ホームサイト作家作品ジャンル読書履歴キーワード新刊情報日記BBSリンクメール


■ 宮 尾 登 美 子 ■
(みやお とみこ 1926~)
1926年(大正15年)4月13日、高知県高知市生まれ。高坂高女卒。17歳で結婚し、夫と共に満州に渡る。敗戦後、苦難の末に1946年(昭和21年)帰郷。高知県社会福祉協議会に勤務。
勤務を続けながら筆を取り、1962年(昭和37年)『連』(前田とみ子名義)で婦人公論女流新人賞を受賞。
代表作は『櫂』(第9回太宰治賞)、『陽暉楼』(第76回直木賞候補)、『寒椿』(第16回女流文学賞、『一絃の琴』(第80回直木賞)、『序の舞』(第17回吉川英治文学賞)、『松風の家』(第51回文藝春秋読者賞)、『蔵』(平成7年度エランドール賞)など。
平成1年、紫綬褒章受賞。


作 品 I N D E X 





■ ク レ オ パ ト ラ ■
(1996年)
★★★★

シーザー、アントニーとの華麗な恋の真実とは

宮尾登美子:著
(新潮文庫)
1996年
朝日新聞社:刊


紀元前55年のエジプト。国王プトレマイオス12世は国民に国を追われて亡命中。第2王女ベレニケ・エウフロシーネは病身の第1王女クレオパトラ・トリファイナを毒殺、父から政権を奪うべく反乱を起こした。第3王女、14歳のクレオパトラ・ターリア(クレオパトラ7世 通称・クリノン・・・以下、クレオパトラ)は”紅薔薇の日”(初潮)をむかえ、古来からの伝統に則ってテーベの神殿に参拝するとの名目で次姉の魔手を逃れる。ベレニケは破れ、夫と共に死に、父王は復権を果たしエジプトに帰還する。その父王も4年後には死去し、クレオパトラは弟マグス(プトレマイオス13世)と結婚し共同統治することになるが、側近に操られた弟と対立するようになってしまう。弟の一派を破り、クレオパトラの手に政権を取り戻してくれたのはローマの独裁官ジュリアス・シーザーだった。2人はたちまち恋に落ちる。


クレオパトラのシーザーやアントニーとの恋は歴史上の華麗で壮絶なロマンスという印象があったのですが、彼らに取り入らなければエジプトの独立が維持出来なかったというのもまた事実のようです。勿論、恋愛感情はあったのですが、だからこそ彼女が哀れに感じられます。国を守るための政略結婚ならいくらでもありますが、政略と割り切れない所が彼女の哀しいところです。しかも、利害だけで結ばれた関係と違って、愛情が
冷めれば即、庇護を失う可能性があるため、彼女は女としてだけではなく、エジプトの統治者としても彼らの心を逃すわけには行かなかったのです。特にアントニーの時は女としての意地なのか、国の為なのか、本人にもよくわからなくなっていたようで、その取り乱しようが特に哀れを誘います。シーザーの死後、(ローマの権力者としても恋人としても)彼に取って代わったのが、万事に出来た男シーザーからあらゆる面でかなり劣るアントニーだったのがクレオパトラの運の尽きとしか言い様がありません。
しかしそもそも、”大国””豊かな先進国”と自他共に認めるエジプトが、実は<愛情>という移ろい易いものに国の存続を掛けざるを得なかったことが、彼女が悲劇的な最後を遂げなければならなかった元凶ではないでしょうか。一国の運命を恋という極めて個人的な感情に委ねる・・・その先には破滅しかないような気がします。そして、そんな手段でしか国を守れないところにクレオパトラの統治者としての能力の限界を感じてしまいました。彼女は才色兼備の聡明な女性です。しかし<女性>であることを犠牲に出来なかった・・・夫に愛され、平和で温かな家庭を築きたいという女性的な希望をなかなか捨てられないのです。そんなところがまた魅力的であり、読みどころでもあるのですが・・・国民の身になると堪りません。

日本的情緒に溢れる作品が多い宮尾さんがクレオパトラを描かれたことは驚きです。しかし、小説を書き始めた頃からいつかは描きたいと思っていた題材なのだそうです。でも、そんな気負いは全く感じられません。安定感のある冷静な書き方で、不必要にドラマチックに描かれていないのは好感が持てます。ただ、歴史的な事件に関してもあっさりとしか書いていないので、少々物足りなく感じます。その簡潔さが報告を聞いているだけのクレオパトラの感覚のレベルと一致しているとも考えられますが、読み応えという点でマイナスです。
(2004.10.5)
ブログに書いたこの作品の記事を読む(別ウインドで開きます)

ページのトップへ宮尾登美子作品INDEXへ


HOMEへ元のページに戻る



Copyright © 2004-2005 yuiga. All rights reserved.