ホーム

     読 者 か ら の 声    及 nbが意識した外からの目


 初めまして。私は今、信じがたい気持になっております。私はずっと以前(1年ぐらい前)から先生のことを存じ上げておりました。私は先生の著書である「科学的世界観」を拝読して大変感銘を受けた覚えがあります。
 数多くの、いわゆる自然科学概論の教科書の中でも大変優れた、わかり易いものであった記憶があります。
 その時私は、桜井先生に直接質問したいことが山のようにありました。しかし本の一番後ろのページを見ても特に連絡手段等も記載されておらず、どうすることも出来ませんでした。
 また、図書館で先生の著書を借りる機会がありましたら、たくさんの質問をさせていただきます。
 話は変りますが、私はインターネットを始めてから、まだ日がとても浅いです(今週の月曜に加入)。そして、興味ある自然科学&哲学のニュースを今日始めてダウンロードしてみました。すると差出人欄に見覚えのあるお名前が上がっていたので興奮しました。早速、過去に図書館で借りた本のメモを調べてみました。そのメモには、私が借りた数多くの自然科学系統の本が書いてありました。その中でわかり易かったものに印をつけておいたのであります。印をつけておいた書籍は先生の作品を含めて2冊しかありませんでした。
 先ほど、先生のe-mailアドレスに送信しましたが、返却されてきたので、ここでコメントいたします。
(1998/06/26)
      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 はじめてメールをお送りいたします。
 貴著は、2002年5月29日、図書館でみつけました。常日ごろ私が関心を抱いている分野の問題を端的にあらわされた書名が目にとまりました。見返しには「著者より寄贈」のスタンプがあり、著者略歴や出版社から、専門家でない方の自費出版に近いものだとお見受けしました。
 貸し出しを受けて帰宅し、「はじめに」を読むにいたり、殆ど私の考えてきたのと同じことをより明快に論理的に組み立てようという試みであることを知り、大いに感慨をもちました。
 やがて、これは手元におくべき書物であると思い、調べましたがオンライン書店を見る限り品切れの由。諦めかけていたところ9月初めにホームページを拝見するにいたり、全文をいただくことができました。有難うございます。
 お役に立てるような意見を申し上げる力はありませんので、このような試みをなさっておられる桜井様に共感の気持ちだけをお伝えしたい、というのがこのメールの主旨でございます。何故このような基本的な関心事をあつかった作が、大いに世に出ることがないのか、非常にもどかしい思いです。僭越ながら、読書人に十分訴えうるお作だと存じます。
 一方的な、著作の内容に立ち入らない感想のみで大変失礼いたしました。
 今後のご健闘をお祈り申し上げます。
(2002年10月26日)
      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

【注】 以下の8つは、平成14年9月から11月の3ヶ月間、Yahoo!掲示板の ホーム> 科学 > 科学史、科学哲学 > 科学的世界観で、議論をさせていただいた時のものです(メッセージ総数:671)。

 科学的知識を総合した所で、出てくるのは決まっています。ニヒリズムです。
 貴方の膨大な記述(大作)は、これからの部分への序章であるはずです。
(2002/ 9/ 7)
 世界理解、世界解釈を行って、貴方は何を得ることが出来たでしょうか。豊かになりましたでしょうか。
(2202/ 9/12)
 この科学的世界観(ないし唯物論、還元主義、認識的相対主義)は、当然の事柄として、認識論の前提的立場に当たるかと。つまり、当たり前の事なのです。誰もが知っておかねばならない事なのです。貴方の著作の中では、認識の限界なるものが指摘されていました。その通りですね。確かに膨大な科学的知識を一人の人間が所有し、尚且つ体系化する事は実質的に不可能でしょう。しかし、『この世には物しか存在しない』ということなら覚え易いでしょう。これは相対主義に反しますが(それにナチ的に聞こえますが)、すべての人間が、この認識を前提として認めなければいけないのです。形而上学(あなたの言うY)を語る際には、その上にたって議論すべきでしょう。その意味で、敢えてすべての人間が共有している筈のこの世界観を確認するのは、ナンセンスと言えましょう。
(2002/ 9/22)
 「科学的世界観」は緻密で素晴らしい出来栄えだと思いますが、個人的感想としては、線が細いというか「そこから先に進む推進力がやや弱い」感じがします。
(2002/10/ 4)
 世界は私と外世界からなると言う。その外世界の形容詞節を長くしようとしているだけ。  その行為の意味が私には分からない。科学者のごとく盲目的に、ただ記述したいからする、のでしょうか?  そんなことよりも、もっと大切なことがあるような気がします。
(2002/10/ 4)
 思想の価値は一体に何によって決まるのだろうか? 何のための思想なのか? 何のために科学するのか?  この問いに答えなくてはならない、はずである。
(2002/11/14)
 印象では、あなたの世界は寒そうですね。
(2002/11/14)
 あなたのスタンスは、科学的定義として適切だと思いました。ただ形而上学としては味気ないとも感じました。もし舐めて見たら鉄の味がするでしょう。
(2002/11/15)
      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 先ほど貴ページにいってきました。
 構想30年、壮大な底辺の広い構成をとられてますね。私にはとてもおいつかないところです。
 ちゃんと読み込んでなく、貴趣旨を汲めてないかもしれないが、若干の質問と感想。
 まとめページ:
>不確定性原理というものがある。世界の現象は原理的に確率的なものであって、決定論的な予測をすることはできない。
 不確定原理は測定できないことを宣言しただけであって、決定論の枠内にある。
>科学はそのような形で世界が「存在」しているとは主張しないのである。以上のような説明を受け入れたうえで、世界の存在について何らかの主張をするものが、科学的世界観である。
 おもしろい。
>自由意志というようなものは存在しない。
 自由意志は「知」と同じように「ある」ではなく、感じるものと思いますか?
(2002年12月30日)
      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 私は科学を担うことはできませんが、解釈しようと努力はしているつもりです。
 ご指摘のように科学と言っても、「トンデモ」もあるわけで、科学自体をどう定義するかから認識論、論理の問題にまで立ち入らな いと筋を通すのは難しいと思います。
 同じことですが、客観性を問題にするとき、主観に対して、そして主体性との関係において位置づけないと意識、心の収まりがつか なくなるので、やはり認識論、論理を無視できないと思います。
 何より世界観は、生きる指針を示すものでなくてはならず、現実の環境、資源、教育、人権、そして何より平和と民主主義の課題に 応えなくてはならないと思います。
 論点をかみ合わせるためには具体的に議論を進めるべきなのでしょうが、とりあえず全体を見せていただいた時点での私の思いで す。
(2003年1月3日)
      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 あれから5年もの歳月が経過したのですね。そうですか、『科学的世界観』は絶版となってしまったのですか。今、思い出しても優れた著作でした。誠に残念な思いです。
 読者からの声に載っている他の方がおっしゃるのと同様、「明快に論理的」な内容でした。
 あれから、自然科学に関する本を読む機会も少なくなり、最近では全く手にしていない状態であります。私があの時先生の著作から受けた感動に、少しでも報いるために、今再び本を手に取ってみようと思います。
(2003年2月11日)
      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 はっきり言ってしまえば、世界の統一的把握とはいったいどういうことなのでしょうか。あまりにも抽象的過ぎて理解できません。
 科学的な知識や事実が細分化されているのは、その一つ一つが膨大であるが故に過ぎません。
 例えるならこのテーマは『宇宙の全体像を見よう』という事になります。承知の通り宇宙という空間はあまりにも大きく、その全体像を俯瞰して眺めることは不可能です。ですから現時点で見える範囲や考えられる可能性を元にしてその全体像を仮定するより仕方がないのです。いずれ優れた科学を確立して宇宙の全体像を見れるようになる…そんな時代がくるかもしれませんが(まあ不可能な話です)、研究と仮説を続けて結果的に証明し、それでも未だ多くの謎を残している科学の現実を考えれば、統一的把握というのもが不可能であるということは解って頂けると思います。
 科学とは細分化して探求し、結果として関連性が見えてくるものだと思います。そしてそれは、まだまだ統一不可能な状態にあるのが現実でしょう。
 帰結及び限界と言うのなら、それは不可能であるという一言に尽きると思います。
(2003/02/17)
      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 とても細部まで思考・検討されていらっしゃるので私などが安易に批判できるようなものではないのですが,
 「学問とは,ある意味何か定義を作り出す事である」という師の言葉を思い出しました.「たった一つでも絶対に確実なものがあるならば学問など必要無い」と続くのですが,結局は,どんな偉い哲学者さんも思想家さんも世界って何だか分からなかったんで,とりあえず今生きてる世界を何とかうまいこと説明できるといいなぁって感じで色々難解なご本を書かれてきたんだと思います.最終的には「自分にとって世界とは何か?」を見つける手がかりになるのが哲学ではないかと.
 …でも,まぁ…あんまりそういうこと考え過ぎちゃって私の師はココロが病んで早死にしちゃいましたが…
(03/02/19)
      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 桜井さん、こんにちは。
 失礼なことですが、貴方の論文のダイジェストを拾い読みしました。全文は読んでいません。
 その上で、簡単な印象を述べることを許して下さい。端的に云うと、いくつかの分野の、一般的な科学の解説書の内容を纏めたもので、それ以上のものではない、というものです(著者自身の独創的な見解や思想がない)。
 ところで、ポアンカレの著作を読んだことがありますか? 思索の深さに感銘を受けるはずですから、ぜひ参考にしたら、どうでしょう。岩波文庫で3冊ぐらいあるはずです。
(2003年3月27日)
      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 ホームページに掲載されている『科学的世界観 ― 科学的知識に基づく 世界の統一的把握と その帰結及び限界 ―』の(全部は時間がなかったので)いくつかの章を拾い読みさせていただきました。私の見解と共通している部分も多く、なかなか興味深く感じました(ただし、最後の「科学の発想の枠を越えて」の立場は、決定的に異なっているようです)。私はインターネットの掲示板にアクセスしないので直接議論することはできませんが、Q&Aコーナーでの質問と回答という間接的な形ならば議論に応じられると思いますので、また何かありましたら、メールをお送りください。
(2003年03月29日)
      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 著者は科学者でも研究者でもなく、一介のサラリーマンである。そのため使われている言葉も小難しい表現では無く、一般的な言葉で丁寧に書かれている。中学・高校の生物の知識があれば十分理解できる。
 内容も、まるで小説のように一旦読み出したら止まらないくらい面白い。読み終えた後は、まさしく科学的な世界観でもって、システムとしての世界を捉えることができる。爽快な一冊。
amazon カスタマーレビュー 2003/03/31)
      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 概略の方だけですが、やっとこ拝読させていただきました。
 自分の思考力や文章力は批判や議論にあまり向いていない様なので、とりあえず感想のみで失礼します。
 自分は普段、超常現象ジャンル中心にうろついている者で、どちらかと言うと似非科学の好きな人間なのですが、それでも常日頃「科学とはこう言う物(であるはず)だ」と、うすぼんやり考えていた事があるのですが、ダイジェストを読む限りではその事がきちんと説明されているだけの様に思えます。
 自分が経験し、学んで来た事との違いは特に見いだせませんでした。自分の考える「科学的世界観」は大雑把で不明瞭ではあるものの、考え方の方向性は概ね間違っていないものと感じました。
(03/04/01)
      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

> 自分はどこから来てどこへ行くのだろう。自分の生きているこの世界はどのようなものであり、そして自分とは何なのか。人生の目的や意味は どこにあるのだろうか。
 私も若いときからこの問いに捕らえ続けられて生きてきました。科学的世界観」を熟読させていただいたうえで、私の考えたことなどを、投稿させていただこうと思います。
(03/04/13)
      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 大変興味深く拝見させていただきました。高校生の教科書として最適な内容ですね。非常に中身が濃く、まさに統一的な世界全体としての理解が深まるといえるんじゃないでしょうか。学校の先生に勧めてみようかなー。
(03/04/13)
      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 「科学的世界観」を全部印刷して通勤電車のなかで読んでいます。とても読みやすく、わかりやすいです。 
 「科学的世界観」のなかの「主な参考図書」のページに猪木正文さんの「物理学的人生論」があるのを見て懐かしく思いました。高1生のときにこの本や、同じ猪木さんの「物理学入門」(光文社)を夢中になって読んだものです。(いまでも本棚にあります。)そのころは純粋に理系少年でしたが、途中でヨレてしまって、トルストイの「人生論(原題:生命について」なんかを読んで、「こっちのほうが真実だ」、なんて思った時期もありました
 どんな感想文が書けるか、まだわかりませんけど、がんばってみます。
(03/04/14)
      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 ダイジェストではなく、本文を読んだので、その感想(ダイジェストはちょっと、はしょりすぎだと思いました)。
 まず「はじめに」で書かれる「世界の統一的な理解」という特徴的な語、かつ著者が本論で展開する試みの方針となる語、これの定義とは言いませんが詳細な説明が無く、出足で僕は躓いてしまった。
 「世界の統一的な理解」が何を意味するか分かりますか?僕には不可能です。ここでいう統一的な理解が、例えば大胆にもアリストテレスがしたような四元素論だとか、或いは生気論だとかとするならば、統一されてはいてもそうした思弁的世界を検証する為に生じてきた科学という人々の営為に対し、真っ向から対立する試みをここでされるのか、或いは思弁的に科学的事実を述べて古代の単一理論を再興しようとされるのかの二つに一つかなと思われました。
 世界を単一で統一的に説明してきた古代の人々の理論に対し、科学はその内から小さな領域を切り取って、その小さな世界の中での再現性を検証しつつ、その小さな世界の中でのみ通用し得る客観性を生み出す事から、別な世界との交渉を始める姿勢を堅持している。実際の科学が構築し得る世界は、極めて狭小な領域のみであり、科学が科学である所以は、もたらされた事実よりも、その世界を限定している境界線にあるように僕には思われます。ですから、ここで科学的と称されるのは、一種の境界線の滲みであるように僕には思えます。
 本論で展開されてゆこうとしているのは、そうした滲みを辿りつつ、滲み方の共通性を見出そうとする試みか、或いはその滲みが描き出した偶然的な模様を読む試みに思われてなりませんが、ただ、滲みを辿る方法が無意味な事であるようには思いません。科学以外にもいろんな仕方で、滲みを見る事は可能ですから。その仕方のヴァリエーションがあれば「まとめ」において、芳しい結論に到達できない現実にも何らかの可能性が見出せるようには思いました。
(03/04/16 日栄さん)
      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 お書きになった本文は、一般読者向けの科学ネタを扱った読み物で、あらすじはこんな風に僕は見ています。---著者はある世界観を考えた。それは「はじめに」で述べられるが、それを著者の考える科学的世界で語ってみた所、それは結局、著者の世界を超える何物でもありはしなかった。書き方を変えると、自分の世界を、自分の世界で語ったら、やっぱし自分の世界になった!?
 ただそれだけの内容なのですが、それじゃああんまし、当たり前の事だし、本書が何を目的にしたものかわからない。そこで僕は、次のように考えた。
 1.この人の目的は、「はじめに」が何を言ってるのか分からないように、アリストテレスみたいな万学の祖としての真似事がしたいに違いない。
 2.けれど、そんな間抜けた事を言うのなら、エセ科学の本みたいに末章で結論めいて述べて、読者を煙に巻く方が良いだろうと考える。けれど、「統一的」をどうも大事なキーワードに置いているようだ。…分からん。
 これが、第一段階です。で、質問した。
 3.まさかとは思うが、著者の中では著者の科学的世界が、実際の科学の世界と映っていて、そこで自分の考えを検証してみる事に意義があると思っているんじゃないだろうか?
 4.どうやら、当たりの気がする。でも、本文には引用を取った箇所すらない。全部、著者本人の意見であり、本人の見方のみで筆記されているのに、奇妙な話だな。しかも、二次文献のパッチワークに過ぎない。それでも、科学という?
 これが、第二段階です。で、質問した。
 やっとここへ来て、おぼろながら本書がどういったものか分かってきました。「自分の世界を、自分の世界で語ったら、自分の世界になるんだぞ!」という事で、著者の思う科学がどうとか、哲学がどうとかという話はあんまし読者には関係ない事で、そういう風に思った人物が居たという事を、今では僕は思うようにしています。
(03/04/27 日栄さん)
      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 ある尺度を導入することは、ある主観に立つことです。どのような主観にも立たない純粋な客観的視点など、ありえないです。だから、われわれには、自分が人間であるという立場からしか、世界を考えることしかできないし、それでいいのだと思います。自分が人間であることを離れれば離れるほど、その世界観は、何の役にも立たない、どうでもいい、聞かされたって、まったく時間の無駄にしかならないものになっていくと思うんです。そして、そういうものは、真理という名に値しない。そう思います。
(03/05/04)
      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 世の中の研究者たる者、もっともっと頻繁にたくさん本を出すべきだと僕は本心より思っております。出版社に任せず、これは!という発見があれば、たとえ自費ででもその発見をフォローし続けるのが真に研究者の名に値する行為だと思います。物事の何かを断ずるのが、科学者だとすれば研究者は特定分野の特定領域に関し、迂闊な科学者の断言に反証を加え、その領域を世に問いかけてフォローし続けるものだと僕は思います。
 一冊の自著を補足し、改訂し、弁明し、撤回し、より深くまで一冊を掘り下げる。前成説だの、後成説だのというマテリアルは実際どうだって良いのです。時代がどのような思想を選択し、その思想がどのような影響を生んだか、その影響がその時代からどのような叱咤激励を持って迎えられたか。そこまで行かないと、研究はなかなか生きてはきません。
 まるで浮気をするように、すぐに別な枝を立ててしまうのではなく、いろんな角度から自分の枝を眺める。時にその枝の一部を詳細に述べたり、或いはもっと大きな視点から枝を見つめる。一本の枝を大切に大切に育てるように、そして枝がさらに増えて、まるで家族が増えるように、ご著作がますます深まる事を僕は祈っているし、そういった行為に何らかの助力を必ずや与えてくれる本だと思います。
 以前、自分は科学者じゃないと仰った事がおありでしたが、要はスコープの違いです。読ませて頂いた限り、研究者としてのスコープはお持ちであり、せっかく一冊にまとめられたご著作をお持ちです。その子供たちを是非とも読んでみたいと思うじゃありませんか。
 nbsakuraiさん、がんばってください。
(03/06/09 日栄さん)
      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 いろいろなカテゴリーの色んなトピの中で見聞したりお話したりして来ましたが、自分の知識不足や理解力の無さでどうにも行き詰まったりすることがしばしばでした。日暮れて道遠し、、真理の光りはいずこに、、と思っていたところこちらを見つけました。これこそ私の求めていたもの、、と感じます。まずはじっくりURLの内容を読ませて頂いて質問や感想をレスしたいと思いますので宜しくお願いします。
    (2003/ 9/ 4)
      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 レス有難う御座います。早速物質界から読み始めてますが内容が膨大な上かなり詳しく解説されてますので全部読むには相当時間がかかると思います。あちこち飛ばし読みでも見ているんですが私の期待に充分答えてくれる内容でおおいに喜んでます。記述も平易で分かりやすくかつ重要なポイントはきっちり押さえてあり見事と言うほかは有りません。現代科学の最新の知見をほぼ網羅しておられるように感じますしトピ主さんの苦労と努力がしのばれます。もちろん私が知らない、また、理解できない部分も沢山ありますが、急がずにじっくりと時間をかけて吸収できればと思っています。
    (2003/ 9/ 6)
      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 先日そちらのサイトへアクセスし、導入部分のところのみですが、読ませていただきました。
 私は「世界観」ということで、主に宗教を題材にして論文を書いたのですが、書いているうちに世界観とは宗教のみを表すものではなく、物理学、化学、生物学、歴史、文学、音楽、美術、言語学、数学、ありとあらゆる学問分野が「世界観」の範疇に入ることに気付き、自分のやりはじめたことがたかだか一大学の卒業時に書く論文の中には納まり切るものではないことを痛感致しました。
 桜井さんの著書ではそれを「物質界」「生物界」「人間界」と分けていらっしゃるようで、自分がいつかやってみようと思っていたことが、まさに桜井さんの手によってなされていたということに驚き、また、自分と同じような考え方をしていた方が存在することに気付いたことを、非常に嬉しく思いました。
 私は現在いろいろな仕事を抱えていて、なかなかフリーの時間がとれないのですが、機会を見てそちらのサイト内の文章も全て読ませていただこうと思っています。
 現在私は、自分の「世界観」を美術と音楽と文芸を通じて体現していくというアプローチをとっております。
 私は「自分は果たしてどういう人間であるか」を追求していこうと思っています。
 ここしばらくは「科学的な視点」ではなく、「自分の視点」で世界観を捉える方向に自分自身を振り向けていましたが、これをきっかけに、また「科学的な視点」で世界観を捉え直し、視点を切り替えることによってインスピレーションを得ようかと思っています。
    (2003年9月22日)
      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 なかなか面白く読ませていただきました。サイトの方もダイジェストの方を読みました。あれだけの論調をまとめるのは素人離れした力量だと感服しました。が…残念ながら何を語り合いたいのかが今一見えて来ないのです。我々と何を議論したいのかが見えない。ただ自分の力作を見てほしいという風にも思えてしまう。力のある人だと思うだけに残念です。できればこの掲示板でもっとあなたの「肉声」が聞きたいですね。
    (03/12/09)
      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 ちょっと質問です。
 あなたが、「科学的な知識」を収集するために使った「一定の方針」と、それを体系化するために使った「ある枠組み」は、あなたによって主観的 に選択されたものではありませんか? それはあなたの主観的な世界観を反映していて、科学的な世界観に基づいたものでないということは、ありませんか?
 また、もし「世界についての総合的な理解」が可能であったとした場合、その「理解」は、常に科学の進展によって刷新されていかなければならないと思われますが、そう理解してよいのですか?
 最後に、「最後に」で始まる第5段落に「そのようにして批判的に検討されることによって、科学的世界観はより一層広い地平に立つものとなるであろう」とありますが、これはどういう意味ですか? 「科学的世界観」は、他の様々な価値観と相対的に存在し、個々に価値判断されるのみだ、ということですか?
 以上、ちょっとした疑問でした。
    (04/04/16)
      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 結局、私とnbsakuraiさんの会話は、永久に水掛け論なんです。nbsakuraiさんは、価値や意味や意義と言ったものを、徹底的に排除して、物質の動きだけで生物界を眺めようとする。徹底的に虚無的に、生命や生物進化(変化)を見る。人間を特別視することに、極端な抵抗感を持っておられる。
 私には意識や心は、宇宙における高次存在であるという考えが、どうしてもあります。そしてそれは”進化”によってもたらされた。それは存在の次元が高いものの出現を意味し、単なる”変化”ではない。
    (04/12/12)
      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 本日、素朴生物学について調べている途中で、ネタとして興味深いサイトを見つけてしまった。どこからどうひっかけてここにたどり着いたのか今となってはわかりませんが。
 「科学的世界観-科学的知識に基づく 世界の統一的把握と その帰結及び限界-」

 完読しておらず、節々と最後のあたりを飛ばし読みしただけだが、この桜井さんがおっしゃっていることは、私の立場とかなり近い。疑問符をつけるところもいくらかはあるが、半分は賛成である。
 皆さん、ぜひとも読んでみてはいかがだろうか。その上でどこがおかしいと思ったか私と照らし合わせしましょう。このblogを読んでいる人は私の答えはすでにわかってしまっているでしょうが。

                           『アンドロイドはしあわせか』
科学的学問の庭には柵がある』   (2006年5月12日)

      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

評価:科学知識を3分類で概説・素朴な科学懐疑論

 ポパーの3世界論をふと連想してしまった。
 この本で展開されるような意見はしばしば耳にするので、ここでその誤解を解いておこうと思う。

 著者は、心は実体ではなく現象である、変転するニューロンの電気化学的な過程の総称なのだといい、そうして物質と対比する。
 しかし、心が過程なのはもちろん、物質もまた過程なのである。現代物理学は、物質が場の振動であることを示している。超ひもの振動でもよい。振動は時間がなくては成立しない現象である。すなわち、物質も現象なのである。バートランド・ラッセルは、ある一瞬間には何物も存在しないという。
 物質を、現象から時間を取り除いた存在と考えると、ベルクソンのいう時間の空間化という誤りを生む。アインシュタインの相対性理論で指摘されたように、時間は空間から切り離すことができない。

 我々は自らの認識行為により物質を見い出す。客観的に言うと、人間の認識現象が継続するとき物質が見い出される。同一内容の認識現象が連続することで、ある特定の物質があると考えるのである。
 我々はつい物質が動くことで現象になると考えがちだが、認識の順序は逆である。認識には必ず時間が必要であり、どのようにしても時間を取り除くことはできない。物質とは継続する認識現象なのだ。

 ここで大事なのは現象の階層構造を知ることである。物質も心も現象なのだが、そのスケールが違うのである。
 脳の活動からは人体運動が生まれる。人の動機が人間の行動を生む。前者はニューロンの神経活動が筋肉を動かすという因果関係であり、後者は複雑な人体運動の組み合わせのシミュレーションが、実際に展開されるという因果関係である。後者は前者で構成される。前者は後者の仕組みである。
 精神現象は物質現象よりもスケールが大きいのである。物質で精神が解けないとは、まさに"木を見て森を見ず"なのだ。因果関係をスケールの異なるもの同士に見てはならない。

 こうしたテーマにおいて生まれやすい誤解に、脳の仕組みが人間行動の原因とするものがある。こうした間違いは、「なぜ」という言葉で求めるものが一つではないことから生まれる。
 「なぜ」で求めるものには原因、仕組み、理由、目的の4つがある。
a.主体的存在に普遍を問うときは目的を答える。
b.主体的存在に個別を問うときは理由を答える。
c.客体的存在に普遍を問うときは仕組みを答える。
d.客体的存在に個別を問うときは原因を答える。

 例を挙げよう。
a.人が教養書を読むのは知識を増やそうという目的のためである。
b.ある人がある本を読むのはその本が面白そうという理由のためである。
c.地震の仕組みは、地球のプレートテクトニクスである。
d.ある地震の原因は、ある地点の地下の圧力が解放されたためである。

 我々は往々にしてこの4つを混同してしまうので注意が必要だ。

 自由意志の仕組みがニューロン活動で理解できたからといって、自由意志がなくなるわけではない。それは、自動車の仕組みを理解したからといって、自動車が消えてなくなったり、自動車の価値がなくなったりしないのと同じことである。
 自由意志は行動の理由であって行動の仕組みではない。ニューロン活動は意志の仕組みであって行動の理由ではない。行動の理由たる意志とは、その個人にまつわる過去の出来事である。そしてその過去とは、現在に遍在するものである。ホピ族の言葉では、過去と現在を文法的に区別しない。過去は現在と同じ顕在態で、世界に蓄積したものとされている。
 あるいは遠く星空を眺めてもよい。シリウスは8.7光年離れている。すなわち8.7年前を見ているのだ。世界はその距離の分だけ過去である。我々の認識世界はすべて過去から構成されている。すなわち、過去たる意志は現在に遍在するということである。意志は、脳回路を頂点とした領域として世界に分布しているのだ。

 著者はいう。科学を離れ宗教や神学に入って、価値や道徳や善悪を語ることができるという。
 そんなことはない。科学を離れる必要はない。進化と遺伝子、適応からその安定状態を探ることで語ることができる。真の安定した社会の在り方、人々の望む世界への道を語ることができるのが科学である。

 著者はいう。人間の愛を生物学的に説明して、それが何を理解したことになるのかという。
 もちろん、愛への理解を深めることができる。悠久たる140億年の宇宙史の中で、愛がどのように生まれたのかがわかる。生物進化の歴史を追い、その展開をひもとくことで、愛、勇気、希望、憎しみ、嫉妬それらの相互関係を知り、愛の構造と発達とひろがりを理解することができる。そうした感情の仕組みと、感情同士の相互関係を知りたい人は、私の著書かHPを見ることをお勧めする。

 著者は冒頭でダーウィンの警句をひく。
 無知は時に知識より確信を生む。科学では解決できないというのは、科学をよく知っている人ではなく知らぬ人々である。
Ignorance more frequently begets confidence than does knowledge: it is those who know little, and not those who know much, who so positively assert that this or that problem will never be solved by science.
 にもかかわらず、著者自身がその言葉の通りになってしまったのは残念なことだ。

 今の科学でできないこと、わからないことが、今後の科学でもできないし、わからない、ということにはならない。単に技術的に達成されたことのみを知り、科学の営みとはどんなものか、科学の持つダイナミクスを知らない人が陥りやすい結論である。
 科学を知るとは、科学の行いや思考を知ることであって、科学の生み出した結果を知ることではないのだ。

                『新書中心主義』−心理学者の読書日記 ― 日々の出来事や本の感想メモ
                    『科学思考と自由意志』    (2006年09月15日)


    〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 【 読者からの声の掲載 】
 急に思いついて、「読者からの声」を作成してみた。
 掲載について個別に御了解をいただいているわけではないので、発言者を特定できる情報は削除している。また、一部省略したりしたところはあるが、できるだけ手を加えないようにし、表現はそのままとしている。
 ある程度まとまった声は、現在のところこれだけである。
 今後も、意見・批判・指摘・感想等をお寄せいただければと考えている。
(2003. 2)    
 なお、発言者の氏名や出典・引用の明示の必要性、その他、何らかの不都合がある場合は、対応させていただきますので、お知らせいただければと存じます。
(2003. 7)
★ この『 読者からの声 』に、つぎのようなご指摘をいただきました。
       ⇒ http://bbs1.kze.ne.jp/forest/cgi/contents.cgi?fi=135&id=151
       ⇒ http://bbs1.kze.ne.jp/forest/cgi/contents.cgi?fi=135&id=152
    (05/03/04、05)
 このご指摘の通り、ここには、私あてに送られたものだけではなく、【 以下の8つは、平成14年9月から11月の3ヶ月間、Yahoo!掲示板の ホーム> 科学 > 科学史、科学哲学 > 科学的世界観で、議論をさせていただいた時のものです 】 と注記してあるもの以外にも、よそのサイトに出張しての議論でのものが含まれています。それらは、「あちらこちら勝手な部分を好きなように切り貼り加工」したものに違いなく、このサイトの内容が外からはどのように見えているかについて、私がこのようなことをこのように意識したというものです。
       ⇒  『 メッセージ・ボード 』
       ⇒  『 著 者 の 独 り 言』
(2006. 4)
 今後、短文のメッセージは
       ⇒  科学的世界観のゲストブック へ
     長文のコメント等は
       ⇒  科学的世界観の掲示板 へ   どうぞ

 意見・批判・指摘・感想等をお寄せいただきたいと願っています。関心のある方との議論を通じて、さらに内容を深化・発展させていくことができれば幸いです。そこはちょっと違うんじゃないの、とか、ここはこう思うよ、とか、こんな見方もあるんじゃない、とか、この本にはこんなふうに書いてあるから読んでみたら、とか。
    (2006.5)

    〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜



 頁頭 ホーム