中野文庫 賜杯(賞杯)

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総 説

 明治16年に「金銀木盃金円賜与ノ制」(明治16年太政官布告第1号)、「金銀木盃金円賜与手続」(明治16年太政官布告第17号)が制定され、金杯・銀杯・木杯の3種が賜与されることになったが、昭和13年7月20日に「褒章条例ニ依ル金杯ノ賜与等ニ関スル件」によって金杯の賜与が中止され、以後銀杯に代えられることとなり、現行の銀木2種となった。

 賜杯は、勲章若しくは褒章を賜与するよりも銀杯または木杯を賜与するほうがふさわしい場合(例えば功績に比して相当する勲等が言わば「頭打ち」であるとき、もしくは高位の宗教家で勲等に叙することが不適当なとき)、あるいはオリンピック大会における優勝者やノーベル賞受賞者を遇する場合に用いられている。昭和35年のローマ・オリンピック大会以来、金メダリストには二等相当の銀杯が贈られるのが例である。

 実際の例としては、平成14年にノーベル賞を受賞した小柴昌俊・田中耕一両氏へも文化勲章のほか(小柴教授はノーベル賞受賞前に文化勲章を賜っている)、平成15年2月に銀杯一組と内閣総理大臣感謝状が贈られている。平成16年には、昭和21年4月の衆議院議員選挙から20回連続で当選し、平成8年には勲一等旭日桐花大綬章を賜わり、国会議員在職五十年特別表彰を受けた原健三郎元衆議院議長の死去に際し、従二位に叙するとともに銀杯一組が、平成28年には奥野誠亮元法務大臣(勲一等旭日大綬章受章)の死去に際し、正三位に叙するとともに銀杯一組が贈られた。また、昭和45年4月のよど号事件の際には、山村運輸政務次官のほか、日航機長・副操縦士・機関士に対して、銀杯が授けられた例があった。

 そのほか、紺綬褒章以外の褒章受章候補者本人が死亡したときは、「遺族追賞」として褒章に代え遺族に桐紋付銀杯を追贈する。あるいは、紺綬褒章受章者の寄付総額が1500万円以上にのぼっているときは、桐紋付木杯を紺綬褒章に併せて賜与することになっている。

 賜杯は文字どおり酒盃の形で、銀製と朱塗り木製の2種があり、杯の底に金または銀の菊花御紋または五七の桐紋が入っている。杯が一個すなわち単杯または大中小の三個一組(三つ組という)のいずれかで賜与され、さらに台付の場合もある。格の高いほうから並べると以下のとおりとなる(『勲章・褒章事典』(三省堂企画編修部編、日本叙勲者顕彰協会、平成元年)53頁)。

(1) 勲章に代える場合または併せて授与する場合 菊 紋

(2) 褒章に代える場合または併せて授与する場合 五七桐紋

 なお、勲章および褒章と同じく、賜杯においても「賜杯の記」が併せて賜与される。特漉の縦29.7センチ・横42センチの用紙に、拝受者の勲等および氏名、杯を賜与された旨の記述とともに、内閣の印、年月日、内閣総理大臣および内閣府賞勲局長の連署と押印がある。


戦前の下賜品

 戦前には、上述の勲章に代る銀杯等のほか、菊花の御紋章の入った花瓶(御紋付銀製花瓶)や手箱(御紋付巻絵手箱)や、以下のような下賜品があった。なお、「盃」と書く場合は宮内省から下賜されたもので、「杯」と書く場合は賞勲局を経て賜るものに使った(『増補皇室事典』(井原頼明著、冨山房、昭和13年)86頁)。


銀杯拝受者の例


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