ユージーヌ・ブーダン
Eugene Boudin [1824-1898]

「トルーヴィルの海水浴場」1864年/26x48cm/油彩・板/オルセー美術館
初期のブーダンは、画家としては地味な存在であった。ル・アーヴルで、文房具と一緒に額縁を商いながら、この地に一時滞在中の画家たち、例えばトロワイヨンやミレーなどの作品を店に並べて見せていた。その画家たちから、絵を描くように励まされブーダンは、1851年には、市議会からの給費を得て、パリに出て勉強できることになった。しかし、その後、彼はなじみのノルマンディの海岸を殊の外好んで住んだ。1858年、ここでクロード・モネに出会ったブーダンは、モネの最初の師となったのである。彼は、また、クールベやボードレールにも知遇を得た。ブーダンの空の習作を見て、目眩(くる)めくほどに感動したボードレールは、ブーダンが1859年のサロンに初めて出品した野心的大作「サン=タンヌ=ラ=パリュードのパルドン祭」(ル・アーヴル美術館)を、絶賛擁護した。その画面は、生彩に溢れた群集が、三々五々、白いテントや露店の周囲に憩う有様を、広大な青い風景の中に描いたものである。
同じような構図で、小品ではあるがみごとな1864年の「トルーヴィルの海水浴場」がある。右手に、別荘の高いスレート屋根と海岸に続く丘があり、中央部には、立ったり、椅子に掛けたりする避暑客たちと、白く輝く脱衣小屋と、二本の高いポールがある。それらすべてを、画面の下方に配して、あとは空が最も大きな場所を占めるという趣向である。
この絵が描かれた同じ年に、ブーダンは、トルーヴィルで、クールベとマネに会っている。当時ここは有名な海水浴場であった。早くも1862年から、ユージーヌ・イザベイの勧めで、ブーダンは、この社交的な行楽地のにぎわいを描き始めていた。1863年には、大きくふくれたクリノリン・スカートのまばゆいばかりの色彩効果を狙った「トルーヴィルのユージェーヌ皇后と供奉の人たち」(グラスゴー美術館)を描くまでになった。翌1864年には、サロンに、ほかならぬ「トルーヴィルの海水浴場」と題した一作を出品している。
ブーダンは、1874年の第一回印象派展に友情出品したが、以後はサロンの方に定連としてとどまった。サロンの方でも、そのことで別に不満はなかったわけである。
「オルセー美術館-印象派・後期印象派名作集」[Editions de la Reunion des
Musees Nationaux]発行より転載(武) |

「サン・タンヌ・ラ・パリュードのパルドン祭」1858年/85x145cm/油彩・カンヴァス/マルロー美術館

「トゥルヴィル・桟橋・船」1885年/40x55.4cm/油彩・カンヴァス/レンヌ美術館

「帆船」1890年頃/24.5x33.5cm/油彩・板/オルセー美術館

「トルーヴィル海水浴場の白い服の婦人」1869年/油彩・厚紙/マルロー美術館

「牛」1881-1888年/油彩・厚紙/マルロー美術館

「夕陽」1888-1895年/油彩・板/マルロー美術館

「ル・アーヴル商港の空」1888-1895年/油彩・板/マルロー美術館

「沈む淡い夕陽」1888-1895年/油彩・板/マルロー美術館

「日曜日のトルーヴィル海水浴場」1888-1895年/油彩・板/マルロー美術館

「たそがれのル・アーヴル商港」1892-1894年/油彩・カンヴァス/マルロー美術館
≪トゥルーヴィルの海岸≫ 1864年 板 油彩 26×48cm パリ,オルセー美術館
ノルマンディー海岸は19世紀の風景画家にとって魅力的な場所だった。北から南へ、ディエップ、フェカン、エトルタ、サン・タドレス、ル・アーヴル、オンフルール、トゥルーヴィル、ドーヴィルなどの海岸風景が多くの画家たちによって描かれた。ナポレオン3世の時代に入ると、彼の異父弟モルニー公爵の肝いりでパリから鉄道が敷設され、行楽地として発展した。1853年に結婚したナポレオン3世の皇后ウジェニーが取り巻きを連れてこの地を訪れたので、パリ市民にもなじみの場所になった。19世紀末になると南フランスのコート・ダジュールが観光地として新たに開発されて有名になるが、今でもノルマンディー海岸は優雅な保養地の名残をとどめる。
オンフルールに生まれル・アーヴルで育ったブーダンは、ノルマンディー海岸の海と空を知悉していた。初めはこの地を訪れるバルビゾン派やサロン(官展)派の画家たちの影響を受けていたらしいが、やがて外光描写の重要性にめざめる。自然で率直な筆触は、戸外で制作し新鮮で変化にとんだ自然を体験することによって達成できる、と考えたのである。外光と大気の震動や空と海の光の戯れが大切なことを若きモネに教えたのは、ブーダン自身の制作体験に裏づけられていた。
ブーダンのノルマンディー風景には、そうした注意深い自然観察に基づく風景描写を背景にして、第二帝政時代の優雅な社交風俗が描かれている。派手な色のパラソルを広げ、小さな日傘をさし、針金で広げたスカートをはいた女性たちが、海辺に集まっている。1860年代のブーダンはパリで制作してサロンに出品しながら、夏はトゥルーヴィルやドーヴィルで過ごし、上流市民たちでにぎわう海岸風景を描いた。これはボードレールの言う「近代生活」の典型的な情景である。(島田紀夫)
「世界美術大全集・第22巻(印象派時代)」 責任編集・池上忠治
発行所=小学館(1993年8月10日初版発行)より抜粋転記(道) |
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≪オンフルールの桟橋と灯台≫ 制作年不詳 板 油彩 18.7×24cm ケンブリッジ、フィッツウィリアム美術館
パリからル・アーヴルに行くにはサン・ラザール駅から直通列車があるが、オンフルールに行くにはドーヴィル行きに乗って終点か手前かでバスに乗り換えなければならない。ブーダンやモネの時代も同じであったろう。いずれにしても、彼らにとってパリのサン・ラザール駅は特別の意味をもっていたわけである。
オンフルールにはトゥータン小母さんが経営するサン・シメオン農園があった。海岸から丘のほうにやや進むと、今でもひなびたホテル「サン・シメオン」がある。1860年頃のサン・シメオン農園にはコローやクールベやバルビゾン派の画家たち、それにモネ、バジール、ヨンキントなどがしばしば滞在していた。ボードレールの義父が購入した別荘もオンフルールにあった。1857年の義父の死後ボードレールの母親はそこに住むようになったから、詩人はサン・ラザール駅から汽車に乗ってオンフルールの母親を訪ねるようになった。ボードレールはブーダンの大気と水の描写に魅惑され、「海と空に向かいあって即興的に制作された」習作に注目した。
≪オンフルールの桟橋と灯台≫と題されたこの小品は板に描かれた習作である。素早い筆致は、ボードレールの言うように、即興的に制作されたことを示しているだろう。画面の裏にインクと鉛筆で「ル・アーヴル、桟橋と外港」と書かれているが、特徴のある灯台から憶測するとオンフルールの桟橋を描いたものらしい。大まかで生き生きとした筆致は、ブーダン晩年の1880年代後半の制作に近いところがある。ブーダンは1884年以降はドーヴィルに定住し、冬は南フランスのコート・ダジュールに旅行したりするが、、晩年の作品にはフォーヴィスムを予告するような荒々しい筆触も見られる。この習作の筆触も大胆で鮮やかである。(島田紀夫)
「世界美術大全集・第22巻(印象派時代)」 責任編集・池上忠治
発行所=小学館(1993年8月10日初版発行)より抜粋転記(道) |
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