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■岩田氏登場。大きな拍手とシャッターが切られる。
□ファミコン時代から今日までの歩みについて述べさせていただきます。
□ファミコン登場は当時のテレビゲーム市場では後発だった。
□ファミコン時代の特徴と致しましてはゲームソフトは2〜3人のチームで開発していた。
□新しい開発スタッフの加入はそのまま新ジャンルの創造を意味していた。
□10万本以上売れるのが当たり前という異常な状況。
□限られた容量の中で創意工夫。
□大きくなっていく容量はNINTENDO64の晩期にはファミコン発売当初の1000倍にふくれあがった。
□これは一年間に2倍のペースで容量が増加していったと言う風に見ると説明がつく。
□限られた容量がアイディアやゲーム性を制限していたので、容量の増加は初めのうちは歓迎された。
□容量の増加は開発スタッフの増加を意味し、それは商品価格に反映された。
□海外も含めて年々拡大されるゲーム市場が価格の上昇を吸収した。

■スーパーファミコン時代
□ゲームの重厚長大化が進む。
□1万円を超える価格帯の商品も登場。
□しかしながら「100時間以上遊べる内容ならいいじゃないか」という説明で許容されていた。

■1994年以降
□ゲームは3次元の世界へ。
□ファミコン時代を考えるとゲームの中で3Dが使われるなど夢のような話。
□3D技術が業界を席巻。
□あのころの業界(市場)には、今のように3D以外のゲームでもおもしろいモノはあるという考えは無く、3Dのゲーム以外はゲームじゃないという風潮がみられた。
□これはやや行き過ぎだと思えるほどでした。
□3Dであることは良いことだという風潮は、後に我々にとって望ましくない結果になっていきました。

■2000年以降
□プリレンダーで表現されていた3D部分も(リアルタイムポリゴンで表現され)インタラクティブなものになっていった。
□プレイステーション2が登場。DVD機能を搭載した本体はゲーム以外のアピールポイントで販売数を伸ばした。
□いままでのゲーム機本体は「どんなゲームで遊べるか」という判断基準で消費者に計られていた。
□「ゲーム機そのものの機能で売れた」初めてのハード。
□ゲーム開発者出身の私としては少々複雑な心境でした。

■日本市場の現状
□グラフ(写真右上)は96年から2002年のゲーム市場分析です(CESAゲーム白書による)。
□年々縮小しているのが見て取れる。
□景気低迷が原因と言われているが、ゲーム業界はそれまで不況に強いと言われてきた。
□少子化がその原因として挙げられるが、PS2のような年齢層が高いハードでも市場縮小が起こっている。

■ゲームビジネス縮小の理由
□みなさんの中にも以前はゲームをプレイしたのに最近ではやらなくなったと言う方がいらっしゃるかもしれません。
□また、そういう声を聞かれるかもしれません。
□最近ではゲーム業界内からですらゲーム離れが見受けられる。
□「商品力の向上=重厚長大化」が正解という業界の定理によってゲームは大規模になっていく。
□このことによって気軽に楽しめない。
□かつてシューティングゲームがゲームジャンルの中で一番人気があった。
□弾がたくさん出てくる、システムがどんどん新しくなるという進化を進めた結果、初心者にはプレイできないものに。
□いまやシューティングはジャンルとしてはホントに小さな規模となった。
□格闘ゲームについても同様のことが言える。もはや初心者は上級者に絶対勝てない。
□ゲームの進化=市場の縮小という方式が出来てしまっているのではないか。
□非常に強い危機感を感じる。
□元々のビデオゲームは大衆娯楽であった。

※一枚スクリーンが欠落しております。撮影に失敗(;´д⊂)
■海外市場の現状
□現状は非常に健全。
□日本に比べて商品寿命に差異がある。
□日本の場合、発売から1週間が商品寿命となっている。中には発売日当日だけと言うことも。
□任天堂社製品の中には発売から半年たっても売れ続ける商品もあるが、ごく一部のソフトに限られる。
□トレンドが異なる(何のトレンドが異なるかは忘れました^^;メモに「トレンドが異なる」とだけ走り書きが)。
□「このまま右肩上がりになるでしょうか?私は疑問です」
□疑問の理由=ハードパワーによって与えられていた映像面での驚きや魅力は飽和状態となり、やがて薄れる。
■海外市場における日本製ソフト
□右側が95年9月〜96年8月の米市場売り上げにおける日本メーカーの位置。
□左側が02年9月〜03年8月の米市場売り上げにおける日本メーカーの位置。
□「かつては上位を占めていたが今ではこの位置になりました」

■海外市場における日本製ソフトの低迷の原因は
□かつてはマシンパワーが弱くて記号でしか表現できていなかった部分が多数あった。
□そういう部分はプレイヤーの想像力で補っており、その分世界中どこでも同じプレイ感覚だった。
□マシンパワーが向上し、肌の色や背景から読みとれる文化などを表現できるようになった。
□日本ソフトのアドバンテージであった「操作性の良さ」などプレイビリティ面での良い点を海外の開発者が吸収した。
□その結果日本のアドバンテージが失われた。

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