第5章  科学の発想の枠を越えて


            第1節 「私」の存在         「私」の存在                                存在する「私」                                「私」と客観世界の調和の試み             第2節 三元論           二元論                                神と決定論                                三元論             第3節 三つの存在の根拠      神の存在                                客観世界の存在                                主体の存在             第4節 科学的世界観の位置づけ  不可知論・便宜論                                科学的世界観の見直し                                科学的世界観の諸相



われ想う。故にわれあり。
                                            デカルト

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        第5章のはじめに

 第4章までの「科学的世界観」は、次のようなことを前提として組み立てられていた。──世界は合理的な原理に従っており、合理的な探求によって認識できる。そして、世界は感覚的に知覚しうる。言い替えると、感覚的知覚によって得られた知識を論理的に構成することによって、世界についての正しい理解を得ることができる。逆に言えば、感覚的に知覚しうるようなあり方で世界が存在する。感覚的知覚は人類共通のものであって、そこで得られた知識は人類共通の財産となる。そして、感覚的に知覚できないものは存在しないか、仮に存在するとしてもそれについては何も言うことができないので、無視せざるをえない。さらに、世界はその構成要素と相互作用によって理解しうる。多様な事象を単純な要素に分ける分析的方法と、その要素を再構成する総合的方法によって理解される。そこでは法則という因果律が妥当する。そして、世界は統一的に、できるだけ単純なものとして理解されなければならない。──以上のような立場で世界を総合的・体系的に把握するとどのようになるかというのが、これまでの科学的世界観である。
 これからは、このような前提を当然のものとしては仮定しない。そのような仮定そのものが妥当であるかどうかも含めて、世界について改めて考える。したがって、これから以降は科学的世界観の枠を踏み出したものであり、「科学的世界観」の一部をなすものではない。そのような検討を経ることによって、科学的世界観の持つ意味や限界がよりいっそう明らかになるであろう。

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