じゃらん口コミ評価

風呂は男女別の大浴場が2ヶ所、空いていれば無料で自由に使える貸切風呂が3ヶ所ある(露天風呂は無い)。

大浴場の名称は、明治7年に平田家が引き継ぐ前の施設名に由来する「きつね湯」、もう一方は「さるの湯」で、これは行基上人が温泉に猿が浸かっていたのを目撃して温泉を見つけたという伝承に由来する。
両方とも格別広いわけではないが、いかにも老舗宿に相応しい凛とした品格、それでいて心和む素晴らしい風呂である。

温泉は自然湧出でやわらかなナトリウム・カルシウムー硫酸塩・塩化物泉(含食塩石膏泉)が加水加温無し、かけ流しで注がれている。

貸切湯は3つ並んでおり、同じようなタイル張りの造りで、何れも詰めて2人がようやく入れる小さな風呂だ。

この3ヶ所、隣り合わせでかつ無人だったこと、その上、階段を下りて行くので廊下からは見えないため、パンツをつけただけで移動して一挙に3ヶ所を制覇した。
何れも大浴場より温めで、時間があれば長湯をしたいところだ。

東山温泉 向瀧 (福島県)

夕食は2つの「じみ」、即ち滋味と地味だ。

「滋味」とは、「深い味わい ・ 奥行きのあるうまみ ・ しぶい味 ・ 味わい深い ・ 味わい豊かな ・ 噛めば噛むほど味のある ・ いぶし銀の味わい」のこと。

「地味」とは「華やかさ、けばけばしてないこと」だが、これに「地元の味」の意味を加えればどんぴしゃりの評価になるだろう。

客室棟の一部は斜面に建てられているため、このような急階段で繋がる(下にもう一つの階段)。

しっかりした羊羹が茶請けで満足。

磨きこまれた廊下。古い建物が多いのに館内の清潔感は抜群だった。

総合: 4.9

(2012年1月6日現在 普通:3点)

日帰り入浴不可


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部屋 4.7  料理(夕食) 4.8 
風呂 4.8  接客・サービス  5.0 
料理(朝食) 4.8  清潔感  4.9 

東山温泉は会津若松市の市街地から車で10分ほどの至近距離、阿賀川支流・湯川の清流に沿って、大小20軒余りの旅館・ホテルが建ち並んでいる。
松田忠則氏の「日本百名湯」に選ばれた向瀧は、明治7年、旧会津藩の温泉保養所だった「狐湯」を引き継いだ平田家が、現在の六代目まで130年余に渡って経営してきた老舗の宿だ。2ヶ所の内湯は老舗の宿らしい品格のある風呂で、加温加水無しの掛け流し、やわらかな自噴温泉が贅沢に流れ出している。

幻想的な向瀧の「雪見ろーそく」(ふらぴょんさんからの頂き物)

総合点4.9はこれまで見た中での最高点。他のどの項目も非常に高い満足度、中でも接客・サービスの満点(5)は初めて見た。

さて誰でしょう?(向瀧HPから借用)

所在地 : 会津若松市東山町

温泉教授で知られる松田忠則氏の「日本百名湯」に選考された東山温泉向瀧は、明治7年(1873年)、旧会津藩の上級武士のの温泉保養所だった「狐湯」が平田家に委ねられ、以来、現在の六代目まで130年余に渡って湯守としての精神を引き継ぎ、家業として旅館を経営してきた。

温泉街付近の湯川には多くの滝があり、中でも「雨降り滝」「原滝」「伏見ヶ滝」「向滝」の4つは「東山四大滝」と呼ばれる。
「向瀧」という館名は、目の前に上記の四大滝の一つ、向滝があることに由来する。
昔はもっと滝らしい滝だったが、護岸工事が行われてからはあまり目立たなくなった、と宿の方からお聞きした(翌朝確認したが、なるほど迫力がない滝だった)。因みに、原滝の前には「原瀧」という旅館がある他、「滝」の名がつく宿が多い。

現在の建物は、明治・大正から昭和10年以降の増築によって建てられたもので、、少し離れたところから見ると、玄関から後背の斜面に入母屋造り千鳥破風の宿泊棟が連続して見事な景観を作っている。
これらの建造物の内、玄関・客室棟2ヶ所(花月の間,梅の間・菊の間等)、離れの合計4棟が、平成8年(1996年)に登録有形文化財第一号として認定された。

施設名 : 向瀧(むかいたき)(宿泊日:2011.11.1)

会津若松市には芦ノ牧温泉と東山温泉という中規模の温泉地が2つある。
芦ノ牧温泉は、日光連山の北側に源を発し日本海に流れ込む大河・阿賀川(阿賀野川)がつくった渓谷の高台、国道118号線沿いに湯煙を上げている。

一方の東山温泉は、会津若松市の市街地から僅か5km、車で10分ほどの至近距離、阿賀川支流・湯川の清流に沿って、大小20軒余りの旅館・ホテルが建ち並んでいる。
会津若松の奥座敷と呼ばれるに相応しく、いまも立方・地方の東山芸妓は健在である。

奈良時代に僧・行基によって発見されたという開湯伝承はともかく、東北有数の古湯であることは間違いなく、江戸時代には天寧寺の湯と呼ばれ会津藩の湯治場として利用されていた。

東山温泉は山形県の湯野浜温泉とかみのやま(上山)温泉とともに奥州三楽郷の一つだが、
会津の民謡「会津磐梯山」の「朝寝朝酒朝湯が大好きで、それで身上つぶした」の小原庄助さんは東山温泉で朝湯をしてたという記事を見かけたが、事実かどうかは定かでない。

温泉名 : 東山温泉

湯川に張りだす浮床の通路。

瓦葺、入母屋造・千鳥派風の玄関部分(登録有形文化財)

会津若松市は人口約19万人、福島県の西部に位置する会津地方の中心都市である。
江戸時代には会津藩の城下町として栄え、現在でも若松城(鶴ヶ城)や白虎隊などの歴史上の事物が観光資源となっている。

市街地の南に広がる広大な山地には、東山温泉や芦ノ牧温泉が湯煙を上げている。
東側は日本第4位の大きさを持つ猪苗代湖の約3割が市域に含まれ、猪苗代町や郡山市と接する。
北、西は蔵の町とラーメンで知られる喜多方市など、会津盆地内の市町村と隣接する。
因みに猪苗代湖は、磐梯山(1816m)の1888年の大噴火によって出来た湖である。


会津若松市は、江戸時代の始めと終りに歴史の舞台となった土地でもある。

即ち、江戸幕府開府前後にこの地を治め城主は、伊達正宗、蒲生氏郷、上杉景勝、加藤嘉明と戦国時代末期の大物武将であり、彼らが短期間に激しく入れ替わった。

ようやく1643年に徳川秀忠の庶子・保科正之が入府して会津松平家の祖となった。

保科正之は、3代将軍家光の異母弟として幕政に重きをなしたが、武田家遺臣の出自を持つ養父(信濃高遠藩主・保科正光)に義理立てして、松平姓に改姓しなかった。
ようやく3代正容(正之の子)のとき松平に改姓し、徳川将軍家親族の名門として認められるようになった。


それから200余年後の幕末、会津藩傭兵の「新撰組」の暗躍、白虎隊の悲劇で知られる日本最後の内戦・戊辰戦争と、会津若松は再び歴史の舞台となった。

特に、江戸時代末期、新政府軍と幕府側会津藩の間で勃発した会津戦争で、藩士子弟の少年達で構成された白虎隊が抗戦するが、その内の士中二番隊20人が敗走して飯盛山に逃れそこで自刃した。
ただ1名が生き残り、後日、この事実が告げられ世に広く知られることになった。
飯盛山には19人の墓があり、年間200万人の観光客が訪れ、墓前には早すぎる死を悼む線香の煙が絶えない。

住 所 福島県会津若松市東山町大字湯本字川向200
電 話 0242-27-7501
交通機関 磐越自動車道会津若松ICから8km
JR磐越西線会津若松駅から会津バス東山温泉経由で15分~25分、東山温泉駅下車
宿 泊 和室24室(BT2 T21 離れBT1)
平日2人1室1人16,950円~34,800円(離れ)
2011年12月現在、最新・詳細情報は下記の宿HPを参照ください。
泉 質 ナトリウム・カルシウムー硫酸塩・塩化物泉(含食塩石膏泉)
適応症 不記載(理由は「温泉の基礎知識ー温泉の効能」参照)
外来入浴時間 日帰り入浴不可
入浴施設 内湯男女各1、露天風呂男女各1、貸し切り風呂3
観光スポット 会津若松市(鶴ヶ城・さざえ堂、白虎隊十九士の墓など))、猪苗代湖、大内宿、塔のへつり、磐梯山、五色沼、野口英世記念会館、、喜多方(蔵&ラーメン)、桧原湖、五色沼、秋元湖、磐梯吾妻スカイライン(日本の道100選)、吾妻高原、浄土平
近くの温泉 芦ノ牧温泉、岩瀬湯本温泉、湯野上温泉二岐温泉甲子温泉、新甲子温泉磐梯熱海温泉、猪苗代温泉、磐梯山温泉
会津若松市HP
観光物産協会HP
東山温泉HP
向瀧HP
http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/
http://www.aizukanko.com/
http://www.aizu-higashiyama.com/
http://www.mukaitaki.com/
雑記帳 向瀧には、もっと早い時期に泊まるつもりだったが、膝に支障を持つ家内に階段が堪える、それにガイドブックに掲載されている鯉の甘煮の写真がなまなましくて、少々気持ち悪かったからだった。
鯉の甘煮については、山形県米沢八湯の白布温泉東屋でこれを食べて美味しく思ったのでこちらの先入観は解消、階段については向瀧のHPで「階段の少ない部屋」を見つけて心配が解消、これで安心して予約の電話を入れた。
データ (変更されている可能性もあります。お出かけ前にご確認ください。)

女性スタッフも素晴らしかったが、玄関先・ロビーを中心にきびきび動き、客に心地よさを与えてくれていた男衆の応対に拍手。
じゃらんで、接客サービスの評価が満点の5が納得できた。

地元出身の超有名な方(故人)がいらっしゃいます。わたしがそのことを仲居さんに言ったら、「まあ~よく見つけられましたね!お客様では初めてです。」と驚愕された。この遊び心がとても愉快だ。

夕食

夕食・朝食とも部屋食。
それにしても階段で上がる部屋が多いのに、品数の多い料理を運ぶのはさぞかし重労働だろう。

宿のHPにはこんなことが書いてある。
・地産地消は当たり前、地元会津の食材を使用。エビ・カニ・マグロなど海の食材は主な食材にはなりません。
・派手な演出はありません。

食前食:がまずみのしずく

食 事

江戸時代、東山温泉は天寧寺(の寺領内にあった)の湯と呼ばれ、明治6年に平田家引き継いだ会津藩の湯場は「狐湯」と称していた。

大きさは2mx3mほど、白御影石で縁どられ底はタイル張りで、大理石の洗面台も残されている。

湯口等はシャワー・蛇口が無い時代の湯治場時代の形を残しており、全般にレトロな雰囲気だ。

若松城(地元では鶴ヶ城が一般的)1965年にコンクリート造りで再建(博物館が付属)。

湯川を跨ぐ赤い擬宝珠(ぎぼし)の橋を渡った先に向瀧がある。金色の「向瀧」の看板が見事だ。駐車場は数台分が左手にある(犬の為に予めそこを予約しておいた)。他は少し離れた場所にあるようだ。

●朝食

きつね湯の注ぎ口、自噴・加温・加水無しの温泉が一度溜められてから浴槽に落される。カルシウムが白く厚く付着していて、温泉マニアを泣かせる景色だ。

書院造の客室棟を繋ぐ軽やかな木造の渡り廊下の風情が素晴らしい。

特に凝った作りではない「蘭の間」。部屋によって純書院風や数寄屋風の造りもある。

ガラス・木造引き戸のどっしりした玄関。館内には伊東博文・東郷平八郎(元帥)・野口英世・竹久夢二等の揮毫が掛けられている。

向瀧のHPで、階段の少ない部屋が3室(らん・あやめ・梅)あると表示されていたのでこれを予約した。当日案内されたのは「らん」(平日2人1室1人19,000円税別)で、10段くらいの階段を一度上がる。

8畳と5畳の次の間に4.5畳くらいの板の間、湯川に面しているが眺望は無く川は見えない。
広さで言えば24室の中程度、特に凝った造作ではないがしっとりした和室で、大浴場の「さるの湯」と3ヶ所の貸切風呂に近いのが何よりだった。

向瀧に泊まるからには、客室選びに拘りたい。
予算に合わせないといけないが、「客室の構造・技巧」「広めの部屋」「見晴らし」「階段の少ない部屋」などの諸条件をベースに好みの部屋を選んで予約することをお薦めする。

向瀧のHPにはすべての部屋の写真が掲載されているのでこれを参考に、予約時に電話で詳しく照会や確認を行うことが出来る。

廊下から見る池と回遊式庭園。

多数の棟を磨き抜かれた渡り廊下や階段で繋ぐが、それらはすべて木造だ。
これだけ多くの木造建築を維持・管理するのは大変な苦労だろうと感じ入る。


一部の棟は背後の丘の斜面に建てられてるので実質3階建て、足腰に支障がある方には辛い部屋が多いので予約の際に確認した方が良い。。
すべてタイプが異なる24室、この内1室がかって皇族方が宿泊した離れ、ここも登録有形文化財に指定されている。

向瀧名物の「鯉の甘煮」真空パックにしてもらって持ち帰ることも出来る。

国道118号線沿い阿賀川渓谷に、に湯煙を上げる芦ノ牧温泉。

市域には蕎麦屋が30軒ほどある。名物のネギ蕎麦。まるまる一本の場合もある。

庭園を見ながら渡る廊下の心地よさ。冬の雪景色は格別だろうが、冷え込むな、と思ってしまった。

廊下には歴史を感じさせる古い調度品や食器等が展示されている。

磐梯鱒のせいろ蒸しなど手の込んだ品がある一方、ほうれんそう・ブロッコリー、なめこ汁など家庭的な品も並びほっとする。かぼちゃのプリンが美味しかった。朝食のお品書きは初めての経験。

阿賀川(新潟県に入ると阿賀野川・・・下流の水量は日本最大級))の支流、湯川沿いに20軒余りの旅館・ホテルが建ち並ぶ。

16~17歳の士分子弟からなる白虎隊。自刃した19名の墓がこの飯盛山にある。

会津地方の郷土玩具として有名なあかべこ。この他に起き上がり小法師も知られてる

玄関の背後に入母屋造りの棟が連なる。

なんとも美しい風呂に思わず息を呑んでしまった。
単に大理石がふんだんに使われて豪華、というだけでなく床・壁・裸婦のレリーフ(女性用には無い)・浴槽等の色のハーモニーが絶妙なのだ。
温泉の色もここでは濁り湯でなく無色透明が良く似合う。
この風呂に、43℃位のしゃきっとする高温泉がぴったりだった。

風 呂

進肴(福島酵母牛の姫ステーキ)

お凌ぎ(ほくほくお芋と会津古代米)

焼物(会津の山里朴葉焼 会津地鶏・椎茸)

強肴(にしんの山椒漬け)

でざーと(リンゴのジュレ掛け)

小松菜と油揚げの味噌汁、会津のこしひかり 手作り佃煮と柔らかカブ漬け

揚げ物(鯉の揚げ出し)

煮物(会津伝統の汁 こづゆ)

伝承の一品(会津藩直伝、江戸時代からの鯉の甘煮)

向付(磐梯鱒の秋色お刺身)

前菜(春菊の白和え、岩魚の美酒佳肴焼他)

先付(盆地長葱の鰹掛け)