映画感想 2009 劇場公開作品
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 2009 

ハリー・ポッターと謎のプリンス10/1(木)

4作目あたりからヴォルデモードの復活と共に色濃くなったのが恋愛モード。
前作ではファーストキスを済ませた晩生のハリーだったが、今作では前2作で
こちらを不快にしてくれた不細工なチャイナ女は跡形もなく消え、変わりに
ロンの妹のジニーがヒロインに急浮上。ウィーズリー一家が初登場した時に
いたっけかなぁ…前作では不死鳥の騎士団の一員だったのは覚えてるんだが。

ロンとハーマイオニーにも変化が訪れ、お互いにアピってくる異性が現れ、
ハーマイオニーはその不愉快な男の登場によってロンへの気持ちを新たにし、
ロンは機会さえあればすぐにでもエロエロ大サービスを奮発してくれそうな
ラヴェンダーに有頂天。謎のプリンスがどうの「あのお方」がどうのよりも

あまりのラブコメ・ポッターぶりに笑ってしまう。

でも正直前半のこのラブコメぶりがとても面白かったんだよね。
ホント、この子たちが幼い頃から成長を見守ってきたがゆえに、思うようには
いかない恋愛模様には親心のようにハラハラしてしまう。それがまた楽しい。

もちろん物語はヴォルデモード…孤児であり暗黒の天才魔法使いでもあった
トム・リドルの過去や、彼の才能を愛し、深い交流を結んだ師匠のホラスと
ダンブルドア&ハリーの駆け引き、ハリーが見つけた「半純血の王子」の
魔法ノート、そしてドラコの不審な動きとスネイプ先生の「破れない誓い」
などなど、ヴォルデモードがらみの謎が同時進行してはいくんだけど…

今回はラブコメだよね〜、やっぱ。
私は前作でインパクトを残した不思議ちゃんであり、なかなか優秀な
ルーナが可愛くて仕方がないんだが(今回はライオンキングだった…)
鈍感すぎるロンがやっぱりハーマイオニーが気になってたのかとむしろ
驚いたかも。ハーマイオニーはこれまたすごい悋気の塊娘だったしね。
(もちろんロンとハーマイオニーにはくっついて欲しいので嬉しい♪)

ジニーはあまり美人じゃないので魅力がいまひとつわからんのだが…
まぁハリーが好きだというならそれでいいか。(大陸顔のチャイナ娘の
魅力はもっとわからなかったし)さりげなく2人を邪魔するロン兄貴の
ミエミエの割り込みなども面白かったけど、チャイナの時は子供っぽい
ヤキモチを見せたハリーが今回は男といちゃつく彼女を見ても冷静で
落ち着いているのは進化のようで、大人になったなぁと思えた。

そして私がいつも一番好きなのがハリーとハーマイオニーの友情。
この2人の間に恋愛感情はなく、温かい友愛が感じられるのがいい。
ロンへの想いから泣きじゃくるハーマイオニーに寄り添うハリーも、
ジニーのことでハリーを慰め、励ますハーマイオニーも、そこには
本当に男女の性など関係ない「友情」が存在していてとても素敵だ。

ヴォルデモードを打ち負かす事ができるのはハリーだけであるという
覚悟は決まったものの、一体どうやって彼と戦うのかがわからない。
それを知るためにホラスから探り出した記憶の中で、トム・リドルは
自分の魂を7つに分け、不死に近い状態で存在している事が判明する。
2人の目的は魂を分けた容れ物、すなわち「分霊箱」を探し出すこと。

ハリー・ポッターはいつも思うけどとにかく上映時間が長い。
「不死鳥の騎士団」が珍しく短めだったけど、大体は2時間半近いので
クライマックスにくるとグッタリしてしまう。今作もまさしくそうで、
しかも前半から中盤のラブコメがバカバカしくてかなり面白かったので
ダンブルドアが死ぬ衝撃の結末も疲労感からアッサリ流してしまった。

だけどスネイプ先生はホントに裏切り者なのかなぁ…
この人は1作目でイヤミで厳しくてネチっこいけど悪の人ではない、
と印象付けられているので、何も今それを全部崩さなくても…と
腑に落ちない。次回作はいよいよ最終作で、2010年11月に前半、
2011年7月に後半が公開されるそうだ。また伸びないといいけど…
何しろ演じる子たちが成長を終え、今後は日々老けていくからねぇ。

分霊箱を奪った人物は誰なのか。スネイプは本当に裏切り者なのか。
そして最終決戦に向けてハリーたちは一体何をどうすべきなのか…

今まではどうしてもハリーがスタンドプレーに走り、ハーマイオニーが
知識的部分を援護、ロンが精神面で支えるという形が、ちょっとした
雰囲気でしか見られなかったけど、今回は彼らもハリーと行動を
共にすると宣言。(それでも次作の冒頭ではまたバラバラになってそうだけども)

21世紀の幕開けと共に歩んできた映画もあと2年でクライマックス。
私も少なくとも後半公開前までにはいよいよ原作に手を出してみようと思う。


劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー8/31(月)

狙ったわけではないのだが、時間がとれず最終回を見る前に劇場にて視聴。
入り口でチケットをもぎられた後、仮面ライダー1号のポストカードをもらう。

物語は「これがディケイドの最終回?????」と首をひねるものであり、
終わったと同時に本編にも乱入して去っていった「アイツらの方が完全に
通りすがりの仮面ライダーでは…」と思わせたWとの共演でやるらしい
「劇場版12月公開」のCMに、これはさては最終回がまとまってないなと
ちょっとどんよりした。そして帰宅後すぐに見たディケイドTV版の
最終回は完全に完璧に完膚なきまでに終わってなかった!!!
(ところで8/8公開時にも早々とこの劇場版CMは入っていたのだろうか?)

ライダー同士の対決は完全に客寄せパンダで、大ショッカーの幹部が実は
門矢士本人というのも、設定としては悪くはないのだが、そこに至るまでの
経過が全く語られていないのでサッパリ意味がわからない。妹を出したので
たとえばそれが妹が生きる世界を守るためというようなルルーシュみたいな
理由ならまだしも、妹からも「好き勝手やってただけ」と言い捨てられてて、
しかもそれを聞いてヘコみまくってたので「こんなの士じゃねぇ」と思う。

そもそも士は父母が死んで引きこもってしまった妹からもらった(?)
「世界を渡る力」を使って世界を渡り歩いていたそうだ。二人の兄妹に
取り入っていた月影=シャドームーンにそそのかされて世界を救うためには
世界をひとつにしようとするライダーの力を潰すことが目的だったようだけど、
実はそれはライダーのせいではない…と月影に暴露された時の士のマヌケさに
あっけにとられた、ってか実はこの時点でも士は完全に記憶を取り戻しては
いないっぽいのだが…このへんの描写がどうにも曖昧でよくわからない。

海東が士の過去を知っているという設定はギリギリセーフで生かされた感じ。
しかもこれがまたかなりズルい。海東がディエンドライバー(これらは士が
大ショッカーの科学力で作らせたものらしい)を大ショッカーから奪ってた
「なんちゃって仮面ライダー」だったという真相や、そもそも海東はなんで
世界を渡れるのかとか、なんというか…消化不良なんだよね、海東も今まで
色々面白そうな伏線や設定を積み重ねてきたのにさ…海東登場回の555編も
悪くなかったし、響鬼編やディエンド編もよかったのにもったいない感じ。

ただまさかのシンケンジャーの世界がしっかり生きてたことにビックリした。
夏みかんが士の帰る場所はここだ、ここでいつまでも待っていると言った
光写真館が、大ショッカーに追われ、妹の化身であり、ユウスケでもある
ライジングアルティメット・クウガに襲われて傷ついた士のたった一つの
拠り所であるという事が痛いほどわかって、この映画の中ではこここそが
最も感動したかも…そんな士を完全に拒絶する夏海にも胸が痛かったよ。

多分制作側が狙った最高の感動シーンはシャドームーンの甘言に乗って
世界を壊そうとする妹を士が説得してやめさせる場面なんだろうけど、
私はここの、夏海に冷たく拒絶されて去っていく士と、本心は受け入れて
あげたいのに耳を塞いで拒絶する夏海だったよ。いいラブシーンだった。

結果的にはシャドームーン自身が世界を滅ぼそうとしていたというのは、
30歳前後のライダー青年部(40歳前後はライダーおっさん部)による
シャドームーン様LOVEぶりからしたら正解だったんじゃないか。
もっと活躍してガンガン強いとこ見せてもよかったと思うけどな。

整合性も論理性もなく、ツッコミどころが多過ぎてストーリー重視派の
私にとってはかなり辛い内容だったが、とにかくライダー同士の対戦は
見ごたえがあった。昭和ライダーで育った世代ではあるが、やはり平成
ライダーはスマートでスーツもモチーフも格好いいものが多いと思う。
私はその中でもかなりオーソドックスなクウガやアギトのフォルムが
好きだが、やっぱりキバも格好いいと思う(物語はウンコだけどな)

そう思う反面、なんか昭和ライダー負け過ぎじゃねと思う矛盾もある。
だってRXなんかはかなり押してたと思うよ。カブトで逃げ回ったのに
あっちゅー間に捕らえられてたじゃん。でもアマゾンの戦いぶりも
「やっぱ肉体ひとつで戦うライダーっていいかも」と思ってしまった。
そして見ていたはずと思うのにやはり全く記憶にない「X」に首をかしげ、
カブトの前身のようなストロンガーはどうにもデザインが好きではない。
(だからカブトもあまり好きではない。あと555もカブト虫っぽく感じる)
そしてスーパー1のスターみたいなヒラヒラが懐かしくて吹きそうになる。

アマゾンは劇場であれだけ活躍してたので本編にも紛れ込んできたのかも
しれない。あちこちの平成ライダー世代からは「微妙な演技の俳優使って
アマゾン編なんかやるなら最終回をもっと充実させればいいのに」という
ブーイングが出ていると知り、昭和世代としては「やはりアマゾンはどの
時代でもハブられるなぁ」と笑ってしまうのだが、あのセリフを言わすなら
本編でディエンドとアマゾンの関係をもっと描いてもよかったかもしれんね。

掟破りの巨大ライダーは昔見た時も「ないわー」と笑ったが、ディケイドの
ファイナルフォームライドが仮面ライダーベルトってのは吹きそうになった。
ショッカーの人間爆弾など、数々のバトルシーンはそれなりに楽しかったよ、
ディケイドの物語としては完全に食い足りなかったからバトルくらいはね〜。

ブラックの倉田てつを氏、アギトの賀集くん、王蛇とキックホッパーの声で
萩野さん、徳山さんというオリジナルキャストが出演。あとモモも関さんが
出演。つーかモモってばちゃっかりおいしい役もらってた。ディケイドと
ディエンドと並んで、キバのFFRキバアローで止めを刺す役だったもんな。

そしてGacktはなんだったんだ…いきなりあそこで結城丈二とか言われても
お子様はわからないだろう。なんか変に中途半端な説得しかしないしさぁ…
しかもこの結城という男が一体何者なのかを知りたかったら、V3ではなく
ガッくんのPVを見ろといわんばかりのCMぶりですがな。せっかくだから
もうちょっとちゃんと物語的に意味のある役柄で出てくればいいのにねぇ。
(でも私は子供の頃、やたら弱っちいライダーマンはすこぶる嫌いだったぜ)

でももうホント、劇場で仮面ライダーとかマジでキツいわ。
とはいえ今回も数は少なかったけどチビッコたちの歌舞伎の掛け声のような
一言が面白すぎて笑いそうになってしまった。シンケンジャーが終わった瞬間、
「ディケイド始まらないねぇ」とクレームを出す子がいて吹き出しかけたわ。

そして相変わらず圧倒的大人気だったのがディエンド。ホント、不思議…
「ディエンドッ!」という歓喜の声を聞いても海東さんなら「やめたまえ、
少年。気色悪い」と冷たく言い放つであろう。まぁそう言われたら子供も
「海東は好きじゃない」と言うかもしれないのでおあいこであろうが。

また、ディエンド以外にチビッコの声がかかったライダーが何人かいる。
実はこれは私もちと驚いたのだが、熱狂的に「ブレイド!!ブレイド!」
という声が右手から沸いていた。そしてアップになったキバは人気なのか
記憶が新しいためか「キバ!」さらにはしゃべり始めたモモの声を聞いて
「電王!」という喜びの声も上がっていた。昭和ライダーが映るとピタッと
声が止まるあたりは仕方がない。オッサンホイホイは加齢臭まみれである。

ただ後半になるとかなり飽きてきた子も多く、グズったりあからさまに
「もう帰ろう」と言い出すお子さまもいて可笑しかった。キッズ向けは
本当に大変である。そこにストーリー性を求めることが無理なのだろう。

劇場版のすぐ後に続けて見た最終回(実は最終回前も一回見返しているので)と
かなり記憶がごっちゃになっているのだが、劇場版が終わって新たな世界に
旅立とうとしたらそこはライダー大戦の世界で、渡に「破壊しろと言ったろ!」
と怒られ、剣崎にはたどたどしい日本語で「おまえがいると世界が滅ぶんだ」と
ダメ出しをされ、ついには平成ライダー勢ぞろいで「ヤッチマイナー」状態に。
(剣崎@椿さん、あの滑舌は酷いな…新人の頃を想像すると恐ろしいわマジで)

しかし私が一番すっきりしたのは、夏みかんが1話でなんであんな変なワンピを
着ていたのかがわかった事だった。フツーにウェディングドレスでいいのに…
劇場版はライダーたちが加勢に来たという昭和の香り漂う大祭りだったけど、
「それじゃライダー大戦にならんじゃん…」と思ったので、ちゃんとそっちに
流れたのは悪くはないと思う。ディケイドが滅ぼすべきだった世界(ワタルや
カズマがいた世界)はフェイク、あるいは量子的近似値で、それがオリジナル
(渡や剣崎がいる世界)を脅かすがん細胞だった…なんていうならこれまた
面白くなりそうだがどうだろう。「本当の士」なんて台詞も聞こえてきたし。

そして正直、アルティメットクウガはめっちゃ格好いい。劇場版のライジング
アルティメットは今ひとつだったが(しかも活躍できず出番もWに奪われたし)
士が最後に選んだのはユウスケではなく海東だったというショックにめげず
(本人はまだ知らないけど)クウガには最後にもう一花咲かせてもらいたい。

あとついつい虫…じゃない、仮面ライダー真を探している自分がいたよ。
そして生活廃水がバシャーッと降ってくる下水で体中汚水まみれになって
アクションを繰り広げた井上くん、村井くん、森さんはお疲れさまだ。

まだまだディケイドは終わらない…というより、ホントにこんな変なところで
終わらせずに、どうせならいくつか選んだ昭和ライダーの世界も回り、物語も
きちんと完結すればよかったのにとつくづく思う。あと製作トップはいい加減
スタッフや脚本家とのトラブルで作品を台無しにすることはやめてもらいたい。


侍戦隊シンケンジャー 銀幕版天下分け目の戦8/31(月)

「殿!私は、それほどズレているとは…」(池波流之介)
「うち、流さんほどうまくできひんけど頑張ります」(花織ことは)
「………ぁ、そう?」(池波流之介)

短っ!!!!!

何この短さ。正直、マンプクの二の目にかなわず一度は敗北してしまい、
各々が悩んだり自信を喪失しながらも仲間との絆を取り戻し、再び敵に
立ち向かって勝利する!という黄金の「友情・努力・勝利」パターンだと
思ったのにあっちゅー間にカタがつき、三本締めの後は歌を歌っての
お別れ(6人の着せ替えつき。皆可愛かったのでゆっくり見てみたいな)

私は戦隊物の映画はゲキレンジャーしか見たことがないので比べられないが、
物語的にはゲキの方がまだ人物の相関関係や物語の起承転結がハッキリしてて
映画として成立していたように思える(むしろ長すぎると思ったくらいである)

つーかやっぱ300年前にバテレン言葉の「シンケンレッド」とかねーよ。
刀の鍔みたいなのが「ディスク」とか突飛すぎるだろ、当時だと。
初代が何かもっと活躍するのかと思ったら、ホログラムで全く
同じ言葉をただた繰り返すだけなのもなんとも可笑しかった。

しかし先日の十臓とレッドの濡れ濡れくんずほぐれつのチャンバラ
(いかがわしい書き方はやめなさい)も見事だったが、この映画での
全員が馬に乗っての派手な大立ち回りも迫力満点で実に見事であった。
スーツアクターさんもアクションだけでなく馬術もこなすとは大変だ。
クサレ外道衆も数がちゃんと用意されていたのでショボく見えなかった。

十臓と源太が互いの正体を知っているのもTV版で見た後なので違和感がなく、
(そういえば源太はことはが歌う「5つの 本気を 合わせて♪」のフレーズに
「6つー!」とうるさく割り込んでいて楽しかった。大丈夫、皆そう思ってる。

こちらも劇場版を見てすぐに最新話を見たけど、千明とことはの高校生ヤング・
コンビが息もピッタリの大活躍、さらには人間が物と入れ替わる(殿=招き猫
茉子=扇風機、源太=寿司、流之介=小便小僧)という爆笑編で面白かったな。
先日開催していたうちの一言投票所で「千明×ことは」派とおっしゃった方も、
ちい兄の千明が優しく、末っ子ことはがいじらしい可愛いカップルの大活躍に
さぞやご満足に違いない(ラストで携帯を覗き込むシーンはラブかったッス♥)


ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 EVANGELION:2.0 YOU CAN (NOT) ADVANCE.8/14(金)

「父さんのこと、ありがとう」
「ごめんなさい。何もできなかった…」
「いいんだ…もう…これでいいんだ」

愛情であれ憎しみであれ、子供の基盤は「家族」
その「家族」より大切だと思える人ができた時こそ、
人間が本当の意味で大人になったということなのかも。

大拍手・大絶賛でヒットしながらのロングランが続いているエヴァだが、
確かに物語は前作同様コンパクトでわかりやすく、バトルも迫力があり、
ほとんど新規作画じゃないのかと思える出来でそのパワーには納得。

しかしこれらのヒット要素を抑えてファンが本当は一番思ってるのは

綾波レイが超可愛い♥

ことではないかと推測する。本編ではいささかアスカ寄りだった私ですら
「やべ、レイちゃん超可愛いんですけど」とグラリと揺れるほどの可愛さ。
痛々しい境遇の中で目覚め始めた新たな感情や、人形のようだった彼女が
自己同一性を見出し、戸惑いながらもそれを咀嚼しようとするけなげさ。

何より笑顔をくれたシンジへの微かな思いが、シンジのレイへの憧れと
好意とシンクロして甘酸っぱい。そうそう、まさしく本編でもこういう
せつない青春シーンがちょっとは見たかったと思う展開をやってくれる。

「よくわからない。でも、碇くんといるとぽかぽかするの」

だから、碇くんにもぽかぽかして欲しい…

あーもうホントにレイが可愛い過ぎてたまらんちんだった。
そりゃさしものアスカも兜を脱ぎますよこんな事言われちゃったらさ!
(ちなみにレイの陰に隠れてしまうけど、エキセントリックで鼻持ちならず、
自信過剰でありながら自己嫌悪の塊のアスカも極めて魅力的に描かれてるよ)

肉が食べられない自分を優しく気遣ってくれるシンジに「ありがとう」と
ちゃんとお礼が言えたり、いつも無言で入っていた教室に「おはよう」と
言ったり。しまいには少しずつ距離が近づき始めたゲンドウとシンジを
自分が楽しんだことのない「食事」を媒介にして仲直りさせようとしたり。

しかも彼女のいいところはシンジだけではなく、マリを庇ったりアスカを
気にかけたりと「他人を認識し、受け入れ始めている」成長がちゃんと
見えていたところ。そしてそんな彼女が本編より早く命の危機を迎える
クライマックスでは、物語が変わっているがゆえに本編以上に「レイが
死んでしまうのでは?」と思い入れもクライマックス。そしてそんな
テンションMAX状態の中、まさかの新展開には驚くやらやられた感やら。

物語自体は、ヤシマ作戦までの序盤を戦闘中心(=シンジのウザったい
ヒキコモリシーンが極力カットされている)にかなり丁寧に描き出した
序とは違い、話数も多いので物語は細かく寸断され、必然的に駆け足に。
アニメを何度も見たとか、考察にも詳しいとか、長年エヴァへの尽きぬ
想いを温め続けた人と違い、2004年に初めて見たようなにわか視聴者の
私にはもうもう、さくさく進む物語についていくだけで精一杯だった。

生粋のエヴァファンにはいいけど、エヴァを全く見たことがない人や
エヴァにさほど思い入れがない人だとやっぱりキツいかもしれない。
それに基本はテレビ版に準じているけど本当に別物的にもなっていて、
エヴァ初心者には印象深い「シンクロダンス」や「エヴァ三機による
コミカルな迎撃(共闘はあるが)」がなかったり、「命の選択を」や
私も好きな「男の戦い」がかなり大幅にアレンジされていたりする。

だからといって面白くないということはなく、新たに追加された加持が
シンジたちを海洋センターに連れて行くシーンなどはこの世界の状況を
さりげなく語る絶好の演出だと思った(前は基地じゃなかったっけ?)
見終わってみると、もはや失われた前世代の美しい生物たちを見て
「信じられない」と目を輝かせたシンジが、あと少しでヒトも含め
すべての生き物の息の根を止めるサード・インパクトを起こしそうに
なったという皮肉も込められている。創造主は破壊者でもある…のか?

映画ならではのリミッター解禁でアスカやレイのお色気シーンもたっぷり。
私は単に「気が強くわがまま」だけではない、アスカの病的で非常に危うい
未熟さが気になるのだが、今回は名前だけではなく身分も大尉に変わった
このアスカが相変わらず大暴れ・大騒ぎしてシンジたちに煙たがられながら
少しずつ心を開いていく過程もちゃんと描かれているのでとても感心した。
レイに引き離されているとはいえヒロインとしての魅力は増していると思う。

こんな風にキャラクターの描写がとても丁寧になっているのが特徴かも。
アスカは物語上あまり意味がなかった「加持さん一筋」ではなく、むしろ
安心できる心を預けられる大人としてミサトを選んだこともより自然だし、
トウジとシンジの完全和解が「妹の完治」によって昇華されたり、ヒカリが
アスカに声をかけて友達になるシーンがあり、昔はトンがってたスタッフも
随分大人になったなぁと思うような演出が多い。(青臭い若手だと「そんな
古くてクサいミエミエの表現はいらねぇよ!」とか言いそうじゃん)

全く謎の人物…いや、むしろ月の表面で宇宙と語らう人外としてカヲルも
早々と登場し、シンジの願いを叶えて新たな存在へと進化した(赤木リツコ・談)
初号機を、ロンギヌスの槍?でぶっ刺して止めていた。本編以上に以前から
シンジを知っているような口ぶりなので次回作「Q」での活躍が気になる。

そして話題の新キャラ、真希波・マリ・イラストリアス。
まぁ正直出てきた理由がまだわからないので評価は保留。
魅力的なヒロインかと言われるとそんなでもなく、やたら
タフなのとやや棒読みの真綾節で陽気に振舞う違和感だけが残った。

またダミーの乗った初号機にズタズタにされた四号機に乗っていたアスカの
二号機に搭乗し、謎の機能でビースト化させたり、ゲンドウや加持たちに
利用されているようでありながら、自分自身も何か目的や含むところが
あるらしいことも示唆されたけど、彼女の評価は次に持ち越しかな。

今回出てきた使徒は5体。TV版とは随分変わってるんだろうけど、
私はコアなファンではないのでさっぱり見分けがつかない。
だから「序」同様、使徒が表現するものを印象で語ってみると…

最初にマリと戦った魚の骨のような使徒は「拒食症」
目的と手段が極端に偏りすぎてバランスを保てなくなり、食べないと
脳にも栄養が行き届かないので精神状態が悪くなり、野生の肉食動物が
そうであるように捕食本能に突き動かされてイラだち、攻撃的になった姿。

次に、上空から颯爽と現れたアスカが戦った相手は「虚栄心」
スラリとした長い手足を誇り、自己顕示欲と自己愛の塊。目の前に現れた
エヴァが自分より整った姿をしていると見てとるや、嫉妬の塊になって
攻撃を始める。「綺麗だよね」「そんなことないよ♪」は謙遜にはあらず。

シンジたちが三位一体で抗う姿を見せた球状の落下使徒は「臨月の胎児」
その姿は息苦しく薄暗い産道(大気圏)をとおり、子宮の出口を破り、
初号機に腕を伸ばす姿はあたかも生まれ出ようとしている胎児のよう。
けれどウィルスや悪性新生物や新種の細菌など、ヒトとの利害関係を
含む「生」が全て歓迎されるべきものばかりではない事は周知の事実。

エヴァ四号機を乗っ取った使徒はもちろん、「モノマネ」
まさかの「トロイの木馬」作戦を使って相手のコアにまんまと入り込み、
ニヤッと笑った姿がぞっとする。真っ向から自分の意見で戦うことより、
あっちでヒソヒソこっちでヒソヒソ裏工作や外堀固めが大好きな卑怯者。

第三首都を壊滅させ、零号機を食らってシンジの強大な怒りを買った使徒は
「コンプレックス」、差別的表現で申し訳ないが敢えて「デブ女」としたい。
自分が太っていることも原因もわかってるくせに、痩せる努力をせず(または
足りず)コンプレックスの塊となってイジイジ、どーせ私なんかとうじうじ。

ところがひょんな事からそのコンプレックスが解消されるや否や(この使徒の
場合レイを食らって美しい女性の肢体を手に入れたこと。めちゃくちゃアンバランスで
気味が悪いのに、本人はそれに気づいてない)今までのコンプレックスは完璧に
裏返って自尊心となり、謙虚さを持たない鼻持ちならん人間に成り果てる。
だから強いこと強いこと!零号機にミサイル爆破されてもしぶといししつこい!

下手なコンプレックスは溜め込んだ攻撃性となる。
根深いコンプレックスを持つ人間は謙虚だなどとは思わない方がいい。
「本当の私はこんなはずじゃない」という自尊心ゆえに自分が嫌いなのだから。

リピーターが多いようだけど、私のような「作品としてエヴァを評価する」
普通の視聴者は何度も見たくなるほどではないのだが、出来はいいと思う。
最後のリツコの神がどうの新たな人類がこうのというもっともらしいセリフは
「毎度エヴァ臭い」と鼻についたけれど、それが持ち味なので仕方がないか。

度肝を抜かれた「序」のわかりやすさや面白さにはかなわない気がするが、
キャラクターの描写が丁寧で「それが知りたかったんだよ!」という部分を
きちんと描写したこと、戦闘シーンのクォリティは相変わらず高いことなど
確かにヒットするだけのことはある。まぁでもこの大ヒットの原因は絶対

綾波レイが超可愛い♥

からだと思うんだけどねーホントに可愛いから何も文句はないけど


トランスフォーマー:リベンジ7/1(水)

おまえら、エル・カズネやピラミッドを壊すんじゃなーい!!

先日視聴したパート1が思った以上に面白かったので、続編もさっそく視聴。
映画の日なのでチケット売り場はまたもや混んでいたが、大半はエヴァを
観に来ていた野郎連れだったので、リベンジはゆったり観られてよかった。

今回は高校を卒業したサムが、父や母、ミケイラやバンブルビーと別れて
大学に入学したものの、前作で着ていた戦闘服(=ボロボロのパーカ)に
へばりついていたオールスパークに触れた事で未知の知識を得てしまい、
またしても地球を救う大いなる戦いに巻き込まれていくという物語。

キューブの力で家電が凶悪ロボにトランスフォームするのは、小さいけど
凝ったトランスフォームシーンだったので観ていてとても楽しかった。
一方上海では各地に潜伏しているディセプティコンの残党を、お馴染みの
オプティマス・プライムやすっかりレノックスといいコンビになったらしい
アイアンハイドたちが、そのレノックスたちが属する秘密部隊「NEST」と共に
協力して排除し、地球の平和を守っていた。宇宙に散っていたオートボットも
彼らの元に続々と集結しているようで、今回は何人か新しい仲間も登場した。

しかし困ったことにガチャガチャ戦われると動きが早すぎる上に似ている
部分も多いのでディセプティコンとオートボットの区別がつかないんだよ。
ツインズくらい特徴が強かったり、アイアンハイドやラチェット、スター
スクリームのように前作から見慣れたキャラならともかく、プロトフォームも
たくさん出たのでバトル中「これは新キャラ?ザコキャラ?」と一瞬迷う。

毎回名前を出してもらうわけにもいかないので、これを回避する最良の策は
「吹替え版で見ること」だろう。ダメ絶対音感を持つ者なら声でキャラを
見分けるのは造作もない事だ。ちなみに私はTV放映時はオリジナル音声を
聞きたかったので地デジの字幕で観たが、地デジはなんと「オプティマス」
「ジャズ」とセリフの前に名前が出るのだ(元は聴覚障害者向けだからだろう)
それどころかバンブルビーがラジオの音声を利用して話す時も、それが実は
「ジョン・ウェインの声」であるという元ネタまで教えてくれたのである。

なお今回は大学で知り合ったちょっとウザいITオタクのレオ、セクター7が
解散したので肉屋にトランスフォームしていたシモンズもその知識を買われて
この一件に巻き込まれ、エジプトやヨルダンにまで飛んで大騒動を繰り広げる。
サムの頭に植え付けられた古代サイバトロンの知識を狙う「ザ・フォールン」
なる悪者がプライムが隠したマトリクスを使い、エネルゴンで太陽を爆発させて
地球を壊滅させようと目論んでいる。そもそも仲間を裏切った自分が悪いくせに
マトリクスを隠したプライムへの逆恨み復讐、そして生意気な人類もついでに
滅ぼしてしまえと言うフォールン。ホント、老害も甚だしい。

深海でにっちもさっちもいかない状態から助けてもらったくせに、またしても
「俺がいないからって勝手に指揮とってんじゃねーよ」とスタースクリームを
イビるメガ様は、どうやらこのフォールンの弟子らしく、えらい従順に従ってて
可笑しい。今回、オプティマスにとどめを刺した時のメガトロン様は悔しいけど
確かに悪くて強かったが、見せ場はそれくらいでほとんど活躍できなかったな。
最後なんかスタースクリームに「退くも戦略」みたいに言われて逃げ出したし。

他にも衛星軌道上で情報をハックしてディセプティコンをバックアップする
サウンドウェーブ、豹の形をしたラヴィッジ、足のタイヤで高速で移動する
サイドスワイプなどなかなか格好いい奴に加え、さらには人間型に擬態する
トランスフォーマーまで!サムに色仕掛けで絡み、気持ち悪い触角で知識を
奪おうとする。そういえば今回サムとレオも髪型やダサさがなんとなく似た
雰囲気だったり、アリスとミケイラもどっちも扇情的なラテン娘だったので
人間側も見分けが難しかったなー(どうせならレオはピザとかメガネにしろよなー)
あとパチンコ玉みたいな変形タイプのハッカーTFもいて厭きさせなかった。

オートボット側もバイク型のアーシー、賑やかな漫才コンビのツインズなどに
加えて、スミソニアン博物館に展示されていた古代トランスフォーマーである
勇ましい傭兵ジェットファイアが登場。こっちはまぁ年寄りの冷や水というか
歩くたびにボロボロ部品が落ちたり、スペースブリッジなる空間移動ができる
すごい能力を備えていたり、マトリクスの在り処のヒントも教えてくれたり。
初めはミカエラを狙ってきたウィリーは相変わらず勇猛な彼女に目玉を焼かれ、
情報を開示させられてすっかりおしゃべりな犬と化したのには笑ってしまった。

前作のLAでの壊滅バトルよりは、砂漠での戦闘の方が思う存分オートボットの
活躍が見られていいかなぁ…と思ったんだけど甘かった。ああ完全に甘かった。

オートボットというより、前作以上に米軍の軍事力は世界一ィィィィィ!

すごいんだもん、アメリカ軍。トランスフォーマーも何のその。

う〜ん、でもやっぱり私は監督に言いたいよ。
正直言えば軍なんかいらない。いてもいいけどサポートで十分だと。
私が見たいのは「トランスフォーマーVSトランスフォーマー」の超絶バトルで
あって、「強いぞ米軍・金持ち米軍・米軍マンセー・米軍サイコー」ではない。

だから後半はどんなに戦いが盛り上がっても、せっかくの砂漠で巨体と巨体の
ガチンコが見られるはずなのに、NESTの兵士が「爆風や瓦礫で絶対死ぬよ」と
思わせる砂嵐の中を逃げ惑い、撃ちまくってるシーンしか印象にないんだよ。
敵味方関係なく、もっと格好いいトランスフォーマーたちの勇姿が見たかった。

今回はサムを守ってフェイスマスクを下ろして果敢に戦ったビーはまだしも、
昔馴染みのアイアンハイドやセリフがほとんどなかったジョルトなど、もっと
トランスフォーマーのキャラクターを掘り下げた上でバトルが見たかったなぁ。
それができてたのはツインズやジェットファイア、ウィリーくらいだもんな。

だから一番の見せ場はやはり、サムを守ってメガトロンたちを何人も相手に
しながら一歩も譲らず勇敢に戦い続けるオプティマス・プライムの格好よさ!
ロボットのくせに異常に格好いいオプティマスの一挙一動には心が躍る。

そのオプティマスが一瞬の隙を突かれて宿敵・メガトロンの手刀に貫かれ、
死んでしまうのだからショック。いや〜、あれは大丈夫だろうと思っても
ショック。やっぱりその作品の中で負けちゃいけない人って必ずいるよね。

だからこそサムが思った以上にショックを受け、涙を流したのはとてもいい。
でもそれ以外のトランスフォーマーに対する態度はどうにも腑に落ちない…

サムに命じられて家電の反乱を抑えたバンブルビーに、家を壊したからって
礼も言わずにガレージに戻れと怒鳴るなんてビーじゃなくてもムッとするよ。
それにそのドサクサに紛れて「大学へは連れて行かないから仲間の下へ帰れ」
と言うなんて…そんな大事なこと、言うか言うまいか逡巡するシーンくらい
あってもいいじゃん!彼女と離れ離れになることよりそっちを心配しろよ!
バンブルビーはあくまでも友達であり、あんたのペットや下僕じゃないだろ!
(でも涙のようにオイルをジョボジョボ流すバンブルビーは可愛すぎる♪)

エジプトからペトラに陸路で向かったのにも驚いたけど、また戻ってくると
いうのもすごい。そんなむちゃくちゃな移動をしておきながら死んでしまった
オプティマスまではなんであんなに遠いんだ!(答え:ハリウッド映画だから)

とにかくたどり着けないんだもん。
結果、無茶をしたサムもやっと(あまりにも弾にもビームにもあたらず爆発にも
巻き込まれず瓦礫や岩にも潰されない「主人公専用鉄壁バリア」があったので)
倒れ、心肺停止に。その時、サムはプライムたちの声を聞く。信じた者にのみ、
マトリクスは手に入ると。今回は戦わなかったけどずっと一緒に走った勇猛な
ミカエラの愛の告白に目覚めたサムは、再び形を取り戻したマトリクスを
オプティマスの体につき立て、消えてしまったスパークに再び命を灯した。

でも甦ったばかりでヨレヨレのオプティマスに「早く立て!」って、鬼か!?
ピラミッドを破壊しまくるデバステーターとエネルゴンを手にしようとする
フォールンを止めるため、戦いで深い手傷を負ったジェットファイアが
自らの体の部品を提供することを申し入れる。しかし赤の他人からの
「命の提供」について、T4といいそこに葛藤はないのかアメリカ人!

ラチェットの技術で新たな力を得たオプティマスはジェットファイアと
スーパーリンク合体。背中や腕には巨大な翼がこれでもかと装着されて、
武器もごつくパワーアップ。単に「背負って飛ぶ」だけじゃなかったのは
すごくよかった。ただこの姿でもっと派手に戦うシーンが見たかったので
フォールンがあっけなくやられちゃったのは「えー?」という感じだったけど。
せめてメガ様やスタースクリームもちょっとくらいボコって欲しかったわー

しかしあっちの映画のお約束とはいえ、戦いが終わって真っ先に向かうのが
女の元ってのがなぁ…どうもなぁ…家族はいいんだよ。今回子離れができず
メソメソ泣いたり変なモン食ってトリップしちゃったママ(息子の初体験に
耳をそばだてるのはやめなさい!!)がウザいと思ったのに、息子を心配して
一人では行かせないと怒鳴る相変わらず子煩悩で優しいパパには「行かせて
あげて」と言うなど、ああ、やっぱりママだなぁとちと感動しちゃったり。

まずはオプティマス、ずっと忠実にサムたちを守り続けたバンブルビー、
走るサムを援護し続けてくれたアイアンハイドや共に逃げたツインズ、
そしてサムを信じて来てくれたレノックスたちに何か一言あるだろー、
女といちゃいちゃする前にさー。日本男児なら絶対そんな事しないよ!
(だからこそなんとなく気まずそうなシモンズとレノックスの握手が生きた)

今回はホントにオプティマスが格好よすぎた。
最後にサムと言葉を交わし、空母の甲板で少し斜めに佇む後姿も格好よすぎ。

それにしてもどうしてもっとトランスフォーマーたちそのものにスポットが
当てられないんだろう。人間ドラマもいいけど、トランスフォーマー同士の
会話やキャラクターの掘り下げや小さなエピソードは描けるはずじゃん。

なんかなー、これがどうしても埋められないお国柄の違いなのかなー


ターミネーター46/16(火)

ターミネーターを初めて見たのは本当にただの偶然だった。
確か淀川さんの日曜洋画劇場で、聞いたこともない監督、聞いた事もない
タイトル、シュワルツェネッガーは父と一緒に「コナン・ザ・グレート」を
観に行ったため一応知ってはいたが雰囲気がガラリと違って気づかなかった。
当時はよくあるテレビで放映する大物映画のため「抱き合わせで買わされた」
タイプの80年代風くだらないB級SFだろうくらいに思っていた当時は「ブレード
ランナー」以降そういうパクりまくりのヘンテコSF作品がやたらめったら多かったのである

サラとカイルのエロシーンには下世話でポルノチックな「B級らしさ」が
残っているものの、今見てもストーリーの面白さや安いながらも「見せる」
特撮、見るものを引き込んでいく演出、火事場パワーで乗り切るラストなど
エンタメとして実に大した娯楽作品だと思わせる。苦いラストもなかなかで、
放映終了後、淀川さんがメキシコの少年が「嵐が来るよ」とサラに言うのは、
やがて来る暗黒の未来を暗示するのですねと言ったのが怖くてとても印象に
残っている(だからこそ未だに覚えている)核への不安が強かった時代ゆえだろう。

そんな「思ったより面白い」ターミネーターであるから、続編が作られるのは
必至で、今年はついに4作目の登場となった。私自身はパート3を見ていないので
見る気はなかったが、誘われたので見ることになった。主役のジョン・コナーは
バットマンを演じたクリスチャン・ベール、謎多きキャラクターのマーカスを
サム・ワーシントン、若き日のカイル・リースがアントン・イェルチンという
スカイネットが人類殲滅を企む「未来」を描いた物語になっている。

サラがカイルから聞いた未来の姿や、ジョンがいる未来に影響を及ぼす
過去の事実を吹き込んだレトロなテープを聞くことで「未来を知る男」
として信頼を勝ち得ているジョン・コナーは、抵抗軍の一員として
日々スカイネットが送りこむ機械兵器と戦っていた。

機械にはスイッチで対抗とばかりにある一定のシグナルを流すことで
敵メカが停止する事をつかんだ抵抗軍は、各地でさらわれた捕虜もろとも
本部を叩く計画を立てる。けれどそこにはカイル・リースも囚われていた。

そのカイル・リースの目の前に現れたのは、この世界の現状を知らない
マーカスという男だった。戦闘に長けた彼はなし崩しにカイルとスターと
共に抵抗軍と合流するべく旅に出るが、「これトランスフォーマーだっけ?」
と錯覚してしまうようなバカでかい人類捕獲用の「ハーヴェスター」に襲われ、
バイク型の超高速スピードスター「モトターミネーター」とカーチェイス。

この「モトターミネーター」はなかなか格好よかったのだが、
このあたりのストーリー展開はなんだか支離滅裂でいただけない。
なぜならガソリンを入れようとスタンドに立ち寄ったら男たちに絡まれ、
それをやめさせた白髪のばあさんが食べ物をくれたと同時にハーヴェスターが
現れてばーさんを捕獲、よくよく見たら地下にはたくさんの避難民がいたよ…
という感じなのだが、映像で判断するしかなく、そもそもかかわりもないので
こっちとしても「なんかそんな設定だった」と納得する以外ないのである。

後々ジョンもカイルもマーカスも彼らを率先して助けようとするでもなし、
(もちろんジョンが助けたんだけど、なんとなく「カイルを助けるついで」という雰囲気)
たとえば戦いを激化させる抵抗軍にも反感を持っているというわけでもなし、
必要性がわからない。そのくせ白髪のばーさんはやけに印象的な姿なのだ。
続編で関わる設定でもあるんだろうか…忘れ去られる可能性の方が高いが。

アクションは迫力あるんだけど、あまりに激しすぎてカメラも激しく揺れるので
誰が何をやってるのかわからない事がしばしばあった。これはカメラマンの腕?

それとマーカスが戦場の中に突然現れたのが唐突過ぎて全然わからない…
あそこで目覚めるようプログラミングされていたのか?でも裸だったので
一瞬過去(2003年)からタイムトリップして来たのかなとも思ったんだよね。
なぜなら死刑囚だったマーカスは冒頭、スカイネットの前身サイバーダインと
献体の契約を交わしていたからだ。ってかあの博士は誰?重要人物なのか?

1で死んでしまうカイルが抵抗軍のリーダーであるジョンに憧れていたこと、
彼からもらった母サラの写真を見て彼女に恋していたことなどを思わずには
いられないので、まだ抵抗軍にさえ入れず、口の利けない少女スターを
守って一人ぼっちで戦っていたカイルにはついつい目がいってしまう。

ただ若き日のジョン(エドワード・ファーロング)がT-800(シュワちゃん)に
父への敬慕に似た感情を持ったことと並行して、カイルはマーカスからそれを
受け取ったという構図だったら前作ともややシンクロしてよかった気がする。

正直、全体的に今ひとつ食い足りない感じが残る。
新たな3部作の序章という噂もあるので、2作目3作目に繋がる伏線という事で
あまりハッキリ明かされてないのかもしれないけど、スカイネットは過去に
ターミネイターを送り込んで失敗した経緯から、過去に干渉してマーカスを
潜入型ターミネーターに改造して生き返らせ、カイル・リースをおびき寄せる
役目を負わせたと言ってたけど、なんで殺させなかったんだ?サラもジョンも
失敗したからか?でも今回は過去に比べてものっそい成功率高そうたったけど。
そもそもこれを計画したのが何者なのかがわからずじまいだったしね。

あとジョン・コナーはイメージでは冷静で理知的な闘士というイメージが
あったんだけど、なんだかパッとしないんだよねぇ…「3」を見てないから
そのへんにギャップを感じちゃうのかな?スカイネット誕生についても
2までしか見てないと「未来のために腕は溶かした」までしかわからんし。
でも「3」はクソって噂が聞こえるしなぁ…見なくていいとも言われるしなぁ…

マーカスのことも、たとえば私のジョンのイメージだと「サラが語っていない」
なら何かが変わる予兆の出現として冷静に話を聞いてみるとか、分析するとか
むしろ反対する仲間を抑えて彼を認めるとかかなーと思うんだけど、フツーに
ビビってただけでガッカリ。いくつもの厳しい戦いを勝ち残ったんだから、
もっと強くて頭がよくて頼りがいがあって欲しいと思ってしまうせいかも。

T-800の量産シーンはCGでヤング・シュワちゃんが再現されていて笑った。
あとジョンの周りにいるキャラクターが致命的なほど描写が薄くて印象に
残らなかった。ハンターキラーに落とされた戦闘機の操縦士・ブレアが、
マーカスと夜を明かそうとした場所でいきなり男たちに襲われるのも繋ぎが
悪くてめっちゃ唐突過ぎ。物陰にいたのになぜ急にあんな開けた場所に…?

それにしたって「俺の心臓を」と申し出たマーカスを誰一人止めもせず、
フツーに移植が始まっちゃったラストは「早い、早いよ!」と心の中で
ツッコんだよ。いくらターミネーターだからってあっけなさ過ぎるって。

全編にわたってあと一歩という、どうも微妙感が残る作品だった。


グラン・トリノ6/10(水)

「グラン・トリノ」って車の名前だったのか…

かつて白い隣人しかいなかった近所の家には黄色い肌の意味不明な言語を
操る東洋人たちが住み、葬式の行われている教会に来た自分の血を受け継ぐ
孫娘はヘソ出しに鼻ピアス、孫息子に至っては祈りの言葉も満足に言わない。

偏屈で頑固で偏見まみれの爺さんの家には息子すらも寄り付かず、誰からも
厄介者扱い。それでもコワルスキーはどこ吹く風で、老いたレトリバーと
日がな一日芝を刈り、ビールを飲み、タバコをふかす。自分の最高の仕事、
芸術作品とも呼べる1972年フォード製の「グラン・トリノ」を眺めながら。

人生の終焉を迎えた老人と少年の交流の物語と聞いていたのに、なかなか
肝心の少年とイーストウッドの絡みが出てこず、訪れた彼をピシャリと
追い返した後は悪い仲間にそそのかされてグラン・トリノを盗みに入り、
撃退されて逃げ出すまでどうも「交流」には程遠いすれ違いばかり。

何しろモン族というラオスからタイ、ヴェトナムに住む山岳民族のタオは
立ってる時はいつもふらふらしてて、猫背で姿勢が悪く、下ばかり向いて
何もしゃべらず、卑屈そうに相手を見るからこっちまでイライラしてくる。
英語がわからず薄ら笑いしてるだけなら自分にも経験があるからわかるが、
タオはちゃんと英語が喋れて理解できるんだからもっと堂々としろよ!!

ま、そのタオをイーストウッドが鍛えることで「アメリカでの生き方」を
学んでいくのがひとつのテーマなんだろうけど。はっ、簡単にハメられた!?

「罪滅ぼし」という名の強制労働に来たタオに家の外装を直させたり
スズメバチの巣を撤去したりするうちに次第に打ち解けていく2人。
イタリア人の床屋との悪口合戦としか思えないような丁々発止の
やり取りを「男の会話」なんて言ってタオにもやらせてみたり、
それを元にアイリッシュの現場監督と会話して採用させたりと
スパイスの効いたブラックユーモア交じりのシーンが続く。

初めはタオを毛嫌いしていたコワルスキーも、まるで自分が
うまく関係を築けなかった息子との関係をやり直すかのように、
そして非常に厳格で民族意識の強かっ亡き父に育てられたために
「アメリカでの生き方」を学んでいないタオも少しずつ明るさを
取り戻していく。美人で明るいユアをデートに誘い、グラン・トリノを
貸してもらう約束をとりつけたタオはあんなに嬉しそうだったのに。

この物語は全編に渡ってずっと暗い影が落ち続けている。
まずはコワルスキーの健康状態がかなり悪く、劇中何度も吐血していること。
次にタオにまとわりつく従兄弟をはじめクズみたいなチンピラがいること。

大学の学費を稼ぐために働き始めたタオがタバコの火を押し付けられた日、
コワルスキーは仲間の一人をぶちのめす。二度とタオに手を出さないように。
けれどそれを見た視聴者は彼の息子たちのように思う。もう50年代じゃない…

案の定連中はタオの家にマシンガンをぶち込み、姉のスーを襲って乱暴する。
やればやり返される。自分のした事がこの結果を招いた事にコワルスキーは
苦悩を隠せない。タオも、コワルスキーを懺悔させたいと願う神父すらも
卑劣なやり方に怒りを隠せない中、コワルスキーは一人静かに考えてた。



私がイーストウッドを初めて見たのは西部劇ではなく「ダーティーハリー」
だったけれど、イーストウッドも本当に老いたねぇ。いや、むしろ監督作品で
評価を得ているのによくぞまだ出たという感じかな。監督業に勤しんでいる
レッドフォードもメル・ギブソンも滅多なことでは出演しなくなったのに。

イーストウッドの映画に感心するのは、いつも「素に近いアメリカ」を
描き出すことだ。きれいなシステムキッチン、パーティーで軽口を叩き
失業なんてどこ吹く風で「離婚?何それおいしいの?」という顔をした
カップルや夫婦ばかりではなく、多種多様な民族がいる病院の待合室や
変な植物を植えて芝生を手入れしない東洋人や、彼らがヴェトナム戦争の
落とし子であることなど、思わず「へぇ」と思うような部分まで描き出す。

クライマックス、彼が「死」へと向かっていくのは明らか。
朝鮮戦争で殺した敵兵たちを忘れられず、罪に苛まれながら生きてきた彼は、
病に冒され、傷つけられて怒りと哀しみに包まれているタオとスーのために
命を使い果たそうとする。遺言を残し、何度も訪れてくれた心優しい若造の
神父に初めて懺悔をする。妻以外の女性とキスをしたこと、ボートを売って
儲けたのに申告しなかったこと、息子との関係がうまく築けなかったこと…
けれどそこには「悪党どもを憎んだ」事も「ぶちのめす」事も入っていない。

レトリバーを隣家のばーさまに預け、やってきたタオを地下室に閉じ込め、
コワルスキーはチンピラどもの家に向かう。暗闇にたたずむ彼に気づいた
連中は銃を手に外に出てくる。おいおい、先に一人ずつ狙えばいいのに…
などとついつい往年のガンマンを期待してしまうのだけれど、彼はただ
タバコに火をつけようとしただけ。その時発射された弾丸は彼の胸を貫く。

タオが望んだ銃や暴力でもなく、神父が望んだ話し合いでもなく、
命を差し出すことでコワルスキーは連中との決着をつけたのだった。

あのままの彼なら恐らく最低限の親族だけしか来なかっただろう葬式には
東洋人の顔があふれかえっていた。そして遺産相続の席にはタオもおり、
ニヤつく孫娘ではなく視聴者の期待通りタオに譲られた「グラン・トリノ」

強いだけではもう通用しない。努力しなければ人との関係は築けない。
今はもうないアメリカへの哀悼と、「よく」変わっていくべきだという
イーストウッドから若い世代へのメッセージのようにも受け取れる作品。

いつもはガラガラなのに上映終了が近いせいかめちゃくちゃ混んでた映画館で、
両隣の人が時間差で大泣きし始めてビックリした。そ、そうか、泣くのか…
評価が非常に高いようだけど、私にはそこまで素晴らしいとは思えなかった。

いや、年老いてなお、「見知らぬ隣人」や新しい価値観を取り入れようとする
姿勢はすごいと思うけどね。やっぱトシ取るとなんでも慣れた環境でやりたいと
思うじゃん。やっぱタオかな。彼が全然魅力的に見えなかったのがネックかも。
関係を描く時間は十分費やしたと思うのに、どうも家族との関係を修復するより
赤の他人であるタオとの関係を優先したことにも納得がいかないのかも…


チェイサー5/27(水)

あ、後味悪ぅ…

なんという救いのなさだ!
いや、あそこでヨンミンが捕まったのはもちろんこれ以上の
犠牲者を増やさずに済むという意味では社会のためになる。

でもあの7歳の小さな女の子の母親は戻らない。
熱があるから行けないと言った女を無理やり行かせた男の後悔も先にたたない。
ほんの少しの遅れや、わずかな判断ミスが彼女の命を無残に散らしてしまった。

ああ、そこだよそこ!と視聴者が思わず身悶えする「志村後ろ後ろ」状態が
これでもかというほどつぎ込まれ、主人公はとにかく犯人の軌跡を追いかける。
ところがここがこの映画の面白いところで、私もへぇとびっくりしたのだが、

「犯人はかなり初めの頃に警察に捕まっている」

のである。えっ?どういうこと?と思うのは見ている我々も同じ。
ミジンを監禁して金槌で殴り、執事の朴さんを訪ねてきた老夫婦をも殺した
ヨンミンは、彼らの車を隠そうと道を走っていて事故に遭遇してしまう。
その事故の相手はなんとミジンを探していたジュンホその人だったのだ。

ああ、なんだ、これであっけなく解決?と思い、何十人も殺した韓国実在の
シリアルキラーの話と聞いてたが、なんだ、この程度(老夫婦の撲殺など)で
おしまいか?と思ったらところがどっこい、ここからが大変な道のりだった。

まずデリヘルの経営者であるジュンホはあくまでも元刑事なので逮捕権がない。
しかし逃げるヨンミンと格闘になったためやむなく殴り倒し、警察に連行する。
この時ヨンミンは当然容疑を否定しまくると思いきや「殺したよ」とペロッと
白状してしまう。不利な立場に追いやられるかと思ったジュンホは元の古巣に
戻り、そこで検察の取調べを受ける。逮捕権がない者が逮捕した場合、検察の
認可がないと釈放しなければならないのだそうだ。確かに日本でも現行犯に
限ってのみ逮捕権が認められているのでこの場合は我が国でも同様なのかも…

それにしても韓国の警察ってあんな感じなのか?
日本の警察も(実際はどうかは知らんが)捕まった時は非常に荒っぽくて不快とは聞くが、
韓国では暴力マンセー暴言マンセー捜査も基本は根性論みたいな(給料もチラつかせつつ)
一昔前の軍隊的雰囲気だ。どっちにしろ捜査方法も根本から間違ってたような…

警察に留められたヨンミンは手錠こそしているけど飄々として不敵。
一方ジュンホはヨンミンの体についた血液がミジンのものかどうかを
確かめるためミジンの家に髪の毛を取りに行き、そこで彼女の娘に出会う。

デリヘルの女たちが単にヨンミンに売り飛ばされたと信じていたジュンホも、
以前彼を客に取った女たちが一人を残して次々失踪していること、血まみれの
写真を送ってくる異常性を見せていたこと、妹の息子が彼と二人で留守番を
していた時、妹が戻ると頭から血を流して障害者となってしまっていた事から
ヤツが稀代のシリアルキラーであると確信していく。無論我々はそれをとうに
知っているので、警察やジュンホがヨンミンを真犯人と断じて捜査を開始すると
今度こそ!と力が入る。そして見事に空振る。本当に何度も空振るんだよぉ!

だってミジンの赤い車が置いてあるところから現場はほとんど離れてないのよ!
離れてないし、そこを拠点に何度も近づくのに、そのたびに病院へ駆け込んだり
警察本部へ連れ戻されたりでまるでそこに結界でもあるかのように近づけない。

しかも頭を殴られたものの命は取り留めたミジンが縄を切って脱走したのが
これまたむしろいけない。ここで「よかった、助かった」と思うじゃん!
ヨンミンが拘束されてれば大丈夫…って、本人開放!?ええ〜?とさらに
事態は最悪の方向へ向かう。逃げ出したミジンもどこでもいいからまずは
近くの民家に駆け込めばよかったのにわざわざ商店に駆け込むんだもんなぁ。
(せめて周りが皆留守だったという描写でも入れとけばよかったのに)
なんとなくいや〜な予感がする中、血まみれでヘトヘトになった彼女が
(おそらくは警察の次に)電話をかけたのはジュンホの携帯だった…

「私、この仕事やめる…」

何度も何度も何度も殴られ、遠ざかる意識の中で娘を思い浮かべるミジン。
彼女はこの後首を斬られてヨンミンの水槽オブジェとなってしまうのだけど、
血まみれの凄惨な現場に立ったジュンホが彼女が残した最期のメッセージを
聞くシーンがね…ああ、この人は取り返しのつかないことをしたんだなぁと…

暴力的でむくんだヒゲ面のしょーもないダメ親父ジュンホはキム・ジョンスク。
最初はそれこそ損害を取り戻そうと軽い気持ちでいただけなのに、娘の涙を見て
ミジンを真剣に助けようと動き、助けられなかった怒りをヨンミンにぶつける
ラストはなかなか凄まじいバイオレンスだった。ただ40歳にならんとする故か
全速力で走ったり10歳若い相手との殴り合いなどはかーなーりキツそうだった。

ハ・ジョンウはヨンミンという最初から最後までつかみどころのない気味の
悪い男…異常な暴力性と暴力によってのみ遂げられる性的快楽が結びついた
最も危険な殺人鬼を、コイツが画面に出るたびに気づくと眉根が寄っている
ような不快感で演じてくれた。あーもう夢に出そう。老夫婦を殺した時の
「手を焼かせやがって!」という豹変ぶりが意外にも一番怖かったりした。

薄幸の被害者ミジンを演じたのはあどけない感じがいいソ・ヨンヒ。
せっかく助かったのに…あの悲劇の結末はダメな人はダメかもね。
映画冒頭、撮影しようと二人で待ち構えてた変態親父と大喧嘩した30歳の年増
デリヘル嬢(彼女は殴られはしたものの結果的には殺されなかった分こちらの
客の方がよかった事になる)がにしおかすみこに似てて吹き出しそうになった。

韓国犯罪史上に残る殺人鬼は逮捕され、庭からはお宝ならぬ泥まみれの
死体が山ほど出てくる。人ももちろんだが犬が殺されたのもいただけん…
っていうか私、ヨンミンが壁一杯に書いていたあの絵から教会が結びついた
意味がちょっとよくわからなかったんだけど…あれはどういう意味だったんだ?

残された少女が眠る病室にズタボロの体でやってきたジュンホ。
真実を知った娘が一体どうなるのか、その時ジュンホはどうするのか。

映画はここで終わり、見終わった私にはなんとも苦い思いだけが残った…


天使と悪魔5/20(水)

とにかくひたすら後手後手過ぎる!!!

小説も読んだ「ダ・ヴィンチ・コード」で、白人社会がいかに精神の奥深くまで
キリスト教に支配されているかを思い知ったけど、こちらはそれ以上に宗教の
滑稽さを嘲笑うような大胆さがある。何しろ舞台がその10億人のカトリックを
支配する権威の象徴・カトリックの総本山ヴァチカンだもの。宗教そのものに
あまり興味がない日本人の私にはさっぱりわからんが、これはきっと倫理すら
自分自身ではなく宗教に委ねてしまう(それゆえに神さまに正直に告白すれば
なんでも免罪されてしまう)白人の皆さんにとってはすごいことなんだろう。

確か実際にはこちらの方が先に書かれた作品だったと思う。
映画ではなく小説の「ダ・ヴィンチ・コード」では、ソフィーがラングドンに
会って謎の解明を依頼する時、彼が以前「ヴァチカンで起きた事件を解決した」
人物だからと言っていたはず。そしてそれによって微妙な立場にいることも。
だからおそらく映画は逆になっていて、ヴァチカンの方が「あの事件」で
名を挙げた彼に解決を依頼するという形をとっている。

ヴァチカンで現職にある法王が崩御した頃、科学者であるヴィットリアたちは
反物質を作り出す事に成功していた。しかしそれは何者かに盗まれてしまい、
同時にヴァチカンでは根比べ…ならぬコンクラーヴェを前に、次代の法王候補
である4人の枢機卿が誘拐される。彼らを誘拐したのは秘密結社「イルミナティ」

とにかく時間がない映画だった。
朝5時にハーバード大学で時差ぼけ解消のためにプールで泳いでたラングドンが
ヴァチカン警察に要請されてローマ入りするのが既に18時近いんだよね。
しかも犯人は4人の枢機卿を20時から一時間ごとに1人ずつ公開処刑に処し、
最後には反物質を爆発させてヴァチカンを光に包むと脅迫してくる。
すなわち残り時間はわずか4時間だ。全然猶予ね〜!!!

ラングドンの仕事はイルミナティの望むこと…すなわち彼ら「科学者」が
かつて科学を異端視し、弾圧したヴァチカンから受けた仕打ちをそのまま
返そうとしている「復讐」の方法を暴き、枢機卿たちが処刑されようと
している場所と反物質が仕掛けられた場所を探り当てること。

だからさー、悠長に話し合ってる姿を見てると「おい、時間ねーぞ?」と
こっちが気が気じゃない。時間って、早く過ぎてほしい時は全然進まなくて
「ちょっと待ってよ〜」と思う時はこれ絶対ワープしてるだろと思うくらい
早く過ぎるもんね。あんなに警備が厳重で機密や酸素量まで管理されてる
ヴァチカンのアーカイヴに降りてくだけで1時間くらいかかっちゃいそだ。

もう途中で「きみら枢機卿の命を助けようと思ってねーべ?」と思ったよ。

特に最初の「土の教会」はパンテオンと間違えたせいもあって時間がかかり、
1人目の枢機卿はすっかりネズミちゃんの餌になっていた…ああ、気の毒に。
次の枢機卿が殺された場所はパーパの死を悼み、次期法王を待つカトリックが
集まっているサン・ピエトロ。「空気」を示す西風の彫刻のそばで枢機卿は
肺に穴を開けられ、絶命してしまう。人工呼吸したら肺から血がピューって…

火の教会は聖テレサがらみということで比較的早くわかったのだけれど、
早すぎて犯人が残っていたために火炙りにされた枢機卿だけでなく、
なんとヴァチカン警察のオリヴェッティが死んじゃったので驚いた。
早っ!なんか重要人物か好漢っぽかったのに早いだろー死ぬの!
ラングドンは銃撃戦の中を這いずり回ってカタコンベに避難し、火事を回避。
まぁ多くの教会のつくりを「知ってた」ってオチなんだろうが運がよ過ぎる。

そして最後はベルニーニがらみならやっぱナヴォナじゃねーかと思ってたら
まさにナヴォナ広場だった。私も四大河の噴水はダイナミックで大好きだ。
昼も見たけど、ライトアップされた夜ものこのこ見に行ったくらいだよ。

そこで一緒に連れてきてくれた警官が殺され、最後の枢機卿が噴水にドボン。
演出のためとはいえなかなか彼を助けられないここはイライラしたなぁ。

なんとか最後の殺人は阻止したものの、反物質を見つけないとヴァチカンは
吹っ飛んでしまう。枢機卿が捕らえられた場所に向かったラングドンたちは
そこで殺人者の正体を知る。パソコンでどこかから金が振り込まれた事を
確認してたり、殺しの手口が容赦なかったりとなんだか変だと思ってたら
彼は世界中の宗教家から暗殺を依頼されているまさに「アサシン」だった。

でも仮にもプロの彼があんな迂闊な死に方するとは思えんなぁ…
あそこはテキトーなヤツに鍵を回させて逃げ延びるくらいのしたたかさが
欲しかった。狂信を皮肉るにはうってつけの宗教テロリストだと思うのに。

犯人はイルミナティではないと暗示されると、物語はここから別の方向へ
大きなカーブを描いていく。今最も危険なのはカメルレンゴだと判断した
ラングドンたちは、そこで焼印を押されたカメルレンゴとスイスガードの
隊長リヒターが向かい合っている図だった。このシーン、暗くていまいち
わかりづらかったんだけどそれも演出。やけに全てがうまく行き過ぎだと
思ったらそれは間違いじゃなかった。ってかサン・ピエトロ広場の人たち
くらいはせめて寺院の中にでも避難させてよ!そりゃないよ!死ぬよあれ!

正直、カメルレンゴが実は本当にイルミナティの長だった…という結末の方が
面白かった気がする。つまりあの派手なパフォーマンスをして見せることで、
枢機卿でもない彼が「歓喜の声」で教皇の座に就くことこそがイルミナティの
最大の復讐であり勝利だったと。なんか空軍に志願したような進歩的な考えを
持っていそうなカメルレンゴが一番ガチガチの狂信者だったとは…う〜む。

ダ・ヴィンチ・コードと違ってこちらは随分原作を改変しているらしいので
原作を読んでみないと物語の本当の結末そのものはなんとも言えないけど、
ラングドン教授の冒険譚としてはやっぱダ・ヴィンチの方が面白かったかな?


スラムドッグ$ミリオネア5/15(金)

4:運命だった

スラム出身の無学な若者が、視聴者参加クイズ番組「コウン・バネーガー・
カロールパティ」、日本で言うところの「クイズ・ミリオネア」に出演し、
次々と問題に正解していき、ついに最終問題まで勝ち進む…

はじめ、このボリウッド映画が世界中でヒットし、アカデミー賞を総なめに
したと聞いて、クイズ番組を勝ち進んでいく物語を一体どう映画化したのか
まったく不明だった。無一文から勝ち進んでいくという主人公の姿は確かに
カタルシスがあるかもしれないが、そんな内容で2時間ももつんだろうかとか
途中でクイズと関係ない陰謀ものやクライムものになるんだろうかとか…

そもそも以前見たクイズ番組の不正を暴く「クイズ・ショウ」はさして面白い
映画ではなかったので、面白いと評判でも一体どこが面白いんだろうと余計に
不思議だった。それはもちろん鑑賞したことではっきりわかったのだけど。

テーマがTVのクイズ番組なら冒頭は当然番組で回答する主人公が映ると思う。
けれどこの映画は主人公らしき若者がガラの悪い男に手酷い拷問を受けている
シーンから始まる。バケツに張った水に顔をつけられたりいきなり殴られたり…

はて?これは主人公だろうけど、誰かに脅されてクイズ番組に出るという
設定なのだろうか…そう思って見ていると、その拷問している男たちは
どうやら警察の人間であることがわかる。しかもセリフから推測すると
超難問が続くあのクイズ番組で、無学な主人公ジャマールが最終問題まで
全問正解できるわけがない、従って不正を働いていたに違いないという
めちゃめちゃな容疑をかけられていることが浮き上がってくるのである。

もうこのへんまで来ると、確かにこの映画は一筋縄でいくような
単純明快なサクセスストーリーではないのだなとわかってくる。
電流を流され、気絶してもジャマールは呟く。不正ではない。

「答えを知っていた」 と。

物語は時間を遡り、携帯電話会社で「アシスタント」という名の
お茶汲み係、ジャマールが一問目に挑戦するシーンから始まる。

ヒンドゥ神のラーマが手に持つものは何か…
リボルバーを発明したのは誰か…
100ドル札には誰の肖像画が描かれているか…
クリケットでセンチュリーを決めたのは…
神にささげる歌の作詞者の名前は…

こうした数々の問題を全て正解するジャマール。
彼は確かに全ての答えを知っていた。

それは「問題を知っている」ことによる知識ではなく、厳しい環境の中で
彼自身が見たものであり聞いたもの。だから「答えを知っている」のだ。

スラムのイスラム居住地がヒンディに襲撃され母が撲殺された時、
逃げ惑う彼の眼に映ったのは体を青く塗ったラーマの扮装をした子。
その時そこに本当にそんな子供がいたのかはわからない。それはこの際
問題ではない。彼は見たのだ。その子の右手には弓と矢があったことを。

街の半分を牛耳るママンは孤児をさらっては物乞いをさせて稼ぐ悪党だった。
彼は歌のうまい子を選び、眼を潰す。盲目の歌手なら倍稼げるからだ。
兄と共にママンの元を逃げ出したジャマールはムンバイに戻り、そこで
眼を潰されて歌っている昔の仲間に出会う。ニューデリーで外国の観光客から
稼いだ100ドル札を彼に渡すと、「誰の絵が描いてあるんだい?」と聞かれる。
だから彼は見たことすらない1000ルピーの絵がガンジーとは知らなくても、
100ドル札にはベンジャミン・フランクリンが描かれていると「知っている」

取調べで語られていくまだ若い彼のクロニクルは悲惨な思い出ばかり。
それでも母、兄、そしてラティカと過ごした日々が生き生きと蘇る。
兄のサリームはジャマールより悪賢く度胸もある。悪に傾けばその道を
突っ走る鉄砲玉だ。乱暴者で心優しい弟のジャマールを何度も裏切って
傷つけながら、それでもいざという時だけは必ず兄として弟を守るのだ。

ジャマールがこの番組に出たのは兄の意地悪によって何度も引き離され、
さらにママン亡き後街を牛耳る乱暴なギャングに囚われているラティカに
自分の存在を示すため。1億人が見ている人気番組に出ればきっと彼女の眼に
自分がとまる。自分は元気だと、ここにいると伝えることができるからだ。

だから彼にとって金額は問題ではない。長く映ればラティカが彼を見つける
確率が高くなる。そして出される問題が全て、彼がこれまでの経験で答えを
「知っている」問題ばかりだったという、ただそれだけのことなのだ。

警部はどうしても信じがたいと思いつつ、ジャマールが嘘を言っているとも
思えなくなっている。彼は愚鈍ではないが、実直で純朴で常に真摯だった。
ママンが非道な行いをしていたこと、サリームがそのママンを殺したこと、
そうした告白も彼にとっては隠すべきことではない。それが真実だからだ。

彼の逮捕は番組司会者のみのもんた…ではなく、クマールが仕組んだこと。
嘘の答えを教えたのに正解し、あと一問でミリオネアになるジャマールを
いまいましく思い、証拠もないのにこれは不正だと警察に訴えたのである。

番組に出て次々正解し、勝ち進んでいくジャマールをラティカもサリームも
見ていた。二度と会えない優しいジャマールを想い続けるラティカを見て、
サリームはついに彼女を逃がす。あいつはきっとやり遂げる…幸せになれ。

サリームはママンの元から逃げる時、わざと反りの合わなかったラティカの
手を離し、売春窟でママンを殺した後も助け出したラティカをジャマールから
奪ってボスへの貢ぎ物にした。そして逃げようとした彼女の頬に傷までつけた。

こいつがハナからラティカとジャマールの邪魔をしさえしなければ
こんなにこじれることもなかったという性根が悪いヤツなんだけど、
眼を潰されるジャマールを見殺しにはできず、最後はジャマールのために
ラティカを行かせ、札風呂に浸かってボスに殺される兄貴ぶりを見せた。
あんた、改心するのが遅過ぎるんだよ…でもしないよりマシだったけどさ…

最後の問題は「三銃士の3人目は誰か」という簡単すぎる問題。
けれど三銃士を読み通したことがないジャマールにはわからない。
アトス、ポルトス、そしてもう1人…ラティカを3人目にするつもりだった。
その幼い日の記憶を思い返してジャマールがふっと笑うのがいいんだよ。

選んだライフラインは電話。
サリームにかけたのに、繋がったのは彼から電話をもらったラティカ。
まず「どこにいる?」と聞いてしまうあたりがジャマールの無欲さを示す。
当然彼女が答えを知ってるのかと思いきや「知らないわ」と笑ったのには
こっちがビックリだ。そしていよいよ彼が選んだ回答は…

インドという国は海外旅行好きな私の中でも強烈な印象を持つ国だ。
観光客、しかもそれがパッケージツアーで回るとなるとほとんどの国の
本当の姿なんて見えるわけがない。表面だけサラッと流しておしまいだ。

それでもインドは強烈だ。あれほど人が多く、あれほど汚く、あれほど
ぼったくられ、あれほど貧富の差が激しく、あれほど技術水準が違い、
あれほど国民間の意識が隔たっている国もそうは多くないんじゃないか。

今日本のホームレスたちが、あんな風に掘っ立て小屋を立てたり線路脇に
洗濯物を干したり川で洗い物をしたりゴミ捨て場に入り込んだりしようと
思っても難しいと思う。私が子供の頃はまだ一部で戦後建ったバラック村や
ルンペンたちのコミュニティが残っていたが、今はもうそれをやりたくても
難しいだろう。せいぜい河川敷にダンボールハウスを作るのが関の山だし。

その倫理観が戦後の完全に焼け野原だった日本をきれいにしてきたのだが、
インドにそれはない。とにかくあの国はすごい。1億人が見てる番組と聞くと
すごいなぁ、日本の人口と同じかと思うだろうが、視聴率は10%もないのだ。
スケールが違う。価値観も違う。倫理観は雲泥だ。けれど天才も山ほどいる。

そんな国を舞台にこんな映画を撮ったダニー・ボイル。この人は侮れない。


劇場版 超・仮面ライダー電王&ディケイドNEOジェネレーションズ 鬼ヶ島の戦艦5/13(水)


電王ターミナル
(2009/5/17記)
ジェネラル・ルージュの凱旋3/25(水)

「チーム・バチスタの栄光」の続編。
どのへんが「凱旋」なんだろうと思ってたら「左遷」だったという…
(もちろん本人は嫁さんゲットして喜んで行ったんだろうとは思うけど)

今回はバチスタ事件解決の手腕を買われ、院内の倫理委員会委員長に
抜擢された田口の元に、救急救命センター長速水が医療メーカーと
癒着しており、師長も共犯と告発する手紙が届くところから始まる。

もちろんいつも通りやる気のない田口によるゆるゆる調査が開始。
あっちへフラフラこっちへフラフラするもののてんで収穫はなく、
贈収賄に敏感になり過ぎてメーカーの営業マンが作ってくれた
ソフトの試合写真を焼いたCD-Rにまで過剰反応する始末。

謎解きがメインだった「バチスタ」と違い、今回は救急救命センターが
抱える医療の矛盾や採算性との折り合い、何よりその過酷な医療現場が
生み出したモンスター「ジェネラル・ルージュ」への敵意や反発など、
病院内の派閥争いのような政治的問題がメインといってもいいかも。

「バチスタ」がそうだったように、こちらも白鳥が投入されると一気に
物語が進み始める。でも今回は白鳥の活躍はあまりなくて、笑いどころは
押さえていたけどどうも無理に見せ場を作ってるように感じてしまったよ。

相変わらずニヤニヤニヤニヤ笑ってるか陰険そうに睨むかのどちらかの
顔しかない堺雅人は、実は誰よりも崩壊しかける医療現場を愁いており、
はやる気持ちが「病院」というシステムを飛び越えてしまいがちなので
敵が多い。1時間全力で心臓マッサージをする自分と、のんびりお茶を
飲みながら患者の愚痴を聞いている田口の報酬が同じだとせせら笑い、
贈収賄の事を尋ねれば「癒着している」と堂々と答える厚顔ぶり。

殺人事件や癒着事件の解決は結構面白かった(映画オリジナルが多いらしい)んだけど、
高速道路火災による救急救命シーンは今、病院ってそこまでやるのかなぁ…と
ちょっと胡散臭く思ってしまった。どんだけ私は医療不信なんだっつー話だよ。
トリアージで黄色と判断された患者が早く診てもらおうとしてタグの色部分を
破いてたけど、1度剥がしたらもう貼れないシール式(意識のない赤の人から
こっそりシールを奪い取る人がいないとも限らないので)にした方が確実かも。

今回はジェネラル・ルージュの活躍が主なのでどうしても田口や白鳥の影が
薄くなってしまったのと、忙しなく最も必要とされながら最も矛盾をはらむ
救急救命を通して医療崩壊を盛り込んだせいなのかちょっとバラバラな印象。
収賄の証拠と言われて「チュッパチャプスだな」と読めてしまったけれど、
最後に師長とくっつくのはちと意外。割れ鍋に綴じ蓋優秀同士お似合いだけど。

前作でも思ったけど、田口が女性である必要はやっぱりないよねぇ。
犯人の林泰文もやけに薄気味悪くてそれはそれでよかったんじゃないかな。
2作目となるともうキャラがつかめてるので演じやすくなる事はわかるけど、
実は役を掴もうと必死になってる初期の模索ぶりが新鮮でよかったりする。
どうしても続編は演技がルーティン的になってしまうのが残念なんだよねぇ。

人手不足のため緊急出動がかかった栄光のバチスタ・チームがラストに
チラッと友情出演?してたのはなんとなく懐かしくてニヤリとしたよ。


チェンジリング3/25(水)

いなくなった我が子が戻ったと聞いて会いに行ったら全くの別人だった…

かつてアメリカで実際に起きた不可思議な事件を映画化したとしか
思っていなかったので、まさかその後逆らった者を有無を言わさず
精神病院送りにする警察の腐敗した体制、その精神病院での警察に
逆らった女性たちに対する非人道的な扱い、なおかつさらわれた
子供たちが性的倒錯者ゴードン・ノースコットによって殺害された
「ウィネビラ養鶏場殺人事件」という陰惨な事件に発展するとは知らず、
見ている最中「え?マジ?」と「いい意味で」裏切られていった作品だ。

実は自分の子とは全く別人を「あなたの子だ」と警察に押し付けられた
女性が本当の子を見つけ出すまでの苦闘を描いてるんだと思ってたので、
むしろそんな陳腐でお粗末な話じゃなくてホントによかったと思ったよ。

クラシック・カーやトロリーバス、1920年代30年代のレトロで素敵な服や帽子。
女性は貞節で上品な言葉遣いをし、間違っても「ファック!」なんて言わない。
でもこの時代の流行なのか真っ赤なルージュは綺麗なんだけど、アンジェリーナ
ジョリーのあの分厚いタラコ唇にはどんだけ厚塗りしたんだかと気になったよ。

自分の子ではないと主張する彼女の言葉が全く聞き入れられず、証拠を出しても
覆されていく事にイライラしっぱなし。全てにおいて誤魔化せるはずがないのに
身長が縮んだら致命傷じゃないか!そもそもなんで警察もバレないと思うんだ!

大体なんなんだよあのガキは!
ウソついてのうのうと他人の家で暮らすなんてどこまで肝が据わってるやら。

腐敗した警察を告発し続ける牧師、息子の歯の治療をした歯科医、担任の教師が
彼女の味方になってくれて事態が好転しそうになった途端、怒り狂った警部は
クリスティンを精神病院に送り込む。ホント、あの牧師がいなければ彼女は
そこで永遠に精神と身体を蝕まれながら生き続けなければならなかったかも
しれない。大きな問題を抱えてる時は何でも1人でやろうとしちゃいけないね。

精神病院で出会った同じ「コード12」の女性は娼婦だった。
ただでさえ娼婦は我々が思う以上に蔑まれるのに、この時代ならなおの事。
けれど地獄のような病院でただ1人味方をしてくれた彼女のため、退院した
クリスティンは警察を相手に訴訟を起こし、精神病院から女性たちを解放。

この時代にシングル・マザーであり職業婦人であったクリスティンは
非常に理性的で知的な女性で、感情的に泣き喚く事もほとんどなく、
物事を冷静に分析し、落ち着いた語り口調を崩さず、ノースコットからも
「あの人だけは俺の悪口をマスコミに言わなかった」と讃えられるほど。
そんな気丈で毅然とした態度は非常に清清しく、だからこそ痛々しい。

それに引き換えノースコットの絞首刑シーンの無様さときたら。
結局のらりくらりと真実を語ることはなかったこの連続殺人犯が
少年たちの必死の命乞いをどれだけ無視したかと思うと怖気がする。
何が地獄に行きたくないだ。地獄行きのキップしかないに決まっとるわ。

アメリカは遺族が加害者の死刑執行を見ることができる場合が多くていい。
(「デッドマン・ウォーキング」でも被害者遺族が死刑を見てたっけね)
遺族の心の傷は埋まらなくとも、お金と犯人の死は実際の慰めになるよ。

たくさんの少年たちがさらわれて殺された事件に巻き込まれ、ウォルターは
ついに母の元に戻る事はなかった。けれど映画は生還者デヴィッドの口を通じ、
ウォルターが金網に引っかかってしまった彼を勇敢にも救いに戻り、そのまま
彼とは違う闇の中へと逃げて行ったと言わせて「生存の可能性」を残した。

それはほんの小さな救いだけど、どんな時も諦めず、気丈で強く、死ぬまで
息子の生存を信じ続けた母クリスティンへの監督からの敬意だと思ったよ。


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