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     著 者 の 独 り 言


 この本の着想を得て作業を開始してから約30年、脱稿してから約11年、出版してから約7年が経過した。世に出てしまってから、明らかな間違いや、必ずしも適切とはいえない点が多々見つかっている。残念ながら、事前に読んでいただいて検討していただける人や、間違いをチェックしていただける人がそばにいる環境にはないので、いくら入念にチェックしたつもりでも、単独の孤独な作業では限界がある。その後の科学の進展により、適切とは言えない部分も少なからず出てきている。今後、少しずつ手を入れていきたいと考えている。
 また、せっかく世に問うたつもりでも、何の反応も得られない状況では、自分なりの評価もできないでいる。本書の原稿は、手書きの後、ワープロ専用機で書いたものであるが、幸いMS-DOSのテキストファイルとして保存しておいたので、それが今回役に立った。図表や数式等は失われてしまったが、それをそのまま、取りあえずこのような形で掲載することとした。ぜひとも、意見・批判・指摘・感想等をお寄せいただきたい。関心のある方との議論を通じて、さらに内容を深化・発展させていくことができれば幸いである。
(2002. 6)
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 【 このページの作成方法等 】
 このページは、個人的にADSL環境が整い、保存しておいたMS-DOSファイルの存在を思い出したので、急遽それをネットにアップロードしてみようと思い立ったところから始まった。編集に使ったソフトはメモ帳である。元のテキストファイルに、試行錯誤でHTMLのタグを付け加えただけのもので、それ以上の技術はほとんど使用していない。このシンプルさが自分では気に入っている。
 これまでに、図表や数式等を一通り補完し、その他一応の体裁を整えた。いくらかはWebページらしくなってきたのではないかと思っている。ただ、違う環境ではどのように表現されるのか、確認していないので不安がある。何か気づいたことがあれば、教えていただきたい。
 ページに設置したカウンターは少しずつ伸びており、読んでくださっている方はおられるようなのだが、残念ながらそれが感想や意見の受信には結びついていない。
 出版してから既に約8年がたち、内容的にあちこち加筆、削除、修正したいところがたまっているが、どこからどのように手をつければいいのか、またそうすることにどれだけの意味があるのか、現在いささか戸惑っているというのが、正直なところである。おそらく、行き当たりばったりに、思いつくまま気の向くまま、少しずつ作業をしていくことになるのだと思う。
(2003. 3)
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 【 世界の統一的な理解 】
 「世界の統一的な理解」という言い方を、いわば自明な言葉として、私は違和感なく使っているのですが、「統一的」という語を不適切と感じる方がおられるようです。私自身は「統一」という言葉に格別の意味や思い入れを持っているわけではないので、別の言葉、例えば「総合的」とか、「統合的」とか、「包括的かつ体系的」とかに変えたほうがいいのか、と思ったりもしましたが、それではどうもシックリとこないので、そのままにしてきました。
 私の考えている統一的とは、次のようなものです。
 まず、「科学的知識に基づく」という統一、科学だけで、科学とは違った発想を混入させないで、というようなつもりです。ある場合には科学的な知識や事実に基づいて考え、別な場合には日常的な実感に基づいて考え、別の状況では人類の価値や利害関係の目で見たり、ある時は抽象的・思弁的に、またある時はオカルト的な発想で、あるいは宗教的に・・・というように、世界を様々な発想や見方で考えるのではなく、(できる限り)徹底的に、科学の発想だけで考えるということです。
 また、個々の科学の各分野の知識をバラバラなままに受け容れるのではなく、世界を一体として、全体を相互に関連した整合性のあるものとして考える、というつもりでもあります。世界全体を包括的に、首尾一貫した体系的なものとしてとらえたい、ということです。(科学が世界の包括的・統一的理解に既に達している、世界を首尾一貫したものとして体系的・統一的に説明することができる、万物の理論や究極理論を既に持っている、と主張する趣旨ではありません。)
(2003. 8)
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 【 科学の公準 】
 「科学の公準」という言葉が、特に何の説明をすることもなく、第4章の第2節に突然出てきて、その後ヒンパンに使われている、という状況になっています。科学の公準とは、感覚的知覚と論理(数学)とによって世界は客観的に認識できるという、科学の基本的前提のつもりです。
 ここで「公準」という言葉は、本来の用法とはズレがありますが、その体系の中で「証明が不可能な基本的前提」というような意味で使っています。その趣旨を表現するのに他に適当な言葉が見当たらないので、公準という言葉を借用しています。そして、「公準」という言葉が一番ピッタリするのではないか、というふうに私は感じています。
 科学には論理的に証明することができない前提がある、それが誤りであれば科学が誤りであるような哲学、思想、信念、仮定、思い込みがある。具体的には、「感覚的知覚と論理(数学)によって世界を正しく理解することができる」、あるいは、「世界は感覚的知覚と論理(数学)で理解できるようにできている」というものです。これが、私が言う「科学の公準」の中身です。
(2003. 8)
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 【 私の意図 】
 まず、自分の過去を振り返って、自分が何をやってきたのか、何をやろうとしてきたのかを、ここでできる限り思い出してみたいと思います。
 私が最初に悩んだのは人生でした。十代の自我に目覚めるころ、珍しくありませんが、世界をうまく理解できず、何か納得できず、十分に適応できず、自分に満足できず、自分の人生に悩んでいました。「何のために生きるのか」、「どう生きるのか」が、私の主要な問題でした。そのために、世界と(その中の自分)を理解しようとしました。この当時の混乱した思いを、私なりに後から整理し、すっきりきれいに(見えるようにと)表現を整えたのが、「はじめに」の一番最初の段落です。
 そのような思いをもって、十代の私が最初に向かったのは、「人生論」でしたが、これは結局、私に何も確かなものをもたらしませんでした。次に向かったのが「文学」でした。今では想像もできませんが、小説を読むだけではなく、自分で書いたりもしていたのでした。自分では相当のめり込んだつもりだったのですが、これも結局、満足できるものにはなりませんでした。才能がなかったのだと今では理解しています。次の「心理学」も、やはり結局はだめでした。そこに人間の真理があるようには、私には思えませんでした。その次が「哲学」です。これも結局、私が求めるものが得られるようには思えず、比較的早々に退散しました。そして、最後に向かったのが、「科学」でした。
 私は科学の解説書を乱読し、それを、当時の一種の流行であった「京大カード」に記載して、蓄積し、分類し、整理していきました。これが現在の形になる前の原型です。それらをつながりのあるものとして文章化し、何度も書き直して、『科学的世界観』の初稿ができました。整理・分類された京大カードは失われてしまいましたが、いわゆるレポート用紙4冊に、万年筆で書かれた初稿が今でも手元に残っています。現在のものより節や項の数が少なく、内容的にも分量的にも今のものより軽いものですが、基本形は現在のものとそう違ってはおりません。ただ、大きな質的違いが一つあります。第5章がないのです。私は相当長い期間、「科学的世界観」論(第5章)のない科学的世界観を、自分のものとして受け容れていました。
 ただ、それで充分に満足したわけではなく、その後も範囲を広げて、同様の興味・関心・視点で読書を続けてきました。そして、自分の考えに次第に疑問を持つようになっていきました。そうして、ワープロ専用機が使えるようになると加除訂正の作業がぐっと楽になり、第4章までが大幅に加筆・訂正されたほか、第5章が新たに付け加えられました。これでほぼ自分が満足できる形になったのではないかと考え、世に出してみようかと思うようなり、その何年か後に形になりました。その後も断続的に作業は続けており、細部には不満があるのですが、大筋の基本形としては、私の考えはその後変わっておりません。(つまり、なんら発展せず、停滞しているということです。)
 本という形にしたのは、世に問うというつもりでした。社会の評価にさらして批判を受け、自分のしてきたことがどのようなものなのかを確認したい、と思ったからです。そうすることによって、さらに深化・進展を得たいと考えたのです。残念ながら、この思いは、出版によってはかないませんでした。昨年、個人的にADSL環境が整い、新たにこの思いを果たすべく、ネットに乗せました。
 私はここで次のようなことを求めているのだと思っています。
・ 自分が誤って理解していることを、第三者の目でチェックしていただき、訂正していきたい。
・ 自分にない新たな知識や視点や発想を得たい。
・ 自分のやっていることがどのようなものかを、第三者の目を通して評価してみたい。

 以上を通じて、私が関心を持ってきたのは、一言で言えば「世界はどのようなものであるか」と要約できるのではないかと思います。それを理解しようとして、私には所与のものとしての科学(とその周辺)の本を読み、それを自分が理解できる限りで整理してきました。その集大成が「科学的世界観」(と「科学的世界観」論)ということになります。
・ 私の関心は、「世界はどのようなものか」です。
 「世界をどのようにしようか」とか、「世界の現象をどのように予言しようか」とか、「世界にどのように働きかけようか」ではありません。関心があるのは世界を説明し、理解することであり、科学理論を世界に応用し、各局面で事象や社会をうまく扱い、目的を実現すること、ではありません。
・ それを理解しようとして、科学の知識を収集して整理してきました。
 そういう方法で理解できるかどうかをまず考え、理解できると判断したうえでしてきたのではなく、単に「そうすることによって理解しようとしてきた」のです。上記で述べた「科学」以前にやってきたことと同じように、いわば私の試行錯誤の一環です。
・ 私にとって、「科学」は所与のものです。
 私は自分自身が科学の活動をしているなどとは考えておりません。「私がやってきたのは(哲学ではなくて)科学である」というような表現は、あたかも自分が科学をしてきたと主張するもののように誤解を受けかねず、表現が不適切でした。私がやってきたのは、科学(の知識を収集して整理すること)である、の()内が省略されたものと理解していただきたいと思います。
・ 私が(その知識を収集して整理)しようとしてきたのは、(哲学ではなくて)「科学」です。
 「世界はどのようなものであるか」という問いが既に哲学である、とするならば、私がやってきたことが哲学である、ということを否定することはできません。ただ、自分としては、このような問いに答えるために、哲学ではなく科学(の知識を収集して整理すること)をしてきたつもりでおります。少なくとも私は、哲学の本をたくさん読み、その知識を整理してきたのではありません。
・ 私にとって、「科学的世界観」論は、科学の周辺です。
 第5章の「科学的世界観」論は、科学自体(の知識を収集して整理したもの)ではないから、哲学である、ということであれば、それを否定することはできません。ただこれ(「論」)は、私にとっては「科学の周辺」というつもりです。「科学的世界観」がその「論」の付録というのではなく、「論」がその「観」の周辺です。少なくとも、「論」は科学から離れた哲学ではありません。私にとっては、科学(の知識を収集して整理すること)が主要な関心事で、その意味でこれは科学に関することであり、科学に関連した周辺(の知識の収集と整理)という位置付けなのです。私のこの発想では、宗教や似非科学も、科学の周辺になりえます。
(2003. 8)
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 【 オリジナリティ 】
 私はここに、何らかの独創的な主張や見解が述べられている、と主張するつもりはありません。独創的な見解を示せるほどの才能も、研究も、努力も、意志も、私にはないことを認めざるを得ません。自分が何か独創的な見解に達したと思ったとしても、よくよく冷静に検討してみれば、それは実際には幻想にすぎないことを、私は何度も経験してきました。私の場合は、独創的な見解 ≒ ただの勘違いです。残念ながらそれを事実として受け容れるしかないのが自分です。もし私が「独創的な」見解を述べれば、ただの無理解、単なる誤り、何の意味もないただの勘違い、独りよがりの思い込みになってしまいます。
 私にとって、科学(とその周辺)の知識は所与のものです。
 内容において、私の『科学的世界観』は(その「論」も含めて)、何ら独創性もオリジナリティもないものであり、それがあるという主張をするつもりはありません。もし私に何らかのオリジナリティがあるとするなら、それは、このような形に整理してまとめたこと、その作業とその形だけでしょう。これは独自の哲学や思索とその結果、というよりも、ある一つの発想や動機に基づく作業とその結果、というようなものです。私は他にこのような形のものを見たことがなく、そうだから、自分のために自分でこれをやる必要があったのだ、と思っています。
 また私は、私個人の創造的な見解や主体的な思想を目指しているのではなく、むしろ、(私と同じ発想に立つならば)誰がやっても同じ結果になるもの(できるだけ普遍的なもの)を、ただひたすら着実に積み上げていくこと、を目指しているつもりでおります。そうなっていなければ私が失敗しているのであり、修正する必要があるということです。そしてそのような修正をしていくことが、私の望んでいる進展です。
 もちろん、世界を私と違った動機や意図や発想で見れば、私のとは違ったものができると思います。そして私は、自分の発想だけが正しいとか、重要だというつもりはありません。私と違った発想のものは全て非科学的な世界観である、などとは考えておりません。別の発想に基づくものは、私の発想による世界観とは別のものだということです。
(2003. 8)




 【 メッセージボードでの議論 】
 2002年9月から11月の3ヶ月間、Yahoo!掲示板の ホーム> 科学 > 科学史、科学哲学 > 科学的世界観 で、議論をさせていただいた(メッセージ総数:671、内 私のメッセージ:253)。
 思ったよりもたくさんの、様々なご指摘、ご批判、ご意見をいただき、深く感謝している。まだ構想は立っていないが、その成果をいずれ何らかの形で反映していきたいと考えている。
(2002.12)
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 【 ダイジェスト版の作成 】
 この『科学的世界観』は一冊の本として通読することを想定して書かれたものであるが、ネットでは必ずしもふさわしい形ではないとも思われたので、あまり時間をとらずに多くの方に読んでいただけるよう、「ダイジェスト版」を作ってみた。
 短時間で読めるように、本文の内容を抜粋して再構成したものである。全文を読む時間が取れない方、あるいは、量が多すぎて読む気にならない方は、これを読んで要点を把握してみていただきたい。
(2003. 1)
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 【 コラムの作成 】
 主として上記メッセージボードでの議論を踏まえ、その成果の一部をコラムとして試作してみた。
 本文の内容を超える部分が含まれている。
 できる範囲で、今後も改善、拡張を行っていきたいと考えている。
(2003. 1)
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 【 読者からの声の掲載 】
 急に思いついて、「読者からの声」を作成してみた。
 掲載について個別に御了解をいただいているわけではないので、発言者を特定できる情報は削除している。また、一部省略したりしたところはあるが、できるだけ手を加えないようにし、表現はそのままとしている。
 ある程度まとまった声は、現在のところこれだけである。
 今後も、意見・批判・指摘・感想等をお寄せいただければと考えている。
(2003. 2)    
 なお、発言者の氏名や出典・引用の明示の必要性、その他、何らかの不都合がある場合は、対応させていただきますので、お知らせいただければと存じます。
(2003. 7)
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 【 リンク集の作成 】
 急に思いついて、「リンク集」を作成してみた。
 これは、・ 科学や世界観に関するページ  ・ 発想や内容は相違していても、多少なりとも共通するところのあるページ  ・ 今までに私が気づいたり、何らかのかかわりがあったページ − を掲載したものである。
 今のところたった五つであるが、今後も気づいたつど、追加していきたいと考えている。推薦していただくページがあったら、お知らせいただきたい。
(2003. 2)
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 【 メッセージボードでの議論2 】
 平成15年1月から1ヶ月間、Yahoo!掲示板の ホーム>科学>科学史、科学哲学 > 人クローンと人間の尊厳 で、議論をさせていただいた(メッセージ総数:112、内 私のメッセージ:68)。
 人クローンの問題を通して人間の尊厳の問題を考える、というのがメインのテーマだった(柄にもなく)。一方、隠れたテーマとして、(1)『科学的世界観』を受け容れても、決して社会や人間との繋がりが切れてしまうわけではなく、社会的、倫理的、法的な問題を考えることは充分できるのだということ、(2)むしろ、きちんとした科学の知識や見方を持たないで、イメージや実感や思いに基づいて考えると、議論が迷走する恐れがあるということ、を示したいというのが別にあった。
 メインのテーマについては、正面からの反論がなくていまいち盛り上がりに欠け、隠れたテーマについては、反応がなくて不完全燃焼の感が残った。いずれにしても、あまり大きな成果は得られなかった。残念。
(2003. 3)
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 【 メッセージボードでの議論3 】
 平成15年2月以降、次の掲示板にスレッドを立てさせていただいているが、現在のところは、あまりご発言をいただけないでいる。
○ エキサイト掲示板の ホーム> 趣味と芸術 > 哲学 > 科学的世界観 (2003.2.16〜 )
○ THE掲示板の ホーム> 学問 > 哲学全般 > 科学的世界観 (2003.2.16〜 )
○ 「ねっとじん」の 掲示板 トップ / 人文科学 / 思想・哲学 / 科学的世界観 (2003.3.16〜 )
    ほか
(2003. 3)
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 【 メッセージボードでの議論4 】
・ 平成15年3月から約1ヶ月間、THE掲示板の 学問 > 科学全般 > 科学的世界観 で議論をさせていただいた(メッセージ総数:51、内 私のメッセージ:20)。
 その成果の一部をコラムに追加してみた。
・ 平成15年4月から約2ヶ月間、Yahoo!掲示板の 科学 > 物理学 > 宇宙の大局構造 で議論をさせていただいた(メッセージ総数:41、内 私のメッセージ:21)。
 そこで得たことを基に、いずれ「宇宙」の項を書き替えたいと考えている。
・ 平成15年4月から、日曜思想家の館 Philotopia28 の 知の森 > 科学的世界観、続いて、同じく日曜思想家の館 Philotopia28 の 知の森 > 心は実在するか で議論をさせていただいた(メッセージ総数:310、内 私のメッセージ:79)。
 その後も別のスレッドが立ち、そこで議論や対話がしばらく継続している。

 なお、ページに設置したカウンターの伸びが少しずつ加速しており、読んでくださっている方がおられるようなのだが、それが反応に結びついておらず、ちょっと不気味というか、不思議な気持ちでいる。
(2003. 7)
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 【 これまでの感想 】
 以上のような議論や対話を通じて、私が今、つくづくと思っていることがある。 ―― 発言し発表されたものの理解や解釈は、その多くがそれぞれの人の感性や視点にゆだねられている。
 いったん発言し発表されたものは、もはやその人のコントロールの及ばないものになってしまう。それぞれの人には実に様々な興味や関心や視点があり、発言者の述べたかったものとは全く違う、思いもよらない解釈を受けてしまうことがある。そういうことが、お互いに起こりうる。
 自分の述べたいことをそのまま相手に伝えるのは、かなり困難なことである。述べていることに賛同していただくかどうか、反対かどうかという以前に、述べていることを理解していただくこと自体に、大きな困難が伴う。自分の真意(だと自分が思っていること)は、容易に相手には伝わらない。述べたことは簡単に誤って解釈されてしまい、それを説明して理解していただき、逆に相手の言われていることを私が理解し、そのうえで意味のある対話や議論に入るのは、実に容易なことではない。
(2003. 8)
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 【 ご意見等の受け口 】
 開設以来、まったく書き込みのなかった「ゲストブック」は、あきらめて奥に引っ込めることにしました。しかし、独自の掲示板を維持できるほどのパワーもないので、またYahoo!掲示板に間借りさせていただくことにしました。さらに念のため、意見・批判・指摘・感想等の受け口として、もうひとつエキサイト掲示板にも開設させていただきました。どちらでも任意に利用していただければ、と思っています。
(2003. 9)
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 【 ゲストブックの復活 】
 あちこち加筆、修正したいところの編集作業は、その後ほとんど進んでいない。せめて宇宙論の部分だけでも何とかしたいとは思ってはいるのだけれど、なかなか具体的に作業に取りかかる気にならない。我ながらちょっと情けない。困ったもんだ。
 今回、ゲストブックを復活してみた。ホントは、ちゃんとした独自の掲示板を設けたいところなのだけれど。(Yahoo!掲示板もエキサイト掲示板も、意見・批判・指摘・感想等の受け口には、結局ならなかった。)
(2004.1)
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 【 Blogの作成 】
 従来の「コラム」を発展的に解消して、「その後の展開」としてBlogを作成してみました。これは、このページ公開後において、様々な方と議論し、様々な本を読み、そこで考えてきたことを述べてみようというもので、概ねこれまでの時間経過に従って整理・編集して、再現しています。
 今後はそこで、随時、読んだ本のことや、考えたことを、述べていければと思っています。自分のこれまでの、そして今後の考えの経過を記録し、整理していくとともに、見ていただいた方からコメントがつくことも、期待しているものです。(本文の加筆修正の方は、どうも事実上なかなか困難のようです。)
 また、一時引っ込めていたゲストブックも、再度、復活してみました。
(2004.10)
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 【 掲示板の設置 】
 従来のゲストブックには500文字の文字数制限があったので、もう少し長文でも投稿ができるよう、掲示板を設置してみました。それに伴いゲストブックは閉鎖しました。
 意見・批判・指摘・感想等をお寄せいただきたいと願っています。関心のある方との議論を通じて、さらに内容を深化・発展させていくことができれば幸いです。
 そこはちょっと違うんじゃないの、とか、ここはこう思うよ、とか、こんな見方もあるんじゃない、とか、この本にはこんなふうに書いてあるから読んでみたら、とか。
(2004.12)
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 【 これまでを振り返って 】
 アクセスカウンターによると、『科学的世界観』本編(^_-)の閲覧数は、2002年6月から本日までの約3年3ヶ月間で 6,421件、Blog(~o~))の方は、2004年9月から本日までの約1年間で 6,131件のアクセスとなっている。2004年11月に設置した掲示板(~_~;)は 463件。
 別に布教活動をやっているつもりではないんで、多くの人に読まれればそれでヨシというわけじゃぁないし、まあこんなもんで上出来なんだろう。
 でも、何か反応がなけりゃ、やっててもしょうがないかな、というような気も多少はしている。
 それで反応はというと、Blogへのコメントが約1年間で 25件、トラックバックが 2件、掲示板への投稿が8ヶ月で 6件、という数字になっている。それにメールがほんの少々。
 それ以外は、すべてよそのサイトに出張しての議論。
 これをどう評価すればいいのか。
 少なくとも、大入り盛況というわけじゃぁない。
 まあ、相当に視野の狭いことをやってるんだから、しょうがないか。
 私としては、自分の知らないことを知っている人や意見の違う人と、できるんなら火花散るような議論、みたいなことを期待したいところなんだけど、それが実現しないからといって、ガッカリしてやめてしまったりする気は、今のところはないようだ。
 今後も同じように、できる範囲で少しずつでも考えを整理・深化・発展させて、自分の納得のいくようにしていきたい、と思ってる。
 考えてみればこれまでもずっと一人でやってきたんだし、これからもそうするしかないんだろう。
 そういう意味で、自分自身のためのテキストの保存・更新ツールとして、そういう役割を果たせれば、それでいいとしよう。
 反応があろうとなかろうと、反応がどうだろうと、自分はこれを今後も続けていくんだろうしナ。結局のところ。
(2005. 9)
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 【 これからどうする 】
 2002年6月にこのサイトを開いてから、既に4年近くが経過した。
 気がつけば、このところ、全くページの更新をしていない。
 2004年9月のBlog開始以降は、そっちの方に精力が移ってしまって、特に更新しようという気も起こらなくなってしまった。
 もはや、今後このサイトを更新することは、事実上ないだろうと思われる。
 このサイトもBlogの方も、アクセスカウンターは少しずつ伸びている(サイト 7,583、Blog 8,524、掲示板 752)が、2004年11に掲示板を設置してみても、やはり、ほとんど反応らしきものはない。
 サイトやBlogにメールアドレスを掲載していても、スパムが増えるだけだし、抹消することにしよう。
 自分のためのテキスト保存・更新ツールとしてのBlogの意味も、そろそろ、その役割を終えそうな気もしてきた。
 目標を見失って、惰性で続けていくというのもなんだしなぁ。
 さて、これからどうしようか。
(2006. 3)
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 【 更新終了 】
 このサイト 『科学的世界観』 について、今後、自ら更新することはまずない、と思います。何らかのメッセージやコメントがあった場合に、それに反応することがある、というに留まることになるでしょう。
 『科学的世界観のBlog』 の方は、気が向けば更新することもあるでしょうが。
 それでも、相変わらず、意見・批判・指摘・感想等をお寄せいただきたいと願っています。関心のある方との議論を通じて、さらに内容を深化・発展させていくことができれば幸いです。
 たとえば、そこはちょっと違うんじゃないの、とか、ここはこう思うよ、とか、こんな見方もあるんじゃない、とか、この本にはこんなふうに書いてあるから読んでみたら、とか。

・ 長文のコメント等は
                ⇒  『科学的世界観の掲示板 』    へ
・ 短文のメッセージは
                ⇒  『科学的世界観のゲストブック』  へ  お願いしたいと思います。
    (2006.8)
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 【 休眠中 】

 休眠します。ていうか既に休眠状態に入ってます。

 『科学的世界観』http://www.geocities.jp/nbsakurai/、『科学的世界観のBlog』http://nbsakurai.exblog.jp/、『科学的世界観の掲示板』http://www2.spline.tv/bbs/nbsakurai/、というふうにこれまでやってきましたが、内容的にも方法論的にも、そろそろもう一区切りなのかな、というような感じになってきてましてね。

 そんで、突ついたりたたいたりしてもレスポンスは鈍い、ということになるでしょう。天変地異でも起きたりすれば、ふっと目覚めることもあるかもしれませんが。
 そのうち起き出しても、そん時は何かもっと別の形になるのかもしれません。ていうか、何か別な形が見えてこなければ、ズッ〜とこのまま休眠中のままかも。
 ネット上から直ちに削除する気はありませんけど、いずれは自然消滅ということになるんだかもしれませんね。

 これまで気に留めていただいた方、ありがとうございました。
(2007. 1)
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