⇔この年の初回入院を中心に
詳細を以下に書いています

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  ↓  以下は、発病からの主要な病気の流れです。
 ↓↓ 以下は、私がこれまでに経験した主要な治療についてです。
平成2年前後の発病だと思いますが、確定できるものはありません。
平成6年に会社で受けた健康診断で、医師に首のごろごろについて3,4年前から出来ているのですが、と聞いています。初発はあごの下だったと思うのですが、今となっては定かではありません。
初回治療は平成9年の4月22日でした。
薬剤の名前までは書いていませんが、
一応日記があるので、このコーナーは順次加筆していきます。
発病からの主要な病気の流れです。
1994年6月
会社の健康診断で、医師に3,4年前から出来ている首のしこりを問い掛けていますが、一度詳しい検査を受けて下さい。と言われたまま放置していました。
1994年8月
8月10日から翌年の2月までの間、手足をつめでかいたあとに帯状の赤化(水泡を含む)が出きる。始めは墓掃除の時の草木のかぶれと思ったが、その症状が長期間に渡りすぎたのでおかしいと思った、しかし病院には行かず。
1995年9月
この頃から1996年7月頃まで、入浴後や体が冷えかけたときに両足が5分〜30分無性に痒くなる。ふくらはぎから腹部まで、時にはその全てで、時にはその一部分。
1996年8月
この頃に3,4年続いて出ていたはなが黄色くなる。
1996年10月
首の回りのしこりがソケイ部にもできたが、痛みも何もないのでそのままにしていた。
1997年01月04日
正月前背中に出来ていたフンリュウ(脂肪の固まり)が膿を持つ、その痛みがひどく正月明けを待ち、地元の総合病院で治療をする。
この時に首とソケイ部のしこりの件を医師に話し、背中の治療が落ち着いてから検査のために摘出手術をする事になる。
背中の処置を続けると共に、後頭部でかなり大きくなっていた脂肪の固まりを先に摘出手術。この時は通常のメスが使われた。頭部から腹部までCT,MRIも撮ったと思う。
1997年01月21日
首のしこりの摘出手術。
取り出した組織細胞を専門家が調べないとしこりの種類が特定できないという。
1997年01月31日
実を言うと、受診予約日はこの総合病院の院長の当番日である2月1日、明日。
そんなに大きな意味はなかったのだが、敢えてその前日、生検の結果は出ているはずの私の担当院長のいない日に受診に行った。
”生検”の結果が出ているはずなのですが、というとカルテを見ていた医師の手は止まり、下を向いたままになってしまった。何かが起こっているに違いない。しかし、がんなら胃がんや肺がんに肝臓がん。転移の後で首のリンパに出ることはあっても、お腹の中の不都合は私には何も自覚がない。
医師が私の目を見れないようなこととは、私の体に何が起きているのか。
1997年02月01日
同しこりの検体検査の結果”悪性リンパ腫”との告知を受ける。

2月15日からそこに入院して、化学療法を始める。とのこと。
主治医は目の前にいる外科の院長。

考えた末に、家から妻を外に連れだして、私から妻に告知をした。
この5年間で、これが一番辛かった。
1997年02月01日〜2月11日
血液のがん?
悪性リンパ腫?
私の命はあと?
誰に聞けば?
何を調べれば?
車で2時間、京都の書店に向けて出発、途中の親戚に総合病院の事務で勤務していたいとこを思い出し、針路変更。東京の国立がんセンターというところで予約なしでも見てもらえるという。まだほとんどインターネット上にデータのない時に国立がんセンターのホームページはありがたかった。
そこに行くと決めた後で、同じく癌研究会付属病院なら紹介できるという知人が出てこられた。この人も素晴らしい医師ですが、分野が違うので自分での治療は出来ないと言う。
1997年02月12日
妻と東京に前泊して、癌研究会付属病院へ。
化学療法士の先生の話しを聞く。
ご多忙の中、治療の合間に顔を出し気を使っていただいた**先生、ありがとうございました。
”この病気は長期戦のため東京ではあまりに遠いと強く心配します。”
”できれば専門医のいる関西の病院が望ましいと思う。”
勿論入院は受付けますがと言いながら強く再考を促される。それは患者である私本人のために。私の自宅は関西で、大阪や京都まで車で2時間かかります。
先生の話しを聞いて、この『悪性リンパ腫』という病気が簡単に治るものではないという事がおぼろげながらよくわかりました。

以下、治療に付帯することに付いては別のコーナーで書きます。
1997年03月
京都市内の総合病院で2週間の検査入院、その結果を見てから再度、治療を受ける病院を決定することにした。
1997年04月21日
**医科大学付属病院に入院。
癌研究会付属病院を紹介していただいた先生の勤務先で2週間の検査入院を京都市内の総合病院でしたが、そのときの担当医師の出身大学がこの病院、また私の仕事のお客様が別のルートでこの病院の助教授に直接入院治療の可否を聞いてくれていたものが偶然に重なったことからこの病院での治療を決定した。

悪性リンパ腫・濾胞性B細胞低中悪性度3期
この日、病院内の理髪店で頭を剃りました。
1997年04月22日
この日は、私の46回目の誕生日。

最も標準的な治療法である4週間CHOPをこの日から初回治療として開始しました。

6カ月の入院で、CHOP,CHOP、VP16(抹消血幹細胞採取),CHOP、そして最後にVP16大量抗ガン剤投入による抹消血幹細胞移植を行い10月24日に退院しました。

この入院時には首を絞められるほどにしこりは成長、ソケイ部も左右にしこりが隆々としており、腹部大動脈周辺にしこりは多数あるも巨大腫瘍はなし。腹部の自覚症状はまったくありませんでしたが、異常にお腹が大きくなりベルトはまったく使えず、チャックをはずしたままのズボンを着用。ガリウムシンチでの収束はありませんでした。
1998年07月
この年の3月に再発が確認されたあと経過観察をしていたのですが、
この7月から外来でCHOP 4週間サイクルで、4クールを実施、ほぼ完解となりました。
1999年06月
この年の2月に再発が確認されたあと経過観察をしていたのですが、
この6月から外来でCHOP 4週間サイクルで、3クールを実施、ほぼ完解となりました。
2000年01月17日
1999年12月に再発。
偶然の機会からドイツのボン、ジャンカークリニックでDr.Dr.Sheefに診察を受けました。
癌細胞にはアボステックステロイドの蛋白質の受容性がない。よって合計5本筋肉注射、帰国後2本注射後、4月に病気が進行した為に、ドイツから持ち帰ったDr.Sheefによる特性サイクロフォスファミド錠剤を飲用。
いつもの副作用があるとは知らずに行ったバリ島の初日、その夜の風呂でズボッと髪の毛がすべて抜けてしまいました。
ちなみに私は、英語もドイツ語もまるでだめです。残念ですがこのルートを再度お世話にはなれません。
2001年07月
初めて腫瘍熱が出ました。
階段は1階分の上りが一気には出来ません。
sIL−2Rが10000を超えました。
痰とはな、咳が24時間でます。微熱があります。しんどいです。
いつ何かがあってもおかしくなかったと思います。
4週間サイクルでCOPを開始しましたが、20日くらいしか持ちません、しんどさが帰ってきます。
最悪の状態からリッキサンへ
2001年11月
リッキサンを開始しました。
12000あったsIL−2Rがリッキサンの1ヶ月後には860にまで落ち、体のしんどさが消えました。
リッキサン+αの多剤併用療法です。
2002年04月
月に一度の3泊4日入院でようやく4回目のリッキサン治療を終えました。
血液成分のベースが下がり、1ヵ月の休薬では通常人の数値まで戻らなくなってしまいました。
今回は、2回血小板と赤血球の成分輸血を受けました。

取りあえず、今回治療はリッキサンのお陰です。
リッキサンが間に合わなかったら、さようならの可能性があった事を強く感じます。
2002年05月
階段の上り下りで息がしんどい。
2002年06月
定期受診のときにヘモグロビンHb:40000、血小板は15000まで落ちていました。息がしんどいはずです。夜にふとんに入ってからも息をするのが苦しかったはずです。この受診当日に赤血球の成分輸血をしました。
2002年09月
暑い夏を乗り切り過ごしやすい季節も間近、血液数値も上がってくるかと期待する矢先にヘルペスです。ひどいときには下着が肌に触れるだけても痛かった。
2003年02月
完解を維持しているようです。ようやく血液数値が上がってきています。でも上がると怖い、笠屋の長男と下駄屋の次男を持ったお母さんはどんな天気でも子供の商売がどちらかはうまく行かずに心配です。私も同じです。しかし、今回の骨髄抑制は長い。でも、ある程度その方が安心できるという持病の考え方もあります。
2003年05月
せっかく大きく変わった生活の中でストレスが取れると楽しみにしていたこの2ヶ月ですが、風邪を引いてしまいました。6月に入ってもはなと痰が残っています。
初回治療以降、最長の完解期間を継続中です。
私がこれまでに経験した主要な治療についてです。
1997年の自己抹消血幹細胞移植。
1997年9月〜1997年10月
自己抹消血幹細胞移植。
たいした資料はありません。というよりも、ただ涙を流してうなっていただけの2週間でした。クリーンルームに日記用のノートを持ちこんでいたのですが、何も書けません。錠剤も飲めませんでした。
詳細はここをクリックして下さい。
1999年のCHOP治療、外来での治療でした。(1998年にもCHOP治療をしました。)
1999年7月〜1999年9月
外来でCHOP治療を受けたので、血液データの動きが見えません。血液検査のためだけに3時間かけて**医科大学に行きくのももう一つです。よって、私が住んでいる町の開業医さんに血液検査だけをお世話になったのをまとめてみました。
CHOP治療時における白血球を中心とした血液データです。ここをクリックして下さい。
2001年ー2002年の治療、腫瘍熱からCOP治療、リッキサン+αに向けて、
2001年1月〜2002年4月
ついに腫瘍熱が出てしまいました。COP治療では戻れません。
ここで11月からのリッキサン治療への経過もお伝えします。
症状も合わせては、ここをクリックして下さい。
2000年からの最近までの血液数値です。
sIL−2Rを中心とした血液データです。ここをクリックして下さい。
ご 注 意
書かせていただいたデータはあくまでもS.Kの場合です。
それに、その多くは主治医から口答で聞いたものですから、
聞き違いもあるでしょう。
悪性リンパ腫の治療は難しいと聞いています。
100人の患者さんがおられたら100通りの治療があり、
いかに早くその患者さんに合った治療方法を見つけることができるかが重要な課題になります。
あなたにとって、素晴らしい効果が得られる治療方法が、
一日も早く見つかりますように。