過去日記  リンク(※2012.5.17 ■追加)   【 おしらせ 2007.11】


  • 6.13(火曜) ・酢飯を切る /紫外線アレルギー



     先日。病院に出かけた翌日、腕いちめんに湿疹。ことしも紫外線アレルギーか。

     昼。昆布とかつおだしを煮立て、高野豆腐を煮る。すりごまをレンジで温め、酢飯を切る。今夜は高野豆腐とちらし寿司。






  • 5.1(月曜) ・ダウントン・アビー/ 孤独のグルメ



    ダウントン・アビーのシーズン6の第一回は5月7日(日曜)から。楽しみでしょうがない。 このまえ、孤独のグルメが放送していることに気付いた。ゴローさんの食べる姿がまた見られる。うれしい。


    ダウントン・アビー
    NHK総合、日曜、夜11時〜
    http://www9.nhk.or.jp/kaigai/downton6/

    孤独のグルメ
    テレビ東京、金曜、夜0:12〜






  • 4.26(水曜) ・誠実とは/ 夢から覚めて



     昨日の買物帰り。前を歩いていたおばあちゃんが立ち止まり、バッグの中身を探る。おばあちゃんの手にしていた杖がパタンと倒れた。 追い越しざま、わたしは杖を拾い上げておばあちゃんに手渡した。はらぁ、ありがとうございます……という声を後ろに聞きながら家を目指して歩く。

     昨夜、夢をみた。俳優の本田博太郎が厳格な父親で、厳しいしつけによる食卓を囲んでいた。わたしの父は厳しくなかった。厳しい祖母(育ての母)に育てられた反動か、わたし達には自由にさせてくれた。 ふと思った。「やさしい」と「誠実」はちがう。田辺聖子の小説にあった、不倫している主人公に友人のみちるがいう台詞、「なんぼ優しくてもダメです!やさしいが百あっても誠実にはなれへん!」。その通りだ。 散歩に出て、坂道を登りながら考える。父はやさしいけれど誠実ではなかった。わたしが今ひとつ父を信頼できなかった理由は、その辺りにある。では誠実とは何か。ちょっとよくわからない。たとえば約束を……守るということか。信頼を裏切らないとか。うーん。 自分にやさしくするのは簡単だ。でも自分に誠実、となるとよくわからない。


     朝。悪夢をみて目覚める。夢の中の小学校で妹と机を並べるわたし。学用品がことごとく皆と違ったり、誰かのお古だったりする。妹のは皆と一緒。近所の三つ四つ年上のゆかりちゃんもなぜか同じクラスにいる。ゆかりちゃんの学用品もそろっていない。ゆかりちゃんのお父さんは無名の絵描きだった。ゆかりちゃんはお手伝いもよくしていて、やさしいお姉ちゃんだった。 トイレに入ると、古着が積んである。トイレットペーパーの節約のためにそれで拭けということらしい。古着はすべてわたしの服で、高価だったワンピースもある。その服を千切るとマチ針が無数に打ってあり、おそるおそるそれで拭いてみると、針先が肌に触れて飛び上がりそうに痛い。 場面変わって、母がゆかりちゃんの話をしている。父親から性的暴力をうけていることを面白おかしく喋って大笑いしている。それを聞いて父はただ笑っている。 ハッと目覚めて、あまりのおぞましさに震えながら、スルスルと糸がほどけるようにすべてがわかった。

     実際にわたしの学用品は、皆と違うものがあった。幼馴染のお下がりの体操服袋、岩手のお祖母ちゃんのお古の裁縫箱(上蓋のふちがひび割れていて、白いゴムをかけて閉じていた)、学校指定じゃない上履き入れ。裁縫箱はこけしの絵で、クラスの女子たちが「わぁ可愛いね!」と集まってきて恥ずかしかった。妹のはすべて皆と同じもの。

     数年前のお正月に実家を訪ねたとき。もう帰るねというと、父が「あ待って、お節も食べない?」と冷蔵庫からお節を出そうとするのを、母が父の後ろから「そんなに出すことないよ!」と慌てて止めていた。その年のお節は特別に伊勢丹で買ったのだと父が話していた。母はこっそり冷蔵庫の蔭でわたしに聞こえないように言ったつもりらしいけれど、丸見えだし丸聞こえなのだった。わたしはとくに気にせず、早々に実家を去った。 あのときからどうも実家に足が向かない。冷たい娘だろうか。

     数年前のあるとき。父の留守に訪ねると、母は「お父さんが、あんたのこと乞食みたいだって言ってたよ」とニヤニヤ笑いで言い、わたしはショックでおもわず泣いてしまった。あとから考えると、父はそんなこと言うはずない、母のつくり話だと気付いた。母としてはたぶん悪気なく、無意識に口走っているのらしい。 元夫から暴力を受けて苦しんでいたときも、母は「あんたの頭がおかしいんだろうって、お父さんが言ってたよ」。それを聞いてわたしは体じゅうの力が抜けそうになった。それも母の妄言だろうと今ならわかる。

     子供の頃お手伝いを頼むのはわたしばかりで、それを渋ると怒鳴られ頭を叩かれた。高校生くらいになると母は口癖のように「出ていけ!」と言い、ふだんは朝寝坊の母に「あら、早いのね」と言っただけでかみついてきて腕を雑巾のように絞られたり(数日あざが残った)。

     そうか。そうだったのか。 なにも気付かずにのほほんと育ってしまったけれど。私はお人好しすぎたのらしい。

     父が倒れたときも。母は便利な家電が壊れたかのような口ぶりで、もし治療費がたくさん掛かるようなら治療をやめようかなどとわたしに相談してきた。わたしはびっくりして呆れたけれど。まさかそこまで冷たいとは……。父が可哀想だと思った。

     これからは。これからも。母とは距離を置いたほうがよさそう。 憎む気はない。ただ自分を守るために。そのほうがいい。 キリンジでも聴こう。









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