中山孝太郎のフィクションの世界

 第68回コスモス文学 新人賞 受賞
                         
 小説                憔悴した点          
      

              中 山 孝 太 郎  

  あれは何年前のことであっただろうか? 自分の記
憶から遠ざけたい気持ちがあるからあえて思い出そう
ともしない。しかし自分自身の心から分離することは、
私がぼけるか私の自然の死を待つしかないのだろうか。
自らの生を断つことも大袈裟すぎて...というよりも
自分に負けることの悔しさが私にはまだあるからでき
ない。
  他人にいわなければ、取りあえずはわからないから、
しぜんに任せて、数十年が過ぎ去った。
  いまさら打ち明ける勇気というよりも馬鹿馬鹿しさ、
あるいは、職責上から恥をさらすこと、そして賠償問
題を恐れているのだろうか。
  ある一点のあやまちに、私は「点」を見るたび、数
十年前の鮮明な映像が脳にうかびあがってくる。
  あやまちを犯してからの数か月間は毎夜うなされる
ことが多かった。それは忘却の念があまりに強いがた
め、潜在意識に入りこんで、強迫観念がそうさせたの
かもしれない。金縛りにあいつづけた気分であった。
  私の仕事の責任は時効というものがないが、時がた
つことによって少しでも自分の気持ちをやわらげるこ
とができる。しかし、弱気な気分になった時期とか、
「点」をいくつもたてつづけにみるとデジタル回線の
ごとく当時の記憶が脳裏に完璧によみがえってくる。
  ある一点の恐ろしさ、数百メートル離れたところに
的があるとして、なん重もの円の中心に入らないとい
けない精度を要求される。それがそれた場合は重大な
過失になる。鉄砲の玉も数を撃てば的を射るといわれ
るが、一発で正確に決めないと素人とおなじだ。
  土地の境界杭も同様で、打つまでに何回かのシミュ
レーションはある程度は許されるが敏速果敢におこな
わないと専門家としての資質はないだろう。打ってし
まったらそれでお終いといっても過言ではなかろう。
腕のいいプロなら撤回もいいわけもしてはならない。
的をはずすさまになったら、資格を剥奪されても文句
はいえない。

  私は土地家屋調査士の補助者として約五年仕えたが、
新人として開業二年後にあやまちを犯してしまった。
ちょうど慣れた頃で、気がゆるんでいたのだろうか、
いやそれはちがうかもしれない。ある一種のプレッシ
ャーに押しつぶされたのかもしれない。いや、もしか
したらそれもちがうかも…?

  以前から知っているAさんから、自宅があるT町の
土地を二つに分けたいので、測量をして、分筆登記を
してくれないかと電話で依頼された。
  開業してから二年がたっていたが、都心一等地の実
測は、いままで二回ほどしか経験がなかったので、少
々ためらい、以前のことが脳裏をよぎった。
  それは、過去二回都心の土地を測量したときに、ま
ったく境界杭がなく、相当な労力を必要とした記憶が
あったからである。また土地の価格が高いため、隣接
地権者との境界線のトラブルも多く、割にあわない。
それと、建物が密集していて、境界点のところへ行け
ない場合も多いからだ。
  Aさんは田舎にも土地を持っており、一年前に三つ
に分ける分筆登記を頼まれ、わりと難なく終ったから、
また簡単に依頼してきた。しかしこんどは少し事情が
ちがう。それがわかっているのだろうかと思った。
  依頼者のAさんは、体が大きく、顔つきもふっくら
としていて、一見おおらかにみえるが、神経質な面も
田舎の土地を測ったときに感じられたので、少し不安
があった。だが、私はAさんに借りがあった。それは、
よく飲みに連れていってもらったことである。そんな
こともあって断ることもできなかった。
  もっとも相手が誰であっても調査士は、正当な事由
がある場合でなければ、依頼を拒んではならないので
ある。
  ある日下見をしてみようとAさんに電話で了解を求
めたら、「家のまわりは静かに歩いてくれ」と告げら
れた。ふと、なぜだろうかと一瞬言葉がでなかった。
それでは明後日行きますからよろしくお願いしますと
いって受話器をおいた。
 
  現地に補助者と二人で出向いて、三八九・〇〇平方
メートルの前後左右の境界杭があるか見てまわろうと
したが、Aさんは家の中にいて外に出てこなかった。
関心がないのかと思った。
  狭い隣地とのあいだを体は建物の壁をこすりながら
杭を手探りで見てまわった。
  向かって右側の二本はあったし、後側もあった。私
の気持ちは少々楽になった。あと、左側の道路に面す
る一本を残すのみである。
  道路に面するところにでてきて、よごれた体のごみ
を払いおとし、一息いれ、しげしげと杭があるかどう
か見たが、見つからなかった。そこで私は、ピンポー
ルを持ってきて土になん度もさしてみたが、手ごたえ
がなく、やはり杭はなかった。いつのまにか左側の地
権者Kさんらしい人が庭にでていた。五十五歳ぐらい
で、Aさんと同年配に見え、きりっと締まったような
精悍な顔つきをしていて目は鋭く、体は中肉で、背は
一メートル九十ぐらいあるように見えた。私の身長は
一メートル六十八だが、私はまるで子供のような感じ
がして、圧倒された。
  ふと、その人が私を見つけ、向かってきた。
「何をしているんだ?」
「あ、すみません。Aさんの土地の…」
 私は、次の言葉が出なくて、戸惑った。
「土地が、どうした?」
 その人が、にこにこして訊いた。私は胸をなでおろ
した。少し落ち着いたので、もう一度こんどは、はっ
きりといった。
「Aさんから土地の測量を依頼されまして、この土地
のまわりの境界を見させてもらっていました。申しお
くれました。町田といいます。すみませんがKさんで
すか?」
「そうだよ。そこには杭はないだろう」
 とKさんがいった。私は改めて、また立会をして下
さいと申し出た。
 Kさんは前もって電話をしてきてくれといって、家
の中へ入りメモを持って来た。電話番号が書いてあっ
た。物わかりのいい人だと思い、Kさんの顔を見て挨
拶をして別れた。Kさんの顔のほおには五センチぐら
いの切り傷のあとがあった。
  私はAさんに境界杭の状況とKさんと出会ったこと
を報告した。Aさんは少し頭をひねったが、まあどう
せ立会をしなければいけないのだからと、物事が分か
ったようだった。
 手帳を取りだしてみたら、こんどの土曜日があいて
いた。私は立会の日を五日後の土曜日に設定し、右側
の地権者と後側の人に連絡をして都合が、いいか訊い
てみて下さいとお願いした。Kさんには私からいいま
すと告げて帰った。
 
  三日後にAさんから電話が入った。皆その日の午前
十時半に立会を了解してもらいましたからとの返事で
あった。
  私はお礼をいって受話器をおいた。そして、その日
の夕方Kさんに電話をし、土曜日の朝十時半に境界立
会をお願いしますとつたえ、快く受け入れてもらった。
  当日は補助者と二人で二時間半ほど早く現地に出向
いて街区の全体を測量し、三本の杭がたしかであるか
どうか確認して見た。間違いはなかった。そして、K
さんとの道路に面する境界を復元しようと「点」を取
りあえず仮に決めて、鋲をさし込んだ。腕時計の針は
十時を指していた。
  右側の地権者が早目に出てこられたので、Aさんを
まじえて二本の杭を見てもらった。その人が、「あれ
でいいんですよ」といわれ安心した。
  つづいて後側の地権者が出てこられ、二本の杭を見
てもらった。
「そのとおりで結構ですよ」といわれ、また一安心し
た。
  やがて十時半になったので、Kさんを呼びに行った。
寝不足のような顔をしていて、不機嫌そうだった。そ
して、「ちょっとまて、すぐ出るから」と、怒ったよ
うな口調でいわれ、少々滅入った。
  しばらくしてKさんが道路へ出てきた。そして仮の
鋲を見て、
「そこじゃあないぞ、五センチぐらいA側の方へ入る」
といった。
 そこで私は詳しく説明した。しかし、なかなか聞き
入れてもらえなかった。それを聞いていたAさんが、
興奮して、「いや、そうじゃあない、鋲より七センチ
ぐらいKさん側に入る」といいだして、喧嘩になりだ
した。私は二人から少し離れて見守った。しかし、収
拾がつきそうにもなかった。
  そのうちKさんが、「センセイお前はプロだろう、
なんとかせいや」と食ってかかってきた。なぐられそ
うになったので、私は少し身をさけた。私も元来負け
ずぎらいのところがあって、二時間ばかり三人が大喧
嘩になった。補助者はぼうぜんとして、少し遠くのほ
うへ離れていた。私は頭をひねって、もう万歳して帰
る仕種をした。すると一応静まった。しばらく三人と
も沈黙したが、私が切り出して、もう一度詳しく説明
した。そしたらKが「あんたはプロだから信用しよう」
といいだして、しぶしぶ納得し、Aさんも納得した。
  しばらくして、コンクリート杭を入れる作業に入っ
た。二人の視線が気になり、緊張したが、杭は入った。
その場で間違いがないことを確認した。
  その打った現場で手打ちをし、双方納得し、私も得
心して合意の印をもらった。次に分筆する点を正確に
決め、Aさんの土地へ二本杭を入れて、再度計測して
作業を終えた。
  しかし、私はある不安めいた気分があった。一週間
後に人の気配がないのを見計らって、現場で的を射て
いるか、補助者を連れてKさんとAさんとの境界の
「点」を確認してみた。その点は、もうコンクリート
で固まって微動だにもしないようになっていた。ふと
一瞬冷汗がでてきた。補助者に命令し、スチールテー
プでいくども計測してみたところ一センチ四ミリAさ
ん側にずれていることが判明した。私の心臓はたか鳴っ
た。誰かコンクリートが固まる前に杭を蹴って動かし
たんではないかと思った。しかし証拠がない。
  Aさんの所は間口が、一九・六二九メートルで奥行
が一九・八一八メートルであったが、いまは分筆登記
をしているので、Kさん側から九・五〇〇メートルな
ければいけない。しかし、九・四八六メートルしかな
かった。だが、Aさん所有の右側の土地の点と点のあ
いだの距離が違っているのではないかと思い、計測し
たら一〇・一二九メートルちょうどあった。やはりK
さんとAさんとの境界がずれているとわかり、ブラッ
クホールがあれば、吸い込まれて消えてしまいたい衝
動にかられた。
  私の口はしびれたようになって言葉をだすことがで
きなかった。しかし、補助者にはプライドをすてて事
情を説明しようと思ったが、口を開くことさえできな
いくらい一気に憔悴していた。補助者はなにかを感じ
ているみたいだった。
  その時代は境界点を打つ依頼が多く、すぐに二週間、
三週間とまたたくまに日が過ぎ去り、ただちに対処す
ることを怠って倫理を踏みはずしてしまった。
  私はある時期、意を決し双方にあやまちを話し、境
界点の修正をしようと思い、現場の地権者AさんとK
さんに取りあえず会おうと車を走らせた。ハンドルを
握った手は震え、顔からは汗が滴り、心臓の鼓動は、
生きた魚を開いた時の肝が勝手に動いているようで、
自分の肉体だとは感じられなかった。
  市の南部宇品の我が事務所から広島の都心一等地の
T町まで車で二十分もあれば行けるが、ひどく時間が
経過したような感じで、現地に着いたときにはくたく
たであった。
  最初は気分がたかぶっていたので、場所を間違えた
のかと思い、あたりの街区をさがしまわった。
  脳の神経が混乱していたため、ビルの谷間にポツリ
ポツリと木造の古びた家がある街区と同じ光景に見え
た。しかし最初に着いたところで間違いがなかった。
  三八九・〇〇平方メートルあった土地に二棟建物が
あって、その中間の約半分を分筆し、片方の建物がと
り毀しをされていたため、錯覚が起きたのであろう。
 車から降りて更地に立っている看板を見ると売約済
という貼り紙がされていた。それを見て卒倒しそうに
なった。よく見るとKの土地には、ずれている杭の点
に沿って豪華なコンクリート塀が造られていた。何百
万円するんだろうかと思い、気が張りさけた。真夏で
あるにもかかわらず寒けを感じ、心臓は不整脈を打ち
つづけていた。
  法務局に永久に図面が残る。どうしよう。このこと
をKとこんどの新しい所有者に話したら裁判沙汰にな
るだろう。そうなると銭金の問題ではない。Kと]そ
してAが相当に反発するにきまっている。困った事件
になったと嘆いた。
  看板に描かれている土地の価格は一八八・二七平方
メートルで、二億八千四百七拾五万円と書いてあった。
つまりその平方メートルは五十六・九五坪ちょうどで
分筆したから、坪当たりの額が五百万円ということに
なろうか。
  私は、ミスった土地のお金は幾らになるのか、ポケッ
トにあった計算機を手にし、なん度も指が計算機を叩
いた。一九・八一八掛け〇・〇一四メートル、割る二
は〇・一三八平方メートル、掛け〇・三〇二五は、〇、
〇四坪やっとできた。掛け五百万円は二十万円。それ
にしても銭金の問題ではないと青ざめた。
  もう何十年も前のことで価格が低かったが、いまで
は坪が一千五百万はするだろう。バブル時代の一時期
は二千五百万円ぐらいになった時期もあった。
 
  私は地権者AとKに気付かれぬようにその場所を去
り、M町の広島法務局に駆けこんで、五十六・九五坪
の土地登記簿謄本を請求した。「現在、権利の登記中
につき交付できません」との答えが返ってきた。私は
また慌てた。戸惑うばかりで何をしてよいかわからな
かった。
  ふと同業の土地家屋調査士が、私に声をかけてきた。
「やあ町田さん久しぶりですね」
「ああ…谷元さん」
  私は空返事しかできなかった。
  谷元が何やらいったが、よく聞こえなかったので訊
き返した。谷元はもう一度こんどは大きな声をかけて
きた。
「下の喫茶店でコーヒーでも飲みませんか?」
「ああそうしましょうか…」
 私はこの場から素早やく去りたかったのだが、友達
でもあったので、むげにも断れず空返事をして付き合
う羽目に陥ってしまった。
 喫茶店は大変混雑をしていた。私は知り合いの人が
いても愛想ができないので、隅っこの暗いところを見
た。空いていたのでそっと行った。あたりを見ると知
り合いの不動産屋がいたが、私は俯き加減にして人目
を避けた。谷元は知っている者がいたらしく、途中で
誰かと立ち話をしていた。私はそれをよいことに用が
できたのでと、告げて帰ろうとしたが、ウェートレス
がお冷を持って来たので、帰りづらくなった。
  私は境界のことが気になって俯き加減に考えこんで
いた。ウェートレスが、何回か、私に声をかけたので
あろうが、私はうわの空であった。「何になさいます
か」と怒ったような口調でいわれ、やっと我に返った。
まわりの連中の視線が私に集中していた。
「コ、コーヒーを下さい」
  谷元が知り合いとの話が終ったらしくやってきた。
長話はしたくない気分であった。何をいわれても支離
滅裂な話になるのが目に見えていたからだ。
「ゴメン、ゴメンちょっと知り合いがいて…」
「ああ…」
  谷元が私の顔を覗きこんで訊いた。
「何か顔色が悪そうだがどこか具合いが悪いのか?」
 やはり私の顔には歴然として、隠しようのない焦燥
感が表われているのだろう。すぐにでも横になって寝
てしまいたい。ずっとずっと深くふかく、目が覚めな
くてもいい。すっかり忘れ去りたい。
「いやちょっと寝不足で…」
「町田さん、悪いけどさっきの不動産屋の知り合いが
T町の境界杭を急いで見てくれというので、またつき
合って下さい…」
「え! ちょっと、それはT町のどこですか?」
「あそこの稲荷神社があるところですよ」
  谷元は、私が測った隣りの街区をいった。
  私は少し安心した。
「町田さんは、気が大きくて、よく土地の測量をこな
しているからいいですね。都心の土地は難しいですね」
「ああ…」
「建物登記が一番いいですよ。境界争いというものが
ないから」
「ああ…」
  私の言葉は空返事になっていた。
「じゃあ、またつき合って下さい…」
「ああ…いいですよ」
  私は複雑な気分であった。いま誰とも話がしたくな
いから都合が良かった。だが、境界と聞いて胸が蹄め
つけられる思いであった。
  私はコーヒーも手をつけず、横目も振らずにレジに
向かった。
「幾らですか?」
「百五拾円です」
 小銭入れを見たが金がなかったので、五千円札をだ
した。釣をもらうのを忘れたらしく出口のロビーのほ
うまでウェートレスが私を追い駆けて釆た。やっぱり
どうかしている。
  また二階の権利係のところへ行って五十六・九五坪
の土地がどうなっているか訊いてみた。係の者が機嫌
よく応対してくれた。係の机の横にあった登記運搬車
から登記簿を引き出して見てくれた。「所有権移転登
記と抵当権設定登記が司法書士を代理人として、申請
されています」と答えが返ってきた。案の定だと落ち
込んだ。だが私はさりげなくさっとお礼をいって事務
所に引き上げた。
  その日は疲れがたまっていたので早めに自宅へ帰り
くつろぎたいと考えた。だが、境界点のことから逃げ
ることはできなかった。所有者が変わってしまったら、
話の持って行き方が困難になると一晩中思案した。家
族にも心配をかけるから口にだせなかった。
  体は横たわっているが、自分が自分ではない幽体離
脱したような気分で、吐きけを感じた。部屋の中は真
っ暗であったが、寝つくことができなかった。
  この暗闇の中へ溶けこんでしまいたい。闇に葬りた
い。朝がこなければいい。それとも一点の明かりでも
見つからないだろうかと願った。
  朝飯も食べずに事務所に出勤したらすでに女性事務
員がきていた。私の顔を見て朝の挨拶をして何か私に
いったが、うわの空で返事をしておいた。しかしまた
私の顔を覗きこんで、「目が落ちこんでいますが」と
いったが、何でもないよと素知らぬ振りをした。
  便意をもよおしたので、トイレのドアを開けて入る
と、つるっと滑りこけた。そのときドアの取っ手でし
たたかに頭を打った。
  脳震とうをおこしたのだろう、しばらくのあいだぼ
うっとした。記憶喪失になったと自分自身にいいきか
せ、わーよかったと私はなにか、ふと元気がでてきた。
しばらくして、不審に思った事務員が、「なにか音が
しましたけど、どうされましたか」と訊いた。私は滑っ
てころんだといったら、事務員が頭をかしげて「大丈
夫ですか」と訊いてきた。私は我に返り、むかついて
事務員に食ってかかった。
  しかし、よく訊いて見るとさっきトイレを掃除した
ので、滑るかもしれないですよといったらしい。
  頭に手を当てて見ると血が付いた。どうやら少し切
れているみたいであった。
  私はそれを理由に病院へ行ってくるからと事務員に
告げて事務所をでようとした。そのとき私が過失を犯
した土地の地権者Aがやってきて、私に礼をいってふ
かぶかと頭を下げた。
  私は一瞬複雑な気分になった。
  Aは思い通りの価格で売れたといい、測量代金を支
払うから幾らかと訊いてきた。私は報酬の計算なんか
してもいなかった。それどころの話ではなかった。だ
が、取りあえずいっておかないと相手に何か詮索され
てはいけないので、二十万位でしょうといった。地権
者Aはびっくりして、「そんなに安いんですか」といっ
た。私は、また正式に計算して持って行きますからと
いって帰ってもらった。
  Aさんが、何か置いて帰ったと事務員がいって、寸
志と書かれた封筒を私に渡した。中を開けて見ると一
万円の商品券が五枚入っていた。困ったことになった
もんだと思ったがどうすることもできなかった。こん
どこられたら返すようにと、事務員にいって、都心の
病院へと電車で向かった。車中どこの病院へ行こうか
と迷ったが、総合病院なら何でも診てもらえるので、
市民病院にした。
  受付で奥歯に物が挟まったようないい方をしたので、
はっきりと症状をいって下さいといわれた。いいわけ
のようなことを考えてナースに頭を見せ、「ドアの取
っ手で頭を打ってどうも切れているみたいらしい。そ
れと、どうも寝れそうにもないので、神経科と外科を
お願いします」といったらナースが頭をひねっていた
が、受け付けてくれた。
  側で老人が私の話を聞いていたらしく、私の方を向
き何かいいたげな風であった。私は無意識に睨み返し
たが、老人は笑顔で声をかけてきた。
「あなたは今日こられてよかったですね。今日は空い
てますよ…」
  よくよく話を訊いて見ると、老人は毎日きているら
しい。ふと私は早くこのような老人になってしまいた
いと思った。しばらくしてナースから、「町田さん外
科の中へ入って待っていて下さい」と声がかかった。
中に入って順番がきたので診察室の中へと入った。先
生は女医で、怪訝そうに私の顔を覗き込んだ。「何か
体調が悪いのですか」と訊いた。
  私は頭を二、三度振って後頭部を見せた。女医は髪
を分けて傷を診たが、たいしたことはありませんと、
一方的に薬を出しておきますからといった。そして次
の神経科の方へ入って待っているようにと命じられた。
  神経科は空いていたので、「町田さん入って下さい」
とすぐに声がかかった。診察室の中へ入り椅子に座っ
た。年配の話の分かりやすいような医師は、しばらく
私の顔を覗いて、「目が落ちこんで、やつれているよ
うに見えるが、どうしたのか」と訊いてきた。私はこ
の医者なら全部さらけだして話を聞いてもらおうと思っ
た。少々ためらったのち、じっくり話そうと、最初は
「どうも眠れなくて」といった。医者は「仕事で疲れ
ているのでしょう」と、なにかを察したみたいだった。
医師は色々と訊いてきたが、どうも核心の境界点のこ
とが話せなかった。それでは体重と血圧を計っておこ
うといって、私の右腕を取り空気を入れる帯を巻いた。
聴診器を当て何やら首をひねって、もう一回やり直し
た。上が百六十で下が九十だといった。私の普段の血
圧は上が百十で下が七十ぐらいなので、相当に気分が
高ぶっていると私には分かった。だが、医者にはこの
ことはいわなかった。つづいて体重計に上がった。針
は五十五を指していた。一週間前に家で計った時は六
十であったのにと我ながらびっくりした。医者は点滴
をして帰れといって、抗うつ剤を出しておくからまた
悪いようだったらきなさいと丁寧にいってくれた。一
時間ほど点滴を受けたが、点滴の「点」という文字に
もこだわりだして、境界点のことが脳裏から取れなか
った。苦痛で針を抜いてしまいたい気分になった。
  帰り際にカウンセリングも別にやっているからとい
われた。しかし核心部分がいえそうにもないので、あ
あそうですかと軽く返事をし、一礼をして神経科を出
て病院を後にした。
  意外と早く治療が終ったので、このまま事務所に帰
ろうか、どうしようかと迷った。後ろ髪を引かれる思
いに、それは何なんだろうと思案したが訳がわからな
い。
  しぜんとT町の私があやまちを犯した現地に足が向
いていた。普通に歩けば病院から十分ばかりで行ける
が、歩道を歩く途中の横の街区が気になって、境の点
をじっくりと見て歩いていた。私の横を歩いている人
達は、それを見て、蔑視した態度を取っているように
感じられた。
  私は境界線を見て、そして次の境界線までの物体も
しげしげと眺めつづけた。ふと二、三歩進むと、お地
蔵さんがいた。私はしばらくそれを直視でき、無意識
のうちに手を合わせていた。この土地に霊がいるのだ
ろうかと、じっと私は考え込んだ。深くふかく地の世
界へと足を引っぱられる感じがし、しばらくのあいだ
の記憶が私にはなかった。
  私はふと我に返り、あたりを見まわしたら、原爆ド
ームが幽かに見えた。足はドームの方へと進路が変わ
って行った。この痛々しい姿。ボロボロになった姿。
荊のように見えるが、嘆いているのだろうか? この
姿になったのは、あれは昭和二十年八月六日朝八時十
五分。原爆の投下で、広島市は一瞬のうちに灰燼に帰
し、約二十万人が亡くなった。
  そして四年後の昭和二十四年八月六日にわが国最初
の特別法「広島平和記念都市建設法」が公布され、広
島市の復興が一段と加速され、この市街地の街区が決
められていったのだと、改めて感慨した。
 そうだ土地は生きているのだ。霊がいるのだと思い
ながらT町の方へと足が向いて境界線を見ながら歩い
た。境界標があるのもあれば、ない所も多く見受けら
れた。
  その種類はさまざまな物があった。それは石杭、コ
ンクリート杭、金属標のプレート、金属鋲、刻み等で
あった。古い時期に設置された物もあれば、最近に埋
設した物もあった。
  時計を覗くと針は三時半を指していた。
  昼食を摂ることも忘れ、「一点」の世界へと足を踏
み入れて歩きつづけていたのだ。
  いや私ではない肉体だけが彷徨っていたのかもしれ
ない。
  私は足を早めようとしたが、足が思うように進まな
い。地に足を取られるような思いで歩いた。
  電車がゴトゴトと音を立てて走り去って行った。私
の体は、土地と共に少し揺れた。
 
  戦後市街地が復興事業によって街区の区割をなされ、
さらに細分割をされ、場所によって十五区画ないし三
十五区画ぐらいになった。
  戦後すぐといえどもメートル法によってミリ単位ま
での数値で区割をされている。
  私の職業はその土地の分合筆登記等とその上の建物
登記業務等であるが、境界確定作業が重要な職務であ
る。いざ土地の境界となると前後左右の地権者は、相
当に神経がピリピリになり、険悪である。
  我らにその重圧が伸しかかる。逃げることもできな
い。それを押し退けて中立に物事を運ばなくてはいけ
ない。
  深くふかく地に足を踏み入れ、境を探さなくてはな
らない。自分が所有している枠の中に、いくつもの地
番があれば目に見えない筆界線となる。つまり地番と
地番を分ける線だ。また隣りとの境界線の筆界線もあ
る。筆界線は一度定めると隣り合う土地を合筆しない
限り消し去ることはできない。
  やっとの思いでT町の五十六・九五坪の土地へ体が
運ばれてきた。見るとアスファルトが撒かれ、ローラ
ーが前後左右に動いていた。
  私の体は土地と共に震動した。アスファルトの熱い
あつい熱射が体に浴びせられた。ローラーの運転手が
「危ないからどけ!どけ!」と叫んだ。私の体は少し
バックして境界標を見つづけた。
  私が五十六・九五坪の土地へ入れた境界標は三本で、
すべてコンクリート杭であったが、微動だにもしてい
なかった。穴を六〇センチばかり掘ってジャリを敷き、
コンクリート杭を入れ、下に練った生コンクリートを
入れて、根巻をし、そして中ほどまで土を入れ、また
生コンクリートを入れて固めているのだ。
  豪華な塀は道路から一メートルほど退った所から境
界杭の点にピッタリと沿って奥まであった。
  ローラーが境界線ぎりぎりまで動いてきた。私があ
やまちを犯した杭に打ち当たりそうになった。
  ふと私の脳は葛藤を起こした。杭を打ち壊してくれ
と。それとも左隣へ一センチ四ミリ傾けてくれと念じ
ていた。
  ローラーを操る運転手は慣れた操作で杭に打ち当た
りそうになん度もローラーを動かした。おもわず当た
る当たると思ったが、へまはやらなかった。
  やがて西日が射す時間になったので、事務所へ帰ろ
うと電停まで歩き始めた。足が重く、体がふらふらと
揺れて倒れそうになったが、なんとか辿り着いた。
  電車に乗って吊革を持ったら汗が腕をとおって上半
身から下半身へと流れたような気がした。ズボンとシ
ャツを見ると湯を浴びたように濡れて湯気が立ってい
るように感じられた。電車に乗っている人の目が私に
浴びせられた。
  やっとの思いで事務所に帰ると女性事務員がいた。
私の姿を見てびっくりしたような顔をして、「大丈夫
ですか」とたずねた。私は頭を縦に振って、「少し歩
いたので汗をかいてしまった」といってさりげなく机
の椅子に腰をかけた。
  私は改めて机を見た。この机の主である以上、一人
で誰にもいえない負い目を背負って行かなければなら
ないと。
  四、五日はまったく寝られず、ノイローゼになった
かと思案した。
そのうち仕事の忙しさで体を酷使したため、夜は体が
つぶれたようになって寝ていたらしい。
 
  ある日私の事務所に調査士会から電話が入った。事
務局長からであった。何事であろうかとどきどきした
が、世間話が長く、各論までが長かった。やっと切り
出した事務局長の言葉は、「あなたの事務所で補助者
が要らないか」といった。私は内容を訊いて見ると測
量士の資格は持っているが、土地家屋調査士の資格も
取りたいので、実務を勉強したい者がいるとのことだ
った。私は二、三日考えさせてくれといって電話を切
った。私は人を指導する資格があるのだろうかと自問
自答した。そして家族の者と事務所の補助者に話をし
てみたら、「所長は疲れているみたいだから」と賛成
してくれた。面接をして真面目そうな男だったので雇
うことにした。私の体は楽になったが、色々と考える
ことが多くなってきた。体を余り使わないかわりに神
経を余計に使うはめになった。
  来る日もくる日も境界点のことが頭から離れなかっ
た。この仕事をしている限り、脳裏に敷き詰られて、
深くふかく刻まれて行く。止めることはできない。人
生の終点まで、それとも無限に暗闇の中へと追い詰め
られて行くのであろうか。しかし私はいま敗北する訳
にはいかない。深淵に臨むがごとくつづけなくてはな
らない。
 
 あの暗闇の中へと滑り込んだ日から三か月ばかりた
ったであろうか、五十六・九五坪の土地の左隣り、K
の隣りから私の事務所へ電話が入ったと、夕方事務員
から聞いた。私は事務員に、もう一度名前を確かめた。
高山さんだといった。これは間違いなくあそこだとわ
かったので動悸がしてきた。バレることにはならない
だろうかと、ふと頭の中に何かがよぎった。事務員が、
「電話をすぐ下さいということでした」と私に急かし
た。私は怒った口調で、「まて、いま帰ったばかりじ
ゃないか」と怒鳴った。
 そのうち補助者二人が帰って来た。
 今日は残業しないと内業が消化できそうにもなかっ
た。時計を見ると七時をまわっていたので、どうしよ
うかと思案した。落ち着かないので、三人とも帰らせ
た。
  私は一時間ばかり、ぼうっとして、なんなんだろう
かと考え倦んだ。しかしここにいても埒があかないの
で私は都心の歓楽の巷、飲食街流川へ出て、行き付け
の店に入り自棄酒を食らった。
  スタンドのママが町田さんえらい荒れているみたい
だけど、どうしたのかと訊いてきたが、ぶっきらぼう
になんでもないよといって店を出て、家に帰ってきた。
時計を見ると一時をまわっていた。テーブルの上にメ
モがあった。高山さんから電話下さいと書いてあった。
  私は三時間ばかり寝ることができなかったが、いつ
の問にか寝ていた。朝八時頃まで寝てしまったので、
朝食も摂らずに事務所へと急いだ。皆もうすでにきて
いて、ゆったりしているように見えたので腹が立って
きた。私は荒々しく事務所の中をうろついて受話器を
ぶっきらぼうに取りダイヤルをまわした。奥さんが出
て、「ちょっと待って下さい」といい、二分ぐらい待
たされてイライラしていた。
  高山さんが電話にでてきた。町田さんうちの土地が
といって咳きこんでいるみたいだった。しばらくして、
「うちの土地の裏の電車側の土地の人がビルを建てる
んで、境界立会いをして欲しいといっている。すまん
が町田さんが、うちの隣りのKの隣りを測量されてい
るから、事情がよく判っていると思うので、境界杭を
入れて測量してもらえませんか」といった。私は一瞬
言葉が出なかった。なん回か咳き込んだ。私の言葉が
出ないので、高山さんが私に、「忙しくてできません
か」といった。「いえいえ」と返事ができた。「段取
りを見て日にちを決めますので、また電話をします」
といって切った。事務所の三人の視線が私に向けられ
ていた。
  今日一日は取りあえず残業をしてでも片付けて方策
を検討しようと私は思案した。しばらくのあいだ心臓
がたか鳴っていた。いろいろとどうするか自分で検討
してみたが、当たり前のことをするしかないと結論が
でた。皆、残業をしてくれて九時頃一段落したので、
三人を帰らせた。
  私は神棚に上げる酒があったから、一杯引っかけた
ら少々楽になった。高山さんに電話をした。明後日の
土曜日が都合が良いので先方に訊いてみて下さい、と
いって受話器をおいた。
 
  高山さんから朝十時に電話が入った。明日午前十時
にお願いしますとのことである。いいですよと開きな
おっていって、電話を切った。
  その夜はすぐに眠りにつくことができなかったが、
いつの間にか夜が明けた。食事をさっさとすませ、事
務所に向かった。八時半に着いた。皆、すでにきてい
た。三か月前の資料は準備しておいたが、もう一度袋
から取り出して、地権者名となん人集まるか数えてみ
た。六名は最低集まるだろうと踏んだ。
  やがて九時半になった。補助者二名と私の三人が現
地へと車を走らせた。着いてみるともうすでに七、八
人が集まっていた。高山さんが私に近づいてきてよろ
しくお願いしますといって、まわりの地権者を紹介し
てくれた。私は名刺を交換した。電車側のビルを建て
る証券会社の重役が私に対してふかぶかと挨拶をした。
このあたりの地権者は、Kを除いてはとんどの方が協
力的であった。しかし、Kにはさすがにくたびれた。
他にも二人の地権者が少し筆界線のことで揉ましたが、
なんとか午後の四時頃には杭を入れて測量を終えるこ
とができた。N証券会社が頼んでいた園田土地家屋調
査士が、てきぱきとやってくれたから難なく済んだの
かもしれない。だが、私の心には暗いものがありつづ
けた。なぜならば、五十六・九五坪の土地と高山さん
の土地との点間距離が一センチ四ミリ長いことには変
わりはないからだ。永遠に引きずるのだろうか。
  だが、私はあのでき事以来、長いこと鬱で、ノイロ
ーゼになっていたが、肝がすわり、最大限の努力をし
てきた。毎日疲れることには変わりはない。この仕事
をつづけて行くならば…。
 
  あれから二十年が過ぎ去った。私の心の中には誰に
もいえない秘密を持ちつづけた。時効というものがな
い。もうくたびれた。ここらで現役を引退したい。第
二の人生があるのかないのかわからないが…。
  当時の補助者は二名とも独立した。いまは若い二十
代の補助者三名と事務員がいる。
  今年もあと、十日ばかりで、大晦日を迎えようとし
た牡丹雪の降る寒い閑散とした日の午後四時半に電話
のベルが鳴った。事務員がでて私に代わった。相手は
Y生命保険会社の総務部長からだった。
  T町の五十六・九五坪の土地と隣りのKの土地を買
収したとのことであった。私の心臓はたか鳴った。
  地の神か仏か、それともあの時の地蔵が私に試練を
与えていたのだろうか。それとも味方をしてくれたの
だろうか。それともほどけたのだろうか。運よく、合
筆登記をして実測をしてくれという依頼であった。私
はすぐに一人で現地に走り、しげしげと様子を見た。
高山さんも地上げを喰って、もうすでにそこには証券
会社のビルが建っていた。
  その元高山さんの所の杭二本と五十六・九五坪の向
かって右側の杭二本は雪で埋もれていたが、微動だに
せず残っていた。
  永年の鬱責からやっと解放されて思わず全身の力が
抜け、私はその場にへたばってしまった。
  私の体は、その雪に埋もれ、地から抜けでることが
できなくしばらくのあいだ、無意識だったようだ。し
かし、一点の世界の大地から、いままで私が注ぎ込ん
だ活力よりも遥かなエネルギーの源が加えられた気が
した。

 あたりはしんしんとして、街燈の幽かなあかりが、
雪の舞う光景を照らし、その中にビルが林立していた。
                      (了)  


1999年2月3日付 中国新聞 記事




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