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従軍慰安婦( 6 ) 強制連行の証拠はあった!

 

 

 

 

 前回までで朝鮮の慰安婦の話は一通り終えた。藤岡信勝氏の言うように軍が強制連行した証拠は存在しない。ただし それはあくまで朝鮮に限定した話であった。

 

 まずはオランダ領をみていくことにする

 

 オランダ政府報告書によると戦時下のジャワを中心とするインドネシアでは15万人を越えるオランダ人が日本軍の管理する捕虜収容所および民間人抑留所に収容されていた。

 そこで軍の担当者と業者が収容されていたオランダ人女性に目をつけ 、高待遇を餌にして慰安婦になるように勧誘や説得を行った 。 抑留所を管理していた 第16軍軍政監部強制しないこと 自由意志で応募したことを証明する本人のサイン付き同意書を取るように指示したが、違反する出先部隊もあった 。その代表例が白馬事件である 。

 

 白馬事件とはスマラン慰安所で行われた強制売春のことで、1948年に女性たちの告発により戦後のBC級裁判の法廷で裁かれ 、死刑を含む10数人の有罪者を出している 。有罪者のなかには軍人のほかに 、慰安所を経営していた日本人業者も含まれている 。法廷では慰安婦にされた35人のうち25名が強制だったと認定した 。

 

 1994年のオランダ政府報告書ではオランダ領インドネシア各地の慰安所で働いていた200~300人の白人女性のうち少なくとも65人を強制売春の犠牲者だと判定している。逆に言えば志願者もいたことも冷静に認めているようだ 。

 

 他にオランダ人女性以外の事件として南ボルネオの強制売春事件がある。主として日本人の現地妻だったインドネシア女性を強制的に慰安婦にしたかどで13人の軍人たち有罪となっている 。

 

なんとオランダ領では強制連行の証拠があり裁判まで行われていた

 

 

 

次にフィリピンの慰安婦の証言をみてみよう

 

 

 

 ヘンソンさん 著書「ヘンソンの苦難」から

 

 42年2月、近所の山路で3人の日本兵にレイプされた。直後に抗日人民軍のフク団(フクバラハップ)に加入、アンへレス地区で伝令や物資調達を担当、翌年4月組織の指示で男性ゲリラと荷車に武器と弾薬を忍ばせて運ぶ途中、日本軍の検問所で捕まり、駐屯地に監禁、「慰安婦」にされた。

 44年1月、ゲリラ仲間が襲撃して奪還してくれた。

 

 

 職業的慰安婦とは違ったケースである 。 ヘンソンさんを含むフィリピンの慰安婦たちのほとんどは 、業者が介在する余地がなく慰安所暮らしではない 。フィリピンの場合 ゲリラ討伐や内偵に便乗した虐待やレイプが行われていたと思われる 。

 

 慰安婦たちのリーダー的存在であるヘンソンさんはアジア女性基金に反対していたが 、その後気持ちが変わり96年8月に第一号として200万円の償い金を受け取っている 。

 彼女は 英文で回想録の原稿を執筆したほどの知力の持ち主で 、記述も筋道が通っており 最も信憑性の高い証言者だと思われる 。 残念ながら 彼女を9ヶ月監禁した部隊名や隊長名がわからず、直接的な裏づけを取ることはできていない 。

 しかし 、タルラック憲兵分隊にいた北崎茂三少尉は 、ゲリラとの戦いで兵士たちの気持ちは荒れていたから申し立てのような状況はありえただろうと語っている 。

 事実 、フィリピンの第14部隊軍紀が乱れていると定評があり 42年5月2日の陸軍省会議で 大山法務局長 が 「 南方軍の犯罪件数237件 、支那事変に比して少なし 。第14軍には強姦多し 」 と報告している。

 

 

 

オランダ領では裁判まで行われており強制連行の証拠がある

 

またフィリピンでは直接の裏づけとなるものが あるわけではないが

 

関係者の証言や歴史的事実と矛盾しない 信憑性のある証言も存在する

 

これを朝鮮での強制連行の証拠とするか

 

それとも逆に

 

だからこそ朝鮮では証拠もなく 強制連行はなかったとするか

 

その判断は各人にお任せする

 

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