2005年2月11日 

 


『相剋(そうこく)の森』


「自然と調和して生きる」とは。……ひとつの答えを見た気がします。

『相剋の森』


熊谷達也著『相剋の森』を読んだ。
「今の時代、どうしてクマを食べる必要性があるのでしょうか」
「マタギの集い」での女性ライターの挑戦的な問いかけから、物語は始まる。
「山は半分殺してちょうどいい」
と、動物カメラマンに謎めいた言葉を残された彼女が、その謎を解くべくクマ狩りの密着取材にのぞみ、そこで体感した「理屈を越えた感覚」とは……。

これだー、と思った。自然環境問題に関わっていると、時折、近視眼的な「自然保護」を叫ぶ活動家に出会い、違和感を抱いてしまう。例えば、捕鯨の全面禁止を訴える人、野生の熊や鹿を絶対に獲るなという人、そして、かつての私がそうだったように「木を切ること」=「悪」だと考えている人。

生き物を殺すこと=悪だとすれば、もはや誰も生きてはいけない。植物だって命あるものに変わりなく、人は、他の動物たちと同様に、幾多の命を頂かなければ一日たりとも自らの命を存続させることはできない存在なのだ。けれど、徹底的に分業化され、土の匂いを忘れた都会に身をおく私たちは、その冷厳な事実を忘れてしまう。日々口にしているものが、「命」であることを意識できなくなるのは、自らが生物として立っている足場を見失った、とても危険なことだと思う。
大木の梢


誤解を恐れずに言えば、人は一度くらい、自分の手で自ら食す動物の命を奪ってみた方がいいと思う。その血なまぐさい行為を他の誰かに代行してもらっているだけで、どんなに上品な場所で着飾って食事をしていたとしても、間接的にそうして殺した命を食べていることに変わりはないのだから。直接手を汚さずに済んでいるからといって、きれいごとだけでは済まされない現実を、生々しく直視してみる必要があると思う。

私たちがふだん何の気なしに口にしている「いただきます」は、本来そうした命を「いただいて」いることへの先人たちの感謝が込められた言葉だったはず。その言葉に、本来の息吹きを取り戻させるためにも。

かくいいながら、私自身、食べるために動物に直接手を下したことはない。が、それにやや近い体験として、農学部時代に屠場の見学をした。そこは豚の屠場で、まずトラックで生きた豚が運ばれてくる。豚は自らの運命を察知しているかの如く、屠場に下ろされるのを嫌って抵抗し、鳴く。豚を屠る瞬間は、女子学生が失神したことがあるからと見せてもらえなかった。

事がなされると、続いて機械でべろんと皮がはがされ、落とされた首が台の上にずらりと並ぶ。しっかり見なければという思いに駆られた私は、そのとき人一倍まじまじとその場を見届けてしまった。自分が動揺することはないだろうと根拠のない自信のもとに……。ところが。

見学を終えた直後に出された昼食は、豚カツだった。そう認識した瞬間、心がざわりと揺れた。一口目を口に運んだ。大丈夫だった。が、味わう気分にはなれなかった。二口目を口に含むには、若干の「意思」が必要だった。食べた。三口目、気持ち悪くなった。それが、そのときの私の限界だった。吐きはしなかったものの、明らかに体が拒んでいた。

いくら頭では大丈夫なつもりでも、体はショックを隠せず、それからなんと約半年間、私は豚肉を受け付けなかった。それだけ、衝撃的な光景だったんだろう。けれど、とても貴重な経験だったと思う。


ブナの森

だからと言って、生き物の命を頂くという動物の性(さが)を直視することが、苦しみと悲哀に満ちたものでしかないかといえば、そんなことは決してないのだ。男たちがふつうに狩猟をしていた時代、獲物があれば一家こぞって、あるいは村をあげて喜んだはず。神妙で厳かな気分の一方で、感謝の念や喜びが湧き起こってくるのも、これまた自然のことなのだ。


少し話は飛ぶのだけれど、
「戦争と平和というのは、対極にあるものではない」
と、尊敬する版画家の名嘉睦稔さんが語ってくださったことがある。「平和の中にも、いつも争いの芽はある。それは自然界を見れば明らかだ」

確かに、そうなのだ。どんなにのどかで安らいで見える自然にも、食物連鎖による「殺し」があり、あるいは縄張りや雌をめぐっての時には命をかけた壮絶な争いがある。それが、自然の姿であり、そうした殺しや争いを内包しない「調和」はありえない。


このあたりのことを言葉で表そうとすると、『相剋の森』の主人公である女性ライターと同様に「絶望的な気分」になる。並べる言葉はどれも伝えたいことの表層を撫でるだけで、伝えたい奥深さにはじれったいまでに届かないからだ。けれど、この小説全体は、ものの見事にそのあたりの機微や本質的なことを語ってくれていると思う。だから、これだー、と思った。私自身は文字にしたくてもできない、うわっつらでない「自然との調和」を、この本は確かに伝えてくれていると思うから。


森で




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