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| 杜で森を見る〜代々木の杜あるこう会
馴れ親しんだ「代々木の杜」の、新たな魅力を発見しました! |
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「スダジイのどんぐりを拾ってポケットに入れておくと、自然に殻が割れて中の実が出てきます。それを掌の上にのせてじっとしていると、ヤマガラが食べにくるんですよ」。……半信半疑で聞いていた言葉が、目の前で現実のものになろうとは!! 明治神宮が創建されたのは、大正9 (1920)年の秋。70ヘクタールに及ぶ広大な森も、その折に全国からの献木によって作られた人工林だ。50年後、100年後の姿を見据えながら綿密な計画に基づいて行われた植樹の際には、鎮守の森ということで緑を基調としつつも、ところどころにイチョウやケヤキなど秋には華やかに色づく「修景木」を配したという。そうやって多様性を持たせることにより、病虫害を広がりにくくするという効果も期待できる。 穏やかな秋の陽射しを浴びながら、この日は、境内の北の端にある道場から3時間近くをかけて森を一周した。折しも、紅葉とどんぐりの真っ盛り。森の管理を任されている講師の沖沢さんによると、境内のどんぐりはざっと20種類にも及ぶと知って、まずびっくり。ヤマガラの餌になるというスダジイは、先が少し尖った特徴的な細長い形をしていて、殻が実のすべてを覆っている。聞けば、食用になる実というのは基本的にすべて殻に覆われているのだとか。確かに、ブナやクリも四つに割れたり、トゲトゲだったりと、それぞれ個性的な殻に包まれている。おいしいものは、時が熟すまで簡単には食べられてしまわないように、しっかりガードされているということだろうか。また、どんぐりというのはてっきり1年で結実するものだと思っていたら、それはクヌギやナラなど落葉広葉樹の場合で、マテバシイなど常緑広葉樹は2年かかるという。指し示された1本の枝には、すでに茶色いどんぐりに成長したものと、まだ枝と同じ灰褐色をした固くて小さな殻に覆われている実が、先輩後輩のように仲良く肩を並べていた。一口にどんぐりといっても、本当に多種多様なのだなあ。 |
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| 名前がおもしろかったのは、ナンジャモンジャの木。大きめの葉がまっ黄色に色づいているのを見上げながら、「名前の由来は?」と質問すると、水戸黄門が岐阜で『あれはなんじゃ?』と、聞いたとか聞かなかったとか……。また、お馴染みの低木、指を開いたような葉を持つ「ヤツデ(八つ手)」の葉は、実は数えてみると七つか九つに割れているものが多いという。「ま、足して割ると八つになるということですかねえ……」との説明に、思わず笑みがこぼれる。 春には花菖蒲で賑わう「御苑」は、井伊家の屋敷だったころの武蔵野の面影をとどめたコナラやイロハモミジが主体となっていることから、この時期、赤や黄の紅葉に彩られていた。鈴なりの朱色の実をつけていたのはイイギリ。漢字では「飯桐」と書き、両掌ほどもある大きな葉は、昔はお供えものをのせるのに使われていたそう。その葉も今はまっ黄色だ。冬枯れの菖蒲田の片隅に咲いていた地味な草の名は、なんとハキダメソウ。花のことながら、なんだかちょっと不憫になってくる。南池では、大きなレンズを構えたカメラマンたちがオオタカを撮影しようと、シャッターチャンスを窺っていた。 |
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大都会の真っ只中に、緑の島のように浮かぶ代々木の杜。自然と調和しながら歩むことを忘れた時代にあって、叡智を集めて創り出され、そして守り続けられてきたこの森は、先祖たちが私たちに残してくれた、何ものにも勝る粋なプレゼントだ。一歩外に出れば高層ビルが立ち並び、高速道路が頭上を走る都心の一角で、野鳥が人の手からどんぐりをついばむだなんて、一体誰が想像できるだろう? 代々木の杜には、先祖たちが紡ぎ出してくれた物語が今も現実に息づいている。胸の高鳴りとともに、そう感じずにはいられなかった。この物語を絶やすことなく次の世代に引き継いでいきたい。その担い手は、そう、今を生きる私たちなのだ! |
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