2010年1月11日 

 


気分は魔女!?――神秘の芋、蒟蒻(こんにゃく)との格闘

 

蒟蒻って、どのようにして作られるか、知っていますか?


年の暮れも押し迫ったころ、思いがけず、念願の蒟蒻(こんにゃく)づくりが実現した。訪ねたのは、山梨県上野原市の西原という集落。農作業を手伝うつもりでお邪魔したのだけれど、「これだけ人数がいるなら蒟蒻やっちゃおうか」という農家の中川さんの一言に、「わー、私、前から作ってみたかったんです!」と反応してしまった私。決して社交辞令ではなく、前々から、蒟蒻にとてもミステリアスなものを感じていたのだ。

なぜ、ミステリアスか。子供のころ、肝試しの小道具に使ったから、ではない。まず、蒟蒻芋という植物は、まだら模様の茎をはじめルックスがおどろおどろしい。次に、原料となる芋は、薩摩芋やじゃが芋などと違い、収穫までに数年の歳月を要する。そして、なによりも、その芋がなぜあのように、元の姿とは似ても似つかないぷるぷるしたコンニャクになるのか、摩訶不思議である。今では畑に生えている状態で「あれが蒟蒻芋」と識別できる人はあまり多くないように思うけれど、初めて識別できるようになった人なら誰しも私と同じ思いを抱くのではあるまいか。

かくして、目の前に直径20cmを優に越える蒟蒻芋がふたつ、どんどんと置かれた。聞けば、収穫までに3~4年はかかったという。併せて渡されたのが亀の子ダワシと木ベラ。水を流しながら、皮をこそげ落とすのだ。「かゆくなる人がいるから」とゴム手袋も貸してもらい、庭の片隅での孤独な作業が始まった。「ホントは金属のタワシの方がいいんだけどな……」との中川さんのつぶやきが暗示していたとおり、亀の子ダワシでいくらゴシゴシこすっても、なかなか思うように皮がこそげとれない。加えて、芋には丸みとともにかすかなぬめりもあり、しっかり押さえることが難しい。仲間たちが、蕎麦や黍(きび)の脱穀に精を出しているのを尻目に、孤独な作業を続けること数十分。途中から、そもそも芯や腐っている部分を抉り出すための道具だった木ベラを大胆に使って皮も削ぐようにしたところ、茶色かった芋がなんとかほぼまんべんなく白くなった。

 
次に、縁側に移動し、フードプロセッサーにかける。中川家ではふだん卸し金ですり卸すそうなのだけれど、「ミキサーを使うと濃い蒟蒻ができる」と聞いたとかで、初チャレンジしてみようというのだ。説明書を見ながら、当初はフードプロセッサーの回転部分にプラスチックの「卸し金」を装填。しかし、試してみたところ、なかなか量をこなせないことが判明し、「卸し金」を外して、ミキサータイプの金属の刃に交換。いずれにしても、蒟蒻芋は適度な大きさにしなければ入らないので、これまたぬめりに四苦八苦しながら、包丁で切り分けては、プロセッサーに投入する。この時点で、ほんの少し生の芋を味見してみた。すると、……特に味なし、と思いきや、しばしの後に、舌の一部がしびれてきたではないか!! ひーっ。蒟蒻芋おそるべし。後で調べたところ、このエグ味はシュウ酸カルシウムなんだそう。

砕いた芋は、ヘラで掻き出し、水を張った馬鹿でっかい金属のボール(なんと、重さ10.5kg)に入れていく。水と芋を混ぜると、どろりどろりとしてくる。中川さんはまた脱穀作業に戻ってしまったので、ここでもまた孤独な作業が続く。少しでも効率を良くしようと、徐々に、プロセッサーに投入する量を増やしていく。あまり欲張ると、細かくならない部分が残るので、塩梅を見ながら調整する。すべて終わって再び中川さんを呼びに行き、ボールごと量りに載せると、今度は18kg。この時点で、とろろ状になった芋は、酸化してほんのりピンクがかっていた。

お昼を挟んで、なぜそんなに大きなボールが必要だったのか、ようやく合点がいった。なんと、それをそのまま、ドラム缶を半分に裁断して作った手製の炉にかけるのだ。手製とは言え、煙突までついた優れものの炉に、薪と小枝と新聞紙を使って、中川さんが手際よく火を熾す。芋をかき混ぜるのも、お手製の大ベラだ。「焦げ付かないように」とヘラ使いの手本を見せてくれて中川さんは去り、そこからは残された助っ人と私の二人になった。少しずつ少しずつ、芋が粘性を増してくる。それとともに、色も次第に鼠色に変わり、ヘラは重さを増してくる。助っ人は、楽しそうにヘラを操っているが、私には次第に操作が困難になってきて、交替時間が短くなってくる。小1時間ほど、そうしていただろうか。気がつけば、ボールの中は、いつしか見慣れた蒟蒻色に変っていた。……と言いたいところだったが、よく見ると、ところどころに白い塊が残っている。プロセッサーで砕けきらなかった残りだ。まずい。あのエグ味の塊がそのまま残った蒟蒻になってしまったら、食べた人はどうなるのだーっ?



 


再び中川さんに指示を仰ぐと、お湯をこぼし、食用石灰を水で溶いたものを入れて掻き混ぜ、続いて中身を団子にし始めた。泥団子ならぬ蒟蒻団子だ。バケツに水を張り、3人がかりで熱々の蒟蒻を丸めていく。冷えて固まってしまっては団子にならないので、「あつっ、あつっ」と小さく叫びながら、大の大人が額を寄せ合い、一心不乱に何十もの団子を作る。自然に笑みがこみ上げてくる。が、握りながら、「この白いところがどうなるかだ……」と中川さんも心配そう。

続いて今度は、それをお湯でぐつぐつと煮た。これがまた不気味なのだ。というのも、色が微妙に茶色がかってきて、どうみても臓物に見えるのだ。それが数十個、煮え立つお湯の中でぐらぐらと踊っている。そのお湯を、木ベラで掻き混ぜる。気分はさながら魔女か閻魔大王、といったところ。「エグ味よ消えろ、エグ味よ消えろ」と念じながら掻き混ぜる内、いつしか、山の端に日も沈み、あたりに夜の帳が下りてきた。火の側は温かいが、大分冷え込んできたのがわかる。それでも、魔女の鍋は煮え続ける。

帰る前にと、煮え続ける鍋からいくつかを取り出し、刺身と油炒めにしてみた。ドキドキしながら、まず刺身を口に運ぶ。果たして、エグ味は……? 煮込んだ甲斐あって、幸い、あの強烈なエグ味はほとんど消えていた。その場にいた6名も、「ところどころ歯ごたえが……」と言いながらも、パクパクと食べてくれたのだけれど、途中で恐怖の味見をしてしまった助っ人と私だけは、その強烈な痺れがトラウマとなって、ほとんど消えているはずのエグさが口の中で再現されてしまい、正直なところ、あまり心穏やかに味わえなかった。それでも、油炒めの方は、それなりに本当においしいと思いながら食することができたけれど……。

 

  中川さんは言う。「どの木がどんな性質で何に使うのに適しているか、どんな農作業にどんなものが必要か、ぜんぶ体を使った経験と、先祖から受け継いだ知恵で学んでいく。どんなに知識で覚えたって、それだけじゃ実際には役に立たない」。そういえば、作業の途中で、「塩気のあるものを使っちゃったら固まらないんだ」と教えてくれたけれど、それだって、知らされなければ不用意なミスに繋がっていたかもしれない。経験から得た立派な「知恵」だろう。「今日みたいに卸し金を使わないやり方は初めてだったけれど、こうやってチャレンジもしながら、失敗もしながら学んで次に繋げていく。そうやって知恵を継承していくのが、伝統」。つくづく思うに、蒟蒻を最初に食べようと思った人、そして実際に食べられる状態にした人は、本当にすごい。きっと、数限りない失敗を重ね、何人もの知恵に知恵を重ねて、ようやく編み出された手法だろう。その先達があって、私たちは今、植物としての見た目もおそろしげで、生の芋の味もおよそ食用可能だとは思えない蒟蒻を、おいしく頂くことができているのだ。

皮をこそげ落とし始めてから、実に6時間。長い長い作業に、衣服にも髪の毛にもすっかり「薪の臭い」が染みついた。それでも、舌に走った強烈な痺れも含めて、なにかとても大切なことを学ばせてもらった気がした年の瀬の一日だった。








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