2003年2月15日 

 


「国を守る」ということ 


〜次回からの『予備自衛官補、教育訓練記』連載の「まえがき」に代えて〜


「なぜ、『森のコラム』に自衛隊訓練記?」と、これまでの読者のみなさんの中には戸惑われる方もいるかもしれません。

「国を守ること」に関心を持つようになったのは、自然環境問題への取り組みがきっかけでした。

環境について学ぶうちに、江戸時代、当時としても世界有数の大都市だったにも関わらず、ロンドンやパリが汚物にまみれていたのとは対照的に、「江戸」はリサイクルの徹底した美しい街だったと知りました。し尿を含めた都市の生ゴミは農村で有機肥料となり、壊れた物は修理して再利用するということが当前のこととして行われていたからです。自分たちの生きる糧を与えてくれる自然への感謝と畏敬の念を忘れず、日本人の暮らしは、まさに「自然と調和した」慎ましくも美しいものでした。

そんな日本の伝統的な暮らしや価値観が、残念なことに、明治維新後の西洋近代化や戦後の高度経済成長を経て急速に失われてしまいました。そして、その結果、日本の「自然」も荒廃していったのです。

稲刈りをする親子

「国を守る」と聞いて通常イメージされるのは、国土や国民を守ることだと思います。が、もっと本質的には、単にそういったことだけではなく、日本の伝統や文化、価値観、自然観また自然そのもの、ちょっとかっこつけた言い方をすればアイデンティティーや心といったものを守り、子孫へと受け渡していくこともまた、「国を守る」ことなのではないでしょうか。

誤解を招かないために付け加えれば、決して排他的になれといっているわけではありません。ただ、そういった日本人としての根っこなしにいくら「国際交流」したところで、しょせん「浮き草の交わり」にしかならないような気がするのです。


実は、かつての私は「アンチ自衛隊」でした。「自衛隊=軍国主義」という安易な思いこみにとらわれていたひとりだったのです。大好きな従弟が入隊すると聞いたときにも、口にこそ出せませんでしたが、心の中では(それだけは、やめてほしい)と思っていました。先日、仕事先でとあるタレントさんに予備自衛官補の話をしたところ、
「右翼だね〜」
と言われ、かつての自分を見ているような思いがしたのと同時に、自衛隊に対する国民の理解は深まってきているようで、やっぱり今でもそう思っている人はいるのだなあと改めて実感しました。

私が変わったのには、武道の影響もとても大きいです。自分から攻撃して相手を傷つけようとは思いません。けれど、攻撃を受けた時にただだまって相手の思うがままになってよいのでしょうか。自分ひとりのことであればまだいいとしても、守るべきものがあるときに毅然として対処する気概と実力を備えていなくては、愛するもの、大切なものを守り貫くことはできません。

 

「武」という漢字は、「戈(ほこ)」を「止める」と書きます。これは相手に邪な心を起こさせないという意味があります。かなわない、もしくは、自分が痛い思いをするとわかっていて、あえて危険を侵してまで攻撃してくることは(ないとは言いませんが)、とても稀なことです。

非常に変な例えになってしまいますが、電車の中の痴漢にしたって、その女性がおとなしくしていそうだと思うから邪な行為に及ぶわけです。こいつに触ったら痛い目に合うな、と思えば、おいそれとは手を出すことはできないでしょう。

武道


これを国どうしの関係で考えた場合、相手に邪心を起こさせないだけの抑止力として、また、万一攻撃を受けてしまった場合に日本を守るのに、「自衛隊」の存在は不可欠だと私は思います。


話を戻しましょう。「アンチ自衛隊」だった私が、こうして「国を守る」ことに関心を持ち、「自衛隊」の存在意義を強く意識するようになりました。数年前から防衛庁の広報の一端に関わるようにもなり、自衛隊と外の世界の掛け橋になりたいという気持ちが深まってきた折、「予備自衛官補」という新しい制度がスタートすることになったのです。これは、有事の際(防衛出動と大災害時)に自衛官として活動する予備自衛官を、自衛隊が初めて一般国民に門戸を開いて募集し教育訓練するというもの。その第1期生になりました。

・・・というわけで、ちょっと硬い「まえがき」になってしまいましたが、次回からはがらりと雰囲気を変えて、その訓練の模様をお伝えしたいと思ってます。乞う、ご期待!

迷彩のドウランを塗って



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