『南京事件』偽史料列伝(6)

『国が燃える』捏造事件?(1)
女子供が見えますか?(2)
下関虐殺の元ネタ?(3)
下関埠頭で何があったのか?(4)
百人斬りってマジですか?(5)
『南京事件』偽史料列伝(6)
訂正はあるか?(7)
とりあえず「まとめ」(8)
国際問題へ発展(9)
第三部ついに完結!(10)
まだあった捏造資料!!(11)
ニセ証言をさらに改竄?(12)
前号(42号)の問題点(13)
南京爆撃の描写(14)
謝罪広告は11月11日(15)

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偽造資料、ニセ証言者たち

 本宮氏が史実とは違う「南京虐殺」を捏造しているのは明らかですが、本宮氏に限らず「南京虐殺」を捏造したい方が沢山いるのは事実です。

南京戦史編集委員、板倉由明氏の著作から
 南京事件でもニセ者、ニセ証言者の絶え間がなく、ハッキリしたものだけでも、古くは田所耕三(兵士)、秦賢介(新聞記者)などあるが、昭和五十八年の朝日新聞で紹介された中山重夫氏もその一人であろう。
(略)
 中山氏が所属していた戦車第一大隊は中山門正面で戦闘をしており、全国講演でのサワリの部分「雨花台で実見した大虐殺」は、場所的にも時間的にも目撃不可能であった。また、城内で目撃したと語っている死屍累々の光景は、日本軍兵士の誰も、いや、ほぼ同時に入城して、後に日本軍の虐殺を書いた朝日・今井正剛記者や東京日日・鈴木二郎記者すら見ていない光景であった。

『本当はこうだった南京事件』P234 日本図書刊行会 板倉由明著

 同書によれば、中山氏は全国各地で百回以上も講演を行い、都内の高校で社会科の講師として招かれたということですから呆れたものです。こういった偽証言者が現れる理由は「虐殺しました!」という証言をすると、ろくに検証もしないで「勇気ある証言者」としてマスコミがヒーロー扱いするという背景があるでしょう。



 南京戦史の主力編集委員である板倉由明氏は同書で、曽根一夫氏、東史郎氏、船橋照吉氏らについても実名をあげて検証を行っています。

 『東日記』については、既に名誉毀損の裁判で最高裁の判決が確定しており、虐殺の光景は虚構であり、当時書いたという日記原本も存在せず、戦後の回想記であることが認定されています(板倉氏の著作発表時には係争中)。

 『曽根一夫』氏については経歴詐称が発覚しています。曽根氏が行った強姦や虐殺などは、最前線の歩兵の分隊長としての視点で書かれていますが、実際の曽根氏は砲兵隊の所属であり、しかも初年兵で馭者(大砲を馬で引っ張る係)であったことが確認されています。つまり、曽根氏の強姦や虐殺談は虚構ということになります。また、曽根氏も「日記」を発表していますが、曽根氏の所属部隊は南京に入城していないにも関わらず「十二月十四日、南京到着、敵死体散乱し、死臭甚し」などと書かれており、史料価値は全く無いことになります。
 余談ですが、秦郁彦教授も曽根氏に引っ掛けられた一人で、著作の中で曽根氏の手記を引用してしまっています。

 『船橋照吉』氏については、本人が日記の偽造を認めています。船橋氏の偽造日記は、京都府教職員組合、日本社会党京都府本部、部落解放同盟などが主催した平成三年「石原発言を許さない京都集会実行委員会」が主催した集会で出版された、『歴史を偽造するのは誰か?』という冊子に収録されました。
 『歴史を偽造するのは誰か?』という冊子に、虐殺を偽造した日記が掲載されるという皮肉な結果となっています。


 船橋氏は「講演や日記の発表は、東史郎、下里正樹(赤旗記者)、吉田保(京都機関紙印刷センター代表)など、各氏に説き伏せられてイヤイヤやったものだ、とか、旅費は持つから中国へ行こう、と誘われた、と言い、東氏の推薦は証拠であきらかになっている。
 
『本当はこうだった南京事件』P237 日本図書刊行会 板倉由明著




秦郁彦教授の場合

 日本軍が犯したとされる戦争犯罪がマスコミで取り上げられると、必ずと言ってよいぐらい元日本兵のザンゲ屋ないし詐話師が登場する。
 最初の告白が新聞の地方版か週刊誌に出たあと、市民団体が講演に引っ張り出して全国を回る。第一作の著書を出す、好評だと第二作も書く、被害者の国へ出かけて謝罪するというパターンも決まっている。
 有名な南京虐殺事件にも、この種の人物が何人か登場したが、私はその一人とニューヨークで同宿したことがある。

『慰安婦と戦場の性』 新潮選書 秦郁彦著作

  従軍慰安婦問題では、吉田清二氏がその名もずばり『私の戦争犯罪』という著作を発表し、軍命令による慰安婦の強制連行を発表しましたが、その後の調査により全てが捏造であることが判明しています。出版社も「あれは小説ですから」と開き直ったようです。
 『戦争犯罪』を告白することで、講演に呼ばれ、著作を発表できるなど、経済的にも潤うという構造がそこにあります。また、それを支援するグループが存在することも事実です。

 最近は史料が充実してきましたから、実名の証言・日記などの史料で虐殺が発表された場合、所属部隊の行動やその他一次資料と比較検証が行われます。所属部隊の生存者にも確認がいきます。すでに『南京戦史』などで戦史が整理され、所属部隊がわかれば大体の行動が判明するわけです。参戦者の証言や日記などの史料も整理されていますから、ある程度の検証は可能になっています。


 偽造日記とニセ写真?
都城23連隊事件

 「日記と写真もあった南京大虐殺、悲惨さ写した3枚、宮崎の元兵士後悔の念をつづる」として、「虐殺に直接携わり、苦しむ真情をつづった日記と、惨殺された中国人と見られる男性や女性の生首が転がっているなどの写真3枚が見つかった」と朝日新聞が報道したものです。

 惨殺写真もさることながら、日記の内容は衝撃的だった。
 昭和12(1937)年12月12日の南京入城から3日後の15日に、こういう記述がある、と記事は言うのだ。
 (カッコ内は朝日の註)
 「今日逃げ場を失ったチャンコロ(中国人の蔑称)約2千人ゾロゾロ白旗を掲げて降参する一隊に出会う。・・・・・・処置なきままに、それぞれ色々な方法で殺して仕舞ったらしい。近ごろ徒然なるままに罪も無い支那人を捕まえて来ては生きたまま土葬にしたり、火の中に突き込んだり木片でたたき殺したり、全く支那兵も顔負けするような惨殺を敢えて喜んでいるのが流行しだした様子」
 21日には、こう書かれてあるという。
 「今日もまたニーヤ(中国人のことか)を突き倒したり倒したり打ったりして半殺しにしたのを壕の中に入れて頭から火をつけてなぶり殺しにする。退屈まぎれに皆おもしろがってやるのであるがそれが内地だったらたいした事件を引き起こすことだろう。まるで犬や猫を殺すくらいのものだ」

「文藝春秋」昭和62(1987)年5月号
『朝日新聞との闘い・われらの場合』
吉川正司(元都城歩兵第23連隊・中隊長)著
http://www.history.gr.jp/nanking/books_bungeishunju875.html

 生首がゴロゴロと並んでいる写真は有名ですが、実はトリミングが施されており、トリミングされた上の部分には「鉄嶺ニテ銃殺セル馬賊ノ首」とハッキリ書いてあるのです。この写真は南京事件とは無関係のものであり、中国軍が捕らえた馬賊を処刑したものです。ちなみに当時は市販されていたものだそうです。
 当然ながら同時に発表された「日記」の信憑性も問題になってきます。しかし日記を所有している朝日新聞社は、連隊関係者に日記の検証をさせないようにした為、日記の開示を求めて裁判になっています。

 歴史史料である日記の開示を巡って裁判になるなど非常に馬鹿げた話です。なぜならば検証不能な史料で歴史を語ることはできないからです。史料批判(検証)が歴史学の基本ですから、検証できない史料は、学術的には存在しないものとして無視して構わないわけですね。
 
 上記の日記について朝日新聞は記述者名を明らかにしませんでしたが、連隊の調査により、隊史を編纂する際に残っていた宇和田氏の回想記と一致する点もあることが判明しました。しかし、虐殺シーンやその他の部分は宇和田氏の回想記にはなかった、ということです。つまり、写真も日記もニセ史料と断じて問題ないでしょう。

 
 もちろん、ここで紹介した他にも「あやしい証言、史料」はありますが、キリがないのでこの辺で切り上げます。
 


仮名証言(手記、日記)の史料価値

 以上のように南京事件の場合、虐殺の証言者には「ニセ証言者が多い」というはっきりとした傾向があります。


 ですから全ての証言や史料は検証が必要です。歴史のプロである秦教授がニセ証言者に引っ掛ったのも、冷静な検証を怠った為です。ですから「仮名」での証言や手記は、記述者の本人確認と、所属部隊確認などの検証がされない限りは学術的な歴史史料として使うことはできないと考えてよいでしょう。

 
 本宮氏が参考資料として提示したものに『南京戦、閉ざされた記憶を尋ねて』があります。今はなき『ニュースステーション』という番組でも紹介されました。
 十六師団所属の三十三連隊、三十八連隊に対して名簿を手がかりに聞き取り調査を行ったという事ですが、不思議なことに接触がなかった方もいるようです。調査対象を選り好みしたのでしょうか? それとも・・・?

 当時、歩兵第33連隊第5中隊の第1小隊長だった市川治平さんは、歩兵33連隊の生き字引とも言われ、野田連隊長をも、天野中隊長をも知っていて、戦後になって書かれた「歩兵第33連隊史」の刊行では中心的な役割を果たした。
 その市川さんが、この本をこう語る。

 「本当にばかばかしい本です。私のところに聞き取りには来ませんでしたが、元気な2人の戦友に尋ねたら、2人にも来なかったと言っています。まともな話をする人には行かないようです。確かに予備役には悪い事をする人もいましたが、この本をざっと読んだところ、強姦などの話は、創作8割、本当2割でしょう」


「正論」平成14(2002)年11月号 阿羅健一著
「南京戦・元兵士102人の証言」のデタラメさ
http://www.history.gr.jp/nanking/books_seiron0211.html


 この『南京戦、閉ざされた記憶を尋ねて』は戦後の証言を集めた資料集という位置づけですが、登場者が全員仮名であり、インタビュー形式で行われたにも関わらず、証言者の言葉だけが延々と記載されているという摩訶不思議な構成となっています。つまり編集が入っていることは確実ですので学術的な資料集としては使うには不適当ということができます。
 




信頼できる資料集とは?
 南京事件に関する日本側資料集で一番有名なのは偕行社の『南京戦史』(非売品)です。虐殺があったという証言も隠蔽することなく公平に提示していますし、史料として掲載する際には所属部隊の確認などを行っています。上で紹介した船橋氏は、当初南京戦史に(虐殺の光景がない)日記を送ってきましたが、所属部隊がアヤフヤな為に掲載にならなかった方です(後に虐殺日記を捏造した)。
 『南京戦史』ではほとんどが実名で登場していますし、仮名の人物も戦友会などで実在が確認されています。つまり学術的な価値が高い史料集ということができます。

 次に有名なのは『「南京事件」日本人48人の証言』小学館文庫です。これは全員実名で登場しています。当時南京にいた報道関係者の証言も掲載されています。インタビュー形式で、質問の内容と回答が併記されており(当たり前ですが)、学術的な価値は高いと言えます。

 この両資料を比較すると大きな矛盾点はほとんどありませんから、互いに支えあって互いの史料価値を高めているということができます。便衣兵の摘出や処刑については、一次資料(同時代資料)と、戦後に聞き取りを行った証言とが概ね一致するわけです。写真も残っています。軍人の証言と新聞記者の証言が一致するということは、事実関係を検証する上では重要な意味を持ちます。
 私服で安全区に潜伏した中国兵が摘発し処刑されたのは史実と考えて問題ないでしょう。しかし、万単位の民間人を無意味に殺害したという事件については、史料の整合性を考えれば「なかった」と言ってよいわけです。




中国側証言の扱い
 まず中国には言論の自由がありませんから、虐殺がなかったというような証言や虐殺を否定するような史料はあっても出てこないでしょう。中国には「漢奸」という言葉があり、これは売国奴というような意味になります。終戦後、中国国内では占領軍に協力したというだけの罪で死刑にされた方が沢山います(一般に「漢奸裁判」と呼ばれています)。

 ウソが恥になる日本の文化とは違い、中国人のメンタリティーでは、愛国的虚言は恥ではなく名誉ということになります。虐殺を証言することが愛国心の表現である為に過剰な表現になり、過大な表現になるという事情があります。

 南京事件については、南京に残留した外国人が中国人側に立って活動しており、記録を残しているので、中国人の証言は補足資料として、その他の資料と比較しながら使えば十分でしょう。


 学術的に考えても、中国側証言や資料が正しければ「30万虐殺(民間人だけで二十数万人虐殺)」が正しいことになるわけですが、日本の研究者で30万を主張する者はいません。これはつまり中国側の虐殺資料は史料価値が低いという証でもあるのです。





『国が燃える』捏造事件?(1)
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『南京事件』偽史料列伝(6)
訂正はあるか?(7)
とりあえず「まとめ」(8)
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