中野文庫 皇子誕生式 (ご懐妊からご命名まで)

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序 説

 皇族の誕生については、帝国憲法下にあっては旧皇室親族令(明治43年皇室令第3号)35条から47条までに規定を置き、さらに同令附式に「皇子誕生式」の詳細な規定を置いていた。戦後は廃止されたものの、皇后陛下(美智子さま)の皇太子妃時代におけるご出産も概ねこれに従って行われ、皇太子妃殿下(雅子さま)や秋篠宮妃殿下(紀子さま)のご出産も同様である。なお、戦前は「天皇の子(=皇子)」の場合、「皇太子・皇太孫の子」の場合、「親王・王の子」の場合と細かく規定が分かれていたが、戦後は他の皇族のご出産も「皇太子・皇太孫の子」の場合に準じている。

 まずご懐妊の公式発表があり、ご誕生までの間の儀式とご出産の準備が行われる。次いで、晴れてご誕生になり、その旨公告される。そして、ご誕生後のご命名を始めとする一連の儀式が行われる。井原頼明『増補皇室事典』(冨山房、昭和13年)40頁から44頁の戦前の事例を参考に、時系列で戦前・戦後を比べながら、皇孫殿下のご誕生について以下にまとめる。


ご誕生前

●ご懐妊発表

 平成13年4月16日、東宮大夫より「皇太子妃殿下におかせられましては、ご懐妊の可能性が出てこられました。正式に発表できる段階ではありませんが、確認され次第、正式に発表しますので、その時までできる限り静かに見守っていただくようご協力をお願い致します。」との発表があった。新聞報道によれば、妃殿下は既に3月末ごろからご妊娠の兆しがあり、この4月の時点で、ご胎内の皇孫殿下のご心拍は画像診断装置で確認されていたものの、平成11年のご流産もあって、ご経過を充分お見守り申し上げるとともに、余計なご負担をおかけしないため、正式な発表はご妊娠4か月目になる直前まで差し控えることとなったという。

 先例では、昭和34年7月、皇太子妃殿下(美智子さま)にご懐妊の兆候があると発表された。当時、皇太子同妃両殿下(現在の天皇皇后両陛下)はご成婚から3か月後であった。翌月には12人で構成する医師団が結成され、万全の態勢を整えた。ご懐妊の正式発表は、ご妊娠4か月が確定した昭和34年9月15日に行われた。

 敬宮さまのご誕生の場合、平成13年5月15日午後5時30分に皇太子妃殿下がご妊娠3か月をお迎えであるとの正式発表が行われた。医療の進歩により皇后陛下が皇太子殿下をご懐妊の時よりも1か月早い発表で、以降10人前後の医師団がお仕えすることになった。

(参考) 皇太子同妃両殿下のご成婚からご懐妊まで

 ご懐妊の正式発表を受けて、小泉純一郎内閣総理大臣は総理談話を発表した。

(参考) 小泉純一郎内閣総理大臣談話(平成13年5月15日)

 宮内庁からご懐妊の正式発表があり、大変おめでたく、国民の皆さまとともに、心からお喜び申し上げます。皇太子、同妃両殿下のお喜びは申し上げるまでもなく、天皇、皇后両陛下のお喜びもいかばかりかと拝察いたします。皇太子妃殿下におかれましては、お体を大切にされ、ご無事にご出産されますようお祈り申し上げますとともに、国民の皆さまとともに、静かにお見守り申し上げたいと思います。


 平成18年2月7日、宮内庁長官より「文仁親王妃殿下には、本日、拝診の結果、ご懐妊の兆候がおありになるとのことであります。」との発表があった。続いて、同24日には皇室医務主管が会見し、「文仁親王妃紀子殿下には、ご懐妊のご模様につき拝診したところ、妊娠3か月目との診断であり、これまでのご経過は順調であります。関係の方々のお喜びはいかばかりかと拝察いたします。」「妃殿下の、これまでの2回のご懐妊・ご出産は極めて順調でした。従って。今回の3回目のご懐妊も順調であることを願っております。けれども、今回のご懐妊は、30代後半でのご出産という初めてのご経験ですから、それに向けた様々なお心構えが必要になりますし、ご不安も多いことと拝察いたします。ですから、順調なご出産をお迎え頂くためには、身体的にも精神的にも安寧で健やかな日々をお送り頂くことがもっとも大切なことであります。そのような観点から、報道関係者の良識と配慮を期待します。」と述べた(「宮内庁ホームページ」)。

(参考) 秋篠宮同妃両殿下のこれまで

 

●内御着帯式

 皇室においてはご安産のため、江戸時代中期からご妊娠5、6か月目に内御着帯式を、9か月目に正式な御着帯式が行われるようになった。現在でも2回に分けて行われており、先例では昭和34年10月7日に皇后陛下(当時は皇太子妃殿下)の内着帯式が行われている。東宮女官長が昭和天皇から贈られた純白の絹帯を東宮御所にお届けし、モーニングをお召しの天皇陛下が見守られる中、袿袴の皇后陛下が東宮女官の介添えで帯を締められた。

 平成13年7月10日の午前9時45分より、東宮御所の塩地の間において内御着帯式が行われた。皇后陛下のご先例通り、モーニングをお召しの皇太子殿下と、袿袴姿の妃殿下(ご妊娠5か月目)が向き合ってご着席になった。妃殿下は東宮女官の介添えで帯を袴の上から回され、殿下が正面で帯を蝶結びにされて式は終了。ご昼食の後、天皇皇后両陛下に内御着帯式のご報告をされた。

●御着帯式

 御着帯式は、御帯進献の儀、御着帯奉告の儀および御着帯の儀の三つからなる。出産が軽いといわれる犬にちなんで妊娠9か月目の戌の日に行われることになっている。御着帯式に供される帯は、内側が紅、外側が白の生平絹で、長さ4メートル55センチ、幅46センチある。幅半分を折り、三重にたたんで2羽の鶴と若松が金泥(金粉と膠を混ぜたもの)で描かれた和紙(鳥の子紙)で二重に包み、桐の蒔絵の箱に収められている(旧皇室親族令附式)。

 御帯進献の儀(おんおびしんけんのぎ)は、男子皇族の中の最年長者がなられる「帯親」が、天皇陛下より贈られた帯を使者を立ててお届けになるというものである。皇后陛下のご出産の時は、故高松宮殿下が帯親を務められ、昭和35年1月23日、昭和天皇より贈られた帯を御使が東宮御所にお届けした。今回の帯親は三笠宮殿下で、宮様の御使である宮内庁職員が平成13年10月26日の午前9時前に東宮御所の両殿下へお届けした。

 賢所、皇霊殿、神殿に御着帯奉告の儀(かしこどころ、こうれいでん、しんでんにごちゃくたいほうこくのぎ)は、神殿に帯をお供えして着帯を宮中三殿に奉告するというもので、今回は皇太子同妃両殿下のご代拝を元宮内庁次長および元東宮女官が務めた。これは、現職の国家公務員が宗教的行為にかかわることが現行憲法上好ましくないとの判断からである。戦前においては「天皇の子」「皇太子・皇太孫の子」以外の皇族の子のご出産に際しては、この奉告の儀のみが行われる規定になっていた(旧皇室親族令附式)。

(参考) 宮中三殿

 皇居・吹上御苑内にある賢所、皇霊殿および神殿をあわせて宮中三殿という。銅瓦ぶき入母屋造で材質は檜の素木造である。宮中三殿のあるご神域は約2200坪あり、宮中三殿のほか、綾綺殿(りょうきでん)、神嘉殿(しんかでん)、奏楽舎(そうがくしゃ)、幄舎(あくしゃ)、参集所(さんしゅうじょ)などがある。

 御着帯の儀(ごちゃくたいのぎ)は、神殿に供せられた帯をお締めになり、ご安産を祈願するというものである。

 平成13年10月26日、午前11時より御着帯の儀が行われた。7月の内御着帯式と同様で、モーニング姿の皇太子殿下と袿袴の妃殿下が東宮御所の奥御座所にご着席になり、妃殿下は女官の介添えで帯を締められた。午後、妃殿下は御着帯式の終了を天皇皇后両陛下にご報告された。


 戦後は、「天皇の子」「皇太子・皇太孫の子」以外の皇族の子のご誕生に際しても同様の儀式が行われており、秋篠宮妃殿下ご出産の際も同様に三笠宮殿下が帯親を務められ、妃殿下が洋服の上から帯を回され、秋篠宮殿下がお結びになった。平成18年の例では、天皇皇后両陛下より贈られた桐箱入の生平絹(きのひらぎぬ。表地が白で裏地が紅の絹帯。長さ4メートル55センチ、幅45センチ)を、帯親の三笠宮殿下の御使が午前9時40分に秋篠宮邸へお届けし、午前10時よりロングドレスをお召しの秋篠宮妃殿下がドレスの上に帯を締められ、モーニング姿の宮様が蝶結びの形にお結びになった。式は10分程度でつつがなく終了。午後、両殿下は三笠宮邸へ御礼のためご訪問後、皇居で式の終了を両陛下にご報告された。

●ご出産準備

 平成13年8月、皇太子同妃両殿下が那須御用邸附属邸でご静養の間、約2900万円をかけて東宮御所内に皇孫殿下のお部屋の工事が行われた。昭和天皇ご在位当時、東宮御所には現在の天皇陛下ご一家がお住まいで、お庭に面した1階の洋室は紀宮さま(現在の黒田清子さん)のお部屋であった。今上陛下のご即位後、紀宮さまも両陛下とともに皇居に移られ、東宮御所が皇太子同妃両殿下のお住まいとなったのちも空室のままとなっていたもので、新宮様にお怪我がないよう床にコルクタイルを敷き詰める等の工事が行われた。

 同9月からはご入院先となる皇居内の宮内庁病院2階の皇室専用(御料病室)の御静養室・御分娩室について、同病院の現在の建物が竣工した昭和39年以来初めて、天井と壁を塗り替えるなど約500万円をかけて改装工事が実施された。同病院には、三次元(3D)超音波診断装置が導入され、立体的にお顔やお手足が確認でき、誕生間近の皇孫殿下のご様子が念入りに診断できるという(『毎日新聞』)。

 香淳皇后が今上陛下をご出産の際は、「宮内庁病院」といった施設はなく、昭和3年9月、当時の御常御殿の西北に鉄筋コンクリート造平屋建の産殿(御静養室)が増築された。御産室近くには伺候の部屋が設置され、宮内大臣または内大臣、侍従長、皇后宮大夫、宮内次官、宿直の侍従などが控えるというものであった(旧皇室親族令35条)。

 また、当時は乳人(めのと)の制度があり、東京近郊の各府県から「身体強健、血統正しき婦人」2名ずつの候補者が知事により選定され、さらに銓衡のうえ、正乳人1名、控2名を選びご奉仕することとなった。今上陛下ご誕生後は1日交代で乳人が授乳し、3歳で昭和天皇・香淳皇后のお住まいの皇居(当時は「宮城」)を離れられ、赤坂の東宮仮御所に移られた。その後は東宮傅育官が教育の任に当たるというもので、戦後、皇太子殿下のご誕生を機にお手元でお育てになるように改められたのは周知のとおりである。

 皇太子殿下のお付き添いのもと、平成13年11月30日夜、12月になる直前に皇太子妃殿下は宮内庁病院に入院された。


 平成12年より赤坂御用地にある旧秩父宮邸を増築してお住まいの秋篠宮邸も、妃殿下第三皇子ご懐妊の後、お子様のために改修された。六畳ほどのお部屋を新宮様用にお使いで、フローリングにカーペット敷に改め、併せて小さな台所を設置する等の改修が行われた。

 平成18年8月16日午前、ホームステイ先のオーストリアよりご帰国の眞子内親王殿下を宮邸でお迎えになった後、秋篠宮妃殿下は宮様お付き添いのもと総合母子保健センター愛育病院に午後入院された。皇室のご出産で宮内庁病院以外の病院をお使いになった例はないが、愛育病院は産科設備の整った国内屈指の病院とされ、同院長は眞子内親王・佳子内親王両殿下のご出産に際しても主治医を勤めた。9月下旬頃ご出産の予定が上旬に早まり、異例の帝王切開によるご出産とのこともあって、妃殿下のご体調を考慮して早めのご入院となった。


ご誕生

●ご出産

 ご出産になると、侍医が拝診のうえ、皇孫殿下のご身長やご体重などをご計測申し上げる。皇孫殿下のご誕生は、時刻や男子・女子の別ともに天皇皇后両陛下、皇太子殿下および皇族方に直ちにご報告される。

 先例としては、皇后陛下はご出産予定日(昭和35年3月1日)より少し早い2月22日の夜にご陣痛があり、23日午後に宮内庁病院において、ご身長47センチ、ご体重2540グラムの徳仁親王(現在の皇太子殿下)を無事ご出産になった。

 平成13年12月1日午後14時43分、皇太子妃殿下はご身長49.6センチ、ご体重3102グラムの敬宮愛子内親王をご出産になった。正午過ぎにご陣痛があったため御分娩室へお移りになり、程なくしてご出産。ご安産であったと拝察する。報道によれば、妃殿下、内親王殿下ともにお健やかで、天皇皇后両陛下もお喜びのご様子であったと伝えられている。2日午後、両陛下は宮内庁病院の妃殿下と内親王殿下をお見舞いになった。

 敬宮さまご誕生の正式発表を受けて、小泉純一郎内閣総理大臣は総理謹話を発表した。

(参考) 小泉純一郎内閣総理大臣謹話(平成13年12月1日)

 本日、内親王殿下のご誕生を迎え、国民の皆様と共に心からお祝いを申し上げます。
 皇太子同妃両殿下のお心持ちは申すに及ばず、天皇皇后両陛下のお喜びはいかばかりかと拝察いたします。
 内親王殿下の御誕生は皇室の一層の御繁栄を象徴するものであり、このおめでたい日を迎えたことは、国民のあげて喜びとするところであります。
 ここに、謹んで内親王殿下のお健やかな御成長と、皇室の一層の御隆運を衷心よりお祈り申し上げます。


 平成18年9月6日午前8時27分、秋篠宮妃殿下はご身長48.8センチ、ご体重2558グラムの悠仁親王をご出産になった。同午前7時10分、秋篠宮殿下が愛育病院にご到着。妃殿下は8時前に病院内の手術室へお移りになった。8時23分に帝王切開のご手術を開始され、4分後にはご出産、9時7分にご手術も無事終了した。報道によれば、妃殿下、新宮さまともにお健やかという。第16回国際顕微鏡学会議ご出席のため天皇皇后両陛下は北海道ご訪問中で、札幌パークホテルご滞在の両陛下へは秋篠宮殿下が8時33分頃お電話にて報告された。

 天皇陛下は、「秋篠宮より、無事出産の報せを受け、母子ともに元気であることを知り、安堵しました。様々な心労を重ねた十か月であったと思いますが、秋篠宮夫妻が、その全てを静かに耐え、この日を迎えたことを喜び、心からのお祝いの気持ちを伝えたく思います。二人の内親王も、この困難な時期を、一生懸命両親に協力して過ごしてきましたので、今は、さぞ安心し、喜んでいることと思います。医療関係者を始め、出産に携わった人々の労をねぎらい、この度の秋篠宮家の慶事に心を寄せ、安産を祈願された内外の多くの人々に、深く感謝の意を表します。」と特にご感想を発表された(『読売新聞』」)。札幌市のコンサートホール・キタラで開かれた国際顕微鏡学会議の式典においても重ねて「秋篠宮妃の無事の出産に対し、皆さんにお祝いしていただいたことを深く感謝しております。どうもありがとう。」と国民多数の祝意にお応えになった。

 秋篠宮妃殿下のご両親、川嶋辰彦学習院大学教授夫妻も宮内庁を通じ、陶淵明の「帰去来兮辞」を引用して、「誠におめでとう存じます。『清流に臨みて詩を賦す』」心に重なる感懐を覚えます。お健やかな御成長を謹んでお祈り申し上げます。」と感想を発表した。

 天皇皇后両陛下は9月9日夜、ご訪問先の北海道からご帰京になり、翌10日午前11時半頃、皇居で秋篠宮殿下のご報告をお受けになった。続いて、眞子さま、佳子さまも参内され、両陛下とご昼食を共にされた。午後3時半頃、両陛下は愛育病院をご訪問。秋篠宮妃殿下をお見舞いになり、新宮さま(悠仁親王)と初めてご対面になった。同11日に40歳のお誕生日をお迎えの妃殿下に、皇后陛下は花篭と白のベビー靴とお贈りになったと(『毎日新聞』)。

●皇孫のご地位

 敬宮さまは内親王(女のお子様)であるので、男子皇族のみに限られている皇位継承権はない。天皇皇后両陛下にとっては、秋篠宮眞子内親王(平成3年10月23日)、同佳子内親王(平成6年12月29日)に続いて3人目の皇孫となる。


 悠仁親王殿下は親王(男のお子様)であるので、皇位継承権があり、1位の皇太子さま、2位の秋篠宮文仁親王殿下に続いて、皇位継承順位は3位となる。両陛下にとっては敬宮さまに続いて4人目の皇孫で、親王としては初めて。男子皇族のご誕生は御父宮の秋篠宮殿下(昭和40年11月)以来、実に41年ぶりである。

皇族班位・皇位継承順位

●皇孫ご誕生に際して

 宮内庁長官は、ご誕生の時刻および場所、男子・女子の別を宮内庁告示をもって官報に公示する(旧皇室親族令36条の規定上は「天皇の子」の場合のみ)。

(参考) 平成18年宮内庁告示第7号「文仁親王妃紀子殿下は、愛育病院において御出産、親王が御誕生になった件」(平成18年9月7日告示)

 文仁親王妃紀子殿下は、本月六日午前八時二十七分、東京都港区南麻布五丁目六番八号愛育病院において御出産、親王が御誕生になった。


 敬宮さまご誕生に際しては、恩赦は実施されないことと決定された。今上陛下ご誕生の際の恩赦(昭和9年2月11日)は、ご出生の時点で皇太子のお立場であったため行われたが、「皇太子の子」ご誕生の場合は過去に先例がないためである。12月1日のご誕生後、小泉内閣総理大臣は恩赦は実施しないと発表した。悠仁さまご誕生の場合も同様である。

(参考) 昭和以降の恩赦の事例(日付、恩赦事由、根拠法令(勅令・政令のみ)の順)


 皇室へのお祝い品の献上についても今回は受け付けないこととなった。皇室経済法施行法(昭和22年法律第113号)2条において各年度の譲受の限度額が6百万円と定められているため、皇室のご慶事に際して献上品を受けられる場合、あらかじめ国会で議決するのが通例であるが、皇族のご誕生に際して議決が行われた例はなく今回は議決しないためである。

(参考) 皇室経済法第2条

第二条 左の各号の一に該当する場合においては、その度ごとに国会の議決を経なくても、皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が財産を譲り受け、若しくは賜与することができる。
 一 相当の対価による売買等通常の私的経済行為に係る場合
 二 外国交際のための儀礼上の贈答に係る場合
 三 公共のためになす遺贈又は遺産の賜与に係る場合
 四 前各号に掲げる場合を除く外、毎年四月一日から翌年三月三十一日までの期間内に、皇室がなす賜与又は譲受に係る財産の価額が、別に法律で定める一定価額に達するに至るまでの場合

(参考) 皇室経済法施行法第2条

第二条 法第二条第四号の一定価額は、左の各号による。
 一 天皇及び法第四条第一項に規定する皇族については、これらの者を通じて、賜与の価額は千八百万円、譲受の価額は六百万円とする。
 二 前号以外の皇族については、賜与及び譲受の価額は、それぞれ百六十万円とする。ただし、成年に達しない皇族については、それぞれ三十五万円とする。


ご誕生後

●賜剣の儀(御剣を賜うの儀)

 賜剣(しけん)の儀はご誕生後初めての儀式である(旧皇室親族令附式)。ご誕生の当日(ご出産が午前0時から午後5時の場合)もしくは翌日(ご出産が午後5時以降の場合)に、宮内庁病院のご病室の枕元に、天皇陛下が使者を通じて、男子の場合は守り刀(赤地の錦の袋に納め、さらに箱に入れられた白鞘直刀)を授けられる。敬宮さまは内親王(女のお子様)であるので刀に加え袴が贈られる。袴は濃色(濃い赤色)で、数え年で5歳の時に行われる着袴の儀でお使いになる。

 平成13年12月1日夕方、皇居宮殿の表御座所(天皇陛下の「執務室」に当たる)「桂の間」において、侍従長が東宮大夫に勅旨を伝え、桐の箱に納められた御守り刀(刀身25.7センチ。鞘は白木造。袋は小葵紋の赤地錦。人間国宝・大隅俊平氏の作)と、袴の目録を手渡した。刀は皇太子殿下がご覧になった後、宮内庁病院の敬宮さまの枕元に東宮女官が置いて儀式は終了した。


 平成18年9月6日午後、天皇陛下より贈られた桐箱入の御守り刀(刀身約26センチ。袋は錦地。人間国宝・天田昭次氏の作)を侍従が秋篠宮邸へお運びし、殿下がご覧になった後、宮邸の職員が愛育病院の悠仁さまの枕元にお届けした。賜剣の儀式とは別に、皇后陛下からは、枕元に置く天児(あまがつ)の人形と犬張り子などのお守りを贈られた。

●祝詞言上の儀・一般参賀

 皇孫殿下ご誕生に際し、天皇皇后両陛下と皇太子同妃両殿下へ皇族方や内閣総理大臣をはじめ三権の長らがお祝いを申し上げる。続いて、ご出産が午前中の場合は当日午後1時から午後4時、午後の場合は翌日の午前9時から正午まで、皇居・宮内庁庁舎前(参入は坂下門から)において一般の記帳・名刺を受け付ける。東宮御所での記帳受付(参入は鮫が橋門から)は翌日の午後1時から午後4時まで。京都御所や御用邸、在外公館などでも受け付ける。

 平成13年12月2日午前、皇居宮殿において小泉内閣総理大臣、衆参議長および最高裁長官らが天皇皇后両陛下と皇太子殿下に敬宮さまご誕生のお祝いを申し上げた(祝詞言上の儀)。外国大使、閣僚、各政党幹部ほか国会議員、都道府県知事も記帳に訪れた。一般参賀は、当初の予定が変更され、皇居においては平成13年12月2日午後1時から午後4時までと翌3日午前9時から正午まで(坂下門外の臨時記帳所は午前中から)、東宮御所においては2日午後1時から午後4時まで、記帳および名刺を受け付けた。報道によれば、3日の時点で12万人を超える人々が記帳に訪れた。


 平成18年9月6日、小泉内閣総理大臣は秋篠宮邸にてお祝いの記帳を行った。新宮さま(悠仁親王)は宮家のお子様であるので、閣僚や大使らのみの特別記帳が行われるのみで、敬宮さまの時のような一般記帳は宮内庁では行われないが、各地の地方自治体や社寺で独自の記帳所が設置され一般の記帳を受け付けた。

●ご浴湯の儀・読書鳴弦の儀

 「天皇の子」「皇太子・皇太孫の子」はご誕生から7日目(いわゆる「お七夜」)にご浴湯(よくとう)の儀が行われる(旧皇室親族令附式)。

 平成13年12月7日午前9時、宮内庁病院において敬宮さまが女官に抱えられながら檜のたらいに入られ、湯を浴びられる所作の間、白い幕で仕切られた一方で衣冠単の読書(とくしょ)の役が国書(日本書紀の推古天皇に関する一節)を読んでご文運を、2人の鳴弦(めいげん)の役が左足を一歩踏み出して掛声のもと矢のない弓の弦を2度引き放ってご武運をお祈りした(読書鳴弦の儀)。邪気を払って健やかなご成長を祈る古式ゆかしいもので、破魔(はま)の儀ともいわれる。

●ご命名の儀

 「天皇の子」「皇太子・皇太孫の子」は天皇陛下がご命名になる(旧皇室親族令37条および43条)。その他の皇族のご誕生に際しては、ご父母やご祖父母などの直系尊属が命名される(同44条)。

皇族班位・皇位継承順位(お名前・お印の一覧)

 ご浴湯の儀が行われる日(平成13年12月7日)の午前9時50分、天皇陛下は皇居宮殿「菊の間」において宮内庁長官に皇孫殿下のお名前(「愛子」内親王)とご称号(「敬宮」)の伝達ををお命じになった。さらに同10時30分、勅使(侍従長)は東宮御所の東宮大夫へ伝達。皇太子殿下へお伝えした(ご命名の儀)。御名記(三つ折りの大高檀紙に天皇陛下ご宸筆の皇孫殿下のお名前と、宮内庁長官が記したご称号が各1通)は、そののち宮内庁病院の皇太子妃殿下に伝えられ、敬宮さまの枕元に置かれた。

 今上陛下ご誕生の際は、明治天皇のご即位の詔「立極垂統列皇相承之述之宣治以宣揚惟神之大道也」からご称号とお名前の文字をとられた。通例は四書五経からとられるようで、昭和天皇の場合は『尚書』の「なれば乃ち以て民は寧し」からお名前を、「允に厥の徳をむ」からご称号をとられた。皇太子殿下の場合は高名な諸橋轍次博士および宇野哲人博士に委嘱され、『中庸』の「々たる其の天苟くも固に聡明聖知にして天に達する者にあらざれば其れ孰れか能く之を知らん」から、秋篠宮殿下と紀宮さまの場合も同様に委嘱され、秋篠宮殿下は『論語』の「子曰く博くを学び之を約するにを以てすればまた以て畔かざるべし」から、紀宮さまは『万葉集』の山部赤人が伊の国に行った時に詠んだ長歌の一節の「きなぎさ」からとられた。

 宮内庁の発表によると、今般の敬宮さまのご命名については、皇太子同妃両殿下が漢学者らにお諮りになり、親王・内親王いずれの場合にも対応すべく複数の候補をお決めになり、それを天皇皇后両陛下にお伝えしたとのことである。出典は『孟子』離婁章句下(りろうしょうくのげ)の「孟子曰、君子所以異於人者、以其存心也。君子以仁存心、以礼存心。仁者愛人、有礼者敬人。人者、人恒之、人者、人恒之。」で、「人を愛する者はいつも人に愛され、人を敬う者はいつも人に敬われる」との意から、ご称号は「敬宮(としのみや)」、お名前は「愛子(あいこ)」と定まった。ご命名に当たっては、鎌田正東京教育大名誉教授、米山寅太郎静嘉堂文庫長、秋山虔東大名誉教授の3人に委嘱された(これらお名前・ご称号を奏上する者を「勧申者(かんじんしゃ)」という)。

 同時に、両陛下ともご相談のうえ、皇太子同妃両殿下は敬宮さまのお印を「ゴヨウツツジ」とお定めになった。那須でのご静養中にご覧になった純白のゴヨウツツジ(別名シロヤシオ)がお好きで、「純真な心を持った子供に成長して欲しい」との両殿下のご願望がこめられていると漏れ承る。


 秋篠宮家の新宮さまのご命名は、両殿下がお決めになる。眞子さま(お印「木香茨(もっこうばら)」)、佳子さま(お印「ゆうな」)の時も両殿下がご命名になった。ご命名の儀では、秋篠宮殿下が新宮さまのお名前とお印をお書きになった和紙(大高檀紙)のうち、まずお名前の書かれた和紙を殿下が宮務官にお渡しになる。宮務官は白木の桐の箱に和紙を納め、これに続いて妃殿下よりお印の書かれた和紙をお預かりし、殿下にご覧にいれた後に先程と同じ桐の箱に納め、桐箱を新宮さまの枕元に置いて儀式は終了する。

 平成18年9月12日午後3時35分、愛育病院の個室において、命名の儀が行われた。秋篠宮同妃両殿下は、両陛下にもご相談のうえ、新宮さまのお名前を「悠仁(ひさひと)」親王、お印を「高野槇(こうやまき)」とお決めになった。お名前は「ゆったりとした気持ちで、長く久しく人生を歩んでいくこと」を願われたご命名、お印は「大きく、まっすぐ育ってほしい」とのお気持ちからお選びになったという(『毎日新聞』)。宮中の儀式をはじめ皇室行事は午前中に行われるのが通例だが、特別扱いせず病院の一般面会時間である午後3時以降にとの宮様のご希望により、命名の儀は午後3時半過ぎからとなった。

●賢所、皇霊殿、神殿に誕生命名奉告の儀

 平成13年12月7日、皇太子同妃両殿下に代わり、元東宮大夫と元東宮女官がそれぞれご誕生とご命名を宮中三殿に奉告した。あわせて先帝の御陵へもご代拝がある(旧皇室親族令39条)。

●官報公示

 宮内庁長官は、皇孫殿下のお名前とご称号を官報に宮内庁告示をもって公示する。

(参考) 昭和8年宮内省告示第33号(昭和8年12月29日告示)

  アキヒト   ツグノミヤ  
本月二十三日午前六時三十九分御誕生アラセラレタル親王御名ヲ 明仁 ト命セラレ 継宮 ト称セラル

 平成18年9月14日、悠仁親王殿下のお名前が官報に公示された。

(参考) 平成18年宮内庁告示第8号「御誕生になった文仁親王殿下の第一男子は、御名を悠仁と御命名になった件」(平成18年9月14日告示)

  ヒサヒト  
九月六日御誕生になった文仁親王殿下の第一男子は、同月十二日 悠仁 とご命名になった。
●ご命名ご披露宴

 敬宮さまご命名の当日(平成13年12月7日)午前、両院議長が皇居宮殿「鳳凰の間」「薔薇の間」において天皇皇后両陛下に賀詞を申し上げ、正午前、正殿「竹の間」において天皇皇后両陛下に、続いて「梅の間」において皇太子殿下に小泉内閣総理大臣をはじめとする三権の長らがご命名につきお祝いを申し上げた。午後からは「石橋(しゃっきょう)の間」においてご陪宴を賜った。晩には皇族方や皇太子妃殿下のご親族をお招きになり「連翠(れんすい)」において祝賀の晩餐を催された。

●皇統譜にご登録

 皇孫殿下ご命名ののち、その翌日もしくは翌々日に宮内庁長官は皇統譜に新たに一欄を設け、お名前、ご父母(両殿下)、ご誕生の年月日および場所、ご命名の年月日を記入、書陵部長とともに署名する。

 皇統譜(こうとうふ)とは、一般の戸籍に当たるものであり、天皇・皇后について記す大統譜(だいとうふ)と、その他の皇族について記す皇族譜(こうぞくふ)の2種類がある。戦後に皇統譜令(昭和22年政令第1号)が定められたが、同令1条において「皇統譜に関しては、当分の間、なお従前の例による」として、事実上、戦前戦後通じて旧皇統譜令(大正15年皇室令第6号)の規定によっている。

(参考) 旧皇統譜令第22条および第23条

第二十二条 皇族譜ハ所出天皇ニ由リ簿冊ヲ区分シ各親王内親王王女王ニ付一欄ヲ設ケ妃ニ付テハ夫ノ所出天皇ニ属スル簿冊ニ各一欄ヲ設ク

第二十三条 親王親王妃内親王王王妃女王ノ欄ニハ左ノ事項ヲ登録スヘシ
 一 名
 二 父
 三 母
 四 誕生ノ年月日時及場所
 五 命名ノ年月日
 六 成年式ノ年月日
 七 婚嫁ノ年月日及配偶者ノ名
 八 薨去ノ年月日時及場所
 九 喪儀ノ年月日及墓所

 平成13年12月10日、宮内庁書陵部において敬宮さまの皇族譜へのご登録が行われた。上述の事項を毛筆で書き入れたのち、宮内庁長官と書陵部長が署名した。正本は宮内庁書陵部に、副本は法務省に保管される。

 悠仁親王殿下のご登録は、平成18年9月21日に行われた。

●賢所、皇霊殿、神殿に謁するの儀

 「賢所、皇霊殿、神殿に謁するの儀(宮中三殿に謁するの儀)」は、一般にいうお宮参りで、ご誕生から50日目以降に宮中三殿外陣に初めて拝礼される儀式である(旧皇室親族令40条および附式)。

 敬宮さまの場合は、気候が暖かくなるのを待ち、ご誕生から103日目の平成14年3月13日午前に行われた。天皇皇后両陛下がお贈りになった純白絹製の産着(御初召:おうぶめし)をお召しの敬宮さまは、午前10時に皇太子妃殿下とお車で東宮御所から皇居に向かわれた。妃殿下は御潔斎所でお待ちになり、秋篠宮同妃両殿下ほか皇族方ご参列の中、敬宮さまを東宮女官長がお抱え申し上げて賢所をはじめ宮中三殿において拝礼された。

 引き続いて、皇居宮殿「鳳凰の間」において、初めて公式に天皇皇后両陛下とご対面になった(初御参内:はつごさんだい)。天皇陛下より賜った杯を女官の手によりお飲みになる仕草をされた。その後、皇太子妃殿下が両陛下へ御礼を述べられた。


 ご誕生から70日目の平成18年11月14日、悠仁さまは秋篠宮邸で潔斎され、天皇皇后両陛下より賜わった御初召をお召しになり、秋篠宮同妃両殿下とお車で赤坂御用地から皇居に向かわれた。午前10時40分頃、両殿下が見守られる中、掌典長の祝詞奏上ののち、悠仁さまを宮内庁御用掛がお抱え申し上げて賢所仮殿に拝礼された。次いで、初めて皇居内の御所へご参内、両陛下とご対面になった。

●お箸初の儀

 お箸初(はしぞめ)の儀は、ご誕生から120日前後に東宮御所において、皇孫殿下にお箸初めの膳をお出しするものである。いわゆる「お食い初め」で、女官がかゆに浸したお箸を皇孫殿下のお口につける。これでご誕生に際しての一連の儀式は終了する。

 平成14年3月29日、東宮御所においてお箸初の儀が行われた。ご誕生から119日目にあたり、お健やかなご成長をお祈りするものである。午前11時半頃、皇太子妃殿下が敬宮さまをお抱えになって儀式の行われる御部屋へお入りになった。かゆや魚の入った三方がテーブルの上に置かれており、皇太子殿下も見守られる中、東宮女官長が小豆がゆに白木の楊箸(やなぎばし)を浸し、そのお箸を敬宮さまのお口元におつけし、儀式は終了した。これでご誕生からの一連の儀式はすべて滞りなく終了した。


 平成19年1月13日、ご誕生から130日目に悠仁親王殿下のお箸初の儀が秋篠宮邸で行われた。敬宮さまの時と同様に、秋篠宮殿下が見守られる中、侍女長が小豆がゆに白木の楊箸を浸し、そのお箸を妃殿下がお抱えの悠仁さまのお口元におつけし、儀式は終了した。

●着袴の儀

 平成18年11月11日、東宮御所において着袴(ちゃっこ)の儀が行われた。一般の七五三に当たり、まもなく5歳の誕生日を迎えられる敬宮さまのご健康とご成長をお祈りするものである。

 皇太子同妃両殿下が見守られる中、敬宮さまは両陛下より賜わった濃い紫色の小袖と袴、さらに菊の模様の赤色の袿を女官の介添によりお召しになり、6色の組み紐がついた扇を手に、両殿下に一礼された。儀式終了後、敬宮さまは皇居へ向かわれ賢所仮殿にご拝礼ののち、両殿下とともに御所で天皇皇后両陛下にご挨拶された。


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