と書き、「その法律のどこが一番大切だと思っていますか」の質問に「戦争放棄」と記すシーンがあります。いま、この憲法を変えようという動きが強まっています。
 憲法について、アメリカのお仕着せで日本人がつくつたものではないなどの議論がありますが、ぼくは戦争放棄を堂々とうたっている憲法は世界でも非常にめずらしいことだと思います。自分の国からは戦争をしないということを誓った憲法はすごいものだと思います。そして誰がつくろうと、いいものはいいというのがぼくの基本的な考え方です。
 憲法に書かれている基本的人権なども本当に守られていたら、これもすばらしいことです。日本が憲法通りの国にできたら、日本は国際社会でも自慢のできる国家だと思うんです。
 でも、この憲法にいろいろ理由をつけて、仕立て直したいということがいまや普通にまかり通ってきています。井上ひさしさんとか大江健三郎さんとか、みなさんが心配しているのはよくわかります。
 憲法についてみんなできちんと読んだり、話したりするチャンスはあまりない。ですからいまあらためて憲法や平和について、いろんな形で運動が起きていることは、いいことだと思います。
 憲法というのは国の理想をうたったものです。憲法は国民を縛るものではなく、権力を握った人たちが暴走しないように、たがを掛けているのが憲法です。いまの憲法はちゃんとたがを掛けています。このたがを外したら暴走の縛りがなくなり、今度は憲法が国民を縛るようになることだってあり得ると思います。それが一番こわいことです。
− 小説『泳ぎたくない川』に主人公の親友で白血病で亡くなる被爆者の青年が登場します。〇五年は被爆六十周年です。
 核兵器を持っている国がいま世界の大国になっています。核兵器を持つことで外交上平和の理念を訴えることができると言う人もいます。「向こう三軒両隣も持っているから自分も」と言われると、核が何かいいもののように思えてくるんです。しかし、どの兵器も良くはないが、核兵器はもっともひどい大量殺戮の兵器です。戦争の形を変えてしまったんですから。
 日本はせめて、「核アレルギー」なんて言ってないで、被爆国なんだから、「核は持たない」、持っている国には「早くやめてくれ」と、本来なら一番言える立場の国です。そういう国でなくてはいけないと思います。
−− 小説『泳ぎたくない川』には母親の「弱いものをいじめない」という戒めや、母と子の愛情の深さが描かれています。
 「誰でも自分の半生を書けば一冊の小説が書ける」と聞いたことがありますが、ぼくの自伝的小説の中心はやはり戦争体験になりました。
 そして、この小説が母への鎮魂歌であることはたしかです。ぼくはわがままで甘えん坊でした。親孝行したかというとかなり怪しい。そういう意味でお袋にたいする思いというのはありますね。
      (全国革新懇ニュース04年10月、11月号より)
あいかわ きんや 一九三四年東京生まれ。埼玉県立浦和高校を経て俳優座養成所研究生に。映画やテレビドラマに数多く出演し、長寿番組「出没!アド街ツク天国」 (テレビ東京) の司会者、ニュース番組「愛川欽也パックインジャーナル」 (朝日ニュースター) のキャスターなどを務める。

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