映画感想 2009 旧作 6月分
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 2009  6

ノーマ・レイ6/30(火)

以前見た「スタンド・アップ」よりも前、黒人の権利が認められなかったように
労働者の権利も認められず、安い時給で奴隷のように働かされるブルーカラーの
ノーマ・レイは才女でもなく、品行方正でもない。男を見ればすぐ寄りかかり、
二人の子を抱えたシングル・マザーで、未だに父親の世話になっている。

そんなノーマがNYから組合のオルグにやってきたルーベンと出会い、
労働者の労働条件と地位向上のため組合結成を目指す熱心な活動ぶりに
感化されて次第に変わっていく姿を描いたアドヴァンス・ムービー。

もっとバリバリの労働闘争ものかと思ってたけど、初っ端はひたすらノーマの
男にだらしない生活が描かれるので、いつになったらドラマが始まるんだと
思ってしまった。工場の悲惨さもまぁ紡績工場なので環境は決してよくはないと
思うけど、どれだけ劣悪な環境でどんな分刻みのスケジュールで働いてるのか
示されるかと思ったのに、正直そのへんはあまり描かれたとはいえないと思う。
(「スタンド・アップ」の方が嫌悪感を感じるようなシーンは多かった)

そもそも働きバチの日本人から見たらサービス残業はどんだけしてんだとか、
片道2時間アタリマエの上に殺人的な地獄の通勤電車がないじゃないかとか、
実際に工場で働いてる方が見たらクレームつけそう。まぁ時給1ドル33ってのは
1ドル360円時代でも目ん玉飛び出るほど安いけども(その分物価は安そうだが)

中盤は組合活動にのめりこんでいくノーマと夫との確執や、会社の迫害を
恐れて仲間が減ってしまったりというまさに「労働もの」になっていく。
しかし最初はただの変なヤツとして出てきたソニーがすごくいいヤツなので
ノーマはいくら忙しくてもイライラしても彼にはもっと感謝すべきだと思う。
優しくて理解があって子供の世話もしてくれるあんないい旦那はいないよ!

一方ルーベンはインテリで穏やか、しかし決して折れない不屈の精神を持つ
強くて優しい男として、これまで男といえばセックスの対象としか見た事が
なかったノーマに世界を開かせ、ものを考えさせ、選択して決めるという
自立した人間ならば当たり前の行動へと導いてくれる。二人の間に最後まで
恋愛感情はなく、アメリカ映画にはよくあるはずみで寝てしまったという
アホな事もなく、あくまでも精神で繋がる「同志」だったこともよかった。

「アメリカ人が選ぶ感動の映画100」で「ノーマ・レイ」が比較的上位に
ランクインされ、しかも絶賛されていたのはノーマが掲げたダンボールの
「UNION」の文字を見て一台、また一台と仲間が紡績機を止めていくシーン。
確かにここはクライマックスなんだけど、この後ノーマは保安官に
連行され、ブタ箱入りになってしまうという現実にはなんとも…

ラストはクビになったノーマは参加できなかったけれど、賛成票が
反対票を上回り、ついに工場には組合が設置されることになった。
300人以上が反対という逆風の中での船出で、主人公は結果として
失業というラストではあるけど、彼らには大きな勝利なんだろう。

私自身、組合活動は面倒なことが多いのでついつい敬遠しがちだけど、
労働者としての自分自身を守るためには本当は協力しなきゃいかんな。

(2009/6/29 放映)
敦煌6/29(月)

実際に敦煌に行く前に見たかったのだが約2年の月日を経てようやく視聴。
壁の中から大量に出てきた巻物や絵画の数々から構想を膨らませた作品が
井上靖先生の「敦煌」であり、それを元に日本の撮影隊が敦煌でロケをした
映画が「敦煌」です、とガイドさんが説明してくれた。敦煌へは砂漠の一本道
(数km先に関所のような場所があり、そこでチケットを見せなければならない)
を行くのだが、入り口のあたりにロケに使った城が今も大切に保存されている。

敦煌のガイドさんは、日本人相手のリップサービスもあるとは思うが、
日本の撮影隊が来てくれたおかげで町に金が入り、さらに政府からも文化遺産の
保護のための予算が出たため、さびれかけたオアシス都市から観光都市として
蘇ったことを敦煌市民はとても感謝していると言っていた。

映画の最後にも大滝秀治の淡々としたナレーションが流れたが、せっかく
行徳が隠した文化遺産の数々は、発見と同時に持ち去られ、世界各国に
散ってしまった。日本も例外ではないのだが、反面、長年むき出しだった
莫高窟の入り口に扉をつけられたのは日本の援助のおかげだそうである。

公開当時はかなり派手な宣伝がなされていた作品で、その頃NHKで放映された
「シルクロード」でも中国西域という未知の世界が我々を魅了したものだ。
1988年頃にはまだまだ中国は個人ではなかなか行けなかったし、ツアーもかなり
制限されていた。何しろ兌換券という外人向け紙幣が使われていた時代である。

それをわざわざ現地ロケをしてまで撮ったのだから日本人はお大尽である。
物語は科挙の試験に落ちた行徳という若者が、街で西夏から来た女を救い、
西夏文字を目にしたことから始まる。行徳は西夏に向かう途中、朱王礼という
漢人でありながら西夏の外人部隊を率いる傭兵に捕えられて軍に組み込まれる。
しかし才を見込まれて西夏の文字を習うため西夏に派遣されることとなるが、
その頃彼には恋人となっていた戦場で助けたウィグルの王の娘がいた…

大作といえば聞こえはいいけど、ちょっと長い。
王礼との出会いや戦が序盤、ツルピアとの恋や西夏での日々、李元昊の妻と
なる事を嫌ったツルピアの死までが中盤、そして敦煌防衛戦が終盤かな。

特に行徳のキャラがかなり地味なのであまり感情移入ができない。
ツルピアとの恋も吊橋効果かストックホルム症候群かと思えるようなお粗末さ。
何しろあとでツルピアを奪われ、しかも死に追いやった李元昊を恨んで復讐を
誓う王礼から「何かに命を賭ける事があるのか」と聞かれても、彼女の事など
忘れたように「いつも目の前のことに必死で考えたことがない」とか言うし。

まだまだ若かった西田敏行が痩せてて機敏でシビアでいながら情に厚い王礼を
キビキビと演じている。まぁツルピアに惚れたというのは「おまえもかい!」
と思ったけど、3年も彼女をかくまってたらそういう事にもなるのかも…
それに宝玉を彼女から奪ったというのも本当は嘘で、実際は愛の証にと
もらったのかもしれない。ツルピアと行徳が会話する機会がないままに
自殺しちゃったからこのへんはぼかされてよくわからないんだよね。

むしろ主役の佐藤浩市の地味さは、今の年を経て更にエキセントリックさに
磨きがかかった彼を見ると若い人は戸惑うかもしれん。(佐藤浩市って若い頃は
「演技力はあるけどどうにもパッとしない」地味〜な俳優だった印象があるんだよね)

早送りはせずに見られたけど、それは私が訪れた敦煌に興味があるからで
そうでなければ厭きちゃったかも。種類としては去年見た「墨攻」という
映画に似てる感じがする。セットや演出、話だってキャラだって別に特段
悪くはないのに、なんとなく地味、どうもいまひとつ…と思わせるという。

ロプノール湖、楼蘭のミイラ、新疆ウィグル自治区…私は10年前に行きそびれ、
仕方がないのでこの地域を飛び越えてウズベキスタンまで行ってしまったが、
一昨年にようやく夢がかなって西安までで止まっていたマイ・シルクロードを
敦煌からカシュガルまで伸ばすことができた。(こうなったらいっそ全部繋げてみたいものだ。)

あと冒頭、どう聞いても小林清志の声にしか聞こえない声だったので調べたら
本当にご本人が出演しててビックリ。あと途中で勝生真沙子っぽい声だなーと
思ったのも本人らしい。あれだよね、巻物を運び出そうとして殴られた女官。

(2009/6/27 放映)
パンズ・ラビリンス6/27(土)

第二次大戦末期の1944年、長い内戦がようやく収まったスペインでは
独裁者フランコの命による残党ゲリラ狩りが盛んに行われていた。

内戦で仕立て屋の父を失ったオフィリアは、臨月の母についてゲリラ掃討
キャンプへとやってきた。そこは食料も豊かで使用人を使い、綺麗な靴や
洋服が着られる暮らしだったが、母が再婚した大尉はひどく冷酷な男で、
自分の息子以外は必要とせず、オフィリアなど全く不要の存在だった。

現実から逃避し、物語に没頭するオフィリアは森からやってきた
不気味な虫を「妖精」と呼び、やがて森の中の迷宮へと迷い込む。
そこで出会ったのはヤギの足と角を持つ牧神パン。
彼はオフィリアを記憶を失ったかつての地底の国の王女であると告げ、
三つの試練を乗り越える事で王国への帰還が許されるのだという。

妖精が非常にでっかい不気味な虫というあたりからして異色だが(途中で
オフィリアがレクチャーし、妖精らしい姿に変化するのだけれど)冒険を
繰り広げようとすれば、泥だらけの穴の中に四つ這いで泥まみれになって
入っていかなければならなかったり、人食いの化け物の館でお約束を破り、
手のひらに目玉があるこの化け物に追いかけられるのがおっかなかったり、
とにかく全編通じてダーク系。というか欧米のファンタジーって日本人が
考える「花や木が喋る愚かな世界」より実はずっとダークでブルーだよね。

魔法の石を飲み込んだカエルが内臓を全部吐き出しちゃうとか(しかもネバネバ)、
人食いが手のひらに目を入れて手のひらを開いて見るとか、ファンタジーも
結構グロい。妖精がバクリと食われるシーンも残酷極まりなかったしなぁ。

そしてこの映画の特色はなんといってもそんなファンタジーの裏で起きる
現実での出来事があまりにも悲惨で凄絶、怒りや哀しみに満ちていること。
病気の娘に食べさせるウサギを狩りに来た農夫たちは、息子の方は顔面を
潰れるまで殴られ、抗議した父親は撃ち殺されるという悲劇に見舞われる。

オフィリアは力のある大尉の元にやって来て不幸ではあっただろうけど、
あくまでも権力を振るう側だし、物資も豊かで飢える事はなかったはず。
もっと貧しくてこうした弾圧にさらされていた家庭の子はもっと怖くて
不安で不幸だったろうなぁ。子供が安心して育てない環境はいつの世でも
どんな境遇でもダメなんだろうけど。

それにしても見てる間中、もっとひどい事が起きるんじゃないか、
もっと残酷な事が起きるんじゃないかとヒヤヒヤして不安だった。
見終わった今となってはまぁ許容の範囲内だったけど、それでもねぇ。

流産の危険性が高い母のベッドの下に、パンからもらったマンドラゴラの
根を置いて魔法(ミルクに浸し、毎朝血液を2滴垂らす)で体調を戻していたのに
大尉に見つかってしまい、結果母は弟を産むと同時に命を落としてしまう。
また捕まって拷問を受けたゲリラの命を絶った医師も大尉に撃ち殺される。

非道な大尉を許せないゲリラがキャンプを襲撃してきた夜、弟を連れて迷宮に
向かったオフィリアは、無垢なる赤ん坊の血を垂らせとパンに迫られるが拒む。
けれどそれは幻想の王国の王女になる事をも拒む事なのだ…パンが消えた時、
後ろには歩く現実が近づいてきていた。大尉は息子を受け取ると、無情にも
オフィリアに銃を向ける…そしてそれが冒頭のシーンへと繋がっていく。

女の子が冒険を繰り広げるファンタジーという点では「ライラの冒険」が
あるけれど、物語の質も異形の者たちの姿も到底比べられるレベルではない。
コアなファンがいるのも頷けるし、見たいと思った事に間違いはなかった。

救いは侍女頭で弟が所属するゲリラに密かに協力していたメルセデスが
賢明で勇敢で優しく、一人残されるオフィリアの事をも気遣ってくれた事。
彼女に息子を渡しながら大尉が「いつか息子に伝えてくれ…父が死んだ時間を」
と言いかけた瞬間、「名前すら教えないわ!」と吐き捨てたのはカタルシス。
オフィリアが血を流し、最期の時を迎える瞬間もメルセデスは傍らで優しく
子守唄を歌ってくれる。その歌に送られて安らかに召されていくオフィリア。

哀しいラストではあるのだが、最後に慰めがある。
豪華絢爛な扉を開いたオフィリアは立派な玉座に座る王と王妃に迎えられる。
実は王女の最後の試練とは、無垢なる者に代わり自分自身が血を流す事だった。

その後父王の跡を継ぎ、王女は賢さと優しさで永く永く世を治めたという。
辛い時代に恐怖や不安を感じながら死んでいった子供は皆、見えない王国の
王子であり王女だったと思わせるような、虚しいけれど優しい救いを感じたよ。

(2009/6/25 放映)
たそがれ清兵衛6/26(金)

派手なアクション時代劇ではないし、事件が矢継ぎ早に起きるわけでもない。
むしろ幕末の下級武士が安い碌で病気の女房、二人の娘、老いて呆けた母を
抱えて日々奮闘する淡々とした物語が続くのだけど、そこは山田洋次らしく
実に丁寧に描かれている。まさしくサラリーマンの武士、下級武士とはいえ
きちんと御付がいる(とはいえやや頭が足りない上に食い扶持も増える)し、
夜道の暗さ、食事の作法、寺子屋の光景など細かい演出がとても面白かった。

主人公は幼い娘と母の世話のため同僚の付き合いを断り、終業と同時に
足早に帰っていくため意地悪な同僚から笑われている「たそがれ清兵衛」
男やもめ生活ではなりふりかまっていられないため、風呂にも入れず
着物も洗えず、そのあまりの臭さに殿までもが苦言を呈する始末。

朴訥で心優しく義に厚く、剣の腕は超一流という清兵衛を演じるは真田広之。
一方不幸な結婚によって苦労した幼馴染のヒロイン朋江は宮沢りえ。

出戻りの朋江は清兵衛の娘たちの心をつかみ、家の手伝いに足しげく通う。
でもホント、朋江にはこの手の女にありがちなミエミエのいやらしさがない。
清兵衛が金持ちとか地位が高いとか若いイケメンではないからかな?
朋江の気持ちがわかっているようでいて一方で測りかねている清兵衛と、
清兵衛が望んでくれるならすぐにでも嫁いで世話をしたいと願う朋江は
なんとも微妙な間隔を保ち、歯がゆいながらもこの距離感が心地いい。

朋江の元夫で、地位は高いが酒乱の上にDV男の甲田を清兵衛が木刀だけで
叩きのめした時は格好よかったなぁ。妹を巡る果たし合いを買って出て
くれた友達を守らんと立ち向かったへっぴり腰の飯沼もいいヤツだった。

しかしこの時密かに評判になってしまった清兵衛の腕は難問を抱える事に。
主君の死で家老が交替し、前家老の息のかかった忠臣はなんだかんだと
理由をつけて切腹を申し付けられていく。そんな混乱の中、以前甲田との
果たし合いの後に清兵衛の顔を見がてら手合わせを願いに来た余吾もまた、
前家老サイドと見なされて切腹を申しつかる。見込んだ上司に忠誠を誓い、
働いてきた結果がいきなりの切腹命令じゃそりゃキレもするよね…

清兵衛は余吾を討つため支度を整える準備を手伝ってもらうため、
理由を何も言わずに朋江を呼びに行かせる。そして不器用な求婚。
この告白は思い残すことのないようにという意味と、今日の明日で
獣にはなれないけれど、帰りたい場所、再び会いたい人がいれば、
必ず帰るという「生への執念」になるかもしれないと考えたのかな。

ホント、よくできてる時代劇だと思った。
不思議なんだけど、時代劇とはいえあと10年もしないうちに「文明開化」が
始まる明治時代に突入しそうな、まさに幕末っぽい感じがするんだよね。
誰も気づかなくても、時代はゆっくり変わり始めていたと言えるんだろう。
たとえば慶喜が着た着物の柄は今見れば非常にモダンなものが多いし、
明治時代には金持ちには普及していく写真もいくつか残ってるしね。

何日も立てこもり、酒だけを飲んでいた余吾の顔が緑色で、淡々としゃべる
口調に「メゾン・ド・ヒミコのヒミコみた〜い」と思ったら本人でたまげた。
しかし遺体は早く片付けてやれよ!あれじゃホントにハエ男そのものじゃん

12年前に主君を失い、7年間も妻と娘を連れて流浪の旅をしてきた
余吾の半生は確かに悲惨。しかも妻も娘も同じ病で、娘に至っては
わずか16歳の若さで命を散らしてしまったんだからやりきれない。
だからこそ妻を亡くし、老いた母と娘を抱えて苦労している清兵衛に
気持ちを寄せたのかもしれない。清兵衛もついつい自身の困難苦労を
語り始め、妻の葬式のためについには刀までも売り払ったと語ってしまう。

清兵衛が竹光をさしていると知った余吾は怒り、容赦なく斬りかかってくる。
さっきまで逃がせと言い、清兵衛もその気になっていたのに「竹光をさして
藩命(=余吾成敗)をかなえんとするとはなめられた」と余吾はブチ切れ。
けれど小太刀を使う清兵衛は小回りを生かし、余吾の振りあげた長刀が
梁に引っかかった隙をついて、ついに余吾を仕留めることに成功する。

「たそ…がれ…」

今際の際の余吾は目が見えないと呟き、清兵衛の陰にこう言った。
誰(た)そ…彼…人が皆、薄闇の中にかすんで心細くなるようなたそがれ。
まるで混沌の中で先が見えず、常に不安を抱えているこの時代を示すようだ。

任務遂行した部下の手当てくらいしてやれよ!と思うような自力解散には
たまげたけど、清兵衛同様朋江が待っていてくれたシーンは思わずジーン。
この映画は清兵衛の娘で聡明な萱野の回想とモノローグによって形作られて
いるけど、萱野が語る後日談は世間一般から見た「幸せ」とは相容れない。

けれど清兵衛が死ぬまでの3年間はさぞ至福の時間だったろうと思える。
朋江は清兵衛の死後東京へ出て働き、慈しんだ2人の娘を嫁がせて逝った。

幸せの尺度は測れない。うらやむばかりでも、ためらうばかりでも×。
当たり前のことを淡々と描いているだけなのに面白いとはさすがだなぁ…

(2009/6/26 放映)
駅 STATION6/25(木)

昭和の香り漂う健さん映画だろうと思い、見る前には何度か逡巡したけど、
仕事への情熱、人生の孤独、中年の恋愛に加えて序盤の伏線を回収する
サスペンス要素あり、意外とするする見られて気づけば終わっていた。

警察官であり、68年メキシコ五輪の射撃選手でもある健さんの刑事人生の軌跡を
たどりながら、妻、自分の妹と犯人の妹、そして飲み屋の女との出会いや別離を
描いていくんだけど、この映画の何が懐かしいってやっぱり昭和の世相だ。
(ちょうど「刑事一代」で昭和中期を振り返ったばっかりなので余計にね)

倍賞千恵子が好きと言い、劇中何度かかかるテーマソング?「舟歌」とか、
「ジュリーがライバル」ってあったなー(音ハズレまくりだよ真子ちゃん)
立てこもり事件が起きると母親が呼ばれて犯人に呼びかけるというのは実際に
やったのかどうかはわからんけど、ドリフのコントなどでは定番だったもんね。
今見ると礼状もなしに人の家に踏み込むのもすごいし、正確に犯人の心臓を
撃ち抜くのもすごい。きっとこれをやらせたくて「射撃の選手」にしたんだ。

同僚が目の前で二度も殺される悲劇を目の当たりにし、オリンピックの
射撃チームのコーチも辞めさせられ、刑事という仕事に疑問を抱く健さん。
死刑になった連続婦女暴行殺人事件のすず子の兄の墓参りをしたり、故郷で
認知症を患い始めた母や兄弟たちとのんびり過ごしたり、別れた妻と久々に
コンタクトしてみたりと人生の岐路に立った人間らしい迷いの行動が続く。

倍賞千恵子と健さんなら夫婦でもいいだろうに、面白いことにちっとも
夫婦に見えず、中年のカップルでしかないんだよなぁ。女がやけにキャピ
キャピしてるとか、男が寛大そうにしているとか、夫婦ならもっと赤裸々さを
出そうと演じるはずだから、ここは「行きずりの恋人」という演技なんだね。

そんな彼女の恋人であり先輩の仇でもある指名手配犯である男を射殺し、
二人の溝は埋めようがなくなってしまう。もう辞めようと思っていたし、
彼女を想ってもいただろうに、やはり「刑事」としての職務を捨てる事は
できなかった。その結果辞表をストーブにくべ、健さんは札幌へと戻る。

ずっと故郷の食堂で一人働いていたすず子もまた、同じ列車に乗って札幌に
向かうのは人生の再生を示している。健さんもやり直さずともいいから妻と
息子と再会し、また刑事という仕事に情熱が持てるようになればいいけど。

しかしはじめに大滝秀治が撃ち殺された時はビックリしたよ。
手配中の車が白のカローラと話してたところに白のカローラが入ってきたので
ああ、これが犯人できっと職質を振り切って逃走するんだろうと思ってたら
いきなりズドンだもの。えっ!?とこっちもビックリしちゃったじゃないか!

自殺した円谷幸吉の境遇には同情するけど、遺書はなんとなく微笑ましい。
つかあそこ、遺書を朗読してるだけで脚本家(倉本聡)はラクしてるよね。

何かを選択する時、何かが変わる時に必ず駅が背景になっているのもなかなか。
初めは何も無理して見なくてもいいかな〜と思ったけど、悪くなかったよ。

(2009/6/23 放映)
天使の牙B.T.A.6/24(水)

変な映画だった…
新型覚醒剤を使って力をつける組織のボスの愛人に脳を移植された
女刑事が恋人の刑事と共にボスを追うという、まぁ筋だけを言えば
他愛ないクライムものなんだけど、このボスがものすごい色ボケで、
お互いのスイーツな記憶がお宝の扉を開ける鍵とか言ってアホみたい。

脳移植というのがあまりにも突拍子なさ過ぎるのに、劇中ではさほど抵抗もなく
まるで当たり前のように進んでいくので「おいおいおいおい」と思わずツッコみ
脳が取り出された愛人の空っぽで血まみれの頭が映ったりとなかなかエグい。

だって不思議なことに、刑事は体が、愛人は脳の損傷が激しかったので、
傷ついてない愛人の体に傷ついてない刑事の脳を入れるのだというような
説得力のある説明すらないんだもん。それだけクライン撲滅の執念があると
示したいのかもしれないけど、この映画、な〜んか変な場面も多いんだよね。

明日香が移植されたはつみを護送する時、彼女を奪還しようとする組織に
襲われるんだけど相手はなぜか護送の警官を一人も撃たなかったりします。
イベントではあんなにバンバン派手に撃ちまくって肉の壁を殺したくせに、
なぜにそこでは発炎筒!?催涙弾!?それに何度ピンチになっても絶対に
殺されない古芳も気になるわ。散々「即断即撃」「周りは誰も信じるな」と
唱えてたくせに、なぜキミはピンチでも撃たれない(または撃たれても死なない)のだ…

そもそも死因は前からの銃弾か後ろからの銃弾かくらいわかると思うんだよね。
だって脳を移植したからって体の傷が完璧に元通りになるわけじゃないじゃん。
しかも最後はやっぱり脳移植なんか無理と言わんばかりに幼児退行を起こして
ある意味バッドエンド。まぁ恋人との生活ができたみたいだから幸せなのかも
しれないけど、どっこいボスも生きてましたというオチ。もう全くわからん。

一番ヒヤヒヤしたのは裏切り者が西村雅彦なのか佐野史郎なのかってトコ。

だってどっちもめっちゃ悪そうなんだもんよー

私が見た大沢たかおの映画ってロクなものがないような気がする。
佐田真由美は撮り方によっては寄り目に見えてちょっとマヌケだ。
あと主題歌がそういえばこの頃ブームだったっけなぁと懐かしく
思い出した「t.A.T.u.」だった。コイツら今頃何してんだろうね。

(2009/6/21 放映)
プロデューサーズ6/23(火)

「シカゴ」で近年衰退を続けるミュージカル映画が久々にヒットしたためか
こちらも思った以上に歌うシーンが多い本格的なミュージカル映画だった。

いや〜、マシュー・ブロデリックって歌えるんだね。知らんかった。
「ウォー・ゲーム」でジョシュアに○×ゲームをさせ、最後に「勝つためには
戦わないこと」と言わせたハッカー少年がもうこんなおじさんになったとは…
(とはいえかなり若作りしているのでとても43歳には見えなかったけどね)

「舞台は大コケした方が儲かる事に気づいた二人」という導入部は知ってたので
大コケして儲けるって一体どういう事なんだろうと思ったらただの詐欺じゃん!
しかも資金を金持ちで暇で淫乱なババァから集めるなんてミュージカルとはいえ
エグ過ぎる。バカでかいスウェーデン女を演じたユマ・サーマンの扇情的な歌と
踊りもこっぱずかしい。下半身は喝采を送っているとかアホ過ぎて笑ったわ。

最低の脚本・最低の演出・最低の役者を揃えて演じるは「春のヒトラー」
ナチスを題材にするなど自殺行為ゆえ、公演が失敗しないわけがない。

でも劇中劇のヒトラーものは確かに面白かった。
こっちはレオとビアリストックの悪企みを知ってるから純粋に見てるわけじゃ
ないけど、ピリリと風刺を利かせつつ笑いに換えるあたりは王道的で楽しい。
初演日には「グッド・ラック」と言ってはいけないというジンクスは本当かな?

反面物語は冗長で、ヒトラー・シンパの脚本家との出会い(「グーテンタークの唄」
は振り付けもすごく面白かった)主役のオーディションなどはよかったんだけど、
演出家を誘ったりウーラ登場やウーラがレオを誘うシーンなどはもうちょっと
削ってもよいのでは…ミュージカルって歌ってる間はどうしてもダレるので
2時間を超えず、本音は90分くらいで短くまとめて欲しい。短気な私の耐久力が90分程度?

大体最後の粉飾決算がばれて逮捕され、裁判にかけられて刑務所行き…って
くだりは丸々いらなかったんじゃないだろうか。ヒトラー・ミュージカルが
思いもかけず大当たりしたので利益が出、ばーちゃんたちにも配当金を戻せて
めでたしめでたし…じゃダメだったんだろうか。それで十分だった気もする。

一番笑ったのは収監されたビアリストックが逃げたレオを恨み、
自分の運命を呪い、過去を思い出して母親になりきって歌うシーン。
母親がポーチから「アルヴィン!アルヴィーン!」と叫んだ後ではたと

「待てよ?アルヴィンって誰だ?」

と言った時はコーヒー吹いた。ホント、誰だよアルヴィンって!!

内容はシモネタも散りばめられたコメディだけど、かなり真面目に作った
ミュージカル映画なのでミュージカル好きな人は楽しめる作品だと思うよ。

(2009/6/22 放映)
陽気なギャングが地球を回す6/22(月)

設定はこの上なく面白そうなのに、ドラマや映画にしてみたらどうして
こんなにつまらなくなるのかと呆れ果てる日本映画の典型のような映画。
一番面白かったのは何かの時に見たCMだけって映画、あるでしょ?あれだ。

救いはホント、1時間半で終わる短い映画だということ。
それすらもだれだれにだれて、もっと面白おかしくメンバーの特技を生かし、
知恵を振り絞って難関を突破していくギャングシーンが一杯かと思ったのに
最初の襲撃で逃走中に現金を奪われただけでなんとなく流れ解散になっちゃう。

結局それは狂言だったという事になり、なんだか変な恋愛モノみたいになり、
再結成して犯罪撲滅キャンペーンの日に再び銀行を襲うことになり、なぜか
撃たれた成瀬が時間の巻き戻しで甦り…という、ホントにわけのわからん映画。

もう途中から7月のテレビ雑誌を見て新番組や映画のチェックかましながらの
適当な流し見だったので内容はほとんど覚えてないし、覚えてる価値もない。

ただ「演説の達人」の佐藤浩市はノリツッコミや空気嫁発言満載で面白かった。
ってか「演説の達人」ってなんだよ!人間嘘発見器とかスリの天才とか正確な
体内時計を持つとかってんなら確かに特技っぽいのに、演説て!それ、強盗の
何に役立ってんだ!「人質を厭きさせないため」とかって言いそうだよアイツ!

思うに、強盗ものって煽りばっかり大袈裟で見たらガッカリ…って映画が多い。
コメディならもうちょっと小粋なひねりを利かせたクライム・ムービーを頼む。

(2009/6/21 放映)
トランスフォーマー6/20(土)

公開当時気にはなっていたものの最後のレビュー期間に重なっていたため結局
忙しくて見に行けなかった。トランスフォーマーはタイトルを聞くだけで必ず
「とらーんすふぉーまー♪」という初期のタイトルコールが口から出てしまう
日テレ放映時から知ってはいるものの(その頃はファンロードの『合言葉は
ロディマス!』の元ネタとして縁があった)、たまに見て爆笑したビースト
ウォーズ程度で関わりは少ない。しっかり見たのはお奨めされたひたすら
熱く格好良かったスーパーリンク、その後GONZOの悪いところが出まくった
ギャラクシーフォース。以来トランスフォーマーシリーズは沈黙しているが、
せっかく続編映画も作られた事だしまた新作ができてもいいんじゃないか。

民放での放映だったのでCMが邪魔な分3時間の大作になってしまってたけど、
物語はオプティマスたちがキャラとして出てきた後半の方が断然面白かった。
それまではどうしても異能生命体との接触映画の定石として仕方がないとはいえ
「一体何が起きているんだ」「何者が何の目的で」というもたもた感があるのと
主人公のサムがとにかく3枚目ヘタレマンなので見ててさほど楽しくないのだ。

捕まりそうになってパンツ一丁になったり両親を大切にしてるのはいいんだけど
もっとギャグキャラだったりヒーローオタクだったり、キャラに何か売りになる
インパクトがあればまだしも、容姿も性格もあまりにもフツー過ぎて弱いよ。
むしろおっとりして優しくビビリのくせに意外なところでは肝が据わってる
パパや、エキセントリックなシーモネーターのママの方がインパクト強いわ。

物語は激しい戦いによってサイバトロン星が破壊されたオプティマスたち
オートボットが、失われた生命の源であるオールスパークを追って地球に
やってきた事に始まる。そもそもサイバトロン星が荒れ果てたのは反旗を
翻したメガトロンが組織したディセプティコンという、デストロンの方が
簡単なのにと思う軍団の仕業。しかしオールスパークを追って地球に辿り
着いたメガトロンはマヌケにも北極の氷に閉じ込められてしまっていた…
(自分はそんなドジっ子のくせにサムたちにキューブを持ち去られてしまったスタースクリームを叱りつけるんですよこの人)

…ということがわかってくるのが中盤過ぎなので面白くなるのも後半なのだ。
それぞれが車をスキャンして偽装し、サムの下に集うシーンはワクワクする。
その後、待っていろと言われてるのに待ちきれずに庭にのしのし入ってくる
コミカルなトランスフォーマーたちが可愛くて可愛くて。アトムのおかげで
「ロボット=友達」が染みついている日本だったら彼らのキャラクターを
もっと掘り下げて楽しいシーンがいっぱい作れそうなんだけどなぁ…
それは初めから彼らの存在が前提になっている続編の方が期待できるかな?

とにかく変形シーンはスピード感があってすごい。もっとトロいかと
思ってたのでガシャガシャ変わっていくシーンは気持ちよかったなぁ。
とはいえ全体的に戦闘シーンはスピード感があり過ぎて何をやってるのか
よくわからない事も…TVなら録画して巻き戻す事も可能だけど、映画館で
見たら流れていっちゃうから「えっ、今のどうなった?」と思ったのでは…

まぁ主人公のキャラクターが弱いといっても別に不快感を与えるわけではなく、
ヒロインも最初はどうかと思ったけど実はメカニックとしても有能そうで
勇敢な娘だったし、カタールでブラックアウトに襲われ、逃走しながら
情報を届けようとするもう一つのドラマを繰り広げる軍人たちもよかった。
のんびりしたインド人オペレーターと国際通話についてクレジットカードの
応酬するのも面白かったし、娘と奥さんに会えたレノックスも幸せそうだった。

オートボット側の主人公は声を出す機能が失われているカマロに偽装した
バンブルビー。ラジオを使ってお喋りするのでちょっとマヌケなんだけど、
オールスパークの在り処を示す探検家の祖父のメガネを持っているサムを
守る事が使命の彼の涙ぐましい努力や、ボロといわれてムッとして新車を
スキャンしたりとか仕草がいちいち可愛い。スタースクリームの猛攻撃で
足をやられて這いずる姿には胸が痛んだよ。まさかこのまま戦死しちゃうのかと…
でも意外と勇猛だったミケイラとのコンビネーションプレイで見事生き残り、
最後は任務完了したにもかかわらずサムと共にいることを望むワンコ属性も。

オプティマスはまさしくコンボイらしい冷静な判断力を持った立派な
リーダーだったので満足。人類を守るため犠牲になると決めていたのも
格好いい。ただ古き友メガトロンにガチンコ勝負を挑んだ時はすげー
燃えたのに、CMが明けたらあっけなくやられてて「あれ?」と拍子抜け。

武装に長けたアイアンハイド、口が悪くすばやい動きが売りだったけど
メガトロンに真っ二つにされて戦死してしまったジャズ、ラチェットの
交尾発言は周りを凍りつかせるに足るものだった。ディセプティコンで
印象的だったのはサムを脅したパトカーに偽装してたバリケードかな。
メガトロンの右腕でありながらいつも虎視眈々とボスの座を狙っている
No2のスタースクリームはスマートなボディという印象があったけど
今回はごっつい重量型だった。でも知ってる名前が出てくるとニヤニヤ。

サムや意外にも武闘派だった国防長官のケラー、シモンズと戦った器用な
フレンジーには、キューブの力に触れる事で携帯電話や自動販売機がトランス
フォームするので使い道が多そう。小さくてコソコソしてるヤツは怖いよぅ…

物語としても最後はサムの機転でオールスパークをメガトロンに埋め込んで
オーバーロードさせ、メガトロンたちの「残骸」を海に沈める事で決着を
つけるので続編が作れそうな遊びの部分を残してある(実際作られてるし)

思ったより面白かったな。公開当時意外と評判がよかったというのも頷ける。
ただ街中で戦ったので人間を気にしてトランスフォーマーたちが思いっきり
戦えなかったのはちょっと惜しかったかな。ビルを突貫したり、死人いっぱい
出てるよなぁ、あれ。ってか降りてくるだけなのにあんなにあちこち破壊すな!

ちなみに吹替えが嫌いと公言している私が民放映画を見るのは珍しいのだが、
ノーカットの場合は地デジで鑑賞するという方法を見つけ出した。地デジは
音声を英語にし、字幕をオンにすれば役者オリジナル音声で楽しめるのだ。
長年デジタルの不便さにブーイングばかりだったが、この方法に気づいて
ちょっとだけ「地デジも悪くないな」と見直したのであった。

(2009/6/20 放映)
ターミネーター36/20(土)

酷評だったと噂の「3」だが、思ったよりは悪くなかった。
先日見た「4」には物語が繋がらないとか、内容的に作品の立場が微妙とも
聞いていたが、4でいきなり出てきて妊娠中だった妻で医師の「ケイト」は、
実は幼馴染の獣医だったとか、「4」のジョン・コナーに私が不満だったのは
まさしく「3」のジョン・コナーがヘタレ全開のホームレスだったというのも
ちゃんと繋がってるんじゃないか?T-800の燃料が水素だということもあれで
知ってたんだろう。となると細かい設定や年代がズレてるせいでアウトなの?

「T2」で腕のパーツやチップを始末したことでターミネーターを作り出す
「技術提供元となる」サイバーダインはなくなったのに、未来ではやはり
スカイネットがターミネーターを作って人間を抹殺しようとしていたのは、
「T2」によって未来が変わったのではなく「審判の日」が先延ばしにされただけ
というのは苦くていいんじゃないか。結局人類はほぼ壊滅状態になったわけだ。
スカイネットというのが米軍が開発していた防衛システムであり、人類ではなく
自分の娘を救いたかったお父さんが責任者だったというのはどうかと思うが…

シュワルツェネッガーは2032年にジョン・コナーを殺害したターミネーター
T-850(101型)として登場。ただし暗殺直後に抵抗軍に捕まり、ジョンの妻
ケイトにリプログラミングされて「2人を生き延びさせる」ようにと2003年に
送り込まれた模様。「4」でマーカスが献体したのも2003年だし、新3部作は
最後、それこそ未来でT-850がジョンを殺しにきて殺されるバッド・エンドか、
暗殺を「知っている」からこそ回避して別ルートを選択すれば「3」だけが
はぶられる事もないだろう。それなら「審判の日」は変えられなかったけど
「未来」は変えられたというはるか遠い未来を見越した伏線にもできるしさ。

何しろターミネーターは「1」での冷徹非道な極悪ぶりが面白かったのに、
「T2」では人気が出たからといっていきなり寝返って主人公側につくのが
どーも納得いかなかったけど、「3」でもやっぱりそのパターンだったので、
もはやこれが長く続くタミシリーズのデフォルトとなっているようだ。

饒舌で父親代わりでもあったT-800同様今回のT-850もよく喋り、
心理学データまで入ってるとか。鍛えなおした胸板や腕の筋肉も
アッパレで、レディース・ナイトのバーに全裸で押し入り、舞台で踊る
男性ストリッパーから服を強奪したはいいけど、グラサンがラブリーな
星型でマヌケだったりとコミカルさもちょっぴりそれで楽屋へ回れって言われたのか

今回の敵は女性型のT-X。なんで女性型なのかは物語上さっぱりわからんが、
T-1000のように流体金属で表面を覆われ、一方でT-800やT-850のように骨格を
持っているフレキシブルタイプで、「対ターミネーター」を視野に入れた
最強のターミネーターだという。確かにスレンダーな体に似つかぬ重量感、
無表情で無感覚な人形のような顔でバンバン撃ちまくりグサグサ殺しまくる。
ハガレンのエドみたいに、腕がそのままブレードやプラズマブラスターに
変形するのは格好良かったな。

骨格がなかったT-1000ほどではないにしろ偽装能力は相変わらず高く、
ハッキングしてシステムを自在に操ったり複数ターゲットを持ちつつ、
即座に最優先事項を選択する(ケイト<ジョンのように)判断能力も備えている。
電磁磁石にくっついちゃうのは意外だったけどね。フレーム鋼鉄かい。

青年時代のジョン・コナーは1作目のカイル・リース(マイケル・ビーン)に似てたな。
でもこの後クリスチャン・ベールになるかと言われると困るんだけどね。

T-850はこの映画で一人も人間を殺してないというのがウリらしいけど、
あの火事で死んじゃったよねぇ、檻に入った犬と急患ネコ。許せ〜ん!

(2009/6/20 放映)
マリー・アントワネット6/20(土)

主人公がフランスの国庫を食い潰したのと同様ものすごい制作費浪費映画。
正直、面白くもなんともない映画で、ただひたすら豪華絢爛で贅沢なだけ。

目新しい事など何もないし、王妃の隠れた心情などを映し出すわけでもないし、
夫婦愛を映し出すでもなく、ましてや当時の世相や民衆の苦しみ、魑魅魍魎が
跳梁跋扈した政治劇を描くでもない。ただひたすらニヤニヤしてるだけの
アントワネットが常に誰かしらに監視され、口さがない人々の好奇の眼に
さらされているバカバカしくも退屈な日々を淡々と描写しているだけ。

そもそもこれだけ有名な王妃マリー・アントワネットの虚実混在の逸話を
「全く」「ひとつも」「完璧に」知らない奇特な人なんかいるのかね?
いるとしたらそれを面白がるなんてとんでもないわ。知的障害が
ないのなら自分の無知ぶりとつるつるの脳味噌を恥じるべきだ。

ホントかどうかもわからない「パンがなければお菓子を食べればいい」だの、
怒れる民衆の前で優雅なお辞儀をしただの、映画ではもっと劇的に演出するか
逆にそういう有名どころではなく「実はこういう史実や説もあったんですよ」
という調査や脚本の練りこみによるサプライズも全くないんだよねぇ。
イージーなラノベ調というか浅はかなジャリカルチャーというか…

しかも映画の大半を「性生活に淡白なルイ16世と夫婦の営みをいかに行うか」
に費やすあたりもウンザリする。実際そうだったのだから無理はないとはいえ、
フェルゼンとは悩む事すらなくアッサリ寝ちゃうし、血友病の息子を失うのも
アッサリ描かれて、あとはひたすら遊んでるシーンばっかり。それも確かに
史実とはいえ、王妃の務めを果たしていたという描写なんか何一つないまま、
しかも夫を裏切ってたくせに最後はやけに殊勝に「私は王と共にいます」と
王妃としての態度を貫こうとしていてギャップあり過ぎ。なんなのいきなり。

とにかく「この映画ならでは」というものが何一つない。
フィクションでもいいから実はアントワネットも初めは王妃たらんとしたとか、
双方向性に「マリー」という名前のパリ娘と彼女の人生を対比させていくとか、
デュ・バリー夫人との対決をもっとドラマティックに描くとか、首飾り事件に
焦点を当てるとか…いや、まぁフランスの血の歴史が一番面白くなる部分を
カットしてアントワネットが民衆にヴェルサイユから拉致られて終わるという
けったいな終わり方をするような作品だもん、そんなの望むだけムリか…

わざわざ撮影費がバカ高いヴェルサイユでロケをする事もなかった思うし、
そもそも演技なんかほとんど必要ないような主役にレニー・ゼルウィガー
キルスティン・ダンストをわざわざ置く必要もなかった気がするよ。
新人でいいからもっと若くて綺麗な子でよかったんじゃないのー

映画ならばもっとこちらを食いつかせるような「何か」を提供してもらいたい。

(2009/6/20 放映)
青いパパイヤの香り6/20(土)

毎度ながら「公開された時に見に行きたかったけど行きそびれた」映画。
全編にわたって非常にゆったりとした流れで1950年代のベトナムの姿を
描き出すのだけれど、それが丁寧なので映し出される日常生活や文化が
興味深く、映画そのものも短いのでだれることなく見ることができる。

ただ前半の少女時代のムイの方が可愛いし、ベトナムで使用人をおくような
家の一日にも興味津々なので面白い。たとえばベトナムでの食事の作り方や、
外で蚊帳で寝てる人がいたり、日本のように蚊取り線香を炊くとか、悪ガキが
オシッコで地面に線を書いたり、ムイが長男の友人クェンに一目惚れしたり…

そもそもこの家の奥様が非常に優しい人なのがいい。
彼女は何かあればすぐに出奔してしまう夫(姑いわく浮気?)と引きこもって
神に祈ってばかりの姑、7年前に病で失った娘という数々の問題を抱えながらも
商売しながら息子を育て、夫を待ち、ムイに密かに優しい愛情を注いでいる。

同じ使用人のおばさんも丁寧に仕事を教えてくれて思いやり深いのだけど、
唯一悪いのが末の息子。何かとちょっかいをかけてムイの仕事を邪魔し、
ムイを困らせようとして、ある日母が大切にしていた壷を割ってしまう。
結局それは対の壷の価値を下げてしまって食費が減るんだから自業自得。

やがて戻ってきた主人が死んでしまって10年の月日が流れるんだけど、
可憐な少女時代より野生的な顔になった成人のムイの美しさはいまひとつ…
その頃には長男に嫁が来ており、ムイはなんと憧れのクェンの家に
奉公に出される事になるのだけど、なぜか突然安直なシンデレラ・
ストーリーになってしまう後半は物語の方もいまひとつ…

カメラワークが絶賛される事が多いようだけど、見づらいシーンも多い。
敢えてわかりにくい描写にしてるとわかってはいるけどイライラを誘う
主人の死のシーンや、母がトーのためにと用意していた衣装と首飾りで
美しく装ったムイに心惹かれてしまったクェンが彼女の部屋を訪ねた
シーンなど、暗喩といえば暗喩だけど全体的にわかりにくくてストレス。

家柄も財産もそこそこなんだろうなと思わせるクェンのチャラい婚約者が
ふられるシーンも敢えて描かれず、それはちょっと残念だったかも…
あと全く描かれなかったけど、普段のムイとクェンが心を交わしていたという
エピソードも欲しかった。あれじゃ「泥まみれだった娘が実は綺麗だったので
一目惚れしちゃった」ダメボンボンって感じ。それにどうせならクェンは身分が
違うのに小さい頃のムイにも分け隔てなく優しい声をかけてくれたというような
クェンがとても優しい人で、それゆえにムイが惚れたという証明が欲しかった。

最後はこれまたえらいわかりづらかったけど、クェンが文字が読めなかった
ムイに教育を施し、妻にふさわしい女にしてから結婚したってことなのかな?
最後の「おぅ!」は腹の子供が動いたって事?うーん、雰囲気変わったなぁ…

私は映画には何より高い「物語性」を求めるタチなので、物語が薄いと
世間での評判がよくてもいまひとつと思ってしまいがちだけど、映像の
美しさや女優や俳優の撮り方、演出そのものを楽しむタイプの人には
いいのかもしれない。でも「ダメ映画」というわけではなかったよ。

(2009/6/3 放映)
老人と海6/17(水)

読み終わるとどうにもやるせない気持ちになる原作の映画化。

費やした時間や体力や忍耐力に対し、まさしく「等価交換」と言えるだけの
価値を持つ巨大で立派なカジキ。ところが港に着くまでに魚は実にきれいに
サメの腹の中に収まってしまう。「すまなかったな」と無残な姿になった
魚に謝るサンチャゴに胸を痛めずにいる事ができようか。いや、できまい。

古い映画なのでもちろんCGなどはなく、遠目に見えるシーンなどは古きよき
はめこみ合成で和む。でもクリーチャーとすら呼べないようなやたら硬そうな
ハリボテを使っているかと思えば、どうやら本物のサメがカジキに似せた肉を
食いちぎるシーンを撮影したようで、リアルなんだかそうでないんだか…

はじめはさすがにこれは小説にはかなわないと思っていたのだけど、
こうして眠ることもできず、綱をたぐって感触を確かめながら魚と
戦っていたのかとか、襲い来るサメにあんな見事な巨大カジキが
食いちぎられた時の悔しさや絶望感は映像表現ならではだった。

原作の本当に「ハードボイルド」な終わり方は、読後に強い置き去り感を
感じつつ、でももしかして現実もこんな感じかも…と受け入れざるを得ない
変な説得力があるのだが、少年や漁師たちやカフェの主人などの描写が少し
付け加えられているせいか映画的シメはちょっと柔らかめという感じだった。

イメージでは少年同様、肌の色の濃い、貧乏なので痩せぎすだが漁師としての
筋肉や動きは老いたとはいえまだ残っているサンチャゴを、白人で恰幅のいい
スペンサー・トレイシーが演じるのはちょっと無理がある気もするのだけど、
ナレーションと独白で進む作品なのでまぁそこは大目に見ておこう。

でも実は一番感慨深かったのは、私が初めて原作を読んだ頃は年代的に
少年に近かったけど、今はちょうど若者と老人の狭間に立つ世代なので、
当時はあまりに遠すぎた「老い」に近づいてきて老人の孤独と絶望感が
なんとなく理解でき、一方で若さゆえの老いへの無理解や残酷な傲慢さも
「通ってきた道」として理解できる立場で作品を見ると新鮮ということだ。

自身がサンチャゴと同じくらい老いた時、きっとまた新たな発見があるだろう。

(2009/6/17 放映)
タイタンズを忘れない6/15(月)

1971年、アメリカは未だ人種差別が根強く、偏見と対立と流血が絶えなかった。
それまでの凝り固まった価値観を変えることが途方もない大事業に思えた時代、
ひとつの混成チームがいがみ合う人々の思想を塗り替え、見事に融和させた。

ヴァージニア州のある街であった実話を基にした物語。
ディズニームービーなので、ホントに王道的。
衝突→理解→誤解→和解の繰り返しによって団結していき、最後は努力と友情で
優勝を勝ち取るという誰が見ても安心して見ていられるファミリームービーだ。

招かれてヘッドコーチになるのがデンゼル・ワシントン、教育委員会の措置の
おかげで降格されたアシスタント・コーチがウィル・パットン…って誰よ?と
思うほど配役が地味。物語も非常に地味で、もし長年「アイシールド21」を
読んでなかったらアメフトのルールがわからないので面白さが半減したかも。

いやホント、野球ものなど知ってるスポーツはストレスフリーで見られるけど、
アメフトとかアイホだとルールがわかんないとてんで興味ないから厳しいのよ。
実際「ハドル」とか「ブリッツ」、「HUT」や「Unnecessary roughness」など
おお、わかる!とちょっと感動したかも。ありがとうアイシー!もう終わっていいよ〜

最初こそ黒人グループと白人グループにがっつり分かれて相容れなかったけど、
南北戦争の激戦地ゲティスバーグで合宿を行うことでチームは徐々に親交を
深めていく。中でもカリフォルニアから来た風変わりなサンシャインには
元々偏見自体がないし、太っちょのラスティクもそんなつまらないことに
こだわらない。はじめは偏見の塊のようだった白人チームのリーダーの
ゲリーも、表裏のないジュリアスと仲良くなり、黒人に偏見を持ち続けるママや
恋人のエマに、押し付けではなく、自身が変わっていくべきだと気づかせる。

ゲリーはわざとガードを外して牧師を敵の攻撃にさらし、右手首を骨折させた
レイを退部させるなどホントに初めの頃とは見違えるほど成長するんだけど、
彼には大きな悲劇が待っていた。決勝戦前、勝利に浮かれる街で運転を誤り、
横から来たトラックと衝突して下半身不随という大怪我を負ってしまうのだ。
なんという悲劇…というかウキウキ気分のよそ見運転イクナイ!デンジャラス!

エンディングでキャラクターたちがその後どんな人生を歩んだのか後日談が
描かれるのもちょっと嬉しいオマケだった。車椅子でも砲丸投げで金メダルを
獲得したゲリーが、10年後に飲酒運転の車に衝突されて死んだのは悲惨だ。
一度目は足を失ったものの命は助かったのに本当に運がなかったんだねぇ…

黒人と白人の対立は華の80年代を経てようやく少しずつ緩和されたわけで、
ひどい差別があった頃からはまだ50年も経ってないと再認識させられる。
このさらに10年前は、黒人をバスに乗るの乗せないの、店に入れるの
入れないのと「え、そこ?」という問題が山積みだったわけだから、
そりゃもう黒人が大統領になるなんて夢のまた夢だったと思うよ。
この時代にタイムトリップして「40年くらい後に黒人が大統領になる」と
言っても誰も信じないだろうね。黒人には笑われ、白人には怒られるかも。

ところでサンシャインのあのキス、彼はやっぱりゲイってことだったの?

(2009/6/14 放映)
LOFT6/13(土)

これまたよくわからん映画だった…
アンニュイでやる気のない中谷美紀も、暗い陰をもった秘密めいた豊川悦司も
淡々と機械のようにしゃべる西島秀俊も、途中から唐突にあちこちに出没する
安達祐実もそれぞれがそれなりにいい味を出しているのに、噛み合ってない。

これは監督の「想い」ばかりが先走って脚本がついてきてない典型的な作品。
あんただけがわかってたってダメだろー、多くの人に見せる作品ってのは!
とにかくやたら思わせぶりなことを散りばめながら解決が何もないんだもん。

まず主人公が冒頭、盛んに「泥を吐いていた」ことについての説明がない。
当然泥を飲み込んだ、あるいは死後泥を詰め込まれたためにミイラとなった
1000年前の女と何か関わりがあると思ってたのに結局語られることはない。

テロップの「永遠の愛という呪い」をかけられたのが誰なのかわからない。
ミイラがなぜそんな呪いをかけたのかもわからない。そもそも誰にかけたのか
わからない。トヨエツだろうとは思うのだが、いつ?どこで?なんのために?

ミイラは1000年前、永遠の美を願ってしまったために愛を知らずにいた。
だから今度は愛を手に入れたがった…という設定だとしても、ならば研究者の
トヨエツに一目ぼれしちゃったってこと?だからいつ?どこで?どうやって?

そもそもミイラが引き上げられたのは本当は80年前なのか、フィルムがどんな
意味があったのかわからない。トヨエツが依頼されている処置をしない意味も
わからない。何がなんだかさっぱりわからない。わかるのはあのミイラは時々
動くんだな〜ってことくらい。ってかホント、動けるなら初めから動けや!!

そして木島が殺した作家志望は実際に死んだけどミイラが乗り移ったのか?
礼子がその死んだ女の書いたものをパクったくだりは何か関係あるのか?
最後は結局沈めていた死体が上がってくる「太陽がいっぱい」さながらで、
トヨエツはビックリ仰天して湖の底へ沈んでいくあっけにとられエンド。
ミイラは焼かれて死体は上がって…一人湖の底に沈んだトヨエツはあれで
永遠の愛の呪いにかけられたん?ミイラと共に湖で眠ってるならともかく…

あれだけ意味深に出てきてるんだからもっとミイラを生かしてほしいよ。
何かこう、言いたい事はわかるような気もするんだけど煮え切らないんだよ。

でも監督が「恋愛モノでいく」と決めてしまっているのが失敗の元だと思う。
殺人事件、ミイラの秘密、スランプ中の干物女、胡散臭いへたれ男、廃屋…
これだけ面白くなりそうな材料が揃ってるのにまったく面白くできないなんて
これは監督が悪いわ。こうしたいという想いが強すぎて「見る人」に思いが
向いていない。変なカメラアングルに凝るよりストーリーをなんとかせぇ。

一番ウケたのは窓の上から安達祐実が斜めに出てきて手形を残したとこ。
恋愛はなしか、あっても付随品としてのミイラサスペンスホラーならねぇ。
たとえば80年前にミイラが引き上げられた時も怪しげな事件がたくさんあり、
結局当事者たちは再びミイラを湖に沈めることにして、それを80年後に再び
吉岡が引き上げた…という事実を探っていく話だったらさぞ面白かったろう。
芸達者ばかりだし、コメディとシリアスを取り混ぜればきっと面白かったよ。

ホント、こんなの作ってちゃダメだって。

(2009/6/7 放映)
ライフ・イズ・ミラクル6/13(土)

…なんだこれ。

いつものとおりこの映画を見るか見ないか決めるため、その物語の核心には
極力触れないように検索して評価のみを集めたんだけど、ブログやウェブで
トップにくるのはほとんどが「奇才によるファンタジックで心温まる戦争映画」
「動物たちが愛らしく、さらにはそれが見事な伏線となっている物語」などと
大絶賛されていたので「そうなの?なら見てみるか」と思ってみたのだけど…

完全に だまされた よ。

もうね、全員しょっぴいてどこがどう面白いのかレクチャーさせたい。
そしてそれでも私を納得させられなかったら全員あのクマに食わせたい。
ウソばっかりこいてる二枚舌をガチョウを食ってたタカにつつかせたい。

牧歌的雰囲気で始まって、変に浮世離れした人たちのモタモタした会話、
イライラさせられるのんきな展開、戦争が始まったけど<「悲惨さよりは
ユーモアを!」という押しつけがましいしつこいギャグ的シーン…
そのくせバカバカしいほどあけっぴろげで小汚いエロシーンの数々。
一番思い出したのは不条理極まりない迷作「ブリキの太鼓」だったよ。
病に倒れたおっさんのベッドがいきなり空を飛んだからなんだってんだ!

自分だけがこんなにクソ面白くもない二時間半もある話を延々見せられて
「はぁ?」とテレビに向かって怒りの表情を向けるのもアタマにくるので、
もう何も書きたくない。見たい人は大絶賛の嵐、または「最後にはちょっと
よかったかも…と思える映画」と書いているウェブレビューやブログを読み、
ぜひ見てくれ!といいたい。いいと思えたならいいんじゃない、どーでも。

冒頭以外全部早送りしながら見たのに、それでも眠くなったんだからすごい。
私はこんな映画を絶対に認めないぞ。誰がなんと言っても絶対に認めないぞ!

(2009/6/4 放映)
真昼の死闘6/13(土)

ゲーリー・クーパーとグレース・ケリーの名作「真昼の決闘」にあやかった
あざとい邦題に苦笑してしまう、無頼漢と尼僧に化けた娼婦の珍道中西部劇。
(ちなみに原題は「シスター・サラの二頭のラバ」なのでまったく関係ない)
つい先日40年後のイーストウッドを見たばかりだったのでえらいギャップが…
そしていきなり半裸で登場して驚かせたヒロインはシャーリー・マクレーン。

列車爆破のあたりまでは金がすべてのガンマンと真面目な尼僧のやりとりや
ネイティヴに射られた矢を抜くために火薬で傷口を焼いたりガラガラヘビで
フランス兵を撃退したりとどれも結構面白いシーンがてんこ盛りだったのに。

ところが後半のメキシコ義勇兵と組んでフランス軍の砦を落とす計画は冗長で
ボソボソやってるだけであまり面白くない。最後の死闘も「真昼ちゃうやん」
という闇夜にまぎれてのものだったし、何よりどこもかしこもダイナマイトで
バンバン爆破してしまうので、ガンマンとして腕の見せ所というわけでもない。

前半だけならまぁまぁかなと思えたのに、どうもいまひとつだったな。
一番笑えたのは尼僧じゃなくて娼婦だったとばれた時のイーストウッドの
あっけにとられた顔だったけど、宗教的にあまりこだわらない日本人の
感性から見ると別に尼僧のままでよかったと思っちゃうんじゃないかな。
(どっちにしろ尼僧から娼婦ってのは落差あり過ぎでビックリだよね)

(2009/6/9 放映)
ポルターガイスト6/12(金)

「騒霊現象」は英語で「ポルターガイスト」と言うと印象づけたホラー映画。
ヒットしたため続編も作られたけど、当初から出演者や監督が次々死んだ
日本の「四谷怪談」のごとき「呪われた映画」としても有名な作品である。

多分見たことがあるのだが(だからクライマックスは覚えていた)ホラーは
映画館にはわざわざ見に行かないし、ましてやビデオやDVDでも借りないので
見るのは大体吹替版。オリジナル音声で見るのは初めてなので視聴してみた。

正直、全然怖くないスピルバーグ・ホラーである。

SFXがレイダースさながらに大仰で、肉が動いたりチキンにウジが沸いたり
顔の肉が突然ボロボロ剥がれ落ちる「ギャグ?」というオモシロシーンが
満載である。椅子を動かすだけでなく机の上に重ねたり、犬におもちゃを
持ってこさせたり騒霊もなかなかオチャメさん。敢えて正体を見せない事で
恐怖を煽っていることはわかるんだが、恐怖はほとんどないんだよなぁ…

とはいえホラーだけに私がビクッとしたのは2回。
最初にテレビから手が出て来た時と、いることはわかってたけど不気味な
ピエロがロビーを襲った時。ああいう時ベッドの下を覗くのは基本だよね!
私は数年前、うっかりキングの「ペット・セメタリー」を夜中に見てしまい、
ひと夏ベッドの下に何かいないか気になってしょうがなかったぜチキン過ぎる

キャロル・アンが消えてからは超心理学者たちの正体つきとめ大作戦があり、
やがて強力な退魔師による除霊が行われ、万事解決かと思ったら家の下に
埋められたままになっていた大量のご遺体が再度襲い掛かって家を呑み込み、
一家は命からがら逃げ延びるという2段落ち。そもそも事件が終わったんだし
一刻も早くあの家を出るべきだったんじゃないかと彼らに文句を言いたいよ。

除霊シーンはスモークと強力扇風機とライトで何がなんだかわからないもので
ごまかし、「あっちの世界と現世をロープで結び、母親がそこを通り抜けると
同時に娘を助けてきました」というめちゃめちゃ強引な展開には大笑いだった。

最後なんかもうホラーというよりコメディみたいになってたからね。
霊に押さえつけられ、壁や天井を歩かされ、プールに落ちて死体と混浴する
お母さんの一人芝居が見ものっちゃ見もの。最後はあっちからもこっちからも
棺桶やら死体やらが飛び出してきて、もうど派手なお化け屋敷みたいだったよ。

私は実はあまりホラーを怖いと思ったことがないんだけど、子供の頃に見たら
これも怖いと思ったのかなぁ…いや、でも「ペット・セメタリー」はちょっと
怖かったよ?私は個人的に「得体の知れない大物や殺人鬼」がこれ見よがしに
襲ってくるより、ちっちゃなものが陰から襲ってくる方が怖いと思うみたいだ。

(2009/6/10 放映)
幸せのポートレート6/11(木)

彼氏の家族に受け入れられないキャリア・ウーマンが孤軍奮闘する物語…
かと思いきや、終わってみたら単なるカップル・シャッフルものだった。
それも姉は恋人との弟と、妹は姉の恋人と。あまりにも安易な結末だ。

とにかく主人公メレディスの雰囲気クラッシャーぶりはすさまじい。
和やかな談笑を一瞬で絶対零度の地獄に叩き落すことができるもん。
コイツがゲイがどーのこーの言い出した時なんかもう、最近見たどんな
サスペンスよりハラハラしたよ。やめれやめれと他人事ながらドキドキ。

それに対して彼女の妹のジュリーは非常によく描かれて、エヴェレットが
自分の恋人そっちのけで彼女に「恋をした」とか言い出してもちゃんと
理性が勝って彼を追い返し、最後も誰にも内緒でそっと帰ろうとしたりと
非常に聡明で好ましい女性だった。こっちのカップルの方が主役みたい。

その一方でちょっと変なメレディスは最初から家族に笑われて、自分の
失言のショックで家を飛び出してもうまく運転できず、恋人の弟ベンと
バーで大騒ぎし、酔っ払って彼の部屋のベッドを占拠し、しかもその後
彼氏にはふられるわ、その後はなし崩しにベンとくっついたようにしか
見えなくて、なんだか全編に渡って魅力的なところが描かれなかったよ。
彼女を演じた馬の骸骨みたいなサラ・ジェシカ・パーカーも気の毒に…

ところで非常に開けっぴろげで、耳に障害があるゲイの息子も恋人ごと
受け入れている母親役のダイアン・キートンが不治の病に冒されている
という設定はどうしても必要だったんだろうか?これ、別になくても
よかったような気がするよ。むしろエヴェレットのパートナーとしては
ダメだったのに、ベンのパートナーとなったメレディスはOKだったのか、
それに彼らが結婚してからはどういう関係を築いたのか気になるよ。

まぁどこにでも嫁姑問題はあるって事なんだろうけど、私も他人の家では
緊張しまくり人見知りしまくりの「借りてきた猫」なので気持ちはわかる。

かなり短い映画なので見るのは楽だった。でも利点はそれだけって感じだった。

(2009/6/8 放映)
アフロサムライ6/9(火)

正直、何度も寝た。

アクションはすごいしグロいしエロいし絵柄も癖があって悪くない。
「一番」と「二番」のハチマキを手にした者は文字通り最強とNo2であり、
一番に挑めるのは二番だけ、二番には誰でも挑めるというルールがある。
無常感漂いまくりの雰囲気も決して悪くないし、キャラだって悪くないのに
肝心の物語がてんでダメ。とにかくダラダラ殺し合いが続くだけで厭きる。

目の前で無残に殺された父親の敵を討つために、主人公が修羅の道を
歩み続けるという設定は「面白そう」と思えるのに、一体どうして
ここまで面白くない物語ができるのか。みなしごを救って鍛えている
師範こそが当時の「二番」であり、結果的に彼から奪った二番だったり、
アフロを弟のように可愛がった兄弟子が逆恨みからフランケンシュタインの
如くよみがえって何度も挑んできたり…一つ一つは悪くないのに何か足りない。

これがGONZOクォリティ?

「サムライチャンプルー」だったらもっとメリハリや緩急をつけて面白かろう。
「ガン×ソード」なら復讐の意義を問いながらも完遂するカタルシスがあろう。
「ストレンヂア」ならキャラの関係性や魅力を描いてホロリとさせるだろう。

ついつい「サムライ」や「復讐」がからむ「アクション・エンタメ」と比べて
ため息をついてしまう。作画や動きは悪くないのにそれ以外が全然ダメって…
「アフロ」自体笑いものの代名詞なのでもう少しコメディもあるかと思ったのに
ひたすらシリアスだったので、むしろ逆に「なんでアフロなの?」と思ったり。
(まさか最後の「ど突きん棒アフロ取り」のためだったのか!?)

あの坊さんは思わせぶりに散々煽ってたくせに最後はどうなったかわからん。
ずっと着いてきてた太鼓持ちはアフロの想像の友達だったというのは確かに
ちょっと面白かった。しかしおつるとのエロシーンはすげーエロかったな。
いやいや、そこまで力入れて描かなくてもいいじゃんと苦笑ものだったよ。

そもそも2時間もやる必要ない。1時間半くらいで短くまとめてもらいたい。
でも一番めんどくさかったのは英語版だったこと。日本語版はないのかね。

(2009/6/6 放映)
サイン・オブ・デス6/8(月)

視聴するかしないかを判断するために、内容に触れない程度ネットで
ざっと調べた時はあまり評判がよくなかったように思ったけれど、
思ったよりはずっと楽しめたフレンチ・サスペンスだった。

ある日突然家のドアに落書きのようなものが描かれている。
それはまるで「4」という数字を裏返したような謎のシンボル。
そして広場で2ユーロでどんな宣伝もする売れない俳優が不気味なメッセージを
読み上げる。闇の生き物が蠢き出し、植物は腐り落ち、地上は恐怖に包まれる…

なかなかおどろおどろしい雰囲気の中、やがて次々と犠牲者が出る。
被害者たちは皆体が黒ずみ、何より家の扉に反転した4の文字がなかった。
反転の4は呪い…衛生状況の悪かった中世に猛威を振るったペストよけだった。

そもそもなぜペストなのか?
その理由は犯人の心に根付く「恐怖」を犯人にも感じさせるため。
神の罰であるというキリスト教的考え方が根強いヨーロッパではペストは
未だ恐怖の象徴であり、恐れるべき災いなのかもしれない。マスクをして
わざわざ街頭宣伝を聞きにきてる人もいたよ。インフルエンザ<ペスト?

けれどやがて事実が明らかになり、被害者たちはペストで死んだのではなく
毒殺されたことがわかる。被害者には共通点があるはずだ…アダムズベルグは
ノミにやられて隔離された同僚や博識なアパートの管理人である「博士」と共に
謎解きに挑んでいく。でもその間にも別れた恋人カミーユとカフェのオーナー
マリアの狭間で無様な姿を見せたり、博士がかつて未成年者への暴行で前科が
あることなど、本筋のジャマにならない程度に人間ドラマも差し挟まれる。
(でも実はこの「ジャマにならない程度」というのは結構重要だと思うよ)

その中で私が一番フランス人らしいと思った会話は、ノミに食われたと気づき
「ペストに感染したかもしれない」と恐怖に慄く同僚が、自分には子供がいる
のにどうすればいいんだと嘆くと、アダムズベルグは慰めるわけでも「そんな
はずはないから安心しろ」と無責任に否定したわけでもなく、ただひたすら
冷静に「もしもの時は俺が子供たちの面倒を見る」と断言したところだな。

ひょんな事から被害者たちはかつてアフリカに滞在していたことがわかり、
そこで起きた製薬会社社長謀殺に関わった者たちである事から、この事件が
「復讐」であることが浮き上がってくる。父の殺人現場を目撃した少年は
1920年代にペストが流行った時に生き延びた祖母と共に復讐計画を練り、
ネズミを捕らえて培養したペスト菌をばら撒いていたのだった…

と、ここで疑問になるのが「ペスト菌って即効性があるのか?」という事。
ペスト菌については無罪放免だった同僚だって「潜伏期間が…」と言ってたし、
一人の女性なんか夜道で襲われて3時間後に遺体が発見されたんだから、どうも
辻褄が合わない…誰か祖母と少年以外に手を下したものがいるのではないか…

その瞬間「じゃあ姉じゃん」と直感で思ったのだけど、私が姉と思ったのは
「弟の復讐を陰ながら手伝って本懐を遂げさせてやった」という理由なので
動機はハズレ。実際はもっと醜い事実に見ているこちらも眉をひそめてしまう。

姉は弟に遺された父の莫大な財産を狙い、医療の進んだ現在ではなかなか
死に至らない祖母と弟の計画を本物の殺人に変えるため毒物を注射していた。
私生児で捨てられた母と苦労した姉は実は弟から金をむしりとる事しか考えて
いなかったというのは面白いどんでん返しだったけど、あまりにドロドロ過ぎ。
殺人には至っていなくてもそれをやろうとした事により今後罪を償わなければ
ならないのに、その上信じていた姉に罵倒される弟があまりに不憫だったよ。

麻薬栽培をしていた被害者たち。彼らを告発しようとして殺された父の仇を
討とうとした息子と母親。同じ父から生まれながら境遇の違いから弟を憎み
陥れようとした姉。あまりにも醜い人間の業を見た宣伝屋は謙虚になって
また俳優稼業を始める気になり、教授は冤罪によってついた前科で嫌気が
さした人生に執着を持ち始め、警視はカミーユとやり直す道を探し始める。

解決はしても何かスッキリしない。現実はそんなもんだろと言われてるみたい。
フランス映画は決して甘いだけとか皆がハッピーとはいかない厳しいラストが
多いけど、これも非常に苦味の利いた天邪鬼的ラストで悪くないと思ったよ。

(2009/6/6 放映)
ブラック・ダリア6/7(日)

なんだこれ?看板に偽りあり、羊頭狗肉もいいとこだ。

未解決の異常殺人事件「ブラック・ダリア」の謎を追うとばかり思ってたのに、
冒頭から暗い男のモノローグと警官同士のボクシングが続いて「?」と思い、
その後はボクシングの相手であるツレとその彼女との奇妙な「三角関係」が
描かれて「??」と思い、ようやく「ブラック・ダリア」の事件が起きると
大富豪のレズ女とバカ家族が出てきて「???」、その後ツレは唐突に殺され
ツレの彼女を寝取り、レズ女ともヤリまくって「????」、そして肝心の
真相ときたら本当に「はぁ?????」と声を上げて怒りを露にする内容。
しかもラストはツレの彼女の元に戻るって…「はぁ!?!?!?!?!?」

この題名で警官が主人公と来れば「ブラック・ダリア」事件を新たな視点から
切り込むと思うじゃん。未解決事件だからいくらでも解釈はできるにせよ、
もうちょっと納得のいく内容だと思うじゃん。それがなんなのあれは!

金持ちのイカれた女たち(母子)の痴話喧嘩?妻の浮気に対して夫がリベンジ、
さらに妻が再リベンジ?被害者は単にレズ女に似てたから犠牲になっただけ?
もうね、全く意味不明。全く納得できない。そして全くお話にならない内容。

主人公2人もどーしようもなくて全く感情移入もできないし嫌悪感すら抱く。
犯罪者をブチ込んで強盗の上がりをネコババした上にその女を手にいれ、
その事実を知った情報屋にゆすられていた分をマデリンの父をゆする事で
補填していたリー。むしろそんな設定は全てなくして、禁欲的かつ執拗に
「ブラック・ダリア」事件を追うのは「妹を惨殺された過去のせい」という
そっちをクローズアップした方がよかったと思う。肝心の背景の方を無視して
いらない背景の方を彼が死ぬまで延々描写し続けるなんてバカじゃないの。

そしてもう一人のブライカートは行動が中途半端ゆえにもっとタチが悪い。
まぁ最初の試合からして八百長に応じるようなヤツだからもともときれいに
描くつもりはなかったんだろうけど、それにしてもひどい。つか無能すぎる。

何より情けないのはレズだろうがツレの女だろうが女にケツ振られればホイホイ
ついていき、ナッシュの件を優先するというのも口だけで流れを変えられず、
何をやっても後手後手で、最後に彼がたどり着いた結論も真相とは大違い。
むしろ「何であんたがマデリンを殺しちゃうの?」とさっぱりわからなかった。
いや、リーの仇として彼女を逮捕しても金の力でもみ消されてしまうという事は
わかるけど、それでも警官(ましてや主人公)がやっちゃダメだろそれは…

しかしひどい映画だったな…
チンタラチンタラ進んでちっとも事件が起きないし、やっと起きたら起きたで
最初は単なる「背景の一部」でしかなかったし、主人公たちは事件以外の事で
忙しいからエリザベス・ショートの軌跡を過去回想で追っていくこともなく、
我々は実の父親による娘の悪口だの、たかが大部屋女優のくせに大物ぶった
女の話を聞かされ、やっと捕まえたロリファッション女のウソに振り回され、
最後にはエリザベス主演のくっだらないレズポルノを延々見せられただけ。

事件を科学的に追っていく事もなく、それに刑事たちが深く絡む事もなく、
一応両者のドラマを並び立たせてはいるけど無理やりすぎて交じり合わず、
バラバラなまま無理やり過ぎる結末にした、みたいな。マデリンの母親の
キチガイぶりとかホントに唐突過ぎてついていけない。バカじゃないの。

というか原作がどうだか知らんけど、本当にこんな内容なら
「ブラック・ダリア」の名前を冠してる事をJAROに訴えたいよ。

(なお「ブラック・ダリア事件」についてはググれば簡単にヒットするけど、
遺体の写真をモロに載せているサイトが多いのでグロが苦手な人はご注意)

(2009/6/6 放映)
ナインスゲート6/6(土)

この映画は開始後2時間までは悪くないと思う。
悪魔崇拝、世界に3冊しかない本に隠された謎、それを追う金で動く
(ついでに女にも弱すぎる)ブックハンターが、全く先の読めない
展開に翻弄されるミステリアスな物語は悪くはない。つか結構面白い。

しかし…しかしである。

後半15分であまりにも見事にグダグダのダメダメになっていく。

こんなわずかな時間でここまで最低ランクのクソ作品レベルに落ちたのは
珍しいくらい、今までの2時間は何だったのとあっけに取られるアホ展開。
燃えている砦をバックにおっぱい振り乱して男の上でアヘアヘやってる女と
それに乗っかられてオタオタしてるジョニー・デップのバカさ加減ときたら!

まさしく泣けてくるほどのくだらなさだ。

ホント、最初は面白かったんだよ。
スペインの古書店の怪しげな兄弟に始まり、殺されてしまったのが気の毒な
好々爺を訪ねて本の挿絵が少しずつ違い、サインが「AT」ではなく「LCF」
であることを突き止めたりとか、行く先々に電話してくるバルカンの怪しさ、
さらにはテルファーの追撃、ピンチになるとなぜか助けてくれる空飛ぶ女…

バルカンがなぜわざわざコルソを行かせ本の真贋を確かめさせたのかとか
(形振りかまわず手段選ばずの男なんだから初めから本の持ち主を殺して
奪えばいいだけじゃん)、テルファーの夫が自殺したのはなぜなのかとか、
謎の岩顔マユゲ女は本当のところ一体何者なのかとか、命がけで本の謎を
追う途中でそういった謎も全て解明されていくと思ったのに、そんなの

全 く 皆 無 だった。

ホント、信じられないなら見てみるといい。
2時間までは結構面白くて、テルファーがバルカンに殺されてアホらしい
乱交儀式の前の朗読が中断されたあたりで「もうここで終わりでいくね?
なんでまだ続くの?長すぎるとだれる」と思った通りに笑っちゃうくらい
本当にグダグダになっていくから。コイツらバカじゃねと思うから。

これを見たら謎解きものとしてラングドン教授シリーズは不備はあっても
結構よくできてるんだなと思ってしまった。ちゃんと解決していくもんね。
殺されてしまった本の持ち主の二人と古書店を営む友人はホントに気の毒。
あ、でも一番気の毒なのはもしかしたら冒頭、体が不自由になって家族に
本のコレクションを売っ払われ、しかも価値の高い「ドン・キホーテ」を
わずか4,000ドル程度で奪われたあのお父さんかも…プルプル震えてたし。

ラストは実は挿絵が違うことを教えたあの双子の兄弟も岩顔マユゲ女も悪魔側の
人間(?)で、真の挿絵を手に入れたコルソだけがナインスゲートを開く事が
できて「あっちの世界」へ行けたという事らしい。うん、勝手にしてくれ!

(2009/6/6 放映)
CODE466/6(土)

またしても「統制&管理された近未来」の物語だったけど、こちらは微妙。
「未来世紀ブラジル」に比べたら格段に映像技術は進歩してるのにねぇ…
まぁ多分私にとって「恋愛至上主義」的な内容がいかんのだろう。

1時間半ほどのかなり短いコンパクトな映画であることはいい。
ただしさらに10分ほどコンパクトにできる。まず最初のベッドシーンと
逃避行先での拘束ベッドシーンと最後の妻とのイチャイチャはいらん。
なくしてしまえというのではないが(一応テーマが「二人は愛し合う事が
許されない禁忌の関係」であるわけだから)あんなにはいらんだろう。
むしろもっと綺麗なイメージでよい。特に逃亡先での拘束シーンは
ホントの意味での「同意の上の強姦」だからタチが悪ぃや。

「禁忌の関係」とは、体外受精やクローン技術が発展したこの世界では、
戸籍上の関係は他人でも遺伝子上の関係で25〜50%以上の一致があれば
血縁と見なされ、子供を作ってはならないという「CODE46」に基づく。

ウィリアムが一夜の関係を持ったマリアは、その後一発必中で妊娠。
しかしこのCODE46違反で逮捕され、医療介入を受けて堕胎させられる。
その理由を調べたウィリアムは、マリアが自分の母親の1/24のクローン体で
あることを知って愕然とする。そして逃げ出す。ホントにダメだコイツ…

独身で若いマリアはともかく、ティム・ロビンス演じるウィリアムは
妻も子もいて仕事も順調なのになんであんなに執着してたんだか…
結果的には「潜在的マザコン」だったとでも言いたいのだろうか?

しかしこの映画は色々惜しい設定がたくさんある。
というか、むしろ私好みに作り変えてもらいたい。
まったく説明もなくフツーに進められてしまったけど、面白かったのは
行動を抑制したり職務上の助けになったりする謎の「ウィルス」の存在。

ウィリアムが仕事のために植え込んでいた「共鳴ウィルス」とか、
堕胎させられ記憶を消去されたマリアが強制的に植え込まれていた
同じ遺伝子を持つ相手に対する「性行為恐怖症ウィルス」(あの電話も
多分ウィルスの効果によって無意識でかけたんだろう。説明なかったけど)など、
そっちを元にした操作ウィルスと遺伝子ものの方が絶対面白いと思う。

ホント、あんなバカどもの恋愛なんかまったくいらんよ。
若いマリアはしょーがないとして、ウィリアムの数々のバカアクションには
ホントに胸倉つかんで「ボケー!」と殴りたかった。バカじゃないのアイツ。
最後は記憶を消されてすべてを知って受け入れる奥さんと元鞘に収まるけど、
「記憶を消されて戻されるって事は見込みがあるからだろうな」と思ったら
その通りで、マリアの方は記憶を消してももらえず「外」に追放されてしまう。

そういえばウィリアムがパペルを渡したラムネ売りがどうなったかも不明。
だって後々マリアがウィリアムのために偽造パペルを手に入れるために
小箱から出したパペルは「これは偽物。(ためし刷りの)本物とすりかえる。」
と言ってたので、え?じゃああの子は?と最後まで気になっちゃったよ。

というかいつの間にか吹っ飛んでしまった滞在許可証である「パペル」を
元にしたIDものとしても面白くなりそうだったのに。調査によって申請が
通らなかった黒人がデリーで血を吹いて死んだように、「申請が通らない
事には理由がある」と思わせぶりに言ってたくせに何も明かされないし。
(いや、彼の持病が発症するリスクが高かったという説明はあったが、
例えばそれをマリアが知って自分がやってたこと=パペルの横流しが
いかにハイリスクだったかを悟る…という展開はまったくない。)

そもそも恋愛映画というだけでダメダメだが、近未来SF的な設定には
いくつか面白いものがあったし、何より近未来都市上海が未来と過去が
混在する魅力的な街として描かれていただけに色々惜しい映画だったよ。

(2009/6/5 放映)
未来世紀ブラジル6/6(土)

印象的なタイトルが気になって気になって、しかも「ブレードランナー」が
面白かったと言うと映画通からは「なら『未来世紀ブラジル』も見ないと」
と言われるのが定番だった1980年代後半公開のスーパー・カルト映画だが、
30年近い時を経てようやく視聴することができて嬉しい限り。しかも満足。

しかし先日見た「華氏451」や「ブレードランナー」、それに「ガタカ」ですら
そうだったけど、「未来」=「管理・統制社会」と考えたくなるのは面白い。
日本なんかここ数年でこれだけ無理な規制緩和がされたのにねー(←棒読み)
(それによって多くの大問題があちこちで綻んでるのは明白なのに政府は性急過ぎた緩和の過誤を決して認めないだろう)

たとえば役所で手続きをするにはハンコが不可欠で、代理人が申請するなら
委任状を出せのなんのと「役所は色々うるさい」というのが定番だったけど、
今はむしろ役所の方がゆるくて逆に民間銀行の本人確認や本人じゃないと絶対
ダメと言われる煩雑さはずっとウザったい。寝たきりの親をどうやって銀行の
窓口に連れていけばいいんですかと聞かれてビックリした(結局銀行の人が
本人が入院している病院まで来て手続きしたとか!その人もあきれてたわ)

結局は自由になったんですよと言われても、誰も彼もが「どうも誰かに
管理されているようだ」と感じるんだろう。管理されることで守られる
治安も秩序もあるのでそこは折り合わなければいけないと思うのだが…
でもテロを理由に情報管制し、個人思想を支配し、治安維持を目的に
武力を行使するなんてまるで未来を先取りしているようにも見えるね。
まぁこの時代の爆弾テロといえばなんたってIRA系が主力だったけどさ。

いつかの未来、どこかの国で国民の個人情報を司る情報局で働くサムは、
治安を乱すテロリストを捕らえる情報剥奪局が「タトル」と名前を間違えて
「バトル」を拘束し、しかも尋問中死に至らしめた事後処理に手を焼いていた。

地味で面白みのない仕事に満足し昇進より現状維持を願うサム、美容整形しか
興味がないママ、そのママの真似をしては最後にドロドロミイラと化して死ぬ
ばーさん、口下手で社交下手なその娘シャーリー、情報剥奪局のエリートとして
人を拷問死させて生き生きツヤツヤしている友人のジャック…出てくるキャラは
皆どこかイカれたヤツらばかり。サムに至っては鬱屈した日常を忘れるためか、
夢の中ではイカロスもビックリの羽の生えたヘンテコナイトと化して美女と
逢引を楽しんでいる。いきなり出てきた敵がなぜかデカい鎧武者で吹いたわ。

そんなサムの生活を一変させたのは夢の中の美女・ジルが実在したこと。
彼女は階下に住むバトル逮捕が不当であると情報局に抗議し続けているため
「危険分子」と見なされ、テロリストの汚名を着せられて当局に追われている。

そしてもう一人がロバート・デニーロ演じる配管スペシャリストのタトル。
コイツが出てくるだけで場面が非常に面白くなるのでもっと出てきても
よかったと思うのだけど、出すぎたらデニーロ映画になっちゃうのかも…
意地悪でいやらしい二人組の配管工(仮名・マリオ&ルイジ)のスーツを
配管を繋げてクソまみれにしたり、ビルの谷間をケーブルダイブしたりと
なかなかエキセントリックでかっちょいい。最後には捕まっていざ拷問を
受けようとしていたサムを救い、銃撃戦を繰り広げて街へ逃すのだけど、
書類にまとわりつかれ、そのまま消滅してしまうという「情報によって
人が消される」ことへの皮肉ともとれる不気味な最期を迎えてしまう。

何より私がゾクリとしたのはこの映画のラスト。
確かに後半に行けば行くほど重要なセリフがほとんどなくなり、拷問しようと
してたにせよ親友のジャックが頭を撃ち抜かれて血まみれになったり、葬式に
迷い込んだら母親が別人のような若い美女になってたり、重役の部屋でなぜか
夢の美女になりきったジルが待ってたり、夢と現実が交錯して何がなんだか
わからなくはなってるんだけど、トラックで飛び込んできたジルが彼を救い、
二人は管理社会を逃げ出して野山と美しい空が広がる田舎へと逃げていく…

…というハッピーエンドと思わせて、実はサムは既にジャックの拷問を受け、
精神崩壊によりあっちの世界へ行ってしまっていたという冷たい終わりなのだ。
つまり逃亡シーンは全てが別世界への扉を開いたサムの哀しき「内的宇宙ノ図」
まるで巨大な銀の卵のような無機質な空間に取り残されて、目を開いたまま
身じろぎしないサムが口ずさんでいる「Aquarela do Brasil」が物悲しい…

80年代というのは明るく軽いポップなイメージとは裏腹に、緊張感漂う冷戦や
エネルギー危機や南北格差問題、HIVのような未知の病が突然表出してきたり、
衛星をぼんぼん打ち上げ、地上でもネットワークの発達で情報伝達がめざましく
発達したため経済を支配するのが白人社会だけではなくグローバルになったり、
それによって欧州の東西問題、中国民主化運動(天安門事件)、ソ連崩壊などに
繋がる巨大なうねりも見せた。そして一方で人々は皆、「今は楽しいけど未来は
どうなるのか?」と世紀末に向かう次の10年への不安が混在し、それゆえなのか
文化的には一風変わったものも多く生まれた。この時代を生で知っているだけで
90年代前半のバブル・カルチャー、後半のチープでお手軽なジャリギャル文化、
2000年代のテロブルー(テロ+テリブル+ブルー)文化しか知らない若い世代より
得した気分になる。しかもこれはきっと70年代や60年代世代も感じてると思う。
(来年から始まる2010年代文化にはこれらを超えるいいものを世に出してもらわねば)

鮮やかでどぎつすぎる色彩(だからこそカーキ色を着るジルや黒いスパイスーツのタトルが逆に印象的)、
驚くほどいくつもの曲にアレンジされた「Aquarela do Brasil」の繰り返し、
ジャックを挿し直す有線電話、オブジェのような配管、テレビ電話+タイプの
ようなコンピューター、お掃除ロボットやしつこく調べるカメラなど、まだまだ
CGが当たり前でなかった時代に試行錯誤しただろう小道具の手作り感も面白い。

この不条理さとわけのわからなさは間違いなく万人に受け入れられる映画では
ないと思うけど、どこか不思議と惹きつけるものを持つ「カルト・ムービー」
という評価に異存を唱えるつもりなどない、ちょっと変わった作品である。

(2009/6/2 放映)
許されざる者6/5(金)

西部劇といえば名前が挙げられるであろう一人のバート・ランカスターが
出ていても、オードリー・ヘプバーンが出演してなかったら闇歴史として
葬られたのではないかと思われるような作品。昨年の黒澤映画特集でも、
毎回毎回うんざりするほど出されたテロップの「この映画には差別的な
表現が含まれますが当時の時代背景や世相を考慮し…」を踏まえないと
ちょっと見られないくらいネイティヴに対する差別表現はすさまじい。

「許されざる者」というのがあの芝居がかった物言いをするじーさんの
事かと思わせておいて実は…という展開にはちょっと驚かされたけど、
いくらなんでもオードリー・ヘプバーンはミス・キャスト過ぎる。

だってちょっと色の濃いファンデーションを塗ったくらいでネイティヴの
フリしても、オードリー・ヘプバーンの顔の造り自体が白人丸出しだもん。
どうしてハリウッド映画はこんなムチャな設定をするのやら…

往年の西部劇らしく走りながら代え馬に乗り移ったり、合戦の最中に馬は柵を
飛び越えたのに人は撃たれたフリして馬群の中に落馬したり、見ててヒヤリと
するようなシーンも多かった。オードリー・ヘプバーンの乗馬も柵は落とすわ
馬群を割って走ろうとしてるのに前の馬が意外とのんびり歩いててあわや衝突、
みたいなドキドキシーンの連発だった。いや、でもオードリー・ヘプバーンは
実は乗馬が得意で…だったらどうしようと思って調べたら、彼女、この映画で
落馬して脊椎を怪我したらしい。やっぱりー!!見ててヒヤヒヤしたもんなー

最後にはネイティヴの赤ん坊を拾って育てたかどで村八分にされた一家が、
彼女を取り戻そうとするネイティヴたちと銃撃戦になるラストシーンで
人がばたばた死んでいくのでビックリ。無論村人の援護も最後までなく、
一家の母親が死に、家も丸焼けになって4人で空を見上げて終わりという
「えっ?!で、あんたたちこれからどうするの?」とこっちが驚くような
あまりにの切りっぱなし・投げっぱなしの終わり方にはあっけにとられた。

しかもレイチェルはようやく会えた実の兄の話すら聞かずに撃ち殺すんだもん。
これが「敵対する妹を探す兄」が主人公だと妹は絶対兄貴を殺さないのにさ…

あと母親が首に縄をかけられて吊るされる前に事実を告げるじーさんの口を
塞ぐため、薪の燃えさしを死刑台になってた馬のケツにくっつけて死刑を
執行しちゃったのはいきなり過ぎてビックリした。最近のちっとも怖くない
インチキで汚いだけの脅かしホラーも顔負けのどっきりシーンだったよ。

(2009/6/4 放映)
エターナル・サンシャイン6/3(水)

えーと…

もうサイコものはイヤだと言っておるのにまたしてもサッパリ理解不可能な
サイコラブ・ストーリー。ある日突然自分の記憶を消した彼女に嘆き悲しむ
主人公は、お返しに自分も彼女の記憶を消してやる!と記憶消去に挑む事に。

記憶の消去にはまずは記憶地図とでもいうべき、その消す記憶をある場所に
集めるような作業が必要らしい。そうやって最新データとして更新された
「記憶」の上澄みを眠っている間に装置を使って消していくのだそうだ。

しかし「〜そうだ」と言うのはあくまでも私の想像で明確な説明は一切ない。
記憶を消去する技師が主人公の家にあがりこみ、眠っている彼の酒や食い物を
飲み食い散らかし、挙句の果ては彼女を呼んでバカ騒ぎをした印象しかない。
しかももう一人の技師ときたら記憶を消した主人公の彼女の彼氏として後釜に
ちゃっかり座ってる。不動産屋が貸した部屋に合鍵で忍び込むようなもん?

エキセントリックなクレメンタインに振り回された地味で陰気なジョエルは、
消去されていく記憶の中で彼女との楽しかった思い出を再認識していくと、
なぜか「彼女を忘れたくない」と思ったらしく、必死の抵抗を試み始める。
彼女の記憶を子供時代や恥ずかしい記憶の中に隠し、記憶の迷路を逃げ回る。

それでも徐々に記憶は消されていき、記憶は彼女との出会いまで遡っていく。
途中でああ、冒頭のシーンは記憶を消された朝の事なのだと気づいてしまい、
なら結末はどうなるのかと思ってからがこれまた長い。大体気づくのが結構
前の方なのでこれまた辛い。もう記憶の中の出来事はいいから、早く結末を
示せよとケツに火がついた。さほど長くはないけど、もっと短くてもいい。

ホント、ただ二人の記憶消去合戦を見せられただけなら「つまんねぇな」で
終わってたと思うんだけど、あの博士と不倫してた受付嬢も「記憶消去」を
してたというのはかなり意表を突かれた。この映画はあれが一番面白かった。
(だからといって自分の意思で記憶を消した人たちにテープを送りつけるのは
どうかと思うけど…ホントにすべてを忘れたかった人もいただろうからさ)

その受付嬢が結局やっぱり博士を好きになったように、クレメンタインも
海岸で初めて会った時のように電車の中で親しげにジョーに話しかけてくる。
完全にリセットされたのにやっぱり惹かれあい、また失敗するかもしれないけど
結局元鞘に戻る…という「はぁ!?じゃ、そもそもなんでそんな事したの?」と
首根っこつかんでぶんまわして聞きたくなるくだらない痴話喧嘩映画だったよ。

でもまたしても暗い陰気な青年役だったジム・キャリー(なぜ私は未だに彼の
コメディ映画を一本も見てないのだ)は常識的でまじめで朴訥で面白味のない
感じをすごくよく演じていて、ケイト・ウィンスレットも毎回髪の色が違う
衝動的で無教養で無鉄砲で自分勝手なクレメンタインを好演してたと思う。

ブリーフ姿で踊るイライジャ・ウッドも、衝撃の事実を知るキルスティン・
ダンストも総じて非常によかった。脚本も博士と受付嬢の意外な不倫関係に
ついては正直やられた感もあるし…でもやっぱり物語そのものは面白いとは
言いがたいなぁ…あと夢を彷徨う不条理演出も好きじゃないので辛かった。

(2009/6/2 放映)
麗しのサブリナ6/3(水)

以前から何度か見る機会はあったものの、なんとなく見損ねたまま
劇中の人々曰く「何でもありの20世紀」が終わってしまった。

大金持ちのお屋敷に仕える運転手の娘がその家の長男の心を射止めるのは
確かにシンデレラ・ストーリーなんだろうけど、サブリナがパリでもっと
洒脱さや教養やコケティッシュな魅力を身につけて男たちを翻弄するような
ラブコメディかと思ったらただの恋愛ものだったのでちょっとガッカリした。

というか先日見た「昼下がりの情事」とパターンは全く同じなんだもん。
オードリー・ヘプバーンは結構あざとい策を弄して男を落とすハンターで、
相手は一度は彼女を捨てようとするものの、なんだかんだで戻ってくる。
裕次郎モノとか若大将みたいに「オードリーもの」ももうテンプレみたいに
なってたんだろうね。むしろ別れを選んだ「ローマの休日」が珍しいのかも?

しかもどっちも前途多難というか、絶対幸せになれないだろうなと思える。
何より相手といかんせん年が違いすぎるもん。いくら大スター同士を共演させる
ためとはいえ、なんだって相手が50代ばっかりなんだ。フツーないだろそれは!
(ってか50代にもなって20代の女にうつつを抜かす男なんぞみっともねー)
というかただでさえ小さいボギーがしょぼくれた猫背じゃ余計にチビに見える。

ライナスが自分が結婚しない理由を「仕事優先人間」であるからだと
言ってた通り、彼は蜜月が終われば絶対また仕事に戻るに違いない。
サブリナは恋する乙女心で一杯の娘ゆえ、現実と理想のギャップに
悩んで不満をぶつけ始めるという有閑マダム街道まっしぐらだろう。
(ちなみに「昼下がり」は当然クーパーの浮気癖が治らないことだな)

でも正直、サブリナの気持ちがデビッドからライナスに動いたきっかけが
なんだったのかよくわからなかった。何か事件でもあればよかったのに。
ライナスも意地が悪くて、いくらサブリナと会わせないようにしたにせよ、
シャンパングラスをケツポケットに入れた弟を座らせ23針も縫わせるとは…

オフィスの中にあるキッチンとか、宿泊室があるとか、サトウキビ製の
強化プラスチックとか、自動車電話とか(実用化されてまだ10年弱の頃)
ちょっと驚く背景も一杯。そのくせ映画(「七年目の浮気」だったよ)は
めかしこんで出かけるものだったり。着ていた主人公の名前がつけられた
「サブリナパンツ」は姿勢のいい細身の彼女にはホントに似合ってたなぁ。

とはいえ正直言うと、パリから帰って「垢抜けてキュート」になった事を
ちょっと鼻にかけた鼻につく娘よりも、素朴で地味で「頭に馬を飼ってる」
ポニテのアメリカ娘サブリナの方がフツーに可愛かったような気がするよ。

(2009/6/2 放映)
4分間のピアニスト6/2(火)

「数分とは?」「4分」

精神病院が続いたので今回はムショもの。
人を殺したかどで投獄されているジェニーは天才的センスを持つピアニスト。
彼女は幼い頃から世界中を巡り、モーツァルトよろしく演奏旅行とコンクール
荒らしを続けていたが反抗期の訪れと共にピアノを放棄し、その時彼女いわく
怒った養父に犯され、その後は王道の非行街道まっしぐらだったのだそうだ。

この映画にはもう一人の主人公がいる。
それはクリューガーという昔気質の頑固で気の強いドイツ女。
彼女は刑務所で更正の手助けのためにピアノを教えているが、どいつもこいつも
才能がなく、彼女を師と慕う看守のミュッツェの事も「ウザい」と嫌っている。
彼女にとっては音楽の才能こそが愛するもの。だからジェニーがどれほど凶悪で
粗暴で礼儀知らずでも関係ない。ただその音楽の才能だけがあればいいのだ。

物語は暴力的で誰にも心を開こうとしないジェニーと、穏やかだけど厳しく、
やはり誰にも心を開かないクリューガーがピアノを通して徐々に歩み寄り、
最後はジェニーを短時間だけ脱走させてコンクールに出し、破天荒すぎる
演奏で満場の拍手喝采を浴びるシーンで終わる。この時の演奏はもう…
なんというか斬新過ぎて聞き苦しい。普通に弾いたほうが感動的だったよ。

オールドミスのクリューガーはレズであり、しかも恋人のハンナはコミュニスト
だったためにナチに処刑されてしまう。そうした暗い過去が彼女の人生に影を
落とし、人を遠ざけ近寄ってきても受け入れず、ただピアノのみを愛している。

それが細切れに差し挟まれ、しかもクリューガーの独白も遠まわしだったりして
わかりづらいのと、ジェニーがほとんど自分の考えを示さないので感情移入が
しづらかった。全体的に「考えるな、感じろ!」的な構成で、フィーリングで
楽しめる人にはいいかもしれないけど、ストーリーや台詞の応酬を楽しみたい
タイプの私にはあまり合わない(誰かと会話すると大概ケンカになるしなぁ)

目覚めたら同室者が首を吊ってたとか、陰湿ないじめで右手を焼かれたりとか
水槽の水が魚ごとぶちまけられたりとか、結構衝撃的な映像や展開もあったけど
全体的に非常に暗くてスカッとするようなことはない。最後のスタンディング・
オベーションすら「え〜…あの演奏がですか?」という感じで腑に落ちない。

でもクリューガーが教会のミサ中にオルガンを弾いた時、その上げた
フタにまるでその曲を弾いているかのように一心不乱に手を動かす
ジェニーが映っていると気づく演出はなかなかドラマティックだった。

(2009/6/2 放映)
ハッカビーズ6/2(火)

「ファッカビーズ!!!」

そりゃそう言われるよねといわんばかりのスーパーマーケットチェーン店
「ハッカビーズ」の名前を冠するくせに、そのスーパーのエピソードは
ほんのちょっぴり、あとはひたすら不条理で不愉快なキチガイビジョンが
てんこ盛りのバカ映画。笑えればまだ可愛げもあるがクスリとも笑えない。

あまりにも くだらな過ぎて 何か書く気にもなれないよ。
ダスティン・ホフマンもジュード・ロウもなんでこれに出たんだろう。
全米では結構ウケたと聞いてもただただ「へぇ…」とシラけるばかり。

ひどかったのは主人公と消防士がセネガル人の難民の子を引き取った
家庭にズカズカ乗り込んで好き放題自分の主張をしゃべりまくるシーン。
でも逆に言えばそのシーンが一番インパクトがあり、あとはひたすら
ダラダラダラダラくっだらない事を言い合って、虚無がどうの繋がりが
どうの緑を守れの石油を使うなだのこの帽子が似合うかどうかだの…
ホントにこっちからしたら「どーでもいい話」が延々と続くだけ。

偶然がどうのこうの言ってたけど、結局偶然なんかないって事なのかね?
それとも出会いという偶然より大切なのはそこから先への関係の構築であり、
意識しなければ偶然は偶然にはならないってこと?だって私たちだって日々
そこらを歩いてる人とすれ違うのは全部偶然だもんね。「あれ?あの人…」
と意識し始めた瞬間、それは現金なことに偶然ではなくなるんだと思うな。

最終的には羨み、妬み、憎んでいた相手に対して実は最も親愛感情を
持っていたという事を証明したって事でいいのかね?よくわからんよ。
ホントにひとつも面白いところや褒めるところのない映画だったなぁ。
泥で顔洗ったりとか、病的なまでの環境保護運動とかウザ過ぎる。
両親の無関心ぶりもひどかったしね。でもああいう親いるかも。

あ、ジュード・ロウが自分がスターと親密でしかも彼女を操れる人間だと
示す証拠のツナサンドの話ばかりしているって検証は唯一面白かったかも。
中途半端なロンゲ主人公の濃すぎる上に真っ青なヒゲもひたすらウザかった。
あとここでも死体袋みたいな黒い寝袋に入れられると変な映像が見えるので
もうしばらくこういうタイプのサイコものはおなか一杯ッスとゲンナリした。

(2009/6/1 放映)
ジャケット6/1(日)

1度目の死で過去を、2度目の死で現在を失い、新たな未来に生きた男の物語。

冒頭から全く意味不明でわけがわからず、それゆえにむしろ気になって先を
見てしまった怪作。軽くあらすじを読んだ時は「タイムトリップ+サスペンス」
という事だったので見たのに、また精神病院。最近精神病院ばっかじゃないか!

今はもう懐かしい湾岸戦争で地元の少年に撃たれて頭に重症を負ったジャックは
記憶障害を持っている。だから警官殺しの犯人に車に乗せてもらったのに無実を
証明できず、かといって罪にも問われないので精神病院送りにされてしまった。
そこで行われたのは薬漬けにされ、拘束衣(ジャケット)を着せられて死体を
入れる「引き出し」に入れられて放置されるという恐ろしい治療だった…

…という流れで怒涛のように進められた物語は、ある日唐突に切り替わる。
拘束衣を着せられて引き出しの中に入れられたジャックがなぜか突然雪の
駐車場にぼんやり立っている。そんな彼をある女性が車に乗せてくれた。
記憶もなく目的もわからない彼をクリスマス・イブに引き取るバカもいず…

仕方なく一晩を過ごす事にした二人だけど、ジャックは寝入った彼女の部屋に
自分のドッグ・タグがある事に驚く。それは精神病院に入れられた警官殺しの
事件の前に、雪道で立ち往生していた車を直した時ジャッキーにあげたもの。
驚くのは無理もない。そのジャッキーはまだほんの小さな少女だったのだから。

タイムトリップが引き出しに入れられている時に起きるという法則が
非常にわかりづらく(本人にもわかってないので無理はないのだが)、
時系列のシャッフルなのかどちらなのか見極める時間が無駄になった。

それにジャックを演じたソリッド・フェイスのエイドリアン・ブロディは
演技派なんだろうとは思うのだが、囁き声を多用して夢と現実を彷徨う
不思議な雰囲気を演出しているからところどころイラッとするんだよな。

やがて2007年にタイム・トリップするたびに1993年の1月1日にジャックが
死んだ理由を探り始めるんだけど、最終的にはそれはどうでもよくなる。
というかベッカーが殺したんじゃないかとか非人道的治療による事故じゃ
ないかとかいろいろ考えたのに滑って転んでご臨終って…なんだそれ…

事実が判明した今、一番よくわからないのは女医がなんでジャックの死因を
話さなかったのかということ。欠損障害の子への電気治療が有効だと教えて
もらった事でジャックが未来に行ってる事の確信を得たはずなので、瀕死の
ジャックに医者として救命治療より拘束衣を着せて引き出しに入れるという
行為を選択したんだと思うんだよね。それはタイム・トリップを信じたって
事だったんじゃないの?だったら2007年に目の前に現れたジャック=本人と
気づいたんじゃないの?でもそれならなんで死因を教えなかったんだろう?
あ、1993年に死ななかったらその後2007年には来られなかったからかな?

しかし後で引き出しから出てきた死体(ジャック自身はその時すでに2007年に
旅立っているので実際には死んでないのだが)については申し開きはできないよな…

ジャッキーの母親への手紙を書いたことでジーンは死なず、ジャッキーも
ウェイトレスなどではなく病院勤めのまっとうな人生を送っているらしい。
ラスト、過去を変えた事でジャッキーがジャックの前を素通りしちゃうなら
ちょっとほろ苦くて面白かったのに、な〜んだという感じで締まらなかった。

(2009/5/31 放映)
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