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■ 重 松   清 ■
(しげまつ きよし 1963~)
1963(昭和38)年3月6日、岡山県久米郡久米町生まれ。早稲田大学教育学部卒。出版社勤務を経て、フリーライターとなる。20近いペンネームを使い分け(主なペンネームは<田村章><岡田幸四郎>、<重松清>は本名)、ドラマや映画のノベライズを手掛け、時にはゴーストライターも勤めたという。
1991(平成3)年、『ビフォア・ラン』で作家デビュー。家族や子どもをテーマにした作品を多数発表。現在注目を集めている作家の一人。

 受賞歴 
1994(平成6)年第8回山本周五郎賞候補『見張り塔から ずっと』
1997(平成9)年第14回坪田譲治文学賞
第11回山本周五郎賞候補
『ナイフ』
1998(平成10)年第119回直木賞候補『定年ゴジラ』
1999(平成11)年第12回山本周五郎賞『エイジ』
2000(平成12)年第123回直木賞候補
第124回直木賞
『カカシの夏休み』
『ビタミンF』


作 品 I N D E X 

 1.定年ゴジラ
 2.半パン・デイズ
 3.流星ワゴン
 4.疾走   NEW


がついているものはブログの記事別ウインドで開きます。

■ 定 年 ゴ ジ ラ ■
(1998年)
★★★★☆

開発から30年、働き盛りで家を買った住人たちも今や定年を迎え・・・
自分の居場所を見つけようと足掻く散歩仲間の定年オヤジ4人組を温かく描く


オンライン書店ビーケーワン:定年ゴジラ

単行本 重版未定
 講談社 1998.3 \1,890 4062088142

文庫版 (画像はこちらのものです。)
 講談社 2001.2 \730 4062731096
 ※ 「帰ってきた定年ゴジラ」も収録された完成版

コミック版 三山 節子:画 重版未定
 秋田書店 2001.4 \660 4253176704

オンライン書店bk1


 
※ 読んだのは文庫版です。

■ 内 容
長年勤めた銀行を定年退職して1ヶ月、山崎さんにはすることと言えば散歩くらいしかない。しかも、30代の頃に頑張って買ったこのくぬぎ台ニュータウンは都心への通勤は大変だが、環境には恵まれている、と当時は思っていた。が、しかし、時間を持て余している今になってみると、散歩の途中に立ち寄って楽しめるような場所すら無い味気ない街だった。おかげで山崎さんはひたすら暇を持て余すばかり。
そんなある日の散歩の途中、このニュータウンの建設を企画したという藤田さんに出会った。彼もやはり定年退職直後だという。
散歩仲間になった2人に、先輩格の3人が加わり、彼らは意気揚々と毎日散歩に勤しむのだったが・・・。

定年になって、気が付いてみるとすることが無い、自分の居場所が無いというオヤジたちが、自分の存在価値や居場所、第二の人生を求めてもがく様をユーモアとペーソスたっぷりに描いた作品。
■ 目 次 ■
定年ゴジラ
第一章 定年ゴジラ / 第二章 ふうまん / 第三章 きのうのジョー / 第四章 夢はいまもめぐりて / 第五章 憂々自適 / 第六章 くぬぎ台ツアー / 第七章 家族写真

帰ってきた定年ゴジラ
■ オヤジたちの自然な心境
今まで読んで来た2冊(『半パンデイズ』『流星ワゴン』)は、お涙頂戴っぽいとか出来過ぎだとか感じられてそこがいま一つだったんですが、今回はそんなことはちっとも感じずに素直に笑ったりホロリとしたりしながら読んでしまいました。
高齢化社会の今、定年後の暮らし方に様々な提案が成されていてます。やれ趣味を持てだの、生きがいを持てだの、田舎暮らしだ、海外移住だ、とかなんとか…。でも、ここに出て来るオヤジたちは家族を養うために会社人間にならざる得なかった人たちで、そんなことは頭を過ぎっても実際にはどうしていいやらわからず途方に暮れるばかり。ヤキモキしないこともないですが、それが大多数の人の現状だろうな、と思いました。きっと同じ境遇のおじ様たちの多くは、「ウン、ウン!」と大きく頷きながら読まれるんじゃないでしょうか。
暇が出来てしたいことを思いつく前に、「何もすることが無い自分て何なんだ?」「何のために今まで汗水たらして働いて来たんだ?」と考えてしまう・・・その方が自然だと思います。

■ オヤジたちの自然な心境
主人公の山崎さん、ニュータウンの企画をした藤田さん、大手広告代理店の部長だった町内会長、大手運送会社の営業の斬り込み隊長だった野村さん。四者四様、キャラクターの書き分けが良く出来ていて、みんなそれぞれに往年の働き振りが眼に浮かぶようです。定年になって、家に居るようになってもその調子そのままで、家では皆持て余されている様子なのがおかしいやら、哀しいやら。
特に町内会長のボヤキと野村さんの西日本の方言満載のしゃべくりは抜群に面白いのですが、その裏には哀愁が感じられます。主人公の山崎さんや藤田さんのように大人しい人柄の人より、人間味が感じられて、より愛着を感じてしまいました。

■ オヤジたちの自然な心境
舞台になっているくぬぎ台ニュータウンがまた一つの重要な要素になっています。
<何も無いところに企業によって計画的に作られた街>という特殊な要素がいろいろな面から描かれていて、とても興味深く読めます。ふるさとって? ホームタウンって? そして、マイホームって?・・・そんなことも考えさせられます。
家族のために必死になって買ったマイホーム、そして、それが建つニュータウンは定年後のオヤジたちにとっては肩身の狭い場所になっている・・・何とも皮肉です。でも、何とか居場所をみつけなくちゃならない・・・オヤジたちはやるせなさに耐え、時には虚勢をはりながらも頑張るのです。


同世代の女性に比べて元気の無いと著者が感じた定年後の男性諸士に向けてエール・・・確かにそう感じられる作品です。
(2005.12.3)

 この作品はリハビリ的読書にも掲載しています。


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■ 半 パ ン ・ デ イ ズ ■
(1999年)
★★★★

友達との係わりの中で成長して行くヒロシ少年の小学生時代の6年間
70年代の西日本の小さな港町を舞台に描かれた瑞々しく懐かしい物語


オンライン書店ビーケーワン:半パン・デイズ

単行本 重版未定
  講談社 1999.11 \1,785 4062098970

文庫版 (画像はこちらのものです。)
 講談社 2002.11 \730 4062735970

オンライン書店bk1


■ 内 容
日本で初めての万博が開かれた1970年。突然、父親の地元・西日本のとある小さな港町に引っ越して来たヒロシ。幼稚園を卒園したばかりのヒロシは友達もいない見知らぬ土地で春休みを過ごすことになってしまった。ちょっと仲良くなった向かいの家のおにいちゃんヨウイチくんもすぐに越して行ってしまった。小学校に入学しても地元訛りのない言葉をからかわれるばかりで、なかなか友達が出来ない。ある日、クラスで一番いばってる吉野くんに海に誘われたが…。
見知らぬ町で小学校生活を始めたヒロシが友達や周囲の人々との係わりながら、徐々に成長して行く姿を小学校卒業までの6年間にわたって描いた作品。
■ 目 次 ■
第一章 スメバミヤコ / 第二章 ともだち / 第三章 あさがお / 第四章 二十日草(はつがぐさ) / 第五章 しゃぼんだま / 第六章 ライバル / 第七章 世の中 / 第八章 アマリリス / 第九章 みどりの日々
■ 悔しいけど、ズルズルと引き込まれる
非常にノスタルジックでセンチメンタルで、ヒロシの好感度は抜群で…と、全てにおいて作り込み過ぎているような感じが最初から最後まで始終付きまとっていました。ただ、その”過ぎている”度合いが実に微妙で、「鼻につくなぁ。」「クサいぞ!」と思いながらもズルズルと引き込まれて行ってしまうのです。「クサい!クサい!」と慌ててもがいて脱出を試みて、ようやく頭だけ浮かび上がっても、またいつの間にかズルズルと引き込まれて行ってしまう。まるで底なし沼にはまり込んだ気分でした。
泣かせるツボが実に巧妙で、これ以上やったらクサさしか感じない、という微妙なところで書いています。クサい話だと思いながらもじーんと来てしまう…困ったものです。
当時のTV番組とかマンガとか流行ったモノとかがあちこちにちょこちょこ出て来て、ヒロシと同じ頃に子どもだった者に対しては物凄くあざといクスグリになっています。あざといなぁ、と反発しながらも、ハメられてしまう。本当に困ったものです。
著者の思うツボに次から次へとハメられて、なんだか悔しい…。

■ ”ぼくたちみんなの自叙伝”
ヒロシのキャラクターも曲者で、欠点も持ち合わせてれば劣等感もある、極々普通の子どもとして描かれているのがミソ。その欠点や劣等感がまた、大人から見たら微笑ましいという、如何にも大人好みの子どもらしい普通の子どもで、親近感が湧き易く創られている、それがまた「あざといなぁ。」と…。(笑)
そんなヒロシだけだったら、ダメな子どもだった私(しかもへそ曲がり)は劣等感が先に立って反発を感じたでしょうが、準主役級の吉野くんは勿論、上田くんや田原・栗本といった”ダメな子たち”もまた良く描けていて、彼らをごちゃ混ぜにすると等身大の普通の子どもが見えて来るといった感じで、この著者はやっぱり子どもの世界をよくわかっているなぁと認めないわけには行きません。
しかし、そんな私でも第五章の<しゃぼんだま>では思わずヒロシに強く強く共感してしまいました。私がヒロシと同じ4年生で感じたこと感じ、言いたくても言えなかった事をヒロシもまた言えずに抱え込んでいるんです。<文庫版のためのあとがき>に「”ぼくたちみんなの自叙伝”として読んでいただけたなら…」とありますが、その部分は確かにそう感じられました。小説だから出来事はどれもドラマチックですが、そこに書かれている想いは誰しもが感じた経験があるようなことばかり。だから、みんなそれぞれに”あの時の自分”がどこかしらに発見出来る。だからこの作品は多くの人たちの共感を得ているんじゃないでしょうか。


反発と共感と同時に感じるという不思議な経験をしましたが、他の作品も読んでみたいと思っている、ってことは、やっぱり著者の思うツボにハメられたってことなんでしょうねぇ。
つまりはこのヒト巧いんですね、とっても。
(2005.5.26)



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■ 流 星 ワ ゴ ン ■
(2002年)
★★★★

ワインレッドのオデッセイが人生のターニングポイントだったあの時へと誘う
もしもあの時がやり直せたなら…


オンライン書店ビーケーワン:流星ワゴン

単行本
 講談社 2002.2 \1,785 4062111101

文庫版 (画像はこちらのものです)
 講談社 2005.2 \730 406274998X

オンライン書店bk1


■ 内 容
永田和雄は38歳。郷里の父とは長年反目しあったまま過ごして来て、そのわだかまりを抱いたまま父は死んで行こうとしていた。それを見舞って終電で自宅近くの駅まで帰って来たが、家には帰りたくない…。ほんの少し前までは平凡だがそれでも幸せな家庭を築いて来たと信じていた。ところが突然のリストラで職を失くし、一人息子の広樹は中学受験に失敗してから荒れ出し、妻の美代子は家庭を顧みなくなり、とうとう離婚を切り出された。「もう死んでもいい。」・・・そう思った時、一台のワインレッドのワゴン車が彼の前に停まった。それには5年前に新聞記事に載っていた交通事故で死んだ橋本親子が乗っていた。橋本さんは和雄を「あなたにとって大切なところ」に連れて行くと言う。
「あなたにとって大切なところ」とは、和雄の家庭が今のようになってしまった原因のいくつかが潜みながら、全く気付かずにやり過ごして来た”その時のその場所”だった。初めに訪れたその場所で、和雄は今の自分と同じ38歳の父と出会う。同じ年の父は息子を朋輩だと言い”カズ”と呼び、自分を”チュウさん”と呼ばせる・・・。

■ 設定の妙が感動を
親の年になったら親の気持ちがわかる、なんてよく言いますが、本当にそうなんでしょうか? やっと当時の親の年になっても、その時は親も更に年を取っていて、現在の親の気持ちはわからないし、年を取ったからこそ気が付く親の嫌なところもあります。だから相変わらず、いや、益々反発しか感じない。カズとチュウさんの場合はそうです。父親は常に立ちはだかる大きな壁で、どんなに反発を感じても立ち向かうことも、まして理解なんて到底出来ずに38歳になってしまったカズ。同じ年の父親と実際に付き合うという経験で、そんな親子関係にどんな変化が起きるのか。また、家族崩壊の兆しを含んだ”その時のその場所”に立ち戻ったカズに何が出来るのか。こんな現実では絶対に有り得ないことを体験することで、父親との関係と、父親という人間そのものを、そして自分の家族を、もう一度見直す機会を与えられたカズ。そんなカズの赤裸々な苦悩や想い、そして心境の変化が、チュウさん(同じ年の父親)と橋本親子との交流を通して、自然に伝わって来ます。それを可能にしたのはこの絶妙な設定です。読めば読みほど、ストーリーに感動するのと同時に、この設定の妙にも感嘆させられてしまいました。

■ 温かいエール
カズとチュウさんの関係を描きながら、同時に人生のどん底に突き落とされてしまった人間に対する励ましもこの作品からは伝わって来ます。どんな最悪な状況でも前を見てしっかり生きる。そんな状況ではそれ以外に成すべき事は無いんだと…。でも、そんなことは当然で、あらためて言われるまでも無い。でもでも、その当然のことがいざとなると出来ないんですよね。そんな、ちょっと心の弱い、言い換えれば極々一般的な人に対してのエール。温かさに満ちたエールがすーっと心に染み込んで来る作品です。
(2005.6.4)



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