謝罪広告は11月11日(15)

『国が燃える』捏造事件?(1)
女子供が見えますか?(2)
下関虐殺の元ネタ?(3)
下関埠頭で何があったのか?(4)
百人斬りってマジですか?(5)
『南京事件』偽史料列伝(6)
訂正はあるか?(7)
とりあえず「まとめ」(8)
国際問題へ発展(9)
第三部ついに完結!(10)
まだあった捏造資料!!(11)
ニセ証言をさらに改竄?(12)
前号(42号)の問題点(13)
南京爆撃の描写(14)
謝罪広告は11月11日(15)

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抗議活動への回答

『柳川友裕の日々雑感』より(抜粋)
2664年10月22日 集英社が本宮ひろ志と連名で、「謝罪、訂正」を自社広告決定! 
(略)
 一  指摘された四十二,四十三号の「南京大虐殺」の描写、ニセカラクリ写真を単行本において全て削除する。

 二  特に、「百人斬り」を想起させた描写は訴訟を係争中の原告・ご遺族に多大なご迷惑をおかけし、読者に過った認識を与えたとして、極めて遺憾である旨を集英社は自覚する。単行本においては全面削除する。

 三  十一月十一日発行のヤングジャンプ誌上で以上の点を、最低見開きページ以上をもって、使用したニセ写真等のカットを用い、上記一、二を訂正・削除のうえ、読者並びに関係各位に謝罪する。その社告には、作者の本宮ひろ志も作家としての重大な過ちを反省・自覚した証として連名する。(ページ数は三,四ページになると思われる)
 
 四  「訂正・削除」の自社広告は、ゲラ刷りの段階で西村修平の確認を受ける。
(略)
『柳川友裕の日々雑感』より



いぬぶし秀一の激辛活動日誌 より(抜粋)
 (略)
 まず、しんぶん赤旗を示して『地方議員が圧力』とあるが、議員が来たことで集英社の対応が変わったか、と質問した。これは、本件反対派の論調が『言論弾圧』にあるようなので、念のため確認した。また、前述の西村氏が『集英社で暴れた』というウワサを流す輩がいるようなので、この点もうかがった。今後の対応など、集英社の回答は以下の通りである。

圧力について:
申し訳ないが、議員であるということは、まったく本件決定には影響していない。多くの抗議行動のひとつと考えている。従って、圧力とは認識していないし、当社に対する言論弾圧とは思っていない。(抗議は一日20件以上だった)

今後の対応:
11月11日発売号において『読者の皆様へ』として、作家本宮ひろし氏と連名で『不適切な記載があった』事、『資料の検証に疑義があった』ことを謝罪、説明する。百人斬りなどにより戦犯として処罰された方々、ご遺族に『誤解を与えた』ことは遺憾である、と述べる。(見開き2ページ)

単行本においては、『不適切な描写(8ページ)』は削除し、前後がかみ合わなくなるので、加筆して出版する。

西村氏の暴行について:
そのような事実はなく、紳士的に話し合った。街頭宣伝も集英社敷地には入らず、礼は失していない、と認識している。
(略)
いぬぶし秀一の激辛活動日誌 


不適切な描写は何ページ?

 訂正広告についてはヤングジャンプ11月11日発売号に掲載されるということです。コミックは11月19日発売予定ですから、修正原稿は完成しているんじゃないかなと思います(10月31日現在)。

 柳川氏への回答では42号、43号の南京大虐殺の描写は削除ということになっていますが、犬伏議員への回答では8ページが削除となっています。この辺りの差は非常に気になりますが、中途半端な修正で問題を長引かせて評判を落とすのは本宮氏と集英社ですので生暖かく見守りたいと思います。
 
 いろんな意味で今回の騒動をきちんと始末することができれば、次回作につながると思います。




 
言論弾圧論についての考察

言論の自由とは

 思想信条の自由、言論の自由は国家が保障していますから、本宮氏がどういう主張をされても構わないわけです。例えば捏造された信頼性のない史料をもとに「南京大虐殺はあった」と主張するのも自由です。史料なしに「虐殺はあった」と主張してもいっこうに構いません。ちなみに「南京大虐殺はなかった」と主張しても構わないわけです。
 日本では「南京大虐殺があった」という書籍も数多く発売されています。また中国側のプロパガンダをまとめて出版する自由もあります。

 しかしながら「史料を改竄する自由」というのは認められていません。(フィクション性については後述)

 似たような例に、ゴッドハンドこと藤村新一氏による旧石器捏造事件があります。藤村氏がどういう歴史観を主張しようが問題になりようがないのですが、自分で持ってきた旧石器を埋めて、何万年か前に人類が存在したという証拠を捏造すれば大問題になるわけです。

 


 表現の自由

 表現の自由も国家が保障しています。創作活動、表現活動、は他者を傷つけない範囲で自由です(わいせつ罪はまた別)。

 実在の人物団体を登場させる場合や、実際の歴史を扱う場合も、客観的に他者を傷つけない範囲での表現は自由であると言えます。


 完全な架空世界ならば実在する他者を傷つけようがありませんから、残酷な虐殺の光景・物語を描いても、それは表現の自由として認めなければなりません。個人の主観でもって、表現を規制することは許されないのです。
 例えば「バトルロワイヤル」という中学生が殺し合いをするというストーリーが話題になった映画がありました。民主党の議員が中心になって公開中止を求めたことで逆に話題になり大ヒットした映画です。

 民主党議員らが間違っていたのは、「客観的な問題点の指摘」ではなく、単に「個人の主観」を基準に抗議を行ったことです。思想信条の自由は憲法で保障されていますから、個人の主観を強制的に押し付けることは慎まなければなりません。



 抗議する自由

 「言論の自由」には「抗議する自由」も当然ながら含まれます。
 しかしながら、個人や特定の団体の主観でもって行う抗議はやりすぎると暴力になります。個々人で考え方や意見は違って当然ですから、主観を強要することは暴力になります。思想信条の自由にも反することになります。

 個人の主観については「抗議」と称して強制するのではなく、自分で「表現」することで広めるべきと言えます。

 例えば教科書採択の例でいうと、扶桑社の「新しい歴史教科書」が気に入らないならば、WEBで批判したり、著作を出版するなり、自分の意見を反映した教科書会社を支援するなりすればよいのです。
 「扶桑社の教科書を採用するなという意見」が全ての人に受け入れられるとは限りませんが、受け入れらないからといって「なんで俺の意見を受け入れないんだ!」という主観的な抗議をするのは、他の方の「思想信条の自由」を侵す行為ということができます。
 客観的には検定を通過した教科書であれば、どの教科書を採用するのも自由なわけです。個人の主観で他者の権利を阻害することは慎まなければなりません。



客観的な抗議活動

 『国が燃える』事件については、個人の主観ではなく、客観的な抗議となっています。つまり「史料の改竄」や「捏造史料」の採用が問題であり、捏造した事件を「歴史的事実」として描いたことが問題なわけです。
 要するに「ウソを事実として宣伝したら問題でしょう?」という抗議内容です。
 
 こういった「客観的な抗議」というのは「言論の自由」として当然ながら認められるものです。「間違い」については当事者が改めなければなりません。例えば教科書に事実誤認の記述を発見すれば、検定を行った文部省や作成した出版社に対して資料を提示して修正を求めることになるでしょう。

 今回の事件でも集英社や本宮サイドが史料を提示して反論する自由もありました。しかし「史料の改竄」及び「捏造史料」を提示したという事実には反論のしようがなかったから、集英社は反論を行わず修正に応じたものと思われます。



フィクション性について

 先に説明したように基本的に実在の人物や団体が登場しない完全なる虚構(フィクション)であるならば、表現の自由は憲法で保障されていますから、原則として何を書いても訂正や修正をする必要はありません(わいせつ罪はまた別問題です)。

 『国が燃える』については架空戦記でもなく、実際の歴史の中に架空の人物が登場するという内容になっています。ですから、歴史の部分はある程度事実関係について考証されている必要があります。しかしながら、漫画家はエンターティナーであって、歴史の専門家ではありませんから考証のミスが存在する可能性は否めないでしょう。学術書として描いたものでなければ、些細なミスについては修正が必要ない場合もあります。

 しかし『国が燃える』は、日本人や日本軍を批判する内容となっています。この場合、批判されているのは全ての日本国民ですから、当然ながら事実に基づかない批判については「抗議」することが認められます。
 この抗議は『客観的に史料の改竄、捏造史料であることを証明』した上で行われていますから、言論弾圧などにはなりようがないわけです。


 日本国や国民を批判の対象にしている以上「フィクションですから抗議しないで下さい」という理屈が通用するわけもないのです。



勘違いの擁護活動

 ネット上を中心に少数ですが「言論の自由を守れ」とか、「表現の自由を守れ」という意味の発言が見られ、復刊ドットコムでの投票活動もあるようですがこれらの言説には大きな勘違いがあるように見受けられます。
 復刊ドットコム『国が燃える』の復刊リクエスト。同コメント集。

 出版社として、「間違い」や「事実誤認」が証明された場合は訂正するのが基本であって間違いを放置することは「恥」になります。要するに改竄史料や捏造史料を提示して「歴史」を語ることは「恥」になるということです。

 政治的な意図で中国の反日プロパガンダを広めたい方は、本宮氏や集英社が恥をかこうが商業的に失敗しようが「虐殺の印象」が広まればよいのですから、そういう方々に乗せられてプロパガンダに加担するのは賢いとは言えません。

 商業的に考えると、集英社にとっては、修正に応じて「健全な出版社」としてやっていくのか、修正に応じず、デタラメなプロパガンダを垂れ流した「反日サヨク系出版社」と言われながらがんばっていくのかの選択だったわけです。反日サヨクが好調だった時代ならば、修正しないという選択もあったでしょうが、現実には言論界でも保守系雑誌のほうが売れていますね。

 「修正なしなら大ヒット確実」、修正しないほうがメリットがあると考えれば「休載」も「修正」もなかったと思いますが、現実には修正したほうがメリットがあると集英社及び本宮サイドが判断したということだと思います。


 以上、簡単ですが、言論の自由について考察してみました。
 ポイントは、客観的か主観的かです。
 思想的に「左より」の方は、個人の主観を押し付ける傾向が強いのですが、他者を思いやる気持ちに欠けているように思えます。「正義」というのは個々人によって違いますから思想の強制はNGなんですよ。
 

『国が燃える』捏造事件?(1)
女子供が見えますか?(2)
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第二弾(1) 訂正の報告(YJ50号)より
第二弾(1) 訂正の報告(YJ50号)より