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 帚 木 蓬 生 

【 作 品 8 〜 13 】

 8.ヒトラーの防具 9.逃亡 10.受精 11.安楽病棟 12.薔薇窓 13.国銅 NEW

【作品1〜7】へ


■ ヒ ト ラ ー の 防 具 ■
(『総統の防具』改題)(1996年)

★★★★★





総統の防具〜フューラース・リュストゥング〜*重版未定
 日本経済新聞社 1996.04 ISBN 453217046X

文庫版: (画像はこちらのものです。)
 新潮社 1999.05
ISBN  上:4101288097 下:4101288100

オンライン書店bk1


■ 内 容
東西を隔てる壁の崩壊なったベルリンで、日本から来た剣道家らが発見した剣道の防具一式。それは第二次大戦勃発前、日本からヒトラーに贈られた品だった。一緒に発見された大量のノートと手紙の束には、当時ベルリン駐在の陸軍武官補佐官だった日独混血青年・香田光彦の数奇な運命が綴られていた。

1938年、大日本帝国陸軍の中尉だった香田は武官補佐官として父の国ドイツのベルリンの武官事務所に赴任する。赴任早々、所属する大日本連合青年団の一員としてヒトラーに防具を贈る場に立ち会い、ヒトラーその人に対して憧憬を覚えた香田だったが、ミュンヘンで精神病院の医師として働く兄からの示唆で彼の掲げるナチスの理念に疑念を感じ始める。回復の望みのない精神障害者を排除し、ユダヤ人を排斥するナチスドイツに強い反発を覚えながらも、ナチスドイツと共に国際社会から孤立し戦争への道をたどる祖国日本を一武官補佐官の立場では傍観するしかなく、せめてこんなナチスドイツの行く末を真摯に見つめて行こうと心に誓う。そんな香田だったが、その運命は思わぬ方向へと向かって行くことになる。

■ 日独混血ゆえの独自の視点
ナチスドイツの絶頂期から終焉までのヒトラーの膝元ベルリンの状況を、日本の軍人でありながら日独両方の血を持つ青年の視線で捉えた作品で、こんな複雑な立場にある青年・香田の目を通して描かれているために、当時の状況が複眼的に捉えられています。
ドイツの栄光のためと称されれば非人道的な政策も受け入れてしまい、熱狂的にそれを支持するドイツ国民。そんな非人道的な政策が諸外国からどのように受け取られるかに考えが及ばないヒトラーを含めたナチスの上層部。一方、ベルリンに駐在しながらもナチスドイツの輝かしい表面しか捉えられない日本の軍人たち。彼らの曇った目で見た報告を鵜呑みにする本国・日本。・・・日独二つの視点を持つ故に、香田にはそれが看破出来るのです。

■ 暗黒の時代に生きた誠実な人々
こんな風潮に流されず、真摯にそんな状況を憂う人たちも日独双方に存在します。しかし、ナチスドイツに疑念を抱く非軍人で生え抜きの外交官の東郷大使の意見は聞き入れられず、ナチスシンパの軍人大島中将(前駐独武官)に換えられてしまい、ユダヤ人を匿った者はドイツ人でも逮捕され、精神病患者が処分されるのに抵抗した香田の兄は親衛隊によって射殺されてしまいます。ナチスのやり方に憤りを覚えながらも、いつ終わるかわからない暗黒の時代を彼らは声を潜めて耐えるしか生き延びる術はなかったのです。

■ 自然に感じられるヒューマニズム
このような状況を著者は他の作品同様、ヒューマニズム溢れる筆致で描いています。潔癖さが漂うのも他の作品と共通しています。それが作品によっては青臭く感じられることもあるのですが、この作品に関しては殆どそれは感じられません。それはナチスの非道さに対する嫌悪感が既にこちらに固定観念として存在するからかもしれませんが、それを取り払ったとしても、彼らの行為が受け入れ難いのは人間としては自然な感情だと思えるからです。

■ 当時の現状を正確に伝える
香田の運命は非常にドラマチックに仕立てられていて、また、歴史的に不明瞭な部分には大胆な想像が施されています。そのためサスペンスとしての面白味も充分に備わっているのですが、読みどころはやはり当時の状況そのものだと思います。
ヒトラーに日本から贈られた防具は実際に存在します。著者は綿密に資料を調べ、当時の状況を出来る限りの正確さで描こうとしていると思われます。それに象徴的なエピソードや人物を配して読者の理解と共感を促す書き方は、読み物としての面白さと共に、著者の訴えたかった事柄を明確にこちらに伝えてくれます。

■ 集大成的な力作
戦争、言い換えれば国家的なエゴイズム、によって翻弄される弱者がそれに立ち向かう姿(『三たびの海峡』)、医学の倫理や人間の尊厳(『安楽病棟』『臓器農場』)など、著者のこだわる主題のいくつかが網羅され、また、市井の人々との人間味溢れる交流や温かな恋愛と言った観点では『薔薇窓』とも共通するものがあり、著者の作品の集大成とも言えそうな力作です。そして、それらが上手く統合されていて、読み応えのある中身の濃い作品になっています。
(2004.9.3)
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■ 参 考・関 連
 ■ ウィキペディア ナチス・ドイツ

 ■ 20世紀からの年表リンク1930〜39年 1940〜49年
日本史と世界史が併記されていてわかり易い年表です。

 ■ Yokoyama's Home Page
       世界史ノート(現代編) 5.第二次世界大戦
 <ナチスの侵入と開戦><ドイツの短期戦の失敗と占領地支配(その1)>
 <ドイツの短期戦の失敗と占領地支配(その2)><太平洋戦争>
 <連合国の勝利(その1)><連合国の勝利(その2)>
 <第二次世界大戦の結果>
上記の項目を参照してください。とてもわかり易くまとめられています。

 ■ 大日本連合青年団について くらりんの部屋>随想録>奉仕活動って?
注) 香田が通った東京郊外にある大日本連合青年団の研修所浴恩館の所長・下村湖人は『次郎物語』の著者で、当時著名な教育者でした。

 ■ 登場する主な駐ドイツ大使 統合戦争辞典
 大島 浩中将 東郷 茂徳 来栖 三郎
経歴やその後の彼らをみるとなかなか興味深いものがあります。
特に大島大使は、経歴や戦後戦犯として投獄されながら釈放後平穏に天寿を全うした辺りが作中の人物像にとても良くいかされていると思います。


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■ 逃 亡 ■
(1997年)

★★★★☆

柴田錬三郎賞受賞






単行本
 新潮社 1997.05 ISBN  4103314087

文庫版: (画像はこちらのものです。)
 新潮社 2000.08
ISBN  上:4101288119 下:4101288127

オンライン書店bk1


■ 内 容
教官補佐・守田征二軍曹は中国・広東の憲兵教習所で終戦を迎えた。半年前まで香港の特高憲兵だった守田は中国側に捕まればただで済むはずはない。武装解除直前、守田は同僚と2人、脱走した。
別人に成りすましてもぐり込んだ邦人収容所での不安で過酷な生活、妻子との再開後も去らぬ逮捕の危険、そして再びの逃亡生活、その果てに・・・。
<戦犯>にされてしまった男の逃亡生活を描きながら、<戦時下における国家と個人>という問題を問いかける作品。

■ 読み出したら止まらない
2000枚という大著ですが、あっと言う間に読んでしまいました。脱走、逃亡生活、憲兵のスパイ活動など、道具立ては派手ですが、その一つ一つを丹念に描いているため、ハラハラドキドキのサスペンスというよりは心理ドラマという感じです。不安定な立場にある守田の<不安><諦め><楽観>の間を行き来する心理がとてもよく描かれています。
そして著者の最大の特徴とも言える”優しさ”がこの作品にもちゃんとあふれていることも魅力の一つです。貧しくても、辛い状況にあっても、優しく温かな人々が随所で守田に手を差し伸べてくれます。奇麗事と取れなくもないですが、「こんな人たちが存在して欲しい、いや、本当にいるのだ、人間の本質は決して悪だけではない」と感じさせてくれるのが著者の作品の良さの一つだと思います。

■ 戦争という名のもとに行われる蛮行
守田の憲兵としての<任務>の遂行は戦争に負けたことにより<犯罪行為>にされてしまいます。御国のため、天皇のためにしたスパイへの拷問や”処分”を残虐行為として裁く戦勝国。しかしその戦勝国自体も”戦争終結のため”に無差別爆撃や原爆投下で何十万、何百万という一般市民を殺しています。これには戦犯にされてしまった彼らでなくても矛盾を感じます。また<戦犯>とされた中には、戦勝国側の意趣返しだったり、一般市民慰撫のための”人身御供”だったりする例もあったそうです。また、日本側でも、部下に責任を転嫁して知らぬ顔を決め込む上官たちが多く、それがシステム的にも確率されているのには憤りを感じざるを得ません。このような、大義名分の裏に隠された戦争の醜さをこの作品はリアルに描いています。

■ 唐突な結末
以下は重要な内容に触れています。構わない方のみ下の*をクリックしてお読みください。>


第二次世界大戦に関する作品は他にも『三たびの海峡』『ヒトラーの防具』があります。
(2004.11.29)
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■ 受 精 ■
(1998年)
★★★★


<br> 単行本
 角川書店 1998.06 ¥ 1,995 ISBN  4048731106

文庫版 (画像はこちらのものです。)
 角川書店 2001.09 ¥ 900 ISBN  4043589018

オンライン書店bk1



■ 内 容
恋人の明生を交通事故で失った北園舞子はいつまでもその喪失感が消えず、無為の日々を送っていた。そんなある日、ふと思い立ってかつて明生と2人で訪れた蛾眉(がび)山に登った。そこで出会った外国人の老僧に導かれて訪れた寺の一室で、舞子は明生の死後初めて、彼を身近に感じる事が出来た。そんな舞子に老僧は「死んだ恋人の子供を産みたくは無いか?」と持ち掛ける。明生の子供を産むことを喜んで受け入れた舞子は老僧の指示でブラジルの海辺の町サルヴァドールへと旅立つ。
着いた病院は高級リゾートホテルと見紛うばかりで、やがて同じ思いでやって来た韓国人女性の寛順(カンスン)やフランス人女性のユゲットとも知り合い、ブラジルの自然豊かな海辺での生活を満喫しながら子供を身ごもる日を心待ちに過ごしていたのだが・・・。

■ 珍しくサスペンス色の濃い作品
サスペンスと銘打ちながらさほどサスペンスを感じないのが帚木作品の特徴のようになっていますが、こちらは珍しくサスペンス色の濃い内容でした。
どんな方向に物語が展開するのかなかなか予想出来ず、やっと方向が掴めてもその核心部分には大変驚かされました。見事なサスペンスになっていると言わざるを得ないでしょう。

■ 常に付き纏う違和感と不信感が実は伏線に
ストーリーが核心に迫るまで、読んでいて常に違和感と不信感を払拭出来ませんでした。
舞子と彼女と境遇を同じくする女性たちが全く疑問も不安も抱かずに死んだ恋人たちとの邂逅や彼らの子供を身ごもることに幸せを感じているのが不思議で仕方ありませんでした。病院の環境やブラジルの風土、その地の人々との温かなふれあいが素晴らしく描かれていて、それが素晴らしければ素晴らしいほど、違和感は一層増します。
しかし、その中に時折、これからの展開を予感させるような象徴的な描写が混じっていて、後になると、違和感と共にそれが重要な伏線になっていることに気付かされます。

■ 戦慄を覚える題材
帚木作品のもう一つの特長とも言える読後感の良さは他の作品に比べて劣ります。希望を抱かせるラストではありますが、事件の異様さに比べると弱く、それを全て払拭する程のものとは感じられません。それ程、扱われた問題は異常でセンセーショナルです。
帚木作品に共通する医学の倫理と共に、もう一つの大きな題材が隠されています。それが強い戦慄を覚えさせます。

以下は重要な内容に触れています。構わない方のみ下の*をクリックしてお読みください。>


(2005.1.9)
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■ 安 楽 病 棟 ■
(1999年)
★★★★



単行本 *重版未定
 新潮社 1999.04 ISBN  4103314095

文庫版 (画像はこちらのものです。)
 新潮社 2001.10 ISBN  4101288135

オンライン書店bk1



■ 内 容
痴呆病棟の新任看護婦・城野は理想の介護を目指し、日々業務に励んでいた。
お地蔵さんの帽子と前掛けを縫い続ける女性、直立不動で寝る元近衛兵、五百円硬貨がお腹に入ったままの女性、失語症の元校長、自分が23歳で独身の若い娘だと思っている女性。アルコールで脳を壊され痴呆状態になってしまった男性などなど、様々な人生を歩いて来た老患者たちは痴呆症状もまた様々だった。そんな病棟の中で、急死が相次ぎ・・・。

■ ミステリーとしてより問題提起の作品として
<ノンフィクション風ミステリー>として、新しいミステリーのスタイルを模索した作品と言われていますが、この作品をミステリーと位置づけるには無理があると思います。600頁以上ある作品の大部分が痴呆病棟の日常の描写に費やされていて、最後の数十頁でやっとミステリー的要素が出て来ます。ミステリーを読むつもりで読んだら、期待を裏切られたと感じてしまうでしょう。
作品のテーマは、<痴呆患者の人間としての尊厳>と<安楽死の是非>で、ミステリー的な部分を担う<殺人>は、これらのテーマを印象付ける手段の一つでしかありません。
痴呆医療の問題を提起する作品として、また、痴呆医療の現場をリアルに描いた作品としては、非常に良く出来ているので、無理に<ミステリー>に分類し、悪戯に読者を失望させるより、社会問題を扱った小説として、正当な評価を得るべきだと思います。

■ 痴呆患者の尊厳・存在価値とは?
幼児以下に判断力が低下してしまったり、家族も識別出来なかったり、10分前に食事をした事を忘れてしまうような痴呆患者に人間としての尊厳があるのか? 尊厳が失われた人間に存在価値はあるのか? 分別の無くなった本人に代わり、他者が尊厳死を選択して良いのか? そもそも、人間としての尊厳とは何なのか?
<人間としての尊厳>や<人間の存在価値>の認識や感じ方は人によって様々でしょう。
息子の自分さえわからなくなった親に悲憤を感じて殺してしまう人もいれば、植物状態でも居てくれさえすれば良いと思う人もいます。
痴呆病棟の淡々とした日常の中で起こる些細な出来事を丹念に描く事で、このような微妙な認識や感じ方の違いを克明に描き出しています。
その上で、著者は尊厳死には慎重な立場をとりながらも、議論の必要性を訴えています。

■ 重たいテーマ、しかし堅苦しくはない
作品全体が、若い看護婦・城野の手記という形を取っており、彼女の患者に対する愛情や仕事に対する意欲が生き生きと語られて、臨場感のある作品に仕上がっています。
一口に痴呆症と言っても、その症状は患者により千差万別で、彼女たち介護者は苦労の連続ですが、そんな患者たちにもまだ、症状同様、様々な美点が残されています。それに気付き、患者個々に親近感を抱いて行く彼女の温かな人柄が、遣り切れなくなりそうな痴呆病棟の描写の中で、大きな救いになっています。同時に読んでいるこちらも、患者たちに対して温かな感情が持てるようになって行きました。

このように、日々、痴呆患者に親しく接する彼女の立場から描かれているからこそ、現場を知らない学者たちの机上の空論とは全く違う、素朴な、人間としての根源的な疑問の提起になっているのでしょう。だからこそ、いろいろ考えさせられてしまいました。
(2004.5.3)


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■ 薔 薇 窓 ■
(1993年)

★★★★★





単行本
 新潮社 2001.06 ISBN  4103314109

文庫版: (画像はこちらのものです。)
 新潮社 2004.01
ISBN  上:4101288143 下:4101288151

オンライン書店bk1


■ 内 容
1900年、万国博覧会開催で沸くパリ。
パリ警察で犯罪者の精神鑑定を担当していた精神科医ラセーグのもとに、ある日、街で保護されたという東洋人の少女が回されて来た。言葉が通じないだけではなく、何かに怯えたような様子の少女を彼は精神病院に送り込んだ。身寄りも知り合いも居ないらしい少女にラセーグは面会に行ってやったが、少女の健気な様子に、引き取ってやる決意をする。下宿先の女将の元で下働きとして働き出した少女は少しずつラセーグや周囲の者に心を開き始めた。彼女は芸人一座の一人として日本からやって来たと言い、音奴(おとやっこ)と名乗った。
一方、万博に沸くパリでは、若い女性の誘拐が連続して起こっていた。対応に苦慮したパリ警察は、ラセーグに協力を求めて来た。

■ 様々な要素が溶け合い芳醇な味わいを醸し出す
ハードカバーで出た時、内容案内を読んでとても興味を惹かれ、文庫化を待ちに待っていた作品だけに期待は大きく膨らんでいましたが、それを裏切る事の無い、いえ、期待を数倍上回る素晴らしい作品でした。
推理小説の範疇に入る作品で、確かに事件は欠くことの出来ない重要な要素ですが、この物語を成す多くの要素の一つでしかない、とも言えます。他にも様々な要素を含み、しかもその一つ一つが非常に良く描かれており、それらが見事に溶け合って、素晴らしく芳醇な味わいを醸し出しています。そして酔わされるままに心地良く読まされてしまうのです。

■ 主役・・・それはパリ
その大きな要素の1つがパリの街で、それこそが主役ではないかとさえ思わされる程です。
舞台になっている時代は19世紀最後の年、1900年。パリでは何度目かの万博が開催されています。初春から晩秋にかけてのただでさえ美しい季節のパリが、万博開催で更に沸き立っています。そんなパリの街の活気と美しさを、庶民たちの日常の様々な一瞬やパリに溢れる光と色彩とを描く事で見事に描写しているのです。
一方、急激に近代化したパリでは交通事故やストライキが多発していて、その様も事ある毎に示されていて、そちらも興味を惹きます。

■ 心の動きの優れた描写、温かな人々の交流
パリ在住20年の日本人骨董商・林と主人公ラセーグとの交流に象徴される日本文化とフランス文化の対比も読みどころの一つです。
特に、フランス人ラセーグの視点から語られる(それを日本人の作者が書いている)日本文化評は一読の価値ありです。

そして、日本人少女・音奴(おとやっこ)に対するラセーグの心の変化。
心に傷を持ってしまい殆ど口を利かない音奴の心理を、微妙な表情の変化を描く事で表すのに成功しているため、読んでいるこちらも音奴に対する温かい気持ちが膨らんで行きます。それがラセーグの心境とシンクロするので、とても自然に彼の心の変化を受け取る事が出来ました。
また、ラセーグや音奴の周りを心の温かな人々が取り囲み、推理モノには珍しく、温かな心持ちにしてくれます。

■ 光と影
作品の随所で光の描写がとても効果的に使われていますが、光と共にその影の部分をも見て取る事が出来ます。 物語を、そしてパリを、光と影のコントラストによって鮮やかに描き出しています。
そのコントラストを象徴的に表すのが、<写真>であり、<薔薇窓>であるのです。
著者の描写の上手さが、それらをより効果的にしています。 まるで目の前で見ているような鮮やかさで、場面の一つ一つが視覚的にも強い印象をもたらします。(川上音二郎一座の演劇や日本の見世物の舞台の描写は特に圧巻です。)

■ 推理モノとは考えずに
推理物としては部分だけ見れば単純ですし、精神医学やラセーグの殆どFBI顔負けのプロファイリングが当時の状況と合っているのか少々疑問も残らないではありませんが、作品全体の出来から言えば些細な瑕疵でしかないと言えます。(時代考証は兎も角、作者が精神科医だけに、ラセーグの診療場面は多種多様な精神病者を登場させ、分析して見せてくれて面白いです。)
推理モノという範疇に囚われずに読めば、逸品と言ってよい作品だと思います。
(2004.1.31)


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NEW
■ 国 銅 ■
(2003年)

★★★★☆

東大寺の大仏造立のために長門の国の銅山からかり出された若き人足・国人
銅山や大仏造立での苦役が彼に与えたものとは・・・


オンライン書店ビーケーワン:国銅 上 オンライン書店ビーケーワン:国銅 下


単行本:
 新潮社 2003.6 各\1,575
 4103314117 4103314125


文庫版 (画像はこちらのものです。)
 新潮社 2006.3 各\620
 410128816X 4101288178


オンライン書店bk1


■ 内 容
長門の国の”奈良のぼり”と呼ばれる銅山に仕丁として徴用されている若き人足・国人(くにと)は、大仏造立の詔が 都から届いた日に頼り続けて来た同じく奈良のぼりで働く兄の広国を事故で失った。兄は国人に”どんなことをしても切口(銅 の採掘現場)から出ろ。出られないなら逃亡民になってでも奈良のぼりから離れろ”と言い残していた。
しかし、それも出来ないまま、国人は兄に代わって最も危険な切口へ、続いて釜屋(銅鉱石から銅を抽出する所)へ、吹屋(銅を精製する所)へと配置され、奈良のぼりの人足として様 々な工程の経験を積んで行った。一方で、国人は兄が薬草の知識や文字を習っていた僧・景信の元に暇を見つけては通い、兄同様に薬草の知識を 身に付け、文字を習得して行った。景信は都で民衆の信仰を一身に集めているという行基の弟子だったが、長門の国まで流れて来て、奈良のぼり近く榧葉山の岩屋に棲みつき、岩壁に 大きな仏像を彫り付けている僧だった。
若いながらもその実直さと聡さで釜屋頭や吹屋頭から目を掛けられるようになった国人は吹屋頭の娘・絹女(きぬめ)にいつしかほのかな想いを寄せるよ うになっていた。その想いに気付き出した頃、奈良のぼりの人足の中から15人が大仏造立のために都に上ることが決まった。その中には最も若い人足として国人も含まれていた。
国人たち15人は自分たちが生産した棹銅と共に海路都に向かうことになったが、その行程もまた奈良のぼりでの毎日と同じく苦役の連続だった・・・。

一人の若き人足の目を通して描かれた大仏造立の現場、そして彼の心の成長を描く歴史大河ロマン。

■ 著者らしい温かさ
奈良のぼりや大仏造立現場での日常を丹念に描きながら国人と周囲の人々との交流に温かさを感じさせるのは相変わらずの巧さです。そんな温かさや国人のひた向きさのために、汗臭 そうな苦役の現場の場面からさえ爽やかさが感じられます。それでいて、ちゃんと人々の苦しみも伝わって来ます。さすがです。

■ すんなりと理解出来る仏教哲学
国人は大仏に、その鋳造のための銅鉱石の採掘の段階から携わっています。そんな国人の大仏が出来上がるまでの大仏に対する様々な想いが描かれています。誇りを感じたり、ただた だ圧倒されたり、美しさにうたれたり・・・しかし、大仏を造るために国人たち人足は果てしない苦役を強いられているという矛盾。その矛盾のために国人の心中は複雑です。そんな複雑な 想いを国人はある一人の僧の言葉から自分なりの解釈を見つけ、納得して行きます。それはとても仏教哲学的な論理なのですが、素朴な国人が自分の経験と考えの中からそんな境地 に至るので、難しくもお説教臭くもありません。巧いなぁ、とまたまた感心させられてしまいました。

■ 爽やかな成長物語
そんな仏教的思想や銅精製の過程、大仏造立の工程、人足の暮らし、奈良の都の様子など、様々な要素がふんだんに盛り込まれた作品ですが(当時の食べ物の描写が物凄く多く、 かつリアルなのも特徴の一つです。)、国人の成長物語としても読めます。そしてそのように読んだ方が、この作品の爽やかさを十二分に味わえると思います。
(2006.3.20)


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