映画感想 2009 旧作 5月分
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 2009  5

ライラの冒険 黄金の羅針盤5/31(日)

う〜ん…

昨年の春の公開で鳴り物入りだったような気もするけど、ヒットしなかったのは
なるほどなぁという感じ。これは無理もない…いや、製作が悪いとか配役やCGが
ショボいのではなく、何より物語がちょっと陳腐すぎるんだよ。「指輪物語」は
言うに及ばず、「ナルニア国」や「ハリー・ポッター」、サンデーで完結した
「ダレン・シャン」すらも超える面白さがない。設定が子供だましっぽい。

世界観も、冒頭で言葉で説明してくれるのはありがたいんだけど、現実から
さほど離れておらず、たとえば教権という宗教的権威集団とか、別世界への
冒険(のための資金集め)とか、ジプシャンという名前とか魔女とかクマとか
こちらの想像の域を超えない。ただひとつ、「ダイモン」という魂の具現体は
なかなか面白い発想で、人には必ず一体ついており、柔軟な子供のダイモンは
本人の心理状態によってネズミ、鳥、ネコ、犬とその姿を自在に変える事かな。

とにかくこちらの想像を覆したり、「へぇ」とうならせたり、「えっ!?」と
思わず前のめりになるシーンが皆無。物語はこの先こうなるだろう、こいつは
仲間になるんだろう、この正体は○○だろう、最後はこうなるんだろう…と
すべてが思ったとおりに進んでいく。ソツがないといえばないけど、だったら
巨額の金をかけて映画化する必要あるかねと。もっと物語で唸らせてくれよと。

ポリアンナさんを見習ってよかった探しをしようにも、「ミスト」の件も
羅針盤の件もお父さんの件も異世界の件もすべて「冒険はこれからだ!」と
ラストでしめくくられてるもんだから、序章にしか過ぎないこの作品だけで
語ることができない。できない上に続編製作が永久凍結らしいのでこのまま
ひっそりと終わるんじゃないかと思う。作られても主役はじめキャストが
全とっかえって事もありうるよね、何年か後に。ライラ育っちゃうもんな。

何より不満だったのは、この作品のタイトルであり重要アイテムである
羅針盤の動きをよく見せてくれないこと。3つの針で3つのシンボルを指し、
心の中で質問すると青い針がシンボルを指して答えるという仕組みなのに、
肝心の何のシンボルを指してどんなシンボルが示されたから「答えはこう」
とならないんだもん。金色のバックに映像が浮かんでそれが答えだもん。

回答は映像の方がわかりやすいということは認めるのでいいんだけど、
せめて質問に使ったシンボルが何だったのかくらい見せてくれよ!
一回くらいならともかく結構回数が多いのでストレスだったよ。

ちなみに今はもう公式サイトも英語版になっちゃうみたいでないけど、
私が公開時にやった「ダイモン判定」の結果は「ミサゴ」だった。

31種類のダイモンたちはこちら
(2009/3/14 放映)
さよなら子供たち5/31(日)

「さよなら、子供たち。また会おう」

ナチス占領下のフランスで起きた、美しくも哀しいとても残酷な物語。

あの時、僕が振り向かなかったら…

ルイ・マル監督本人であるジュリアンは、きっとあの後ずっとそう思い続けて
生きてきたんだろう。本当は彼のせいなどではないのに、彼が受けた心の傷が
鮮やかに蘇るあの一瞬はあまりにも哀しいこの映画屈指の名シーンだと思う。

パリの空襲を避けて田舎に学童疎開した富裕層の子供たち。
大部屋であてがわれたのはベッドひとつ、食べ物が少なく家庭からの
差し入れはみんなの共有物とみなされ、ビタミン不足で顔色は悪く、
暖房もないため膝小僧を出した彼らはいつも震えてシモヤケだらけ。

そんな風にストレスで一杯の男の子たちだから、弱い子を見つければ
容赦なくいじめるし、ちょっとしたことで腹を立てて喧嘩も始まるし、
台所の下働きから物々交換でタバコや切手をせしめては日々の鬱憤を
晴らしている。フラストレーションがたまったネズミは攻撃的ってヤツ。

優等生のジュリアンは金持ちのボンボンらしくまだまだ甘ったれの
ママっ子で、しかも未だにオネショの癖が直っていないのが悩みの種。
一緒に疎開してきた兄はそんなジュリアンをからかってばかりだけど、
さりげなく気にかけてくれ、荷物整理を手伝おうかと言ってくれたり
悪童たちとタバコを吸う時にちょっと仲間に入れてくれたりもする。

優等生ということで一目置かれていることもあり、クラスメイトとも
概ね良好な関係を築いている。しかし気になる転校生が入ってきて
なんとなく心が落ち着かない。彼の名はジャン・ボネ。ジュリアンに
匹敵する学力の持ち主で、彼を凌駕するピアノの腕を持ち、いじめを
受けても穏やかに受け流し、一人で本を読んでいるのが好きな少年だ。

彼もまた優等生のジュリアンに何かを感じるのか親しげに接するものの、
フラストレーションで一杯のジュリアンは彼を邪険にあしらうばかり。
しかし勝手に見た彼の持ち物の本の中に鏡文字で書かれた彼の本名を
見つけ、彼がプロテスタントですらないユダヤ人であることを知る。

ユダヤ人への偏見のない母とレジスタンスに入りたいと願うドイツ人嫌いの
兄に囲まれて育ったジュリアンにユダヤ人を嫌う基盤はない。家庭の状況が
いかに子供の教育に響くか、ホントに家庭を持つ人は考えなきゃいかんよ。
子供が悪口を言ったり(今は「書いたり」か?)いじめをするのは多くは親がそのレベルだからだ

初めはジュリアンが一方的に反目してて拒絶されるボネが痛々しかったけど、
徐々に仲良くなっていく姿は二人とも少年らしくて無邪気でとても可愛い。
空襲警報が鳴ってるのに上手なボネからピアノを習ったり、二人で台所で
こっそり作ってたのは、あれはなんだろう?焼き栗かな?

しかしそんな窮屈でも楽しい学校生活は長くは続かなかった。
ある日卑劣な密告によって現れたゲシュタポは、ユダヤ人を
かくまった神父、ユダヤの子供たちや教職員を次々逮捕する。

ジャンは連行される時、友人たちと握手を交わす。

さよなら、さよなら、さよなら…

それは再会する約束のできない、本当のさよならなのだ。

閉鎖される学校から退去を命じられるジュリアンたちも、被占領国民の
フランス人たちも彼らを止めることはできず、ただ黙って見送るだけ。
彼らを待ち受ける運命がどれほど過酷なものかを知っているからこそ、
この別れのシーンはいたたまれない。富裕な者に、虐げられた者たちへの
慈悲と祈りと説いた神父も、小さい子を突き飛ばした生徒に立ち向かった
正義感溢れる少年も皆、この後強制収容所で死んでしまうのだから…

ジュリアンが密告者であるジョセフを睨みつけるのはもちろん無理はない。
けれど足の悪い彼が富裕な坊ちゃんたちに馬鹿にされ虐げられ、彼らから
手に入れた物を闇に流して金を得ていた事や、それが原因でクビになった
腹いせであることもまた、貧しさという負の連鎖を思わせてゲンナリする。

この映画は見たくて見たくて仕方がなかったのに、結局20年以上も
時を経てしまった。その理由というのが私の天邪鬼な性格によるもの。

「マルセル」シリーズ、「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」、「リトル・
ダンサー」「フル・モンティ」などいくつかのミニシアター系と同様に、
まだ評判にすらなっていなかった公開前に既に「あ、これ見たいな〜」と
思ったにもかかわらず見損ねてしまい、その後見た人たちが絶賛するのを
見れば見るほど「最初に目をつけたのに見ることができなかった」という
負い目から頑なに見る努力(=レンタル)をしようとしなかった作品のひとつ。

こういう頑固さが自分に損をさせているとわかっているのだがやめられない。
思春期なら悩みもしようが、今はもう諦めて死ぬまでつき合ってやろうと思う。
けれど時を経てなお、ジュリアンが思わず振り向いてしまったあのシーンでは
思いかけず涙が溢れて止まらなかったので、感受性は衰えていないと感動した。

(2009/3/21 放映)
ニュートン・ボーイズ5/30(土)

「45口径を5,6発だぞ。いっそ殺せよ」

結構笑えるセリフも多かったけど、一番爆笑したのはじーちゃんのこの言葉。

そんな重傷を負ったドックは回復後4年でよかったのに手違いで5年も服役し、
その後もまともな道は歩かなかったらしく77歳にもなって銀行強盗をして
83歳で天寿を全うした。このインタビューに答えた末っ子のジョーは88歳、
1989年まで生きた。ヒゲの酔っ払いジェスは77歳までカウボーイのままで、
長兄でリーダーのウィリスもルイーズを伴侶とし、ずいぶん長生きした。

そんな実在した銀行強盗一味であり、全米でも有名な列車強盗犯でもある
「ニュートン兄弟」の物語。かつてジェシー・ジェイムズが始めた銀行強盗
スタイルが通用しなくなった禁酒法時代。何より人を殺しまくったジェシー・
ジェイムズの極悪なやり方とは違う方法で全米を荒らしまくったのが彼らだ。

その方法とは、昔ながらの四角い金庫の扉をニトロで吹っ飛ばすというもの。
人気のない夜を狙い、夜警や近所の人を傷つけることなく大金をせしめては
羽振りのいい生活を続ける一味。犯罪現場に居合わせた目撃者の、彼らは
「礼儀正しい田舎の若者」だったという証言が笑える。のほほんとしてるな。

トロントまで行った時の現金輸送中の人々を襲ったのはいただけなかった。
確かに簡単には見えたけど、カナダ人は思った以上に頑固で石頭。そして
何より勇敢で街の人々も物を投げたり罵声を浴びせたりとアメリカでは
受けなかった仕打ちを受けて、金は奪ったものの退却を余儀なくされる。
まぁ救いはこの時の銃撃戦で怪我人はいても死人は出なかった事かな。

夢だった油田の掘削に失敗したウィリスは夢よもう一度と再び悪の道に
戻る事にする。今度の仕事は300万ドルの現金を運ぶ列車を襲うこと。
(300万ってこの当時ならどれくらいだ?360円だとしても10億円以上?)
郵便局員や運転士たちを傷つけることなく強奪には成功したものの、
ドックは仲間に撃たれるわ粘り強く追ってきたFBI捜査官には捕まるわ
ついに年貢の納め時…と思ったのに、取引で情報源を告発し減刑される。

悲劇的終わり方ではない犯罪者ものは珍しいと思うし(しかも実話だし)、
エンドロールでは生前の本人たちの映像も登場するサービスぶり。
全編に渡って陽気で明るくて湿っぽくないし、20年代の古き善き
アメリカのファッションやジョークやクラシックカーなどオシャレ感
たっぷり。まぁ正直物語自体はそんなにすごく面白いというわけでは
ないのだけど、空いた時間にスルッと見られるラクチンな映画だった。

(2009/5/27 放映)
イカとクジラ5/28(木)

なんだこりゃ…

不愉快になるほどではないのだけれど、「この親にしてこの子あり」
というような描写ができすぎていてなんとも…ステレオタイプすぎない?

淫乱でアバズレな母親と、学校だろうが家だろうがマスターベーションに
ふけって精液を本やロッカーにつけまくり、酒を飲みまくってる次男。
口ばかり達者で実際には何もしない・できない父親と、その影響を受けて
他人の知識や他人の言ったことを自分の意見のようにすりかえ、はては
歌までパクる、今もネット界にはごろごろいるググラーそのものの長男。

このしょーーーーーーーもない家族が崩壊し、修復不可能になっていく
救いのない物語。正直全く面白くない。大体なぜ1986年が舞台なのかも
物語の中で意味が語られることがない。単に監督の年代ってだけなのか?

「子供のいない夜も必要なの」

こんな事を平気で子供に対して言ってしまうのが昔からアメリカンだと
別世界扱いしてきたけど、今はこんなのゴロゴロいるもんね、日本にも。
真夜中に煙もうもうの焼肉屋にバギーですらない乳母車で生後3ヶ月くらいの
赤ん坊を連れたツインテールにゴスロリファッションのヤンママが現れた時は
ビックリ仰天したなぁ他人事他人事と呪文のように唱えつつ見て見ぬフリをしたものよ

題名の「イカとクジラ」は長男が子供の頃母親と一緒に見た博物館の展示物。
怖くて指の隙間から見たそれを、今は凝視することができる…ということが
大人になったという証なんだろうけど…ホントに意味がわからん映画だわ。

救いは1時間30分もなかった短い映画だったこと。
マッケンローやコナーズやボルグの名前はとても懐かしかったけど、
うん、ホントにこの時代のアメリカン・ミーイズムはわからんわ…

(2009/5/26 放映)
さらば、わが愛/覇王別姫5/27(水)

この映画がヒットした頃、いいという噂を聞けば聞くほど
「でも私はこの映画を見てもきっと複雑な気持ちになるだろう」
と思っていた。だからこそ当時は敢えて見なかったと言っていい。
そして今回初めて視聴し、あの時の直感はハズれていないと思った。

無論悪い映画だったというわけではない。
私は「フォレスト・ガンプ」という映画は「純粋な愛と信頼を描いた感動作」
などではなく、知ってるようでよく知らない「知られざるアメリカ現代史」
を見事に描いた「歴史娯楽映画」だと思っているのだが、この映画も似ている。
舞台にかける熱情と蝶衣の兄弟子小楼に寄せる愛情にも似た思慕を描きつつ、
「知っているようで全然知らない中国近現代史」もお勉強できてしまう。

中国人や韓国人がついつい感情論だけで描きがちな我々日本人に対しても、
精一杯の敬意を払ってくれている描写だったのがちょっと嬉しかったり。

6本指だった蝶衣…豆子の指を母自ら切り落として弟子入りさせた
京劇団の修行は鬼の厳しさ。豆子にとって何かとかばってくれ、
やさしくしてくれる石頭こと小楼の存在は何よりの救いだった。

豆子が脱走して厳しい折檻を受けたり、脱走仲間がそれを恐れて自殺したり、
果ては男色好みのパトロンの元へ行かされたりと数々の苦難を乗り越えて
成長した二人は、豆子がセリフを間違えたと呆れていた支配人・那すらも
ペコペコするほどの売れっ子俳優になった。二人の十八番は「覇王別姫」

日本軍の侵攻、国民政府の大陸追放、中華人民共和国の設立、文化大革命…
芝居に打ち込む二人をめまぐるしく変わっていく時代が否応なく変えていく。
妓楼の娼婦・菊仙と結婚した小楼に絶望して縁を切ろうとしたり、アヘンに
溺れたりと色々なシーンが細切れに出てくるのでちょっとわかりづらい時も
あった。理由はないんだけど、このへんの構成がいかにも90年代的だと思う。

菊仙が蝶衣と小楼を引き裂こうとして、日本軍に加担した売国奴の汚名を着て
法廷に立つ蝶衣を救おうとする(その代償は二度と小楼と共に舞台に立たないこと)
んだけど、蝶衣がそれを拒否したりと完全に小楼を巡る三角関係に発展。

結構中盤まではトロトロと進んでたんだけど、クライマックスの文化大革命は
短い割には実にえげつなく(短いのはアメリカが赤狩りをさりげなく無視する
ように中国人もあまり触れたくないからかも)3人の運命を大きく変えていく。
京劇は弾圧を受け、役者たちは命の危険にさらされる(事実名門の袁先生も
建国初期に熱狂的な党員たちのシュプレヒコールに送られて殺されてしまう)

蝶衣が日本軍の前で歌ったこと、袁と男色関係であったこと、アヘン中毒で
あったことを暴露する小楼。蝶衣もまた小楼が娼婦を妻にしていると暴露し、
三者の危ういバランスは完全に崩れてしまう…菊仙の自殺という最悪の形で。

菊仙といえば身重の体で暴力的な軍人たちの中に入っていくのは
バカじゃないのと信じられなかった。案の定腹を殴られてしまい、
しかもエグい事にその場で流産してしまうのだ。アホかよ!

それら激動の時代がすべてが過去となった1970年代、二人は11年ぶりに
舞台で共演することになる。最初に「11年ぶりだよ」と言ったのは、
悪名高い文化大革命から11年ということだったのか…

老いた二人が演じるのは覇王別姫の虞美人が項羽に殉じて自害するシーン。

「この剣があれば、おまえを后にしてやれた」

幼い頃石頭が戯れに言った言葉に翻弄されるように、人々の手を
渡り歩いた剣は今度こそ蝶衣の胸を貫き、すべてを終わらせた。

悪い映画だったとは思わない。
けれどこの映画から一体何を感じればいいのかわからない…
私にとってはきっと永遠に「中国近現代史映画」だと思う。

(2009/5/19 放映)
クワイエットルームにようこそ5/25(月)

目が覚めた時、そこは閉鎖病棟でした…

突然自分が精神病院にいると知った主人公が過ごす退院までの14日間。
「自分がなぜここにいるのか」という疑念を持ちつつ、同じく閉鎖病棟に
収容されている問題児ばかりの患者との触れ合いを通し、次第に自分を
取り戻していく明日香。何しろ精神病院はシャバの常識が通用しないので
健全な側から見ればハラハラする事ばかり。薬さえ飲まされないのなら
刑務所よりはマシかもしれないけど、選べといわれたらどっちもイヤだ。

しかし拒食症患者が多いなぁ…ヤセヤセの蒼井優が演じたミキをはじめ、
ブルジョアのサエちゃん、点滴されるたびにウォーキングをしまくる人、
それに過食嘔吐の西野と「食」に問題のある患者が大半を占めている。
一方ではメタボだDMだってやってるんだからおめでたい世の中だよ。

明日香と同じオーバードーズ、略してODは医師の夫を持つという栗田。
一見マトモそうに見える彼女だけどマトモな人間などここにはいない…
そんな異常な中で主人公視点ですべてを見ている我々にとっては
明日香がどうやってここから開放されるのかが物語の焦点になる。

大竹しのぶの西野には本当に神経を逆撫でされる。
はじめは新入りなら誰もが求めるような親切で優しい態度で接し、
エキセントリックに怒鳴ったり喚いたりする精神系症状を見せ、
最後には明日香の荷物を荒らして彼女に真実を突きつける役回り。
こんなキモ演技ができるのは大竹しのぶかモモーイしかいない。

そしてクドカン演じる彼氏が手紙で告げた真実。
それまで断片的に語られてきた彼女の半生はかなりいい加減なもの。
けれど彼女なりに離婚した後に自殺した夫に対して思うところがあり、
さらには子供を堕胎したという負い目があった。売春婦呼ばわりされて
勘当された父親の葬式に顔を出さなかったのは平気だったからじゃない。

ヘラヘラしながらも自分で自分を支えきれず、男に甘え、酒に逃げ、
ついには自殺を図って薬を飲んだ。彼女の記憶が曖昧だったのはODが
事故だったからじゃない。本当に自殺しようとした自分の記憶を
意図的にごまかし、一時的に消してしまおうとしたのだろう。

しかしそうしている間は本当の意味では立ち直れなかったかもしれない。
ある意味西野による痛々しい傷の暴露はショック療法のような効果をあげた。
激昂した明日香を止めようとしたミキを殴り、再びクワイエットルームに
戻された明日香は、すべてを思い出し、すべてを受け入れる準備を始める…

日本では障害者モノがタブー視されているせいか精神病院を舞台にする映画は
なかなか作られにくいけれど、思い出されるのはやはり「カッコーの巣の上で」
ジャック・ニコルソンが戦った婦長同様、こちらにもりょうが演じる江口なる
根性看護師がいる(彼女の首の痣は数年前患者にボールペンを刺されたとか)

真実を知り、病的でだらしない自分をもてあます鉄ちゃんと別れる決意をした
明日香。「別れよう」と言った後で昏倒している彼女を見つけたら彼氏だって
その後もうその話はできなくなるもんね。だからこれはやらかした方からの
絶対言うべき思いやりなんだよね。病気じゃなくても(たとえば三角関係や
二股や不倫などで)自分かわいさにダラダラと別れられない人を見るたびに
なんて相手を思いやらない自分勝手なヤツなんだと腹が立ってしょうがない。
相手の時間を無駄に奪うなよ!少しは一人で潔く生きてみようと思えよ!

退院の日、皆に見送られて病院を出た明日香はもらった寄せ書きをゴミ箱に
捨てる。異常だった非日常を日常に持ち込んではならないと言ってるようで
彼女の惜別の涙の意味もわかるし、非情とも思えるその行為の意義もわかる。
そしてそれを教えてくれた栗田が入れ替わりに再び救急車で運ばれてきたのも…

チュートの徳井がまさかのレズビアン医師だったり、いまやホントに結核で
隔離されてる箕輪はるかが鼻水をたらしてたり、庵野秀明がちゃらんぽらんな
精神科医をやってたり、妻夫木がかもめ眉毛の芸人だったりと異色だらけの
カメオ出演もてんこ盛り。でもとにかく内田有紀が終始冷めた抑え気味の
演技で締めてくれていたのがなんだかんだで楽しめた一番の要因だと思う。

戸惑いと疑問を抱えつつも、ハスッパでテキトーに生きてきたがゆえに
変に肝が据わっている風俗ライターの主人公・佐倉明日香を内田有紀が
見事に演じていて驚いた。女優としては完全に伸び悩んでたから結婚に
逃げたなぁと思ったけど、離婚して女優に本腰入れる気になったのかね。
凛々しい顔立ちの女性は好きなので、何にせよ開花するのはいいことだ。

クスッと笑わせる小技も利いていたけど、閉鎖病棟のじめじめした閉塞感は
やはりなきにしもあらずなので(チェンジリングでもこんな感じだったなぁ)
見る人を選ぶとは思うけど、リセットし、新しい一歩を踏み出した明日香の
笑顔は明るいので、たとえ一人ぼっちでも少しは救われる…ような気もする。

(2009/5/24 放映)
シンプル・プラン 5/24(日)

後味悪ぅ…

雪に埋もれた林の中で墜落した飛行機と440万ドルの大金を手にしたハンク、
兄のジェイコブ、ジェイコブの友人ルーは、金を隠し、安全が確認されたら
山分けにする約束をする。けれどシンプルだったプランは次第に複雑さを
見せ始め…犯罪を犯し、それを隠蔽しようとすればするほど事態は泥沼に
はまっていく典型の物語。そして最後はある意味どんでん返しが待っている。

最初は「警察に届けよう」と言っていたハンクや「盗みは悪い事よ」と
言ってたハンクの妻のサラが実は一番欲深かったり、ルーは見たまんまの
だらしなさですぐにギャンブルに走ったりと、人間の醜い姿が浮かび上がる。
兄のジェイコブは失業中で生活保護を受けており、はっきりした描写はないけど
言動からするとどうもボーダーって感じで、女とキスをした事もない妖精さん。

人は随分死ぬんだけど、物語はひたすら淡々と進む印象。
妻の言うとおり金を少し戻しに行って近所の農夫を殺す事になり、
ルーにその罪を着せようとしてルーとルーの妻を殺す事になり、
妻が行ってはいけないと言った現場に犯人と保安官と行って兄を
撃つはめになる。ホント、妻の言うとおりにすると裏目裏目に…
(最後は行くなと言ったんだが、兄を現場に行かせたのは妻)

しかもまさしくそして誰もいなくなった」ラストでは、FBIが100ドル札の
番号を5000枚だけ控えていたというもの。その番号の100ドルがいつの日か
使われれば犯人が捕まえられると意気込むFBIを前に愕然とするハンク。

サラが泣きながら止めるのも聞かず、金を全て暖炉にくべて燃やしたハンクは
元のとおり安い月給で働く飼料店の店員に戻り、サラも図書館の司書に戻る。
特売の材料で作った料理を食べ、古着を着、子供はおさがりのおもちゃで遊び、
たまに慎ましい外食し、それでも前菜を断りデザートは家で食べる事にし…

それでも以前はあった心の平穏はない。
社会に溶け込めないけれど心優しい兄はもういない。
だらしなくて教養はないけどにぎやかで陽気なルーもいない。
実直で穏やかで心遣いが細やかな保安官のカールもいない。

消えない痛みと罪を抱いたまま、変化のない生活を淡々と生きていくハンク。
代償はあまりに大きく、報いはあまりになさ過ぎた。でも大金を目の前にしたら
誰でも夢のプランを思い描き、それを実行しようとしてしまうかもしれない。

カールが殺されそうになった時にもっと早く犯人を撃っていればとか、
サラの言うとおりあの金は使わず、まずは手持ちの金でどこか外国に逃げ
少しずつ換金していけばとか、ロンダリングのためにスイスの銀行に…
などとついマイ・プランを立ててしまうというのがこの映画の狙いなのかも?

(2009/5/12 放映)
母たちの村 5/24(日)

アフリカのとある村で行われてる女子割礼という悪習慣と戦う女性たちの物語。

割礼を受けねばならない少女たちが逃げ込んできたのは、7年前に娘の割礼を
拒否したコレのもと。コレは彼女たちを「モーラーデ(保護)」する事に
決め、村の根強い偏見や伝統を重んじる人々と戦っていくことになる。

戦いとはいえ物語は比較的穏やかに進む。
娯楽といえばラジオしかないとか、財力に応じて複数の奥さんがいて
皆同居してるとか、村長の息子がフランスに行っているインテリとか、
土壁のモスクとデカいアリ塚のある村の日常生活の様子が淡々と続く。

女たちは女たちといる時は威勢のいい事を言ってるんだけど、だんなの前に
出るとしょんぼりしてしまう。息子も父親の威厳にはかなわず、村長の息子は
外国暮らし、しかもフランスのお国事情をその眼で肌で感じてきた割には
この事態を止めようとか収拾しようという役割を担ったわけでもない(不満)

逃げ切れなかった2人が井戸に身を投げると、村長たちはコレにモーラーデを
やめると言わせようと(神の加護があるのでモーラーデをやめるのもやめさせるのも
慎重さが必要なのだとか)したり、女たちから情報源のラジオを取り上げたり。

ついには兄貴に煽られ女を殴った事がない温厚な夫が皆の面前でコレを殴り、
それを止めたのが女たらし&ぼったくりの「兵隊」という商人だったんだが、
どうやら彼は村人に殺されてしまったらしい。たかがあんな事で…気の毒に。

騒ぎの中でかくまわれてた4人のうち、自分の娘を連れ出した母親は割礼の
失敗で幼い娘を失ってしまう。皆の前で鞭で叩かれても決してひるまず、
倒れなかったコレの姿を見た村の母親たちは、もう二度と娘たちに割礼を
させないと決心する。まだまだ伝統と信仰の悪習は続き、それをやめるよう
呼びかけてもなかなかなくならない。耳や唇に穴を開けたり刺青をしたり
首を長くしたり装飾的かつそれを各人の意志に基づいてやってることなら
ともかく、たとえば纏足のように苦しみを伴う身体の改造はねぇ…

女子割礼というものがあると知ったのは随分昔、もう10代の最初の頃だったけど
震え上がるような内容だった。男性の割礼は傷も小さいし清潔さや男性の根強い
コンプレックスの克服にもなるようなのでともかく、色々な理由を述べられても
意味ないじゃんと思ったものよ。サンコンさんの本で割礼した女性との性行為は
相手が苦痛ばかり感じてイヤがるのででそういうものなのだと思ってたら、割礼
していないフランス女性や日本女性は全然違ってて驚いたと書いてあったっけ。

我々日本人も伝統や文化の深い民族なので伝統は確かに守っていかなければ
ならないものだということは理解できるのだけれど、いくら伝統といっても
施される側にとって苦痛を伴う行為は虐待につながる。闘牛が残虐だとか
クジラを食べるのは野蛮人とかいうレベルで語るべきものではないだろう。

行う者と行われる者、両者が「これはやめなければ」と考えるためには
公平かつ客観的に見て、同じレベルの知識を持っていなければならない。
そのためには何が必要か。無論「教育」だ。だからこそ私は国を支えるのは
何をおいても教育だと思うのだ。それは途上国でも先進国でも同じなのだ。

日本も今のように教育を疎かにしていると必ず倒れる。
ま、私や私の家族が全て死んだ後ならそれでもいいけどねー

(2009/5/11 放映)
オールド・ボーイ 5/23(土)

15年間監禁されていた男が突然解放され、自分を監禁したのが誰なのか、
目的は何だったのかを探っていくサスペンスという内容だけを調べて
チャンネルを合わせただけなので、番組ナビを見てこの映画の原作が
実は日本の漫画であると知って仰天した。ええ〜!?マジで?!

ベロンベロンに酔っ払ったオヤジが警察に捕まり、そこでウザいったら
ありゃしないクダを巻いているシーンから始まるこの映画、その主人公の
オ・デスは雨の中で友人が公衆電話をかけている間に何者かに拉致される。

初めは食事が差し入れられるドアの下から抗議してたので、もしかして
監禁部屋はすごく狭くて一畳分くらいしかない非人道的な場所なのかもと
思ったけど、思ったよりずっと広く、風呂トイレも完備で快適そうだった。
いや、まぁ快適なわけはないけど。カメラで24時間監視され、時間になると
睡眠ガスが流れてくる。娯楽はフツーのテレビだけ(やっぱ娯楽がミソだ!)
なんて悪夢だ。ここで15年も無駄にするなんて…悪夢以外の何物でもない。

幾度かの自殺未遂を経て、ここを出たら自分を監禁した人間への復讐を誓い、
体を鍛え始めるデス。同時に壁に穴を開け始め、ついに外とつながった時、
デスは突如開放されて自由を手に入れる。目の前に広がる15年ぶりの娑婆。

混乱が収まると、密室で鍛えてきた自分の力が役に立つ事を確かめ、
ミドという若い娘の協力を得ていよいよ行動を開始することになる。
デスの妻が何者かに殺され、その犯人がデスにされていたり(しかも
劇中で時効が成立するためデスはもう逮捕される事はない)4歳だった
娘はストックホルムに養女に出されていたりと激変した現実に直面しつつ、
さらにはデスには全く心当たりのない犯人探しは困難を極める。

しかし監禁ビジネスを展開してるヤクザのアジトに殴りこみに行った時の
そこでのアクションはギャグだったんだろうか。ボスの歯を折るシーンは
むっちゃリアルだったのに、あれだけいてデスにやられまくるってなぁ…

犯人に行動が監視され盗聴されていたことを知った二人は車での移動に切替え
チャットで「エバーグリーン」というHNを使った犯人の手がかりを探していく。
その間にミドが望んでデスに抱かれるエロシーンがあって、美しくもないので
「いらんよこんなの」と鼻白んだんだけど、実は後々これが重要な意味を持つ。

たどり着いたヒントは「高校の同窓会」
記憶の奥底にしまいこんだ記憶を蘇らせたデスは、かつて自分の口の軽さが
ある一組の恋人たちを引き裂いたことを知る…とはいえ、近親相姦の二人を
引き裂いたからって15年も監禁するの?倫理的にもとる関係が知られたのが
彼のせいだからって妻を殺しちゃうの?娘の人生をめちゃくちゃにするの?

この真実にたどり着くまでは緊張感もあったし激しいバイオレンスシーンも
必要不可欠と思ったけど理由がそれって…だからこそ「理不尽」が際立つのは
わかるんだけど…わかるんだけど理解はできない。実際、見てもいないことを
言いふらしたわけでもないみたいだし…この後味の悪さが狙いなんだろうな。

最後はペントハウスで首謀者であるウジンとの最終対決。
姉は自殺ではなくウジンに殺されたというデスの切り札は、
ウジンが準備したより残酷な切り札の前に消し飛んでしまう。

土下座でも何でもしますと無様に頼み込むデス。このへんは監禁前の
デブで酒癖の悪い最低のオヤジに戻ったかのようなみっともなさだった。
しかもウジンが何を求めたわけでもないのに自分で舌を切ってしまう。
ホント、歯とか手首とか舌とか色々ぶった切られた映画だったよ。

でも最後はちょっとわからなかった。
復讐を終えたウジンが自殺したのはともかく、雪の中で催眠術って何?
モンスターである自分が75歳で安らかに死んだから何?全然わからん…

しかしウジンとデスが同年代ってのはないない。それは絶対ないわー
気になってるんだけど、最初に自殺した男が抱いてた犬は無事に逃げたよね?

(2009/5/23 放映)
バッテリー5/23(土)

2〜3年前、なんだかんだでよく噂を聞いた児童文学の映画版。
私はどうしても女が描く野球モノに偏見があり、この作品もかなり
バカにしていたのだが、思った以上によくできた映画だと思った。
まぁ巧の速球がテニプリ並のスーパーストレートなのは笑うけども。

映画はまさしく「起・承・転・結」で構成されていた。
巧が引っ越してきて豪たちと出会い、野球部に入部するまでが「起」、
野球部のリンチ事件によって大会参加禁止、そして門脇登場までが「承」、
そして巧と豪の信頼関係が崩れて練習試合に負け、それを取り戻すまでが「転」
最後に母と巧の対立が取り払われて家族の絆を取り戻し、豪のミットに真っ直ぐ
投げられた白球がこの映画を締めくくる。原作が児童文学であり、やはり子供が
ターゲットのせいか、キャラや物語もわかりやすい構成になってるという印象。

ただ門脇との対決以来、巧の様子がおかしくなった理由がよくわからず、
ちょっとモタついた感じがある。わかっていたのは菅原文太演じる祖父と
萩原聖人演じる顧問の戸村だけで、はっきり言ってくれないのはイマイチ。

最終的には巧が突然全力で投げられなくなったのは、中国大会の決勝で
キャッチャーが後逸し、振り逃げされて負けた事がトラウマになっていたと
わかるからいいんだけどさ。でも豪くんが落とすたびにあんなにイヤそうな
顔をしてたから何かもっと大きな理由があるのかと思ったじゃんか(豪の才能に
限界を感じたとかさー ← 実はわずか5球で捕れるようになった豪に感激していた)

何より演じた少年たちが自然な演技をしているのが好感。
若いし運動量の多い子供時代真っ盛りのせいか野球の動きもとても自然。
少なくとも高校生ではない「おっさん甲子園」のROOKIESとは違うかな。

まぁ門脇は老けてるなぁと思ったらおっさんだったけど…
巧役・豪役の子は少し年上なので中一という年齢相応のキャストは沢と東。
確かに中一くらいだと体の線もまだまだ細いし声も高くてこんな感じだったよ。
巧や豪みたいな大人っぽい子はそうそうおらんかったよ。所詮は夢だよ。

私のお気に入りはキャッチャーの豪くんで、いつもニコニコと笑ってるし
おミソの青波を気遣ったり、リトルリーグの小さな子たちの面倒を見たり、
何より気難しい天才・巧を受け入れ、実にうまくつきあってる姿がいい。

巧は少し早く大人になってしまった思春期の男の子そのものの繊細さを持ち、
親に対する愛情を求める最後の甘えと独立したいという自我の目覚めに苛立つ
複雑な少年を上手に演じていた。親の前ではそっけなく、二人きりになると
彼なりに体の弱い弟を気遣っている姿などもよかった。初主演とは思えない。

しかしまた岸谷五朗が親父だった。少年モノでの親父率高いな〜
天海祐希は若々しいけどちょっと神経質で、子供に対して感情のままに
接してしまう未熟な母親をうまく演じていてハラハラさせてくれたな。
エンドロールで少しだけ流れる後日談の中で、会社の野球チームに入って
へなちょこセンターになった父の「8」、エースの巧の「1」、そして青波の
「18」の背番号がついたユニフォームが仲良く並んで干されてるのも可愛い。

こじんまりとよくまとまった、無駄もソツもない綺麗な優等生映画だった。

(2009/5/12 放映)
フィラデルフィア5/23(土)

「もう…逝ける」

ある弁護士がミスを理由に解雇された。
彼はHIVに感染し既にAIDSを発症していたため、解雇は病気への偏見からくる
不当解雇と判断し、事務所を訴えることになる。弁護を引き受けたのは
かつて彼と企業の健康責任を問う裁判で争った黒人のミラー弁護士。
果たして慣習と嫌悪感と偏見の中、困難を極める裁判に勝てるのか…

HIVの子が学校へ通う事を拒否したり、医師が診察を拒否したりと
HIVへの偏見がまだまだ残っていた90年代初頭を舞台にした法廷劇。
徐々にAIDS発症していくとか、劇中に出てきた輸血が原因の感染者のように
血友病などいわれなき感染者が主人公かと思ってたんだけどモロにゲイだ。

地位が向上し、弁護士というホワイトカラーでありながらもやはりまだ
差別を受け続ける黒人というカテゴリに入るミラーすらも、依頼に来た
彼が触れたものを全てチェックしたり、握手した事に顔色を変えたり
医師の診察を受けたりと正確ではない知識で行動してしまう。

とにかくトム・ハンクスのやつれっぷりが怖かった。
最初に見た時は「若いなー」と思ったけど、病気の進行ともどもどんどん
痩せてやつれていくんだもん。最後に入院する時は髪の色も真っ白に…
その熱演ぶりが彼にアカデミー賞をもたらしたとは思うけど、この映画の
真の功労者はやはり自身の偏見をも克服し、最後は友愛と正義をもって
勝利を勝ち取ったミラーを演じたデンゼル・ワシントンではなかろうか。
あととても静かな役だったけど事務所側の弁護士を演じたメアリー・
スティーンバージェン(ギルバート・グレイプの不倫妻が印象的)が
よかった。彼女が「私、こんな事いやだわ」と言った時は慰められたよ。

しかしホモに対する差別は厳しいね。あれだけゲイが蔓延してるお国で
一体この反動ともいえる嫌悪感はなんなんだろう。性の嗜好は人様に
迷惑をかけるようなタイプ(暴行魔や痴漢や覗きストーカー)は困るが
互いの同意の上でのSMやホモセクシャルは個人の好みだと思うのだが。

彼を支える家族がとにかく優しかった事も救われた。
でももし主人公が貧しい出身だったり(もちろんそれなら裁判を起こそうとも
思わなかっただろうけど)中流クラスだったらこうもうまくいったかどうか。
日本でも身内にはなかなかカミングアウトできない人が多いみたいだしね。

涙もないし、大仰で感動的なエピソードもありません…
最初にミラーは言ったけれど、勝利を勝ち取った事でもう思い残す事はないと
笑った彼にさよならを告げていく家族と恋人の姿にはやっぱり泣けてくるよ。

(2009/5/15 放映)
テニスの王子様(実写版)5/22(金)

なんか声だけ知ってる人とか、着ぐるみ着てた人など色々なところで
見たり聞いたりした事のある俳優さんが一杯出てて笑ってしまった。

劇場版アニメを見て笑ったことはあるが、アニメ本編を見た事は
ほとんどなく(跡部がメインの回だけはなぜか見た事があるが)、
原作も全く読んだ事がない。ジャンプではすっ飛ばしの筆頭で、
あの絵柄…特に主人公の巨大三白眼が好きになれず、連載開始から
一度も読んでいない。なおテニミュは動画サイトで見て大爆笑済。
レベルが高いんだか低いんだかわからんがパワーはすごいと思う。

ムチャクチャ・テニスは健在で、軽い気持ちで家事をこなしながら
流し見しつつも「ねーよ!」「ありえねー!」「ムリ!」とついつい
ツッコんでしまうバカバカしさ。日食?でいきなり真っ暗になるとか、
レシーブするのにぎゅるぎゅる回ったりめっちゃ高く飛び上がったりする
スーパーエアテニス。特にスネークショットは何度見てもあれはどうなの、
ルール的にダメじゃないの?と首をかしげてしまう。本当のとこどうなん?

物語は思ったよりマジだった。
重症のテニス肘でDr.ストップがかかっているらしい手塚とリョーマの
対決や跡部との戦いなど結構熱いものがある。つーか手塚はシリアスを
一人で背負って立ってる感じ。そりゃ寿司屋の親父も先生と間違えるよ。
でも設定を知らん私も高校生だと思ってたよ。中学生って!ねーだろ!

一応軸になるのは声が出なくなった女の子と、その治療のために金を稼いでる
兄貴がリョーマと対決するというエピソードだったけど、あんまり印象はない。
なんか試合も大げさな煽りで散々派手な事をやるわりにはスコアボードを
映してゲームセットという結末が多く、ええ?あんなにアゲアゲだったのに
負けたの?とビックリ。コート中飛んで転げまわって負けって恥ずかしくね?

劇場版アニメのむちゃくちゃぶりを見て「ボールの頑丈さがすごい」と
書いた覚えがあるけど今回はそのボールも割れ、ラケットも折れてしまう。
(でもガットは結構耐えてた気がする。きっと軍事利用できるほど頑丈なんだろう)

岸谷五朗演じる飄々とした親父の神出鬼没さは面白くて、それにいちいち
驚かされては怒ってるリョーマが可愛い。うん、リョーマは跡部からすら
「可愛いな…」と言われてたけど実際可愛かったよ、ちっちゃくて。

出演したイケメン俳優たちが今後そこそこ売れたら、昔はこんな映画に
出てましたと笑われる言われるような懐かしの同窓会映画になるのかもね。

(2009/5/19 放映)
ディパーテッド5/22(金)

香港の闇社会を舞台に、警察に潜入したマフィアとマフィアに潜入した
警官の命懸けのだましあいを描いた名作「インファナル・アフェア」を
ハリウッドリメイク。エンドロールの制作陣にブラッド・ピットの名前が
あってちと驚いたが、元はビリー役は彼が演じることになっていたとか…

犯罪者の多いアイリッシュ一族の出であるビリーはその優秀さを買われて
潜入捜査官に抜擢される。5年の長きにわたる神経をすり減らす厳しい任務。
怪優ジャック・ニコルソンが演じるフランクはそんなビリーを部下にしつつ、
一方で街で拾ったコリン・サリバンに教育を施して州警察に潜入させていた。

大筋は本家とほぼ同じであり、なおかつサウシーでの犯罪の多発性や
黒人差別、さらにはいつまで経っても食い詰め者のアイリッシュなど、
アメリカが内包する根強い問題を取り入れて独自の味を出したのは好感。

人知れず情報合戦を繰り広げる…モールスではなく携帯電話のメール機能を
駆使して危機や好機を知らせあったり、ネズミを焙り出すために個人情報を
書かせる時、封筒の文字が鍵になった事は同じでも「インファナル」では
漢字だったものがこちらでは当然スペルだったり。情報をやり取りした後、
ビリーがサリバンを追うシーンはむしろこちらの方が緊迫感があったし、
追い詰められてキレるビリーの精神状態の悪さもよりわかりやすくなり、
サリバンも心の底に実は正義への憧れを抱いていたラウに比べるとかなり
悪に傾いているのでラウに対するような複雑な思いは抱かずに済んだ。

一番わかりやすかったのはフランクを殺したサリバンの理由。
ラウのそれは正直ちとわかりづらかったけど、サリバンの場合フランクが自分の
罪を見逃す事と引き換えに有力な部下や敵をFBIに売っていたからというもの。
そのクライマックスまでの緊迫感は本家には負けるものの十分合格点だった。

ビリーが警官に戻るのではなく普通の一市民に戻りたいと言った時、
そしてサリバンを確保した時に現れたのがビリーをよく知る同期の
黒人だった時「あれ?もしかして違う結末になるのか?」と思ったよ。
運命のエレベーターが出てきてもそのままだったし…あれ?と思ってたら

有無を言わさず撃たれた!!!!!

いや、そりゃヤンだっていきなりだったよ。
でもこれからは善く生きるとラウが散々言い訳したこともあり、ヤンとラウの
言葉のやり取りやこれまでの思いを全て吐き出すような「だが、俺は警官だ」が
あったからこそその容赦のなさが生きたわけで、ビリーがサリバンを一方的に
ぶん殴り、サリバンも改心する気も後悔するような言葉もなく無様に捕まり、
なんだか力技だなぁと思ってたらこれかい!むしろパサパサでビックリだわ!

黒人も簡単に撃たれ、彼を撃ったもう一匹のネズミもビリーの拳銃を使って
躊躇すらせず撃ち殺したサリバンの悪辣さは、意図が不明だったラウよりは
むしろわかりやすかったけどね。彼の真実を知ったマドリンへの罪滅ぼしも
手伝ってのビリーの名誉&身分回復と警察葬と勲章授与なんだろうと容易に
想像もつくし。サリバンはラウよりずっと悪に傾いたヤツだったがゆえに、
まさかティグナムが殺すとは思ってはいなかったものの、特に感慨はない。
無理もないとはいえこれまたアッサリ容赦なく殺されたなぁという感じ。

もしインファナルの靴妊薀Δ殺されてたらきっとまた違ったと思うけど、
サリバンについては正義と悪の間で悩んでいるようにも見えず、むしろ
手段を選ばずいつか州議会に乗り込んでやるというアグレッシブな思考の
持ち主だったので、ラウほどは思い入れなかった。ビリーはよかったけど。

豪華なキャストで繰り広げられ、しかもハリウッド風の派手な演出も加えられ
「インファナル」とはまた違う風味になってるのはいいのだけど、いくつか
やはり不満に思う事はある。まず潜入捜査を命じた警部を「地獄の黙示録」の
マーティン・シーンが演じてるんだけど、せっかくの配役なのにいまひとつ
魅力が足りない。インファナルのウォンがヤンを叱咤激励しつつ父親のように
包み込んでいた事に比べるとビジネスライク。厳しい事を言うティグナムを別に
配置したせいでせっかくのクイーナンの役割が減ってしまったような気がする。

あと不気味ないやらしさを演じさせたら群を抜いてるのに、人懐こく
ニコニコしながら殺しまくるというやけに迫力のあったサムに比べて
ジャック・ニコルソンの行動ががいつも小物くさく見えて困ったよ。
例えばたかが鉄砲玉の若造ビリーと同じ車に乗ったり、あろうことか
ボスのくせに助手席に乗ったり…やっぱボスはふんぞり返ってて欲しい。

そして!そして!!!
「インファナル」を見た人なら!物語のストイックさ、そしてヤンの苦しみを
理解した人なら絶対共感してくれると思うんだけど、あのクソビッチーー!!

なんなのあの二股馬面女は!

サリバンの恋人でありながら(しかもエレベーターの中で人目もはばからず
ナンパされやがって!)ビリーともヨロシクやるってふざけんじゃねー!
インファナルのリー先生が知的で優しく、凛とした美しさを持っていた事に
比べたらどーしようもない売女ぶり。しかも美人でもなんでもなくせにさ!

もー彼女のおかげで魅力ダウン。白人さんはどうしてこういうわかりやすい
直接的な恋愛描写をしちゃうんだろう。ヤンとリー先生の微妙な触れ合いが
あの悲劇をより彩り、哀しみを増幅させることがなぜ理解できないんだろう。
せっかく悪くなかったのに肉食的な恋愛をガツガツ描かれてゲンナリだ。

贔屓目に見なくてもかなりいい感じのハリウッド風リメイクがなされてると
思ったのに、あのヒロインのせいで台無しだよ。ホント、いらんよあの女。

(2009/5/16 放映)
200本のたばこ5/21(木)

とにかく派手で陽気なウカレモードの映画だったので、舞台である1981年に
作られたんじゃないかと勘違いしてしまうくらいポップでキッチュな80年代
回顧ムービー。実際の製作は1999年、アメリカは好景気だった世紀末だった。

いくつかのカップルが大晦日の夜をてんやわんやに過ごす姿を描き、最後には
すべてのカップルがパートナーをシャッフルして新しい恋愛を見つけることに。
ただ問題は軸になる人物がいないので別に感動的でも伏線が生きるわけでもなく
ただダラダラとエピソードが垂れ流されていくだけという点。まぁ一応中心は
ケヴィンとルーシーなのかなと思うけど、ルーシーがハスッパ過ぎてキモい。

大体異性の友達とセックスする安直さが私は今ひとつ好きになれんのだ。
友達ってのは友達じゃん。女友達とキスとかセックスなんぞ(うぉー書くのもキモい)
考えられないように、男だろうが女だろうがツレはツレだと思うんだよね。
まぁツレから彼カノに進む人も多いと言われると感性が違うとしか言えんが。

一番面白かったのはいくら待っても誰も来てくれないパーティーを主催し、
やっと来た元カレには「セックスが下手だった」と本音をもらしたら延々
カウンセリングをするはめになり、最終的には酩酊して昏倒してるうちに
パーティーが終了してしまったモニカかな。あまりに気の毒すぎて笑えた。

(2009/5/19 放映)
萌の朱雀5/21(木)

「枢木スザクに萌える映画」ではもちろんない。

最初はただの環境映画かと思って流してたんだけど、どうやらあの子供たちが
成長したらしく、鉄道がどうとか言い出したので一応ストーリーがあるのかと
気づき、家族構成がよくわからず、そうこうしているうちに父親が自殺?し、
最後は家長を失った家族がバラバラになっていくという切りっぱなしの映画。

ああ、カンヌだのベネチアだので人気の出そうなイミフ映画だと思う。

日本人にはまだこの故郷へのノスタルジーや、一緒に育ったがゆえに
仲はいいんだけど恋愛に至れないいとこ同士のビミョーな距離感や、
良好ではあるけれど嫁と姑の溶け合えない関係などがなんとなくは
理解できるけど、その日本人でも完全な理解は難しいのにガイジンに
わかるわけないじゃん。そもそもカメラドールなので、日本の風景や
エキゾチックな雰囲気を評価しただけで物語まで評価したとは思えん。

告白し、それでも母と共に村を出て行くと決意したミチルと彼女を呼び止めた
栄介が屋根の上で自然な雰囲気でじゃれあってるシーンが一番よかったかな。
でも栄介は妹同然のミチルを愛しく思いつつ、本当は伯母にも惹かれ、彼女も
栄介に惹かれていたんじゃないか(だから夫が亡くなったら実家に戻る)とか、
そもそも「萌の朱雀」というタイトルはどんな意味を持つのかとか(舞台が
奈良の過疎の村というのもミソなのかも)ちょっと思うところもあったので
決してつまらないだけだったとか見終わって怒るような映画ではなかったよ。

(2009/5/16 放映)
レディ・イン・ザ・ウォーター5/20(水)

く、くだらん…

ちっとも面白くもなんともないファンタジーを元にしてて、異世界から来た
ひたすらブルブル震えてるおビョーキメイクのキモ女が実は海の精とかで、
彼女がこっちの世界で「器」を見つけて使命を果たし、再び自分の世界に
戻るまでを皆で手助けするというこれまたよくわからん展開で進んでいく。

そもそも器ってなんだよとか、ギルドだの通訳だの皆がすんなりその話を
受け入れてるのも違和感ありありで、主人公であるアパートの管理人が
実は元医者で妻子を殺されて立ち直れてないので、こっちもいつもおどおど
ビクビクしてささやき声や自信なさげにで話すのがも〜とにかくイライラ。

しかしなんだってそんな変な設定がついてるんだ?
だったら最初からそれ(妻子を失った心の痛手の癒しとか、立ち直るきっかけとか)
焦点を当てておけばいいのに、何もかもがバラバラすぎて全然かみ合ってない。

実は妖精の女王だなんて後付設定まで出てきた彼女を草をまとった犬みたいな
怪物が襲い、最後は水の世界に帰る?はずの彼女をなぜか鷲が迎えに来るという
不可解さ。犬を退治する猿が結局あそこまで出てこなかったのはなんでなんだ?

あとあの中国人の母親はあれだけ詳しくこのクソつまらない妖精話を知ってて
最後にチラリともからまないって何なの?むしろ彼女も昔は「器」だったとか、
引退した元女王だったなんてオチでもつくのかと思ったのに何にもなかった。

いや〜、変な映画だったな。
そして私、ホントに何も知らないで見たんだけど後で調べてみたら
これがシャマラン作品と知ってびっくりしたわ。この人はホント、
「シックスセンス」以外はロクな映画を撮ってないな(私はネタバレなしで
見たけど、途中でオチがわかってしまったのでちょっとノリ切れなかったし)

こんな映画を作るのは明らかに金の無駄。
そしてうっかり見ちゃったこっちは時間の無駄。

(2009/5/16 放映)
キサラギ5/19(火)

「じゃ…あの、もう真犯人ってことにしてあげたら?」
「冗談じゃないよっ!!!」

久々に大笑いした、とても面白い映画だった。
私は密室劇であり元は舞台劇を映画にした作品では「12人の優しい日本人」
が大好きなのだが、この映画も見始めた瞬間「あ、これ舞台だな」と思い、
調べたところその通りで、しかもなんと不運にも今年の4月に世田谷劇場で
公演されていたよ。あと1ヶ月、いや、2ヶ月この映画の放映が早かったら
相当腰の重い私も観に行ったかもしれない。それくらい面白い映画だった。

小栗旬、小出恵介、ユースケ、香川、塚地という個性的な面々が
非常にクセのある演技を見せ、何より彼らの掛け合いが楽しい作品。
特に小栗旬と小出恵介がいい。小栗旬は見た目も映える上になかなか
演技に精進している役者だと思うが、小出恵介の器用さはさらに光る。
この人は演出側から見たら使いやすい息の長い俳優になるかもしれない。

人気も知名度も微妙だったD級アイドル如月ミキの突然の死を悼んで
(タイトルの「キサラギ」は如月であり、家元の誕生日のことも指すんだろうな)
熱心なファンである「家元」が呼びかけた一周忌追悼会には、ネットで
知り合ったミキのファンが集まってくる。毎日書き込みを続ける「安男」
ハイテンションな「スネーク」、いつも硬くて真面目な「オダ・ユージ」
そして女の子の「いちご娘。」…意外な真実を抱く彼らが、自殺とされる
如月ミキの死の真相に迫っていく。自殺か、他殺か、それとも事故か…

「万が一頭のおかしいストーカーが入り込んできたらどうするんだよ!」
「それがおまえなんだよ!!」

はじめこそオタク的な家元の名コレクションを見て一喜一憂していた
彼らが、時には罵り合い、時にショボくれ、時に切り付けあうのだが
そこに陰惨さはなく、「如月ミキ」というなんともトホホな売れない
アイドルを軸に、コミカルで哀愁漂うセリフの応酬が続くのだ。

「って言うかここにいるの僕以外全員身内じゃん!!」

ネットにも詳しくない、本当にフツーの一般ファンかと思えば顔見知りの友達、
真面目で融通の利かない堅苦しいファンかと思えば実はミキの元マネージャー、
ネカマになりきり、無職で気味の悪いストーカーと思いきや実は生き別れの父、
腐った自作のアップルパイで腹を下し、話にまったくついてこれなかったのが
実は幼馴染でミキが心から好きな彼氏…そんな暴かれていく正体の中、最初に
警察官とばれた自分だけがホントにただのファンでしかないと愕然とする家元。

殺されてしまうくらいなら、自殺してしまうくらいなら、売れなくてもいい、
挫折して田舎に帰り、そこで好きな男と結婚し、ささやかな幸せをつかんで
生きていくミキちゃんを遠くから応援したかったというのはちょっと哀しい。

けれどミキの死の真相は、家元…つまりただの一ファンが熱心に送ってくれた
ファンレターの束を、火事の中持ち出そうとして逃げ遅れたことではないか…
それがわかった時、偶像(アイドル)如月ミキを愛した彼らの胸は一杯になる。

如月ミキの死は自殺ではない。もちろんそれは真相ではないかもしれない。
ある者は自分の罪悪感を、ある者は後悔を抱くその思いを解消したいがため
そのきれいな結論に達しただけで、ミキの死の真実は誰にもわかりはしない。
でもミキというアイドルにはそんな泥臭い真相が実にふさわしい気もするのだ。

「やる気マンマンじゃん!!!」

でも「Show me」って、私に見せてって意味ですけどねと彼らも苦笑気味。
結局ミキはヌード写真集の仕事をイヤがったのでも、うまくいかない仕事に
疲れて悩んだわけでもなく、もっとあっけらかんと明るく「なるようになる」
と笑っていた彼女が目に浮かぶようだ。本編ではEDまで顔がはっきり見えず、
歌もダメ、踊りもダメ、ボディもダメな彼女だけど、なぜか我々まで「うん、
如月ミキならそうかも」と思わせるちょっとズレてるおかしなアイドル。

ゴキブリを殺すのにママレモンじゃなくて油を撒いちゃったのではとか、
着信相手にリダイヤルしちゃったとか、クローゼットの中には服も下着も
脱ぎ散らかしてあったりとか、等身大の女の子だけどやっぱりアイドル。

「不思議な子だ…」

彼女の死に責任を感じて55kgも激やせしたデブッチャーことオダさんは呟く。
ユースケ演じるオダが実は本当に織田裕二に憧れていたというのも笑えるオチ。
私はこの映画の存在をまったく知らず、TVで放映されたことも知らなかった。
今回もほんの偶然見ただけなのだが、邦画はやっぱり色々観てもいまひとつと
思うことが多い中、逆に面白いのはセリフの応酬がいい作品なのかもと思う。
もとが舞台劇のせいかさほど長くないので最後まで集中力が途切れなくていい。

D級アイドルでも、夢をくれた彼女を心から愛し続ける彼らの心に去来する
温かい思い出とともに映画は幕を下ろす…かと思いきや、時は巡って翌年
2008年2月4日。なぜか一人増えたファン…大磯のイベントで司会を務めた
宍戸錠が5人の前で重々しく「彼女は…殺されたのだ!」とぶち上げてる。

かくして彼らの心の中で如月ミキは永遠のアイドルとなった。
というか酒井香奈子ってこんな仕事もしてたんか…

(2009/5/17 放映)
蛇イチゴ5/12(火)

あいたたたた…
シラけて「何だこれ」とずっと笑ってたのに、ラストが痛い映画だった。

ここに出てくる家族はといえば、東京の郊外に持ち家があり、稼いでるからと
威張りくさって妻を顎で使い娘を溺愛するお父さんと、ボケた義父の世話を
文句も言わずにしているお母さんと、教師という仕事にやりがいを持ちつつ
自分の幸せを追求している優等生の娘という、平凡というか平均的というか、
とにかく「ごくごくフツウの家族」として描かれている。

しかしそれがまた胡散臭くて胡散臭くて。
ボケた実の父がボロボロとご飯をこぼしているのに「ほら!」と汚いものでも
見るように妻に世話をさせる夫は、娘と一緒にご出勤すればいそいそご機嫌。
妻は義姉や娘から「おじいちゃんの世話をするのもやりがいがある」なんて
都合のいい理由付けをされ、娘は娘でブッサイクな恋人を実家に呼ぶ算段を
整えてるんだけど、その食卓の嘘で塗り固められた白々しさは鳥肌もの!

幸せ家族に見せかけて茶番そのもののようなこの家族だけど、すでに綱渡りは
最終段階に来ていたようで会社を首になったお父さんは借金まみれで火の車。
お母さんは介護疲れがピークに達し円形脱毛症になり、ついにはじーちゃんに
ニトロを与えることなく逝っていただくことにする。そして崩壊は一気に加速。

じーちゃんの葬式の席に乗り込んできた借金取りが、おとーさん的には最悪の
タイミングで真実をぶちまけ、妻も娘も嘘で固められた今までの生活を知る。
しかもそれを救ったのが10年前に勘当された放蕩息子だったからたまらない。

香典泥棒の兄は父に盗んだ120万を渡し、破産するよう進言する。
けれど全ての資産を息子名義に替えてからなら父は何も失う心配はない…
破産管財人が黙ってないと思うのでそれはそもそも無理があると思うのだが、
お父さんは有頂天。お母さんもどん底まで落ち込んであんぽんたんでも息子が
帰ってくれて嬉しいと思考能力ゼロ。超ブッサイクなくせに金があるせいか
自信満々の恋人にめっちゃイヤそうな素振りで振られた(「どーしてほしいの」って
そりゃつみきみほのセリフだろー)妹は犯罪者の兄を追い出して一からやり直そうと
正論をぶちまけるくせに、自分が借金から何から全部背負うとは絶対に言わない
あたりが白々しいんだよな(小学校教員なら福利厚生でも借金できるだろうに)

嘘ばかりついてケチなコソ泥で日銭を稼いでる兄貴も兄貴だが、その兄貴を
「嘘ばかりついてる」と毛嫌いする妹は自ら率先して泥をかぶろうとはせず、
「嘘つきででたらめ」と息子を勘当した父も嘘ばかりで借金にまみれている。
夫と対等な関係を築けず、彼女いわく「好きだった」息子が勘当される事を
止められなかった妻は忍耐すると決めたくせに愚痴や後悔ばかり言っている。

そんな嘘ばっかりの家族ががけ崩れのようにダラダラと崩壊し、
最後に妹は学校の裏山で警察に電話を入れる。けれど家に帰った
妹が見たのはテーブルの上の色鮮やかな蛇イチゴだった…

別にすごくいい映画だったとは思わない。
そもそもとーちゃんの借金はいくらで何に使ったんだ?生活費か?
主演の宮迫は悪くはないのだがイントネーションはやはり不自然だ。

長まわしや冗長なシーンが多くてうんざりもしたし、「普通の会話」を
するよう演技指導されている役者の抑えた演技は悪くはないのだが
その分アンニュイ過ぎてセリフを聞いていてイラッとする事もある。
何かに似てるなぁ…と思ったら、あれだ、伊丹十三が撮った映画。
独特のテンポで人間の情けない部分や汚い部分を切り出して笑う、
あの皮肉な視点が似てるような気がした。ただ伊丹が必ずといって
いいほど入れてたムダでグロい(ジジババがやったりするからさー)
エロシーンがないのは評価できるよおとーさんのケツはなぜか映ったけど

昔蛇イチゴがあると嘘をついたと恨みがましく責めた妹に、
蛇イチゴを採って置いていった兄になんとなく胸が痛む。
兄はおそらくもう彼らの前に姿を現すことはないんだろう。

兄は本当に父から全てを奪うつもりだったかもしれないし、もしかしたら
本気で父を救おうとしたのかもしれない。そもそもあの兄貴では、一時は
家族に受け入れられてもいずれ両者の関係が破綻する事は目に見えている。

我々が常に相手や自分を傷つけないよう、社会から逸脱しないよう周囲や
自分に小さな嘘を重ねている日常の中で、生粋の嘘つきである兄貴自身は
嘘をついて生きていくことができないというのはなんとも皮肉だったな。

(2009/5/11放映)
ふたりのベロニカ 5/11(月)

こういう「好きな人(=映画通)は好き」と言われる「雰囲気映画」を見ると、
私はつくづく「作品はストーリーありき」という信念を持ってると思える。
そしてそれはどんな嵐がこようと大地震がこようとも決して揺らがない。

パリとポーランドに存在するそれぞれのベロニカ。
恋人の腕に抱かれる自分にそっくりな娘の夢を見ているポーランドの
ベロニカは、ソプラノ歌手としての輝ける第一歩を踏み出したその時、
心臓発作を起こして死んでしまう。それを知らないパリのベロニカは
なぜかその時突然胸の痛みを感じ、喪失感で一杯になって涙を流す。

その後は音楽教師として働くパリのベロニカに物語が移る。
ある日幻想的な人形劇を見た彼女の元に、電話がかかってきたり
不思議なテープが届けられる。その音を頼りに向かった駅で、
ベロニカは人形劇を演じた絵本作家アレクサンドルに出会う…

映画は監督のこだわりを随所に生かしてナンボと思ってもいるので、
映像や女優を美しく撮ることに繊細なこだわりを見せることはいい。
けれどそれだけでは私には食い足りない。難解でも単純でもいいから
何かが心に残るような作品であってほしい。最初から最後まで綺麗な
映像と「何かに対する不安」と「真実の愛」を抽象的に見せられ続けても、
いや、むしろそれを見せられれば見せられるほど気持ち的には醒めていって
「で?何なのこれは」と冷ややかな心で即物的な答えを求めたくなってしまう。

ふたりのベロニカには何の接点もない。
ただ一度ポーランドのベロニカが旅行に来ていたパリのベロニカの姿を
バスの中に見ただけだ。パリのベロニカは随分後になってその写真に
ポーランドのベロニカが写っている事を彼に教えられて愕然とする。

彼女たちは同じ日に生まれ、同じ髪の色と瞳の色をし、共に心臓に
病を持っていた…というのは公式サイトなどで散々書かれているが、
正直劇中でそんな描写はない。あったのはアレクサンドルがこれから
書こうとしている小説の主人公たちの設定がそうだというだけである。

イレーヌ・ジャコブは思い切りのいい脱ぎっぷりでおっぱいもバンバン
見せてくれるんだけど、そんなサービスは必要ないよ。むしろない方が
彼女の清潔感が象徴されていいのに。あと見知らぬベロニカを思って泣く
ベロニカにキスをするのはまだしも、いつの間にかやってるってどうなの。
そこは何もやらなくてもいいんじゃないの。あとポーランドのベロニカが
心臓の痛みに耐えてうずくまってる時にコートを開く露出狂を出す意味が
全くわからない。なんなんだよそれ…ホントに全く意味わかんねーよ…

う〜ん、なんか腑に落ちない。
こういうなんだかよく意味がわからない映画を「綺麗だ、幻想的だ、芸術的だ」
と片付けて、「わからない奴は映画がわかってない」みたいに言われるのって
どうも納得いかない。この映画を見てもしっとりした気持ちにもならないし
よくわからないけどちょっといい感じだったかも…ともならなかった私には
制作者の自己満足としか思えない独りよがり映画だ。

全編にわたって映像が綺麗な事は認めるし、イレーヌ・ジャコブのこじんまりと
整った顔はとても美しかったし、彼女の髪型もファッションも抑え気味なのに
差し色やストールなど小物の使い方がうまかったり、狭い部屋のインテリアが
素敵だったり、クラクフやパリの街並がシックで素敵だったことは無論認める。

だがそれだけ。ラストシーンのベロニカが椅子をいじる父がいる実家を訪ね、
古い樹に触れる構図もわからなかったし、何かの気配を感じた?父の様子も
意味不明。考えようにも材料がないので「私にはわからん」で終わらせたい。

ところでふたりのベロニカがそれぞれリングのようなもので目の下の際を
抑えてたんだけど、あれって何だろう?下マツゲを整えてる…とか??

(2009/5/10放映)
雲が出るまで 5/10(日)

エキゾティックでなかなかの美人監督が撮ったトルコ映画。

ある村にアイシェという老女がいた。
彼女は村に住む一人の少年を可愛がり、セルマという姉の介護をしながら
暮らしていた。しかし姉の死で彼女の心は閉ざされ、ふさぎこむようになる。
そんなある日村にやってきた旅人に、アイシェはある大きな秘密を打ち明けた…

この映画、さほど長くはない(1時間35分程度)しトルコの田舎の
景色を延々と映し出すだけで全くセリフのないシーンも多いので、
それらを全部除いたら物語としては1時間くらいにまとまってしまう。

けれど物語は概ね1/3ずつの前中後編に分かれており、前半はセルマを
介護するアイシェと少年の日常を、中盤はセルマを失ったアイシェの
落ち込みぶりとそれを励まそうとする村の女、そして少年と「アカの
少年」と呼ばれる共産主義者の父とはぐれて孤児になった少年の交流、
そして後半はアイシェの過去が明らかになり、かつて生き別れになった
弟ニコとの再会が描かれる。

全編に渡り、大袈裟な感情表現もないし大仰な台詞回しもない。
ただトルコでは田舎ならおそらくまだまだ日常的であろう風景が映し出され、
共産主義を毛嫌いしていた時代の暗さが伝わってくる。その分「異教徒」で
ある事を隠し、母国語を喋ることすらなく生きてきたアイシェの苦悩は
あまり伝わってはこない。ただセルマという亡父と共に彼女を庇護してくれた
唯一の「肉親」を失った事が彼女にダメージを与えた理由はこれでわかった。

会いに行ったニコは自分が雪山で倒れた母から引き離され、妹とも離れ離れに
なったのだと妻に語る。そこに姉はいない。トルコに留まった彼女に対して
彼は怒りや憎しみを感じているようだった。彼は彼の人生を写した写真を
アイシェに見せながら、ここにあなたはいないと冷たい言葉を言い放つ。

ニコの拭いきれない怒りを黙って聞いていたアイシェは、おもむろに一枚の
写真を彼に見せる。そこには幼い日の彼女と彼が、父?と共に写っていた…

というシーンで映画はブツッと終わってしまう。
セリフがないので実はその写真も父親と写っているのかすらわからない。
一体この意味をどう捉えればいいのか…そもそもここに至るまでのトルコの
歴史が全くわからないので、ギリシャ人であるアイシェがトルコにいる意味が
わからない…そして政教分離ができている珍しいムスリムの国でありながらも
やはり「異教徒」に対しては冷たいまなざしが向けられてしまう事や、まして
共産主義者ともなれば迫害や差別を受けてしまう事も正直よくわからない。

映画そのものより、あまりにも文化や思想がかけ離れすぎ、さらにはそれを知る
情報も少ない・あるいはその入手のためにこちらがかなりの努力を要する国の
作品というのは、どうしても難解と思わざるを得ないものだと痛感したよ。

(2009/5/9放映)
ブレイブ5/10(日)

生活用水を近くの河に汲みにいくようなごみためのような場所(もちろんアメリカ)で、
どん底の生活をしている無職のネイティヴ・アメリカンのラファエロは、ある日
自分の命を車椅子に乗った金持ちに売る。死に至る拷問を受けて最後の呼吸が
途絶えたその時、残された家族の手には5万ドルが渡る手筈になっているのだ。

ラファエルが契約を終えて1/3にあたる前金を受け取り、彼が家族と共に過ごす
一週間を淡々と追っていく。現状しか知らないがゆえに幸せな子供たちのために
遊び場を作ってやれば妻に渾身のグーパンで殴られる。服役経験のある夫が金を
持っている時は犯罪を犯した時。妻に真実を告げることのできないラファエルは
妻からは疑いの目を向けられ、神父には罪を悔い改めよと諭され、犯罪仲間の
ルイスからはやっかみと嫉妬を向けられて妻や息子に危害を加えられる始末。

とにかく絶望感しかない映画。
何か救いがあるとか、考えを改めるとか、この悲惨な運命を変えられるような
事件が起きることは一切ない。時間はただ過ぎていき、ラファエルは決意を
誰にも知られることなく、娘や息子、妻、そして父との別れを終えていく。
ラファエルは最後に最初に仕事を請けにいく時と全く同じように同じ道を
辿って死に向かって歩いていく。そして彼が巨大なエレベーターに乗り、
扉がガチャンと無情に閉まったところでこの映画は終わりを告げてしまう。

唯一動きがあったのはこの「殺されたら5万ドル」という馬鹿馬鹿しい
「仕事」を与える金持ちマーロン・ブランドが雇っている男が死体を連れて
会いに(実際は逃げないように監視に来ただけ)来た時と、妻と息子に
暴力を働いたルイスの家に乗り込み、ヤツの息の根を止めた時くらい。
(その時ソイツがどうやって自分を殺すかがわかってしまう残酷さも垣間見えてしまう)

家族に金が確実に渡るよう頼んだ神父は、自殺に手を貸すことはできないと
拒絶するが、とはいえ夫に先立たれる家族を放って置く事はできないだろう。
何よりこんな方法で金を手に入れても、果たして哀れな家族は救われるのか。

内容が荒唐無稽過ぎると思う半面、こんなどん底の生活をしている人にとっては
それすらも救いなんだろうかと思い、臓器売買する人がいる事を思い、いやいや
「自分」でやるならまだいい、さらってきた人間や子供を物扱いして同じ事や、
生きたままでそれ以上の地獄を味わわせているヤツもいるんだから…と思考は
どんどん空転してしまう。そして最終的に「私や家族や友は無事でよかった」
と落ち着いてしまう。それによってしか安堵できないような救いのない結末だ。

そして一番思うこと。
あの人に命の値段が5万ドルってのは泣けるほど安いと教えてあげたいぜ。

(2009/5/9放映)
東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜 5/9(土)

「リリー・フランキー」という全く名も知らなかったファンキーな人物が
書いた、特別ドラマや連続ドラマ、そして映画にもなった自らの半自叙伝。
大泉洋・速水もこみちに続き、映画はオダギリジョーが主演を担当した。

まぁ…面白かったか面白くなかったで分けると明らかに後者。
民放でリアルタイムで見たものだから最後の方など10分おきにCMが入り、
ノーカットゆえにCM分30分が上乗せされ、2時間半近くも付き合わされて
正直うんざりした。オカンに樹木希林、若き日のオカンにその娘の内田
也哉子とヤング→オールドへの変化をめちゃめちゃ滑らかにしたのに
(最近この技を使う女優親子が多いよね…富司純子と寺島しのぶとか)
物語自体がなぁ…どうも最後まで盛り上がらずダラダラダラ〜と終わった。

思ったより子供時代のエピソードが多くて、最後の時を過ごす樹木希林と
オダギリジョーの触れ合いのシーンが少なかったのもいまひとつだったのかも。
半々くらいにしておけばもう少し感情移入もできたのかもしれないけど…
どうも全てにおいて中途半端だったような気がしてしまった。

樹木希林の抗がん剤と臨終の演技はすさまじかったけど、すさまじ過ぎて
逆に引いてしまった。松たか子は出すぎず引っ込みすぎずで程よかったけど、
「時々オトン」のはずのオトンはあまり出番がないのかと思ってたら結構
あったのでこれもビックリ。どうも私が勝手に想像していたほのぼの系の
映画とは何かが絶対的にかみ合ってない、いまひとつの映画だったよ。

(2009/5/8放映)
インファナル・アフェア 終極無間5/6(水)

「善人になりたい」

3作目は「未来」を描き、すべてに決着がつく最後の物語。

あの事件の半年前のヤンを描いた物語と、あの事件の後のラウを描いた物語が
同時に進行していく。ラウの前に現れたのはどこか怪しさを持つ保安部のヨン。
彼はいつでもわざと騒ぎを起こさせ、警察の存在を示し、犯罪を未然に防ぐ。
サムとも接触し、まるでヤンのこともヨンのこともすべてお見通しのように、
冷たくクレヴァーな瞳でいつも眼鏡の奥から彼らをにらんでいる…

視聴者としては当然、直接ではないにしろヤンを葬ってしまったラウが
この後一体どのように生きていくのかに興味があるに決まっている。
1作目で彼が内通者であると知ってしまったマリーとは離婚調停中で、
潜入捜査官のヤンの死に加え、サムの内通者だった刑事を殺したラウが
内部調査の結果「シロ」となり、しばらく庶務課で干される姿などが
描かれるからだ。彼はとにかく「善人になりたかった」と繰り返す。
サムを殺したのもそれが動機。だからもしかしたらあの内通刑事が
現れなかったら、頑なに正義を貫くヤンを殺していたのはやはり
ラウだったかもしれない…と思わせるほど、彼の執着は凄まじい。

警察内部ではサムの犬として送り込まれていた内通者が次々と死んでいく。
そこに絡んでいるのはヨン。ラウは自分がサムの内通者であるとチクった
同じ内通者はヨンではないかと当たりをつけ、彼の身辺を見張り始める。

とにかくこのヨンが最後まで動きも考え方もわからないし、やってる事も
ちょっとそれはすれすれなんじゃないのと思えるような事ばかりなので
全然信用できない。頭はよさそうなんだけど正体がわからないんだよね。
それこそかつてのヤンに「俺を覚えてるか?」と聞いてみたり…

でもこういう事態が起きちゃう事を危惧してたんだけど、さすがに
3作目ともなると矛盾が少しずつ出てきてしまう。このヨンがヤンの
正体を知っているか知らないかはこの映画の大きなポイントになる。
あとサムってあんなにヤンを使い捨てにするような雰囲気だったっけ?
彼は黒社会のボスらしく誰のことも信用はしないけどヤンの腕や度胸は
買ってるように見えたから、あんな風に使い捨てるとは思えなかったんだが…

「何を言う!ラウ・キンミンはあいつだ!」

ラウの心理状態が非常に不安定になってるのが意外とわかりづらくて、
その分ラストでの人格コピーは唐突。リー先生のカルテを見てるうちに
ヤンの言動や性格が刷り込まれていってしまったんだろうけど、ちょっと
「えー?その手法使っちゃう?精神崩壊で終わらせちゃう?」と拍子抜け。

ヨンの正体がわかり、まるでヤンのように額を撃ち抜かれるシーンは
今度こそラウはヤンを殺してしまったんだという象徴的なシーンだと
わかったけど、全体的にかなりわかりづらいね。ヨン以上にシェンは
もっとわからんかったしね。なんでいきなり!?しかも唯一生き残り!?

いや、自殺を図ったラウも実は死んではいない。
貫通した弾によって脳にダメージを受け、車椅子に座って一点を見つめる
ラウに会いに来たマリーは、娘がパパに会いたいと言っていると告げる。
けれど彼の指はモールス信号を打ち続ける。そして記憶もまた終極のない
無限の檻の中に囚われ続け、彼は何度も何度も無間地獄を繰り返すのだ…

それにしてもヨンはね。うーん、やられた感はあるがなぜか全然悔しくない。
3作見終わって、1作目は文句なく面白く、2作目は非常によくできており、
3作目は「すべての決着」という点でギリッギリ許せるかな〜という感じ。

しかし3部作となるとどうしてもこうなってしまうのかもしれない。
やっぱりこれはラウの死で終わってよかったんじゃないかと思う反面、
あれもまた彼の贖罪になるのかとも考えられるので、人それぞれかな。

(2009/5/6放映)
ダニー・ザ・ドッグ5/6(水)

幼い頃の記憶もなく、言葉すらまともに知らず、ただただ人を殴り、
蹴り、時に殺すためだけに生きてきた「ダニー」はまさしく犬だった。
首輪を外されると殺戮本能が解き放たれ、首輪をつけられるとまるで
尻尾を巻いた犬のようにご主人様のそばで縮こまる殺人犬ダニー。

そんな彼が偶然出会った盲目の調律師サムに触れさせてもらったピアノは、
過去をなくしたダニーが唯一執着を見せるものだった。やがて恨みを買った
ボスが仕掛けられた事故に遭うと、ダニーは逃げ出しサムの元に身を寄せる。
彼とその娘ヴィクトリアと暮らすうち、少しずつ人間らしさを取り戻すダニー。
言葉、知識、感情…流れ込んでくる豊かな物事の中心にはいつも音楽があった。

こんな設定で始まるアクション・ムービーなのだが、ジェット・リーの作品は
いい作品はいいのだが当たりはずれが大きいので公開時は見る気がなかった。
しかしこの作品は当たりの部類。40過ぎてボーイもないだろうと思うのに
小柄な東洋人である事が幸いし(リーはその中でも実際かなり童顔だし)
猛犬としての厳しい顔としょぼん顔の対比がなかなかのジェット・リーは
もちろん、なんといってもモーガン・フリーマンの存在に拠る処が大きい。

ダニーを何もいわずに温かく迎え入れ、物事を教えながら見守るサムと
17歳のおきゃんで優しく明るいヴィクトリアは本当に素敵な親子で、
もう二度と人を傷つけたくないと叫んだダニーが彼らを守るために
再び立ち上がるクライマックスはお約束とはいえやっぱり盛り上がる。

彼らが本当はNYの出身で、ヴィクトリアの学校のために英国グラスゴーに
移り住んでいると説明がなされ、卒業後は故郷に帰ると説明するシーンは
サムがダニーに「きみも一緒に来てほしい」と頼んだのでほっとしたよ。

惜しむらくはダニーを飼っていたバートがそのまんま母親の仇でもあった事で、
たとえば最後にはあの殺人ゲームを楽しんでたくそったれな連中ともダニーが
何か決着をつけたりするのかと思ってた分、何もなかったのはちょっとだけ
拍子抜けだったかな。かといって両者を結びつけるアイディアが何かほかに
あるかと言われるとないんだけど、でもあの殺人ファイト、やけに意味深に
出てきたからさぁ…何かラストに絡んでくるのかと思ったんだよ、勝手に。

アクションシーンはたっぷり取られてるので格闘スキーにも満足できるのでは。
しかしあの狭いトイレでデカい男とドタバタやるのは大変だったろうなー
最後の必殺の一撃がモーガン・フリーマンの「Shut up」だったのもナイス。

「キス・オブ・ザ・ドラゴン」のような激しい怒りも「ローグ・アサシン」
のような「えっ!?」もなかったけれど、ヴィクトリアの演奏を聴いて
一滴の涙がダニーの頬を伝わった時はやっぱりよかったと思ったよ。

(2009/5/5放映)
メゾン・ド・ヒミコ5/6(水)

こ、これは…

なんというか、正直に申せば映画の半分はとても面白いと思う。
年老いたゲイたちが身を寄せ合って生きていくその様がなんとも悲哀に満ち、
でも人生に何度も傷ついている人たちのせいか互いに優しくいたわりあって
余生を過ごしていく姿は、ゲイという事を抜きにしてとても温かいからだ。

それに彼らのボスでありこの老人ホームを作ったゲイバー卑弥呼のママ、
ヒミコがいい。末期がんに冒されながらも超然としたそのしゃべり方や
仲間たちを思う気持ちなどがしぐさや表情からあふれ出て実に魅力的。

もちろんゲイばーさんたちも魅力的だ。おしゃべりなルビィを中心に
明るく楽しく元気よく生きている。悪童たちのいたずらにもめげず、
皆マニキュアをし髪を染め、ドレスを着ておしゃれに生きている。

そんな彼らの面倒を見ながら死を目前にしたヒミコを愛する青年春彦は、
近い将来ヒミコを失った時、自分を支えるものが何もなくなることを恐れて
次の男を探している。突き動かされる欲望で「生かされたい」と願っている。

そこまではいい。
爆竹を仕掛けたりいたずら書きをしたりしてちょっかいをかけていた悪童の
リーダーはどうやらゲイの素質があるようでオダジョーに惚れてしまったとか
おしゃれをして出かけたいという願いをかなえに行った先のダンスホールで
昔の同僚に会って罵倒されてしまったりとか、ルビィが脳卒中を起こし、
もうこのホームにいることができないので息子に連絡を取ったとか…

そういった日常の積み重ねで、ゲイである彼らの人生を知り、その人生の
最後の灯火を一緒に見守っていく…というならばいい映画だと思うのだ。

いや、お涙頂戴にしろというのではない。
むしろヒミコの死がアッサリと訪れたのは絶対的に支持したい。
ステレオタイプの陳腐な親娘和解なんぞをやられる方が虫唾が走る。
形見分けしてくれと駄々る春彦に、あんたにはすぐ次の男ができると
断るのもすごくいい。では私は一体なぜ残り半分は駄作と断ずるのか。

柴崎コウの駄々っ子演技には毎度毎度嫌悪感はあるものの、とはいえ
これを広末涼子のような大根がやったらもっとダメなのでそれはよい。
彼女の不機嫌演技も父への怒り、母への絶望、社会への怒り、自分への
苛立ちなどが複雑に絡み合ってのものなので、映画を見ているこちらを
不愉快にさせるくらいしっかり演じている事をむしろ評価したいと思う。

何がダメって無駄なキスシーンやセックスシーンやゲイの春彦と寝ようと
したりとか、なんかもうモロモロのシーンの必要性のなさがムカつく。
そんなものぜんっぜん必要ないのに、差し挟まれるたびにゲンナリする。
この少し長めの映画のうち、そういったくだらんシーンをすべて抜き去って
しまえば1時間45分くらいのもっとも適度な長さになったと思うのだが…

脱税会長と春彦がホームの資金のためにセックスしたなんてのはかまわない。
沙織が勤めている会社の細川を春彦が気に入ってちょっかいをかけるのも
むしろそういう話が出てくる方がこの物語にはすこぶる自然だからだ。
でも細川と事務員とかオダジョーと柴咲の唐突なエロシーンとか細川と
沙織とかいらんでしょー。全然必要ないでしょー。どう見たって無駄!

ラストシーンもなんだかめでたしめでたしでごまかされてしまったような
気がするが、パトロンを失ったあのホームの経営資金はどうなるのだろう。
そもそもヒミコは遺産はないと言っていたが、あんなホテルを買い取って
遺産はなくとも借金はあるのではなかろうか。そんな事が気になっただけで
最初の頃の「お、おもしろいかも」→「はぁ?何じゃこれ…」→「ふーん、
ま、どうでもいいんじゃね」というテンションの落ちっぷりにガッカリだよ。

(2009/5/4放映)
仮面ライダーカブト GOD SPEED LOVE5/5(火)

この時期にやるなら4作目の劇場版が絶賛公開中の電王じゃないのと思いつつ、
平成仮面ライダー7作目、今をときめく既婚俳優水嶋ヒロ主演で06年に放映の
「仮面ライダーカブト」の劇場版。平成ライダー劇場版は電王以外は龍騎しか
見た事がないので、本編を詳しく知らずにライダー映画を見るのは初めてだ。

まぁ…やっぱ無理だよな。
キャラクターの相関関係もホントに基本的なものしかわからないし、
そもそもこの番組のライダーシステム自体がよくわからない。

このライダーたちはなぜ変身した後にわざわざキャスト・オフするんだ?
しかもそれがピンチになるからとか、飛び散る部品が武器とかでもない。
元からスリムな形にならないのはもしかしてサナギのつもり?虫だけに。
クロック・アップというのは名前のとおり加速だと思ってたら、なんと
時間そのものを飛び越えていった上に重力まで支配してたので吹いた。

ワームが巣食う隕石が衝突した地球は荒廃し…てるところがあったり
なかったりだけど(途中しょんぼりと頭(こうべ)を垂れる哀愁の東京タワーは
ちと失笑を誘ったよ)そんなワームと戦うために「ライダーシステム」を
開発したZECTは、制服の腕の部分のカブトムシ・エンブレムが可愛い。

しかしそんな彼らに反抗する連中が突如内乱を起こして「NEO ZECT」を名乗り、
日々この大変な時に余計な戦いを仕掛けてるらしいどこにでもバカはいるもんだ

もともと天道はZECTの計画を邪魔しようとしたのか?
ってかZECTはなんであんな計画を実行しようとしてたんだ?
ちゃんと見てたつもりだったのに理解してない私が悪いの?
ってかNEO ZECTって一体何をやりたかったんだろうか…
俺俺女に水嶋ヒロを縛らせていたぶらせる事が目的?

こいつやひよりが「僕女・俺女」なのも癇に障るわー
特に俺女。大体アイツがライダーになって戦えばいいじゃんよ。

ってかひよりが7年前の隕石が原因で死ぬって…内臓にダメージでも?
加賀美とひよりの恋愛描写は悪くなかったけど、戦闘シーンは最初だけ
ちょっと見せただけで天道と加賀美が軌道エレベーターにつくまでの
あんなにてんこ盛りのワームたちとのバトルは皆無で逆に驚いたわ。

タキシード仮面みたいな格好で舞い踊ってた金ライダー・武蔵も
意外とあっけなかった…どう見てもぶっ飛ばされてたのに、なんで
加賀美の脱出カプセルにしがみついてたのかはわからんかったけど。

結末はワームの巣である隕石を持ったまま時間を越えて7年前に飛んだ
カブトが、同じく7年前に落ちてきた隕石にそれをぶつけて破壊し、
7年間の「間違っていた」歴史をすべて消し去るというもの。

もしこの劇場版こそがもともと流れていたカブトの「時間」で、映画の
結末がTVシリーズの冒頭に繋がり、あっちが「やり直されている時間」
だとしたらまぁそれも悪くないかもなと思えるけどね。どうなんだか。

あと一つ、この映画を見ながらものっそい思ったことがあるんだ。


おまえら全員髪切れっ!


うぜーんだよ前髪とか横髪とか後ろ髪とか!!!!!刺さるぞ眼にっ!!!

(2009/5/1放映)
昼下がりの情事5/5(火)

恋に恋するアリアンヌとアメリカ人で女たらしの大富豪フラナガンの
年の差を越えた、古き善き時代のパリを舞台にした純愛ストーリー。

探偵である父のファイルを盗み見ては、男と女のドロドロの愛欲関係を
「ロマンティック」と履き違えて夢見ているアリアンヌ。ある日彼女は
父の依頼者に撃ち殺されそうだったフラナガンの命を救ったことで
恋の駆け引きが始まる。愛を信じず好き勝手に女たちと浮名を流す
フラナガンに、アリアンヌは純情そうな容姿と父の調査ファイルから
得た恋物語(と彼女は信じている)を駆使して恋をさせようとする。

その考えのあまりの幼さが鼻について鼻で笑ってしまうんだけど、
オードリーの可愛さでなんとかぎりぎりカバーしてる感じかな。
むしろすっかりじーさんになった「強い男」ゲーリー・クーパーが
ショックだ。しかも女のケツを追ってばかりのスケベったらしだもの。

どこへ行くにも楽団を率いて行ったり、オードリーのお父さん役の
モーリス・シュヴァリエがなんともいい存在感を示していたり、
ゆったりとした雰囲気のラブストーリーらしくちょこちょこと
差し挟まれるカットが上質。今こんなのやったら冗長でモサいだけに
なるだろうけど、この頃の映画にはユーモアやウィットがあって許せる。

ラストシーン、真相が明らかになって彼女を傷つけないために去っていく
フラナガンと、それを見送るアリアンヌのシーンはよかったなぁ。
彼女が自分は大丈夫、たくさんの恋の相手がいるから…と涙をこらえて
一生懸命嘘をつくところはわかっていてもちょっとグッときたよ。

フラナガンもまるで捨て犬のように後を追う彼女を引き上げハッピーエンド。
まぁあれで心を動かされず捨てていったらそれこそ男が廃るってもんだね。

(2009/5/4放映)
インファナル・アフェア 無間序曲5/4(月)

1作目が非常に面白かったので続けて2作目も視聴。
2作目というものは多くは1作目を無視して(たとえばキャスティングが
大幅に変わったり、設定が完全に別物だったり)作られる場合も多いけど、
この作品を見てうならされたのは全てにおいてちゃんと辻褄が合ってたこと。

たとえばヤンが潜入捜査官である事を知るのはウォンしかいないはずなのに
(1作目の冒頭で教官は死んでいるため)2作目ではルクというウォンの同僚も
知っている。でも彼はハウの復讐により爆弾が仕掛けられたウォンの車に乗り、
爆殺されてしまうので未来には存在しない。キョンがタイ語を理解できたのも
彼がサムと共にタイに潜伏していたからであり、ヤンの元カノが6歳である娘の
年齢を「5歳」と偽ったのは既に1作目で「ああ、この娘はヤンの娘なのだ」と
示唆されたのだけど、6年前に彼女が中絶した事でヤンの逆鱗に触れた経緯が
発覚し、さらに確実になる(つまりホントは中絶していなかったってこと)

またヤンが警察学校を退学させられた理由というのが「身内に犯罪者がいる」
ことであり、彼はサムの前に香港を牛耳っていたマフィアのボス・ハウの
異母弟である事も判明する。とはいえこの作品のヤンはあまりパッとせず、
ボスの女マリーに懸想するラウの方がアクションが派手だ。つーかまさに
行動そのものがサンピンっぽい(1作目は優秀な警官そのものだったんだが)

また1作目で永きに渡る潜入捜査でヤンが心を病んでいた事が語られたけど、
自分と同じように7年も潜入させられていた捜査官があっさりとハウに
殺されるシーンを目撃したことも一つの原因かもしれないと思わせる。
そんな細かいスクリプトのすりあわせがうまいなーと思う。

4人組の悪企みと、ハウの父を殺したのがラウであり、それを命じたのが
マリーである事がなかなかひとつにつながらなかったんだけど、そこに
マリーに接触し、殺しを教唆した人物が浮かび上がる。最初こっちが
ルクかと思ったんだけど、ウォンだったのはむしろ意外だったなぁ…

4人組の死に様やマリーの死など、容赦なく復讐を遂げていくハウ。
けれど撃たれたサムは生きており、ウォンの口添えで証言する事になる。
サムが1作目で「ここの飯を食うのも久しぶりだ」と言ったセリフまで
ちゃんと回収するんだから笑ってしまった。でも友情すら感じていたような
この二人なのに、サムはウォンを冷酷かつ残忍に殺しちゃったんだよなぁ…

実際、最後にハウに殺される覚悟を決めたサムを救ったのはウォンだったし。
若き日のヤンとラウに接点があろうはずもなく(混乱した現場とはいえむしろ
無理して作らないで欲しかったよ)終わってみればこっちの2人が主役を張った
と言っても過言ではなかった。けれど2人の間に友情はない。サムが殺さないと
言っていたハウの家族の殺害写真を見て、ウォンが壁の写真をハウからサムに
変えるシーンが1作目への「無間地獄」を思わせてちょっとどんよりするよ。

時を遡りながら語られてきたこの物語は、香港が返還された1997年で終わる。
この年、ヤンは刑務所で一緒だったキョンに誘われてサムの手下になる。
そしてラウはトラ女の名前を聞く。彼女の名前は愛した人と同じマリー。

製作手法はゴッドファーザーと同じく「1」が現在で「2」が過去。
でも事実のすり合わせはなかなか見事で感心したし、ヤンもラウも1作目で
既に若き日の彼らを演じている俳優が演ってるので違和感なく受け入れられる。
というか完全にウォンとサムが主役って感じだけど、文句なく面白かった。

(2009/5/3放映)
インファナル・アフェア5/4(月)

3月に放映があったので3本すべて録画するつもりが予約ミスで1作目しか
録画できていなかった。けれど「男たちの挽歌」のようにいつかBS-hiで
連続放映してくれるかもと思い録画を消さずにいたところ、BSより先に
ケーブルで全作放映があり、さらにはリメイクの「ディパーテッド」も
やってくれると聞いて小躍り。そしてようやく見ると、小躍りどころか
大踊りしたくなるような面白い香港ネオノワール・ムービーだった。

警察学校でその優秀な観察力を見出されたヤンは、「規律違反」を理由に
退学させられ、マフィアの懐へと潜入させられる。その年数は実に11年。
夢であった元の身分…警官に戻れる日を夢見ながら、それと同じくらい
絶望の中で殺しやヤクなど汚い仕事に手を染め、黒社会に浸かっている。

彼とは対照的に優秀な成績と大胆な捜査でのし上がっていくのは
警官のラウ。婚約者との結婚も決まり、手がける事件は全て手柄にし、
人生すべて順風満帆としか思えない優秀な警官だ。しかし彼は香港を
牛耳っているマフィア、サムの秘蔵っ子であり、内部スパイでもある。

対照的な両者がそれぞれの情報を己の信じる組織へと流しながら命の駆け引きを
行う作品と聞けば、よほどの人でなければ面白くないと思う人はいないだろう。
サムの元にいつも付き従っているヤンが、一体どうやって上司のウォンに
情報を流しているのか、なぜいつも意味深に彼の指が映されるのか…
しかも他人にはわかるはずもないそれを見破るラウの観察眼の恐ろしさ。

そんな緊迫感溢れる中、互いが互いの中に潜り込ませた犬をそれぞれが
割り出す内部調査が始まる。映画館でのすれ違い、ビルの屋上での逢引…
ひやひやさせながらもウォンがエレベーターに乗った瞬間ほっとしたのに!

あのシーンはヤンでなくとも固まるわ。
キョンが警視は10分間も暴力と拷問に耐え、それでも口を割らなかったと
言った時は辛かったよ。いや、私じゃなくてヤンの気持ちを思うとね。

しかもそのキョンもその後すぐに死んでしまうんだから演出がにくい!
マッサージに行くと告げて実はウォンと会っていたヤンのことをふざけて
「チクろうぜ」なんて言ってたくせに、彼が捜査官であると見抜いてたから
「マッサージ行ってたことは言ってない」と最後の最後に兄弟仁義を見せる。

ウォンが死に、ヤンが潜入捜査官と知る警察学校の教官もすでに死んだ今、
ヤンに残された道はラウと組むことしかなかった。でもラウは…と視聴者は
ハラハラし、サムと彼が対峙した時は当然ボスを逃がすんだろうと思いきや…
ラウはサムを撃つ。自分の生き方を選べと言った彼の言葉そのままに、
ラウはこれが自分の生き方だと最後にひとりごちる。

二転三転しながらついに互いの面を見たラウとヤン。
しかしヤンの身分を戻すためにファイルを開きに席を立った
ラウのオフォスには、なぜか自分の筆跡が残る封筒があるのだった。
も〜、この映画はこんな風に一難去ったと思うとまた一難出てくるんだよ。
姿を消したヤンに正体を知られたと悟ったラウはヤンの記録を全てデリートし、
彼が呼び出した場所へと出向く。身分を返せと迫るヤン。これからは真っ当な
道を歩むと改心したことを口走るラウ。果たして彼らの決着はいかに…

とにかく全編にわたってピンと緊張感が張り詰めた面白い作品だった。
ヤンの精神治療を行うリー先生が美しく、心を通わせたシーンが非常に
儚げだったのがよかった。ヤンが残したメモも結末を思うとせつない。

マフィアものは容赦なく人が死ぬのであまり好きではないのだけれど、
これは脚本や演出がよいのでクライマックスは「えっ!?」と息を呑んだ。
大味になりがちな香港映画だけど、全てにおいて表現が抑え気味だったのも
非常によかったと思う。「男たちの挽歌」とは世代が変わったと思えたよ。

ラウの裏切りは一体何が原因なのかがわからないのだけど、
もしかして後作で明かされる事があるんだろうか?

(2009/3/16放映)
ぼくたちと駐在さんの700日戦争5/3(日)

ヤバい、この映画すごく面白かった。
原作はブログ小説で、それとの乖離に批判も多いらしいけど、
私は原作も呼んだことがない(つーかこんなものがある事すら
この映画を見るまで知らんかった)し主演の市原隼人に特別に
思い入れるファンでもないごく普通の映画ファンとして公平に
ジャッジするけど、映画としての完成度は非常に高いと思うよ。
エンタメ、役者の演技、演出のどれもが相乗効果を成してるもん。

1979年ってまだまだ70年代のダサさが残ってて、それでも次の明るく
ド派手な80年代へのバトンも持っていて…というえらい中途半端な時代。
イラン革命が起き、第二次石油ショックで日本中「省エネブーム」になり、
金八が始まった反面、世間ではツッパリが荒れ、校内暴力や家庭内暴力が
深刻化していった。映画でも出てたけど1988年まで続く共通一次試験が
始まったのもこの頃。インベーダーもブームだったようだが、私は実は
やったことがない(やったのはギャラクシアンの方がずっと先だった)

時代背景はすこぶるよくわかるが、昭和54年には大した感慨もない。
だからこそ普通さにノスタルジーを感じるのがこれまた不思議。
合間合間に挟まれるなつかしの番組キャッチやCM、歌も懐かしい。
石野真子母さんの場面で「狼なんて怖くない」が流れたりさ。

イタズラ発案者のママチャリ、喧嘩が滅法強いのにエロガッパの西条、
イケメンで品行方正なグレート井上、肉屋の息子で肉々しい千葉くん、
ツッパリ姉ちゃんと大家族と暮らす孝昭くん、女の子みたいなジェミーは
いつもつるんでちょっとしたくだらない悪戯を楽しんでるおバカさん軍団。
ダブりの辻村さんはいい人なんだけどビミョーに彼らと空気がずれてるのも
可笑しくてさ。うちの組にもいたけどダブりって扱いが難しいんだよね〜

そんな彼らの前に立ちはだかる最大の敵が4月から赴任してきた駐在さん。
肝が据わり、動じない・迷わない・ひるまない駐在さんを何とかギャフンと
言わせようとくだらない悪企みを繰り返すのだけど、これがまた失敗ばかり。

駐在さんの美人妻(実は元レディース)へのママチャリの初恋兼片思い、
その妹の大学生とグレート井上くんの淡い恋、さらにはバレンタインに
ママチャリにチョコを渡したのに返事を先延ばしにされている和美など、
なんとも晩生で可愛い高校生たちの恋愛もちょっぴりスパイスになる。

出てくる連中もファッションが70年代風というだけでなくどこかダサめで、
根本にはまだ良質な善良さを隠し持ってるような可愛さがてんこ盛りなのだ。
しかし佐々木蔵之介はこういう癖があって存在感がある役をやらせたら
今右に出るものはいないんじゃないかと思うほど乗りに乗ってるよね。
市原隼人もべらんめぇ口調が一本調子になりがちなのが気になるけど、
器用に役をこなしてる(この子は身長が伸びなかった事が一番のネック)

西条の提案で病気のミカちゃんのために花火を盗んで打ち上げる話では
仲間たちが皆駆けつけ、さらに駐在さんがここ一番で男を見せてくれたり。
(一番の男を見せたのはもしや3000円で花火を売ってくれた親方かも?)

子供みたいな連中のばかばかしい悪戯に笑い、さらには駐在さんの
あまりの大人げなさに爆笑し、誰もが皆いい人であることにほろりとし、
この映画はこの先700日続く僕らの戦争のほんの107日目までの物語だと
聞いて、うむ、さては初めから続編作る気マンマンだなと思ったよ。

こんな風に全編にわたって大声で笑ったり「バカだね!」とツッコミを
入れたりしながら久々に楽しんで見られた明るくおバカな青春映画だった。
青春映画としては往年の「ウォーターボーイズ」や「スウィングガールズ」
ご当地映画としては「下妻物語」「フラガール」に匹敵するくらい楽しかった。

(2009/5/3放映)
普通じゃない5/3(日)

鼻持ちならない金持ちの令嬢を、彼女の父親に仕事をクビにされた
気の弱い清掃員が誘拐することになり、次から次へと襲い掛かる
不幸や面倒ごとなどの騒動を描いたプチクライム・コメディ。

しかも天国ではくっつけたカップルが悉く破局や離婚してしまう成績の悪い
天使二人がこんなにも格差のある二人を結び付けなければならないから大変。
ってかいまどきは天国もサラリーマン社会に毒されてシビアなのね…

成り行き上彼女を誘拐したロバートだけど、脅迫の仕方も脅迫状の書き方も
誘拐される側として経験豊富なセリーンから見たら全くなっていない。
ユアン・マクレガー演じるロバートの押しの弱さは格別で、脅迫電話をかけて
逆に脅され、間違い電話では相手の娘を紹介される始末。結局電話ボックスの
外でぼんやり待ってる間にセリーンが自分で自演電話をかける羽目になる。

こんな風につかず離れず、仲良くなったり喧嘩をしたりする二人を
天使には到底見えない天使たちは何とかくっつけようと奮闘する。

身代金を受け取るあたりまでは結構物語もとんとん拍子に進んで
あまりストレスがなかったけど、その後も結構長かったなぁ…
まぁカードを止められて頭にきたセリーンが勢いで銀行強盗をし、
それを見て横でおたおた騒いでるロバートは可笑しかったけど。

時折挟まれる謎の映像(本人が横にいるのに本人が車の中にいたり)が
何なのかイマイチよくわからなかった。天使も突然やたら凶暴になって
それこそゾンビのごとく襲い掛かってきたし…あと撃たれて死ぬのも
えええええ?天使のクセに死んじゃうの?とあっけにとられたよ。

とにかくユアン・マクレガーのロバートが気は弱いけど良心的で
いいヤツなので結構面白いと思えるシーンも多かったんだけど、
全体的には「???」と首を傾げてしまう変なストーリーだった。

ラストは愛し合ってる事を告白しあってハッピーエンドなんだけど…
誘拐は狂言と許されても、銀行強盗は罪になっちゃうんじゃないのー?

(2009/5/2 放映)
アルゼンチンババア5/3(日)

町外れの廃屋のごとき汚い家は「アルゼンチンの遺跡」と呼ばれていた。
そしてそこには世にも不気味な「アルゼンチンババア」が住んでいた…

「妻を亡くした夫と母を亡くした娘の再生物語」なんだろうけど、
う〜ん、どうなんだろう…なんか最後まであれこれ鼻につくというか、
作品カラーが肌に合わないというか、私とは相容れないなぁと思わせる
何かが漂ってるような作品だった。しかも「でもいいものもあるかも」
と思わせるので途中でやめずに最後まで見通せたわけだし(最近途中で
やめている作品が続出しているので…当然レビューにはならないので
数に数えられないが、1時間見てやめたりすると消費した時間が無駄)

母親の死に目にも現れず、葬式にも現れないまま行方不明になった父は、
町外れのアルゼンチンの遺跡でアルゼンチンババアと暮らしていた。
悟の妹早苗は彼をなんとか連れ戻そうとするものの、みつ子同様
アルゼンチンババアことゆりの独特のテンポに巻き込まれて失敗。

まぁね、彼が妻の死から逃げたことはわかるよ。
残された娘を放棄したことも百歩譲ってありとしよう。
でもね!でもその間、いい年こいてアルゼンチンババアと

子作りしてた

ってのはどうなんだ!?何やってんだおまえ!?

そんな騒動の間に「母の誕生日は自分の誕生日でもある」と言ってくれた
針治療院の見習い・向井への淡い想いが破れてしまうエピソードがあったり、
信一は実は母と別れた父と暮らしており、早苗は男漁りに忙しい浮気者で、
でも彼にとっては自由奔放でいいお母さんだということが盛り込まれていく。
でも実はそれらはあまり意味がなかった。無駄といえば無駄。なくてもいい。

堀北真希はさして興味のある女優ではなかったけど、こうしてこだわりが
一番ある映画撮影で見るとなかなか大人っぽい顔立ちをした美人さんだ。
あと今回みつ子の従兄弟の信一を演じた小林裕吉という子(新人とあった)が
新人離れしたなかなか達者に自然体の演技を見せていてビックリした。

子供を生んだゆりが産後の肥立ちが悪くて死んでしまう唐突さに驚いたわ。
みつ子は家に戻った父と弟を育てながら、高校を出たらパン職人の勉強をし、
いつか町のパン屋さんを開くという夢を追い始める。最後はハッピーエンド
なんだろうけど…う〜ん、まさしく「本人たちがいいならいいか」としか
言えないような内容で、だったらそんなもの映画にすんなよと思ったり。

ただイルカの墓石は正直可愛かった。あれなら墓参りが楽しくなりそうだ。
墓石もただ四角かったりちょっと飾りがついて豪勢なんてもんじゃなく、
あれくらい奇抜なものがあってもいいじゃないか!本人もう死んでるし。

(2009/5/1 放映)
レッドクリフ PartI5/2(土)

長きに渡る三国志の物語の中で、最も劇的かつ人気の高い
「赤壁の戦い」をジョン・ウーが外連味たっぷりに映画化。

ありがたかったのは「これ誰だっけ?」と思う頃にちゃんと
キャラの名前がでてくれること。それに実際ダラダラと色々な
エピソードを欲張るより、あれもやりたいこれもやりたいとなるとは
思うけど、赤壁あたりの物語にガツンと絞ったのも悪くなかったと思う。
それでも二作に分かれたのは削りきれず長編になってしまったからとか。

正直、色々と「これはいらなくね?」というシーンも多かったので、
ザクザクと削っていけば長いことは長いけど3時間ちょいくらいで
なんとか一本にまとめられたんじゃないのーと思ったりもする。
要らないシーンはたとえば馬の出産とか周瑜と小喬のラブシーンとか
孫権の妹・尚香(後の孫夫人)のじゃじゃ馬ぶりとか曹操と麗姫とか…
はっ、私がいらんと断ずるのは全部女が絡むシーンばかりではないか!

水牛を盗んだのどーののあたりも、エピソードとしては面白いので削る必要は
ないにせよ半分の時間でいいだろう。周瑜と孔明の琴の競演とかもいらんし。
ホント、冗長に見える部分は全て削っていい。その分バトルは申し分ないほど
見せてくれたし、猛々しいながらも主君への忠誠心に溢れている魅力的な趙雲、
吼えまくる張飛、たった一人で敵陣に斬り込み、曹操が捕らえる事すらできず
見逃す軍神ぶりを見せる関羽と、ああ、中国人も好きなキャラクターはやはり
我々と同じなんだなぁと密かにほくそえんだりしてね。むしろ孔明が気になる。

一応話術を駆使し軍議に参加して意見を述べるなど策は弄しているっぽい描写も
あるんだけど、大体がニヤニヤしてるだけであまり大活躍という感じではない。
赤壁の激戦が始まるパート2ではスペックの高さを見せてくれるんだろうか。

そう、この映画は仕方がないとはいえ曹操の水軍が敗退する実際の赤壁の戦いは
描かれない。そこまで行く前の前座のようなもので、本番は公開中のパート2で。
でも馬の数といいエキストラといいスタントといいワイヤーアクションといい
金はかかってるよ。合戦シーンの大迫力はそれだけでも見る価値はあると思う。

しかしこれを見たら日本も天下分け目の関が原の合戦を史実やフィクションを
織り交ぜて映画化したら面白いんじゃねーかと思ったよ。映画ってのは真面目に
やりすぎても面白くないから、そのへんはうまいことアレンジしてもらってさ。
今までも何度も映画化されてるんだろうけど、若くて綺麗な俳優を沢山使って
魅力的な武将に仕立て、インチキで華麗で血湧き肉踊る面白い話にするんだよ。
部下に自分を守らせて関が原を突破した(残った部下は20人もいなかったとか)
腰抜け殿様とか、絶対笑えるエピソード満載だと思うんだよなぁ、あの戦も。

(2009/5/2 放映)
ドーン・オブ・ザ・デッド5/2(土)

ロメロの「ゾンビ」をリメイクしたゾンビ映画。
のたくらしてるゾンビがやたらすばやく走るのがウリだけど確かに早い。
「28日後…」の感染者が走るのに触発されてスピードアップしたらしいけど、
あれは正確にはゾンビ物じゃない(だから餓死して死に絶えるわけだし)

酷評ばかりだったので面白くないのかもと判断し、前回の集中放映時は
スルーしちゃったけど、ツレから「いや、意外と面白かったよ」という
感想を聞いたので見た。うん、確かにあちこちで書かれたレビューを
鵜呑みにする必要はないくらいなかなか楽しめるデキだったと思う。

近所の女の子・ヴィヴィアンが血まみれの顔で家に入り込んできて
夫を食い殺すという衝撃的なプロローグからして引き込まれたし、
その夫がまた感染が早くてすぐに起き上がって襲い掛かってくるのも
迫力満点。街中に溢れるゾンビから命からがら逃げ延びた主人公たちは
巨大なショッピングモールに立てこもり、そこで閉鎖的な避難生活を
送ることになる。ゾンビはバカなので進入が出来ない事だけが救いだな。

CJというショッピングモールの警備員が変に頑固でイラついた。
こんな事態になってるのに壊した店を元に戻せとか店のものを盗むなとか
もー、バカじゃないの!でももしこういう極限状態に陥った時(大地震で
どこかに閉じ込められ、そこにいる人たちと協力し合って脱出しなければ
ならない…なんて事態は我々にもあるかもしれない)仕切ってるリーダーが
しょうもない無能野郎だったら運命も決まっちゃうなとちょっと怖いよね。

無能なら皆でたたき出せばいいといわれても、相手に地の利があって
しかも武器や戦力がこちらよりもあったら従わざるを得ないでしょ。
いつでもジーン・ハックマンやポール・ニューマンが脱出の指揮を
とってくれるわけじゃないもんねぇ…そんな事態に追い込まれるより
ミサイルでも地震でも爆発でもなんでも一瞬で死ぬ方が楽だと思うよ。

この作品では警備員側の若造が裏切ってリーダー交代劇が起きる(それに
最後はこのCJ、勇猛果敢に皆の盾となってゾンビを巻き添えに自爆する)
その後は主人公とマイケルという良識的な男が指揮を執ることになるけど、
ゾンビに噛まれた父親を殺さざるを得なかったり、黒人とロシア人妻の
ゾンビ出産時、脱出者を乗せてトラックを運転してきた女丈夫があっけなく
殺されちゃったり(実は脱出劇としてはこのトラック組のエピソードを
描いた方がずっとスリリングだったんじゃないかと思うんだけどね)、
ゾンビとの戦いよりは内部での出来事の方に時間を割かれている。

犬が武器屋のアンディに食べ物を届けるためゾンビ広場に放たれた時は
ハラハラしたけど、ゾンビが人間以外に興味はないという設定でよかった。
一番ウケたのはじーちゃんがチェーンソーを使おうとしてトラックがかしぎ、
AV女優みたいな彼女を斜めにザクーッと切っちゃったとこ。ありえねーよ!

でもこの映画の結末は全く救いがない。
しかも容赦のないことにその過程が脱出に成功したエンディングの後、
スタッフロールと同時にビデオカメラ撮影という形で流れてくるのだ。
ゾンビに噛まれてしまったマイケルは残って自殺(銃声が響く)し、
船で脱出した仲間たちにも食料や燃料などが切れて限界が迫ってくる。

そして上陸した島でまたしても大量のゾンビが…
銃声、悲鳴、怒号、そして落ちて草むらを写すカメラもやがて切れる。
ああ、救いがない。でもそんなえげつなさも含めて結構面白かったよ。

(2009/4/30 放映)
バルト5/2(土)

アラスカの小さな村で起きたジフテリアのワクチンを届けるために奮闘する
ソリ犬バルトの物語。確か昔学校の図書館かどこかで読んだことがある。
でもこの映画のバルトは狼との混血で町の人からもソリ犬たちからも
バカにされていて、友達は鴨のボリス、泳げない白熊が二頭だけ。
それから冒頭、実写でセントラルパークに立っているバルトの銅像を
探しにきたおばあちゃん、ロージーが飼っている犬のジェナは恋人。

まさに一世代前の「アメリカン・アニメーション」だなぁという作り。
必ず危機が訪れ、それを乗り越えるとまたしても危機が訪れるという
山形ジェットコースター・ムービーでもある。しかしバルトを危機に
陥れるため仕方がないとはいえ、ソリが転落したり急ブレーキで岩に
ぶつかったり、薬のビンがするりと抜けて割れてしまったりするのを
見ると、どんだけ硬いガラス瓶なの!?と気になって仕方がない。

それにめっちゃくちゃ高い崖から落ちたのにバルトもスティールも
足ひとつ折らずやたらと頑丈なので笑った。崖下から液体である
重いワクチンを運んでくる犬なんかいねーよ!狼でも無理だよ!

スティールがひたすら心の狭い妨害屋なだけで、崖から落とされて
「今に見てろ」と言った割には道に迷わせて町に帰って寛いでただけで
ガッカリ。何か最後にもっと大きな復讐でも仕掛けてるかと思ったのに。

しかしソリが転倒して投げ出されいつまでもそのまま雪原に放置されてたり
(周りには犬しかいないのでしょうがない)、その後も岩にあたって転倒し、
しまいにはミイラのように寝袋にくるまって犬につれて帰ってもらった
マッシャーの存在意義は…そもそも道を決めてたのスティールだったし。
(きっと薬を受け取る時に言葉を話せる人間じゃないとマズかったんだ)

うん、まぁ内容的には完全に「人間いらんかった」映画だね。
子供の顔とかもぜんぜん可愛くなかったし…ホント、人間いらんかった。

(2009/5/2 放映)
シャレード5/2(土)

オードリー・ヘプバーンがキュートでコケティッシュな未亡人を演じた
サスペンス。でもそれだけにとどまらず、ちょっとしたコメディ要素や
ロマンスもあったりして楽しめる。「実は切手が莫大な価値を持つ」とか
電話を使っての誘導(今なら携帯に翻弄されるだろう)、二転三転した上で
最後のどんでん返しという、今ではもうすっかり使い古されたトリックが
使われているのに演出がよいせいで全く厭きさせない内容なのは感心した。

ラストのトリックはいつ電話をしてもオフィスじゃないのでおかしいと
気づけば簡単にわかるんだけど、苦労しながら真実にたどり着くまでの
オードリーとグラントの掛け合いや3人の悪党との駆け引きが面白い。

まぁオードリー演じるジーナが夫の事を何にも知らないとか、いくら離婚を
考えていてその上さらに悪党だったことがわかったとしても夫が死んだばかり
なのにいくらなんでも尻軽すぎるんじゃないのと疑問に思ったりもするけど、
メトロやバトームーシュ、ノートルダムやパレ・ロワイヤルなどパリの風景も
小粋だし、ほっそりしたオードリーが着るレトロなジバンシィもおしゃれ。
なのでそのへんは内容が面白い分、差し引いて大目に見るのが正解かも。

(2009/5/1 放映)
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