越美山系 冠岳(1,258m) 能郷白山(1,617m)

   二百名山と三百名山の山へ。
   平成18年8月23日(水)
   檜山(単独)

記 録
 冠岳、能郷白山は、岐阜と福井の県境にあり、美濃の最奥に位置する山である。冠岳は三百名山の山で、この山には過去2回現地まで行って雪や道路工事で諦めた、曰わく付きの山である。今回3度目にして、ようやくその頂上を踏むことが出来た。
 能郷白山は、4年前の11月始めに、雪を掻き分けて登った山である。今回も天気には恵まれず、白山などの山々が見えなかったのは残念であった。

 ○8/22〜23(水)  高萩〜冠峠〜温見峠〜自宅 1,747km
  高萩17:00-----(常磐道・磐越道・北陸道)---- 0:40木之本IC----- 1:25国道303号八草トンネルで引き返す---- 2:10国道21号途中(仮眠)5:00-----7:00冠峠7:30----8:10 冠平 (ルートを間違える)-----8:25冠平---- 8:35冠岳9:00--- 9:40 冠峠9:55----10:25高倉峠-----国道476号線---- 大野市--- 13:30温見峠13:45 ----14:45東峰----14:50西峰15:40----6:20 温見峠16:35----18:15福井IC(北陸道・磐越道・常磐道)----日立南太田IC----2:15自宅

 高萩を17時に出発した。当初は能郷白山を登ってから冠岳に転進する予定だったが、それぞれのアプローチ道が違う(冠岳は、福井県側が道路改良工事中。能郷白山は、岐阜県側が道路補修工事中)ため、転進がスムーズに行くかどうか心配になり、リベンジより三百名山登頂を優先することにした。

 冠峠に近いIC、滋賀県の木之本ICまで飛ばす。渋滞はないが、遠かった。岐阜県へと繋がる国道303号を走る。しかし、現在新規の八草トンネルの工事中で、旧道も交通止めだった。仕方なく来た道を戻り、伊吹山を回り込むように大きく迂回する。国道21号の途中で眠気を催し、国道傍のトラックターミナルにテントを張って仮眠した。(駐車しているトラックのアイドリングと行き交うトラックの音が凄いが、疲れで仮眠していた。)

 冠峠を目指して国道417号を走る。揖斐川町役場を過ぎ、旧藤橋町役場を経て、当初予定の国道303号線に奥いびき湖で合流した。大きな時間と距離の迂回をした。揖斐川沿いに登って行く。道は細いが舗装あされている。やがて大きなアース型のダムが見えた。徳山ダムだ。物議を醸したこのダムはまだ供用開始されていない。ダムを越えて、更に上流を目指すと、途中で付け替え道路などがあり、そこに注意書きの看板があった。「徳山ダムの喫水試験のため、平成18年9月1日から通行止めとなります」この情報は役場では言わなかったので、今日来て良かったとホッとした。

 冠峠手前で、左から林道が入っていた。高倉峠経由で福井県今庄町に出る林道だった。04年9月に菊池と福井県から冠岳に向かったとき橋の替え工事で断念したが、経ヶ岳で会った登山者に冠峠に入る林道があると聞いたが、これがその林道だと合点した。冠峠までは全面舗装だった。峠に向かう途中や峠からも冠岳の特徴ある山容が見えるらしいが、本日はガスのため何も見えない。用意をして出発する。

  ルートには笹藪が垂れ下がって直ぐにズボ ンはびしょ濡れとなった。いくつかの起伏を 越えて行く。相変わらずガスが掛かって視界 が悪い。大きな登りを終えて、岩肌の露出した所で出た。少し下がったところが笹原拡がる冠平だった。

 ルートはその笹原の中に延びていた。不明瞭な笹原の道で、直ぐに背よりも高い篠に覆われた薄いルートとなった。何とか掻き分けて進むが、全身ズタズタ、ビショビショ。これはおかしいと、冠平に戻って確認。やはり間違いで、ルートは岩肌の露出した所から上に登るのだ。岩崩れを起こしそうな斜面には、ザイルも設置されていた。

難なくして、目指す頂上に着いた。頂上には三等三角点と黒御影石の道標があった。視界は悪く、何も見えない。298番目の山に登ったことに満足した。お母さんに電話報告して下山に掛かった。

 下山途中に事件発生。道の真ん中で「まむし」が尻尾を震わせて音を出しながら威 嚇してとおせんぼをしているのだ。何度か追い払おうとするが、威嚇して一向に退散しない。仕方なく成仏させた。

 峠に着く前にガスが少し晴れて、冠岳が望めた。確かに特徴ある烏帽子のような山容だった。その姿を見られたことに満足して峠に着いた。
 高倉峠を経由して福井県側に出られれば能郷白山には確実に登れると確信した。林道を右に入った。途中で出会った人に確認したら、道は大丈夫と聞いて安心して今庄町を目指した。

 今庄町に出てから大野市を目指す。ここも国道が途中で工事中のため大きく迂回する。大野市で行動食を仕入れて、国道157号線を温見峠まで飛ばす。こちらも全面舗装されていた。登山口はまさに峠そのものにあった。駐車スペースは道路脇にしかない。風が通って爽快な峠だった。

 階段の整備されたを辿る。昭和63年9月に開設されてルートだが、最短のルートとなっているので、良く踏まれていた。傾斜はそれなりにきつい。どんどん高度を稼いで登る。 一旦明瞭な尾根に乗ると、ほぼ平坦な道となった。あまり視界は効かない。リンドウが咲き始めていた。少しの上下動を繰り返しながら東峰に着いた。東峰には、古い道標とともに一等三角点があった。さらに西峰を目指す。

  能郷谷から登ってきた若い登山者に会う。前後して西峰に着いた。西峰には覚えのある木造の祠が建てられていたが、全面の壁が崩れ落ちており、無惨な廃墟の体をなしていた。しかし、前回(4年前の11月) 雪の中を登ったときに、写真を撮った木柱の道標がない。いくら探してもないのが不思議だ。若い登山者に頂上はここのはずだと一応教えたが。2回目も、またしても視界の効かない頂上だった。ガッカリ。

  ビールを飲みながら、彼と話をしながら時間を過ごした。聞くと新聞記者。まさか朝日新聞?。朝日の記者だった。(現在は名古屋総局勤務。前任地は富山県)県庁詰めだと言う。紙面構成や山談義も含めていろいろ話をした。気さくな若者だった。せっかくなので名乗り合った。平林大輔氏と紙に書いた。こちらは名刺を渡した。

 東峰まで一緒に戻り、そこで別れた。一目散に峠を目指した。峠に着いて、全部取り替えてこざっぱりし、峠に別れを告げ、福井ICを目指した。途中の富山のSAで1時間30分ほど仮眠し、一路自宅を目指した。
 いつもながら、忙しい登山となってしまった。