中野文庫 勅語(明治7年)

法令目次法令総索引詔勅目次詔書勅語日本語総目次


新年ノ祝宴ニ於ケル勅語(明治7年1月5日)

朕茲ニ新年ヲ賀シ*宴ヲ張リ群臣ヲ会同ス汝群臣朕カ倶ニ慶スルノ意ヲ体シ其レ能ク歓ヲ尽セヨ

*:「酉」(さけのとり)に「甫」。


近衛歩兵第一聯隊ヘ勅語(明治7年1月23日)

近衛歩兵第一聯隊編制成ルヲ告ク依テ今軍旗一旒ヲ授ク汝軍人等協力同心シテ益威武ヲ宣揚シ以テ国家ヲ保護セヨ


紀元節ノ祝宴ニ於ケル勅語(明治7年2月11日)

朕茲ニ紀元ノ吉日ヲ祝シ*宴ヲ張リ群臣ヲ会同ス汝群臣朕カ倶ニ慶スルノ意ヲ体シ其レ能ク歓ヲ尽セヨ

*:「酉」(さけのとり)に「甫」。


従二位島津久光ヘ勅語(明治7年2月13日)

汝久光近日鎮西ノ形勢ヲ憂ヒ自ラ鹿児島県ニ赴カント縷縷上陳ス朕甚其至誠ノ衷情ヲ感ス今ヤ国家多事ノ際朕カ左右ヲ離ルヘカラスト雖モ事情亦已ヲ得サルニ出ツ急ニ本県ニ至リ夫能ク力ヲ竭スヘシ尚速ニ帰京アルヲ俟ツ


佐賀県下暴動ニ付出張ノ近衛聯隊長大隊長ヘ勅語(明治7年2月28日)

佐賀県賊徒征討ニ付特ニ総督ニ仮スニ朕カ親軍近衛第二聯隊ヲ以テシ朕カ黎元ヲ保護スルノ意極テ切ナルヲ明ニス汝等能ク此旨ヲ体シ奮発従事速ニ平定ノ功ヲ奏セヨ


居守聯隊長大隊長ヘ勅語(明治7年2月28日)

佐賀県賊徒征討トシテ特ニ総督ニ仮スニ朕カ親軍近衛第二聯隊ヲ以テ之ニ赴カシム仍テハ輦轂ノ下守衛一層能ク心ヲ用ヒ勉励従事スヘシ


東伏見宮嘉彰親王ヘ佐賀征討総督ヲ任スルノ勅語(明治7年3月1日)

朕曩ニ佐賀県下士民嘯集ヲ開キ内務卿大久保利通ヲ遣シ之ヲ鎮静セシメント欲ス然ルニ益暴逆ヲ逞フシ擅ニ凶器ヲ弄シ遂ニ王師ニ抗スルニ至ル其罪討セサル可ラス乃チ卿ヲ以テ征討総督ニ任シ委スルニ陸海軍務一切並ニ将官以下撰任黜陟等ノ事ヲ以テス名古屋以西四鎮之兵馬現役後備ヲ論セス挙テ以テ卿カ区処ニ聴ス沿道諸県ノ士民召募編制モ又宜ク便宜事ニ従フヘシ且朕カ近衛歩兵二大隊ヲ仮シ以テ朕カ黎元ヲ保護スルノ意極テ切ナルヲ明ニス卿其レ斯旨ヲ体シ速ニ捷ヲ闕下ニ奏セヨ

※東伏見宮嘉彰親王は、のちの小松宮彰仁親王。


台湾蕃地事務都督西郷従道へ勅語(明治7年4月5日)

台湾蕃地処分ニ付汝従道ニ命シ事務都督タラシム凡ソ陸海軍務ヨリ賞罰等ノ事ニ至ルマテ委スルニ全権ヲ以テス乃チ委任ノ条款ヲ遵奉シ黽勉従事其レ能ク成功ヲ奏セヨ
一 我国人ヲ暴殺セシ罪ヲ問ヒ相当ノ処分ヲ行フヘキ事
一 彼若シ其罪ニ服セサレハ臨機兵力ヲ以テ之ヲ討スヘキ事
一 爾後我国人ノ彼地方ニ至ル時土人ノ暴害ニ罹ラサル様能ク防制ノ方法ヲ立ツヘキ事


台湾蕃地事務参軍谷干城へ勅語(明治7年4月6日)

台湾蕃地処分ニ付陸軍中将西郷従道ニ命シテ事務都督タラシム凡ソ陸海軍務ヨリ賞罰等ノ事ニ至ルマテ委任スルニ全権ヲ以テス汝干城ニ参軍ヲ命ス其能ク帷幕ノ機謀ニ参シ凡ソ陸軍ニ関スルノ事ハ厚ク都督ヲ輔翼シ速ニ成功ヲ奏セヨ


台湾蕃地事務参軍赤松則良へ勅語(明治7年4月6日)

台湾蕃地処分ニ付陸軍中将西郷従道ニ命シテ事務都督タラシム凡ソ陸海軍務ヨリ賞罰等ノ事ニ至ルマテ委任スルニ全権ヲ以テス汝則良ニ参軍ヲ命ス其能ク帷幕ノ機謀ニ参シ凡ソ海軍ニ関スルノ事ハ厚ク都督ヲ輔翼シ速ニ成功ヲ奏セヨ


幼年学校臨幸ニ際シ教官ヘ勅語(明治7年4月7日)

幼年学校ヲ設ケシヨリ僅ニ三四年今臨試スルニ学業技術頗ル進歩ノ勢ヲ観ル此レ汝等カ処置方法宜ヲ得ルノ効ナリ朕之ヲ悦フ抑校中ノ生徒ハ期スルニ陸軍士官ノ任ヲ以テス汝等更ニ鼓舞興作シ生徒ヲシテ朕カ望ム所ニ背カシムルコト勿レ


陸軍少将野津鎮雄ヘ勅語(明治7年5月31日)

曩ニ佐賀県ノ役屡屡賊鋭ヲ挫キ速ニ平定ヲ奏ス一ニ汝カ方略宜ヲ得兵士ヲ率ヰ励マシ勇進奮戦ノ所致実ニ其職ヲ辱カシメスト云フヘシ朕深ク之ヲ嘉賞ス


陸軍少将山田顕義ヘ勅語(明治7年5月31日)

曩ニ佐賀県ノ役福岡県新募ノ兵ヲ率ヰ励シ険地ニ向ヒ賊鋭ニ当リ戦闘尽力速ニ平定ノ功ヲ奏ス朕深ク之ヲ嘉賞ス


台湾事件ニ付全権弁理大臣大久保利通ヲ清国ヘ遣ハスノ勅語(明治7年8月5日)

天佑ヲ保有シ万世一系ノ帝祚ヲ践ミタル大日本国皇帝此書ヲ見ル者ニ宣示ス往歳我人民難船ノ為台湾島ニ漂到シ土人ノ暴行ヲ受ケタルヲ以テ其罪ヲ問ハン為ニ我委員ヲ命シ且不虞ヲ警ムルヲ以テ之ニ兵士ヲ附属シテ送リタリ此一挙ニ付両国間ニ不都合ヲ生シ交際ノ障碍トナラサル様深ク注意シ曩ニ我清国駐箚全権公使柳原前光ヲシテ大清国政府ト平穏ニ商議セシムヘキコトヲ命シタリ然ルニ爾後種々ノ論端ヲ啓クコトヲ致ス朕又タ以為ク事至重ニ属ス宜ク更ニ朕カ切近ニ望ム所ノ意ヲ熟知セル貴重ノ大臣ヲ簡テ委スルニ全権ヲ以テシ其事ニ任セシムヘシト朕深ク参議兼内務卿大久保利通ノ才幹忠直能ク其任ニ堪フルヲ信シ乃チ全権弁理大臣ト為シ大清国ヘ遣ハシ大清国皇帝ヨリ任スル右同権ノ大臣ト朕カ希望ノ趣ヲ達スヘキ条約ヲ約定シ又ハ約書ヲ締成シ而シテ朕カ名ヲ以テ其決議シタル書面ニ調印シ右事件ヲ充分ニ結落スヘキ権ヲ与ヘタレハ凡ソ這般ノ事ハ朕躬ラ其地ニ臨ミ親ラ之ヲ処スルト異ナルコト無キヲ証ス


全権弁理大臣大久保利通ヘ勅語(明治7年8月5日)

此節清国使命ノ儀ハ不容易大任苦労候ヘトモ素ヨリ国家ノ重事汝其任ニ克ユルヲ信要ス宜シク朕カ意ヲ体シ尽力アルヘシ


諸省長官ヘ勅語(明治7年8月5日)

台湾ノ一挙追追功ヲ奏スト雖モ清国ノ関係不容易次第実ニ国家安危ノ秋ナリ孰レモ憤発勉励尽力アランコトヲ企望ス


左大臣島津久光ヘ勅語(明治7年8月16日)

当節台湾ノ処置既ニ弁理大臣ヲ派出シ向後応接ノ事宜ニ依テ不得止戦争ニ立到ルモ難計実ニ国家安危ノ時朕日夜憂慮ニ不堪所也汝久光素ヨリ依頼スル所且汝ノ職掌ニ就テ当節柄是非病ヲ助ケテ出勤勉励可有之


台湾蕃地事務都督西郷従道へ勅語(明治7年11月12日)

朕向キニ汝従道ニ命シ都督トシ兵ヲ率ヰテ罪ヲ蕃地ニ問ハシメ三条ヲ勅シ十款ヲ諭ス汝遵奉懈ラス克ク其功ヲ奏ス然ルニ清国異議ヲ其間ニ生シ事数月ニ弥ル今ヤ全権弁理大臣大久保利通等同国政府ト互ニ条款ヲ換ヘ彼已ニ我義挙ヲ認メ以テ我兵ヲ撤シ更ニ和好ヲ全スルニ至ル乃チ汝ヲシテ全軍ヲ将テ凱旋セシム汝其此旨ヲ奉セヨ


特命全権公使柳原前光ヘ勅語(明治7年11月25日)

汝前光特命全権公使トシテ北京駐箚ノ際台湾蕃地処分ノ挙ニ付彼政府ト葛藤ヲ生スルニ方リ汝能ク委任ノ旨ヲ遵守シ義ヲ執テ屈セス反覆討論国権ヲ辱カシメス交誼ヲ保存センコトヲ期ス其苦心想フヘシ大久保弁理大臣ヲ派遣スルニ至リ汝能ク之ヲ輔翼シ拮据殊ニ力ム朕深ク汝カ其職ヲ竭スヲ嘉尚ス


全権弁理大臣大久保利通ヘ勅語(明治7年11月27日)

汝利通台湾蕃地ノ挙アルヤ清国ト大ニ葛藤ヲ生スルニ方リ弁理大臣ノ重任ヲ奉シ往テ其事ヲ理セシム汝克ク朕カ旨ヲ体シ反覆弁論遂ニ能ク国権ヲ全フシ交誼ヲ保存セシム是一ニ汝カ誠心ヲ竭シ義ヲ執テ撓マサルノ致ス所ナリ啻ニ朕カ心ヲ安スルノミナラス実ニ兆庶ノ慶福タリ其功大ナリト謂フ可シ朕深ク之ヲ嘉尚ス


台湾蕃地事務都督西郷従道へ勅語(明治7年12月27日)

汝従道曩キニ都督ノ命ヲ奉シテ蕃地ニ入ルヤ不日ニシテ兇魁ヲ誅シ諸蕃相踵テ降附セシム是一ニ汝ノ艱険ヲ冒シ身力ヲ竭スニ由ル朕深ク之ヲ嘉尚ス


中野文庫